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ブルーダイヤやトップ使ってました。匂いがよかったな。
2層式洗濯機も懐かしいですね♪
自衛隊官品じゃマダマダありますよ。入隊当初は洗濯板使うこともありました
我が家は二槽式洗濯機現役です。作業服や武道衣は全自動式だと汚れが落ちにくくて。
うちの職場は全自動洗濯機も二槽式洗濯機も両方ともありますよ〜。タオル、手袋洗うので。汚れがマシなやつとキツイやつ分けてます
ピンキーって、わりと最後まで大きなままでし頑張っていましたね!
とにかく、大きかった!計量カップみたいなので、カップ一杯入れてたよね😮
昭和のネーミングセンス最高‼️とにかく昭和はいい時代だったなー…
私が、子供の頃は、洗濯機の所には、いつも無リントップが置いてありました😊懐かしい想い出です😺
ウチの二槽式洗濯機には粉末洗剤用の軽量カップが標準装備だったなぁ
昭和の時代は本当に洗濯洗剤の箱は大きかった使う量もコップに半分くらい入れてました小さい洗濯洗剤が出たときに母がこんなに少しで汚れが落ちるのかと言ってたのを思い出しました
伊集院光の実父がライオンで商品開発を行う研究員として勤務していたそうで、花王アタックが登場し粉石鹸のサイズを一気に小さくした以前から「技術的にはすでに小型サイズ化は可能だけれども消費者が少量で十分汚れが落ちるというのを信用してくれず結局既存の大型サイズを売るしかない」という話をよくされていたそうですライバル企業から「スプーン一杯で驚きの白さ」という革命的商品が大ヒットしたのを相当悔しがっただろうなぁ
懐かしいなあ。母が「モノゲン ユニ」を愛用してました。セーターやマフラーを洗うのに使ってましたね。洗濯機で洗うときもあったし、洗面器で手洗いの時もありました。よく手伝ったのを懐かしく思い出します☺️
P&Gに社名変更した頃、一軒一軒各ご家庭の郵便ポストに、洗剤の試供品(結構な量)が、配られていたのを思い出しました、、、今思えば結構な大盤振る舞いの宣伝だったかと。もっともその当時、聞き慣れない社名の”プロクター・アンド・「ギャンブル」”と言う、ギャンブル部分に引っ掛かりを持った主婦層も、それなりに多かったと聞きますw😉😉😉
シャンプーなどもそうだったけど、外資系は、プロモーションの一環で、現物サンプルを各家庭に配ることが多かったです。少量パックのサンプルは、旅行や銭湯に行くときには重宝しました。
酵素パワーのトップのCMと赤い大きな洗剤、ずっと使ってたので懐かしい、今でもトップを見ると思い出す
「無リン」が懐かしい。
エマールってそんな大昔からあったのか!知らんかったアラフィフです。
洗濯洗剤が大きな箱だった頃、普通のコップで計っていたのを覚えています。コンパクトサイズになって専用の計量スプーンが付くようになった。
うちはワンカップ酒の空を使ってました
今は100均で柔軟剤入りのカプセル洗剤が売っている我が家は使ってます。昔の箱入り洗剤懐かしいです
確かに洗剤の箱デカかったですね🤣🤣🤣 箱が小さくなっても、祖母は入れる量をアップデート出来なくて、めっちゃすすぎが必要になってました😂
ブルーダイヤの金銀パール、一回も当たったことがない。
CMソングは小林亜星さんの作、歌っているのがご本人 のバージョンがあります。
キョロちゃんのあのやつも 1回も当たった事ないです
トップはまだそのまんま売られています!
コンパクト洗剤は画期的でした。
大箱からコンパクト化した頃、母はこんな少量で洗えるのか半信半疑だったと聞きました
「酵素パワーのトォーップ!!」
未だに市内のスーパーにはデカいの売ってるし東南アジアっぽい作業着姿のあんちゃんが買ってるのたまに見る
お風呂の残り湯をバケツに汲み洗濯槽に入れるのを思い出します。
洗剤のサイズ、昭和時代は場所を取るほど大きかった。平成以降は棚に置けるくらいコンパクトになった。
全温度チアーといえば自分の中では押阪忍のイメージが強い
ポピンズは、洗剤に酸素系漂白剤(後にワイドハイターとして発売される)を配合したという点が画期的でした。しかし、新ブランドゆえに浸透に苦労して、1980年のワンダフル(古参ブランド)のリニューアルで、ワンダフルに酸素系漂白剤が配合されたため、ワンダフルに吸収される形で消滅しました。
洗濯洗剤のでかい箱家にもありました。当時の主婦はどうやってあんなでかい箱持って帰ってたんだろう?と今更ながら思います。ちなみにブルーダイヤ金銀パールプレゼントに1度だけ当てたことがあると母が何年か前に言ってました
子供の頃、モノゲンユニの真っ赤な顔に口だけのヒツジが何故かトラウマで怖かった😂のっぺらぼうみたいなイメージを無意識に感じていたのかも😱
ブルーダイヤの金銀パールプレゼント、うちの母が買ったブルーダイヤに銀の券が入っていて、券を送ったところ、三越から届いたそうです。
柱のハイミーの広告がいいですね♪
今潔白物語!
商品名が書かれている表面ばかりでなく、使用方法が書かれている裏面にもそれぞれ個性がありました。
ミツワプラスの缶🥫が可愛い❤️
お中元などの贈答用にペール缶を小さくしたような丸い缶に入った洗濯用の洗剤がありました。大きな箱入りの洗剤は嵩張るので洗剤を買った帰りはレジ袋も無い時代だったので結構しんどかったです
「全温度チアー」のCMには高見山関も出ていましたねぇ!
洗浄する成分を助けるために水質を軟水化する成分が多く入っていたから、一回の使用量が大きく箱がでかかった。
日用雑貨卸の会社に5〜6年前まで勤めてました、その時まで普通にトップの大箱まだありましたよ😊
ザブ と 聞いてさぶ を 思い出したさぶ とは 雑誌 だ
20年前物置の整理してたら、オイルショックの時買いだめした洗剤が出てきたわ。
見応えありました! ありがとう。でっかい箱トップあったわ~。従業員さんの制服やエプロン洗ってた。‥けど、エプロンは脱水後 米の入った晒袋につけて「のり付け」してたわ。昭和の飲食店‥。
なんだかんだ粉洗剤が1番綺麗になる
で、2層式😊
コンパクト洗剤のまとめ動画待ってるで
ウチのおかんはいくら服を泥んこにしても決して怒らなかったからCMのお母さんはなんで怒るのか不思議だった
固形せんたく石鹸(手洗い)期、用水路とかで→粉石鹸で洗濯機なイメージ
昭和後期のザブとその後のアタックのキャッチを歌っていたのが北海道の人気ラジオ番組「カーナビラジオ午後一番」のYASUさんと知って驚いたことがあります。
ALLのCMは流せない(笑)
全温度チアーと言っても、当時風呂の残り湯を使って洗濯する事はあっても、わざわざ沸かしたお湯を使って洗うなんて発想が無かったのでちょっと不思議なCMでした。当時の主婦達は冷たい水でもスッキリ落ちる洗剤が欲しかったはずですが、それが実現するのはずっと後…。
箱入り、いつもありましたね。
プラスは子供の頃に使っていましたよ。昭和40年代の話です。あと、記憶に残るのが、全温度チアー、ビーズ(newじゃない方)、トップですね。
昭和の50年代かな〜と思いますが、当時小学生で母親が居なかったので、洗濯も自分でやってたし、買いに行くのも自分だったので、毎回違う洗剤(箱)を買って、選ぶ楽しさは感じていた記憶があるな〜モノゲンユニの箱は子供ながらに可愛くて好きだった!(近所の小さな薬局で購入してたので、種類は少なく、動画内の殆どが知らない商品でした〜)余談ですが、食器洗い洗剤も商品名わからないけど、クリーム系ピンクと黄色が有って、その二種を交互に買って楽しんでいた😊
未だにこの大きい箱の洗剤売ってるよね
「アタック」が発売されたころ、少ない量で対応するということを信用せずに、いつもの計量カップに山盛りして入れて、洗濯中に洗濯槽が泡を噴いたという笑い話のような世間話を母がしていた。
粉のアクロン,ピンクのパッケージに微かな記憶があります。金銀パールプレゼントのブルーダイヤは長いことCMソングが続いてしっかり覚えています。全温度チアーの「水でも落ちる」謳い文句はけっこう評判でしたがお湯のほうが落ちるとうちの親は言っていた。うちは洗濯機を買ったのが割と早くてローラーで絞る一曹型から活躍してました。共働きだったのでいつまでもタライでは重労働で決断が早かったのかも。酵素パワーのトップが今でも売っているのがすごいですよね。
昭和から今も現役の、シャボン玉石けんが無いね
資生堂はたしか歯磨き粉も発売されてましたね。70年前近くのプロ野球雑誌の広告にあった。今は見当たらないような。
全温度チアーを使って欲しかったけど、親が使って(買って)くれなかった。
俺も😅
懐かしい洗剤の数々、ありがとうございます。「ブルー〇〇」と言う商品名の洗剤は、水に溶かすと鮮やかな水色になるため、子供の頃良くイタズラして、親に叱られました。「全温度チアー」の発売はもっと早く、1972年頃でした。当時、「暮しの手帖」で、日本では温度によって洗剤を使い分ける習慣など元々無かった。そうした習慣を良く知らなかったアメリカのメーカーが売り込んだミスだったと酷評されていました。
「アルファ」とか「ピンキー」ってのがあったなあ。「ザブ」がいちばん印象深い…
16:43の花王バブローは、洗濯洗剤ではなく食器洗い機用の洗剤です。
ザブは最終的には、ボトルタイプが出てましたね。粉末洗剤が1回分が計れる。そして次回分も。
トップは今もホームセンターにあります。
冬場は、洗剤が溶けにくい😊
私の母親は「ブルーダイヤ」を使ってました。1度「珊瑚」が当たりましたがカラクリがあり、結局は買わないといけなく辞めました。今なら大問題でしょうね。
買わないとダメだったとは初めて知りました。
全温度チアーでないとダメと言われていたくらい抜きんでてた。まだアメリカ製品が輝いて見えていた頃だったと思う。
うちは、「ザブ」だったと思う。食器洗いは→ライポンF
主様。いつもありがとうございます🙇♀️サンスター社ビームの、モデルさんのお名前ですが……確か……フランシスさんだったかな~🙄?!母が憧れていた方に似ていたので…。間違っていたらすみません🙇♀️因みに、家はトップとモノゲンユニを使用していましたね……。とても懐かしいかったです。ありがとうございます🙇♀️
12:27のニュービーズ 265㎏がスゴイ
2.65kgですよー😂以前ヤフ◯クに出品されてたので現物がウチにもあります🧼
粉末洗剤、最近まで使っていました。知り合い、お客様、親族に、業界関係者が居たので、お中元、お歳暮、粉末洗剤、山のように来てました。つい最近まで、残っていましたので…
ヤ◯オクの画像が結構ある(見てると楽しい)…というかなんなら自分が出品したことある物のっぽい、見覚えある画像もいくつかあるなぁ😅いや役立てて頂けたのなら幸いです🎉
お昼 ライオン奥様劇場あった
花王愛の劇場もありましたね。平日昼のテレビドラマは多くの国で洗剤会社が番組提供している事例が多かったため「ソープオペラ」なる俗称がありました。
@@a2s54ghu76 昭和50年代後半(1980年代)に入るとP&Gがお昼の時間帯に本格参入して、1時台後半の番組を中心にスポンサーになったような。それ以前は東海テレビの帯ドラマに花王石鹸が入ってたり、(30分枠になってから)、CBCの帯ドラマにはライオン油脂が入っていたようです。昭和50年代前半に放送していた日テレの帯ドラマにも花王が入っていました。
0:38 その「花王粉石鹸」は髭剃り用では?
2:46~資生堂の洗剤がヒットしなかったのは、販売ルートの弱さと企業イメージとのミスマッチでしょうね。洗濯洗剤といえば花王やライオンが圧倒的に強く、また、洗剤はバーゲンの目玉になることが多く、お上品なイメージの資生堂には価格競争には不似合いです。となると、主なルートは資生堂のお店でしょうが、スーパーやドラッグストアに比べたら圧倒的に店が少なく、そんなに大量に売れるものではないです。資生堂の洗剤を目にする機会といえば、当時、資生堂がスポンサーだったドラマで、洗濯のシーンや雑貨屋の店頭が出るとき、資生堂の洗剤が置いてあるのを見るくらいです。
「ありがとう」で山岡久乃さんが洗剤の箱を持っている場面(小型サイズだった)があったような…。
9:02 「ニッサン・ホーマー」…クルマ(トラック)やん!どっちが先?(「日産ホーマー」は、日産がプリンス自動車を合併した1966年からの車名。)
バリで男の子がママに注意されて泣いてしまうCM今でも記憶にあります。超有名なのはミツワ石鹸かな。当時はCMは白黒だったので、3体の人形が怖かった印象が強かったです‼️
ブルーダイヤやトップ使ってました。匂いがよかったな。
2層式洗濯機も懐かしいですね♪
自衛隊官品じゃマダマダありますよ。入隊当初は洗濯板使うこともありました
我が家は二槽式洗濯機現役です。
作業服や武道衣は全自動式だと汚れが落ちにくくて。
うちの職場は全自動洗濯機も二槽式洗濯機も両方ともありますよ〜。タオル、手袋洗うので。汚れがマシなやつとキツイやつ分けてます
ピンキーって、わりと最後まで大きなままでし頑張っていましたね!
とにかく、大きかった!計量カップみたいなので、カップ一杯入れてたよね😮
昭和のネーミングセンス最高‼️
とにかく昭和はいい時代だったなー…
私が、子供の頃は、洗濯機の所には、いつも無リントップが置いてありました😊懐かしい想い出です😺
ウチの二槽式洗濯機には粉末洗剤用の軽量カップが標準装備だったなぁ
昭和の時代は本当に洗濯洗剤の箱は大きかった使う量もコップに半分くらい入れてました小さい洗濯洗剤が出たときに母がこんなに少しで汚れが落ちるのかと言ってたのを思い出しました
伊集院光の実父がライオンで商品開発を行う研究員として勤務していたそうで、花王アタックが登場し粉石鹸のサイズを一気に小さくした以前から「技術的にはすでに小型サイズ化は可能だけれども消費者が少量で十分汚れが落ちるというのを信用してくれず結局既存の大型サイズを売るしかない」という話をよくされていたそうです
ライバル企業から「スプーン一杯で驚きの白さ」という革命的商品が大ヒットしたのを相当悔しがっただろうなぁ
懐かしいなあ。母が「モノゲン ユニ」を愛用してました。
セーターやマフラーを洗うのに使ってましたね。
洗濯機で洗うときもあったし、洗面器で手洗いの時もありました。
よく手伝ったのを懐かしく思い出します☺️
P&Gに社名変更した頃、一軒一軒各ご家庭の郵便ポストに、洗剤の試供品(結構な量)が、
配られていたのを思い出しました、、、今思えば結構な大盤振る舞いの宣伝だったかと。
もっともその当時、聞き慣れない社名の”プロクター・アンド・「ギャンブル」”と言う、
ギャンブル部分に引っ掛かりを持った主婦層も、それなりに多かったと聞きますw😉😉😉
シャンプーなどもそうだったけど、外資系は、プロモーションの一環で、現物サンプルを各家庭に配ることが多かったです。
少量パックのサンプルは、旅行や銭湯に行くときには重宝しました。
酵素パワーのトップのCMと赤い大きな洗剤、ずっと使ってたので懐かしい、今でもトップを見ると思い出す
「無リン」が懐かしい。
エマールってそんな大昔からあったのか!知らんかったアラフィフです。
洗濯洗剤が大きな箱だった頃、普通のコップで計っていたのを覚えています。コンパクトサイズになって専用の計量スプーンが付くようになった。
うちはワンカップ酒の空を使ってました
今は100均で柔軟剤入りのカプセル洗剤が売っている我が家は使ってます。昔の箱入り洗剤懐かしいです
確かに洗剤の箱デカかったですね🤣🤣🤣 箱が小さくなっても、祖母は入れる量をアップデート出来なくて、めっちゃすすぎが必要になってました😂
ブルーダイヤの金銀パール、一回も当たったことがない。
CMソングは小林亜星さんの作、歌っているのがご本人 のバージョンがあります。
キョロちゃんのあのやつも 1回も当たった事ないです
トップはまだそのまんま売られています!
コンパクト洗剤は画期的でした。
大箱からコンパクト化した頃、母はこんな少量で洗えるのか半信半疑だったと聞きました
「酵素パワーのトォーップ!!」
未だに市内のスーパーにはデカいの売ってるし
東南アジアっぽい作業着姿のあんちゃんが買ってるのたまに見る
お風呂の残り湯をバケツに汲み洗濯槽に入れるのを思い出します。
洗剤のサイズ、昭和時代は場所を取るほど大きかった。平成以降は棚に置けるくらいコンパクトになった。
全温度チアーといえば自分の中では押阪忍のイメージが強い
ポピンズは、洗剤に酸素系漂白剤(後にワイドハイターとして発売される)を配合したという点が画期的でした。
しかし、新ブランドゆえに浸透に苦労して、1980年のワンダフル(古参ブランド)のリニューアルで、ワンダフルに酸素系漂白剤が配合されたため、ワンダフルに吸収される形で消滅しました。
洗濯洗剤のでかい箱家にもありました。当時の主婦はどうやってあんなでかい箱持って帰ってたんだろう?と今更ながら思います。ちなみにブルーダイヤ金銀パールプレゼントに1度だけ当てたことがあると母が何年か前に言ってました
子供の頃、モノゲンユニの真っ赤な顔に口だけのヒツジが何故かトラウマで怖かった😂
のっぺらぼうみたいなイメージを無意識に感じていたのかも😱
ブルーダイヤの金銀パールプレゼント、うちの母が買ったブルーダイヤに銀の券が入っていて、券を送ったところ、三越から届いたそうです。
柱のハイミーの広告がいいですね♪
今潔白物語!
商品名が書かれている表面ばかりでなく、使用方法が書かれている裏面にもそれぞれ個性がありました。
ミツワプラスの缶🥫が可愛い❤️
お中元などの贈答用にペール缶を小さくしたような丸い缶に入った洗濯用の洗剤がありました。大きな箱入りの洗剤は嵩張るので洗剤を買った帰りはレジ袋も無い時代だったので結構しんどかったです
「全温度チアー」のCMには高見山関も出ていましたねぇ!
洗浄する成分を助けるために水質を軟水化する成分が多く入っていたから、一回の使用量が大きく箱がでかかった。
日用雑貨卸の会社に5〜6年前まで勤めてました、その時まで普通にトップの大箱まだありましたよ😊
ザブ と 聞いて
さぶ を 思い出した
さぶ とは 雑誌 だ
20年前物置の整理してたら、オイルショックの時買いだめした洗剤が出てきたわ。
見応えありました! ありがとう。でっかい箱トップあったわ~。従業員さんの制服やエプロン洗ってた。‥けど、エプロンは脱水後 米の入った晒袋につけて「のり付け」してたわ。昭和の飲食店‥。
なんだかんだ
粉洗剤が
1番綺麗になる
で、2層式😊
コンパクト洗剤のまとめ動画待ってるで
ウチのおかんはいくら服を泥んこにしても決して怒らなかったからCMのお母さんはなんで怒るのか不思議だった
固形せんたく石鹸(手洗い)期、用水路とかで→粉石鹸で洗濯機
なイメージ
昭和後期のザブとその後のアタックのキャッチを歌っていたのが北海道の人気ラジオ番組「カーナビラジオ午後一番」のYASUさんと知って驚いたことがあります。
ALLのCMは流せない(笑)
全温度チアーと言っても、当時風呂の残り湯を使って洗濯する事はあっても、わざわざ沸かしたお湯を使って洗うなんて発想が無かったのでちょっと不思議なCMでした。当時の主婦達は冷たい水でもスッキリ落ちる洗剤が欲しかったはずですが、それが実現するのはずっと後…。
箱入り、いつもありましたね。
プラスは子供の頃に使っていましたよ。
昭和40年代の話です。
あと、記憶に残るのが、全温度チアー、ビーズ(newじゃない方)、トップですね。
昭和の50年代かな〜と思いますが、当時小学生で母親が居なかったので、洗濯も自分でやってたし、買いに行くのも自分だったので、毎回違う洗剤(箱)を買って、選ぶ楽しさは感じていた記憶があるな〜
モノゲンユニの箱は子供ながらに可愛くて好きだった!
(近所の小さな薬局で購入してたので、種類は少なく、動画内の殆どが知らない商品でした〜)
余談ですが、食器洗い洗剤も商品名わからないけど、クリーム系ピンクと黄色が有って、その二種を交互に買って楽しんでいた😊
未だにこの大きい箱の洗剤売ってるよね
「アタック」が発売されたころ、少ない量で対応するということを信用せずに、いつもの計量カップに山盛りして入れて、洗濯中に洗濯槽が泡を噴いたという笑い話のような世間話を母がしていた。
粉のアクロン,ピンクのパッケージに微かな記憶があります。
金銀パールプレゼントのブルーダイヤは長いことCMソングが続いてしっかり覚えています。
全温度チアーの「水でも落ちる」謳い文句はけっこう評判でしたがお湯のほうが落ちるとうちの親は言っていた。
うちは洗濯機を買ったのが割と早くてローラーで絞る一曹型から活躍してました。
共働きだったのでいつまでもタライでは重労働で決断が早かったのかも。
酵素パワーのトップが今でも売っているのがすごいですよね。
昭和から今も現役の、シャボン玉石けんが無いね
資生堂はたしか歯磨き粉も発売されてましたね。
70年前近くのプロ野球雑誌の広告にあった。
今は見当たらないような。
全温度チアーを使って欲しかったけど、親が使って(買って)くれなかった。
俺も😅
懐かしい洗剤の数々、ありがとうございます。
「ブルー〇〇」と言う商品名の洗剤は、水に溶かすと鮮やかな水色になるため、子供の頃良くイタズラして、親に叱られました。
「全温度チアー」の発売はもっと早く、1972年頃でした。
当時、「暮しの手帖」で、日本では温度によって洗剤を使い分ける習慣など元々無かった。そうした習慣を良く知らなかったアメリカのメーカーが売り込んだミスだったと酷評されていました。
「アルファ」とか「ピンキー」ってのがあったなあ。「ザブ」がいちばん印象深い…
16:43の花王バブローは、洗濯洗剤ではなく食器洗い機用の洗剤です。
ザブは最終的には、ボトルタイプが出てましたね。粉末洗剤が1回分が計れる。そして次回分も。
トップは今もホームセンターにあります。
冬場は、洗剤が溶けにくい😊
私の母親は「ブルーダイヤ」を使ってました。1度「珊瑚」が当たりましたがカラクリがあり、結局は買わないといけなく辞めました。今なら大問題でしょうね。
買わないとダメだったとは初めて知りました。
全温度チアーでないとダメと言われていたくらい抜きんでてた。まだアメリカ製品が輝いて見えていた頃だったと思う。
うちは、「ザブ」だったと思う。
食器洗いは→ライポンF
主様。いつもありがとうございます🙇♀️
サンスター社ビームの、モデルさんのお名前ですが……
確か……フランシスさんだったかな~🙄?!
母が憧れていた方に似ていたので…。間違っていたらすみません🙇♀️
因みに、家はトップとモノゲンユニを使用していましたね……。とても懐かしいかったです。ありがとうございます🙇♀️
12:27のニュービーズ 265㎏がスゴイ
2.65kgですよー😂
以前ヤフ◯クに出品されてたので現物がウチにもあります🧼
粉末洗剤、最近まで使っていました。
知り合い、お客様、親族に、業界関係者が居たので、
お中元、お歳暮、粉末洗剤、山のように来てました。
つい最近まで、残っていましたので…
ヤ◯オクの画像が結構ある(見てると楽しい)…というかなんなら自分が出品したことある物のっぽい、見覚えある画像もいくつかあるなぁ😅
いや役立てて頂けたのなら幸いです🎉
お昼 ライオン奥様劇場あった
花王愛の劇場もありましたね。
平日昼のテレビドラマは多くの国で洗剤会社が番組提供している事例が多かったため「ソープオペラ」なる俗称がありました。
@@a2s54ghu76 昭和50年代後半(1980年代)に入ると
P&Gがお昼の時間帯に本格参入して、
1時台後半の番組を中心にスポンサーになったような。
それ以前は東海テレビの帯ドラマに花王石鹸が入ってたり、
(30分枠になってから)、CBCの帯ドラマにはライオン油脂が入っていたようです。
昭和50年代前半に放送していた日テレの帯ドラマにも花王が入っていました。
0:38 その「花王粉石鹸」は髭剃り用では?
2:46~
資生堂の洗剤がヒットしなかったのは、販売ルートの弱さと企業イメージとのミスマッチでしょうね。
洗濯洗剤といえば花王やライオンが圧倒的に強く、また、洗剤はバーゲンの目玉になることが多く、お上品なイメージの資生堂には価格競争には不似合いです。
となると、主なルートは資生堂のお店でしょうが、スーパーやドラッグストアに比べたら圧倒的に店が少なく、そんなに大量に売れるものではないです。
資生堂の洗剤を目にする機会といえば、当時、資生堂がスポンサーだったドラマで、洗濯のシーンや雑貨屋の店頭が出るとき、資生堂の洗剤が置いてあるのを見るくらいです。
「ありがとう」で山岡久乃さんが洗剤の箱を持っている場面(小型サイズだった)
があったような…。
9:02 「ニッサン・ホーマー」…クルマ(トラック)やん!どっちが先?
(「日産ホーマー」は、日産がプリンス自動車を合併した1966年からの車名。)
バリで男の子がママに注意されて泣いてしまうCM今でも記憶にあります。超有名なのはミツワ石鹸かな。当時はCMは白黒だったので、3体の人形が怖かった印象が強かったです‼️