ちゃんと古事記ぷれ② 古事記の原文を読んでみよう!

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  • เผยแพร่เมื่อ 27 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 10

  • @中之島-o6c
    @中之島-o6c 5 หลายเดือนก่อน +1

    いつもありがとうございます。真福寺本、写本文化があり、湿度が高い日本で良く保存して、よく現代まで残ってくれました!案外、旧家の門外不出の家宝として残ってたりしないのかなぁ。と妄想したりもしてます😆太安万侶さん、稗田阿礼さん、すごい偉人です。それにしても、ここまできちんと解説してる動画は珍しい😊次回も楽しみにしております♪

    • @mitoshijinja
      @mitoshijinja  5 หลายเดือนก่อน

      @@中之島-o6c さん、スパチャ頂戴いたします❤️お気持ちと共にめちゃくちゃ嬉しいです。
      私も真福寺本を見て、太安万侶さんの息遣いまで感じられる気がしました。日本は本当に言霊〜音を大切にしているんだなぁと。
      これからもよろしくお願いいたします。

  • @megumi-mw1wh
    @megumi-mw1wh 5 หลายเดือนก่อน +1

    ありがとうございます😊❤
    無知な事でしたので教えて下さり感謝です🙏続き楽しみにしています😊

  • @異端ネロ
    @異端ネロ 5 หลายเดือนก่อน +1

    思い浮かぶのは、背広、ミシン、珈琲など外国語の音を日本語にした時代。
    さらに銀行、経済、自由など日本人が作った漢字もある。
    太さん、当時は少ない情報で大変だったでしょうね

    • @mitoshijinja
      @mitoshijinja  4 หลายเดือนก่อน

      太安万侶様のおかげで、いまでも読めるのがすごいですね!

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 5 หลายเดือนก่อน +3

    真福寺本、凄いです。😍
    写本で伝わって来たのは、
    源氏物語などもそうですね。
    印刷と違って、
    書いた方の吐息のようなものも
    伝わって来ますね。
    古事記においては、
    この小さな文字の注釈に
    繊細なこだわりが
    詰め込まれていると思います。
    どう発音するか…
    響きが変わると
    その影響力まで
    変化するのではないかと
    思います。
    それが言霊の世界ではないかなと。
    いにしえ人は、
    音や響きによって
    世界を創造するチカラがあることを、
    十分理解していたのだろうと
    感じます。
    万葉集仮名や
    この古事記によるこだわりや、
    漢字を崩しただけでなく、
    繋げて書いた空海など、
    中国語で使われていた文字を
    日本語の響きと
    日本語の文法で表現しようと
    試行錯誤していった先人たちの努力が、
    日本独自の文字を作り出し、
    日本語を深く豊かにして来たのだと
    思います。
    次回も楽しみです。
    ありがとうございます♪

    • @mitoshijinja
      @mitoshijinja  4 หลายเดือนก่อน

      いつもありがとうございます!

  • @渡部道夫-s5e
    @渡部道夫-s5e 5 หลายเดือนก่อน +1

    いつも見させていただいています。20年前にハイキングで立ち寄らせていただきましたが、宮司様のお陰で最近は大層有名になりましたね。
    古事記の原本をお持ちとのことで、ずっと気になっていた事がありますので、教えて頂きたいです。それは、オオナムチが出雲の国譲りをしたときに、出雲大社を建てることを条件にしたということです。このことについて或る先生が、本居宣長が古事記伝で改竄追記したことによるものとされていました。この辺り、原文ではどうなっているか教えてください。

    • @mitoshijinja
      @mitoshijinja  5 หลายเดือนก่อน

      コメントありがとうございます。真福寺本にも国譲りの条件として、立派な社を建ててほしいとあります。
      ネットから拝借「問其大國主神「汝子等、事代主神・建御名方神二神者、隨天神御子之命、勿違白訖。故、汝心奈何。」爾答白之「僕子等二神隨白、僕之不違。此葦原中國者、隨命既獻也。唯僕住所者、如天神御子之天津日繼所知之登陀流此三字以音、下效此天之御巢而、於底津石根宮柱布斗斯理此四字以音、於高天原氷木多迦斯理多迦斯理四字以音而、治賜者、僕者於百不足八十坰手隱而侍。亦僕子等百八十神者、卽八重事代主神爲神之御尾前而仕奉者、違神者非也。」」

    • @渡部道夫-s5e
      @渡部道夫-s5e 5 หลายเดือนก่อน

      ありがとうございます。
      調べ直したところ、千葉大学名誉教授の三浦佑之氏がyoutubeで述べられていました。返信して頂いた所の、次の段で、「如此之白而於出雲國之多藝志之小濱造天之御舍」とありますが、如此之白而の後に、本居宣長が、「乃隠也、故随白而」7文字を追加したため、天之御舍が杵築大社と解釈され、大国主が宮を建てることを要請したと一般的に解釈されるようになったようです。確かに三内丸山遺跡でも高層建物が建てられているので、出雲では以前から高層建物が建てられていたのではないかと思われます。この先生のような解釈をされている方は、他には知りませんので、歴史家の皆さんに検討して頂き、思い込みを正して頂いたらと思います。