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まさに!まさに、このことについてこの数年モヤモヤしていました。仕事でも搾取されやすい業種なのですぐ「ボランティアで」と言われがちなのです。手話は言語だと思っていたし、思っているので、こんなに福祉やボランティアと密接なのが何故なのか分からなかったのです。かつおさんの今日の話を聞いて、かなり合点がいきました。
今の体制がボランティアありきで動いているので徐々にでも変化できればいいと思いますが給特法のようにすぐにはどうにもならないかもしれません。今回の内容は原稿を考えるのに結構時間がかかったので1つでも共感のコメントがあってよかったです。
納得の内容でした!手話を楽しくて勉強しているのですが周りから偉いね、などと言われる事が多く‥違和感を感じてました。福祉の精神やボランティア活動などと結びつける考えが一般的だからかもしれません。小学生位から言語としての手話に触れる機会があるといいですよね😊
言語として触れる、というのが実際教育カリキュラムに組み込まれている英語でさえ実現できているか怪しい気がしますが、とはいえ幼いころから伝えるための手段として触れる機会はもう少しあってもいいですね。私は小学生のころ手話の歌を車いすの人に披露するという機会がありましたが今考えると意味不明なことをしていると思いました。
住んでいる県の、手話言語条例制定をきっかけに、いくつかの講演を聞きに行った時に知ったのが「有償ボランティア」という言葉でした。聴覚障害者協会の方の話によると、県が最後まで渋ったのは、その部分だったとか。手話通訳士が、職としてそれだけで生活できるだけの収入を得られれば、もっと活動もしやすくなり、職業病への対処もできるようになるけれど、県はあくまでボランティアに拘り、譲歩してようやく「有償ボランティア」と明記したとのこと。交通費が出るくらいのようです。外国語通訳などは、それだけで生活できるのに、手話となると、言語と認められたにも関わらず、通訳士の負担は変わらず、専念もできず。。。そこが、厚意であって欲しい県と、仕事としての通訳に専念が成立できない通訳士との埋まらない溝なんだなって思いました。今回の動画を拝見して、ずっと心に引っかかっていたことを思い出しました。趣旨と違っていたらごめんなさい。
貴重な情報共有をいただきありがとうございました。このお話は最後に申し上げていた「手話」と「仕事」の話にも通じますね。私が実際に通訳をした時もこの「有償ボランティア」(一律3000円)でした。唯一コムプラスという通訳を請け負う会社は料金が高いと聞きますが、実態として通訳士にどこまで還元されているかは謎です。手話活動がボランティアの枠から脱するには社会的なムーブメントが必要かもしれません。
ボランティアと労働を疑問にするところはものすごく大事なポイントです。新自由主義の影響からは、元々国家の責任がボランティアたちに転嫁され、支援の効果が従って減ってきたということです。しかし個人個人だけは社会の基礎になりません。力有る団体(例えばJR、文部省、東宝)はもっとできるはずです(NHKがオンライン手話辞典を作ったことのように)。新幹線としたら、その開発はボランティアから無理でしょう?同じ概念と思います。いい社会はボランティアだけから咲かないです。ただし、コメントを書くのは簡単。デッフの社会の支援が今必要です。ろう者専用ケアホームの設立とか、そのための募金活動とか。どこかから支援が始まらないと。1人からでも。しかし手話サークルで見るのは、イベントの準備がめちゃ大変ということ。副業みたい。人は休まないです。私だと参加できないです、心がすぐパンクします。他のボランティアの心は大丈夫だろう。我慢し過ぎていないだろうか?持続可能な支援が一番だろう?そうならば、楽な活動を促進したいです。
最後の文章に同意します。持続可能であることが一番です。
地域の手話サークルに2つほど行ったんですけど違和感凄かったんですよねぇ…老後の主婦の昼下がり感がすごくて…ボランティアだししょうがねぇか。みたいな。。だから、今はZoomでお金払って聾者の先生から学んでます。90分5600円なのでまあまあ高いです
おっしゃる通りような状況について悩む方は多いです。手話を言語として学ぶ方・会話の補助として学ぶ方・レクリエーションの一環として扱う方さまざまですが、特にボランティアベースで長年運営されてきた地域の手話サークルは必要に迫られないため、怠惰になりやすい傾向があります。これが若年層が大学のを卒業し、社会人になったときに手話をする場を失うことにもつながっています。金額について貴重な共有もいただきありがとうございました。90分5600円は英語だとしてもなかなかの値段ですね。かなり強気な値段なのでハイクオリティであることが想定されます。
@@Katsuo_Shuwa_Doga すごいハイクオリティだと思いますよ。直接聾者と話せるんですから。バンバン話しかけられますしチャットなんか使うな。指文字でやれ。みたいな女性の先生なんですけどめちゃ厳しいです。そのおかげで、私両手で指文字できるようになりましたね。50音順もアルファベットも。
私も同じ経験しましたよ😂
手話サークルと手話講座は、それぞれ目的が異なります。「ボランティアだからしょうがない」ではないんです。サークルは、手話を通しての交流の場、講座は手話を学ぶ場になります。
言語であるとすれば、学生時代に英語もドイツ語も学ぶ時に歴史を勉強した覚えはなく。背景を理解しろって、何か違う気もします。そもそも、日本が労働に対する対価を値切ったり、言い値を払わないところから来ていそうな気がします。
もし通訳者を目指すならば、文化や背景、歴史は知る必要があります。知らないと、通訳ができない場面が必ず出てきてしまいます。
そうですね。歴史・文化を学ぶのはどちらかといえばほかの方がおっしゃるように通訳に付随する行為で、本来学習者に求めなくていいような気はしますがなぜかここは学ぶスタンスでないと批判されがちですね。
英語などを勉強するのは通訳と言うより「自分の為」という理由が強く、手話は自分が聞こえるのであれば通常は必要ない言語であってそこには「通訳」という背景が見えてきます。勉強する費用が安いのも将来通訳者として活躍することを期待して安くなっている(教える側にもはボランティア感がある)。英語とかを教える人は外人さんであることが多いので、自分の生活が関わってくるのでそのぶん金額が高くなる。安くしたければサークルとかに入ればいい。手話をサークルとかで勉強する人は「仕事仲間やご近所さんなど身近な人に聾唖者がいる」「ドラマを見て興味を持った」等という人がほとんどで、長年手話サークルを続けている人が自分が最初に入ってきた理由を忘れ、通訳を目指しているような人の発言が、通訳を勧めてきたりするのではないのでしょうか?それまでには紆余曲折あったはずなのにそのぶっ飛ばして。サークル外の人からは手話を勉強しているイコール通訳という概念もあるのかもしれませんが。
形骸化した「通訳」という目標を持つ人たちがほとんどで、そういった人がボランティア通訳を推奨しているということでしょうか?
@@Katsuo_Shuwa_Doga まず始めに手話活動自体に地域性の様なものがあるということを言っておきます。聾唖者が参加していても、地元のろう協と深く関わっているサークルも少ないと思います。だから通訳依頼もなかなかきません。だからサークルの会員の聾唖者からの通訳とか知り合いの通訳とかのいわゆるボランティア通訳になってしまうと思います。投稿者さんのサークルがどのようなサークルなのか背景はわかりませんが、「手話ボランティアしないの?」の裏に褒め言葉(そんなに上手いのに)や通訳者になる訓練?のひとつとして言われることはあると思います。ボランティアは強要ではないと私も思います。激励的な言葉だと思いたいです。因みに私はボランティア通訳がほとんどですね。お金とか貰ったこと無いですし、その後の食事代とか払ってもらったかな?ぐらいですね。
まさに!まさに、このことについてこの数年モヤモヤしていました。仕事でも搾取されやすい業種なのですぐ「ボランティアで」と言われがちなのです。
手話は言語だと思っていたし、思っているので、こんなに福祉やボランティアと密接なのが何故なのか分からなかったのです。かつおさんの今日の話を聞いて、かなり合点がいきました。
今の体制がボランティアありきで動いているので徐々にでも変化できればいいと思いますが給特法のようにすぐにはどうにもならないかもしれません。
今回の内容は原稿を考えるのに結構時間がかかったので1つでも共感のコメントがあってよかったです。
納得の内容でした!手話を楽しくて勉強しているのですが周りから偉いね、などと言われる事が多く‥違和感を感じてました。福祉の精神やボランティア活動などと結びつける考えが一般的だからかもしれません。小学生位から言語としての手話に触れる機会があるといいですよね😊
言語として触れる、というのが実際教育カリキュラムに組み込まれている英語でさえ実現できているか怪しい気がしますが、とはいえ幼いころから伝えるための手段として触れる機会はもう少しあってもいいですね。
私は小学生のころ手話の歌を車いすの人に披露するという機会がありましたが今考えると意味不明なことをしていると思いました。
住んでいる県の、手話言語条例制定をきっかけに、いくつかの講演を聞きに行った時に知ったのが
「有償ボランティア」という言葉でした。
聴覚障害者協会の方の話によると、県が最後まで渋ったのは、その部分だったとか。
手話通訳士が、職としてそれだけで生活できるだけの収入を得られれば、もっと活動もしやすくなり、職業病への対処もできるようになるけれど、県はあくまでボランティアに拘り、譲歩してようやく「有償ボランティア」と明記したとのこと。交通費が出るくらいのようです。
外国語通訳などは、それだけで生活できるのに、手話となると、言語と認められたにも関わらず、通訳士の負担は変わらず、専念もできず。。。
そこが、厚意であって欲しい県と、仕事としての通訳に専念が成立できない通訳士との埋まらない溝なんだなって思いました。
今回の動画を拝見して、ずっと心に引っかかっていたことを思い出しました。
趣旨と違っていたらごめんなさい。
貴重な情報共有をいただきありがとうございました。このお話は最後に申し上げていた「手話」と「仕事」の話にも通じますね。私が実際に通訳をした時もこの「有償ボランティア」(一律3000円)でした。唯一コムプラスという通訳を請け負う会社は料金が高いと聞きますが、実態として通訳士にどこまで還元されているかは謎です。
手話活動がボランティアの枠から脱するには社会的なムーブメントが必要かもしれません。
ボランティアと労働を疑問にするところはものすごく大事なポイントです。新自由主義の影響からは、元々国家の責任がボランティアたちに転嫁され、支援の効果が従って減ってきたということです。しかし個人個人だけは社会の基礎になりません。力有る団体(例えばJR、文部省、東宝)はもっとできるはずです(NHKがオンライン手話辞典を作ったことのように)。新幹線としたら、その開発はボランティアから無理でしょう?同じ概念と思います。いい社会はボランティアだけから咲かないです。
ただし、コメントを書くのは簡単。デッフの社会の支援が今必要です。ろう者専用ケアホームの設立とか、そのための募金活動とか。どこかから支援が始まらないと。1人からでも。
しかし手話サークルで見るのは、イベントの準備がめちゃ大変ということ。副業みたい。人は休まないです。私だと参加できないです、心がすぐパンクします。他のボランティアの心は大丈夫だろう。我慢し過ぎていないだろうか?
持続可能な支援が一番だろう?そうならば、楽な活動を促進したいです。
最後の文章に同意します。持続可能であることが一番です。
地域の手話サークルに2つほど行ったんですけど違和感凄かったんですよねぇ…老後の主婦の昼下がり感がすごくて…ボランティアだししょうがねぇか。みたいな。。
だから、今はZoomでお金払って聾者の先生から学んでます。90分5600円なのでまあまあ高いです
おっしゃる通りような状況について悩む方は多いです。
手話を言語として学ぶ方・会話の補助として学ぶ方・レクリエーションの一環として扱う方さまざまですが、特にボランティアベースで長年運営されてきた地域の手話サークルは必要に迫られないため、怠惰になりやすい傾向があります。これが若年層が大学のを卒業し、社会人になったときに手話をする場を失うことにもつながっています。
金額について貴重な共有もいただきありがとうございました。
90分5600円は英語だとしてもなかなかの値段ですね。かなり強気な値段なのでハイクオリティであることが想定されます。
@@Katsuo_Shuwa_Doga すごいハイクオリティだと思いますよ。直接聾者と話せるんですから。バンバン話しかけられますしチャットなんか使うな。指文字でやれ。みたいな女性の先生なんですけどめちゃ厳しいです。そのおかげで、私両手で指文字できるようになりましたね。50音順もアルファベットも。
私も同じ経験しましたよ😂
手話サークルと手話講座は、それぞれ目的が異なります。「ボランティアだからしょうがない」ではないんです。サークルは、手話を通しての交流の場、講座は手話を学ぶ場になります。
言語であるとすれば、
学生時代に英語もドイツ語も学ぶ時に歴史を勉強した覚えはなく。
背景を理解しろって、何か違う気もします。
そもそも、日本が労働に対する対価を値切ったり、言い値を払わないところから来ていそうな気がします。
もし通訳者を目指すならば、文化や背景、歴史は知る必要があります。知らないと、通訳ができない場面が必ず出てきてしまいます。
そうですね。歴史・文化を学ぶのはどちらかといえばほかの方がおっしゃるように通訳に付随する行為で、本来学習者に求めなくていいような気はしますがなぜかここは学ぶスタンスでないと批判されがちですね。
英語などを勉強するのは通訳と言うより「自分の為」という理由が強く、手話は自分が聞こえるのであれば通常は必要ない言語であってそこには「通訳」という背景が見えてきます。
勉強する費用が安いのも将来通訳者として活躍することを期待して安くなっている(教える側にもはボランティア感がある)。
英語とかを教える人は外人さんであることが多いので、自分の生活が関わってくるのでそのぶん金額が高くなる。
安くしたければサークルとかに入ればいい。
手話をサークルとかで勉強する人は「仕事仲間やご近所さんなど身近な人に聾唖者がいる」「ドラマを見て興味を持った」等という人がほとんどで、長年手話サークルを続けている人が自分が最初に入ってきた理由を忘れ、通訳を目指しているような人の発言が、通訳を勧めてきたりするのではないのでしょうか?それまでには紆余曲折あったはずなのにそのぶっ飛ばして。
サークル外の人からは手話を勉強しているイコール通訳という概念もあるのかもしれませんが。
形骸化した「通訳」という目標を持つ人たちがほとんどで、そういった人がボランティア通訳を推奨しているということでしょうか?
@@Katsuo_Shuwa_Doga まず始めに手話活動自体に地域性の様なものがあるということを言っておきます。
聾唖者が参加していても、地元のろう協と深く関わっているサークルも少ないと思います。
だから通訳依頼もなかなかきません。
だからサークルの会員の聾唖者からの通訳とか知り合いの通訳とかのいわゆるボランティア通訳になってしまうと思います。
投稿者さんのサークルがどのようなサークルなのか背景はわかりませんが、「手話ボランティアしないの?」の裏に褒め言葉(そんなに上手いのに)や通訳者になる訓練?のひとつとして言われることはあると思います。
ボランティアは強要ではないと私も思います。激励的な言葉だと思いたいです。
因みに私はボランティア通訳がほとんどですね。お金とか貰ったこと無いですし、その後の食事代とか払ってもらったかな?ぐらいですね。