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なるほど、給料だけが消えて忙しさだけが残ったのが現在のブラック企業ってことか。
ただただ懐かしい。バブル弾けてすぐ金融業界に入社。支店配属同期は8人。3年後には3人しか新人が入って来なかった。トップは「苦節を乗り越えた暁には必ず皆さんに還元する」と言われた。約30年たっても未だ還元されていない。
2億でフェラーリF40(当時日本に2台しかない)を下手な運転したせいで焼いてフライデー?に載り、またパパに買ってもら発言した人も居たね。その人は、今どうしてるのかな。
@@Laurel-2.5clubs フェラーリF40といえば、どこのだれかが知らないが日本の高速で320㎞出して免許を剥奪されたのがいたなぁ。
当時はクソガキだったけど、親戚が羽振り良かったのを覚えている。 が、その後は会社潰れたりしたのに金使いは変わらなかったので悲惨なことになったなー 身の丈に合った生活って大切
当時は不動産の高騰凄くて、小1の時住み始めた、バブルに親父が建てた家より、学生時代の下宿アパートの方が広かった。
わかりやすいのがお年玉の金額判を押したように一律5000円だったなー。今じゃ考えられん。
@@もちものメデューサ お年玉5000円って今でも普通のような...
子供の頃、父は公務員だったので周囲がこんな生活を満喫する中暮らしは割と大変で、正直羨ましくもありました。でもバブル崩壊の影響で多くが悲惨な状態となり今は感謝してます。年利6%の定期預金の勧誘とかよくあってて今となっては考えられない時代でした。
親父、団塊世代で民間だったが、ちっとも恩恵受けてねえな…。
郵便局の定額預金の利息が6%とか7%あった10年貯金して預金が倍になった
@@keish2460 その時代に親父は給料の半分を競馬、さらに半分(=1/4)をパチンコですってた。
この時代、高校生でしたが、世間がバブルに明け暮れていた中、私はそういう派手なモノには無縁で、別に興味もありませんでした。ただ銀行に貯金をしただけで、預金がどんどん増えて行くのは、今では考えられません…
バブルの10年くらい前は定額貯金をすると10年で2倍くらいになった。
老後破産の一つの要因に、「奥さんの金銭感覚がバブル景気のまま」みたいなものがあるらしいですね。バブル期就職→バブル期に寿退社→ずっと専業主婦みたいな感じで...
僕のカミさんバブル崩壊の歳に生まれてるから、めっちゃ堅実。僕は崩壊時、小学生。知らないのと、子供の頃に崩壊目の当たり。或る意味幸運かも。
@@てっちゃん-t1k 当時の奢った日本の有様を目にしなくて済んだ人たちはある意味幸せと感じます。
@@池田智紀-x3j 奢ってる、ね。ただ、「マトモな豊かさ」知らないのもそれはそれで不幸だけど。
未だにバブルでちやほやされたのになれすぎて「実態に目を背けて」高い理想をもって結婚相手探してる中年未婚おばはん結構居るんです。堅実性とかで言えば今の若い女性の方がよっぽど堅実的。
@@SAKUSAKU226 堅実性でと言えば求職中の昨今の20代前半の若者も堅実ですよ。彼らは3Kという当時の言葉を知らないのです。職業に対する貴賤意識がバブル時代よりも無い事に驚かされました。
青森の土偶駅は、当時こそ変な理由で作られたが、縄文遺跡が世界遺産登録された事により、今や作ってよかったものになりつつあります。
バブル時代の地価がいかに異常だったかは。「あの頃の東京山手線内側の土地を買い占める金額があれば、当時のアメリカ全土の土地が買えた」といえば理解できるだろう・・・。
それはヤバい
1万円で買える土地の面積が、1万円札の面積よりも小さいと言われた時代ですね。
そして実際に買い始めた。
日本のGDPでアメリカ二ついけるとか奢れる者は久しからず。半分は円高の恩恵なのに。家の近所の土地が坪単価2500万でした💦
あの頃は 日本経済全体が右肩上がりで、国も国民もイケイケで自制という言葉とは無縁だった。何も考えずに消費と投資を繰り返した結果が 今の惨状だよ。今の若者は大人しいけど、よく考えてるし繊細ですね。だから本当に難しい時代だけど将来に希望が持てる。
バブル期はわたし誕生〜小学低学年だったけど、アッシーとメッシー、ミツグくんは覚えてるな〜旅行は羨ましいが、海外でそんな長い日にち過ごせない…日本大好き…
バブル時カラオケBOXの店長やってましたが8千万の投資資金が7ヶ月で回収出来たとオーナーが喜んでました😅
店舗を改造して作った7部屋、CDカラオケで当時は1曲100円取ってた時代でした昼は1時間800円、夜は1500円だったのに何時も満室で1日の売り上げ30~50万今のカラオケBOX経営者に話したら羨ましいがって居ましたね😅
懐かしいスナックで歌うために100円玉の両替めっちゃしました棒金が金庫にたくさんあったなぁ
当時のカラオケはVHDでしたなぁ。
高校時代に御徒町のカラオケ屋でバイトしてたけど、1曲300円+ルーム代が1時間1000円で、小さい店だったけど金曜日~土曜日の朝まで15部屋中12部屋がオールでカラオケ、それに客がさんざん飲み食いしてた。1部屋一晩だけで6万円以上売り上げてたな。バイト代が1600円で17時~翌朝6時の13時間の時は、一晩で2万円超えてた。
バブル期の時は公務員の成りてが無かったから、お誘いが凄かった!自分自身も日本国防軍(自衛隊)からお誘いが有ってしかも二等兵から初める軍人じゃ無くて募集官に防衛大学校から初める軍人=中尉を勧められた!今じゃ考えられん!あの時は公務員試験も有って無かった感じです…
この頃は公務員の方が「遥かに給与が低かった」から公務員受ける人は「頭がオカシイ」あつかいまでされていた.
僕のいとこの旦那、バブルの時期に公務員なってるけど、二十ウン年やった公務員を「脱公務員」後、起こした会社1年チョイで潰してる。大卒だが、九九すら本物のバカで、公務員20年以上やってたくせに、役所の手続きちんぷんかんぷんらしい。
1億円で金塊を買った市町村は、成金趣味に見えて実は堅実な選択をしてたってことなんですね
特に賢いなと感心したのは兵庫県津名町ですねここは使い道を決めかねてとりあえず金塊をレンタルしてみたら大都市に近い立地もあって見物客で大賑わい最終的にはレンタルを解約して戻ってきたお金の使い道を市民全員に聞いて図書館を建てたそうです
長期トレンドで世界経済全体が成長傾向ならドルベースではほぼ確実に値上がりするし破産や劣化のリスクは小さいですからね
カネがあると純金を999を買うのは華僑の知恵。金は唯一価値が不変。
金価格が値下がりしたときの「特約」を付けての購入したとのことで、その後値下がりしたので、実質倍増したらしい、という話を聞きました。本当の話なら、担当者は天才的。
子供ながら当時のテレビの金遣いの荒さのエグさに引いてた。
バブル期にノンバンクに勤めていた叔父が絶対に許せない人物は桃源社の佐々木吉之助と六本木ベルファーレの折口雅博だと言っていました。数百億円貸していたそうです。バブル景気の発端となったプラザ合意がなかったらこれ程日本の経済は混乱しなかっただろうと言ったのを今でも覚えています。プラザ合意、ボーイング、日航ジャンボ機墜落事故。日本経済の闇はとことん深いですね。
ヴェルファーレの折口雅博といえば、コムスンの「コブラヘアー」のあの人ですな。
FOUCSが有名ですね。でもそのあたり社長と今のユーチューバーってよく似てるような気がします。金返さないけどゴルフにはいくとか鋼のメンタルw
この時期入社した人って、使えない人と出来る人の差が凄いある程度の差はどの世代にもあるけど、極端にピンキリなのはこの世代…
>使えない人と出来る人の差が凄いほんとはそんな差はなかったと思いますよ。違いはバブル崩壊をいつ認識したか(認めたか認めなかったか)それだけの違い。
@@osamu0727 バブル世代なんですか?
@@おきてがみ-k2r バブル崩壊世代です。バブル崩壊後の出来事は自分にとって最高の財産ですし、バブル期の恩恵は全く受けていません。
@@osamu0727 この時期入社した人ってのがバブル時期入社のことならほとんどボーダーフリーっぽかったみたいだし上から下まで全部入ってきたんじゃない?w
自衛隊ではこの世代の人は使えないって言うのは常識反対に氷河期の人は優秀な人が多い
ボーナスより月の給料が高いは経験ある。本当に24時間戦えますかだったなぁ。
リゲインのCMでありましたね。♪24時間戦えますか〜♪
@@sawagani56 プロジェクトへの差し入れで飽きる程飲みました。(笑)
ウチの親会社の労組は「ボーナスが年間5ヶ月無ければスト」って言っていた時代で、実際支給も年間5ヶ月だったね。
@@SAKUSAKU226 さん年ボーナス「2.5 2.5」の労働条件が普通だったね
コロナ禍で失業者が増えて、就職難の今では羨ましい話だな…でも、話を聞いたらお金の使い方に品が無いな…とも思ってしまった(お金の使い方に品も何も無いと言われればそうなのですが…語彙力)
残業が多くてもそれに見合った、もしくはそれ以上の給料がもらえる。やっぱりやりがいが大事ってよく分かるね。
「24時間働けますか?」まぁいろいろ言われてるけど、働けば働いた時間(含残業)だけ収入(成功報酬じゃ無いよ)が得られた時代働く庶民にとっては稼いだ給与を、存分に好きな趣味や生活向上に費やせる至極真っ当な時代だった!それに何と言っても当時は世の中全体が明るく活気があって、街に繰り出すと年中お祭りをやっているような人出だった!・・・・・・失われた30年! 今の人には申し訳無いけど、もうそんな時代は金輪際来ないだろうね!!
ですね。第三次世界大戦があって世界が焼け野原になって社会構造 ガラガラポンすれば起こりうるけど・・・
昭和40年代の高度成長期には「大きいことはいいことだ」というCMあったとのこと…
@@西島浩-n8q どこかの国もそう。
金粉入り大吟醸酒、一億円の福袋など謎の商品があった
父が公務員だったので「俺も大人になったら公務員になろうかな」と言ったら、母親から「公務員は給料が安いから会社員になった方が良いよ」と言われました。そんな時代です。
公務員は人生の負け組と馬鹿にされていたのがこの時代。世間は手のヒラクルー大好きな「嫉妬深いバカ」しか居ないのがこの日本
中学のときの社会の先生が「我々公務員は、景気が良くなっても給料は上がらない。そして景気が悪くなったら『公務員は良いねー』と嫌みを言われる」と授業中に愚痴ってたの思い出します。
@@まっちゃ-z7m 昔から、良くも悪くも公務員(羨ましい🥺)
この時代は安定よりも成長の時代でした、年功序列が崩壊して実力の時代に突入した、公務員のいいところは倒産しないことですね
確かに就職活動では、接待とか拘束旅行とか、交通費はありましたね。2回の懇談会(企業説明会とお食事会)で、こっちがなんも言ってないのに勝手に内定を出されていたことがあった(そのときは気づかず、あとで人事担当者から電話をもらってわかった😲)
@工藤佐織 親御さんの時代は金の卵だったんですかねえ。昭和45年生まれの方は、ちょうど就職難になり始めの頃ですね。浪人した人はもっと大変😱バブル時代の就職はラクですが、別に給料がいいわけでもなかったです。いくらバブルでもまともな会社なら、新人には常識的な額しか出さないでしょうね🤔なお自分の適性も考えず入社したためか、すぐ嫌になり、半年で辞めました😵今度はマジメに適性を考え翌々年に就職。就職難になるかならないか、ギリギリの頃でした。幸いこちらはずっと続いてます🙂
最終面接が東京本社で、1社につき新幹線で往復(大阪から)の切符代がもらえた。プラス夕食付きもあった。午前と午後2社行くと数万円もらえた。
@@yukkuri-まり査 さん某電気メーカーに入社したけど大卒初任給は198000円だった、入社試験はなかったが適性検査があったのでエンジニアとして働き続けることができたと思っています
これ日本に限らんけど、高度経済成長を終えて安定成長期に入った国や、低成長率に陥った国の国民って、もう高度経済成長期のような流れに乗れば安定した生活が送れるっていう感じじゃなく、仕事においてほんまに常にちゃんとビジネスモデルとかを考えて主体的に行動せんと危ないよな。
初任給で30万!?バブル凄すぎるだろ…
二十歳そこそこのガキが死ぬ気で働くと月70万(手取り)稼げる時代だったよ。だから公務員が負け組扱いされてて馬鹿にされてた。
でも働き方はもろワ〇ミ的だけど💦
@@nukonuko222 そして公務員が家を買えないからと‥‥
弾けた後は逆転するんだけどね。
@@QTX1234 逆転させたんだよね?
自分はプラザ合意後の急速に円高が進んだ頃が新卒時代だったが、企業の面接時には往復の交通費は出してもらえたし、会社の集団面接時と言う名の内定式の時は、ホテルで1泊で豪華な会食付き位はあったな…でも、メーカーだったので、給与はそこまで良くは無かったですよ。バブル時代に給与が良かったのは金融・不動産・保険業辺りで、製造業はそうでもなかったな。でも、製造業でもバブルに乗って、土地とか他業種に手を出した所の多くがバブル崩壊後に悲惨な目にあったのは見聞きしています。
バブル末期に就職活動しましたが、当時会社訪問すると、高級焼肉屋さんに連れて行ってくれて、帰りに交通費1万円くれたりはザラでした。正直、良い小遣い稼ぎになりました。
ビデオデッキもコネクタが金の仕様のものがあったり、技術的にはこの時期が最高品質だった。あとタクシーを夜、捕まえるのに1時間2時間かかるのがざらだったかな。
東急田園都市線は深夜の沿線でタクシーが捕まらず、白タクが横行し、結局東急バスが日本初の深夜急行バスを運行することになった。白タクで渋谷鷺沼間一人5000円とか(当然数人で相乗りした場合の一人あたり)
タクシー止めるのに万札振らないといけなかった時代ですね
金のコネクタには、理由があって伝導率が1番良いからですよ。材料費が高いので普通は使わないのよ。でも、オーディオマニアとかは平気で買うからね。バブル崩壊後も、何十年も前のオーディオセット一式がオークションで1億超えとかあるからね。
無酸素銅のスピーカケーブルも有ったね。金を使わない、タダの金メッキが売れてたけど効果有るとは思えない。
金を蒸着したCD(坂本龍一)も見たことあります。これも音質が良かったんでしょうか。
昔は銀行の普通預金でも最高で利息が7%くらい付きました。僕の友人の女性は銀行に入社して1年目の夏のボーナスが50万出たと大喜びしていました。1985年頃の話だけど。
その頃の先進国の人がしたように、私達も途上国の(今後潰れる可能性が限りなく低い)銀行に預金する時になったな。
郵便局(郵政民営化前)の定額預金、10年預けっぱなしで金利8%の時代でしたね。金融は給料も良かったけど、福利厚生も抜群、給料天引きの財形貯蓄の金利はなんと10%でしたよ。でも大蔵省と日銀との総量規制でバブル崩壊後、金融機関は統合や合併を経て、福利厚生はどんどん低きに流れて。。。一度上がった金銭感覚とか生活レベルを落とすのは容易じゃないと思います。今の若い方は堅実ですよね。
@@kana103762 給料天引きの財形貯蓄は絶対にやった方がいい。金欠の際に役立つから。
91年入社ですが、社内預金も1%以下になってました。先輩は6〜7%だったらしく、うらやましかった。
@@ダッシュ2-v1t 今は定期預金でも年で0.01%とか。(笑)1万円でたった1円。1000万円預けて年にたった1000円だからね。まあ預金の種類で多少変わるけど大差が無い気がします。
いいなーー!!バブル一瞬でも経験してみたい!
懐かしい時代です。キャバレーで接待の社長さんが女の子に「戦車買うたるわ」とか「ボーナスが縦横同じ高さや」「ボーナス年間13ヶ月や」なんて普通に聞いたり見たりしましたよ。今思うと楽しくも愉快な時代でしたよ。
ふるさと1億円やるんやったら、北方四島返還に使った方が良かったんじゃあ・・・当時の書記長が穏健派のゴルビーだったし。
河野一族がね
@@hkvy761 そして、河野一族の河野太郎国務相が再び日本をダメにしようとしている・・・。
当時の就活は四年生になってからで、僕の同期では秋までに内定の出た人は定期的に懇親会、入社の2~3か月前には京都の老舗料亭で一泊。芸妓さんにお酌をしてもらいながら舞を鑑賞^^入社後も大事にしてもらい、とても幸せな世代だったと思います。あんな時代はこの先なさそうな気がします。
バブルの時期も弾けた後も全く変わりなく生活を送って今に至る。看護師万歳🙌
物価もすごかったらしいもんね。うちは商店街の中にあるんで、もともと駐車場がなくて、あっても高いんだけど、バブルの時は月極12万だったってもんね。今でも5万5千円かそこいらすると思うけど。それでも一台空くと、希望者殺到で抽選だったとからしいからね。やはり入ってくるお金が大きいと、出てくのも大きいわけだよね。
土地関係は 当時のほうが高いけど、他は今の方が物価が高い・・・。
必ず弾けると決まっていたバブルも、将来に不安しか無い今も、お先真っ暗なのは同じ。だったら、夢と希望には満ち溢れてる方が良いに決まってるじゃないか。
バブル時代に戻りたい?と言われても戻りたくない。なんか気が狂いそうな時代だったから…
就職活動の接待は、織田裕二主演の映画「就職戦線異状なし」によく描かれているね。
懐かしい。
♬どんな時も~、どんな時も~、ですね。
バブル全盛だった1989年当時、私は中学3年生で高校入試の準備などで大変だったからバブルの実感がほとんどなかった。ついでに恋愛とは無縁で全然彼女ができなかったから、今からでも彼女を作りたい。
ゴッホ・・・生きているときにそれだけの評価がされていればねぇ・・・
このバブル時代、タクシーが捕まらず、運転手は客を選別してた。なお、残業もすさまじかったがタクシーが捕まらないので、各地で白タクが横行していた。
お札ヒラヒラしてタクシー止めたってバブラーさんが言ってたけど本当なんでしょうか?
@毎日みょんみょん すごい!バブリー!!!
@@もちものメデューサ もう一つとしては「遠距離」の行き先を出す。1~3メーターぐらいじゃ載せてくれなかった(降雨時はコレが酷かった)が、遠距離は高額になるから乗せててくれた。
@@SAKUSAKU226 タクシーもお客さんを選んでた時代なのですね!!!
@@もちものメデューサ さん本当です。もっと強者はレポート用紙に「○○←行先を書く まで5万円」とか書いて、掲げる猛者もいました。あと、某業界(過労四で悪名高い代理店)では、タクシーをいかに早く捕まえられるか、が昇進のキモだったとも言われてました。深夜に及ぶ連日の接待後、いかに早くタクシーで顧客を送れるか、が出世の大前提でしたよ。
銀行にお金預けるだけで10年で2倍になるのえぐい
このペースでいけば100年後に1024倍…byドラえもん後の経済状況を予測できない時代の話でした。
失態ヲンしたのは宮沢元総理
100万円定期預金にしたら次の年には利息が5~6万円つくって時代ですね。今やっても利息は10円程度でATM使用料で100円引かれてマイナスになるていう酷い時代になってしまった。
まあ物価も上がってますけどね
この頃バイト情報誌がとにかくぶ厚かったな。
「デイリー アン」があったからね。有料のバイト情報誌が毎日発売されてたから。
新入社員が3000万円のローンを組んでカウンタックを買ったなんて話がカー雑誌に載ってましたね。しかしギアボックスやエンジンなど度重なる故障と高額の修理代に耐えきれなくなって一年ばかりで売却したら数分の一の価格で、結局親が自宅を売り払って清算したとか…。あの狂乱は懐かしいような二度と来なくてもいいような…。
バブル期のランボルギーニはスーパーカーブーム以来のカウンタックでした(後継のディアブロは1990年初頭に発表され、秋に発売)。
カウンタックに限らず、いわゆる高級車は日本では専門ディラーに出すのが普通だから普通に金が掛かる。海外みたいに自宅に専用ガレージがあって、車外品の扱い店が充実して安売りもデフォ、、、しかも趣味の時間も充分取れるって状況じゃ無いと、庶民では無理でしょうね。
バブル絶頂期に某大手ゲーム会社に就職したけど忙しくて毎日ヘトヘトだったという記憶しかない。確かに売り上げは良かったけど、その分クソ忙しくて毎日が「24時間戦えますか?」状態。そのくせどんなに業績を上げてもご褒美は社名の入ったボールペン(そういや売れなくて在庫になったFCソフトもあったなw)で社員に還元されなかった。接待云々も大手の契約先はそうでもなかったけど、中規模か小規模の取引先は契約を盾に毎週のように接待(お姉ちゃん付きで)要求してきたのがマジでウザかった。同じ頃に玩具業界や飲食とかのサービス業や製造業に就職した友人達も同じような事言ってたから、マスコミなんかが言うバブル云々ってのはその頃景気の良かった一部の連中の事をさも日本中がそうだったように大袈裟に言ってるだけなんじゃないかと思う。
一発当たればの弱小サービス業は、バブル関係なく社会構造上、昔からそうだったんじゃないの?でも今は社内留保がデフォの上、非正規雇用中心なので、社会的にもっとひどい待遇じゃ無いのかな?
バブル期当時の為替相場は1ドル=145~150円ほどだったが、バブル崩壊のあと1990年代後半に1ドル=100円を切る円高になり(この時期は異常)、やっと1ドル=145~150円台まで回復している(昨今の円安が急激すぎる)。
ラーメン食べるために、札幌、福岡など飛行機に乗って行った思い出があります。
雑誌Hanakoで金曜日に飛行機乗ってソウルでブランド爆買いとか、小樽とか函館でラーメンとお寿司とか、有給休暇はハワイで爆買いかパリかNYの本店でブランド品爆買い。ティファニー本店に日本人の長蛇の列。英語がわからないOLを店員が小馬鹿にして悪口言ってました。
競馬が凄いブームでJRA「小倉・阪神・京都・府中・中山・中京・新潟・福島・函館・札幌」を全て制覇した、飛行機や新幹線は当たり前だった
この頃の夏休み明けはハワイとグアムのキーホルダーだらけになりがち。
父親から聞いた話ですが、普通預金通帳を普通に作っただけなのに、カードローンが自動的に50万円セットされていたと言ってました。
当時成人前だったけど、ほぼ都会の話で田舎には縁がないイメージですね…。田舎だとビデオ屋のバイトの時給は600円くらいでしたよ。マスコミ発の情報が一人歩きしてまことしやかに伝わってる部分もある気がする。
当時はSNSもないし、情報が独り歩きしてるとなおさら自分だけ負けてましたとは言いたくなくなる循環
まったくそのとおり。バブルなんて3000%くらい誇張されている。今のyoutuber や投資でもうけている人に比べたら大したことはない。バブル期にランボルギーニなんて乗れる人なんていなかった。ちなみに大卒初任給は183,000円だった。それで物価が高かったんだから、今のほうがよっぽどいい。当時の学生なんて風呂無しアパートに下宿なんて普通。今のほうがよっぽど豊かだよ。
アッシー君とメッシー君はヴァンドレッドにあった『圧私』と言っては男に重労働をさせ、『滅私』と言っては略奪を繰り返すの元ネタですね。
ワンレン別名、ブス隠し
アッシーは「足代わり(車などで送迎するだけ)」メッシーは「召し使い」パッシーは「パシり」が語源では?
@@アレンぼっち実況者 さんアッシーは「足担当」メッシーは「飯担当」「パシり」は不良の子分、やくざの下っ端も「パシり」と呼ぶ
この頃公務員になる人がいないと言われていた。あの頃、お金じゃなく時間を選んだ人は正解だったのかもね
キープ君の概念が少し違った気がしましたぁ。本命までは届かないがもし本命とダメならこいつでいいや、という存在だった気がします。アッシーやメッシーは昇格することのない永遠の地位だったというイメージです
あの頃は「こんなに給料上がっていいのか」と思ってしまった。なつかしい。
当時パートの母も、毎月昇給してたと言ってました
給料も上がったが家賃も上がるという現象があったよ、働けどわが暮らし楽にならず
木造の駅のどぐちゃんは健在です!
連投スマン。190E2.6、当時乗ってました。一括で買えたんだから良い時代だったわ。
一般社員の月給50万円←時間外手当込なので、200時間残業すれば基本給に+30万円くらいつく。基本給より残業代の方が多かった、なんてのはよくある話だっただいたい毎日終電まで勤務して、土曜は半ドンで午後分が残業、たまに日曜も出勤して、てな感じ終電逃したらタクシー、なんてのは御役所の話で、サラリーマンはタクシー券なんかでない。カプセル泊まるか、事務所泊まるか、友人知人、上司部下の家に泊まるかだったうちの会社もいつのまにか宿泊室、仮眠室がなくなってたなぁ
大学生の時にゼミの先生から聞いたお話なのですが、バブル期に就職活動で東京へ行った場合(私は地方の大学に通っていました)、複数企業に面接の予約を入れておくと各企業それぞれから交通費を支給していただけたそうで。
そうですね。大阪からだと正規料金のところもあれば2万円くれるところもあったよ。
佐川の初任給102万とかもあったなあ。30年前、私が高卒の就職で、地方でも初任給15万とか辺りとか、バイト時給600~700円。今と比べたら、それなりに高かったんだなと思う
その代わり佐川は今の勤務体系が「ぬるま湯」と言われるほど、過酷だったそうな。また、高給取りは「セールスドライバー」にならないともらえなかったとか。なお、僕はバブル期に渋谷で勤務してたが、渋谷公園通りのマックで時給1500円を見てる。それでも定員割れしてたとか。
@@SAKUSAKU226 『1日もてば一週間、一週間もてば1ヶ月、1ヶ月もてば半年もつ』みたいに言われてましたからね。簡単にやめないように、先に高級車や一戸建て買う強者もいましたよね。
佐川急便のこと?佐川急便のドライバーは訳ありの人が多い、借金返済や資金調達などまとまった金が必要な人がやってた、普通の就職先で佐川急便のドライバーを始める人はいないと思うよ、「2倍働いて3倍の給料」という社訓があるからね
バブル期当時、当方は高校生でしたが懐かしく見させて頂きました。今では考えられない様な事ばかりですが当時ではあるあると当方は改めて思いました。懐かしくてよかったです。
あとちょっとで10万人!これからも興味の湧く動画待ってます!
面接の交通費や日当の支給は1970年代からあったけどなあ。当時は学部指名で教授の指名を持って訪問すれば別室に通されて世間話の後交通費と日当を受け取り夕食に連れて行ってもらうのが当たり前だった。ただ指名を受けると他の企業には就職活動ができず訪問の梯子は無理だし研究も忙しいから別にお得感はなかったがなあ。
いいなぁ〜景気が良いって羨ましいなぁ〜。
なんかわかる、酒池肉林だったけど堅実な現在が健全だと思うよ、好景気を知らない社会人は可哀そうだと思う、好景気と不景気の経験がないからね
俺も接待受けたわ。企業訪問するだけで金が増えていったな。
初任給30万円でうまい棒一体何本買えるのやら
3万本?
@@hakuro65 3万本か〜一般人では買えない本数だなw
口の中カサカサになって切れて血が出そう…
@@Shiba_love758 そもそもそうなる前に胃袋に収まらなさそう
うまい棒ネタよく見るなぁ^^
アルバイト情報誌のfromAが週2回発刊されていた。それだけ求人が多かった。
バブル期に癖がついて、不摂生が祟り身体壊してマクロにハマり現在はヴィーガンとして活動している50代のおばちゃんが職場にいる。
ディスコ復活とかでアラフィフのオバサンが六本木でボディコン着て踊るというイベントやってて怖い((( ;゚Д゚)))
16:53は、鉄道マニア的にはアリ
滅茶苦茶やってたんですねあのリゲインのCMもあながち嘘じゃなかったって事なのかぁ・・・
鉄骨飲料のCMも、忘れられません…
オイルショックを知らなかったから日本がこのままひたすら豊かになってくんだと思ってた、あの頃は……
その時代なら税収入も多かったから国の借金も返せたかも知れないのに、国も贅沢・無駄遣いしたから借金は増えなかったけど減らなかったんだよな。バブルが弾けてから不況になったけど、原因は日本銀行や政策の失敗だよ。
接待について行き、就職すると…残業2時間 😱
木造の駅舎、あれ税金だったのかよ集客力としては、五能線の本数の少なさもあってけっこう効いてる気がする
あのふるさと創生1億円に使われたものって、「いったい何のためにあるの?」的なモノ多かった。結局日本人は大金もらっても使いみち分かんないんだと思った🤑
バブル崩壊が起こるまではそれが永遠に続くと誰もが思っていた繁栄。
今の日本には、竹下登のような積極的に財政出動をする土建屋思想の政治家が必要だと思う。竹下登&亘兄弟の意志を継承する経世会は小泉政権による郵政民営化などの構造改革に強硬に反対していることから、政権を取ったら必ず日本を小泉以前の状態に戻せるはずだと思う。
1億円ずつ配った「村おこし」は変な箱モノ地方にいっぱい残しただけの様に思うけどね。難しいのは「公共事業で景気回す」は解るが、「そのコスパ」なんだよな。田中角栄さんみたいな政策も、日本がまだ発展途上の頃なら「効果的」だったかもしれんが、今の日本は経済成長見ると「若者ではなくおじいちゃん国家」だもん。今更カンフル剤打っても、ね。
本当は19890107から0224までの個人消費は物価が一定とみたところ3割減少だった。もし、不動産融資の総量規制がなかったとしてもバブルは崩壊していた。ただし、デパートが潰れたり銀行が潰れたり、ましてや産業の海外流出は防げたかもしれない。
ふるさと創生でアホらしかったのは蒲郡市小学校の屋上に電飾看板設置して新幹線の客にアピールした
アホだ。
バブル期は、マハラジャだ。ジュリアナではない。
会社説明会だけで交通費は当たり前だった面接にいったときは弁当も出た
同じ、テレホンカードももらえたよ
パーティー参加しながらオークション参加ってパーティー会場も相当盛り上がったんだろうね
バブル期といえば、F1などのレーシングカーに日本企業のスポンサーが多数ついていたなぁ。例えば、当時F1でしのぎを削った中島悟はエプソン、鈴木亜久里は東芝をそれぞれの所属チームにスポンサーとして持ち込んでいたりする。
それどころか、マクラーレンに少年ジャンプがついていました。ノーズにちっこいステッカーで確か一億だった記憶です。
そう。で、片山右京はキャビンを持ってた。父親がマルボロの幹部だったチェザリスとティレルで組んだ時は、マシンにどちらのスポンサーが書かれるのか話題になり、結局ティレルになった。ジャパンマネー強かったよね。サンヨーやマイルドセブンもベネトンに付いていたし。挙げればキリが無い。
@@jin3ds482 そういえば、タミヤ模型がロータスのスポンサーになっていて、リアウイングの両側にタミヤ模型のエンブレムを入れてました(後にチャンピオンになったM.ハッキネンが乗っていた頃)。
列車が到着すると目が光るとかすき
名画の件は美術館の客寄せになっているし今市場に出れば当時の何倍にもなるだろうから大成功だね。
昔、就職戦線異常なしって映画があったけど、今じゃ考ええられない世界でしたね。高校卒業の時はどこでも就職出来る時代だったのに大学在学中にバブルが弾けて就活する時はもーどこでも良いからって感じで就活してたのを思い出しました。
「就職戦線異常なし」あったな
@@小谷和浩 ♬どんなときも~、どんなときも~。
平成3年生まれなので生まれてこの方不況ですが、何故だかあんまり羨ましくない
非常に素晴らしい感性をお持ちですね「バブルのころはよかった」「はじけないバブルを起こそう」とか言ってる奴とは絶対係わってはいけません!
朝のワイドショーで地上げ問題をよくやってたよね
バブル時代に大学生だった人から聞きました。就職したら金ピカの腕時計を配られたり、車1台配られたと言う人や、タクシー乗る時は運転手にオ-クションかけられるかのように厳選されたと言う人もいれば、東京から大阪までタクシー利用した人。様々いますね。耳を疑った瞬間です。今も信じ難い時代です。しかしバブルの影響を受けなかったと言う人もいてバブル崩壊しても無傷であったと言い人もいますね。
羨ましすぎる。私なんか就活ばっかしてるし35を越えると面接官に暴言吐かれるのが当たり前。10年早く生まれてたら世界が全然、違うんだなぁ。玉の輿に乗って今頃、母みたいな楽な専業主婦になって、こんなに苦労してなかったんだろうなぁ。そう考えるとむかつきますね。
職種を選んでるとかない?配送・清掃・警備員とか、人手不足と聞いてるけど昔と違って、今は現場仕事が不必要に蔑まれている気がする
3:55 そもそも当時の長者番付のトップってコクド(西武グループ)の堤義明よね確か
バブル真っ最中の就職活動で確かに接待された遠方の会社の見学に行ったら各社から往復の飛行機代が出たので一度に複数社の会社見学をしたら大幅黒字になった
会議の帰り際 経理係長に「ハンコ持ってるか?」って聞かれ、封筒に現金渡されたなぁ。それ持ってマハラジャへ
金貯金は賢すぎるwwwww
バブル崩壊後の就職は人数が多いので大変だった。でも、企業などではバブル入社世代のリストラが始まっていますね。
今の時代……考えられない😆
バブル時代、大人だけでなく子供も凄かった。中学受験のために遠方から東京の大手塾に通ってるというニュースがあって、子供の分際で東海道線のグリーン車で通うというのもあった…
就活で接待、懐かしいですね。特に国立理系男子を大事にしてたなあ。当時上場企業の総務にいたのでそのような仕事もやりました。われわれ事務職の女子社員たちは昼ごはんは有名ホテルの中華、夕飯はフレンチレストラン、などしょっちゅう上司の奢り(という名の経費)でした。もちろん帰りはタクシーチケット使い放題。休みも給料もボーナスも福利厚生も何もかもがウソのように充実していました(笑)あのときのように一瞬では困るけれども、またあの活気が戻ればなあ、と思います。
確かに明るい時代でしたね、金を使うために働く、貯金するために働くではなかった
バブル時代は小、中学だったがバブル景気の恩恵は受けたことなかったなぁ
一部の小学生の中には、中学受験を控えて東京の大手塾に通うために遠方から新幹線やグリーン車で通っていた子がいたらしい…
私はバブルの頃は中学生だったが彼女ができず、もてなかった。
似たような話だとフィギュアで有名な海洋堂は2000年頃にチョコエッグの中味のフィギュアで大当たりして念に6回ボーナス支給したフィギュアバブルとかの話もある
中津江の鯛は鯛生金山に置いてあったから自家生産かと思ってた
役人、政治家はバブルを強引に何故崩壊させたのかわからない
ナニか恐ろしい陰謀でもあったか?
公務員の人たちって可哀想だよな。こういう時は他より圧倒的に少ない金で働かされて、なのに今みたいな時代で他より安定して給料が貰えると文句言われるんだもんな。
これ福祉系や、孤児院などなんかいい方にお金をふることは出来なかったのかな…🤔w
消費税導入もこの頃で、最初は福祉のためとか言って、結局ふるさと創生とか訳わかんないモノに使われた。年金もこの頃「グリーンピア」というハコモノに使われた。この構造今も同じ💢😠💢
今後景気がよくなってもバブルの頃のようにはならないんだろうね。
バブル期のオーディオステキPro pixy espritとかね
なるほど、給料だけが消えて忙しさだけが残ったのが現在のブラック企業ってことか。
ただただ懐かしい。バブル弾けてすぐ金融業界に入社。支店配属同期は8人。3年後には3人しか新人が入って来なかった。トップは「苦節を乗り越えた暁には必ず皆さんに還元する」と言われた。約30年たっても未だ還元されていない。
2億でフェラーリF40(当時日本に2台しかない)を下手な運転したせいで焼いてフライデー?に載り、またパパに買ってもら発言した人も居たね。その人は、今どうしてるのかな。
@@Laurel-2.5clubs フェラーリF40といえば、どこのだれかが知らないが日本の高速で320㎞出して免許を剥奪されたのがいたなぁ。
当時はクソガキだったけど、親戚が羽振り良かったのを覚えている。 が、その後は会社潰れたりしたのに金使いは変わらなかったので悲惨なことになったなー 身の丈に合った生活って大切
当時は不動産の高騰凄くて、
小1の時住み始めた、バブルに親父が建てた家より、
学生時代の下宿アパートの方が広かった。
わかりやすいのが
お年玉の金額
判を押したように一律5000円だったなー。
今じゃ考えられん。
@@もちものメデューサ お年玉5000円って今でも普通のような...
子供の頃、父は公務員だったので周囲がこんな生活を満喫する中暮らしは割と大変で、正直羨ましくもありました。でもバブル崩壊の影響で多くが悲惨な状態となり今は感謝してます。
年利6%の定期預金の勧誘とかよくあってて今となっては考えられない時代でした。
親父、団塊世代で民間だったが、ちっとも恩恵受けてねえな…。
郵便局の定額預金の利息が6%とか7%あった
10年貯金して預金が倍になった
@@keish2460 その時代に
親父は給料の半分を競馬、
さらに半分(=1/4)をパチンコですってた。
この時代、高校生でしたが、世間がバブルに明け暮れていた中、私はそういう派手なモノには無縁で、別に興味もありませんでした。ただ銀行に貯金をしただけで、預金がどんどん増えて行くのは、今では考えられません…
バブルの10年くらい前は定額貯金をすると10年で2倍くらいになった。
老後破産の一つの要因に、「奥さんの金銭感覚がバブル景気のまま」みたいなものがあるらしいですね。
バブル期就職→バブル期に寿退社→ずっと専業主婦みたいな感じで...
僕のカミさんバブル崩壊の歳に生まれてるから、めっちゃ堅実。
僕は崩壊時、小学生。
知らないのと、子供の頃に崩壊目の当たり。
或る意味幸運かも。
@@てっちゃん-t1k
当時の奢った日本の有様を目にしなくて済んだ人たちはある意味幸せと感じます。
@@池田智紀-x3j 奢ってる、ね。
ただ、「マトモな豊かさ」知らないのもそれはそれで不幸だけど。
未だにバブルでちやほやされたのになれすぎて「実態に目を背けて」高い理想をもって結婚相手探してる中年未婚おばはん結構居るんです。
堅実性とかで言えば今の若い女性の方がよっぽど堅実的。
@@SAKUSAKU226
堅実性でと言えば求職中の昨今の20代前半の若者も堅実ですよ。彼らは3Kという当時の言葉を知らないのです。職業に対する貴賤意識がバブル時代よりも無い事に驚かされました。
青森の土偶駅は、当時こそ変な理由で作られたが、縄文遺跡が世界遺産登録された事により、今や作ってよかったものになりつつあります。
バブル時代の地価がいかに異常だったかは。「あの頃の東京山手線内側の土地を買い占める金額があれば、当時のアメリカ全土の土地が買えた」といえば理解できるだろう・・・。
それはヤバい
1万円で買える土地の面積が、1万円札の面積よりも小さいと言われた時代ですね。
そして実際に買い始めた。
日本のGDPでアメリカ二ついけるとか奢れる者は久しからず。半分は円高の恩恵なのに。家の近所の土地が坪単価2500万でした💦
あの頃は 日本経済全体が右肩上がりで、国も国民もイケイケで自制という言葉とは無縁だった。何も考えずに消費と投資を繰り返した結果が 今の惨状だよ。
今の若者は大人しいけど、よく考えてるし繊細ですね。だから本当に難しい時代だけど将来に希望が持てる。
バブル期はわたし誕生〜小学低学年だったけど、アッシーとメッシー、ミツグくんは覚えてるな〜
旅行は羨ましいが、海外でそんな長い日にち過ごせない…日本大好き…
バブル時カラオケBOXの店長やってましたが
8千万の投資資金が7ヶ月で回収出来たとオーナーが喜んでました😅
店舗を改造して作った7部屋、CDカラオケで当時は1曲100円取ってた時代でした
昼は1時間800円、夜は1500円だったのに何時も満室で1日の売り上げ30~50万
今のカラオケBOX経営者に話したら羨ましいがって居ましたね😅
懐かしい
スナックで歌うために100円玉の両替めっちゃしました
棒金が金庫にたくさんあったなぁ
当時のカラオケはVHDでしたなぁ。
高校時代に御徒町のカラオケ屋でバイトしてたけど、
1曲300円+ルーム代が1時間1000円で、
小さい店だったけど金曜日~土曜日の朝まで15部屋中12部屋がオールでカラオケ、それに客がさんざん飲み食いしてた。1部屋一晩だけで6万円以上売り上げてたな。
バイト代が1600円で17時~翌朝6時の13時間の時は、
一晩で2万円超えてた。
バブル期の時は公務員の成りてが無かったから、お誘いが凄かった!
自分自身も日本国防軍(自衛隊)からお誘いが有ってしかも二等兵から初める軍人じゃ無くて募集官に防衛大学校から初める軍人=中尉を勧められた!
今じゃ考えられん!
あの時は公務員試験も有って無かった感じです…
この頃は公務員の方が「遥かに給与が低かった」から公務員受ける人は「頭がオカシイ」あつかいまでされていた.
僕のいとこの旦那、バブルの時期に公務員なってるけど、
二十ウン年やった公務員を「脱公務員」後、
起こした会社1年チョイで潰してる。
大卒だが、九九すら本物のバカで、
公務員20年以上やってたくせに、
役所の手続きちんぷんかんぷんらしい。
1億円で金塊を買った市町村は、成金趣味に見えて実は堅実な選択をしてたってことなんですね
特に賢いなと感心したのは兵庫県津名町ですね
ここは使い道を決めかねてとりあえず金塊をレンタルしてみたら大都市に近い立地もあって見物客で大賑わい
最終的にはレンタルを解約して戻ってきたお金の使い道を市民全員に聞いて図書館を建てたそうです
長期トレンドで世界経済全体が成長傾向ならドルベースではほぼ確実に値上がりするし破産や劣化のリスクは小さいですからね
カネがあると純金を999を買うのは華僑の知恵。金は唯一価値が不変。
金価格が値下がりしたときの「特約」を付けての購入したとのことで、その後値下がりしたので、実質倍増したらしい、という話を聞きました。
本当の話なら、担当者は天才的。
子供ながら当時のテレビの金遣いの荒さのエグさに引いてた。
バブル期にノンバンクに勤めていた叔父が絶対に許せない人物は桃源社の佐々木吉之助と六本木ベルファーレの折口雅博だと言っていました。数百億円貸していたそうです。
バブル景気の発端となったプラザ合意がなかったらこれ程日本の経済は混乱しなかっただろうと言ったのを今でも覚えています。プラザ合意、ボーイング、日航ジャンボ機墜落事故。日本経済の闇はとことん深いですね。
ヴェルファーレの折口雅博といえば、コムスンの「コブラヘアー」のあの人ですな。
FOUCSが有名ですね。でもそのあたり社長と今のユーチューバーってよく似てるような気がします。金返さないけどゴルフにはいくとか鋼のメンタルw
この時期入社した人って、使えない人と出来る人の差が凄い
ある程度の差はどの世代にもあるけど、極端にピンキリなのはこの世代…
>使えない人と出来る人の差が凄い
ほんとはそんな差はなかったと思いますよ。違いはバブル崩壊をいつ認識したか(認めたか認めなかったか)それだけの違い。
@@osamu0727 バブル世代なんですか?
@@おきてがみ-k2r
バブル崩壊世代です。バブル崩壊後の出来事は自分にとって最高の財産ですし、バブル期の恩恵は全く受けていません。
@@osamu0727 この時期入社した人ってのがバブル時期入社のことならほとんどボーダーフリーっぽかったみたいだし上から下まで全部入ってきたんじゃない?w
自衛隊ではこの世代の人は使えないって言うのは常識
反対に氷河期の人は優秀な人が多い
ボーナスより月の給料が高いは経験ある。
本当に24時間戦えますかだったなぁ。
リゲインのCMでありましたね。
♪24時間戦えますか〜♪
@@sawagani56 プロジェクトへの差し入れで飽きる程飲みました。(笑)
ウチの親会社の労組は「ボーナスが年間5ヶ月無ければスト」って言っていた時代で、実際支給も年間5ヶ月だったね。
@@SAKUSAKU226 さん
年ボーナス「2.5 2.5」の労働条件が普通だったね
コロナ禍で失業者が増えて、就職難の今では羨ましい話だな…
でも、話を聞いたらお金の使い方に品が無いな…とも思ってしまった(お金の使い方に品も何も無いと言われればそうなのですが…語彙力)
残業が多くてもそれに見合った、もしくはそれ以上の給料がもらえる。
やっぱりやりがいが大事ってよく分かるね。
「24時間働けますか?」
まぁいろいろ言われてるけど、働けば働いた時間(含残業)だけ収入(成功報酬じゃ無いよ)が得られた時代
働く庶民にとっては稼いだ給与を、存分に好きな趣味や生活向上に費やせる至極真っ当な時代だった!
それに何と言っても当時は世の中全体が明るく活気があって、街に繰り出すと年中お祭りをやっているような人出だった!
・・・・・・失われた30年! 今の人には申し訳無いけど、もうそんな時代は金輪際来ないだろうね!!
ですね。第三次世界大戦があって
世界が焼け野原になって
社会構造 ガラガラポンすれば
起こりうるけど・・・
昭和40年代の高度成長期には「大きいことはいいことだ」というCMあったとのこと…
@@西島浩-n8q どこかの国もそう。
金粉入り大吟醸酒、一億円の福袋など謎の商品があった
父が公務員だったので「俺も大人になったら公務員になろうかな」と言ったら、
母親から「公務員は給料が安いから会社員になった方が良いよ」と言われました。そんな時代です。
公務員は人生の負け組と馬鹿にされていたのがこの時代。世間は手のヒラクルー大好きな「嫉妬深いバカ」しか居ないのがこの日本
中学のときの社会の先生が「我々公務員は、景気が良くなっても給料は上がらない。そして景気が悪くなったら『公務員は良いねー』と嫌みを言われる」と授業中に愚痴ってたの思い出します。
@@まっちゃ-z7m 昔から、良くも悪くも公務員(羨ましい🥺)
この時代は安定よりも成長の時代でした、年功序列が崩壊して実力の時代に突入した、公務員のいいところは倒産しないことですね
確かに就職活動では、接待とか拘束旅行とか、交通費はありましたね。2回の懇談会(企業説明会とお食事会)で、こっちがなんも言ってないのに勝手に内定を出されていたことがあった(そのときは気づかず、あとで人事担当者から電話をもらってわかった😲)
@工藤佐織 親御さんの時代は金の卵だったんですかねえ。昭和45年生まれの方は、ちょうど就職難になり始めの頃ですね。浪人した人はもっと大変😱バブル時代の就職はラクですが、別に給料がいいわけでもなかったです。いくらバブルでもまともな会社なら、新人には常識的な額しか出さないでしょうね🤔なお自分の適性も考えず入社したためか、すぐ嫌になり、半年で辞めました😵今度はマジメに適性を考え翌々年に就職。就職難になるかならないか、ギリギリの頃でした。幸いこちらはずっと続いてます🙂
最終面接が東京本社で、1社につき新幹線で往復(大阪から)の切符代がもらえた。プラス夕食付きもあった。午前と午後2社行くと数万円もらえた。
@@yukkuri-まり査 さん
某電気メーカーに入社したけど大卒初任給は198000円だった、入社試験はなかったが適性検査があったのでエンジニアとして働き続けることができたと思っています
これ日本に限らんけど、高度経済成長を終えて安定成長期に入った国や、低成長率に陥った国の国民って、もう高度経済成長期のような流れに乗れば安定した生活が送れるっていう感じじゃなく、仕事においてほんまに常にちゃんとビジネスモデルとかを考えて主体的に行動せんと危ないよな。
初任給で30万!?
バブル凄すぎるだろ…
二十歳そこそこのガキが死ぬ気で働くと月70万(手取り)稼げる時代だったよ。だから公務員が負け組扱いされてて馬鹿にされてた。
でも働き方は
もろワ〇ミ的だけど💦
@@nukonuko222 そして公務員が家を買えないからと‥‥
弾けた後は逆転するんだけどね。
@@QTX1234 逆転させたんだよね?
自分はプラザ合意後の急速に円高が進んだ頃が新卒時代だったが、企業の面接時には往復の交通費は出してもらえたし、会社の集団面接時と言う名の内定式の時は、ホテルで1泊で豪華な会食付き位はあったな…
でも、メーカーだったので、給与はそこまで良くは無かったですよ。
バブル時代に給与が良かったのは金融・不動産・保険業辺りで、製造業はそうでもなかったな。でも、製造業でもバブルに乗って、土地とか他業種に手を出した所の多くがバブル崩壊後に悲惨な目にあったのは見聞きしています。
バブル末期に就職活動しましたが、当時会社訪問すると、高級焼肉屋さんに連れて行ってくれて、帰りに交通費1万円くれたりはザラでした。
正直、良い小遣い稼ぎになりました。
ビデオデッキもコネクタが金の仕様のものがあったり、技術的にはこの時期が最高品質だった。あとタクシーを夜、捕まえるのに1時間2時間かかるのがざらだったかな。
東急田園都市線は深夜の沿線でタクシーが捕まらず、白タクが横行し、結局東急バスが日本初の深夜急行バスを運行することになった。
白タクで渋谷鷺沼間一人5000円とか(当然数人で相乗りした場合の一人あたり)
タクシー止めるのに万札振らないといけなかった時代ですね
金のコネクタには、理由があって伝導率が1番良いからですよ。材料費が高いので普通は
使わないのよ。でも、オーディオマニアとかは平気で買うからね。バブル崩壊後も、何十年も前のオーディオセット一式が
オークションで1億超えとか
あるからね。
無酸素銅のスピーカケーブルも有ったね。
金を使わない、タダの金メッキが売れてたけど効果有るとは思えない。
金を蒸着したCD(坂本龍一)も見たことあります。これも音質が良かったんでしょうか。
昔は銀行の普通預金でも最高で利息が7%くらい付きました。僕の友人の女性は銀行に入社して1年目の夏のボーナスが50万出たと大喜びしていました。1985年頃の話だけど。
その頃の先進国の人がしたように、私達も途上国の(今後潰れる可能性が限りなく低い)銀行に預金する時になったな。
郵便局(郵政民営化前)の定額預金、10年預けっぱなしで金利8%の時代でしたね。
金融は給料も良かったけど、福利厚生も抜群、給料天引きの財形貯蓄の金利はなんと10%でしたよ。
でも大蔵省と日銀との総量規制でバブル崩壊後、金融機関は統合や合併を経て、
福利厚生はどんどん低きに流れて。。。
一度上がった金銭感覚とか生活レベルを落とすのは容易じゃないと思います。
今の若い方は堅実ですよね。
@@kana103762 給料天引きの財形貯蓄は絶対にやった方がいい。金欠の際に役立つから。
91年入社ですが、社内預金も1%以下になってました。先輩は6〜7%だったらしく、うらやましかった。
@@ダッシュ2-v1t 今は定期預金でも年で0.01%とか。(笑)1万円でたった1円。1000万円預けて年にたった1000円だからね。まあ預金の種類で多少変わるけど大差が無い気がします。
いいなーー!!バブル一瞬でも経験してみたい!
懐かしい時代です。キャバレーで接待の社長さんが女の子に「戦車買うたるわ」とか「ボーナスが縦横同じ高さや」「ボーナス年間13ヶ月や」なんて普通に聞いたり見たりしましたよ。今思うと楽しくも愉快な時代でしたよ。
ふるさと1億円やるんやったら、北方四島返還に使った方が良かったんじゃあ・・・
当時の書記長が穏健派のゴルビーだったし。
河野一族がね
@@hkvy761 そして、河野一族の河野太郎国務相が再び日本をダメにしようとしている・・・。
当時の就活は四年生になってからで、僕の同期では秋までに内定の出た人は定期的に懇親会、入社の2~3か月前には京都の老舗料亭で一泊。
芸妓さんにお酌をしてもらいながら舞を鑑賞^^
入社後も大事にしてもらい、とても幸せな世代だったと思います。
あんな時代はこの先なさそうな気がします。
バブルの時期も弾けた後も全く変わりなく生活を送って今に至る。看護師万歳🙌
物価もすごかったらしいもんね。うちは商店街の中にあるんで、もともと駐車場がなくて、あっても高いんだけど、バブルの時は月極12万だったってもんね。今でも5万5千円かそこいらすると思うけど。それでも一台空くと、希望者殺到で抽選だったとからしいからね。
やはり入ってくるお金が大きいと、出てくのも大きいわけだよね。
土地関係は 当時のほうが高い
けど、他は今の方が物価が高い・・・。
必ず弾けると決まっていたバブルも、将来に不安しか無い今も、お先真っ暗なのは同じ。だったら、夢と希望には満ち溢れてる方が良いに決まってるじゃないか。
バブル時代に戻りたい?と言われても戻りたくない。なんか気が狂いそうな時代だったから…
就職活動の接待は、織田裕二主演の映画「就職戦線異状なし」によく描かれているね。
懐かしい。
♬どんな時も~、どんな時も~、ですね。
バブル全盛だった1989年当時、私は中学3年生で高校入試の準備などで大変だったからバブルの実感がほとんどなかった。ついでに恋愛とは無縁で全然彼女ができなかったから、今からでも彼女を作りたい。
ゴッホ・・・生きているときにそれだけの評価がされていればねぇ・・・
このバブル時代、タクシーが捕まらず、運転手は客を選別してた。
なお、残業もすさまじかったがタクシーが捕まらないので、各地で白タクが横行していた。
お札ヒラヒラしてタクシー止めたって
バブラーさんが言ってたけど
本当なんでしょうか?
@毎日みょんみょん
すごい!バブリー!!!
@@もちものメデューサ もう一つとしては「遠距離」の行き先を出す。
1~3メーターぐらいじゃ載せてくれなかった(降雨時はコレが酷かった)が、遠距離は高額になるから乗せててくれた。
@@SAKUSAKU226
タクシーもお客さんを選んでた時代なのですね!!!
@@もちものメデューサ さん
本当です。
もっと強者はレポート用紙に「○○←行先を書く まで5万円」とか書いて、
掲げる猛者もいました。
あと、某業界(過労四で悪名高い代理店)では、タクシーをいかに早く捕まえられるか、が昇進のキモだったとも言われてました。
深夜に及ぶ連日の接待後、いかに早くタクシーで顧客を送れるか、が出世の大前提でしたよ。
銀行にお金預けるだけで
10年で2倍になるのえぐい
このペースでいけば100年後に1024倍…byドラえもん
後の経済状況を予測できない時代の話でした。
失態ヲンしたのは宮沢元総理
100万円定期預金にしたら
次の年には利息が5~6万円つくって時代ですね。
今やっても利息は10円程度で
ATM使用料で100円引かれてマイナスになるていう酷い時代になってしまった。
まあ物価も上がってますけどね
この頃バイト情報誌がとにかくぶ厚かったな。
「デイリー アン」があったからね。有料のバイト情報誌が毎日発売されてたから。
新入社員が3000万円のローンを組んでカウンタックを買ったなんて話がカー雑誌に載ってましたね。しかしギアボックスやエンジンなど度重なる故障と高額の修理代に耐えきれなくなって一年ばかりで売却したら数分の一の価格で、結局親が自宅を売り払って清算したとか…。あの狂乱は懐かしいような二度と来なくてもいいような…。
バブル期のランボルギーニはスーパーカーブーム以来のカウンタックでした(後継のディアブロは1990年初頭に発表され、秋に発売)。
カウンタックに限らず、いわゆる高級車は日本では専門ディラーに出すのが普通だから普通に金が掛かる。
海外みたいに自宅に専用ガレージがあって、車外品の扱い店が充実して安売りもデフォ、、、しかも趣味の時間も充分取れるって状況じゃ無いと、庶民では無理でしょうね。
バブル絶頂期に某大手ゲーム会社に就職したけど忙しくて毎日ヘトヘトだったという記憶しかない。
確かに売り上げは良かったけど、その分クソ忙しくて毎日が「24時間戦えますか?」状態。そのくせどんなに業績を上げてもご褒美は社名の入ったボールペン(そういや売れなくて在庫になったFCソフトもあったなw)で社員に還元されなかった。
接待云々も大手の契約先はそうでもなかったけど、中規模か小規模の取引先は契約を盾に毎週のように接待(お姉ちゃん付きで)要求してきたのがマジでウザかった。
同じ頃に玩具業界や飲食とかのサービス業や製造業に就職した友人達も同じような事言ってたから、マスコミなんかが言うバブル云々ってのはその頃景気の良かった一部の連中の事をさも日本中がそうだったように大袈裟に言ってるだけなんじゃないかと思う。
一発当たればの弱小サービス業は、バブル関係なく社会構造上、昔からそうだったんじゃないの?
でも今は社内留保がデフォの上、非正規雇用中心なので、社会的にもっとひどい待遇じゃ無いのかな?
バブル期当時の為替相場は1ドル=145~150円ほどだったが、バブル崩壊のあと1990年代後半に1ドル=100円を切る円高になり(この時期は異常)、やっと1ドル=145~150円台まで回復している(昨今の円安が急激すぎる)。
ラーメン食べるために、札幌、福岡など飛行機に乗って行った思い出があります。
雑誌Hanakoで金曜日に飛行機乗ってソウルでブランド爆買いとか、小樽とか函館でラーメンとお寿司とか、有給休暇はハワイで爆買いかパリかNYの本店でブランド品爆買い。ティファニー本店に日本人の長蛇の列。英語がわからないOLを店員が小馬鹿にして悪口言ってました。
競馬が凄いブームでJRA「小倉・阪神・京都・府中・中山・中京・新潟・福島・函館・札幌」を全て制覇した、飛行機や新幹線は当たり前だった
この頃の
夏休み明けは
ハワイとグアムのキーホルダーだらけになりがち。
父親から聞いた話ですが、普通預金通帳を普通に作っただけなのに、カードローンが自動的に50万円セットされていたと言ってました。
当時成人前だったけど、ほぼ都会の話で田舎には縁がないイメージですね…。田舎だとビデオ屋のバイトの時給は600円くらいでしたよ。マスコミ発の情報が一人歩きしてまことしやかに伝わってる部分もある気がする。
当時はSNSもないし、情報が独り歩きしてるとなおさら自分だけ負けてましたとは言いたくなくなる循環
まったくそのとおり。バブルなんて3000%くらい誇張されている。今のyoutuber や投資でもうけている人に比べたら大したことはない。
バブル期にランボルギーニなんて乗れる人なんていなかった。
ちなみに大卒初任給は183,000円だった。それで物価が高かったんだから、今のほうがよっぽどいい。
当時の学生なんて風呂無しアパートに下宿なんて普通。
今のほうがよっぽど豊かだよ。
アッシー君とメッシー君はヴァンドレッドにあった
『圧私』と言っては男に重労働をさせ、『滅私』と言っては略奪を繰り返す
の元ネタですね。
ワンレン
別名、ブス隠し
アッシーは「足代わり(車などで送迎するだけ)」
メッシーは「召し使い」
パッシーは「パシり」が語源では?
@@アレンぼっち実況者 さん
アッシーは「足担当」
メッシーは「飯担当」
「パシり」は不良の子分、やくざの下っ端も「パシり」と呼ぶ
この頃公務員になる人がいないと言われていた。
あの頃、お金じゃなく時間を選んだ人は正解だったのかもね
キープ君の概念が少し違った気がしましたぁ。本命までは届かないがもし本命とダメならこいつでいいや、という存在だった気がします。アッシーやメッシーは昇格することのない永遠の地位だったというイメージです
あの頃は「こんなに給料上がっていいのか」と思ってしまった。なつかしい。
当時パートの母も、毎月昇給してたと言ってました
給料も上がったが家賃も上がるという現象があったよ、働けどわが暮らし楽にならず
木造の駅のどぐちゃんは健在です!
連投スマン。190E2.6、当時乗ってました。一括で買えたんだから良い時代だったわ。
一般社員の月給50万円←時間外手当込なので、200時間残業すれば基本給に+30万円くらいつく。基本給より残業代の方が多かった、なんてのはよくある話だった
だいたい毎日終電まで勤務して、土曜は半ドンで午後分が残業、たまに日曜も出勤して、てな感じ
終電逃したらタクシー、なんてのは御役所の話で、サラリーマンはタクシー券なんかでない。カプセル泊まるか、事務所泊まるか、友人知人、上司部下の家に泊まるかだった
うちの会社もいつのまにか宿泊室、仮眠室がなくなってたなぁ
大学生の時にゼミの先生から聞いたお話なのですが、バブル期に就職活動で東京へ行った場合(私は地方の大学に通っていました)、複数企業に面接の予約を入れておくと各企業それぞれから交通費を支給していただけたそうで。
そうですね。大阪からだと正規料金のところもあれば2万円くれるところもあったよ。
佐川の初任給102万とかもあったなあ。
30年前、私が高卒の就職で、地方でも初任給15万とか辺りとか、バイト時給600~700円。
今と比べたら、それなりに高かったんだなと思う
その代わり佐川は今の勤務体系が「ぬるま湯」と言われるほど、過酷だったそうな。
また、高給取りは「セールスドライバー」にならないともらえなかったとか。
なお、僕はバブル期に渋谷で勤務してたが、渋谷公園通りのマックで時給1500円を見てる。それでも定員割れしてたとか。
@@SAKUSAKU226
『1日もてば一週間、一週間もてば1ヶ月、1ヶ月もてば半年もつ』
みたいに言われてましたからね。
簡単にやめないように、先に高級車や一戸建て買う強者もいましたよね。
佐川急便のこと?佐川急便のドライバーは訳ありの人が多い、借金返済や資金調達などまとまった金が必要な人がやってた、普通の就職先で佐川急便のドライバーを始める人はいないと思うよ、「2倍働いて3倍の給料」という社訓があるからね
バブル期当時、当方は高校生でしたが懐かしく見させて頂きました。今では考えられない様な事ばかりですが当時ではあるあると当方は改めて思いました。懐かしくてよかったです。
あとちょっとで10万人!
これからも興味の湧く動画待ってます!
面接の交通費や日当の支給は1970年代からあったけどなあ。当時は学部指名で教授の指名を持って訪問すれば別室に通されて世間話の後交通費と日当を受け取り夕食に連れて行ってもらうのが当たり前だった。ただ指名を受けると他の企業には就職活動ができず訪問の梯子は無理だし研究も忙しいから別にお得感はなかったがなあ。
いいなぁ〜景気が良いって羨ましいなぁ〜。
なんかわかる、酒池肉林だったけど堅実な現在が健全だと思うよ、好景気を知らない社会人は可哀そうだと思う、好景気と不景気の経験がないからね
俺も接待受けたわ。
企業訪問するだけで金が増えていったな。
初任給30万円でうまい棒一体何本買えるのやら
3万本?
@@hakuro65 3万本か〜
一般人では買えない本数だなw
口の中カサカサになって切れて血が出そう…
@@Shiba_love758 そもそもそうなる前に胃袋に収まらなさそう
うまい棒ネタよく見るなぁ^^
アルバイト情報誌のfromAが週2回発刊されていた。それだけ求人が多かった。
バブル期に癖がついて、不摂生が祟り
身体壊してマクロにハマり
現在はヴィーガンとして活動している
50代のおばちゃんが職場にいる。
ディスコ復活とかでアラフィフのオバサンが六本木でボディコン着て踊るというイベントやってて怖い((( ;゚Д゚)))
16:53は、鉄道マニア的にはアリ
滅茶苦茶やってたんですねあのリゲインのCMもあながち嘘じゃなかったって事なのかぁ・・・
鉄骨飲料のCMも、忘れられません…
オイルショックを知らなかったから日本がこのままひたすら豊かになってくんだと思ってた、あの頃は……
その時代なら税収入も多かったから国の借金も返せたかも知れないのに、国も贅沢・無駄遣いしたから借金は増えなかったけど減らなかったんだよな。
バブルが弾けてから不況になったけど、原因は日本銀行や政策の失敗だよ。
接待について行き、就職すると…残業2時間 😱
木造の駅舎、あれ税金だったのかよ
集客力としては、五能線の本数の少なさもあってけっこう効いてる気がする
あのふるさと創生1億円に使われたものって、「いったい何のためにあるの?」的なモノ多かった。結局日本人は大金もらっても使いみち分かんないんだと思った🤑
バブル崩壊が起こるまではそれが永遠に続くと誰もが思っていた繁栄。
今の日本には、竹下登のような積極的に財政出動をする土建屋思想の政治家が必要だと思う。竹下登&亘兄弟の意志を継承する経世会は小泉政権による郵政民営化などの構造改革に強硬に反対していることから、政権を取ったら必ず日本を小泉以前の状態に戻せるはずだと思う。
1億円ずつ配った「村おこし」は変な箱モノ地方にいっぱい残しただけの様に思うけどね。
難しいのは「公共事業で景気回す」は解るが、「そのコスパ」なんだよな。
田中角栄さんみたいな政策も、
日本がまだ発展途上の頃なら「効果的」だったかもしれんが、
今の日本は経済成長見ると
「若者ではなくおじいちゃん国家」だもん。
今更カンフル剤打っても、ね。
本当は19890107から0224までの個人消費は物価が一定とみたところ3割減少だった。
もし、不動産融資の総量規制がなかったとしてもバブルは崩壊していた。
ただし、デパートが潰れたり銀行が潰れたり、ましてや産業の海外流出は
防げたかもしれない。
ふるさと創生でアホらしかったのは蒲郡市
小学校の屋上に電飾看板設置して新幹線の客にアピールした
アホだ。
バブル期は、マハラジャだ。ジュリアナではない。
会社説明会だけで交通費は当たり前だった
面接にいったときは弁当も出た
同じ、テレホンカードももらえたよ
パーティー参加しながら
オークション参加って
パーティー会場も相当盛り上がったんだろうね
バブル期といえば、F1などのレーシングカーに日本企業のスポンサーが多数ついていたなぁ。例えば、当時F1でしのぎを削った中島悟はエプソン、鈴木亜久里は東芝をそれぞれの所属チームにスポンサーとして持ち込んでいたりする。
それどころか、マクラーレンに少年ジャンプがついていました。
ノーズにちっこいステッカーで確か一億だった記憶です。
そう。で、片山右京はキャビンを持ってた。
父親がマルボロの幹部だったチェザリスとティレルで組んだ時は、
マシンにどちらのスポンサーが書かれるのか話題になり、結局ティレルになった。
ジャパンマネー強かったよね。サンヨーやマイルドセブンもベネトンに付いていたし。挙げればキリが無い。
@@jin3ds482 そういえば、タミヤ模型がロータスのスポンサーになっていて、リアウイングの両側にタミヤ模型のエンブレムを入れてました(後にチャンピオンになったM.ハッキネンが乗っていた頃)。
列車が到着すると目が光るとかすき
名画の件は美術館の客寄せになっているし今市場に出れば当時の何倍にもなるだろうから大成功だね。
昔、就職戦線異常なしって映画があったけど、今じゃ考ええられない世界でしたね。高校卒業の時はどこでも就職出来る時代だったのに大学在学中にバブルが弾けて就活する時はもーどこでも良いからって感じで就活してたのを思い出しました。
「就職戦線異常なし」あったな
@@小谷和浩 ♬どんなときも~、どんなときも~。
平成3年生まれなので生まれてこの方不況ですが、何故だかあんまり羨ましくない
非常に素晴らしい感性をお持ちですね「バブルのころはよかった」「はじけないバブルを起こそう」とか言ってる奴とは絶対係わってはいけません!
朝のワイドショーで地上げ問題をよくやってたよね
バブル時代に大学生だった人から聞きました。
就職したら金ピカの腕時計を配られたり、車1台配られたと言う人や、タクシー乗る時は運転手にオ-クションかけられるかのように厳選されたと言う人もいれば、東京から大阪までタクシー利用した人。
様々いますね。
耳を疑った瞬間です。
今も信じ難い時代です。
しかしバブルの影響を受けなかったと言う人もいてバブル崩壊しても無傷であったと言い人もいますね。
羨ましすぎる。
私なんか就活ばっかしてるし35を越えると面接官に暴言吐かれるのが当たり前。
10年早く生まれてたら世界が全然、違うんだなぁ。
玉の輿に乗って今頃、母みたいな楽な専業主婦になって、こんなに苦労してなかったんだろうなぁ。
そう考えるとむかつきますね。
職種を選んでるとかない?
配送・清掃・警備員とか、人手不足と聞いてるけど
昔と違って、今は現場仕事が不必要に蔑まれている気がする
3:55 そもそも当時の長者番付のトップってコクド(西武グループ)の堤義明よね確か
バブル真っ最中の就職活動で確かに接待された
遠方の会社の見学に行ったら各社から往復の飛行機代が出たので一度に複数社の会社見学をしたら大幅黒字になった
会議の帰り際 経理係長に「ハンコ持ってるか?」って聞かれ、封筒に現金渡されたなぁ。それ持ってマハラジャへ
金貯金は賢すぎるwwwww
バブル崩壊後の就職は人数が多いので大変だった。
でも、企業などではバブル入社世代のリストラが始まっていますね。
今の時代……
考えられない😆
バブル時代、大人だけでなく子供も凄かった。中学受験のために遠方から東京の大手塾に通ってるというニュースがあって、子供の分際で東海道線のグリーン車で通うというのもあった…
就活で接待、懐かしいですね。特に国立理系男子を大事にしてたなあ。当時上場企業の総務にいたのでそのような仕事もやりました。
われわれ事務職の女子社員たちは昼ごはんは有名ホテルの中華、夕飯はフレンチレストラン、などしょっちゅう上司の奢り(という名の経費)でした。もちろん帰りはタクシーチケット使い放題。休みも給料もボーナスも福利厚生も何もかもがウソのように充実していました(笑)
あのときのように一瞬では困るけれども、またあの活気が戻ればなあ、と思います。
確かに明るい時代でしたね、金を使うために働く、貯金するために働くではなかった
バブル時代は小、中学だったがバブル景気の恩恵は受けたことなかったなぁ
一部の小学生の中には、中学受験を控えて東京の大手塾に通うために遠方から新幹線やグリーン車で通っていた子がいたらしい…
私はバブルの頃は中学生だったが彼女ができず、もてなかった。
似たような話だとフィギュアで有名な海洋堂は2000年頃にチョコエッグの中味のフィギュアで大当たりして
念に6回ボーナス支給したフィギュアバブルとかの話もある
中津江の鯛は鯛生金山に置いてあったから自家生産かと思ってた
役人、政治家はバブルを強引に何故崩壊させたのかわからない
ナニか恐ろしい陰謀でもあったか?
公務員の人たちって可哀想だよな。
こういう時は他より圧倒的に少ない金で働かされて、
なのに今みたいな時代で他より安定して給料が貰えると
文句言われるんだもんな。
これ福祉系や、孤児院などなんかいい方にお金をふることは出来なかったのかな…🤔w
消費税導入もこの頃で、最初は福祉のためとか言って、結局ふるさと創生とか訳わかんないモノに使われた。年金もこの頃「グリーンピア」というハコモノに使われた。この構造今も同じ💢😠💢
今後景気がよくなってもバブルの頃のようにはならないんだろうね。
バブル期の
オーディオステキ
Pro pixy esprit
とか
ね