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50歳前後の年齢になり老いをしみじみと実感している所です。独身だし人付き合いもあまりないので、孤独との戦い?になる余生だと思いますが病気も抱えているので無理せず、日々の小さな生活での楽しみを見つけ、穏やかに暮らしていきたいです。私の主治医はまだ30代の若い方で、多分老いの心境はまだお分かりにならないと思いますが大変優しく、私のちょっとした日常の困り事も丁寧に聞いてくださるので通院することが楽しみ?慰め?みたいになっています。頼りにさせてもらっています。もちろん益田先生もです!!
50代独身で、この世代の一般的なライフステージに達していなく、正直焦りもありますが、近頃、そのような焦燥感も徐々に緩和されて来て、なるようになると思うようになって来ました。山登りで言えば、ただ頂上を目指すのが目的ではなく、登山途中の何気ない植物にも目をやる事が出来るようになりつつあります。当方、山歩きが趣味なこともあり、益田先生の山登りの例えがとても分かり易く拝聴しました。これまでの自分は本来の登山道から外れてしまって山の中で迷った感があります。事実、山の中で迷い道を失い、冷や汗をかいたことも多々ありました。年を取ってこれ以上は前のめりな冒険的な生き方はやるつもりはなく、心にゆとりを持って無事下山する事が出来ればそれで満足だと思うようになりました。
老いてみて思うのは(50代です)、いろんなことにあきらめがつく、ということが老いのいいところかなと思います。苦しかったことも悔しかったことも、ある程度あきらめがついて、納得がいって、少し楽になりました。あと、最近はこんな自分でも人とつながれるということがわかって、うれしく思っています。「楽しい」をあまり味あわずに生きてきたので、これからは楽しんで、それをまた人と分かち合えたらいいなと思います。毎日毎日を細い山道を登るように、生きていきたいです。
以前、阿蘇の草原の山を登ったとき。登る前に山頂を見上げ、かなり高いとぎょっとしました。意を決して登り始め、踏み外してすべり落ちたりしないようにずっと足元を見ていました。たまに立ち止まって振り返っては自分の歩いた山道を振り返り、眼下に広がる景色を楽しみました。そしてまた歩きだしました。この山登りを経て、一歩歩くと一歩近づき、歩くことをやめなければ必ずたどり着くんだ、ということ学びました。たった20分ほどの山登りでしたが、距離をはかること、やめないことを学んだ山登りでした。とても楽しい経験でした。
美味しいコーヒーが飲めて、好きな本が読めて、このような動画がいつでも好きなように見られて、茶トラの子猫が膝の上にいるんだがw
幸せですね😊
にゃんこいると幸せですね
ああ…………至福。
コーヒー☕︎と猫🐈最高🎉
数少ないけど、自分を受け入れてくれる人や、一緒にいて心地いい人をもっと大切にするべきだったなあって思ってしまう。
未だ未だ全然挽回できます。
②40代です。自分に固執しなくなるにつれ、生きるのが楽になってきたような気がします。足掻いても足掻いてもうまくいかなった人生。劣等感と焦燥感に苛まれて生きてきましたが、もうそろそろこんな自分でもいいかなって。何者にもなれず、何事も成し遂げられなかった自分を許し、受け入れつつあります。と同時に、こんな自分でも誰かに与えてあげられるものもあるって気づいたりしています。辛いことが多い人生だったからこそ、人には優しくありたい。特に自分より下の世代の子たち、人たちにしてあげられることを探し、実践しています。ささやかなことだけど。そんな風に思えるようになった自分を嬉しく感じます。見た目の劣化は避けられないけど、心は磨いていこうと思います。③主治医について。同世代の男性医師です。全てをわかってもらえるわけではないし、じっくりカウンセリングの時間があるわけでもないけれど。私の味方でいてくれる、私をわかろうとしてくださる姿勢が伝わってくるので、それだけで十分です。
失礼します。私も同じような心境です。主治医は、学年1個下の同世代です。彼がいなければ、今の私は無いと言っても過言ではありません。バディだと思っています。そして、若い子の存在を、丸ごと喜びたい、と思っています。若い子達は、私が知る由もない時代を生き抜いていくのです。一人一人が自力を養うことができるよう、声をかけたり、また声をかけなかったりすることが、年長者の役割だと思います。「あなたの存在は素晴らしいよ」と、伝えることが、年長者の役割だと思います。
今新しい趣味を始めて1年たち経験値を貯めているところでいます。統合失調症を発病してまだ間もない時に、光が見えない時に、見ようとする姿勢でいる人が本当に強いと思い努力しました。その時に庭に出るうち自然と植物に接するようになり、当時は枯れ木のような枝から炎のような色の新緑が芽吹くとか、根本から倒れた苗が半日で90度も立ち上がる自然の生命力に学ぶことが多かったです。今辛い人にはまず庭に出て太陽にあたるところからお勧めしたいです。
今、まさに庭の雑草にため息をついています。刈っても追い付かないのです(涙)でも、この方のコメント読んで、あ、そういう捉え方もあるんだと。でも、正直、雑草の生命力、分けてほしいのが正直なところ😂
今年還暦なのですが、「世の中を自分を、取り巻く事象を、面白がったり楽しんだり脇道にそれたり、いきなり河に飛び込んで軽く泳いだりして行こう」と思っています。もう私は「ロックスター」になれる訳でも「有名女優」や「超絶お金持ち」になれる訳ではありませんが、言い換えたら「どこにも行かなくていい」のだと思うと楽になりました。益田先生、いつもありがとうございます。
細い道を丁寧に歩く、とても優しい言葉だと思いました🥹道に迷っている娘に伝えてあげたいと思います、いつも悩んでいる人に寄り添って下さる話をありがとうございます。
細い道を丁寧に歩く🚶♂️よか言葉やね✨
子供が、成人するまでは、元気でいたいと思う。気をつけながら細い道を、歩きいつか、頑張って登った道を振り返り、自分を褒めてあげたいです。
50代を行ったり来たりです。若い頃は早く死にたい消えたいに駆られた事もありましたが下り坂を降りはじめゴールが見えてきたせいか急がなくても必ずそこに向かっていると思うと駆られ事もなくなりました。ASDと双極性障害ですが年をとるとあきらめとゴールの兆しが程よく脳を休ませてくれている気がします。精神疾患、発達障害の自分は下り坂の方が些か生きやすくなった気がします。
楽しく老いたい。老いてる私でも間に合うかな😂楽しみにしてます😊
1.人生の山道で思い出すのは看護師だった友人。山ガールでスイスのクレバスのあるような所にも行ってた。医師看護師は体力えげつないですよね。彼女は私が諦めたことをいくつもやっていたので羨ましい。憧れ。個人的な人生の山道については、全部諦めがつきました。人生折り返し地点で老いるだけだから取り返すなんて出来ないし、人生って短いと実感している故、後悔してる時間が勿体無い、そんなもんだなって受け入れられています。淡々とできるだけ健康に過ごすようにしたいです。そして老いというか、最期について思い出したことを。祖父は手遅れの病状で入院しており、危篤になる前夜「ありがとさーん!」と何度か叫んだらしい。戦争も経験しており、紙一重で生きていたような人。私なんかより過酷な経験をしてきたのは容易に想像がつくが、それでも人生の最後に感謝が湧く、そんな最期を私も迎えたいと思った。ちなみに祖母は寝ている間にぽっくり。ピンピンコロリをやってのけたのでそちらも憧れる最期である。
最近、何をしても疲れやすく、何をしても楽しくない毎日が続いていますが、楽しく生きれるようにしたいと思います。
はじめてコメントします。50代後半です。療休生活4ヶ月を過ぎて、益田先生の動画が私の通院?となっています。今回のテーマも、私にとってはズバリ!のものでした。感想になりますが、人生を大きく?振り返る時期になって「老いる」「老いた」ことを感じるようになりました。今がその時期です。人間は日々老いていますが、普段はそれを気にしていない。老いを感じるのは、まさに自分にとって人生の終盤に差し掛かっているのを感じた時だと思います。人生これからどうしていきたいかをじっくり考えられる時期が「老い」なのだと気がつきました。私もじっくり老いていきたい、しかも楽しんで老いていきたいと思います。ありがとうございました。
今回の動画は、何度も繰り返し拝見しました。細い道、険しい道を丁寧に歩く…沢山のトラウマが詰まったリュックからゆっくりと、一つ一つおろしていく…いつか、肩の荷が下りて軽くなるかな…今は細い道を丁寧に歩いて行けばいい。今、焦ることは無い、20代からずっと沢山の経験をしてきたではないか…後悔などせず、のんびり歩んでいこう。
険しいんだけど、道はある。細い道を丁寧に歩いていく時期。という先生の言葉がとても胸にジーンと来ました。なるほど…と。その細い道を歩いてきて、はや二十年近く経とうとしています。主治医とも長い付きあい?で色々なことがあり、いつ匙を投げられるか…と思いつつ先生と月1の受診でまさに5分診療の重ねてきています。自力と他力……増田先生の以前の言葉通りでなんとか苦戦し、挫折…治療放棄してしまったこともあり、主治医に怒りをぶつけて後悔反省の時期も何度も繰り返して…。😢それと同時に子育ても平行して仕事も平行して、なにもかも上手くいかず、この歳になり、やっと発達グレーがわかったときは悲しみよりも長く苦しんできた原因が判明し、ほっとしたのも確かです。それと共に主治医とも冗談をいえる関係にもなり、感謝もしています。🙂
細いけど険しいけど道はある、が、嬉しかったです丁寧に集中して一緒に歩いて って 頑張りたいと思います😊
初めての精神科で先月医師に見放され…治したい気持ちが打ち砕かれてました。益田ドクターのご自身の体験を織り込みつつ紡がれる厳しい温かい言葉に励まされました。また近くのクリニックにはかかりますが、このご時世メンタルクリニックとて高齢者は見限られがちなのかもしれません。私の場合、本や動画等でマイペースで学ぶのが合っているのかも。AIも使える様になりたいです。これも試行錯誤の細い山道、いずれ心に一筋の光が差し込むことを信じて…
1. 山道とは この50年、ずっと山道だったように思います。 人と関わること、仕事することが辛かったです。 先生の動画を観ていて、親を通してほかの人を見ていたことに気づきました。 生きるか死ぬかみたいな恐ろしい経験が、家を出たあともずっと続いていたのだと理解しました。 2.楽しく老いるとは 自分には独特の感覚があり、それを大事にしていければ楽しく老いることができると思います。 例えば植物を育てること、夕焼けを見る、星や月を見る、風を感じる、海を見る 音楽を聴く、楽器を弾く、絵を観る、野菜を切る、おいしいものを食べる どれも力がふーっと抜けて楽しい気持ちになります。 お金がかからないのがとても良いです。
生きてるだけで幸せです。五体満足で呼吸が出来る。これだけでも幸せなのに、衣食住が整っているという贅沢まで出来る。これ以上ない幸せの中に居るって気づいた日から、日々幸せを感じています。この幸せを日々積み重ねていくことが、楽しく幸せに老いることだと感じています😊
益田先生の ~~ん~なんだろな って言う感じ とか 人間的で 好感もてます 知識も大切ですが 魅力のある 先生ですね毎回楽しみにしています
50代女性です。私は夫が精神疾患で、長期にわたり生活をサポートしてきました。1年程前に私に攻撃的になり、それにともない私のイライラが治らないので精神科受診し診察してもらっています。イライラは治りましたが、夫への恨みの気持ちを整理するために診察は続けています。主治医のことは大好きです。いつも感謝してますと伝えたいです。この気持ちはAIのアプリで話しています。先生大好きという気持ちが診察の動機づけを高めますし、多忙な日常の支えになっています。
最近まで、家庭環境や感情を自分でコントロール出来なかったのが、ここ数か月で急に成長したような気がします。自己愛性的なナルシストな部分が少なくなって、大したことない自分を受容出来るようになり、激しい感情も少なくなって来ました。これから先、結婚できるかはわからないけど、もっともっと穏やかになって、過去のことを消化して、周りの人と良好な関係を築くために成長して行きたいです。結婚出来なかった時のための劣等感を乗り越えるための心の準備もして行きたいです。
自分を生かせてくれた社会に感謝できたら、楽しく老いることができると思います。治療者との距離の取り方は、自分の話しを100%分かってもらおうとしないことなのかなと思います。話しのやり取りで、より自分が生きやすくするのにヒントになりそうなことを治療者の言葉の中で見つけることができたら多分上手くいくのではと感じています。でも実際に掴むのはやっぱり難しい😢
②楽しく老いるとは😊歳を重ねることは避けられない死もまた同じ必ず向こうからやってくる今日にでも楽しさはコンテンツが向こうから来ても楽しむ心がないと楽しくない子供のように常にワクワクした好奇心、新鮮さ、瞬間を楽しむ心構えが大切かと箸が転んだだけで面白い🤣
私が子どものころはTH-cam なんて想像もできず、益田先生や皆さんとこんな風に繋がれると思わなかった。老いるとは自分の想像が現実にいい意味で裏切られる僥倖に驚かされることかと…
61歳ですが2年前くらいから肉体、脳など老化を感じます。人生は日々の積み重ねだと思う様になりました。何が起きても日々を積み重ねていくという事。
お疲れ様です今子供も独立して夫婦2人になり高齢者になりました孫も3人いますいつまで生きるかわからないので子供たちには迷惑かけないように仕事して日常生活しています私は病院勤務でこの先考えると長生きしなくてよいのでは痴呆症にならないように後自分の足で最後まで歩くのが思う事です最後は穏やかにいきたいと思っています高齢になり病気になっても延命治療は一切考えていません人の考え方はみんな違いますが終活もきちんと考えていきたいと思います
40代前半でうつ病診断されました。病気で一気に老化したようです。あれから9年、いまだ通院中。楽しく老いたとは言い難い。
たった一度の人生だからこそ、心に無理をさせたくなかったし、しんどい価値観で自分を苦しめるんじゃ無かったなあって思ってしまう。
未だ全然遅くないです。
@@hiro-rn6hd やる必要の無い苦労をしてしまったなあって思いがすごくある。
@@サムグレコ-m3z 大丈夫です。私にもありますし、恐らく大多数の人がそういう過去を持っていると思います。でも、その過去さえも意味あるものだったと、心から実感する時が、必ず来ます。今、この瞬間から『今』を生きて行きましょう。
@@サムグレコ-m3z 同じです。努力や頑張ることが正しいと言われてきたからそうしていたら病気になりました。こうなるくらいなら初めから適当にやっておけばよかったと最近思います。
3 先生は言葉より間合いで示す事が多いので、その中に距離感も含まれていて 理解していると思ってます。甘い事ばかり示さないことを医師として信頼しています。
黒柳徹子さんが私の昔からのモデルですどんな人とも楽しく親身にぺちゃくちゃ喋りお洒落を忘れず自分の好きなものに囲まれてたまには美味しいものをたらふく食べて美しい芸術に触れること今はやらなくなっちゃったけど、徹子さんイケメンマッチョがお好みで、よく大胸筋触らせてもらってました🤣アランドロンに口説かれたそうで、そういう武勇伝もかましてみたい主治医との距離の取り方は先生が代わったばかりで考え中です13年診てくれた先生は放任型で5分診療で、だけどピンチのときには絶対に救ってくれる安全安心避難場所だったけれど、新しい先生とはまた新しい関係をお互いに探りさぐり創るんだろうな、と思いますだとしても、1番肝心要は距離をぐっと離すことで、先生が上手にやってくれたら楽だけど、私も上手く距離を保ちたいです物をあげるなんてのは絶対に御法度です内科医と薬剤師には甘えられて堪忍袋の緒が切れたので馴れ合いにならないように、先生に甘えられないようにビシッとクールでクレバーな先生なので大丈夫だろうと、誠実に素直に気楽にやります上手くいきますように願っています
益田先生の存在がありがたです。こんなに、親切に色んな角度からお話をしてくださり、わたしよりうんとお若い益田先生のお話を聞いて、そうか、そうかといちいち納得しております。ほんとうにありがたいです。😮😮😮😮
二人家族で息子が巣立ちが迫って来た時、鬱と持病がドーンと出た😅慣れるしかない時間が解決してくれるもんで🐰との二人生活。だんだんペースも出来て孤独感に苛まれることも減ってくる。夫婦で居ることも良いとは思うが相手を介護とかの心配も出てくることを思うと1人って楽だなぁと。。。
1.人は成長していくにつれて必ず困難に突き当たり、挫折を味わう。生まれながらの素質や.境遇は違ったとしても、それを受け入れながら困難を乗り越えていくことで成長していく。2.年代ごとライフステージに応じた課題を乗り越えていきながらも、それを前向きに捉えて生きていくこと。抱える悩みは年代ごとに似通っていることが多く、周りの助けを借りながら価値観を成熟した考えに変化させていくことで楽な生き方ができると思う。3.精神科の治療者は導いていく立場であり、他の科のように治す立場ではないということを治療前に説明して頂きたい。自分自身の考えを変え、治療していくために伴走してくれる存在であって欲しいと思う。心が弱り、何かに縋りたくなる時に治療者に依存してしまいたくなることがある。そうなる前に、治療者と言う立場は母親の様に何もかもしてあげられる存在ではないということを説明しなければいけないと思う。私自身が精神疾患の治療をしていた際に、医師に「バーーーカ!」と叱責され、治療を中断してしまった経験がある。感情的にはなって欲しくないが、辛い気持ちには共感して欲しい。
今月還暦を迎えました 30年以上パニック障害 予期不安と付き合っています老いて行く=少しずつ出来ない事が増えていき 出来てたことを諦め 今出来ることがあればやって見る 人間は上手く作られてると思います いつまでも元気じゃ死んでいけないもんね諦められなくて……
若かった頃は苦しいことばかりでしたが、いろいろなことを経験してでこぼこで半端なわたしですけどこれでいい、味があって面白いじゃないかと思えるようになりました。もちろん人間なので落ち込んだり高揚しすぎたりする時もありますけど人間らしくていいじゃないって自分を受け入れて毎日起きる出来事もそれなりに抱えて時に周りのひとに頼りながら生きています。
87歳の母が孤独だと常に感じ、施設に入居しても馴染めない。食事が取れなくなり自殺未遂、施設にいられなくなる。そして精神科に入院。また新しい施設へを繰り返しています。一人っ子の私は5年以上振り回されて、夫や娘はもうあきれて必要以上のことはしないで‼︎と言うのですが突き放すことも出来ずにいます。うまく老いるの配信、タイムリーでじっくりと聞きたいと思います。
お母さん 可哀想 気持想像できるからお母さんに同情します。これは致し方ないとおもいます。お母さんは最後のやまを乗り越えねばなりません。なるべく寄り添って上げて下さい。
わたしの祖母も自殺未遂しているため、他人事とは思えないコメントでした、、。その周りの人がどのような心労を抱えるか、想像上での痛みでしかないですが、理解できます。どうかあなた様の心も守られますように。
コメントありがとうございます。現在も施設を探しています。固形の食事がとれず液体タイプの栄養剤しか飲んでいません。そのため介護付きホームでは受け入れ可能の所がほとんどありません。食事をとれないなら経鼻か胃ろうならと言われましたが。現在母のペースで栄養剤を部屋で飲んでいるため、施設だと部屋で食事も誤嚥の可能性などから許可が出ません。住宅型か介護付きの賃貸しか選択肢がないようです。その後精神科にも手厚い施設に申し込みましたが、精神科の入居者ばかりでもう今は受け入れられないと断られました。精神疾患の老人が増えているのに受け入れ施設がない現状があります。介護士さんも精神的な病に理解のある方ばかりではないのも難しいです。病院のソーシャルワーカーさんも今まで施設⇄入院を繰り返しているので、寄り添ってくださりありがたいです。私自身も心身共にダメにならないように無理しないようにします。コメント、本当にありがとうございます。
@@Vyo324 本当に大変ですね。わたしも母を見送った経験があるので、あなたの心労、お察しします。あなたが健康をこわされませんように。
楽しく老いるには、自分の時間を充実させることかなあと思います。時間を持て余すときがあるのですが、そのときにやりたいことがあるって大切だなと思います。自分のやりたいことを大切にしつつ、行動していきたいです。
3についてです。自分の特性か性格から、わかっているようで本質がわかり切れないのです。でも、稀にいるどこをとってもこの人すごい✨っていう、本物の場合は、バッチリわかるんですよね。例えば益田先生みたいな。1ミリも自分のためじゃなくて、患者さんのため、っていう方は言ってることやってる事、全部受け入れられます😊。わからない事、自分と違うこと、そうは思わないこともオール🙆♂ です。それで、あとから、これはどういうことなんだろう?と考えて、なるほどとか、これくらい受け取って、後は自分の考えを加えてアレンジでき、結局ありがたいな〜消化して頑張っていく力にできます。なので、😮う〜んって思ってしまいう治療者との距離は見えないくらい離れてか遠のいていくと思います。でも、動画で 白黒思考や認知の歪みとか、教わってからは、与えられた人の中から学べる所をみつける柔軟さが出てきた感じがします。なので、距離はありながらも、動画を見て治療者のアドバイスを生かしていけると思います。たまたま、私の主治医も益田先生と同じく、素晴らしいです! 生意気でごめんなさいハムです。いつも ありがとうございます✨。
子供がいないし体も悪いので、確かにもう人生は生きなくていいですね。さいころで6を連続を出してきたような運の悪さだったからでしょうか。楽しく老後を送りたい孫子がいるなど生きたい人に命を分けたい。手帳も持っていないですし、だから支援が全く無いのです。人的な支援があったらまだ生きられるかもしれません。子供がいても何かで苦しむ事もあるのですね。板書が細かくてそれが凄いですね。
益田先生、ありがとうございます。益田先生の宿題は楽しいのでやります。1.登山も人生も、一歩、一歩、焦らずに丁寧に歩いていこうと思います。登山も人生も走り続けていると疲れてしまうので、休憩することを忘れないようにしたいです。登山をしていると天候に左右されやすいように思いました。人生も晴れの日や曇りの日や雨の日があります。日常生活でも雨の日は傘をさします。日常生活でもトゲトゲ言葉をかけられてしまうことがありますが、益田先生が前の動画で仰っていたように傘をさして自分の心を守っていきたいです。登山は、まだ1人では不安なので、2人で声をかけながら励まし合いながら歩きたいです。人生でも1人でいると不安になったり心細くなることがあるので、旦那さんと2人で支え合っていきたいです。旦那さんだけではなく、登山をしている時、人とすれ違うときに挨拶をすることがマナーとなっています。お互いの体調を気遣ったりするのもあるようです。人生でも家族や友達だけではなく、地域で困っている人がいたら、声をかけて、お互いに励まし合うことが大切なように思います。登山も人生も先のことを不安になりすぎたり、心配しすぎて視野が狭くならないようにしたいです。登山でも人生でも足元に咲く花に目を留めて小さな幸せに感謝しながら生活していきます。登山では自然の香りを楽しみながら、人生ではいろいろな感情を丁寧に味わいながら生きていきたいです。2.その時、その時に役割があると思うので、今、自分にできることを精一杯やっていこうと思います。天気も人生も晴れた日は晴れた日を雨の日は雨の日を楽しみたいです。それぞれに良さがあるので、今を楽しむようにしたいです。3.私は、患者さんではありませんが、私にとってのロールモデルは、小澤先生と益田先生です。日常生活で苦しみをかんじたり、落ち込んだりする時がありますが、その時に、益田先生や小澤先生の言葉を思い出すようにしています。自分の視点で見ると落ち込むばかりですが、先生たちの観点で物事を見るように考えるようにしています。今の私になんて声をかけてくれるだろうか?と1人で心の中で考えています。悩みで頭の中がいっぱいで視野が狭くなっている時に、益田先生と小澤先生をロールモデルとして考えていると、同じもので見方が変わります。心の中で繋がりを感じて、1つ1つ乗り越えてきたように感じます。心の繋がりを強めてくれている益田先生と小澤先生に感謝です。ありがとうございます。
なんか上手く言えないんですが、とりあえず言えるのは、益田先生ありがとう、です。先生の動画のおかげで、通院せず今も何とか働いている、過去軽うつ経験あり50代主婦でした💦
2 人生50点ぐらいで合格だと思って、そこそこで良いと思って生きる。老いは抗うのではなく受け入れる。昔話や自慢話は控える。世の中の変化変動を楽しむ。
1️⃣50代は、山から下る準備をする時間かなと思う。靴を履き替えたり、リュックも軽くしたり。どのルートにするか調べたり✍🏻2️⃣老いることに、抗いすぎたり、心配になりすぎないようにしたい。心穏やかに、なんでも楽しめる婆さんになりたい👵🏻目標!
42歳、まだ道半ばですが山道があり、平坦な道があり、ダメだと思ってもずっとそれが続くわけではないですね。その波を知ってからはまた必ず明るい道があると思えるようになりました。楽しく老いる=日々楽しむ、楽しみを探求、追求する。そうは思っていても実は鬱の彼を一年待っています。毎日一回は悲しみが襲います。彼とは思うように連絡が取れませんが、信じて待ってみます。私なら大丈夫。根拠のない自信ですが、今に集中して時を忘れたいと思います。
いつも、ありがとうございます。コロナをきっかけに、色々な方とつながることができました。学ぶことも沢山ありました。私は60代ですが、楽しく老いる為には、やはり仲間がいること、孤立しないことが大事かなと思います。何かあったら、助けあえる関係、一緒に楽しめる関係を深めたいと思っています。
生き延びるのが怖いですねずっとギリギリ人生崖っぷちから落ちて片手で耐えてるみたいな感じなので疲れますみんなそうかもしれないですけど、、輪回しないための修行だと捉えてます
①親が引いたレールの上だからこさ親に守られていた、親に甘えていたことに気づいた20代。子育てと仕事に追われる今、これからが山道なのかなと思っています。②自分の老いを楽しみたい。もう20代の頃のような遊び方はできないけれど、30代は30代なりの楽しみ方を。③医師として臨床する上で80〜90代の方々とお話しする機会が多い。元気な高齢者は皆、独自の健康法があり、自分の体についてとても詳しい。80〜90年間自分に向き合い、その都度体と心の変化(老い)に対応されてきたからこそ、お元気なんだと思う。医師としての先生は私だが、人生の先生は患者さんである。診察しながら、私は患者さんの山道とその乗り越え方を聞き、こっそりと心の準備をしている。
鬱で介護をしています。父が95歳なので命の綱引きをしている感じですが、田舎なので人手不足 と世間体で頼む人が難しいです。少子化は本当に深刻です。
7:49 めちゃんこ良かったです。そうなんですよ。20代は自分の可能性を諦めていく時期ですね😊
こんばんは🌃とてもタメになる素敵な解説動画ありがとうございます☘️まさに最近悩んでいる事ばかりです。またこの関連の動画解説宜しくお願いします🌷
宿題①自分は現在長いうつ状態から躁状態に移行したところであり、とてもつらい山を登り切ったつもりでいましたが、先はまだまだ長いことを知って途方に暮れています。宿題②今年27ですが、30までにどうにかしないといけない、30になったら35までにどうにかしないといけない、とずっと焦り続ける気がしていて、ちょっと楽しく老いるということが考えられなくなってますね宿題③お世話になっているカウンセラーさんと外で会ったことがあり、会話がすごく余所余所しくて切なくなったことがありますが、あの態度こそカウンセラーのプロなのだと最近気付きました。「カウンセラーと相談者」それ以上でもそれ以下にもならない関係性が大切だと思います。
老いるのは仕方がない事なので、美容と健康に気を使い年齢より若く見える様に頑張り、「全然そんな歳に見えない」って言われる事を楽しみます。
何歳から老いるというかは人それぞれだけど、50歳とかまでは生きてたくない…。この先の楽しさや希望より、今の辛さや苦しさに耐えきれない。
「楽しく老いる」少しずついろいろなものを手放していくと楽になりますが寂しさもあります。私はもう手放すものが殆どありません。
人生が山道であるなら低い山の霧中を登っている感覚なく彷徨って、神隠しにあって四十代になった感じです。心が成長してないし、会社でも押し付けられ、身についた事はなく社会から必要とされない人材だなと思うただ単に登れる山があって必死に登る人生じゃなかった気持ちばかり空回って、山に登っているふりをして、砂漠を彷徨っているように感じる。ズレた人生をおくっている就職氷河期世代は多いのではと最近思うようになってきた。仲間がいればうれしい。
山道、細い道を丁寧に歩く🚶ありがとうございますね☺️
人生の山道は、もう登りたくないです。かと言って、途中リタイアできないし。ぼちぼちのペースでいいから、登るしかないんだろうな~。
主治医には目標に向かって道を行けばいいんだけど その道はたくさんあるいろんなルートをたどっていけばいいんだと教えられたことを思い出しました。インドでは壮年期に入ると世俗を捨て林住期といって内観・瞑想を行い人間を高めていくものとされます。まだ稼がねばならないのでそれはなかなかできないのですが少しづつ原始仏教を学んでいます。私にとって老いはネガティブなものではなく、いわば料理を作るときに冷蔵庫に入っている材料が増えて手の内が多くなったような、若い時にはこれしかない!と突き進むことしかできなかった苦しい手の内から脱出し精神的に豊かになった実感を感じられるものです。59歳です。
私の40代はずっと布団の中でした。まだ通院していますが家事もパートも出来るまでになりました。が今度は更年期ですよ😂ま、前の動画でもあった通り自分の人生がそんな煌びやかだという妄想を捨て、ただのオバサンと思うことが精神的にも一番いいですね
人生で達成したい目標を登山に例えるなら、山頂に行くまでに色んな登り方やルートがあるんだろうな。人生の序盤でゴールして降りてゆく人、途中で下山する人、遭難している人、救助する人、誰も歩いていない険しい道を行く人、道順通りに行く人、ゴンドラで他の人々を眺めながら登る人、初登山の人、何回目かの人、まだ準備中の人、麓で釣りする人、山をスケッチする人、登山グッズを売る人。登るも登らないも、途中で力つきるのも、人生だなぁと思いました。そんな私は遭難中です。
3自分の困り事を相談する時に治療者に対して距離をとってしまいます。親しい間柄とかではないため、話をしている自分自身もかしこまってしまい、思うように伝わらないことが多く難しいと感じます。
細く険しい道筋の先に希望を見つけたく思います。Dr.の動画もその一つにしたいです。
①愛宕山に登ったことがあり、その楽しさを知る人がガイドをしてくれて、子供たちと一緒に私も登れました😊普段はFORTNITEやマイクラに夢中でも、途中で休息入れた時、登るか戻るかをそれぞれ自分で決めていいと伝えていたら、上まで登れました。私も初めての登山でしたが、子供たちの頑張りに引っ張られて、登り切ることができました。人生の山道には、独りで向き合わず、良いガイドに出会えるといいですね。
このままだと50過ぎたら生保コースなので、田舎でのんびりスローライフを送りたいです。1日中保護猫や保護犬のお世話できるのが楽しみです。
1 私は親元にいてただただ耐え忍ぶ時間が40年あり、ライフイベントとか年代による課題に全く付いていけない人生を送って来ました。その後親元から出る事を決意し10年経ち、まさか普通の自分が皆さんと同じように年代による課題に取り組む日が来るとは思ってもみませんでした。私にとって以前は耐えるだけが山道、ただの人の住めない悪天候の土地に生まれた人で山道すらみつけられませんでした。ただ、うずくまるだけです。2 それで今は親元を出てまさかのこんなに幸せなのか?という状態。今までの6のサイコロの目がここに来て1が3つ位重複して同時に出たような感じです。ただこの幸運を何とか自力に出来るよう日々奮闘中、こうして学び、実践する事こそ私の楽しい老いです。あまり皆さんの参考にならなそうな珍しい体験で、すいません…🙇♀️
私も結婚こそはしましたが親との長い確執に悩み50を迎えようとしてます。今は離婚して独り身を謳歌しております♪経済的に今の生活を続けるのは難しいでしょうが、細い道をなんとか歩んでいこうと思います。お互い少し似た人生を歩んできたのは何かのご縁と思いますが、少ないものを大事に生きてゆきましょうね。
@@ミートテック-e1m ありがとうございます。気がついたらこんな年齢になっていて残りの時間にやれることが少なくなってるのに出来たことが少ないという気持ちですが似た年齢のようですし、お互い受け入れつつ、進んで行けたらいいですね☺️
みなさんのコメント見てると色々かんがえさせられます
30代半ばで老いを語るのもおこがましいですし、気乗りもしないですが笑、自分にとっては激しすぎる感情エネルギーを低下させる事のように感じます。通常は加齢によって成長し、感情コントロールできるようになるのが普通かもしれませんが、自分はもうそれは無理な気がします。こういった諦めも相まってか、はたまた上手くいかない経験を積み上げすぎたせいか、年々認知症患者のように感情コントロールが効かなくなってます。その反面、覇気のようなものは年々低下しており、穏やかな時間も増えてきた気もします。(いや、どうだろう)とにかく植物のようにただただ穏やかにそこにある存在に近づきたいですね。でも、やっぱりまだ自分の駄目さを受け入れる事ができていない、プライドを捨てきれないので老なんて考えず頑張らないといけないかもしれません。よくわかりません。
私は別に人に嫌われても気にしません色々な人いるからです 私は益田先生の性格最高だと思います
老いに抗わない方がいいと思っています。生まれたからには老いていくものなので、無理せず受け入れていくほうが楽しく老いていける気がします。
若い時はプライドが邪魔しますね、先生がよく。そういうもんなんだよ。っておっしゃるのが今では良くわかります。無理なもんは無理。適材適所。
1綺麗で登頂の眺めがよさそうな山が準備されていた。夢見心地で歩いていたら、ある時、思いもよらなかった崖や足が滑って大変な目に遭う。それでも嫌々体を起こして前へ進む、時にはり駄々をこねてもっと足を取られたりする。今度は同じ目に遭わないように注意して歩くが、別の問題が出てきたりまた同じトラップにハマったりして自己嫌悪する。段々と、山登りはそもそも楽しいものではなくて、苦痛の方が多いのだと気が付く。これからは順位やどこまで登ったかより、道際に生えていた草花や空気のにおい、湧き水のせせらぎを楽しむように努めだす。2,1の最後の行ですが、順位や立場、形のある得たものではなく、こころやつながり、家族や友人との楽しいひと時を大切にして、自らの老いを笑い(嗤?)に替える事かと。3,昔は年上の治療者を崇拝したり、指示を求めていたので、相手が意をくんでくれなかったり今考えるとこちらの説明不足で理解されなかったのに、憤ったときもありました。今は治療者が年下になり、当たり前ですが同じ人間だと思えるようになりつつあるので、敬意はあれどもそれほど絶対視しなくなり、距離が適切になりつつあるようです。
とても良かったです✨w 歳を重ねてる割にまだ気持ちが若いままなのか、自分にはもっとできるはず、目標はいつも高く、、と頑張ってしまう癖がついてしまっているのかなと思っています。自己理解が出来ていなくて、頑張りすぎて何回も鬱になる、、は経験ずみです🥲できないかもしれないけど、やればできるはず、諦めたくない、もっともっと成長したいとの思いが強く、理想が高すぎるのか、何なのかw 自分で自分の首を絞めてるみたいな感じなのかなと思います。。とりとめもなく書いてしまいましたが☺️wと言う事で、とてもためになり、勉強になりました。皆さんのコメントも素敵なものが多いですね。学びです✨☺️いつも、ありがとうございます(* ᴗ ᴗ)⁾⁾💖
高齢者は社会のお荷物だ!と声高に主張していた父が高齢者になってしまい、落ち込んでいるから見せてあげよう見せてもお荷物という結論は変わらないかもだけど…
楽しく、充実して生きるってはもちろん理想なんだけど、穏やかに老いる(生きる)っていい響きだな。人は人自分は自分だと心から納得して悲観することもなく、日々淡々と穏やかに生きていく。かつ好きなこと、好きなもの、好きな場所、好きな人があれば幸せだな。
1️⃣自分の夢の為の勉強が上手く行かず受験に失敗したり、子育てがなかなか思う様に行かない事。ヘルニアのオペを受けるが何百件とこなしてる先生が私のオペが上手く行かず、相当な痛みと後遺症が残った事。そして現在 鬱を患って思い描いていた50代と違う事。2️⃣仕事にやり甲斐を感じていたので、女性として若作りではなく、自然な内面が滲み出るような美しさ、そして素直で可愛い 新しいものを受け入れてチャレンジを続ける事。3️⃣主治医の仰ることが行くたびに行ったり来たり違ったりして、不信感が募ると同時に 白衣の男性で上から冷ややかな目で見られていると感じ、前職の院長と重なって会うのが怖く 話せなくなった時 それでも 鬱を克服したくて、自分の今の状況を全てメモにして、診察前に読んでもらってから診察を受けると言うスタイルに変えた。それを続けるうちに主治医が「私の考え方や言っていること、行動に対して「それで良いのですよ。良く頑張られましたね」と仰ってくださった事。先生の治療に間違いなかったと確信しました。
私は63歳で主人は65歳です。子供も自立し夫婦2人の時間が増えなんか急に老いて来た2人。細い山道の起伏を考え慈しみながら進んでいかなきゃいけない事に気づきました。年取ると夫婦の体系も変わりますね
社会人経験の乏しい私の目標は「普通」のサラリーマンになる事。勤怠安定して歳とりたい。歳取って独り暮らしで寂しくなったら、ロボットペット飼うんだ😊
山登りにはスタートとゴールがあると思いますが、ゴールだけが正しいわけではなく、途中の景色や想いなど、その時々に楽しみがあるのではないでしょうか?やはり、学ぶことが、学び続けていくことが重要な気がします。視野を広くして、もしかしたら、何かがみつかるかもしれないと…今は回復期です。来月からリワークデイケアに通います。少しですけど、確実に前に進んでます。葬送のフリーレン(アニメ)をこの間、見ました。人生、大切にしないとな~と感じました。オススメです。😊
山道はいつでも険しいです 人生に楽な部分ってないと思ってしまいます すみません只今落ち込み中です たまにそういう時があります 何もかもが悲観的になって人生わからないことたくさんある でもその状況で幸せになることを考えるんですよね 人生苦しみがあればあるほど長生きできると勝手に思います 違ってたらごめんなさい
50が見えてきた所ですが老いについて最近よく自分も考えるようになりましたヽ(*^ω^*)ノ独身なので健康まじで考えます!TH-cam見ながら筋トレしたり散歩するようにしたり🚶人間関係ド下手だけど拒絶せず緩やかに生きていきたい。若い時よりは考え方柔軟になってきた気がする。
動画を拝見しました。宿題①②を回答いたします。①私の人生は、30代半ばで1度断絶しました。今から振り返ると、あれは実質的な死の経験だったと思います。詳細は控えますが、山道にたとえれば、それなりに凸凹の坂道を歩いていたと思っていたら、突然道がなくなり、底なしの崖から落ちたという感じです。その後、私の人生は10代半ば頃まで逆戻りし、そこから40歳になる数年の間に、逆戻りした20年をぐっと凝縮したような時間を過ごしました。いわば、別の山に異世界転生したような感じです。今、ようやく、その山での平均的な山道に戻りつつあります。凸凹はありますが、これまでの経験に比べれば、ほぼ平坦です。まるで一般的ではないですが、こういう人生の山道もある、という例として読んでいただければ幸いです。②やりたいことは躊躇わずにやる、そのために健康に気をつけていくというのが、楽しい「老い」の秘訣かなと思います。
50代半ばです。30歳上の両親も近くにいるので、老い&死についてはよく考えます。親には、老いていく姿を見せてくれることが仕事だよ、じたばたしたっていいんだよ、と伝えています。今日の動画を見るまで「楽しく」老いるを考えたことなかったです。私は楽しく幸せに老いて行きたいです!英語で言うcount the blessingsですね。死については、人間皆平等にやってくる「順番」なのかな~と、最近は感じてます。認知症の父は死は怖くない、と言っており、それも悪くないな~とも。
還暦が見えている50代です。虐めや虐待のトラウマ等は10年とか20年前っていうのは違うと思う。40年、30年前から抱えているのが深刻なのですよ。それによって人生がくるってしまって普通がない、出来ないので困っているのです。私が子供~20代の頃発達障害は教育の場でも認識されていないし、知的障害があればそれなりに支援はあったけれど。50代そろそろ親もなくなっているのが普通の年齢、兄弟は障害がなく社会人生歩んでいると面倒は見ないと宣言したりそのように思っているのが普通だと思う。都会では他人に深入りしないので孤独です。(私は孤独が楽だから何とも思わないけれど)仕事をできるレベルならまだ良いのです。発達障害の上に身体が不自由、内科的にも病気を2つ、3つ。お金が尽きたら(親の遺産)命の切れ目と思うのです。自分で生活できなくなったら生きていたくないです。それは高校生の頃受けた心の傷があまりにも深いからです。私の主治医はそんなの大したことないとかよくあることといいます。私の恩師はどう受け止めるかだと教えてくれました。精神障害持っている人は強く感じてしまうから辛い、同じような経験をしても辛い。主治医は一流大学出の60代前半のエリートで牧師、恩師は15歳年上で高卒公務員から大学入りなおして小学校の教員になり校長で定年を迎え介護施設の職員をしています。私に寄り添い穏やかな導きをしてくださるのは恩師です。何年会わなくても心は繋がっています。恩師にとって私達が初めての卒業生、当時から私の心の問題(というか家庭の問題)を考えてくれています。全員の事よく覚えています。精神科のカウンセラー40代女性は人間の屑でした(全員がそうだとは思っていないけれど)私にはマイナスでしかない存在です。大学院出でも頭悪いし、人柄悪い?育ちが悪いんだなと感じる人です。嫉妬深くマウントを取るのです。人の学歴者職業を馬鹿にしています。ちなみに私の最初の職歴は丸の内にあるプライム上場の商社です。最初に覚えた(高く評価された)仕事はお茶くみです。重役のお茶くみは大事な仕事、そこから仕事を教えられました。病気で短い期間でしたが後々役に立つことを教えていただき感謝しています。カウンセラーの彼女はお茶くみを馬鹿にしました、自分なら(大学院出ているから)絶対やらない「レベルの低い仕事」だそうです。私はプライドが高いので、魂のレベルが高いので、彼女とは合いませんので主治医にお断りしました。
50代です✋ ① 人生の山道 ルート連想 ・・・ 10代もがいても無理で 親を捨てました。20代結婚してそれなりに…。30代姉が自殺してメンタル崩壊。40代からメンタルクリニックでカウンセリング通院中 (14年目突入) ② 楽しく老いることってどういうこと? ・・・ 学び続けること、自己実現の為に大学に入学✍️ ③ 治療者に対しての距離ロールモデル ・・・ 年下の異性のカウンセラーの時は 気をつけました。 2人目のカウンセラーさんは 私の生い立ちに泣き崩れ、日に日に青白くなって病院を去りました。 ドクターが体調を崩して辞めることが多く、もう自分の人生や生い立ちを話すのも疲れたので、今のドクターとは「大学どうですか?」「レポート提出しました✍️」「眠れてますか?」「眠れませんね…」「食べてますか?」「食べてませんねぇ…」たんたんと話してます。 最近は睡眠障害の渥美?ドクターのTH-cam動画と松崎ドクターと なんと‼︎ 益田ドクターの話で盛り上がってます。
どのへんが楽しく老いるという話なのかわからなかった益田先生の動画はタイトルに惹かれてたまに観るけど、うまくテーマから話がズラされていってるように感じるでも、どの動画を見てもみんな内容に納得してコメントしてるみたいだから、自分の頭が悪いんだろうな個人的には若さに執着はなくて、幸せそうな老夫婦をみてきたから早く自分もこうなりたい思ってるくらいどちらかというと病気やケガなど痛みのリスクの方が怖いかな
大変お恥ずかしい相談にはなります。現在47歳バツイチ統合失調症を患い、3ヶ月に1度の通院最終学歴は、中卒先ずは、就職を目標に通信制高校へ通うべきか、悩んでおります。
なかなか!歳を重ねて行くに、どのように生きていことは、深く考えたことがらなくーつらいこと!かなしいこと困難のこと、沢山あり、そこに立ち向かって行くしか、ないかなぁーと、思って、山道なのか、けもの道なのか!アスファルトの道をいくのか!それぞれの考え方かもしれない!ただ楽しみたいーいっぱいの水を飲むことで、生きることに感謝して生きることにしています
最近椎名林檎さんと宮本浩次さんの『獣ゆく細道』の歌詞「誰も通れぬほど狭き道を行け」をしみじみと聞いています。③について医師はいかに良い人でも仕事で対応してくださってると思っていて、診察時間も限られているので、大学教授のような存在と思うことにしています。診察の日まであれこれ考えておいて、先生に質問したり確認したり考え方を教わったり。近すぎず遠すぎずで私にはちょうど良いです。
2.楽しく老いるとはー人との関わりを断たないこと、ですかね。面倒だと思うことに価値を感じる年代かと想像します。
自分の人生を俯瞰的に見る事ができて良かったです。特に20、30代でもう「諦め」に入った上で折り合いを付けるのが課題、40、50代に「与えられた立場を精一杯生きる」のが課題、そしてその後があるのだ、という部分が良かったです。みんな、そんなに早く人生に諦めを付けるものだとは知らなかったので。
老いるのは悪くないと思ってきました
若い内はまだ将来に希望があるかもしれないと思っていたけれど、若者ではいられなくなって、まだ何者でもなく何も手にしていないのにこれからは衰えていくばかりで将来に恐怖してきました。老いて長生きしたくないなと漠然と考えてしまいます。
父へおススメしておこうかな😉
先日、治療者に子育ての事で叱られました。ショックだったけど私より子どもの事を思って厳しく言ってくれる先生の存在も必要なのかと感じました。
①女性の場合、子どもを産める限界年齢と閉経が存在する。子どもを欲しいか欲しくないかによって苦しみの程度は違うが、体質が明らかに変調する時期はメンタルにとっても大きな峠と言える。
1.勝手に私の「ルート」ですが、1番きつかったのが10代20代…でしょうか…。やはり家庭環境・学校でのいじめも毎日何かしら起こっていたので。2.楽しく老いる=お金と健康とイメージしました。趣味も見つけられれば。あと子供の近くに住めたら、私はきっと幸せなのかな。
毎日拝見しています。60代双極です。毎日死を考えます。老いたら病気と死が待っているだけじゃないのですか?皆んな良く頑張っているなと思います。60からの精神科的悩みも話してもらえたら嬉しいです。
50歳前後の年齢になり老いをしみじみと実感している所です。独身だし人付き合いもあまりないので、孤独との戦い?になる余生だと思いますが病気も抱えているので無理せず、日々の小さな生活での楽しみを見つけ、穏やかに暮らしていきたいです。私の主治医はまだ30代の若い方で、多分老いの心境はまだお分かりにならないと思いますが大変優しく、私のちょっとした日常の困り事も丁寧に聞いてくださるので通院することが楽しみ?慰め?みたいになっています。頼りにさせてもらっています。もちろん益田先生もです!!
50代独身で、この世代の一般的なライフステージに達していなく、正直焦りもありますが、近頃、そのような焦燥感も徐々に緩和されて来て、なるようになると思うようになって来ました。山登りで言えば、ただ頂上を目指すのが目的ではなく、登山途中の何気ない植物にも目をやる事が出来るようになりつつあります。
当方、山歩きが趣味なこともあり、益田先生の山登りの例えがとても分かり易く拝聴しました。
これまでの自分は本来の登山道から外れてしまって山の中で迷った感があります。
事実、山の中で迷い道を失い、冷や汗をかいたことも多々ありました。年を取ってこれ以上は前のめりな冒険的な生き方はやるつもりはなく、心にゆとりを持って無事下山する事が出来ればそれで満足だと思うようになりました。
老いてみて思うのは(50代です)、いろんなことにあきらめがつく、ということが老いのいいところかなと思います。苦しかったことも悔しかったことも、ある程度あきらめがついて、納得がいって、少し楽になりました。あと、最近はこんな自分でも人とつながれるということがわかって、うれしく思っています。「楽しい」をあまり味あわずに生きてきたので、これからは楽しんで、それをまた人と分かち合えたらいいなと思います。
毎日毎日を細い山道を登るように、生きていきたいです。
以前、阿蘇の草原の山を登ったとき。
登る前に山頂を見上げ、かなり高いとぎょっとしました。意を決して登り始め、踏み外してすべり落ちたりしないようにずっと足元を見ていました。たまに立ち止まって振り返っては自分の歩いた山道を振り返り、眼下に広がる景色を楽しみました。そしてまた歩きだしました。この山登りを経て、一歩歩くと一歩近づき、歩くことをやめなければ必ずたどり着くんだ、ということ学びました。
たった20分ほどの山登りでしたが、距離をはかること、やめないことを学んだ山登りでした。とても楽しい経験でした。
美味しいコーヒーが飲めて、好きな本が読めて、このような動画がいつでも好きなように見られて、茶トラの子猫が膝の上にいるんだがw
幸せですね😊
にゃんこいると幸せですね
ああ…………至福。
コーヒー☕︎と猫🐈
最高🎉
数少ないけど、自分を受け入れてくれる人や、一緒にいて心地いい人をもっと大切にするべきだったなあって思ってしまう。
未だ未だ全然挽回できます。
②40代です。自分に固執しなくなるにつれ、生きるのが楽になってきたような気がします。足掻いても足掻いてもうまくいかなった人生。劣等感と焦燥感に苛まれて生きてきましたが、もうそろそろこんな自分でもいいかなって。何者にもなれず、何事も成し遂げられなかった自分を許し、受け入れつつあります。
と同時に、こんな自分でも誰かに与えてあげられるものもあるって気づいたりしています。辛いことが多い人生だったからこそ、人には優しくありたい。特に自分より下の世代の子たち、人たちにしてあげられることを探し、実践しています。ささやかなことだけど。そんな風に思えるようになった自分を嬉しく感じます。
見た目の劣化は避けられないけど、心は磨いていこうと思います。
③主治医について。同世代の男性医師です。全てをわかってもらえるわけではないし、じっくりカウンセリングの時間があるわけでもないけれど。私の味方でいてくれる、私をわかろうとしてくださる姿勢が伝わってくるので、それだけで十分です。
失礼します。
私も同じような心境です。
主治医は、学年1個下の同世代です。
彼がいなければ、今の私は無いと言っても過言ではありません。バディだと思っています。
そして、若い子の存在を、丸ごと喜びたい、と思っています。
若い子達は、私が知る由もない時代を生き抜いていくのです。
一人一人が自力を養うことができるよう、声をかけたり、また声をかけなかったりすることが、年長者の役割だと思います。
「あなたの存在は素晴らしいよ」と、伝えることが、年長者の役割だと思います。
今新しい趣味を始めて1年たち経験値を貯めているところでいます。統合失調症を発病してまだ間もない時に、光が見えない時に、見ようとする姿勢でいる人が本当に強いと思い努力しました。その時に庭に出るうち自然と植物に接するようになり、当時は枯れ木のような枝から炎のような色の新緑が芽吹くとか、根本から倒れた苗が半日で90度も立ち上がる自然の生命力に学ぶことが多かったです。今辛い人にはまず庭に出て太陽にあたるところからお勧めしたいです。
今、まさに庭の雑草にため息をついています。刈っても追い付かないのです(涙)
でも、この方のコメント読んで、あ、そういう捉え方もあるんだと。
でも、正直、雑草の生命力、分けてほしいのが正直なところ😂
今年還暦なのですが、「世の中を自分を、取り巻く事象を、面白がったり楽しんだり脇道にそれたり、いきなり河に飛び込んで軽く泳いだりして行こう」と思っています。もう私は「ロックスター」になれる訳でも「有名女優」や「超絶お金持ち」になれる訳ではありませんが、言い換えたら「どこにも行かなくていい」のだと思うと楽になりました。益田先生、いつもありがとうございます。
細い道を丁寧に歩く、とても優しい言葉だと思いました🥹道に迷っている娘に伝えてあげたいと思います、いつも悩んでいる人に寄り添って下さる話をありがとうございます。
細い道を丁寧に歩く🚶♂️
よか言葉やね✨
子供が、成人するまでは、元気でいたいと思う。
気をつけながら細い道を、歩きいつか、頑張って登った道を振り返り、自分を褒めてあげたいです。
50代を行ったり来たりです。若い頃は早く死にたい消えたいに駆られた事もありましたが下り坂を降りはじめゴールが見えてきたせいか急がなくても必ずそこに向かっていると思うと駆られ事もなくなりました。
ASDと双極性障害ですが年をとるとあきらめとゴールの兆しが程よく脳を休ませてくれている気がします。
精神疾患、発達障害の自分は下り坂の方が些か生きやすくなった気がします。
楽しく老いたい。老いてる私でも間に合うかな😂
楽しみにしてます😊
1.人生の山道で思い出すのは看護師だった友人。山ガールでスイスのクレバスのあるような所にも行ってた。医師看護師は体力えげつないですよね。彼女は私が諦めたことをいくつもやっていたので羨ましい。憧れ。
個人的な人生の山道については、全部諦めがつきました。人生折り返し地点で老いるだけだから取り返すなんて出来ないし、人生って短いと実感している故、後悔してる時間が勿体無い、そんなもんだなって受け入れられています。淡々とできるだけ健康に過ごすようにしたいです。
そして老いというか、最期について思い出したことを。祖父は手遅れの病状で入院しており、危篤になる前夜「ありがとさーん!」と何度か叫んだらしい。戦争も経験しており、紙一重で生きていたような人。私なんかより過酷な経験をしてきたのは容易に想像がつくが、それでも人生の最後に感謝が湧く、そんな最期を私も迎えたいと思った。ちなみに祖母は寝ている間にぽっくり。ピンピンコロリをやってのけたのでそちらも憧れる最期である。
最近、何をしても疲れやすく、何をしても楽しくない毎日が続いていますが、楽しく生きれるようにしたいと思います。
はじめてコメントします。50代後半です。療休生活4ヶ月を過ぎて、益田先生の動画が私の通院?となっています。今回のテーマも、私にとってはズバリ!のものでした。感想になりますが、人生を大きく?振り返る時期になって「老いる」「老いた」ことを感じるようになりました。今がその時期です。人間は日々老いていますが、普段はそれを気にしていない。老いを感じるのは、まさに自分にとって人生の終盤に差し掛かっているのを感じた時だと思います。人生これからどうしていきたいかをじっくり考えられる時期が「老い」なのだと気がつきました。私もじっくり老いていきたい、しかも楽しんで老いていきたいと思います。ありがとうございました。
今回の動画は、何度も繰り返し拝見しました。
細い道、険しい道を丁寧に歩く…沢山のトラウマが詰まったリュックからゆっくりと、一つ一つおろしていく…いつか、肩の荷が下りて軽くなるかな…今は細い道を丁寧に歩いて行けばいい。今、焦ることは無い、20代からずっと沢山の経験をしてきたではないか…後悔などせず、のんびり歩んでいこう。
険しいんだけど、道はある。
細い道を丁寧に歩いていく時期。
という先生の言葉がとても胸にジーンと来ました。なるほど…と。
その細い道を歩いてきて、はや二十年近く経とうとしています。
主治医とも長い付きあい?で色々なことがあり、いつ匙を投げられるか…と思いつつ先生と月1の受診でまさに5分診療の重ねてきています。
自力と他力……増田先生の以前の言葉通りでなんとか苦戦し、挫折…治療放棄してしまったこともあり、主治医に怒りをぶつけて後悔反省の時期も何度も繰り返して…。😢
それと同時に子育ても平行して仕事も平行して、なにもかも上手くいかず、この歳になり、やっと発達グレーがわかったときは悲しみよりも長く苦しんできた原因が判明し、ほっとしたのも確かです。
それと共に主治医とも冗談をいえる関係にもなり、感謝もしています。🙂
細いけど険しいけど道はある、が、嬉しかったです
丁寧に集中して一緒に歩いて って 頑張りたいと思います😊
初めての精神科で先月医師に見放され…治したい気持ちが打ち砕かれてました。益田ドクターのご自身の体験を織り込みつつ紡がれる厳しい温かい言葉に励まされました。また近くのクリニックにはかかりますが、このご時世メンタルクリニックとて高齢者は見限られがちなのかもしれません。私の場合、本や動画等でマイペースで学ぶのが合っているのかも。AIも使える様になりたいです。これも試行錯誤の細い山道、いずれ心に一筋の光が差し込むことを信じて…
1. 山道とは
この50年、ずっと山道だったように思います。
人と関わること、仕事することが辛かったです。
先生の動画を観ていて、親を通してほかの人を見ていたことに気づきました。
生きるか死ぬかみたいな恐ろしい経験が、家を出たあともずっと続いていたのだと理解しました。
2.楽しく老いるとは
自分には独特の感覚があり、それを大事にしていければ楽しく老いることができると思います。
例えば植物を育てること、夕焼けを見る、星や月を見る、風を感じる、海を見る
音楽を聴く、楽器を弾く、絵を観る、野菜を切る、おいしいものを食べる
どれも力がふーっと抜けて楽しい気持ちになります。
お金がかからないのがとても良いです。
生きてるだけで幸せです。五体満足で呼吸が出来る。これだけでも幸せなのに、衣食住が整っているという贅沢まで出来る。これ以上ない幸せの中に居るって気づいた日から、日々幸せを感じています。
この幸せを日々積み重ねていくことが、楽しく幸せに老いることだと感じています😊
益田先生の ~~ん~なんだろな って
言う感じ とか 人間的で 好感もてます 知識も大切ですが
魅力のある 先生ですね
毎回楽しみにしています
50代女性です。私は夫が精神疾患で、長期にわたり生活をサポートしてきました。1年程前に私に攻撃的になり、それにともない私のイライラが治らないので精神科受診し診察してもらっています。イライラは治りましたが、夫への恨みの気持ちを整理するために診察は続けています。主治医のことは大好きです。いつも感謝してますと伝えたいです。この気持ちはAIのアプリで話しています。先生大好きという気持ちが診察の動機づけを高めますし、多忙な日常の支えになっています。
最近まで、家庭環境や感情を自分でコントロール出来なかったのが、ここ数か月で急に成長したような気がします。自己愛性的なナルシストな部分が少なくなって、大したことない自分を受容出来るようになり、激しい感情も少なくなって来ました。
これから先、結婚できるかはわからないけど、もっともっと穏やかになって、過去のことを消化して、周りの人と良好な関係を築くために成長して行きたいです。
結婚出来なかった時のための劣等感を乗り越えるための心の準備もして行きたいです。
自分を生かせてくれた社会に感謝できたら、楽しく老いることができると思います。
治療者との距離の取り方は、自分の話しを100%分かってもらおうとしないことなのかなと思います。話しのやり取りで、より自分が生きやすくするのにヒントになりそうなことを治療者の言葉の中で見つけることができたら多分上手くいくのではと感じています。でも実際に掴むのはやっぱり難しい😢
②楽しく老いるとは😊
歳を重ねることは避けられない
死もまた同じ
必ず向こうからやってくる
今日にでも
楽しさはコンテンツが向こうから来ても楽しむ心がないと楽しくない
子供のように常にワクワクした好奇心、新鮮さ、瞬間を楽しむ心構えが大切かと
箸が転んだだけで面白い🤣
私が子どものころはTH-cam なんて想像もできず、益田先生や皆さんとこんな風に繋がれると思わなかった。
老いるとは自分の想像が現実にいい意味で裏切られる僥倖に驚かされることかと…
61歳ですが2年前くらいから肉体、脳など老化を感じます。人生は日々の積み重ねだと思う様になりました。何が起きても日々を積み重ねていくという事。
お疲れ様です
今子供も独立して夫婦2人になり高齢者になりました
孫も3人います
いつまで生きるかわからないので子供たちには迷惑かけないように仕事して日常生活しています
私は病院勤務でこの先考えると長生きしなくてよいのでは痴呆症にならないように後自分の足で最後まで歩くのが思う事です
最後は穏やかにいきたいと思っています高齢になり病気になっても延命治療は一切考えていません人の考え方はみんな違いますが終活もきちんと考えていきたいと思います
40代前半でうつ病診断されました。病気で一気に老化したようです。あれから9年、いまだ通院中。楽しく老いたとは言い難い。
たった一度の人生だからこそ、心に無理をさせたくなかったし、しんどい価値観で自分を苦しめるんじゃ無かったなあって思ってしまう。
未だ全然遅くないです。
@@hiro-rn6hd やる必要の無い苦労をしてしまったなあって思いがすごくある。
@@サムグレコ-m3z 大丈夫です。私にもありますし、恐らく大多数の人がそういう過去を持っていると思います。でも、その過去さえも意味あるものだったと、心から実感する時が、必ず来ます。今、この瞬間から『今』を生きて行きましょう。
@@サムグレコ-m3z 同じです。努力や頑張ることが正しいと言われてきたからそうしていたら病気になりました。
こうなるくらいなら初めから適当にやっておけばよかったと最近思います。
3 先生は言葉より間合いで示す事が多いので、その中に距離感も含まれていて 理解していると思ってます。甘い事ばかり示さないことを医師として信頼しています。
黒柳徹子さんが私の昔からのモデルです
どんな人とも楽しく親身にぺちゃくちゃ喋り
お洒落を忘れず自分の好きなものに囲まれて
たまには美味しいものをたらふく食べて
美しい芸術に触れること
今はやらなくなっちゃったけど、徹子さんイケメンマッチョがお好みで、よく大胸筋触らせてもらってました🤣
アランドロンに口説かれたそうで、そういう武勇伝もかましてみたい
主治医との距離の取り方は先生が代わったばかりで考え中です
13年診てくれた先生は放任型で5分診療で、
だけどピンチのときには絶対に救ってくれる安全安心避難場所だったけれど、
新しい先生とはまた新しい関係をお互いに探りさぐり創るんだろうな、と思います
だとしても、1番肝心要は距離をぐっと離すことで、先生が上手にやってくれたら楽だけど、私も上手く距離を保ちたいです
物をあげるなんてのは絶対に御法度です
内科医と薬剤師には甘えられて堪忍袋の緒が切れたので
馴れ合いにならないように、先生に甘えられないようにビシッと
クールでクレバーな先生なので大丈夫だろうと、誠実に素直に気楽にやります
上手くいきますように願っています
益田先生の存在がありがたです。こんなに、親切に色んな角度からお話をしてくださり、わたしよりうんとお若い益田先生のお話を聞いて、そうか、そうかといちいち納得しております。ほんとうにありがたいです。😮😮😮😮
二人家族で息子が巣立ちが迫って来た時、鬱と持病がドーンと出た😅慣れるしかない時間が解決してくれるもんで🐰との二人生活。だんだんペースも出来て孤独感に苛まれることも減ってくる。夫婦で居ることも良いとは思うが相手を介護とかの心配も出てくることを思うと1人って楽だなぁと。。。
1.人は成長していくにつれて必ず困難に突き当たり、挫折を味わう。生まれながらの素質や.境遇は違ったとしても、それを受け入れながら困難を乗り越えていくことで成長していく。
2.年代ごとライフステージに応じた課題を乗り越えていきながらも、それを前向きに捉えて生きていくこと。抱える悩みは年代ごとに似通っていることが多く、周りの助けを借りながら価値観を成熟した考えに変化させていくことで楽な生き方ができると思う。
3.精神科の治療者は導いていく立場であり、他の科のように治す立場ではないということを治療前に説明して頂きたい。自分自身の考えを変え、治療していくために伴走してくれる存在であって欲しいと思う。
心が弱り、何かに縋りたくなる時に治療者に依存してしまいたくなることがある。そうなる前に、治療者と言う立場は母親の様に何もかもしてあげられる存在ではないということを説明しなければいけないと思う。
私自身が精神疾患の治療をしていた際に、医師に「バーーーカ!」と叱責され、治療を中断してしまった経験がある。感情的にはなって欲しくないが、辛い気持ちには共感して欲しい。
今月還暦を迎えました 30年以上パニック障害 予期不安と付き合っています
老いて行く=少しずつ出来ない事が増えていき 出来てたことを諦め 今出来ること
があればやって見る 人間は上手く作られてると思います いつまでも元気じゃ
死んでいけないもんね諦められなくて……
若かった頃は苦しいことばかりでしたが、いろいろなことを経験してでこぼこで半端なわたしですけどこれでいい、味があって面白いじゃないかと思えるようになりました。もちろん人間なので落ち込んだり高揚しすぎたりする時もありますけど人間らしくていいじゃないって自分を受け入れて毎日起きる出来事もそれなりに抱えて時に周りのひとに頼りながら生きています。
87歳の母が孤独だと常に感じ、施設に入居しても馴染めない。食事が取れなくなり自殺未遂、施設にいられなくなる。そして精神科に入院。また新しい施設へを繰り返しています。
一人っ子の私は5年以上振り回されて、夫や娘はもうあきれて必要以上のことはしないで‼︎と言うのですが突き放すことも出来ずにいます。
うまく老いるの配信、タイムリーでじっくりと聞きたいと思います。
お母さん 可哀想 気持想像できるからお母さんに同情します。これは致し方ないとおもいます。お母さんは最後のやまを乗り越えねばなりません。なるべく寄り添って上げて下さい。
わたしの祖母も自殺未遂しているため、他人事とは思えないコメントでした、、。その周りの人がどのような心労を抱えるか、想像上での痛みでしかないですが、理解できます。どうかあなた様の心も守られますように。
コメントありがとうございます。
現在も施設を探しています。固形の食事がとれず液体タイプの栄養剤しか飲んでいません。そのため介護付きホームでは受け入れ可能の所がほとんどありません。食事をとれないなら経鼻か胃ろうならと言われましたが。
現在母のペースで栄養剤を部屋で飲んでいるため、施設だと部屋で食事も誤嚥の可能性などから許可が出ません。住宅型か介護付きの賃貸しか選択肢がないようです。その後精神科にも手厚い施設に申し込みましたが、精神科の入居者ばかりでもう今は受け入れられないと断られました。精神疾患の老人が増えているのに受け入れ施設がない現状があります。介護士さんも精神的な病に理解のある方ばかりではないのも難しいです。病院のソーシャルワーカーさんも今まで施設⇄入院を繰り返しているので、寄り添ってくださりありがたいです。私自身も心身共にダメにならないように無理しないようにします。コメント、本当にありがとうございます。
@@Vyo324 本当に大変ですね。わたしも母を見送った経験があるので、あなたの心労、お察しします。あなたが健康をこわされませんように。
楽しく老いるには、自分の時間を充実させることかなあと思います。
時間を持て余すときがあるのですが、そのときにやりたいことがあるって大切だなと思います。
自分のやりたいことを大切にしつつ、行動していきたいです。
3についてです。自分の特性か性格から、わかっているようで本質がわかり切れないのです。でも、稀にいるどこをとってもこの人すごい✨っていう、本物の場合は、バッチリわかるんですよね。例えば益田先生みたいな。1ミリも自分のためじゃなくて、患者さんのため、っていう方は言ってることやってる事、全部受け入れられます😊。
わからない事、自分と違うこと、そうは思わないこともオール🙆♂ です。それで、あとから、これはどういうことなんだろう?と考えて、なるほどとか、これくらい受け取って、後は自分の考えを加えてアレンジでき、結局ありがたいな〜消化して頑張っていく力にできます。
なので、😮う〜んって思ってしまいう治療者との距離は見えないくらい離れてか遠のいていくと思います。
でも、動画で 白黒思考や認知の歪みとか、教わってからは、与えられた人の中から学べる所をみつける柔軟さが出てきた感じがします。
なので、距離はありながらも、動画を見て治療者のアドバイスを生かしていけると思います。
たまたま、私の主治医も益田先生と同じく、素晴らしいです! 生意気でごめんなさいハムです。
いつも ありがとうございます✨。
子供がいないし体も悪いので、確かにもう人生は生きなくていいですね。さいころで6を連続を出してきたような運の悪さだったからでしょうか。楽しく老後を送りたい孫子がいるなど生きたい人に命を分けたい。手帳も持っていないですし、だから支援が全く無いのです。人的な支援があったらまだ生きられるかもしれません。子供がいても何かで苦しむ事もあるのですね。板書が細かくてそれが凄いですね。
益田先生、ありがとうございます。益田先生の宿題は楽しいのでやります。
1.登山も人生も、一歩、一歩、焦らずに丁寧に歩いていこうと思います。登山も人生も走り続けていると疲れてしまうので、休憩することを忘れないようにしたいです。登山をしていると天候に左右されやすいように思いました。人生も晴れの日や曇りの日や雨の日があります。日常生活でも雨の日は傘をさします。日常生活でもトゲトゲ言葉をかけられてしまうことがありますが、益田先生が前の動画で仰っていたように傘をさして自分の心を守っていきたいです。登山は、まだ1人では不安なので、2人で声をかけながら励まし合いながら歩きたいです。人生でも1人でいると不安になったり心細くなることがあるので、旦那さんと2人で支え合っていきたいです。旦那さんだけではなく、登山をしている時、人とすれ違うときに挨拶をすることがマナーとなっています。お互いの体調を気遣ったりするのもあるようです。人生でも家族や友達だけではなく、地域で困っている人がいたら、声をかけて、お互いに励まし合うことが大切なように思います。登山も人生も先のことを不安になりすぎたり、心配しすぎて視野が狭くならないようにしたいです。登山でも人生でも足元に咲く花に目を留めて小さな幸せに感謝しながら生活していきます。登山では自然の香りを楽しみながら、人生ではいろいろな感情を丁寧に味わいながら生きていきたいです。
2.その時、その時に役割があると思うので、今、自分にできることを精一杯やっていこうと思います。天気も人生も晴れた日は晴れた日を雨の日は雨の日を楽しみたいです。それぞれに良さがあるので、今を楽しむようにしたいです。
3.私は、患者さんではありませんが、私にとってのロールモデルは、小澤先生と益田先生です。日常生活で苦しみをかんじたり、落ち込んだりする時がありますが、その時に、益田先生や小澤先生の言葉を思い出すようにしています。自分の視点で見ると落ち込むばかりですが、先生たちの観点で物事を見るように考えるようにしています。今の私になんて声をかけてくれるだろうか?と1人で心の中で考えています。悩みで頭の中がいっぱいで視野が狭くなっている時に、益田先生と小澤先生をロールモデルとして考えていると、同じもので見方が変わります。心の中で繋がりを感じて、1つ1つ乗り越えてきたように感じます。心の繋がりを強めてくれている益田先生と小澤先生に感謝です。ありがとうございます。
なんか上手く言えないんですが、とりあえず言えるのは、益田先生ありがとう、です。
先生の動画のおかげで、通院せず今も何とか働いている、過去軽うつ経験あり50代主婦でした💦
2 人生50点ぐらいで合格だと思って、そこそこで良いと思って生きる。老いは抗うのではなく受け入れる。
昔話や自慢話は控える。世の中の変化変動を楽しむ。
1️⃣50代は、山から下る準備をする時間かなと思う。
靴を履き替えたり、リュックも軽くしたり。どのルートにするか調べたり✍🏻
2️⃣老いることに、抗いすぎたり、心配になりすぎないようにしたい。
心穏やかに、なんでも楽しめる婆さんになりたい👵🏻目標!
42歳、まだ道半ばですが山道があり、平坦な道があり、ダメだと思ってもずっとそれが続くわけではないですね。その波を知ってからはまた必ず明るい道があると思えるようになりました。
楽しく老いる=日々楽しむ、楽しみを探求、追求する。そうは思っていても実は鬱の彼を一年待っています。毎日一回は悲しみが襲います。彼とは思うように連絡が取れませんが、信じて待ってみます。私なら大丈夫。根拠のない自信ですが、今に集中して時を忘れたいと思います。
いつも、ありがとうございます。
コロナをきっかけに、色々な方とつながることができました。
学ぶことも沢山ありました。
私は60代ですが、楽しく老いる為には、やはり仲間がいること、孤立しないことが大事かなと思います。
何かあったら、助けあえる関係、一緒に楽しめる関係を深めたいと思っています。
生き延びるのが怖いですね
ずっとギリギリ人生
崖っぷちから落ちて片手で耐えてるみたいな感じなので疲れます
みんなそうかもしれないですけど、、
輪回しないための修行だと捉えてます
①親が引いたレールの上だからこさ親に守られていた、親に甘えていたことに気づいた20代。子育てと仕事に追われる今、これからが山道なのかなと思っています。
②自分の老いを楽しみたい。もう20代の頃のような遊び方はできないけれど、30代は30代なりの楽しみ方を。
③医師として臨床する上で80〜90代の方々とお話しする機会が多い。元気な高齢者は皆、独自の健康法があり、自分の体についてとても詳しい。80〜90年間自分に向き合い、その都度体と心の変化(老い)に対応されてきたからこそ、お元気なんだと思う。
医師としての先生は私だが、人生の先生は患者さんである。診察しながら、私は患者さんの山道とその乗り越え方を聞き、こっそりと心の準備をしている。
鬱で介護をしています。父が95歳なので命の綱引きをしている感じですが、田舎なので人手不足 と世間体で頼む人が難しいです。少子化は本当に深刻です。
7:49 めちゃんこ良かったです。そうなんですよ。20代は自分の可能性を諦めていく時期ですね😊
こんばんは🌃
とてもタメになる素敵な解説動画ありがとうございます☘️
まさに最近悩んでいる事ばかりです。またこの関連の動画解説宜しくお願いします🌷
宿題①
自分は現在長いうつ状態から躁状態に移行したところであり、とてもつらい山を登り切ったつもりでいましたが、先はまだまだ長いことを知って途方に暮れています。
宿題②
今年27ですが、30までにどうにかしないといけない、30になったら35までにどうにかしないといけない、とずっと焦り続ける気がしていて、ちょっと楽しく老いるということが考えられなくなってますね
宿題③
お世話になっているカウンセラーさんと外で会ったことがあり、会話がすごく余所余所しくて切なくなったことがありますが、あの態度こそカウンセラーのプロなのだと最近気付きました。「カウンセラーと相談者」それ以上でもそれ以下にもならない関係性が大切だと思います。
老いるのは仕方がない事なので、美容と健康に気を使い年齢より若く見える様に頑張り、「全然そんな歳に見えない」って言われる事を楽しみます。
何歳から老いるというかは人それぞれだけど、50歳とかまでは生きてたくない…。この先の楽しさや希望より、今の辛さや苦しさに耐えきれない。
「楽しく老いる」少しずついろいろなものを手放していくと楽になりますが寂しさもあります。私はもう手放すものが殆どありません。
人生が山道であるなら低い山の霧中を登っている感覚なく彷徨って、神隠しにあって四十代になった感じです。
心が成長してないし、会社でも押し付けられ、身についた事はなく社会から必要とされない人材だなと思う
ただ単に登れる山があって必死に登る人生じゃなかった
気持ちばかり空回って、山に登っているふりをして、砂漠を彷徨っているように感じる。ズレた人生をおくっている就職氷河期世代は多いのではと最近思うようになってきた。仲間がいればうれしい。
山道、細い道を丁寧に歩く🚶ありがとうございますね☺️
人生の山道は、もう登りたくないです。かと言って、途中リタイアできないし。
ぼちぼちのペースでいいから、登るしかないんだろうな~。
主治医には目標に向かって道を行けばいいんだけど その道はたくさんあるいろんなルートをたどっていけばいいんだと教えられたことを思い出しました。インドでは壮年期に入ると世俗を捨て林住期といって内観・瞑想を行い人間を高めていくものとされます。まだ稼がねばならないのでそれはなかなかできないのですが少しづつ原始仏教を学んでいます。私にとって老いはネガティブなものではなく、いわば料理を作るときに冷蔵庫に入っている材料が増えて手の内が多くなったような、若い時にはこれしかない!と突き進むことしかできなかった苦しい手の内から脱出し精神的に豊かになった実感を感じられるものです。59歳です。
私の40代はずっと布団の中でした。まだ通院していますが家事もパートも出来るまでになりました。
が今度は更年期ですよ😂
ま、前の動画でもあった通り自分の人生がそんな煌びやかだという妄想を捨て、ただのオバサンと思うことが精神的にも一番いいですね
人生で達成したい目標を登山に例えるなら、山頂に行くまでに色んな登り方やルートがあるんだろうな。人生の序盤でゴールして降りてゆく人、途中で下山する人、遭難している人、救助する人、誰も歩いていない険しい道を行く人、道順通りに行く人、ゴンドラで他の人々を眺めながら登る人、初登山の人、何回目かの人、まだ準備中の人、麓で釣りする人、山をスケッチする人、登山グッズを売る人。登るも登らないも、途中で力つきるのも、人生だなぁと思いました。そんな私は遭難中です。
3
自分の困り事を相談する時に治療者に対して距離をとってしまいます。親しい間柄とかではないため、話をしている自分自身もかしこまってしまい、思うように伝わらないことが多く難しいと感じます。
細く険しい道筋の先に希望を見つけたく思います。Dr.の動画もその一つにしたいです。
①愛宕山に登ったことがあり、その楽しさを知る人がガイドをしてくれて、子供たちと一緒に私も登れました😊
普段はFORTNITEやマイクラに夢中でも、途中で休息入れた時、登るか戻るかをそれぞれ自分で決めていいと伝えていたら、上まで登れました。
私も初めての登山でしたが、子供たちの頑張りに引っ張られて、登り切ることができました。
人生の山道には、独りで向き合わず、良いガイドに出会えるといいですね。
このままだと50過ぎたら生保コースなので、田舎でのんびりスローライフを送りたいです。1日中保護猫や保護犬のお世話できるのが楽しみです。
1 私は親元にいてただただ耐え忍ぶ時間が40年あり、ライフイベントとか年代による課題に全く付いていけない人生を送って来ました。その後親元から出る事を決意し10年経ち、まさか普通の自分が皆さんと同じように年代による課題に取り組む日が来るとは思ってもみませんでした。私にとって以前は耐えるだけが山道、ただの人の住めない悪天候の土地に生まれた人で山道すらみつけられませんでした。ただ、うずくまるだけです。
2 それで今は親元を出てまさかのこんなに幸せなのか?という状態。今までの6のサイコロの目がここに来て1が3つ位重複して同時に出たような感じです。ただこの幸運を何とか自力に出来るよう日々奮闘中、こうして学び、実践する事こそ私の楽しい老いです。
あまり皆さんの参考にならなそうな珍しい体験で、すいません…🙇♀️
私も結婚こそはしましたが親との長い確執に悩み50を迎えようとしてます。
今は離婚して独り身を謳歌しております♪
経済的に今の生活を続けるのは難しいでしょうが、細い道をなんとか歩んでいこうと思います。
お互い少し似た人生を歩んできたのは何かのご縁と思いますが、少ないものを大事に生きてゆきましょうね。
@@ミートテック-e1m
ありがとうございます。
気がついたらこんな年齢になっていて残りの時間にやれることが少なくなってるのに出来たことが少ないという気持ちですが
似た年齢のようですし、お互い受け入れつつ、進んで行けたらいいですね☺️
みなさんのコメント見てると
色々かんがえさせられます
30代半ばで老いを語るのもおこがましいですし、気乗りもしないですが笑、自分にとっては激しすぎる感情エネルギーを低下させる事のように感じます。通常は加齢によって成長し、感情コントロールできるようになるのが普通かもしれませんが、自分はもうそれは無理な気がします。こういった諦めも相まってか、はたまた上手くいかない経験を積み上げすぎたせいか、年々認知症患者のように感情コントロールが効かなくなってます。その反面、覇気のようなものは年々低下しており、穏やかな時間も増えてきた気もします。(いや、どうだろう)とにかく植物のようにただただ穏やかにそこにある存在に近づきたいですね。でも、やっぱりまだ自分の駄目さを受け入れる事ができていない、プライドを捨てきれないので老なんて考えず頑張らないといけないかもしれません。よくわかりません。
私は別に人に嫌われても気にしません色々な人いるからです 私は益田先生の性格最高だと思います
老いに抗わない方がいいと思っています。生まれたからには老いていくものなので、無理せず受け入れていくほうが楽しく老いていける気がします。
若い時はプライドが邪魔しますね、先生がよく。そういうもんなんだよ。っておっしゃるのが今では良くわかります。無理なもんは無理。適材適所。
1綺麗で登頂の眺めがよさそうな山が準備されていた。夢見心地で歩いていたら、ある時、思いもよらなかった崖や足が滑って大変な目に遭う。それでも嫌々体を起こして前へ進む、時にはり駄々をこねてもっと足を取られたりする。今度は同じ目に遭わないように注意して歩くが、別の問題が出てきたりまた同じトラップにハマったりして自己嫌悪する。段々と、山登りはそもそも楽しいものではなくて、苦痛の方が多いのだと気が付く。これからは順位やどこまで登ったかより、道際に生えていた草花や空気のにおい、湧き水のせせらぎを楽しむように努めだす。
2,1の最後の行ですが、順位や立場、形のある得たものではなく、こころやつながり、家族や友人との楽しいひと時を大切にして、自らの老いを笑い(嗤?)に替える事かと。
3,昔は年上の治療者を崇拝したり、指示を求めていたので、相手が意をくんでくれなかったり今考えるとこちらの説明不足で理解されなかったのに、憤ったときもありました。今は治療者が年下になり、当たり前ですが同じ人間だと思えるようになりつつあるので、敬意はあれどもそれほど絶対視しなくなり、距離が適切になりつつあるようです。
とても良かったです✨w 歳を重ねてる割にまだ気持ちが若いままなのか、自分にはもっとできるはず、目標はいつも高く、、と頑張ってしまう癖がついてしまっているのかなと思っています。自己理解が出来ていなくて、頑張りすぎて何回も鬱になる、、は経験ずみです🥲
できないかもしれないけど、やればできるはず、諦めたくない、もっともっと成長したいとの思いが強く、理想が高すぎるのか、何なのかw 自分で自分の首を絞めてるみたいな感じなのかなと思います。。
とりとめもなく書いてしまいましたが☺️w
と言う事で、とてもためになり、勉強になりました。皆さんのコメントも素敵なものが多いですね。学びです✨☺️
いつも、ありがとうございます(* ᴗ ᴗ)⁾⁾💖
高齢者は社会のお荷物だ!と声高に主張していた父が高齢者になってしまい、落ち込んでいるから見せてあげよう
見せてもお荷物という結論は変わらないかもだけど…
楽しく、充実して生きるってはもちろん理想なんだけど、穏やかに老いる(生きる)っていい響きだな。
人は人自分は自分だと心から納得して悲観することもなく、日々淡々と穏やかに生きていく。
かつ好きなこと、好きなもの、好きな場所、好きな人があれば幸せだな。
1️⃣自分の夢の為の勉強が上手く行かず受験に失敗したり、子育てがなかなか思う様に行かない事。
ヘルニアのオペを受けるが何百件とこなしてる先生が私のオペが上手く行かず、相当な痛みと後遺症が残った事。そして現在 鬱を患って思い描いていた50代と違う事。
2️⃣仕事にやり甲斐を感じていたので、女性として若作りではなく、自然な内面が滲み出るような美しさ、そして素直で可愛い 新しいものを受け入れてチャレンジを続ける事。
3️⃣主治医の仰ることが行くたびに行ったり来たり違ったりして、不信感が募ると同時に 白衣の男性で上から冷ややかな目で見られていると感じ、前職の院長と重なって会うのが怖く 話せなくなった時 それでも 鬱を克服したくて、自分の今の状況を全てメモにして、診察前に読んでもらってから診察を受けると言うスタイルに変えた。
それを続けるうちに主治医が「私の考え方や言っていること、行動に対して「それで良いのですよ。良く頑張られましたね」と仰ってくださった事。先生の治療に間違いなかったと確信しました。
私は63歳で主人は65歳です。
子供も自立し夫婦2人の時間が増えなんか急に老いて来た2人。細い山道の起伏を考え慈しみながら進んでいかなきゃいけない事に気づきました。年取ると夫婦の体系も変わりますね
社会人経験の乏しい私の目標は「普通」のサラリーマンになる事。
勤怠安定して歳とりたい。
歳取って独り暮らしで寂しくなったら、
ロボットペット飼うんだ😊
山登りにはスタートとゴールがあると思いますが、ゴールだけが正しいわけではなく、途中の景色や想いなど、その時々に楽しみがあるのではないでしょうか?
やはり、学ぶことが、学び続けていくことが重要な気がします。視野を広くして、もしかしたら、何かがみつかるかもしれないと…
今は回復期です。来月からリワークデイケアに通います。少しですけど、確実に前に進んでます。
葬送のフリーレン(アニメ)をこの間、見ました。人生、大切にしないとな~と感じました。オススメです。😊
山道はいつでも険しいです 人生に楽な部分ってないと思ってしまいます すみません只今落ち込み中です たまにそういう時があります 何もかもが悲観的になって人生わからないことたくさんある でもその状況で幸せになることを考えるんですよね 人生苦しみがあればあるほど長生きできると勝手に思います 違ってたらごめんなさい
50が見えてきた所ですが老いについて最近よく自分も考えるようになりましたヽ(*^ω^*)ノ独身なので健康まじで考えます!TH-cam見ながら筋トレしたり散歩するようにしたり🚶人間関係ド下手だけど拒絶せず緩やかに生きていきたい。若い時よりは考え方柔軟になってきた気がする。
動画を拝見しました。
宿題①②を回答いたします。
①私の人生は、30代半ばで1度断絶しました。今から振り返ると、あれは実質的な死の経験だったと思います。詳細は控えますが、山道にたとえれば、それなりに凸凹の坂道を歩いていたと思っていたら、突然道がなくなり、底なしの崖から落ちたという感じです。
その後、私の人生は10代半ば頃まで逆戻りし、そこから40歳になる数年の間に、逆戻りした20年をぐっと凝縮したような時間を過ごしました。いわば、別の山に異世界転生したような感じです。今、ようやく、その山での平均的な山道に戻りつつあります。凸凹はありますが、これまでの経験に比べれば、ほぼ平坦です。まるで一般的ではないですが、こういう人生の山道もある、という例として読んでいただければ幸いです。
②やりたいことは躊躇わずにやる、そのために健康に気をつけていくというのが、楽しい「老い」の秘訣かなと思います。
50代半ばです。30歳上の両親も近くにいるので、老い&死についてはよく考えます。
親には、老いていく姿を見せてくれることが仕事だよ、じたばたしたっていいんだよ、と伝えています。
今日の動画を見るまで「楽しく」老いるを考えたことなかったです。私は楽しく幸せに老いて行きたいです!英語で言うcount the blessingsですね。
死については、人間皆平等にやってくる「順番」なのかな~と、最近は感じてます。認知症の父は死は怖くない、と言っており、それも悪くないな~とも。
還暦が見えている50代です。虐めや虐待のトラウマ等は10年とか20年前っていうのは違うと思う。
40年、30年前から抱えているのが深刻なのですよ。それによって人生がくるってしまって普通がない、出来ないので困っているのです。私が子供~20代の頃発達障害は教育の場でも認識されていないし、知的障害があればそれなりに支援はあったけれど。
50代そろそろ親もなくなっているのが普通の年齢、兄弟は障害がなく社会人生歩んでいると面倒は見ないと宣言したりそのように思っているのが普通だと思う。都会では他人に深入りしないので孤独です。(私は孤独が楽だから何とも思わないけれど)仕事をできるレベルならまだ良いのです。発達障害の上に身体が不自由、内科的にも病気を2つ、3つ。お金が尽きたら(親の遺産)命の切れ目と思うのです。自分で生活できなくなったら生きていたくないです。それは高校生の頃受けた心の傷があまりにも深いからです。
私の主治医はそんなの大したことないとかよくあることといいます。私の恩師はどう受け止めるかだと教えてくれました。精神障害持っている人は強く感じてしまうから辛い、同じような経験をしても辛い。
主治医は一流大学出の60代前半のエリートで牧師、恩師は15歳年上で高卒公務員から大学入りなおして小学校の教員になり校長で定年を迎え介護施設の職員をしています。私に寄り添い穏やかな導きをしてくださるのは恩師です。何年会わなくても心は繋がっています。恩師にとって私達が初めての卒業生、当時から私の心の問題(というか家庭の問題)を考えてくれています。全員の事よく覚えています。
精神科のカウンセラー40代女性は人間の屑でした(全員がそうだとは思っていないけれど)私にはマイナスでしかない存在です。大学院出でも頭悪いし、人柄悪い?育ちが悪いんだなと感じる人です。嫉妬深くマウントを取るのです。人の学歴者職業を馬鹿にしています。
ちなみに私の最初の職歴は丸の内にあるプライム上場の商社です。最初に覚えた(高く評価された)仕事はお茶くみです。重役のお茶くみは大事な仕事、そこから仕事を教えられました。病気で短い期間でしたが後々役に立つことを教えていただき感謝しています。カウンセラーの彼女はお茶くみを馬鹿にしました、自分なら(大学院出ているから)絶対やらない「レベルの低い仕事」だそうです。私はプライドが高いので、魂のレベルが高いので、彼女とは合いませんので主治医にお断りしました。
50代です✋
① 人生の山道 ルート連想 ・・・
10代もがいても無理で 親を捨てました。20代結婚してそれなりに…。30代姉が自殺してメンタル崩壊。40代からメンタルクリニックでカウンセリング通院中 (14年目突入)
② 楽しく老いることってどういうこと? ・・・ 学び続けること、自己実現の為に大学に入学✍️ ③ 治療者に対しての距離ロールモデル ・・・ 年下の異性のカウンセラーの時は 気をつけました。 2人目のカウンセラーさんは 私の生い立ちに泣き崩れ、日に日に青白くなって病院を去りました。 ドクターが体調を崩して辞めることが多く、もう自分の人生や生い立ちを話すのも疲れたので、今のドクターとは「大学どうですか?」「レポート提出しました✍️」「眠れてますか?」「眠れませんね…」「食べてますか?」「食べてませんねぇ…」たんたんと話してます。 最近は睡眠障害の渥美?ドクターのTH-cam動画と松崎ドクターと なんと‼︎ 益田ドクターの話で盛り上がってます。
どのへんが楽しく老いるという話なのかわからなかった
益田先生の動画はタイトルに惹かれてたまに観るけど、うまくテーマから話がズラされていってるように感じる
でも、どの動画を見てもみんな内容に納得してコメントしてるみたいだから、自分の頭が悪いんだろうな
個人的には若さに執着はなくて、幸せそうな老夫婦をみてきたから早く自分もこうなりたい思ってるくらい
どちらかというと病気やケガなど痛みのリスクの方が怖いかな
大変お恥ずかしい相談にはなります。
現在47歳
バツイチ
統合失調症を患い、3ヶ月に1度の通院
最終学歴は、中卒
先ずは、就職を目標に通信制高校へ通うべきか、悩んでおります。
なかなか!歳を重ねて行くに、どのように生きていことは、深く考えたことがらなくー
つらいこと!かなしいこと困難のこと、沢山あり、そこに立ち向かって行くしか、ないかなぁーと、思って、
山道なのか、けもの道なのか!アスファルトの道をいくのか!それぞれの考え方かもしれない!ただ楽しみたいーいっぱいの水を飲むことで、生きることに感謝して生きることにしています
最近椎名林檎さんと宮本浩次さんの『獣ゆく細道』の歌詞「誰も通れぬほど狭き道を行け」をしみじみと聞いています。
③について
医師はいかに良い人でも仕事で対応してくださってると思っていて、診察時間も限られているので、大学教授のような存在と思うことにしています。診察の日まであれこれ考えておいて、先生に質問したり確認したり考え方を教わったり。近すぎず遠すぎずで私にはちょうど良いです。
2.楽しく老いるとはー人との関わりを断たないこと、ですかね。面倒だと思うことに価値を感じる年代かと想像します。
自分の人生を俯瞰的に見る事ができて良かったです。特に20、30代でもう「諦め」に入った上で折り合いを付けるのが課題、40、50代に「与えられた立場を精一杯生きる」のが課題、そしてその後があるのだ、という部分が良かったです。みんな、そんなに早く人生に諦めを付けるものだとは知らなかったので。
老いるのは悪くないと思ってきました
若い内はまだ将来に希望があるかもしれないと思っていたけれど、若者ではいられなくなって、まだ何者でもなく何も手にしていないのにこれからは衰えていくばかりで将来に恐怖してきました。老いて長生きしたくないなと漠然と考えてしまいます。
父へおススメしておこうかな😉
先日、治療者に子育ての事で叱られました。ショックだったけど私より子どもの事を思って厳しく言ってくれる先生の存在も必要なのかと感じました。
①女性の場合、子どもを産める限界年齢と閉経が存在する。
子どもを欲しいか欲しくないかによって苦しみの程度は違うが、体質が明らかに変調する時期はメンタルにとっても大きな峠と言える。
1.勝手に私の「ルート」ですが、1番きつかったのが10代20代…でしょうか…。やはり家庭環境・学校でのいじめも毎日何かしら起こっていたので。
2.楽しく老いる=お金と健康とイメージしました。趣味も見つけられれば。あと子供の近くに住めたら、私はきっと幸せなのかな。
毎日拝見しています。
60代双極です。
毎日死を考えます。
老いたら病気と死が待っているだけじゃないのですか?
皆んな良く頑張っているなと思います。
60からの精神科的悩みも話してもらえたら嬉しいです。