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東京ビートルズ、一時ビバリーで盛り上がってましたね。そして同じ頃に荒木一郎さんのいとしのマックスも盛り上がってましたw
1963、64年、中学生でサーフィンソングのビーチボーイズ(BrianWilson)に夢中になりかけた頃、ベンチャーズにビートルズと更に刺激的なグループが次々に出現し、あっという間にポップス界をビートルズが席巻し、自分もビートルズ狂になった。でも、今はビートルズは封印しビーチボーイズ、ベンチャーズなど1960年代にヒットした曲を聴き癒されている。1960年代は自分の青春時代だったからかも知れないが音楽も映画も歴史に残る作品、ミュージシャンが数多いた様に思う。だからエドさんのお話は心地良くハートに届きます。
エドさんの話いつも面白いけど、今日のような1964〜1966年のいわゆるエレキブームの頃の話が一番面白い!その中での「涙の太陽」、、イカしてますね!ボーカルのある曲ですが、インストでもいけますね!
矢車剣之助 ちゃんと覚えてる 素晴らしい!
エドさんの話、いつもながら面白いですね。モズライトを軽く弾きこなすエドさんも、すっごくカッコいい。
懐かしい東京ビイトルズ、べース担当していた!次郎さんは今も元気ですよ。😅
あ、そうなんですかぁ。お元気なんですねー♪今何をなさってるのでしょう?
涙の太陽 カバー曲で 安西マリアが 歌ってヒットしましたね😃
まる
安西マリアは青山ミチバージョンのカバーですよ❗😁
長崎、諫早市で両親と住み始め台風、でも諫早市は大きな被害無く幸いでした、エドさんの記憶と通な情報発信能力には毎回驚嘆、感心しております、TH-camって良いですね!ネットが通じれば何処にいても視聴出来て!これからも毎回楽しみにしてます!次回五十日でーす、また楽しみ倍増!
エドさん天才!
エドさんかつこいい。涙の太陽今聴いてもカッコいいよね!
「涙の太陽」、エミー・ジャクソンさんがロンドン訛りのような発音で歌うから、てっきり向こうの曲をカバーしたのかと思ってたら、作曲はなんと中島安敏さんという日本の方で驚いたものでした。そして数年前にさらに驚いたことが。スプートニクスの「モスクワの灯」、途中でギターに乗せて鍵盤でロシア民謡の「灯」がかぶさってくるんです。「カレリア」での転調して「トロイカ」の印象があったものですから、スプートニクスの持ち込みかと思っていたら、これがなんと中島さん作! ぶっ飛びましたねぇ。
最高にかっこいいなあ 涙の太陽
ジャズ喫茶では東京ビートルズとクレイジービートルズが対バンで出演してました。
G.S時代、クレイジービートルズの元メンバー、岡タケシさんは、東芝のG.Sスコーピオンを結成。「星の天使」と言う曲でデビューされたと思います。
ワウの入るサベージ、みたいな曲や
今日も楽しいお話ありがとうございます。涙の太陽のバンドってそうだったんですね。知りませんでした。エミージャクソンさんのお話は聞いたことあるのですが、バンドの話は初でした。興味深かったです。
抱きしめたいはスリーファンキーズ!
当時の英国のビートルズに対する税率は、累進も入れて確か95%だったと聞いて当時驚いた記憶があります。
GOOD
そして、昭和41年 本物のビートルズが日本武道館に登場したのであったポール24歳 かとちゃん22歳
スリーファンキーズの「恋人は海の彼方に」は63年の発売なのでビートルズというよりはドンナ・ハイタワーのレコードをカバーしたと言われてるみたいですね(トニー・シェリダンとビートブラザースのレコードも62年に日本で発売されてましたがほとんど売れてなかったので)しかしこのドンナさんのシングルはB面がビートブラザースと同じ聖者の行進なのでビートブラザースのバージョンを参考にした可能性がありますね スリーファンキーズは翌年「抱きしめたい」をカバーしてます
ギターの究極になったのではないですか。其れに頭がいい。
この曲、三原綱木さんとの Twin Guitars、Vocal 日本語歌詞・井上 望さん & 英語歌詞・ケイ アンナさんで披露したら、今の若い人、ぶっ飛ぶでしょうねッ👍😉🎸
本家ビートルズよりかっこいいリバプールビートルズことリバプールファイブ(個人的すぎる意見)
東京ビートルズのジャケットはTokyo Beatlesになってますねアウトです、beatleはそもそもbeatとbeetleをもじった造語ですから登録されてて使えません。Tokyo Beetlesならセーフなんだけど。皆さん苦労してましたよね、CarpentersのパチもんのCar Paintersとか笑いました。
GSやベンチャーズはとても好きすが、ビートルスは好みになぜか合わないままですね。後期高齢世代のカルチャーグループでは、ビートルズ・ファンが大方です。UKのグループという意味で、オージー・オズボーンを紹介したらだれも知りませんでした。GS系は聞きつくした感があるので、ここ30年間はFrank.Sinatraばかり、毎日聞いています。井上順さんも、Jポップは聞くのが無くてFrank.Sinatraを毎日聞いていると言っていました。同じこと感じている人がいてビックリ。Frank.Sinatraは名曲多数でイキで華があって良い。
違っていいと思います。私はナットキングコールです。当時ベスト10の中に4-5曲ビートルズとローリングストーンズが入っていて聞かざるを得ませんでした。好きなものを大事にしましょう。
@@関正栄 さん、ご返信ありがとうございます。コールさんは、さらに上をゆく芸術的領域ですね。一番最初に買った欧米ボーカルでした。 発音がきれいで、"Autumn Leaves"などは日本語で歌っても非の打ちどころがないですね。いずれも永遠のスタンダードです。良い!!。
地域性と年齢の僅かな差で個人個人のヒーローは異なりますものね〜当時小学生はレコードを あまり買えなくて年上の兄弟の買うレコードのバンドや歌手から音楽好きになるパターンでしょうね。親が店をやっていたらジュークボックス聴き放題だしね。金持ちじゃないとエレキギター買うのは大変でした。中学生になってお年玉で買った楽器はグレコのバイオリンベースばかりでバンドが成立しなかった。アンプ買えないから1台に三本突っ込むから何がなんだかわからぬ状態。練習開始 5分でウルセェ〜!…と怒鳴り込まれる。質屋が地元の楽器屋さんでした 笑😅東京ビートルズのCDをオークションで手にいれました。確か白いスーツにファンの書き込みだらけの写真を週刊誌でみましたね〜
@@ねこねこゆたんぽ-u1y さん、楽しいお話を有難うございます。・・・ですね。当時は中学生でクラスメイトも大半が少ない小遣いでした。クズ屋さんがいくつかあって、音楽系の人はクズ屋から真空管ラジオを買ってきてギターアンプを作っていました。ギターは兄貴のを借りたりが多かったようです。 自家用ジュークボックスとはスゴイですね。横浜の友人は社長の息子でリッチでした。右ポケットに100円玉をめいっぱい詰め込んで、スロットレーシングカーのサーキットに入り浸りで、ジュークボックスから加山雄三をBGMにして操縦の練習をやったと話していました。左ポケットは帰りのバス代を入れていたそうです。 現在、市内のハードオフでは、エレキギターが3千円代から棚いっぱい在庫しています。ギターアンプもいろいろな値付けで積まれています。(笑)
1976年のGSリバイバルブームからGSをずっと聴いてますエドさんのオールナイトニッポンも懐かしいです恋よ恋よ恋よとか愛なき夜明けはオールナイトで初めて聴きましたEverything's Al'Rightth-cam.com/video/Ds6Wk7mQkCQ/w-d-xo.html
東京ビートルズ、一時ビバリーで盛り上がってましたね。そして同じ頃に荒木一郎さんのいとしのマックスも盛り上がってましたw
1963、64年、中学生でサーフィンソングのビーチボーイズ(BrianWilson)に夢中になりかけた頃、ベンチャーズにビートルズと更に刺激的なグループが次々に出現し、あっという間にポップス界をビートルズが席巻し、自分もビートルズ狂になった。でも、今はビートルズは封印しビーチボーイズ、ベンチャーズなど1960年代にヒットした曲を聴き癒されている。1960年代は自分の青春時代だったからかも知れないが音楽も映画も歴史に残る作品、ミュージシャンが数多いた様に思う。だからエドさんのお話は心地良くハートに届きます。
エドさんの話いつも面白いけど、今日のような1964〜1966年のいわゆるエレキブームの頃の話が一番面白い!
その中での「涙の太陽」、、
イカしてますね!
ボーカルのある曲ですが、インストでもいけますね!
矢車剣之助 ちゃんと覚えてる 素晴らしい!
エドさんの話、いつもながら面白いですね。モズライトを軽く弾きこなすエドさんも、すっごくカッコいい。
懐かしい東京ビイトルズ、べース担当していた!次郎さんは今も元気ですよ。😅
あ、そうなんですかぁ。お元気なんですねー♪今何をなさってるのでしょう?
涙の太陽 カバー曲で 安西マリアが 歌ってヒットしましたね😃
まる
安西マリアは青山ミチバージョンのカバーですよ❗😁
長崎、諫早市で両親と住み始め台風、でも諫早市は大きな被害無く幸いでした、エドさんの記憶と通な情報発信能力には毎回驚嘆、感心しております、TH-camって良いですね!ネットが通じれば何処にいても視聴出来て!これからも毎回楽しみにしてます!次回五十日でーす、また楽しみ倍増!
エドさん天才!
エドさんかつこいい。涙の太陽今聴いてもカッコいいよね!
「涙の太陽」、エミー・ジャクソンさんがロンドン訛りのような発音で歌うから、てっきり向こうの曲をカバーしたのかと思ってたら、作曲はなんと中島安敏さんという日本の方で驚いたものでした。そして数年前にさらに驚いたことが。スプートニクスの「モスクワの灯」、途中でギターに乗せて鍵盤でロシア民謡の「灯」がかぶさってくるんです。「カレリア」での転調して「トロイカ」の印象があったものですから、スプートニクスの持ち込みかと思っていたら、これがなんと中島さん作! ぶっ飛びましたねぇ。
最高にかっこいいなあ 涙の太陽
ジャズ喫茶では東京ビートルズとクレイジービートルズが対バンで出演してました。
G.S時代、クレイジービートルズの元メンバー、岡タケシさんは、東芝のG.Sスコーピオンを結成。「星の天使」と言う曲でデビューされたと思います。
ワウの入るサベージ、みたいな曲や
今日も楽しいお話ありがとうございます。涙の太陽のバンドってそうだったんですね。知りませんでした。エミージャクソンさんのお話は聞いたことあるのですが、バンドの話は初でした。興味深かったです。
抱きしめたいはスリーファンキーズ!
当時の英国のビートルズに対する税率は、累進も入れて確か95%だったと聞いて当時驚いた記憶があります。
GOOD
そして、昭和41年 本物のビートルズが日本武道館に登場したのであった
ポール24歳 かとちゃん22歳
スリーファンキーズの「恋人は海の彼方に」は63年の発売なのでビートルズというよりはドンナ・ハイタワーのレコードをカバーしたと言われてるみたいですね(トニー・シェリダンとビートブラザースのレコードも62年に日本で発売されてましたがほとんど売れてなかったので)しかしこのドンナさんのシングルはB面がビートブラザースと同じ聖者の行進なのでビートブラザースのバージョンを参考にした可能性がありますね スリーファンキーズは翌年「抱きしめたい」をカバーしてます
ギターの究極になったのではないですか。其れに頭がいい。
この曲、三原綱木さんとの Twin Guitars、Vocal 日本語歌詞・井上 望さん & 英語歌詞・ケイ アンナさんで披露したら、今の若い人、ぶっ飛ぶでしょうねッ👍😉🎸
本家ビートルズよりかっこいいリバプールビートルズことリバプールファイブ(個人的すぎる意見)
東京ビートルズのジャケットはTokyo Beatlesになってますねアウトです、beatleはそもそもbeatとbeetleをもじった造語ですから登録されてて使えません。Tokyo Beetlesならセーフなんだけど。皆さん苦労してましたよね、CarpentersのパチもんのCar Paintersとか笑いました。
GSやベンチャーズはとても好きすが、ビートルスは好みになぜか合わないままですね。
後期高齢世代のカルチャーグループでは、ビートルズ・ファンが大方です。UKのグループという意味で、オージー・オズボーンを紹介したらだれも知りませんでした。
GS系は聞きつくした感があるので、ここ30年間はFrank.Sinatraばかり、毎日聞いています。
井上順さんも、Jポップは聞くのが無くてFrank.Sinatraを毎日聞いていると言っていました。
同じこと感じている人がいてビックリ。Frank.Sinatraは名曲多数でイキで華があって良い。
違っていいと思います。私はナットキングコールです。当時ベスト10の中に4-5曲ビートルズとローリングストーンズが入っていて聞かざるを得ませんでした。
好きなものを大事にしましょう。
@@関正栄 さん、ご返信ありがとうございます。
コールさんは、さらに上をゆく芸術的領域ですね。一番最初に買った欧米ボーカルでした。
発音がきれいで、"Autumn Leaves"などは日本語で歌っても非の打ちどころがないですね。
いずれも永遠のスタンダードです。良い!!。
地域性と年齢の僅かな差で個人個人のヒーローは異なりますものね〜
当時小学生はレコードを あまり買えなくて年上の兄弟の買うレコードのバンドや歌手から音楽好きになるパターンでしょうね。親が店をやっていたらジュークボックス聴き放題だしね。
金持ちじゃないとエレキギター買うのは大変でした。中学生になってお年玉で買った楽器はグレコのバイオリンベースばかりでバンドが成立しなかった。アンプ買えないから1台に三本突っ込むから何がなんだかわからぬ状態。
練習開始 5分でウルセェ〜!…と怒鳴り込まれる。
質屋が地元の楽器屋さんでした 笑😅
東京ビートルズのCDをオークションで手にいれました。確か白いスーツにファンの書き込みだらけの写真を週刊誌でみましたね〜
@@ねこねこゆたんぽ-u1y さん、楽しいお話を有難うございます。・・・ですね。当時は中学生でクラスメイトも大半が少ない小遣いでした。クズ屋さんがいくつかあって、音楽系の人はクズ屋から真空管ラジオを買ってきてギターアンプを作っていました。ギターは兄貴のを借りたりが多かったようです。
自家用ジュークボックスとはスゴイですね。横浜の友人は社長の息子でリッチでした。右ポケットに100円玉をめいっぱい詰め込んで、スロットレーシングカーのサーキットに入り浸りで、ジュークボックスから加山雄三をBGMにして操縦の練習をやったと話していました。左ポケットは帰りのバス代を入れていたそうです。
現在、市内のハードオフでは、エレキギターが3千円代から棚いっぱい在庫しています。ギターアンプもいろいろな値付けで積まれています。(笑)
1976年のGSリバイバルブームからGSをずっと聴いてます
エドさんのオールナイトニッポンも懐かしいです
恋よ恋よ恋よとか愛なき夜明けはオールナイトで初めて聴きました
Everything's Al'Right
th-cam.com/video/Ds6Wk7mQkCQ/w-d-xo.html