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*ホーナー* 選手が *ヤクルト* 入団でいきなりの *ホームラン* 3連発は驚いた記憶がある。ホント何本打つんや?と思ったものだ。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
今でも覚えてるが来日当初は今の大谷並みに物凄いフィーバーだった。当時はメジャーが雲の上の存在だったので、過剰なほど期待されたのは気の毒だった。
この人の打棒は別格でした。
衝撃度No.1の助っ人!そんな選手を体験できる世代で良かったです😊
ホーナーを止めた江川もすごいと思うんだよね。引退年でストレートも遅くなっていたにも関わらず14打数1安打に抑えたんだからね。ホーナーに対する攻め方も巨人投手陣に伝授した話もあったはず。
ナゴヤ球場の中日-ヤクルト戦で、ホーナー選手が杉本投手から放った本塁打を観たのは貴重な体験でした。
ムダな動きのない美しいバッティングフォームは、あのジャンボ尾崎が、『ゴルフのスイングとしても非常に理想的』と評していたのを思いだしました。
中学生の頃。ホーナー見たさにお父さんと神宮球場に野球観戦に行きました🚃⚾。
当時小5でした。「ホーナー効果」という言葉もあった気がします。29歳だったんですね。貫禄がありますね。彼のあおりを受け、前年にジャイアンツ優勝の夢を打ち砕いた本塁打を放ったブロハードが退団となりました。
同い年や。凄かったな。
学校校歌
ホーナーはヤクルト時代を振り返り当時の日本の野球はアメリカに比べまだまだレベル的にも発展途上だったとコメントし、印象的だった選手は誰だ?と聞かれた時は当時高卒四年目だった池山隆寛と応え若いのに前向きで一生懸命さが伝わり将来は素晴らしい選手になると感じていたと応えている
この頃のプロ野球や助っ人外国人は夢がありましたね。メジャーで一流でなくても、日本では凄い成績を残す助っ人外国人選手がたくさんいました。そんな中、ホーナーなんて本物中の本物で凄い衝撃を受けました。93試合で.327、31本塁打 素晴らしい成績だと思います。村長もあの頃のプロ野球の華やかさが懐かしくないですか。私のプロ野球はあの頃で止まったままです。
トラウトみたいな大リーガーの選手が日本に来るとどうなるか、と噂される選手ですが、めちゃくちゃ打ちましたよね。ちなみにですが、応援歌はあの古田敦也さんが受け継いでます。
ドラフト全体一位選手が日本に来るなんて今ならフィリーズのハーパーが来るようなもの。ホーナーは本当に衝撃だった
ホーナー効果、懐かしい、自分ガキの時代に戻るなあ😊次の年の呂明賜と共に閃光のスラッガーであった。プロ選手ニュースでもこのタイトルで特集してました。
関根さん時代に在籍していました選手です!FCソフトで燃えろプロ野球でバントホームラン😁
ホーナーとクロマティはチートでしたね。
この年の5月以降のカルビープロ野球チップスのカードが花束を貰ったホーナーのカードばかり続いたのを思い出しました
4:38 その瞬間をテレビで見ていましたが、空振りした瞬間に「ぐぉぉぉおおおお!」と叫んだのをマイクがしっかり拾っていて倒れてしまった。結構衝撃的なシーンだった。
昔からスワローズのスカウトの目利きは優秀ですね。
同僚だったレオンが相当、気を遣ったと思います。日本に慣れないホーナーのためにと。レオンも中々の成績を残したのにクビになったのは気の毒でした。赤鬼ボブ・ホーナー旋風は凄かったです。
燃えプロで最強打者だったホーナー各チーム一人ずつホームランが出やすいバッターが居たがホーナーはとにかくバットに当たればほぼホームランだった
阪神戦で3発打たれた時、阪神ファンは言ってました。「そんなあホーナー」
ホーナーは日本を去って1年で引退しちゃったんですね。後に知って意外の感がありました。たしか900g未満の軽いバットを使っていて、剛力というより柔軟な打撃という印象があります。翌年フィルダーが来日し同じく1年でメジャー復帰、いきなりHR王で案外日本野球も通用するんじゃないの?って思ったものです。
フィルダーはホーナーの2年後の89年
現在見るとパワーと言うより技術のホームランって思った。最初は何本打つんだと友達と興奮していたなぁ。
缶ビールのCMに薬師丸ひろ子さんと共演して出演していた記憶があります。缶ビールを飲み干して片手で缶を潰しながらカタコトの日本語で、モウイッポンってセリフを言ってたような覚えがあります。BGMがウィリアムテル序曲の有名な部分ををカントリーミュージック調で….って感じだったと思います。
動画でも触れられてましたが、まだ元気なころのホーナーを江川が圧倒するのを現地観戦して、やっぱり江川スゲーと思いました。江川としては晩年に近い時期で、往年のスピードは影を潜めている感じだったんだけど、ホーナーとの対戦でスイッチが入った感じでした。
ホーナー選手が来たことで、日本とアメリカのレベルの違いというのをまざまざと見せつけられましたけど、2試合で4本ホームランを打った衝撃は記録より記憶に残ります。時は流れ、今現在、日本人のメジャーリーガーが多数活躍されておりますが、大谷選手や菊池雄星選手、ダルビッシュ選手などの活躍を見て、さて、ホーナー選手はどのように思ってるのでしょう・・・・・。
日本の野球に対応できた俺は凄い、アメリカis No.1!ではないでしょうか?
中学生の頃、地元にヤクルト戦が来たので観に行きましたが、当日欠場で残念だった記憶があります。
メジャーとの差を見せつけられました。年が経過しメジャーでもやれると証明された、野茂さんとイチローさんには感謝です。
赤鬼、ボブ・ホーナー😂
この年のセ・リーグはホーナー、バース、落合がいたんですよね。
ヒット打った後の全力疾走はスーパーマリオそのものでした。
確かホーナーがヤクルト入りした余波でプロハードが退団になっちゃったんだよね…
同年、横浜大洋ホエールズでも、大物大リーガー、シクスト・レスカーノの途中入団のあおりをくらって、前年、スポーツカークインテットの一員として攻走守に渋めの活躍をしたダクラス・ローマンが退団の憂き目にあったのだ。
基本メジャーの選手を日本野球に連れて行くとうまく行くかというとストライクゾーンや文化の違いがあり、メジャーのプライドがあり修正しようとしないのでうまく行かないことが多い、逆に3Aの成長途上やちょっとした弱点があり伸び悩んだ選手の方がこちらの指導を受け入れるので上手く行くことが多い。
阪神が生贄になっとる>_<
ホーナーデビュー戦翌日の新聞の見出しが「ホーナー そんなアホーナー」だったのを覚えてる。
メジャーでのプライドがあった為日本の野球でも途中入団でも好成績をマークしたがやはり日本の球場が狭い為メジャーでの球場が高率がいい。
当時のクリンナップが3番・ホーナー、4番・杉浦、5番・レオンでしたね。本当に杉浦はすごい選手でした(いや今日はホーナーの動画ですって)。
燃えろプロ野球 でバントさせてもホームランなった人…
落合さんが「コレは打つよ本物だから。」と予言したみたいですね。
3戦目観戦していました。ライト側は入れず、レフト側へ。右バッターだからレフトでも良いかなと思っていましたがホーナーが打席に立つと、阪神応援団(東京岡田会?)が通路に陣取りホームランボールを投げ返す準備をしていました。せっかくならホームランボール飛んで来いと思っていましたが当時は怖い応援団が多くて困ると感じていた。
プロスピのホーナー、大切に持ってます
他の選手と打球の勢いというか速度が違ったのを覚えています。打った瞬間にスタンドに突き刺さっていたイメージです
ホーナー選手にとって、当時の日本人ピッチャーは、マイナーレベルだったのでしょう。
100試合に満たないのにあの数字は素晴らしい。日本に残っていたら守備は手抜きできたろうし、もう少しファンを喜ばせたと思う。クロマティーのような性格なら良かったのにな。
ほとんどノーステップからのスイングでホームラン連発😮軸がぶれない。日本人は無駄なヒッチやコックが多すぎるとボンズも解説していた。この打ち方は日本人には真似出来ませんね😢
巨人の呂明賜も最初は凄かった。
ヤクルト、横浜は外国人をスカウトするのが上手い😊😊😊
ホーナーについては、様々な意見が存在します。NPB在籍時、家族とディズニーランドに行ったら、サイン攻めにあったこと。新宿区のマンションが狭く、窮屈で精神的になじめない。TV番組が日本語ばかりで、面白くない。など、プレー外でかなり日本の生活を批判していた記事がスポーツ紙でかなり出ていた記憶がある。その関係から、日本球団関係者から決して好まれた人材ではなかったような印象も存在していました。31才で引退する直前、当人からスワローズに再契約を申し込みましたが、いろいろな大人の事情から契約には至らず。結局引退せざるを得ませんでした。
「ケガが多くすぐ休む」はMLBでも言われていた。だから期待はしていなかった。ベンチで横に座るレオンの顔、試合前の打撃練習でのクロマティの態度で、「嫌われてんな」と直観した。前年最下位から4位に上げてくれたのは感謝した。
初代燃えプロ、バントでHRの代名詞ですな。
当時、新聞の2億8000万には驚いた。
印象深かったのはホーナーの活躍を見て、他のダメ外人達も急に打ち始めたこと。ホーナー効果とか言われましたね😊
来日当初は巨人の星のオズマ並みに打ちまくった。正直、こんなのどうやって抑えるんやと思った。
ホーナー選手はマイナーリーグに降格したが1回もないエリート選手
江川が3三振の映像誰かアップしないかな
来日第1戦、あのバースが直立不動で挨拶したんでしたっけ?
93試合出来る31本は全試合やったら43本ぐらいかなまあ打率もいいし三冠王もあったかも
ホーナーは、最初の数試合でガンガン打ったので、ホームラン100本打つと期待しましたが、途中で、失速しました。
規定打席未到達で30本塁打はこの人だけですね
バレンティンも規定未到達で30本いってますね
@@okotarou1464歴代のスワローズの外国人は凄い。
間違いました出場100試合未到達での30 本塁打はこの人のみですね。
@@mondepa9819いや、余剰戦力として中日から近鉄に移籍した近鉄のブライアントは出場74試合で34ホームランホーナーとブライアントは異常とも言えるペースでホームランを量産してたのをよく覚えてる
@@koudoukai001 いや、ブライアントはその年ファームの試合もけっこう出てるからね
つば九郎が若い😅
帰国前に日本のプロ野球を否定したのは本当ですか?
ホーナー「日本の野球は1Aにも満たなかったな」
ホーナーとか呂明賜、ランディバースはインパクト、印象にあるけどパから来た落合とかゼンゼン打ちきらんし、大したことなかったからゼンゼン印象にない😅😅😅
👹🏏👹🏏
懐かしい選手だが20 代での来日だったんだ。ファミコンで燃えろプロ野球というゲームがあったんだが、バントしても一瞬でスタンドインするチートさだった。
プロだろ?❗勝負しろよ❗
2年目以降も見たかったな翌年代わりに来たのがデシンセイとハーパーやっぱホーナーと比べると見劣りした
2人とも実績はホーナーにも見劣りしないと思います。ただ、2人とも選手としての峠は越えていたと思いますが。
デシンセイの守備は素晴らしかった。
登場時のインパクトは比べ物にならないけど、池山がデ先生と呼ぶほどの「生きた教材」ではあった
日本に合ってたのにね
プロ野球の年商1兆円!うち取り分、年103万円、残りは寄付!おい!大谷、お前なら出来るだろ?❗。
日本人投手は軒並み逃げてたな😂ちなみに本塁打王はランス😂
違うよ。ホーナー見たさなんてない。前年の阪神日本一で阪神ファンが沢山いたのさ。俺もその一人。いい加減にホーナー抑えろよと皆怒っていた。
前年の阪神は3位だよ
*ホーナー* 選手が *ヤクルト* 入団でいきなりの *ホームラン* 3連発は驚いた記憶がある。ホント何本打つんや?と思ったものだ。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
今でも覚えてるが来日当初は今の大谷並みに物凄いフィーバーだった。
当時はメジャーが雲の上の存在だったので、過剰なほど期待されたのは気の毒だった。
この人の打棒は別格でした。
衝撃度No.1の助っ人!そんな選手を体験できる世代で良かったです😊
ホーナーを止めた江川もすごいと思うんだよね。
引退年でストレートも遅くなっていたにも関わらず14打数1安打に抑えたんだからね。ホーナーに対する攻め方も巨人投手陣に伝授した話もあったはず。
ナゴヤ球場の中日-ヤクルト戦で、ホーナー選手が杉本投手から放った本塁打を観たのは貴重な体験でした。
ムダな動きのない美しいバッティングフォームは、
あのジャンボ尾崎が、
『ゴルフのスイングとしても非常に理想的』
と評していたのを思いだしました。
中学生の頃。ホーナー見たさにお父さんと神宮球場に野球観戦に行きました🚃⚾。
当時小5でした。「ホーナー効果」という言葉もあった気がします。29歳だったんですね。貫禄がありますね。彼のあおりを受け、前年にジャイアンツ優勝の夢を打ち砕いた本塁打を放ったブロハードが退団となりました。
同い年や。
凄かったな。
学校校歌
ホーナーはヤクルト時代を振り返り当時の日本の野球はアメリカに比べまだまだレベル的にも発展途上だったとコメントし、印象的だった選手は誰だ?と聞かれた時は当時高卒四年目だった池山隆寛と応え若いのに前向きで一生懸命さが伝わり将来は素晴らしい選手になると感じていたと応えている
この頃のプロ野球や助っ人外国人は夢がありましたね。
メジャーで一流でなくても、日本では凄い成績を残す助っ人外国人選手がたくさんいました。
そんな中、ホーナーなんて本物中の本物で凄い衝撃を受けました。
93試合で.327、31本塁打 素晴らしい成績だと思います。
村長もあの頃のプロ野球の華やかさが懐かしくないですか。
私のプロ野球はあの頃で止まったままです。
トラウトみたいな大リーガーの選手が日本に来るとどうなるか、と噂される選手ですが、めちゃくちゃ打ちましたよね。ちなみにですが、応援歌はあの古田敦也さんが受け継いでます。
ドラフト全体一位選手が日本に来るなんて今ならフィリーズのハーパーが来るようなもの。
ホーナーは本当に衝撃だった
ホーナー効果、懐かしい、自分ガキの時代に戻るなあ😊
次の年の呂明賜と共に閃光のスラッガーであった。プロ選手ニュースでもこのタイトルで特集してました。
関根さん時代に在籍していました選手です!FCソフトで燃えろプロ野球でバントホームラン😁
ホーナーとクロマティはチートでしたね。
この年の5月以降のカルビープロ野球チップスのカードが花束を貰った
ホーナーのカードばかり続いたのを思い出しました
4:38 その瞬間をテレビで見ていましたが、空振りした瞬間に「ぐぉぉぉおおおお!」と叫んだのをマイクがしっかり拾っていて倒れてしまった。結構衝撃的なシーンだった。
昔からスワローズのスカウトの目利きは優秀ですね。
同僚だったレオンが相当、気を遣ったと思います。日本に慣れないホーナーのためにと。レオンも中々の成績を残したのにクビになったのは気の毒でした。赤鬼ボブ・ホーナー旋風は凄かったです。
燃えプロで最強打者だったホーナー
各チーム一人ずつホームランが出やすいバッターが居たがホーナーはとにかくバットに当たればほぼホームランだった
阪神戦で3発打たれた時、阪神ファンは言ってました。
「そんなあホーナー」
ホーナーは日本を去って1年で引退しちゃったんですね。後に知って意外の感がありました。たしか900g未満の軽いバットを使っていて、剛力というより柔軟な打撃という印象があります。翌年フィルダーが来日し同じく1年でメジャー復帰、いきなりHR王で案外日本野球も通用するんじゃないの?って思ったものです。
フィルダーはホーナーの2年後の89年
現在見るとパワーと言うより技術のホームランって思った。
最初は何本打つんだと友達と興奮していたなぁ。
缶ビールのCMに薬師丸ひろ子さんと共演して出演していた記憶があります。
缶ビールを飲み干して片手で缶を潰しながらカタコトの日本語で、モウイッポンってセリフを言ってたような覚えがあります。
BGMがウィリアムテル序曲の有名な部分ををカントリーミュージック調で….って感じだったと思います。
動画でも触れられてましたが、まだ元気なころのホーナーを江川が圧倒するのを現地観戦して、やっぱり江川スゲーと思いました。江川としては晩年に近い時期で、往年のスピードは影を潜めている感じだったんだけど、ホーナーとの対戦でスイッチが入った感じでした。
ホーナー選手が来たことで、日本とアメリカのレベルの違いというのをまざまざと見せつけられましたけど、2試合で4本ホームランを打った衝撃は記録より記憶に残ります。
時は流れ、今現在、日本人のメジャーリーガーが多数活躍されておりますが、大谷選手や菊池雄星選手、ダルビッシュ選手などの活躍を見て、さて、ホーナー選手はどのように思ってるのでしょう・・・・・。
日本の野球に対応できた俺は凄い、アメリカis No.1!ではないでしょうか?
中学生の頃、地元にヤクルト戦が来たので観に行きましたが、当日欠場で残念だった記憶があります。
メジャーとの差を見せつけられました。年が経過しメジャーでもやれると証明された、野茂さんとイチローさんには感謝です。
赤鬼、ボブ・ホーナー😂
この年のセ・リーグはホーナー、バース、落合がいたんですよね。
ヒット打った後の全力疾走はスーパーマリオそのものでした。
確かホーナーがヤクルト入りした余波でプロハードが退団になっちゃったんだよね…
同年、横浜大洋ホエールズでも、大物大リーガー、シクスト・レスカーノの途中入団のあおりをくらって、前年、スポーツカークインテットの一員として攻走守に渋めの活躍をしたダクラス・ローマンが退団の憂き目にあったのだ。
基本メジャーの選手を日本野球に連れて行くとうまく行くかというとストライクゾーンや文化の違いがあり、メジャーのプライドがあり修正しようとしないのでうまく行かないことが多い、逆に3Aの成長途上やちょっとした弱点があり伸び悩んだ選手の方がこちらの指導を受け入れるので上手く行くことが多い。
阪神が生贄になっとる>_<
ホーナーデビュー戦翌日の新聞の見出しが
「ホーナー そんなアホーナー」
だったのを覚えてる。
メジャーでのプライドがあった為日本の野球でも途中入団でも好成績をマークしたがやはり日本の球場が狭い為メジャーでの球場が高率がいい。
当時のクリンナップが3番・ホーナー、4番・杉浦、5番・レオンでしたね。
本当に杉浦はすごい選手でした(いや今日はホーナーの動画ですって)。
燃えろプロ野球 でバントさせてもホームランなった人…
落合さんが「コレは打つよ本物だから。」と予言したみたいですね。
3戦目観戦していました。
ライト側は入れず、レフト側へ。
右バッターだからレフトでも良いかなと思っていましたが
ホーナーが打席に立つと、阪神応援団(東京岡田会?)が通路に陣取り
ホームランボールを投げ返す準備をしていました。
せっかくならホームランボール飛んで来いと思っていましたが
当時は怖い応援団が多くて困ると感じていた。
プロスピのホーナー、大切に持ってます
他の選手と打球の勢いというか速度が違ったのを覚えています。
打った瞬間にスタンドに突き刺さっていたイメージです
ホーナー選手にとって、当時の日本人ピッチャーは、マイナーレベルだったのでしょう。
100試合に満たないのにあの数字は素晴らしい。
日本に残っていたら守備は手抜きできたろうし、もう少しファンを喜ばせたと思う。
クロマティーのような性格なら良かったのにな。
ほとんどノーステップからのスイングでホームラン連発😮
軸がぶれない。
日本人は無駄なヒッチやコックが多すぎるとボンズも解説していた。
この打ち方は日本人には真似出来ませんね😢
巨人の呂明賜も最初は凄かった。
ヤクルト、横浜は外国人をスカウトするのが上手い😊😊😊
ホーナーについては、様々な意見が存在します。NPB在籍時、家族とディズニーランドに行ったら、サイン攻めにあったこと。新宿区のマンションが狭く、窮屈で精神的になじめない。TV番組が日本語ばかりで、面白くない。など、プレー外でかなり日本の生活を批判していた記事がスポーツ紙でかなり出ていた記憶がある。その関係から、日本球団関係者から決して好まれた人材ではなかったような印象も存在していました。31才で引退する直前、当人からスワローズに再契約を申し込みましたが、いろいろな大人の事情から契約には至らず。結局引退せざるを得ませんでした。
「ケガが多くすぐ休む」はMLBでも言われていた。だから期待はしていなかった。
ベンチで横に座るレオンの顔、試合前の打撃練習でのクロマティの態度で、「嫌われてんな」と直観した。前年最下位から4位に上げてくれたのは感謝した。
初代燃えプロ、バントでHRの代名詞ですな。
当時、新聞の2億8000万には驚いた。
印象深かったのはホーナーの活躍を見て、他のダメ外人達も急に打ち始めたこと。ホーナー効果とか言われましたね😊
来日当初は巨人の星のオズマ並みに打ちまくった。正直、こんなのどうやって抑えるんやと思った。
ホーナー選手はマイナーリーグに降格したが1回もないエリート選手
江川が3三振の映像誰かアップしないかな
来日第1戦、あのバースが直立不動で挨拶したんでしたっけ?
93試合出来る31本は全試合やったら43本ぐらいかなまあ打率もいいし三冠王もあったかも
ホーナーは、
最初の数試合でガンガン打ったので、
ホームラン100本打つと期待しましたが、
途中で、失速しました。
規定打席未到達で30本塁打はこの人だけですね
バレンティンも規定未到達で30本いってますね
@@okotarou1464歴代のスワローズの外国人は凄い。
間違いました
出場100試合未到達での30 本塁打はこの人のみですね。
@@mondepa9819
いや、余剰戦力として中日から近鉄に移籍した近鉄のブライアントは出場74試合で34ホームラン
ホーナーとブライアントは異常とも言えるペースでホームランを量産してたのをよく覚えてる
@@koudoukai001
いや、ブライアントはその年ファームの試合もけっこう出てるからね
つば九郎が若い😅
帰国前に日本のプロ野球を否定したのは本当ですか?
ホーナー「日本の野球は1Aにも満たなかったな」
ホーナーとか呂明賜、ランディバースはインパクト、印象にあるけど
パから来た落合とかゼンゼン打ちきらんし、大したことなかったからゼンゼン印象にない😅😅😅
👹🏏👹🏏
懐かしい選手だが20 代での来日だったんだ。
ファミコンで燃えろプロ野球というゲームがあったんだが、バントしても一瞬でスタンドインするチートさだった。
プロだろ?❗勝負しろよ❗
2年目以降も見たかったな
翌年代わりに来たのがデシンセイとハーパー
やっぱホーナーと比べると見劣りした
2人とも実績はホーナーにも見劣りしないと思います。ただ、2人とも選手としての峠は越えていたと思いますが。
デシンセイの守備は素晴らしかった。
登場時のインパクトは比べ物にならないけど、池山がデ先生と呼ぶほどの「生きた教材」ではあった
日本に合ってたのにね
プロ野球の年商1兆円!うち取り分、年103万円、残りは寄付!おい!大谷、お前なら出来るだろ?❗。
日本人投手は軒並み逃げてたな😂
ちなみに本塁打王はランス😂
違うよ。ホーナー見たさなんてない。前年の阪神日本一で阪神ファンが沢山いたのさ。俺もその一人。いい加減にホーナー抑えろよと皆怒っていた。
前年の阪神は3位だよ