京都のシンボル「ニデック京都タワー」

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  • เผยแพร่เมื่อ 28 ส.ค. 2024
  • 2024年6月15日
    京都府京都市下京区にある塔である。
    京阪グループの京阪ホテルズ&リゾーツ株式会社が運営している。
    後述の通り、ニデックがネーミングライツを取得し2024年4月1日から現在の名前で営業している。
    京都駅烏丸中央口前に大きく聳え立っている。
    台座となっている京都タワービルを含めた高さは131メートルあり、京都市内では最も高い建造物である。
    1953年(昭和28年)、京都駅北側の土地に建っていた京都中央郵便局が移転することが決まり、移転後の跡地の活用が検討されていた。またこの土地は国際文化観光都市たる京都の表玄関、京都駅の真正面に当たる物であり、それに相応しくまた公共性に富む土地活用が求められていた。
    京都商工会議所主催の懇談会で株式会社物産観光センター(のちに株式会社京都産業観光センター)の設立が決まり、翌1959年4月11日、創立した。
    当初は屋上に展望台などを作る程度は検討されていたものの、巨大なタワーを建てる事は想定していなかった。だが検討の結果、建物の内部に影響を与えずにタワーを建築出来る事が判明し、山田守(建築家)の設計管理および京都大学工学部建築学教室棚橋諒教授の構造設計により建造されることとなった。この際、単なる鉄骨による無骨なタワーでは京都の表玄関には相応しくないとして、白い円筒状の優雅なデザインが採用された。キッチュなデザインとも評される。
    建築には日本で初めて、炭酸ガス半自動溶接機が大々的に使用されたという。
    1963年(昭和38年)2月7日の地鎮祭後、建物は同年8月13日に立柱式、翌1964年(昭和39年)8月31日に開館。
    タワーは1964年2月3日に立柱式、12月28日の開業であった。
    その構造は、鉄骨を一切使わず、厚さ12ミリメートルから22ミリメートルの特殊鋼板シリンダーを溶接で繋ぎ合わせ、円筒型の塔身を作ったもの(モノコック構造)となっており、タワー外部に仮設タワーとクレーンを設け引き上げを行った。
    工期は約1年10カ月、総工費は38億6400万円であった。
    タワーの姿は、市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものである。
    タワー上部の展望台からは、京都市内および周辺のほか、天気の良い日には大阪市街を望むこともできる。
    台座のビルにはホテルや名店街が入居する。また、展望台や名店街ではタワーに関するグッズなどの販売も行われている。
    開業40周年を機に作成されたマスコットキャラクターが、2004年(平成16年)12月たわわちゃんとして正式に誕生した。
    2014年(平成26年)の開業50周年に向けたエレベーター改修工事や外壁の塗り直しのため、展望室や台座のビルにあるレストランなどは2012年(平成24年)12月2日から2013年(平成25年)3月まで休業となり、4月1日からリニューアルオープンしている。なお、このリニューアルを機に、レストランは喫茶・軽食も提供するラウンジに営業形態を変更した[17]。なお工事期間中も、ホテルや土産店の営業は続けられていた。
    2024年3月、京阪ホールディングスは地元企業でモーター大手のニデックとの間で本タワーの命名権契約を締結したことを発表した。同年4月から2029年3月末までの5年間、本タワーの名称は「ニデック京都タワー」となった。

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