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才能はなくても今より速くなりたくて練習する。その過程が楽しいから好き。人に勝てなくても、自分には勝てる。陸上が好き。それだけでいい。
努力したら、夢は叶う、場合もある。努力した量と等しい?一番には、1人しかなれない。何故、努力するのか?何故、才能ある人には勝てないのに、挑戦するのか?何故、自分ではどうにもならないことがあるのに、、モヤモヤいっぱいです。でも、お話を聞いて、少し、気が収まります。
仰る通りです!トップアスリートの為末さんが最後の4年間予選落ちで、その末に得られた結論、「競技の(或いは人生の)殆んどが才能と環境、運。どんなに努力しても得られないものはある。しかし、自分が自分の人生に対して『これで良し』と言えるようになる為に努力した事が、自分が自分にあげられる最後のギフト」という点、私も本当に同感です👍❤、、そして人は大人になるのですね😏ギフトがない人生もOK、また元から人にギフトをあげられるような人生は勿論立派💝でも自分にギフトがないので何かのギフトを得たかった私は、精一杯努力し今まで人生を生きてきました。願わくば、そんな経験が誰かの幸せに繋がる事ができるように、というところで、頭を垂れて老いを迎えます🙏
マイケル・サンデル氏の「エリートは謙虚になれ」という提言に通ずるものがありますね。やはり、成果において才能のウェイトは大きく、努力では越えられない壁があるのが現実です。そして、才能の差は制度的に是正することも難しく、むしろ資金や知名度など、才能があればそれを活かす環境が自然と集まります。となれば、少なくとも持つもの(エリート)が優遇された身であることを自覚して、持たざる者が失望せず、自分の人生を全う出来るように、謙虚になるべきだと思います。
こうやって真実を伝えてくれる人こそ、誠実な人格者だと思う。変に「頑張れば上手く行きますよ」とかくだらない理想論を言って悦に浸ってる奴より、よっぽど素晴らしい方。人生は不平等かつ、才能の差はある。しかしそれでも努力をせざるを得ないのだ。
「努力すれば夢は叶う」はある意味詐欺なんですよね。なんかどっかの予備校教師は「正しい方向で努力すれば夢が叶う」とも言ってましたが、その「正しさ」なんて誰にも分からない。自己実現、自己表現をして人生を豊かにするために努力をすると考えると、多少熱意は落ちるかもしれないけど、細く長く続けていくことができる気がします
為末さんに救われた人は、たくさんたくさんいますよ。ありがとうございます。プロで活躍する人がいるのは、同じ、それ以上の努力をしても、どうにもならなかった一般の人たちのおかげであります。
子供を3人育ててます。同じように育てても、俊敏な子、鈍臭い子がいます。我が子なので同じようなDNAをそれぞれ持って同じような運動能力なのかと思いきや、そうではない。筋力、体格、骨格、神経系が微妙に違うだけで大きな差が出る事に驚きますし、先天的なものが非常に大きいと実感してます。
お話に共感しました。産まれ持ったもの、運の要素は大きいと思います。40才を過ぎてから海外に居住して9年、英語が母国語でないことに苦しんでいます。英語が話せると世界が広がる、それは確かだと思います。ただ、自分が生まれ持ったものというのは、先祖から受け継いできたものであることを強く感じます。英語が上手く話せることと、日本人の心を理解できることとは全く別のことだと思います。NBAがアメリカの人気スポーツで経済的な利益を生むことから、背の高さが「有利」に働いていると思います。経済力のない国のスポーツは、経済的なメリットがないのが現実です。さらに、経済的に豊かである事が必ずしも幸せに結びつくかというと、そうとも言い切れないと思います。ただ、現時点の社会の価値観に適合するという意味で、経済的に豊かになれる方向に向かっていくというのは、意義があると思います。日本を大切にし、日本の経済・文化を盛り上げていく様に、精一杯生きる、それが大切なのではないかと思いながら、日々過ごしています。日本に「縁(えん)」を持って生まれてきた運を、最大限活かそうとすること、それが人との繋がりを生み、「豊かな」人生へと繋がるのではないかと思います!
為末様この度は私の不躾な質問を真摯な言葉で動画にしていただき大変感謝いたします。涙なく観ることが出来ませんでした。自分の人生をどう表現するか。私はこれからも陸上を愛して、これからも無謀な挑戦をしたいと思いました。ありがとうございました。
失望経験からのお話は子を持つ親としてとても参考になりました。ありがとうございます。子供がこういった経験をした時に伝えていきたいです。為末さんが結論に至った「自分は自分の人生を全うするんだ」と最後は自身を説得した。「やりたい事、好きなことを全うする」という結論は私自身の人生でも非常に共感ができました。
いつも楽しく見させていただいてます。抽象度の高いテーマであっても具体的な話をしてもらえること、結論へ辿り着くこと、とても心地いいです。33年間生きてモヤモヤしていたことを、わかりやすく言語化、説明してもらえることで思考がクリアになり、また気持ちも納得することが多く、少し大人になれるような気がします。これからもよろしくお願いします。
こういう素直に言うこともいい気がする
末續さんや最近だと大迫傑さんも為末さんと同様に幸福感という様なお話をされてました。当事者の状況、環境にもよるでしょうけども大事な考え方だなと感じましたいつもありがとうございます。
若いうちってやれば出来る、何にでも成れるって思いがちな気がします。大人になって色々経験すると考え変わってきますよね。
ビリギャルの坪田先生が、やれば出来るは絶対じゃないけど、やれば伸びるは絶対だと言ってました。結果にどのように意味を持たせられるかは結局は自分の捉え方なんですよね。
自分らしくやってみよう!響くことばですね。ありがとうございます。
努力すれば夢は叶うも走った距離は裏切らないも全然信じないです。自分がそう思っていたのは中学生までです。高校で出会ったテスト一週間前の部活休止期間は練習せずに遊び、フリーJogは公園でサボり、喫煙をしてたヤツが30年近く前に高2で10000m29分台で走りました。自分は24時間陸上のことばかり考えているのに5000m16分台でした。世の中不公平だと思いましたが、陸上は自分のタイム向上という楽しみがあり同じ位の実力の人と競り合う楽しみもあるので頑張れたし、努力してみなければ才能があるかないかはわかりません。結果がでないことに対して努力が足りないと周りが言ってくるのは凄く嫌でしたが、努力することで自分の人生が豊かになるような満足感が得られました。
それでも、この講義が筋トレ動画よりもすばらしくみえます。過去をみかえしたりするのが最近の楽しみです。お話をつづけてくれることを感謝してる次第です。
やりたいことを、やりたいだけやった人の言葉。ありがとう。
いつ聞いても安定のいい話でした。ありがとうございました。
誰でも練習すれば足が速くはなるが、そのレベルが地区大会レベルなのか県大会レベルなのかはやっぱり才能が関係していると思う。特に短距離はそれが顕著に感じる。指導者とかは、現段階からどのレベルを目標として練習するか明確にすることが大事。部員全員に県大会優勝を目指せとかいう指導者がたまにいるけど不思議でならない。
いつも、あなたの言葉に救われます。素直に誠実に回答してくださり、ありがとうございます。
船にたとえれば、努力はオールで才能は風。オールで漕げば船は進むが、向かい風に抗う船は追い風に押される船より遠くへは行けない。しかし大事なのは遠くへ行くことが全てではないということ。より早く遠くへ行けるかを比べるのではなく、たとえばどれだけたくさん魚を獲れたか。どれだけ安全な船なのか。どれだけ乗客を乗せられたのか。見方ひとつでどうとでもプラスに捉えることはできる。
間違いなく才能(努力は当然)要は自分に適した事を見つけ出して興味持って行動出来るか。
日本代表になる才能と、メッシになる才能はまたどちらもすごいですが、違います。メッシはホルモン異常で背が伸びないタイプの人間で普通以下の人でしたが、体の大きさを補う環境が彼を育てました。陸上とサッカーは競技性が違いますが、何が才能で何が欠点か?というのは難しい気がします。
夢に対する現実と理論に基づいた素晴らしいお話。プロセスが選手の人生をつくる。幸福は結果だけじゃ得られない。
重みがある。ありがとうございます
無駄な努力があることを知るため、実感するために努力することに意味があるんだと思う
やっぱりそうだよねー短距離とかバスケとか骨格や遺伝的な筋肉の質が大きく関係する競技は特に厳しい。常に人と比べてしまうけれど自分らしくやって幸せを得るのも大切ですね。
「才能」っていうのは「運」の事を別の言い方にしたモノだからね。頑張りでどうこうなるもんじゃないよね。
努力する才能が全てかと思うわ😅それでも無理なら仕方ない。
足が小さくて(25.5cm)で片足バランスを取るのが苦手です。偏平足だし。
山頂に登るためには努力が必要!一方で山頂の高さそれ自体は遺伝子(設計図)によって決まってるの
才能って良い動きを感覚的にできることですか?筋肉や、骨格ですか?
著書で「積む努力」と「選ぶ努力」と書かれていたのを思い出しました。ここで語られているのは積む努力のことかなと思いましたが、才能で勝負が決まるのならばなおさら、自分の才能を活かせるフィールドを「選ぶ努力」が重要であるということでしょう。そこを疎かにして運とか環境のせいにするなと、選ぶ努力を怠って大人になった今は痛感します。
確かに
生まれ月の関係や成長速度の個人差が与える心理的影響は、周りのサポートで改善可能と言ってみる。
努力したらみんなオリンピックに出れたりプロになれる訳ではないですもんね。多分、それに反論する人は、自分の子供に努力を求めている人ではないのだろうか?
才能の差が結果の差になるまで努力しろ
こういうのを語れるのは限界まで努力した人だけだよな。努力してない人が結局才能なんて言ってると腹が立つ
努力という言葉自体が他人の勝手な評価でしかないから(^-^;
物腰柔らかく神様のように語っているが、陸上やスポーツをやっている子供達が観たら、理解できずに、よく意味がわからぬまま、あっ!やっぱ才能なんだ!今までの努力や、これからの努力も無駄なのかなって思ってしまいそう。
本気でやってる子供なら既に気づいてる問題だと思うよ子供ってどこまでの事言ってるのか分からないけど、小学生高学年以上なら為末さんの話理解出来るでしょ
足の速さは才能じゃない!!のタイトルの方が確実にやる気もモチベーションも上がりますよね! 限界は、いつかぶち当たった時に考えればいいと思うけど。タイトルだけ見るとモチベーション落ちちゃう人続出ですよ
7:20至言
才能はなくても今より速くなりたくて練習する。その過程が楽しいから好き。
人に勝てなくても、自分には勝てる。陸上が好き。それだけでいい。
努力したら、夢は叶う、場合もある。努力した量と等しい?一番には、1人しかなれない。何故、努力するのか?何故、才能ある人には勝てないのに、挑戦するのか?何故、自分ではどうにもならないことがあるのに、、モヤモヤいっぱいです。
でも、お話を聞いて、少し、気が収まります。
仰る通りです!トップアスリートの為末さんが最後の4年間予選落ちで、その末に得られた結論、「競技の(或いは人生の)殆んどが才能と環境、運。どんなに努力しても得られないものはある。しかし、自分が自分の人生に対して『これで良し』と言えるようになる為に努力した事が、自分が自分にあげられる最後のギフト」という点、私も本当に同感です👍❤、、そして人は大人になるのですね😏
ギフトがない人生もOK、また元から人にギフトをあげられるような人生は勿論立派💝
でも自分にギフトがないので何かのギフトを得たかった私は、精一杯努力し今まで人生を生きてきました。
願わくば、そんな経験が誰かの幸せに繋がる事ができるように、というところで、頭を垂れて老いを迎えます🙏
マイケル・サンデル氏の「エリートは謙虚になれ」という提言に通ずるものがありますね。
やはり、成果において才能のウェイトは大きく、努力では越えられない壁があるのが現実です。そして、才能の差は制度的に是正することも難しく、むしろ資金や知名度など、才能があればそれを活かす環境が自然と集まります。
となれば、少なくとも持つもの(エリート)が優遇された身であることを自覚して、持たざる者が失望せず、自分の人生を全う出来るように、謙虚になるべきだと思います。
こうやって真実を伝えてくれる人こそ、誠実な人格者だと思う。
変に「頑張れば上手く行きますよ」とかくだらない理想論を言って悦に浸ってる奴より、よっぽど素晴らしい方。
人生は不平等かつ、才能の差はある。しかしそれでも努力をせざるを得ないのだ。
「努力すれば夢は叶う」はある意味詐欺なんですよね。なんかどっかの予備校教師は「正しい方向で努力すれば夢が叶う」とも言ってましたが、その「正しさ」なんて誰にも分からない。自己実現、自己表現をして人生を豊かにするために努力をすると考えると、多少熱意は落ちるかもしれないけど、細く長く続けていくことができる気がします
為末さんに救われた人は、たくさんたくさんいますよ。
ありがとうございます。
プロで活躍する人がいるのは、同じ、それ以上の努力をしても、どうにもならなかった一般の人たちのおかげであります。
子供を3人育ててます。同じように育てても、俊敏な子、鈍臭い子がいます。我が子なので同じようなDNAをそれぞれ持って同じような運動能力なのかと思いきや、そうではない。筋力、体格、骨格、神経系が微妙に違うだけで大きな差が出る事に驚きますし、先天的なものが非常に大きいと実感してます。
お話に共感しました。産まれ持ったもの、運の要素は大きいと思います。40才を過ぎてから海外に居住して9年、英語が母国語でないことに苦しんでいます。
英語が話せると世界が広がる、それは確かだと思います。ただ、自分が生まれ持ったものというのは、先祖から受け継いできたものであることを強く感じます。英語が上手く話せることと、日本人の心を理解できることとは全く別のことだと思います。
NBAがアメリカの人気スポーツで経済的な
利益を生むことから、背の高さが「有利」に働いていると思います。経済力のない国のスポーツは、経済的なメリットがないのが現実です。
さらに、経済的に豊かである事が必ずしも幸せに結びつくかというと、そうとも言い切れないと思います。ただ、現時点の社会の価値観に適合するという意味で、経済的に豊かになれる方向に向かっていくというのは、意義があると思います。
日本を大切にし、日本の経済・文化を盛り上げていく様に、精一杯生きる、それが大切なのではないかと思いながら、日々過ごしています。日本に「縁(えん)」を持って生まれてきた運を、最大限活かそうとすること、それが人との繋がりを生み、「豊かな」人生へと繋がるのではないかと思います!
為末様
この度は私の不躾な質問を真摯な言葉で動画にしていただき大変感謝いたします。
涙なく観ることが出来ませんでした。
自分の人生をどう表現するか。
私はこれからも陸上を愛して、
これからも無謀な挑戦をしたいと思いました。
ありがとうございました。
失望経験からのお話は子を持つ親としてとても参考になりました。ありがとうございます。子供がこういった経験をした時に伝えていきたいです。為末さんが結論に至った「自分は自分の人生を全うするんだ」と最後は自身を説得した。「やりたい事、好きなことを全うする」という結論は私自身の人生でも非常に共感ができました。
いつも楽しく見させていただいてます。
抽象度の高いテーマであっても具体的な話をしてもらえること、結論へ辿り着くこと、とても心地いいです。
33年間生きてモヤモヤしていたことを、わかりやすく言語化、説明してもらえることで思考がクリアになり、また気持ちも納得することが多く、少し大人になれるような気がします。
これからもよろしくお願いします。
こういう素直に言うこともいい気がする
末續さんや最近だと大迫傑さんも
為末さんと同様に幸福感という様な
お話をされてました。
当事者の状況、環境にもよるでしょうけども
大事な考え方だなと感じました
いつもありがとうございます。
若いうちってやれば出来る、何にでも成れるって思いがちな気がします。
大人になって色々経験すると考え変わってきますよね。
ビリギャルの坪田先生が、やれば出来るは絶対じゃないけど、やれば伸びるは絶対だと言ってました。
結果にどのように意味を持たせられるかは結局は自分の捉え方なんですよね。
自分らしくやってみよう!響くことばですね。
ありがとうございます。
努力すれば夢は叶うも走った距離は裏切らないも全然信じないです。
自分がそう思っていたのは中学生までです。
高校で出会ったテスト一週間前の部活休止期間は練習せずに遊び、フリーJogは公園でサボり、喫煙をしてたヤツが30年近く前に高2で10000m29分台で走りました。自分は24時間陸上のことばかり考えているのに5000m16分台でした。
世の中不公平だと思いましたが、陸上は自分のタイム向上という楽しみがあり同じ位の実力の人と競り合う楽しみもあるので頑張れたし、努力してみなければ才能があるかないかはわかりません。結果がでないことに対して努力が足りないと周りが言ってくるのは凄く嫌でしたが、努力することで自分の人生が豊かになるような満足感が得られました。
それでも、この講義が筋トレ動画よりもすばらしくみえます。過去をみかえしたりするのが最近の楽しみです。お話をつづけてくれることを感謝してる次第です。
やりたいことを、やりたいだけやった人の言葉。
ありがとう。
いつ聞いても安定のいい話でした。ありがとうございました。
誰でも練習すれば足が速くはなるが、そのレベルが地区大会レベルなのか県大会レベルなのかはやっぱり才能が関係していると思う。特に短距離はそれが顕著に感じる。
指導者とかは、現段階からどのレベルを目標として練習するか明確にすることが大事。部員全員に県大会優勝を目指せとかいう指導者がたまにいるけど不思議でならない。
いつも、あなたの言葉に救われます。
素直に誠実に回答してくださり、ありがとうございます。
船にたとえれば、努力はオールで才能は風。
オールで漕げば船は進むが、向かい風に抗う船は追い風に押される船より遠くへは行けない。
しかし大事なのは遠くへ行くことが全てではないということ。より早く遠くへ行けるかを比べるのではなく、たとえばどれだけたくさん魚を獲れたか。どれだけ安全な船なのか。どれだけ乗客を乗せられたのか。
見方ひとつでどうとでもプラスに捉えることはできる。
間違いなく才能(努力は当然)
要は自分に適した事を見つけ出して興味持って行動出来るか。
日本代表になる才能と、メッシになる才能はまたどちらもすごいですが、違います。メッシはホルモン異常で背が伸びないタイプの人間で普通以下の人でしたが、体の大きさを補う環境が彼を育てました。陸上とサッカーは競技性が違いますが、何が才能で何が欠点か?というのは難しい気がします。
夢に対する現実と理論に基づいた
素晴らしいお話。
プロセスが選手の人生をつくる。
幸福は結果だけじゃ得られない。
重みがある。ありがとうございます
無駄な努力があることを知るため、実感するために努力することに意味があるんだと思う
やっぱりそうだよねー
短距離とかバスケとか骨格や遺伝的な筋肉の質が大きく関係する競技は特に厳しい。
常に人と比べてしまうけれど自分らしくやって幸せを得るのも大切ですね。
「才能」っていうのは「運」の事を別の言い方にしたモノだからね。
頑張りでどうこうなるもんじゃないよね。
努力する才能が全てかと思うわ😅
それでも無理なら仕方ない。
足が小さくて(25.5cm)で片足バランスを取るのが苦手です。偏平足だし。
山頂に登るためには努力が必要!
一方で山頂の高さそれ自体は遺伝子(設計図)によって決まってるの
才能って良い動きを感覚的にできることですか?筋肉や、骨格ですか?
著書で「積む努力」と「選ぶ努力」と書かれていたのを思い出しました。
ここで語られているのは積む努力のことかなと思いましたが、才能で勝負が決まるのならばなおさら、自分の才能を活かせるフィールドを「選ぶ努力」が重要であるということでしょう。
そこを疎かにして運とか環境のせいにするなと、選ぶ努力を怠って大人になった今は痛感します。
確かに
生まれ月の関係や成長速度の個人差が与える心理的影響は、周りのサポートで改善可能と言ってみる。
努力したらみんなオリンピックに出れたりプロになれる訳ではないですもんね。
多分、それに反論する人は、自分の子供に努力を求めている人ではないのだろうか?
才能の差が結果の差になるまで努力しろ
こういうのを語れるのは限界まで努力した人だけだよな。努力してない人が結局才能なんて言ってると腹が立つ
努力という言葉自体が他人の勝手な評価でしかないから(^-^;
物腰柔らかく神様のように語っているが、陸上やスポーツをやっている子供達が観たら、理解できずに、よく意味がわからぬまま、あっ!やっぱ才能なんだ!今までの努力や、これからの努力も無駄なのかなって思ってしまいそう。
本気でやってる子供なら既に気づいてる問題だと思うよ
子供ってどこまでの事言ってるのか分からないけど、小学生高学年以上なら為末さんの話理解出来るでしょ
足の速さは才能じゃない!!のタイトルの方が確実にやる気もモチベーションも上がりますよね! 限界は、いつかぶち当たった時に考えればいいと思うけど。
タイトルだけ見るとモチベーション落ちちゃう人続出ですよ
7:20至言