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前作の独眼竜政宗とこの武田信玄はNHK大河ドラマの2大巨頭
伊達政宗の翌年が武田信玄とか豪華すぎるやろ!2年連続で神ドラマ見れるとかヤバすぎる!!
リアルで見てました。伊達政宗の遺骨が衝撃的で今でも覚えてます。
同じく、当時小学生でほんとに衝撃的でした
よく子孫は遺骨を晒す気になりましたよね。普通、先祖の骨を公開するか?
当時私は中学生でしたが、中井貴一さんは映画「連合艦隊」「ビルマの竪琴」ですでに存じ上げていました。武田信玄の肖像(後に別人とわかった絵)を知っていたので、流石に細すぎるやろと思ってましたが・・・物凄い迫力と威厳でした。今思えば、この瞬間が大河ドラマの絶頂期だったのですね。
大河歴代最高視聴率の独眼竜政宗からの大河歴代視聴率第二位の武田信玄。最高のリレーだね。武田信玄を見て自分は戦国時代に興味を持ち、そこから日本史が好きになり、勉強してる意識すらなく授業を受けて、テストではずっと日本史だけは学年一位でした。笑。面白かったなあ…
放送当時7歳でしたが、最終回で母親が迎えに来る演出に実が震えるほど感動しました。そして最後になんと御本人(遺骨)が登場。時の流れと、今の研究者の熱意に衝撃を受けました。7歳でこの大河を観られたことに感謝。
ドラマの序盤を盛り上げた、政宗が渡辺謙になる前の、梵天丸と藤次郎が久しぶりに出てきたのも嬉しかった。
大河の黄金期ですね、この2作に並ぶのは太平記が最後。
ナレーションも政宗が葛西聖司アナ、信玄が宮本隆治アナとNHKアナウンサーのベテラン起用でしたね。
大河ドラマみて、ワクワクする事は2度と無いだろうな。
敵味方、演者の厚みが、ものすごいね。当時は昔と比べて名優が減って若手起用ばかりと言われていたが、それでも見応えあったなあ。
当時中学生で「独眼竜政宗」が出来が良過ぎたので、次作の「武田信玄」は劣るだろうと思ってたけどこれも良かった!これが自分の中の大河ドラマ一位と二位です!
現在の大河ドラマにはない壮大さ!見習うべきだ!
このクオリティの大河ドラマなら受信料払える。
全くです!「受信料払いますから見せてください」と、言いたくなります😀
末尾まで素晴らしい『独眼竜政宗』。その波乱の生涯と政宗の存在は脚色こそあれど偽り無い、紛れも無い事実であったと印象付ける御遺骨の映像でありました。
武田信玄というと、教科書とかで見た肖像画の影響で、華奢な中井貴一さんが信玄…?イメージが違いすぎるような…と思っていたが、いざドラマ観てみると、威厳に貫禄と、重厚感に満ちた演技を見せてくれて、今では自分の中では、信玄🟰中井貴一、中井貴一🟰信玄である。
晴信と名乗っていた頃、であれば初見の(サラメシしか知らない)自分でも違和感なし。
学生時代に新田次郎の原作読んでたので、シュッとした晴信で違和感なかったです。
この「武田信玄」は名作だと思う。ただ、信玄が入道姿ではなかったのでそこは違和感あったな。
中井貴一さんを実際に目にしたら、“お館様”と呼んでしまいそうである(笑)
実際の信玄は病気でガリガリだったらしい
湖衣姫きれいだな~。
劇中で、湖衣姫が出てくる時に流れたBGMが好きでした。
4:38 岸田今日子さん、さすがの存在感!
今のNHKに敢えて言う受信料でウハウハなんだから、予算に糸目をつけず、徹底的に戦国絵巻を現出せよ 斬って斬られて獲って犯して奪って叫ぶ狂喜乱舞の吉がい大河をやってくれ題材は足利義満
世界的にも珍しいであろうご本人様出演の歴史ドラマ
信虎の追放は重臣達が晴信の方が家を牛耳り易いと判断したから追放したんだよな。 板垣信方の討死は諫言死ではなく、勝ち戦に油断して首実検し始めたら反撃に合い死んだんだよな。 武田家は代々、重臣達の暴走に苦しめられて、滅んだ。
生まれる前の大河ドラマでしたが、地元を政宗家臣の大内定綱が収めていたのでよく観てました。
懐かしいけど、いいところで切れてる。勘九郎義元、恭兵謙信も見たかった。
お爺としては独眼竜の最終回が録れてればよかった模様。しかしそれも大半が後年上書きされてるのでなんとも。
石橋信長も紹介されてましたよ。
確か16歳で戦死(天目山)した武田信玄の孫の武田信勝て、伊達政宗と同い年だから、信玄と伊達政宗て、祖父と孫くらいの年齢なのね!
信玄は1521年生まれ、政宗の祖父・晴宗は1519年生まれだから、2歳差ですね。信玄の前に名乗っていた晴信も伊達晴宗も、いずれも将軍・義晴からの偏諱なので、信玄と晴宗はほぼ同世代という事になりますね。
将軍義晴は12代
我が仙台藩初代藩主伊達政宗公ふるさと、仙台の誇りです(涙)。
「独眼竜政宗」は1636年、伊達政宗が死んだ時点で終わり、「武田信玄」は 晴信の信濃海の口城攻めの初陣から始まるが、これが1536年だから、前作からちょうど100年遡る事になる。同じ戦国物(政宗は江戸初期に差し掛かっていたが)でも、そんなに開きがあるんだな…と驚いた。ちなみに、晴信初陣の年は伊達家では政宗の曾祖父・稙宗が家法の塵芥集を制定した年であり、晴信が父・信虎を追放して信濃攻めに取り掛かった頃、伊達家では稙宗と子の晴宗(政宗の祖父)が争った「天文の乱」が起きた頃で、信玄と政宗も世代的に隔たりがある。
主人公の全身遺骨登場には皆がびっくり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
えええー!ラスト…しかし当時はバブル景気への途中、スケールが今とは違いますな。
この頃から裏番組は元気が出るテレビがありましたか?
今はイッテQですが今度の大河ドラマは紫式部の主人公を描く「光る君へ」です。
うん。天才たけしの元気が出るテレビが裏番組であったよ。中学のクラスメートたちが、エンペラー吉田などで話題にしていたなか、自分は一貫して、武田信玄→春日局を視ていたため、まったく話題についていけなかった思い出です…。
甘利虎泰いいこというな〜✨
役者のレベルが今と違いすぎるんだよ
それは ど~でも良い事なんだけど、本放送と再放送で、一部 大幅な変更が目立っていたとは、初めて知っちゃった~(^_^;)只…伊達政宗の遺骨まで明らかと なったのは、正直 恐ろしい…次回作の武田信玄のプロモーション映像には、再放送の後でしか観られないのが、貴重 過ぎる!(*^^*)
時代劇史上唯一の"御本人(遺骨)登場"
独眼竜政宗と武田信玄は当時、ガキだったのでアニメや漫画絶頂期の自分には無縁でした。姉貴が購読していたパロディ雑誌の作品で独眼竜政宗を題材にした作品を掲載していて、そこから戦国時代に興味が湧きましたね。その作家サンは武田信玄も題材にしていたなぁ。
ああん(^Д^)途中まで 無念でござる!
役者は馬に乗れないとダメだな今の役者は馬ぐらい乗れよ
大河の黄金期は徳川家康でしょう
武田信玄は領国経営が下手くそなんだよな。あとのことを考えずに略奪を繰り返したりするから、領民が味方になってくれない。
私は中井貴一さん=源頼朝のイメージがあります
頼朝も演じてるし、平清盛の父親も演じるし、すごい人ですね!!
信玄も謙信も剃髪しないし、それどころか全員が総髪。山本勘助も隻眼でもなく足も引きずってない。バブル時代だからスタイリッシュさが求められてたのだろうか。史実通りのそういう細かい諸々は心の目で見ろということだったのかな。それもそれで面白かったが。
前作の独眼竜政宗とこの武田信玄はNHK大河ドラマの2大巨頭
伊達政宗の翌年が武田信玄とか豪華すぎるやろ!2年連続で神ドラマ見れるとかヤバすぎる!!
リアルで見てました。
伊達政宗の遺骨が衝撃的で今でも覚えてます。
同じく、当時小学生でほんとに衝撃的でした
よく子孫は遺骨を晒す気になりましたよね。普通、先祖の骨を公開するか?
当時私は中学生でしたが、中井貴一さんは映画「連合艦隊」「ビルマの竪琴」ですでに存じ上げていました。
武田信玄の肖像(後に別人とわかった絵)を知っていたので、流石に細すぎるやろと思ってましたが・・・
物凄い迫力と威厳でした。
今思えば、この瞬間が大河ドラマの絶頂期だったのですね。
大河歴代最高視聴率の独眼竜政宗からの大河歴代視聴率第二位の武田信玄。最高のリレーだね。武田信玄を見て自分は戦国時代に興味を持ち、そこから日本史が好きになり、勉強してる意識すらなく授業を受けて、テストではずっと日本史だけは学年一位でした。笑。面白かったなあ…
放送当時7歳でしたが、最終回で母親が迎えに来る演出に実が震えるほど感動しました。そして最後になんと御本人(遺骨)が登場。時の流れと、今の研究者の熱意に衝撃を受けました。7歳でこの大河を観られたことに感謝。
ドラマの序盤を盛り上げた、政宗が渡辺謙になる前の、梵天丸と藤次郎が久しぶりに出てきたのも嬉しかった。
大河の黄金期ですね、この2作に並ぶのは太平記が最後。
ナレーションも政宗が葛西聖司アナ、信玄が宮本隆治アナとNHKアナウンサーのベテラン起用でしたね。
大河ドラマみて、ワクワクする事は2度と無いだろうな。
敵味方、演者の厚みが、ものすごいね。
当時は昔と比べて名優が減って若手起用ばかりと言われていたが、それでも見応えあったなあ。
当時中学生で「独眼竜政宗」が出来が良過ぎたので、次作の「武田信玄」は劣るだろうと
思ってたけどこれも良かった!これが自分の中の大河ドラマ一位と二位です!
現在の大河ドラマにはない壮大さ!
見習うべきだ!
このクオリティの大河ドラマなら受信料払える。
全くです!
「受信料払いますから見せてください」
と、言いたくなります😀
末尾まで素晴らしい『独眼竜政宗』。その波乱の生涯と政宗の存在は脚色こそあれど偽り無い、紛れも無い事実であったと印象付ける御遺骨の映像でありました。
武田信玄というと、教科書とかで見た肖像画の影響で、華奢な中井貴一さんが信玄…?イメージが違いすぎるような…と思っていたが、いざドラマ観てみると、威厳に貫禄と、重厚感に満ちた演技を見せてくれて、今では自分の中では、信玄🟰中井貴一、中井貴一🟰信玄である。
晴信と名乗っていた頃、であれば初見の(サラメシしか知らない)自分でも違和感なし。
学生時代に新田次郎の原作読んでたので、シュッとした晴信で違和感なかったです。
この「武田信玄」は名作だと思う
。ただ、信玄が入道姿ではなかったのでそこは違和感あったな。
中井貴一さんを実際に目にしたら、“お館様”と呼んでしまいそうである(笑)
実際の信玄は病気でガリガリだったらしい
湖衣姫きれいだな~。
劇中で、湖衣姫が出てくる時に流れたBGMが好きでした。
4:38 岸田今日子さん、さすがの存在感!
今のNHKに敢えて言う
受信料でウハウハなんだから、予算に糸目をつけず、徹底的に戦国絵巻を現出せよ 斬って斬られて獲って犯して奪って叫ぶ
狂喜乱舞の吉がい大河をやってくれ
題材は足利義満
世界的にも珍しいであろうご本人様出演の歴史ドラマ
信虎の追放は重臣達が晴信の方が家を牛耳り易いと判断したから追放したんだよな。 板垣信方の討死は諫言死ではなく、勝ち戦に油断して首実検し始めたら反撃に合い死んだんだよな。 武田家は代々、重臣達の暴走に苦しめられて、滅んだ。
生まれる前の大河ドラマでしたが、地元を政宗家臣の大内定綱が収めていたのでよく観てました。
懐かしいけど、いいところで切れてる。
勘九郎義元、恭兵謙信も見たかった。
お爺としては独眼竜の最終回が録れてればよかった模様。しかしそれも大半が後年上書きされてるのでなんとも。
石橋信長も紹介されてましたよ。
確か16歳で戦死(天目山)した武田信玄の孫の武田信勝て、伊達政宗と同い年だから、信玄と伊達政宗て、祖父と孫くらいの年齢なのね!
信玄は1521年生まれ、政宗の祖父・晴宗は1519年生まれだから、2歳差ですね。信玄の前に名乗っていた晴信も伊達晴宗も、いずれも将軍・義晴からの偏諱なので、信玄と晴宗はほぼ同世代という事になりますね。
将軍義晴は12代
我が仙台藩初代藩主伊達政宗公
ふるさと、仙台の誇りです(涙)。
「独眼竜政宗」は1636年、伊達政宗が死んだ時点で終わり、「武田信玄」は 晴信の信濃海の口城攻めの初陣から始まるが、これが1536年だから、前作からちょうど100年遡る事になる。同じ戦国物(政宗は江戸初期に差し掛かっていたが)でも、そんなに開きがあるんだな…と驚いた。ちなみに、晴信初陣の年は伊達家では政宗の曾祖父・稙宗が家法の塵芥集を制定した年であり、晴信が父・信虎を追放して信濃攻めに取り掛かった頃、伊達家では稙宗と子の晴宗(政宗の祖父)が争った「天文の乱」が起きた頃で、信玄と政宗も世代的に隔たりがある。
主人公の全身遺骨登場には皆がびっくり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
えええー!ラスト…
しかし当時はバブル景気への途中、スケールが今とは違いますな。
この頃から裏番組は元気が出るテレビがありましたか?
今はイッテQですが今度の大河ドラマは紫式部の主人公を描く「光る君へ」です。
うん。
天才たけしの元気が出るテレビが裏番組であったよ。
中学のクラスメートたちが、エンペラー吉田などで話題にしていたなか、自分は一貫して、武田信玄→春日局を視ていたため、まったく話題についていけなかった思い出です…。
甘利虎泰いいこというな〜✨
役者のレベルが今と違いすぎるんだよ
それは ど~でも良い事なんだけど、本放送と再放送で、一部 大幅な変更が目立っていたとは、初めて知っちゃった~(^_^;)
只…伊達政宗の遺骨まで明らかと なったのは、正直 恐ろしい…
次回作の武田信玄のプロモーション映像には、再放送の後でしか観られないのが、貴重 過ぎる!(*^^*)
時代劇史上唯一の"御本人(遺骨)登場"
独眼竜政宗と武田信玄は当時、ガキだったのでアニメや漫画絶頂期の自分には無縁でした。姉貴が購読していたパロディ雑誌の作品で独眼竜政宗を題材にした作品を掲載していて、そこから戦国時代に興味が湧きましたね。その作家サンは武田信玄も題材にしていたなぁ。
ああん(^Д^)途中まで 無念でござる!
役者は馬に乗れないとダメだな
今の役者は馬ぐらい乗れよ
大河の黄金期は徳川家康でしょう
武田信玄は領国経営が下手くそなんだよな。あとのことを考えずに略奪を繰り返したりするから、領民が味方になってくれない。
私は中井貴一さん=源頼朝のイメージがあります
頼朝も演じてるし、平清盛の父親も演じるし、すごい人ですね!!
信玄も謙信も剃髪しないし、それどころか全員が総髪。山本勘助も隻眼でもなく足も引きずってない。バブル時代だからスタイリッシュさが求められてたのだろうか。史実通りのそういう細かい諸々は心の目で見ろということだったのかな。それもそれで面白かったが。