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素晴らしい‼️お能も、この画像も、永遠に残して!
ビデオで、桧垣本猿楽が 和歌山県の丹生川丹生神社や河根丹生神社で演能をしたと紹介されています。法政大学能楽研究所の宮本教授の著書『上方能楽史の研究』(2005年 和泉書院)では、丹生川丹生神社の古文書(丹生川ノ宮移入目日記事)に記された吉野衆について具体的に述べられ、そこには 吉野衆というのは 吉野山の金峯山寺の松之坊や岩本坊の社僧たちであると記されています。 「丹生川丹生神社の古文書 丹生川ノ宮移入目日記事に吉野衆と記されている。河根丹生神社に 通称「笠鉾面」(ヤマト七郎との刻銘)がある。」という これら2点の紹介では、桧垣本猿楽が和歌山県で演能をしたということの根拠としては不十分で、そういうことだけで結論付けるというのは飛躍しているのでは?!と私は感じてしまいますが、、。 宮本教授の著書が発行されてから12年程経過し、その間に どのような新発見があって 宮本教授の発表を覆すようになったのかを ビデオの製作者様は もっと具体的にお示しになられたほうが 良いのではないだろうかと 私は思うのですが、、、。
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