家康がいた街 浜松『三方ヶ原の戦い 3つの場所説』

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  • เผยแพร่เมื่อ 8 ก.พ. 2025
  • 戦国時代 徳川家康と武田信玄が激突した三方ヶ原の戦い
    両軍本陣のあった場所に3つの説が… 地元浜松より
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ความคิดเห็น • 6

  • @kuramotomami0029
    @kuramotomami0029 ปีที่แล้ว +3

    かつての旧道を見せて取材したのは大変興味深い

  • @団地のじいじ
    @団地のじいじ ปีที่แล้ว +4

    どれも可能性があり専門家が悩むくらいなので素人の私には難しいことです。以前何で見たのか忘れましたが三方原合戦での戦死者を小豆餅に集めたとあったので祝田坂あたりで戦死した人をなぜ小豆餅までと不思議に思ったので合戦が小豆餅もありかなっていろいろ悩んでしまいます。姫街道の長坂を下る右側に信玄が陣を置いたといわれる場所があります。動画では本坂と言われていたみたいですが長坂(ながさか)です。であれば合戦大山説もありかなって思えてしまうのでもう何がなか・・・
    そうすると祝田坂ではなく長坂説も考えられるともうわかりません。お手上げです。

  • @nekono_mimikon
    @nekono_mimikon หลายเดือนก่อน

    当時の状況的に言えば最初の小豆餅説が有力に思えますね。
    台地上を何kmも徳川勢に追跡されつつ下り坂を前にようやく武田勢が危険を承知で背水の陣を構え始めるより、台地上に上がったら目の前に武田勢が待ち構えていた方が徳川勢としても精神的ショックが大きい。

  • @kuramotomami0029
    @kuramotomami0029 ปีที่แล้ว +3

    武田勢27000徳川織田連合軍が11000といわれているから両軍合わせて38000人という人数となる
    祝田の坂を実際に見させていただいたが道は険しく細く森林に囲まれている
    当時は街道といえどこの程度で名もなき細道もあった
    この様な大軍同士が狭い一箇所で合戦を行う事は出来ず各地の場所で合戦を行ったと思われる
    山県昌景と石川数正との合戦等は祝田坂より北で行われたと思われる
    武田勝頼、小山田信茂、佐久間信盛等、台地の各地に布陣していた物と思われる
    台地の上といっても当時は鬱蒼と茂った様な所で各地で現代人から見れば山岳戦に近い野戦がその辺り一帯の各地で行われたのであろう
    各地で分散された様々な野戦を一つの合戦とすると三方ヶ原の合戦という名称となっているのであろう

  • @naturesoundlover3104
    @naturesoundlover3104 8 หลายเดือนก่อน

    3万人がひしめき合うので、このすべての場所で同時に戦闘があった可能性がありませんかね。

  • @ゴマちゃん-w1b
    @ゴマちゃん-w1b ปีที่แล้ว +1

    武田騎馬隊😮