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素晴らしいですね。ありがとう御座います❣️
近江八幡は好きな街で、琵琶湖周辺をサイクリングする時に、ちょくちょく寄ります。知らなかったのですが、そんな話があったんですね。
どうする家康の 1年間ですが 秀次の切腹の真相。安土城周りから 楽市楽座の商人を移して、経済発展させた事。背割り構造で、今の下水道の 始まりだった事。など、さらに、学問にも 秀でて 天皇との付き合いもあり、学問の嫌いな 成り上がりの秀吉関白を ねたんだ?事など 若一さん 本当にありがとうございました。。。。笑い。。。。。これからも、期待してますね。
秀次の作った町が日本経済の礎になって(近江商人)いたとは知らなかったです!秀次切腹の時は家族もたくさん殺されたとか...町は残ってよかったなあ五穀豊穣の絵、秀次の命日の2日前に発見されるとは、運命的です。タイトルは五穀豊穣なのに、男の顔は秀吉に似ていて、穂には実がなっていない...メッセージ性がすごい。
神農でしょうか、奉納の為に描いたのかもしれませんね。それにしても、当時を見てきたわけでもないのに好き勝手に解釈する現代人は面白いですよね。秀頼のせいとか、なんやかや。本人以外、分からんやろね。
秀吉め、やりたい放題のことをやってやがる!本当の暴君はお前だ!信長なしにお前の天下なんてありえないことだった!
秀吉などを見てると、男の嫉妬といふものも大概だな、と思わされますね。。。
秀頼の誕生もそうですが、利休の粛清と秀次の非業の死を重ねる歴史家もいますね。曰く、秀吉自らの理解の及ばない 芸術 / 学芸 / 文芸 への支援とその人的ネットワークに対する嫉妬と脅威も秀次処分の一因にある、とか。実際、あれだけの画才に恵まれながらの 「殺生関白」 は考えられない訳で、秀吉の文化人嫌いを反映した排除だと思います。
➡➡ 8:10 これが・・・権力者の本質・・・やで。😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬
神農に似てる
結局お茶々が豊臣家を滅ぼしたんだよなー。秀頼が秀吉の子とは到底思えないが・・・
なんか大蔵卿の息子の大野治長との間にできたのが秀頼なのが有力みたいやで(笑)なんせ大蔵卿は元々浅井家に仕えていてお茶々とは親子みたいな仲だったみたいやし
秀吉は聚楽第も破却するしうぬぼれた暴君でした。よく信長、秀吉、家康が英雄として比較されますが私にとっては秀吉は英雄でも何でもなく最低の男です。
三大商人って何だ?と調べたら大阪、伊勢、近江らしいね。俺は九州人なんで、商人と言ったら中世から始まる(恐らく弥生時代から)博多商人か大阪商人なんだけどなー。恐らく近畿だけの通称でしょ。
博多商人が活躍したのは大陸との交易においてなので海外との交流が禁じられた江戸時代はぱっとしませんね。江戸時代において大阪は天下の台所であり、伊勢、近江商人は江戸での活躍から三大商人と言われ出したので博多商人が省かれているのは仕方ないですね。
近江商人は全国に散って足を運んでましたからね。地方に商品を売りに行き、その地方で売ったお金を元手に買い付け、ソレを持ち帰って売るという鋸商いという手法をやっていたのが近江商人。遠くは東北まで足を延ばしていたというのだから、その行動力の広さで有名です。それが伊藤忠商事や西武グループなど現代に繋がる商いの礎と成っていたのでしょうね。
西武はやり方が汚い為、近江商人からは嫌われている、近江商人とは認められていない、とか。
大阪と近江は学校まで作っちまたからな。大阪高商と彦根高商。
素晴らしいですね。
ありがとう御座います❣️
近江八幡は好きな街で、琵琶湖周辺をサイクリングする時に、ちょくちょく寄ります。知らなかったのですが、そんな話があったんですね。
どうする家康の 1年間ですが 秀次の切腹の真相。安土城周りから 楽市楽座の商人を移して、経済発展させた事。背割り構造で、今の下水道の 始まりだった事。など、さらに、学問にも 秀でて 天皇との付き合いもあり、学問の嫌いな 成り上がりの秀吉関白を ねたんだ?事など 若一さん 本当にありがとうございました。。。。笑い。。。。。これからも、期待してますね。
秀次の作った町が日本経済の礎になって(近江商人)いたとは知らなかったです!秀次切腹の時は家族もたくさん殺されたとか...町は残ってよかったなあ
五穀豊穣の絵、秀次の命日の2日前に発見されるとは、運命的です。タイトルは五穀豊穣なのに、男の顔は秀吉に似ていて、穂には実がなっていない...メッセージ性がすごい。
神農でしょうか、奉納の為に描いたのかもしれませんね。それにしても、当時を見てきたわけでもないのに好き勝手に解釈する現代人は面白いですよね。秀頼のせいとか、なんやかや。
本人以外、分からんやろね。
秀吉め、やりたい放題のことをやってやがる!
本当の暴君はお前だ!
信長なしにお前の天下なんてありえないことだった!
秀吉などを見てると、男の嫉妬といふものも大概だな、と思わされますね。。。
秀頼の誕生もそうですが、利休の粛清と秀次の非業の死を重ねる歴史家もいますね。
曰く、秀吉自らの理解の及ばない 芸術 / 学芸 / 文芸 への支援とその人的ネットワークに対する嫉妬と脅威も秀次処分の一因にある、とか。
実際、あれだけの画才に恵まれながらの 「殺生関白」 は考えられない訳で、秀吉の文化人嫌いを反映した排除だと思います。
➡➡ 8:10 これが・・・権力者の本質・・・やで。😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬😬
神農に似てる
結局お茶々が豊臣家を滅ぼしたんだよなー。秀頼が秀吉の子とは到底思えないが・・・
なんか大蔵卿の息子の大野治長との間にできたのが秀頼なのが有力みたいやで(笑)
なんせ大蔵卿は元々浅井家に仕えていてお茶々とは親子みたいな仲だったみたいやし
秀吉は聚楽第も破却するしうぬぼれた暴君でした。よく信長、秀吉、家康が英雄として比較されますが私にとっては秀吉は英雄でも何でもなく最低の男です。
三大商人って何だ?と調べたら大阪、伊勢、近江らしいね。
俺は九州人なんで、商人と言ったら中世から始まる(恐らく弥生時代から)博多商人か大阪商人なんだけどなー。
恐らく近畿だけの通称でしょ。
博多商人が活躍したのは大陸との交易においてなので海外との交流が禁じられた江戸時代はぱっとしませんね。江戸時代において大阪は天下の台所であり、伊勢、近江商人は江戸での活躍から三大商人と言われ出したので博多商人が省かれているのは仕方ないですね。
近江商人は全国に散って足を運んでましたからね。
地方に商品を売りに行き、その地方で売ったお金を元手に買い付け、ソレを持ち帰って売るという鋸商いという手法をやっていたのが近江商人。
遠くは東北まで足を延ばしていたというのだから、その行動力の広さで有名です。
それが伊藤忠商事や西武グループなど現代に繋がる商いの礎と成っていたのでしょうね。
西武はやり方が汚い為、近江商人からは嫌われている、近江商人とは認められていない、とか。
大阪と近江は学校まで作っちまたからな。
大阪高商と彦根高商。