1961 World Grand Prix Straßenrennen, Runde 2 Westdeutschland in der 250er-Klasse.

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  • เผยแพร่เมื่อ 24 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 1

  • @kazuR6
    @kazuR6  ปีที่แล้ว

    ホッケンハイムリンクは、うっそうとした、ドイツの黒い森の中にある。
     旧コースは、森の中を走る二本のストレートを、高速コーナーでつなぎ、一番先端はヘアピン・カーブとなった全長7・725キロである。
     その後、ヘアピンの上に、アウトバーンが走ることになってヘアピンがなくなり、その補償金によって、正面の大グランド・スタンドが完成し、今の形となったのである。
     ともあれ、国光たちは、森の中の小さなドイツらしいホテルに泊まり、プラクティスを重ねた。
     ここは、名にし負う高速サーキット。
     平均スピードは180キロを超える。
     練習日、予選日と、国光は尻上がりに調子を出し、気分も良くなってきたが、もうひとつ、パドックが出来、森の中にキャンプ場が現れ、人が繰り出してくる様を見ると、国光の心は、高らかにマーチが鳴り出す。
     そう、お祭り好きな国光の血が、ドイツで騒ぎはじめたのだ。
     「何かやりそうな予感がする」
     国光は、そう感じていた。
     決勝は5月14日であった。
     朝はトマト・ジュースを飲んだ。
     バルコム貿易の通訳、山田治郎が好きで飲んでいて、真似をしてみたら、自分も好きになった。フト、浅間を思い出す。そして、ソーセージと目玉焼きとコーヒーとライ・ブレッド。
     日本食より、そういったものが良かった。
     高橋家は、外人ハウスをやっていた関係で、中学生の頃から、そういう朝食に慣れていた。
     宿舎から、サーキットまでニッサンのマイクロバスで移動する。バスの中でも国光は、まさか今日、勝つなんて気持ちはサラサラなかった。
     ただ、心の中にマーチが鳴っていた。
     国光のRC162は、カウリングに100番のゼッケンが冠せられている。チームメイトのジム・レッドマンは107番である。
     これらは、主催者が決めてライダーに与えていたゼッケン番号である。
     スタート前、国光は、東京のガールフレンドがプレゼントしてくれたハンカチを、首に巻き、口を覆った。
     やがて、フラッグが振られると、30台近いマシンは、カン高いエクゾースト・ノウトを響かせ、森の中の高速バトルが始まった。
     MVアグスタのガーリー・ホッキング。
     モリーニのタルキニオ・プロビーニ。
     MZツインにのるエルンスト・デグナー(鈴鹿のデグナー・カーブは、彼の名前)。
     そしてジム・レッドマンと高橋国光、2台のホンダが、トップ・グループを形成していく。
     国光にとって、ホッキングやプロビーニは、雲の上の存在。その強豪と、同等に走ることが出来ることは快感であった。
     直線では、時速200キロを軽く超える。森の松の幹が、ものすごい速さで後方へ飛んでいった。
     やがて、MZツインに乗るデグナーが、後退し、トップ・グループは4台になった。
     国光は時々、ブレーキを遅らせ、体をうまく傾けて、4人の中のトップに立つ。
     やや大男のレッドマンは、コーナーで、はらんだりしていた。
     やがて再び直線に入ると、1万3500回転は廻るエンジンにムチをくれ、他を引き離す。
     しかし、チームメイトのレッドマンが、軽く抜いていく。
     激しいトップ争いに耐えられなくなったのか、MVアグスタは、ピストンにダメージを負い、ストップした。さらにプロビーニが乗ったモリーニも、オーバーヒート症状になり、レーススピードを無くしていった。
     ついにレッドマンと国光の、チームメイト同士の一騎打ちである。
     チーム・オーダーなどない。国光が、そこまでやるとは思っていなかったから、ミーティングもなかった。
     レッドマンは、国光を引き離そうと、持てるテクニックを駆使していくが、国光の、心の中のマーチは、まだ高らかに鳴っている。
     国光は動じない。
     完全に乗れているのだ。
     最終ラップの最終コーナー。
     国光はカウルの中に、すっぽりともぐり込み、ジム・レッドマンのスリップ・ストリームに入って全力で加速した。
     国光が前。国光が前。国光、トップでゴール。
     2車身差でレッドマンが過ぎた。
     高橋国光が優勝したのだ。
     日本人初の、世界グランプリ優勝と、ホンダの、世界グランプリ250ccクラスの初勝利。
     昭和三十六年、1961年、5月14日。
     二十一歳の国光は、ホッケンハイム・リンクを駆け抜けた。
    ー走れ クニミツ 小説高橋国光物語 高桐唯詩 1999 株式会社ニューズ出版 P114-117