ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
一生懸命話したので、ぜひ聞いてくだせえ!
リベットの検証は、本質的に自由意志を論じる問題になるのでしょうか?その瞬間の行動(運動)という点では、小脳等の身体制御作用が無意識化している状態と同様な気がします。自転車等の運転でも、各種スポーツ等でも、運動の身体制御は「意識」し、そこに「自由意志・選択」の働きを及ばして実行されているとは、全く思えません。自由選択は、運転して向かう目的地や道順の選択や、どの様なスポーツを実行するかの選択に関わるのだと思います。 そうした選択も、選択主体(意志)の存在様態や、それが置かれた環境によって、定められていると考える立場も、あるとは思います。その観方の広い観念が「決定論」であり、「摂理論」だろうと思います。 これに対しては、ルーマンの「システム論」を当てはめられる気がします。宇宙自然全体を観れば、全方位に無限の開放系の様態が観られますが、中間域では多くのシステムが入れ子状になりつつ関係し合って、閉じた系を構成している状態を観ることができます。それを抽象して法則等を理解し、諸システムの自然本性を「定義」していきます。 そうした中間システムの一つが、「人間」であり、さらにその人間の一人として「個人」なのであろうと思います。 このような「中間システム」を観るフレームワークで、宇宙自然全体にスケーリングを施すと、ここでの問題も説明ができるように思われるのですが、どうでしょうか?「私という個人」が諸システムの情報を認識し、認識した中から選択して、そのシステムを発動させる。認識していない状態であれば、選択はできません。その状態は偶然の試行錯誤の結果の集積に過ぎません。選択には、先ず知る事が必要になります。ソクラテスの無知の知(自覚)があって、知り得る諸システムの拡がりを観ることができると思います。その上で選択していくのが、意志的作用であり、よく言う真の自由という倫理課題になると思います。 ともかく、身体的制御レベルと自由選択とは、それこそシステムの次元が違うのだろうと思いますが、どうでしょうか?
せえ!
一生懸命よりもちゃんと正しい前提知識を持つべき。性自認は自由意志では選べません。性自認はもっと深いところにあって性自称ではない。
そか✨一生懸命話したんだ、茂木健一郎❤
現在、自由意思の「起こり」だと考えられてる部分が間違ってるんじゃないか?もしくは計測方法が間違っているか。例えばめちゃくちゃ微弱な電気で行われていて計測出来ていないか、今はまだ知られていない別のルートで伝達起こってるのかというか茂木さんの言う「自由意思の前に指令が出ている」にしてもそれもまた「自分自身」なんだから別にかまわんと思うんだけどEを選んだと「思う」前に、思わされてる。その思わせて来る奴をまさか神と思ってる訳じゃないだろうしそれの指令を出してくる無意識も自分自身なのでは。例えばここで「これが自由意思じゃい」ってサンバを踊り出したとして、それも無意識に操られてるからと言うのは後出しだと思う。おそらく後世には、問いの立て方が間違っていたか、意識の「起こり」を勘違いしていたか、計測法が違っていたかに落ち着くと予想する
今、ビデオ見終わりました。ありがとうございます。共感できました。人間の感覚から現れる世界は言語化できないものです。私は日常生活で感じています。ですから、概念化して布石を打たないと直ぐに消えて行ってしまいます。概念化したらそれが土台になって、成長にも繋がっているかもしれません。ありがとうございます。
私たちの意識は観察者で、脳の意思決定とそれに伴う起こりを体験するのかな?って、思いました😊管理人って面白い例えだなと思いました。
私がこれを見たのも、決められていた。ってことですよね🎉私も自由意志はないように思っています😊全ては決定されているような気がします。それを感じたのが、強烈なデジャヴ。何度も何度もこれを体験している?ような気がしてならないんですよ。。。まるで同じことを同じ道筋で永遠に♾️繰り返しているような。。。
素朴に違和感が残る話です、何かを目が見た、その情報は脳内の視覚機能である姿に整えられつつ、様々な記憶、言語化、空間認識、感情機能などで結論が出ると考えれば、事象は思考する前に起きていて、それは後刻に変更は出来ないとして、思考の結果は事象の刺激の後から様々に変化しつづける。事象を見ての判断は後付けで、これは決まっていたわけではない、あくまで事象はその時起きたこと、見た事は後付けの論で良さそうですが、どうでしょう?
茂木先生の悠仁様へのエール動画からここに導かれました。とても興味深い内容でした。そもそも、どこに生まれるか、何に生まれるかも自分の意思ではないし、人の自由意思とはあっても極少ないのものなのかな、と思います。でも選択を繰り返すことで、自分らしさを決められるのも人間であり。深い世界ですね。
情報をクリックすることから、もうすでに鳥籠にはいっていく。自分のうちに向き合うことが自由🌈🦋
アルゴリズムによる提案と、何を選択するかのお話が大変為になりました。
茂木さんがEを選ぶの直感でわかりました☆非二元論では全て全自動で「自分」はいない、とのことです。植物が太陽、雨、風、土などの活動を受けて、黙って育つように我々も同じ「命」の存在であるだけで。地球上の命全てと同じ存在。ちょっと茂木さんのここでおっしゃることと違うかも知れませんがノンデュアリティを学んでいるのでわたしはそう感じました。いい人も悪い人もいない。それぞれの人の内面の焦点が全てを判断してそう見えてるだけででもそんな反応も全自動で起こっている。
共感しました。これからも視聴させてもらいます。よろしくお願いします。
頭が良く理性的な人でも、結局は感情で動いていて理屈は後付けだよな。
話を「人生論」に落とし込むと、かえってややこしくなりますね・・。ここまで人間が達成してきた科学の進歩のどこに自由意志がはたらいているのでしょうか。
人間に自由意志はないが世界それ自体は決定論ではないと思ってます人間の自由な選択によって未来が決まるのではなく、自然現象同様に宇宙が人間に選択したように振る舞いを与えて未来がランダムに決まっていくのだと思ってます
無意識に何を入れどう耕していくか… 大事ですね✨そして今茂木さんのこの動画を選択して見ている私… その自分を俯瞰して見ているまた別の私…詰まるところ自由意思はないと私も思っているのですが、自分が全てを動かしているという体で生きています😊Life is but a dream
自由意志の部分はまだ良く分かりませんが自分の小さな選択の積み重ねが今の自分、未来の自分を作っていくと云うお話は分かり易かったです。仏教で云うところの業と通じますね。
生まれる前はこの初めて見るであろう世界や自分に自由そのものや自由意志なんてものがあるなんてことはついぞ知らなかったと言うのが本当の所です。
僕は無意識から意識に行くまでのピックアップ作業で必ず体験と遺伝子の性格が反映されていると思っているので今日のお話しはすごく刺さりました
@mitsuhironoboru8724 さん、理解が進みますね、脳内では体全体の反応情報が次々と伝わり交差した挙句に何らかの結論に至るとすれば、そこには内外の刺激なる原因という縛りとその時点からの時間の掛かりの制約があるので、脳内にその時間を経てつくられたその結論は当然その原因から自由ではないが、その後に自由な思考による自由な意識もつくれるでしょうね。
私は茂木さんのお考えに共感します。ただし無意識を耕す場合の無意識とは新しい情報を理解したりするだけで変化するものだけでなく音楽を聴いて情念をより深くするものでもあると私は思います。
マーク・トウェイン、中野好夫訳の『人間とは何か』を読んでいて彼も「人間機械論」を老人に唱えさせながら「自由意志」について論じています。茂木さんの今回のお話は丁度これにリンクして、しかもAI 時代な我々の自由意志について大切なヒントを貰えました。有難うございます❣️
この動画を全て見終わって、特に「コメントしたいなぁー」とは思わなかったのですがその思考を敢えて拒否してみて、コメントしてみようと思います✨・・・と言っても特に何も思い浮かばなかったので、「クオリアと人口意識」を読了させていただきました。とっても面白い本を書いていただき、ありがとうございました✨とお伝えしたいと思います。
その「思考を敢えて拒否する」こと自体が、この動画の内容に影響されていると思うこともできるので、その敢えても、自由意志じゃ無いのかもしれませんね。
@@airq1106 ご返信ありがとうございます✨はい♪その感じを先ほどのコメントで表現してみました~✨
自由ですね!ほんと自由です。自由しかない
難しい・・・。とはいえ、自由意志はあると思ってしまう。今日の夕飯の献立も私は自分の自由意志で決める
自由意思のあるなしは自由の定義と意思の定義次第ですね。意思は脳活動の多数決演算の結果と考えれば良さそうで、その結果の拒否も同じ計算結果が続いた先のことでしょう。意思は脳の状態であり脳内にある、このあたりをふまえた先にAI論があると思いました。
自由意志はありませんが量子の不確定性によるサイコロの出目に期待する希望は残されていると思っています。
んだ、やっぱり、その、自由意志の積み重ねによって世界線が変わるんだわ。積み重ねによって選んだ応報事象は不可避
場当たり的にその場で選んだつもりでいては「実は選べていない」といったところでしょうか。先を意識して選択し続けないと先の無意識をコントロールできないと理解したつもりに、今のところなってます。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」にも通じるように感じます。ありがとうございます。
昨年作ったGAIに関してのレクチャーのプレゼン資料で、ほぼ同じことを論じました。わたしたちが自分で決めたと思いこんでいる決断の元が、社会的価値観によって形成されている状況において、私は何者なのかという問いすら意味をなさない可能性があるという現実。しかし、それでも地球は回っているという事実。色々考えさせられます。
普段の生活の中で無意識の選択を意識して拒否権を発動したことが何度何度もあるのを思い出しました。
@gotokoji7528 さん、興味を持ちました、思考は脳活動の現在進行中の面を指し、意識は思考結果が停滞中の状態のように思いますが、どうでしょう?
熱いストーブを素手で触って手を引っ込めるときには自分の意思はない、反射的反応で。それと同じように、自分で自由に意思を決定してるように見えて、実はそうではなく反射的反応だったりする。
自由意志はない一つ一つの選択が脳の無意識を耕すそれが明日以降のあなたの選択の確率モデルを変える自分が希望する大きな流れを支えるような小さな選択を積み重ねるRPGみたいに一つの選択が今後の世界線を変えてしまうと思えば一つ一つの些細な選択にも意味があると思えるワンクリックで自分の世界線は変わる自分の人生を作るのは自分一つのクリック(選択)がとても重いのだ
ていうか、むしろ、自由意志がある。というより、自由意志しかない。しかたがない
私は「育った環境や立場がその人の人格を作る」と思っています♪そして、出来上がった人格は彫刻をするように研磨されて新たな形の人格へと変わっていくのでしょうか?ただ、研磨の際に、自分の好みで人格を削るかどうか、これが自由意志?的なものでしょうか?
人や世の中を色々な角度で考えてるの好き俺は科学と心の発展こそ明るい未来へと繋がると思ってるでもその科学で人を操ったり殺めたり心が子供のままっだり闇落ちしてる人多いと思うだから今の世界線は科学はある程度先に行ったけど心が追い付かず、また戦争まっしぐらかと考えてます
脳科学者から脳科学タレントになった自由意志はあったのだと思うが左足から踏み出すという自由意志はなかったと思う 身体的特質の癖のようなものか自由意志は分けて考えるもんかな。
茂木さんは講義録において次のようにまとめておられます。「リベットの実験で脳の無意識下での反応が確認されたが、意識の役割は、それに拒否権を発動すること。自分の無意識を耕すには自分が希望する大きな流れを支える小さな選択の積み重ねがとても大切である。お互いに相手の決断を尊重できる社会ではその意思決定の人のせいにはできない重みを引き受ける。」しかし、リベットの実験中に、「準備電位に対して拒否権を発動する役割」、すなわち「拒否権を発動するか否か」の選択は自由意志ではないのでしょうか。また、「自分の無意識を耕す」ために「自分が希望する大きな流れを支える小さな選択を積み重ねていく」または「その選択を積み重ねていくか否か」を選択することは、自由意志に基づく行動ではないのでしょうか。
その選択をしようと思う数秒前に脳は決定をしている、と聞くとさらに訳が分からなくなります(T_T)
アルゴリズムでこの動画に会った様です。良い出会いでした😊
茂木さん、マイペースに😢❤
今この瞬間の私Aよりも、明日の私Bが、より強い意思の自由を獲得したと言えるためには、自分の選択肢を左右している根拠をより深く把握して、最善の目的に近づけられるようにそれらをコントロールできるようにすることでしょう。例えば瞑想して無意識な領域を意識化したり、知識を得ることで、自分の行動の根拠を知ることでコントロール領域を増やしていく。例えば習慣づけをすることにより、より望む行為を取れるようにしていく、など。また、人間には反省の能力があるので、これを十全に活かせるように、する。私はこれを本当にすべきなのだろうかと、立ち止まって考える。これも自由を獲得する手段になるでしょう
今、個人的に考えていた内容と合致していて勉強になりました、ありがとうございます。個人的には意識というのは「遺伝子」と「ミーム」の重ね合わせではないか?とも思っています。ミームというのは後天的な遺伝子のような働きをするもの全て(経験、環境、学問、芸術、、、)で直感的な感覚というのは遺伝、親を含めて先祖代々の遺伝子の選択、それに対して拒否権はミームによる自分の選択、なのではないか?とも思っています。AIの登場もそうですがAIがなくても科学が発達し、情報というのは世界に、そして現在から未来に伝えることも容易になりました。「遺伝子」と「ミーム」の関係についても考える時期に来ているように思います。遺伝子とミームの関係は置いといて、茂木さんが言っているように情報化社会、情報が多く手に入る時代にどのように自分の中のミームを作るのかはとても大事なことだと思います。人の脳って、千年や二千年ではあまり変わってないんですね。確かに洋の東西関係なく、哲学なんかは昔の人のほうが深いことを考えていたんじゃないかと思っています。またなぜ人は間違い(犯罪)を犯すのか?茂木さんは知っているかもしれないですがAIの成長もそうですが、正しいことばかりさせても長期的な観点から見れば成長はよくない。効率のいい成長、長期的にみれば多少の失敗、ミスもありながら多様性をつくっていくことがいい、そのようなことかと思っています。どのような自分の作っていくか、それも試行錯誤になるのでしょうか? 「太く短く、細く長く」ではないですが、学問などの知識・情報というのはAIができるものだけど、感覚・感情というのはAIは厳しい分野でそのような経験を意識することが大事なのか?でも、知識がないとその経験というのも無駄になったり、、、AIの時代、哲学も大事になってくるだろうな。長々と駄文を書きましたがこれからも動画、ご活躍期待しています。
「浮気はいけない」という規範的決定をしている人でも事実としては浮気するという選択をすることはあり得るし、「性自認と性指向は本人が決めるべき」という規範的決定をしている人でも外見から性を推定してしまうことはあり得る。規範的な意志についてはみんなで議論できるけど、事実的な意思を批判しようとするとそれは居心地の悪い世の中になるよね(今がそうだけど)。
茂木先生の話からは、先生が自由意志否定論を信じているようには聞こえない。結局、「私たちはこれを踏まえてこうしなければならない。こう考えていかねばならない」みたいなところに行き着いている。茂木先生ははっきりとエリート主義者だし、とにかく天才に対する憧れが強い人だと思うので、自由意志を否定したら、今まで論じてきたこと、信じてきたことが全部揺らいでしまいますからね。
かしこい!
無意識はこれまでの経験から得られた情報をもとにした次の行動の可能性の候補群から得た結果で、意識は無意識の結果を観測する行為、自由意志は、観測行為によって無意識側にフィードバックして2番目以降の可能性を選択させる行為で、そしてその重み付けが個性につながると考えます。先生の言う現時点で実現出来ていないであろうAIの自発性と内省の問題は、外界との接触があればAIも世界を認識し勝手に生きることの目的を考え始めるでしょうし、人間も五感を断てば、ジョジョの宇宙空間に飛ばされたディオのように、鉱物になって考えることをやめるでしょう。AIも自由意志の選択の結果(自分と周りの世界線の変化)をフィードバック出来れば人間と同じ事ができるようになると思います。この動画によって、普段得られないような知的好奇心を得ることができました、ありがとうございました。
ありがとうございます😊🍀
レオポルド・ンンディの考え方が秀逸です。強制選択と自由選択。ハイデッガーの言葉で言えば、被投的が強制選択、投企が自由選択。合わせて、いま、この瞬間は、被投的投企。
自由意思がないと人生で起こる事は生まれた時から全部決まっているんでしょうかね😮
茂木健一郎❤✨️
能動と受動と中動ってあるらしいですね
今日はカレーにしてね母さん!と言ったら あら、今日はサバの味噌煮によ!と言われた時に自由意志はないと思った!
自由意志は、忙しさにかまけて、ない。と結論ですかね。
私は昔から、自由意志があるかどうか迷ってしまう事自体が、自由意志がない事の示唆だと思っています。真理として人間に自由意志があるのなら、哲学だろうが脳科学だろうが物理学だろうが、どれだけ難しく考えても、自由意志がある事を自分が100%分かるはずだからです。「選ぶこと」(行動すること、拒否することなどに拘らず、)の感覚で、本当にその選ぶこと(例えば迷いながらEを取る)の最終段階の最終段階のキワキワの所を、直接自分の自由意志を持って選んでる感覚は、私にはありません。そこには、後から考えると「なぜかそうしてしまった」感覚しかないからです。直感的に選ぶ、何となく迷って選ぶ、も同じで、「迷ってる段階」から「実際に筋肉を動かしたり動かさなかったりする段階」の間において、本当に直接的かつ完全に「自分の自由意志」が支配できてるのかについては、感覚的には疑問が残ります。結局は、根本的には「なにかを選ばなきゃいけないという切迫感」に背中を押されてるだけというか...純粋な意味での自由意志の感覚とは、やはり因果のはじめを決定するという意味だと思います。(それがあるのかないのかすらもちろん分かりませんが)やはり、純粋な意味での自由意志とは、全知全能の感覚かつそれを支配している真理ではないでしょうか。(それが私にはないので、私には自由意志がない事になります。)
死生観はあるのに、お墓参りしてご飯を備えたりするのは?これは、無意識では死んでいると理解してるのに、意識ではそれを否定した行動😊
動画大変面白かったです。ところでいくつかの動画を拝見したことで、今のところAIは意識を持たないというのが最先端の先生方の見解だということは察することができたのですが、素人目には、LLMの界隈でよく用いられているEmbeddingというデータ処理が、ほぼイコールでクオリア に見えてしまいます。そこで、脳科学者の視点から、Word embeddingとクオリアの違いを説明した動画を出して頂けると大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。
環境が、人を創る。
生物が生き残るために、反射的な無意識な行動に加えて、それを修正するために「意識」として「快・不快、感覚」「美・醜」、さらに「感情」などのようなものが生まれ、さらに記号を伴った論理的な「思考」による判断が加わったのだろうか?自意識の中でも様々な種類のものがせめぎあって判断が下されるのかな。
何言ってんだ。それは自然選択だろ笑
16:07 メタ認知可能な世界では自由意志はない。ありがとうございます✨
私は一応科学的に考える方だと思っていますが、若い頃から仏教の空の思想に共鳴しています。いろいろの原因が重なって今の自分がある訳ですが、私はそれらの原因をいちいち承知している訳ではありません。これを突き詰めて考えると、自分の根拠を自分のなかに認めることができなくなります。かといって、自分には責任はないのかというと、そうとも言いきれません。少なくとも、ここからここまでが私の責任であるという境界線は引けないというのが、私が理解しているつもりの空の思想です。きわめてあいまいです。で、私も自由意志については疑いをもっています。かつ本来、人は悪人を裁くことはできないとも思っています。
アートかぁ、表現の方便かぁ、ありがとう!
とっても興味深い命題です。このビデオを拝見する前に私の考えを書きます。アルゴリズムの範囲内、自分の意識に私の存在を認めている場合、ただの脳の自動制御ととして自分の意識には私が存在して感じない場合、自分意識の支配を受けて、そのには自由意志と責任は発生する事はない。と考えますが、私の存在は自分の意識をメタ認知している自分がいて、どんな意識状態であろうが、それは私の作った脳の自動制御で現れたものなので認めると、デカルトが言う世界と同じ感覚を得られます。そこに自由意志と責任があり、私と私が生涯かけて作った体からくる自分の意識の深い関係を感じてます。
うむ。。意識てなんだろう?。という、無限ループの入り口に私は入りそうです WW // イマジン大学は面白いですね。イマジン大学を見て考えて という楽しさの 無限ループに入りそうです。汗
行動→意識学習→次の選択は学習によって選択済みなので行動が先に起きてるように感じる
人生の可能性の確率分布をどういう方向にガイドするか?これこそが自由意志の本質であり役割であるだろう。それは因果を制約する光円錐の中の全可能性空間のなかで、自分がこれから歩もうとする限られた世界線を一定の方向性を持った領域(例、自分なりの円錐領域内)に誘導し、それからはみ出そうになったらコントロールする機能。
二元論で考えたらあったり無かったり直感を大事にしたり気持ちをのし殺したり波状状態の時だったり点の時だったり闇と光は二つで一つ
「自由意志はあるのかないのか」と言う問いの設定が間違えてると思う。「このような状況で、起こした行動を世間一般的には自由意思のもとで行ったと見做す」というのが自由意志であって、「でもそれって究極的には全て本人がコントロールできない要素で行動させられてるよね」と言うのは的を得ていない。自由意志というのは人間の制度的構築物で、刑罰を成立させるための一種のフィクションですから、このフィクション的刑罰の制度不可欠なアクターが自由意志なのです。なので、その制度よりもさらにメタな視点に立って「でも究極的には」といったらフィクションが破綻してしまうのです
自由意志は無いし、それは皆が思っているほど重要ではない、というか抗うものではない。
見た動画により集まって来る物がガラリ!と変化しますよね。わかります。ですから時々元に戻す様に中和するような動画を取り入れてます。面白かったです。ありがとうございました。
あ!💡、今なんとな~く、それとなくボンヤリと感じが、繋がって来た様な…🙄。意識って、それまでの蓄積?総合的な物の?中からかぁ…。そうしますと途中でやはり方向転換の為のやり方は考えられますよね。有りますよね~。な~んか、これは面白い感じですね。ちょっとこれからは、意識してみます(笑)💮もう一度動画を再度見ました。より分かりやすい感じに成りましたね🤭想う事、感じる事も、やはり重大でありますよね✨。面白い。繋がりが有りますね。今迄の事さえもね…。
@thomasaqinas2000 さん 制約と自由の定義次第の論のようで興味あります、でこぼこ道も難なく歩ける小脳以下の機能は、大脳の思考の中で言われる無意識という機能とは別とした方が良さそうですね。 大脳が活動する以前に歩行は無事完了してその要約のみが大脳に送信されるか、大脳が要求したら送信するとすれば、身体内でその制約の中で大脳に自由な思考あれば、社会の中での自由もあり、その結論としての意思もあるというふうに思います。
人生は無限の選択があるように見える一本道悲しいな
選択できるときに選択したことの 応報としての事象は、選べない と思う。選べる時がある
これいつ撮られたものですか?
仮にこの宇宙を最初から全く同じ条件を揃えて開始した場合、宇宙誕生から今と同じ時が経てばその宇宙には自分がいて、今書き込んでいるこのコメントと同じコメントを入力しているはずではないか?みたいな事を思ってました。
なので、仮にこのあと宇宙の物理法則が解明されてかつ、宇宙初期の構成要素も解明できれば、それを超高速でシュミレートでき将来起こる事も全てわかってしまう様に出来る事になるのだけど、仮にそうなってもそうなる事すら必然だった訳で、そうなれば未来を変えれると思っても、その変えれた未来でさえもそうなる事になっていたという事になり、全てが必然として経過しているという…頭ぐるぐるになってしまうのですがどう思いますか?
それは量子脳理論を排除してる。人間の脳がコンピュータなら、きみのいってるとおり。しかし、量子もつれが影響しているなら、無限の可能性がある
もし、自由意思がほとんど存在しないかもしれない事を知っているうえで、現在進行形において自由意思が存在していると強く信じている時、その人に自由意思は存在しますか?
難しい💦自由意志があると信じてる自分とは何だろうか?脳?細胞?意識?意識とはなんだろう。。。。終わらないですね
@@imagine-univ 私は絵を描くしか脳が無いので、わからないんですが、、(色々教えてください!)直感的には、神学の体系的な理論の中かアジア哲学の中のどこかに抜け出すヒントがあるんじゃないかと夢見ています。
@@imagine-univ 信じるという言葉が他のものとは異なる特別なものだと考えます。
選択も含めて自由意思は無いと感じます。経験を積む行為すらそれまでの経験によって決定してしまう。そもそも選択することに因果関係の無いランダム性すらあるでしょう。でも、もしかしたらそのランダム性に自由意志が混在する可能性はあると思います。
茂木さんに一発ギャグをしてみてほしい、自由意志じゃないならどんなギャグが出るのかみたい
自由意志がなければ「善も悪もない」し、認識の自由がなければ、「真も偽もない」。認識の自由がないなら、「自由意志はない」も「真でも偽でもない」。
完全な無意識は無理でしょうね。生まれる前の世界もわからないのに。選択は過去のデータに影響してるし、完全無意識なら選択するという事自体が理解できないのでは?
乳幼児の時は意志無いじゃん。でもうんこ漏らしたら泣いて意思表示するよね。じゃあ乳幼児に自由意志はあると言える?大人になった今はうんこ漏らしたら、泣く以外にも誤魔化すか、洗うか、着替えるか、という選択ができるわけだ。複数の選択の中からどれかを選ぶ行為を自由意志と呼ぶのでは?選択が増えると迷うから選んで行為に及ぶまでの時間が長くなるわけだ。その時間的間隙、空間的間隙を「意志」と定義したに過ぎない。であれば自ら選択できる主体は自由意志があると言える。犬猫も蟻も虫も細胞も。
ニールドナルドウォルシュ「神との対話」をおすすめ致します。自由意志の本質が見えてきます。
思考実験として、全く原因を持たない意思決定を考えてみる。そのような決定はごく普通の意味において、本当に自由だろうか、と考えてみる。まったく原因を持たない決定は、どんなものか。これは、決定という言葉に矛盾するのではないか。「自分の意思で決定したものだ」というのなら、これは、誰かに強制されたものではない意味での自由を指している。これはいわゆる「消極的自由」だ。しかし、消極的自由は、原因を持たないかというと、そんなことはない。「私が自分の意思で誰に強制されるのでもなく、会社を辞めた」などという時、そのように決断した背景や、経緯はいくらでも思いつく。そのような背景や経緯を仮に全て剥ぎ取ったら、「決断した」という言葉の意味はもはや維持できない。
自由意志があるのか、ないのかは、こんなふうに考えるとわかりやすいですよまず、あなたが今AにするかBにするかを迷っていてその地点をCとしますなぜそこがC地点なのかというと、過去にCを選ぶかDを選ぶか迷った末に選んだ結果がCだったからです今のAにするかBにするか、これと同じように過去にもCにするかDにするかを迷っていたというわけですそして同じようにCにするかDにするか迷っていた地点をEとすると、そのE地点もまたEを選ぶかFを選ぶかを迷った末の選択の結果ということになりますさらにそこをGとし、GにするかHにするかをI、IにするかJにするかをKとしますこのたとえはこれ以降も続きますが、これを、私たちが物心ついてない幼児期にまで遡って考えたときに、AにするかBにするかを自由に選ぶことができたかということですさらに時間を遡り、生まれてくることをA、生まれてこないことをBとしたときに、AにするかBにするかを選ぶことができたかどうか、ということ人は年齢を重ねると共に自由意志が発生するということはないでしょう答えは明白ですねでも、この自由意志がないという話は、世には浸透しないようになっているように思います何か事件があったときに、責任問題に発展し、最終的にはモラルの崩壊になるのでw
自由意志の概念がそういうことだと、もしかして、ないのかも。。。
10:20 外国語がわからないことで、かえってその本質に気がつくことかある。先生が自由意志と呼ばれたり、無意識と言われる中には、他人の思考や感情が入っています。😂 11:47
思考と感情は量子体。他人や集合意識とも絡み合う。スマホにはすでに集合意識のエネルギーが入ってます。
11:57 これがメタ認知
2:13 そのとおり 自覚できない設定
死後初めて、自由意志を獲得できると解釈できませんか?
自由意志はないと思います。自由意志は選択の結果を言葉にしたものだと思います。
いいねを連打し続けたけど、これは自由意志?ハパニャッ!って叫んでみたけど、これは言わされてるのか!モハニャっ
性格は腸の細菌で変わるってさとうみつろうさんが仰ってましたね
罪を憎んで、人を憎まず。自由意思があろうと無かろうと、罪をなくす、犯さぬように生きる事が、結果的に、社会をよくする。よりよく生きよという神の意志と、AIIの主張は同じ内容になると思いますが。人間の総意こそ、神の意志、そしてAIなのでは。ご苦労様です。
神の視点、次元の高い視点?からすると、人間が思うような、良い悪いがない。経験全てが価値であるという視点がありますよね。自由意思っていうと言葉が難しく、自由とは何か?という話になりますが、人間は少なくとも、自由かどうかは別として、意図を出す。意識をする。ということはできると思います。そのため、人間の役割は要求、意図、意識する。ということで、あとは神というのかタオというのか、源というのか、宇宙エネルギーというのか知らないですが、とにかく無限のエネルギー、本質的なエネルギーを出す場所という概念があり、わかりやすく神としますが、神が場を作る。ということ。つまり、オーダーは人が出して、神が場を作る。そういう流れだとしたら、すべてを人が操作できないので、自由意思はないとも言える。言語では表現できないでしょうね。少なくとも人は単独で動いているということはまずないので、1人ですべてを決定することはない。自由の定義が100%すべて自分で決めることができる。という前提のお話であれば、自由意思はありません。となるかもしれないと思いました。もっと多次元的に絡み合っているんだと思います。それを無意識とか顕在意識という抽象的な言葉で説明されるケースが多いので、人によって解釈は必ずずれます。そして、人の解釈は統一不可能だと思います。それが1人1人宇宙と言われることにもつながるのかなと。個人的な仮説としては、世界はフラクタル構造であり、マクロとミクロは常に相互作用がある。というのは感覚的な話ですがあり得るのでは?と最近感じました。
僕は量子力学懐疑派の決定論者です。なので物理学的に、人に自由意思は存在しないと考えます。宇宙の全ての物質・エネルギーが同じ状態なら人の行動は1つしかあり得ません。つまり、全く等しい選択肢を思い浮かべて等しく悩んで等しい行動をする、しかないです。宇宙が誕生した瞬間にその後の全てが決定されている、と考えるのがシンプルで論理的に思えます。
ここ違っています😢 3:58
海のように広大な物理的・生物的・社会的な因果のネットワークのノードとしての「私の意志」や「私の意識」はあると思います.しかしネットワークから切り離された,外界の干渉を受けずただ一方的に行為の原因となるような「自由意志」は無いと思います.心身複合体たる人間は歴史の縁の産物だというのが私の考えです.またあらゆる言動は【当人の世界では】常に正しいのであって,人間はそもそも悪事を為しえません.人は自己正当化モンスターです.有害な逸脱行為だと社会が認定するから悪事たりうるのです.自由意志により犯行を選択したか否かではなく,良心・社会常識・共感性の欠如が問題なのであり,矯正したり制裁を課せばよいのではないでしょうか(現にそうしていると思いますが).
クリックの重さを言っても自己責任の辛さを自覚させ。主体的に選んだ結末を引き受ける辛さが増す。自由のために敢えて普段見ないコンテンツを見て自分にとって辛いコンテンツをおすすめで表示させるようにしたり、敢えて犯罪をする事も含めて自由なようでいて因果関係を超えないよ。だって、今このコンテンツを見てその人が変わるならそれはその人のアルゴリズムが駆動しただけじゃないか。犯罪は自由意思ではなく遺伝子と環境が行わせるものだよ。
「自由意志がない」ということがはやっているようですが、はたしてそうでしょうか?私たちは単に意志するだけではなく、意志していることを「知っている」のです。知っているということは「反省している」ということです。すなわち私たちは意志することをそのまま直ぐに実行するかというというとそうではないということです。私たちが意識するということは反省するということです。純粋経験とは「無意識の意識」であり、無意識の意識を反省して意識化することが私たちに意識なのです。意識は0,5秒遅れてやってくると言われますが、そうではありません。物理的な脳のたらきと「無意識の意識」の働きは「同時」なのです。意識の前に無意識の意識が働いているのです。この「無意識の意識」の存在を体験的に知ることが所謂「見性」すなわち「悟り」というものです。禅では「隻手の音声を聞け」とか「鳴らぬ前の鐘の音を聞け」といった「公案」をもって無意識の意識の存在を示唆しています。茂木さんにはこの辺のところを深く考えてもらいたい、そうすることでもう一歩前進することができます。今のままでは茂木さんは単なる「唯物論者」でしかありません。
わけわからんけど、おもしろい~(≧▽≦)
本来向かうべき方向という潜在的意識では自由意思がないかもしれない。ただしそのプロセスで、大きく分けて2択を常に試されている部分では自由意志がある。1つ目は私利私欲でないヒュマニティに対する貢献、2つ目は自分を優先するという判断。これによってカルマスコアなるものが上昇あるいは下降し、限られた人生の中での終着地点が決定する。輪廻転生論では、人間の魂はこれを繰り返しレッスンが学ばれ魂レベルの上昇を試される。人間は子供をまず持つという部分で、魂の上昇に大きく影響を受ける場合がほとんどである。
エピソード記憶だっけ?前田さん
我々は通常、意識と思考を混同しているように思っています。思考は記憶と情報から答えを導き出しますが、意識は思考も含むと思いますが、もっと感覚的な作用を中心だと思います。例えば自分自身を説明する時に、記憶と自分の信じている情報をもとに、名前や性別・年齢や出身・学歴や職業などで説明しますが、それは思考が導く答えです。意識の場合は、自分はここに在るというような感覚的な認知の領域を含みます。要するに意識の領域はある意味で説明することは不可能です、何故なら感覚的に分かるという領域だからです。そしてその感覚は他の人と共有して認知することは不可能です。茂木氏の追求されているクオリアはこの意識の領域に関係していると思われ、我々人類には現在の物理現象的3次元の世界に要点を置いている限りそれを見出すことは難しいのではないかと考えています。で結論として、自由意思というのはこの意識の領域を含み、思考を超えた意識の選択ということだと考えられると思っています。長々とすみません。😅
んだから、その行きたい学校というのがあやしい。 ただの欲張りなだけではないか?その行きたい学校に、その先、自分にとっての幸せが、ない!!かもしれない。んだからさ。ふさわしいふさわしい自分の生き方? 快適な、愉快な、それ、その人生を🌸
自由意志がなくても刑罰は抑止力にはなるのではないのでしょうか?
ヒルティは、ユダヤ人自身がキリスト教に帰依しなかったことが神の最大の誤算だが、それは、人間が自由意思を持つことの最大の証明でもあると言ってた。
一生懸命話したので、ぜひ聞いてくだせえ!
リベットの検証は、本質的に自由意志を論じる問題になるのでしょうか?その瞬間の行動(運動)という点では、小脳等の身体制御作用が無意識化している状態と同様な気がします。自転車等の運転でも、各種スポーツ等でも、運動の身体制御は「意識」し、そこに「自由意志・選択」の働きを及ばして実行されているとは、全く思えません。自由選択は、運転して向かう目的地や道順の選択や、どの様なスポーツを実行するかの選択に関わるのだと思います。
そうした選択も、選択主体(意志)の存在様態や、それが置かれた環境によって、定められていると考える立場も、あるとは思います。その観方の広い観念が「決定論」であり、「摂理論」だろうと思います。
これに対しては、ルーマンの「システム論」を当てはめられる気がします。宇宙自然全体を観れば、全方位に無限の開放系の様態が観られますが、中間域では多くのシステムが入れ子状になりつつ関係し合って、閉じた系を構成している状態を観ることができます。それを抽象して法則等を理解し、諸システムの自然本性を「定義」していきます。
そうした中間システムの一つが、「人間」であり、さらにその人間の一人として「個人」なのであろうと思います。
このような「中間システム」を観るフレームワークで、宇宙自然全体にスケーリングを施すと、ここでの問題も説明ができるように思われるのですが、どうでしょうか?「私という個人」が諸システムの情報を認識し、認識した中から選択して、そのシステムを発動させる。認識していない状態であれば、選択はできません。その状態は偶然の試行錯誤の結果の集積に過ぎません。選択には、先ず知る事が必要になります。ソクラテスの無知の知(自覚)があって、知り得る諸システムの拡がりを観ることができると思います。その上で選択していくのが、意志的作用であり、よく言う真の自由という倫理課題になると思います。
ともかく、身体的制御レベルと自由選択とは、それこそシステムの次元が違うのだろうと思いますが、どうでしょうか?
せえ!
一生懸命よりもちゃんと正しい前提知識を持つべき。性自認は自由意志では選べません。性自認はもっと深いところにあって性自称ではない。
そか✨一生懸命話したんだ、茂木健一郎❤
現在、自由意思の「起こり」だと考えられてる部分が間違ってるんじゃないか?
もしくは計測方法が間違っているか。例えばめちゃくちゃ微弱な電気で行われていて計測出来ていないか、今はまだ知られていない別のルートで伝達起こってるのか
というか茂木さんの言う「自由意思の前に指令が出ている」にしてもそれもまた「自分自身」なんだから別にかまわんと思うんだけど
Eを選んだと「思う」前に、思わされてる。その思わせて来る奴をまさか神と思ってる訳じゃないだろうし
それの指令を出してくる無意識も自分自身なのでは。例えばここで「これが自由意思じゃい」ってサンバを踊り出したとして、それも無意識に操られてるからと言うのは後出しだと思う。
おそらく後世には、問いの立て方が間違っていたか、意識の「起こり」を勘違いしていたか、計測法が違っていたかに落ち着くと予想する
今、ビデオ見終わりました。ありがとうございます。共感できました。人間の感覚から現れる世界は言語化できないものです。私は日常生活で感じています。ですから、概念化して布石を打たないと直ぐに消えて行ってしまいます。概念化したらそれが土台になって、成長にも繋がっているかもしれません。ありがとうございます。
私たちの意識は観察者で、脳の意思決定とそれに伴う起こりを体験するのかな?って、思いました😊
管理人って面白い例えだなと思いました。
私がこれを見たのも、決められていた。ってことですよね🎉
私も自由意志はないように思っています😊
全ては決定されているような気がします。
それを感じたのが、強烈なデジャヴ。何度も何度もこれを体験している?ような気がしてならないんですよ。。。
まるで同じことを同じ道筋で永遠に♾️繰り返しているような。。。
素朴に違和感が残る話です、何かを目が見た、その情報は脳内の視覚機能である姿に整えられつつ、様々な記憶、言語化、空間認識、感情機能などで結論が出ると考えれば、事象は思考する前に起きていて、それは後刻に変更は出来ないとして、思考の結果は事象の刺激の後から様々に変化しつづける。事象を見ての判断は後付けで、これは決まっていたわけではない、あくまで事象はその時起きたこと、見た事は後付けの論で良さそうですが、どうでしょう?
茂木先生の悠仁様へのエール動画からここに導かれました。
とても興味深い内容でした。
そもそも、どこに生まれるか、何に生まれるかも自分の意思ではないし、人の自由意思とはあっても極少ないのものなのかな、と思います。でも選択を繰り返すことで、自分らしさを決められるのも人間であり。深い世界ですね。
情報をクリックすることから、もうすでに鳥籠にはいっていく。
自分のうちに向き合うことが自由🌈🦋
アルゴリズムによる提案と、何を選択するかのお話が大変為になりました。
茂木さんがEを選ぶの直感でわかりました☆非二元論では全て全自動で「自分」はいない、とのことです。植物が太陽、雨、風、土などの活動を受けて、黙って育つように
我々も同じ「命」の存在であるだけで。地球上の命全てと同じ存在。
ちょっと茂木さんのここでおっしゃることと違うかも知れませんがノンデュアリティを学んでいるのでわたしはそう感じました。
いい人も悪い人もいない。それぞれの人の内面の焦点が全てを判断してそう見えてるだけで
でもそんな反応も全自動で起こっている。
共感しました。これからも視聴させてもらいます。よろしくお願いします。
頭が良く理性的な人でも、結局は感情で動いていて理屈は後付けだよな。
話を「人生論」に落とし込むと、かえってややこしくなりますね・・。ここまで人間が達成してきた科学の進歩のどこに自由意志がはたらいているのでしょうか。
人間に自由意志はないが
世界それ自体は決定論ではないと思ってます
人間の自由な選択によって未来が決まるのではなく、自然現象同様に宇宙が人間に選択したように振る舞いを与えて未来がランダムに決まっていくのだと思ってます
無意識に何を入れどう耕していくか… 大事ですね✨
そして今茂木さんのこの動画を選択して見ている私…
その自分を俯瞰して見ているまた別の私…
詰まるところ自由意思はないと私も思っているのですが、自分が全てを動かしているという体で生きています😊
Life is but a dream
自由意志の部分はまだ良く分かりませんが自分の小さな選択の積み重ねが今の自分、未来の自分を作っていくと云うお話は分かり易かったです。
仏教で云うところの業と通じますね。
生まれる前はこの初めて見るであろう世界や自分に自由そのものや自由意志なんてものがあるなんてことはついぞ知らなかったと言うのが本当の所です。
僕は無意識から意識に行くまでのピックアップ作業で必ず体験と遺伝子の性格が反映されていると思っているので今日のお話しはすごく刺さりました
@mitsuhironoboru8724 さん、理解が進みますね、脳内では体全体の反応情報が次々と伝わり交差した挙句に何らかの結論に至るとすれば、そこには内外の刺激なる原因という縛りとその時点からの時間の掛かりの制約があるので、脳内にその時間を経てつくられたその結論は当然その原因から自由ではないが、その後に自由な思考による自由な意識もつくれるでしょうね。
私は茂木さんのお考えに共感します。ただし無意識を耕す場合の無意識とは新しい情報を理解したりするだけで変化するものだけでなく音楽を聴いて情念をより深くするものでもあると私は思います。
マーク・トウェイン、中野好夫訳の『人間とは何か』を読んでいて彼も「人間機械論」を老人に唱えさせながら「自由意志」について論じています。茂木さんの今回のお話は丁度これにリンクして、しかもAI 時代な我々の自由意志について大切なヒントを貰えました。有難うございます❣️
この動画を全て見終わって、特に「コメントしたいなぁー」とは思わなかったのですが
その思考を敢えて拒否してみて、コメントしてみようと思います✨
・・・と言っても特に何も思い浮かばなかったので、
「クオリアと人口意識」を読了させていただきました。とっても面白い本を書いていただき、ありがとうございました✨
とお伝えしたいと思います。
その「思考を敢えて拒否する」こと自体が、この動画の内容に影響されていると思うこともできるので、その敢えても、自由意志じゃ無いのかもしれませんね。
@@airq1106
ご返信ありがとうございます✨
はい♪
その感じを先ほどのコメントで表現してみました~✨
自由ですね!ほんと自由です。自由しかない
難しい・・・。とはいえ、自由意志はあると思ってしまう。今日の夕飯の献立も私は自分の自由意志で決める
自由意思のあるなしは自由の定義と意思の定義次第ですね。
意思は脳活動の多数決演算の結果と考えれば良さそうで、その結果の拒否も同じ計算結果が続いた先のことでしょう。意思は脳の状態であり脳内にある、このあたりをふまえた先にAI論があると思いました。
自由意志はありませんが量子の不確定性によるサイコロの出目に期待する希望は残されていると思っています。
んだ、やっぱり、その、自由意志の積み重ねによって世界線が変わるんだわ。積み重ねによって選んだ応報事象は不可避
場当たり的にその場で選んだつもりでいては「実は選べていない」といったところでしょうか。先を意識して選択し続けないと先の無意識をコントロールできないと理解したつもりに、今のところなってます。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」にも通じるように感じます。
ありがとうございます。
昨年作ったGAIに関してのレクチャーのプレゼン資料で、ほぼ同じことを論じました。わたしたちが自分で決めたと思いこんでいる決断の元が、社会的価値観によって形成されている状況において、私は何者なのかという問いすら意味をなさない可能性があるという現実。しかし、それでも地球は回っているという事実。色々考えさせられます。
普段の生活の中で無意識の選択を意識して拒否権を発動したことが何度何度もあるのを思い出しました。
@gotokoji7528 さん、興味を持ちました、思考は脳活動の現在進行中の面を指し、意識は思考結果が停滞中の状態のように思いますが、どうでしょう?
熱いストーブを素手で触って手を引っ込めるときには自分の意思はない、反射的反応で。
それと同じように、自分で自由に意思を決定してるように見えて、実はそうではなく
反射的反応だったりする。
自由意志はない
一つ一つの選択が脳の無意識を耕す
それが明日以降のあなたの選択の確率モデルを変える
自分が希望する大きな流れを
支えるような小さな選択を積み重ねる
RPGみたいに一つの選択が
今後の世界線を変えてしまうと思えば
一つ一つの些細な選択にも意味があると思える
ワンクリックで自分の世界線は変わる
自分の人生を作るのは自分
一つのクリック(選択)がとても重いのだ
ていうか、むしろ、自由意志がある。というより、自由意志しかない。しかたがない
私は「育った環境や立場がその人の人格を作る」と思っています♪そして、出来上がった人格は彫刻をするように研磨されて新たな形の人格へと変わっていくのでしょうか?ただ、研磨の際に、自分の好みで人格を削るかどうか、これが自由意志?的なものでしょうか?
人や世の中を色々な角度で考えてるの好き
俺は科学と心の発展こそ明るい未来へと繋がると思ってる
でもその科学で人を操ったり殺めたり
心が子供のままっだり闇落ちしてる人多いと思う
だから今の世界線は科学はある程度先に行ったけど心が追い付かず、また戦争まっしぐらかと考えてます
脳科学者から脳科学タレントになった自由意志はあったのだと思うが
左足から踏み出すという自由意志はなかったと思う 身体的特質の癖のようなものか
自由意志は分けて考えるもんかな。
茂木さんは講義録において次のようにまとめておられます。
「リベットの実験で脳の無意識下での反応が確認されたが、意識の役割は、それに拒否権を発動すること。自分の無意識を耕すには自分が希望する大きな流れを支える小さな選択の積み重ねがとても大切である。お互いに相手の決断を尊重できる社会ではその意思決定の人のせいにはできない重みを引き受ける。」
しかし、リベットの実験中に、「準備電位に対して拒否権を発動する役割」、すなわち「拒否権を発動するか否か」の選択は自由意志ではないのでしょうか。また、「自分の無意識を耕す」ために「自分が希望する大きな流れを支える小さな選択を積み重ねていく」または「その選択を積み重ねていくか否か」を選択することは、自由意志に基づく行動ではないのでしょうか。
その選択をしようと思う数秒前に脳は決定をしている、と聞くとさらに訳が分からなくなります(T_T)
アルゴリズムでこの動画に会った様です。良い出会いでした😊
茂木さん、マイペースに😢❤
今この瞬間の私Aよりも、明日の私Bが、より強い意思の自由を獲得したと言えるためには、自分の選択肢を左右している根拠をより深く把握して、最善の目的に近づけられるようにそれらをコントロールできるようにすることでしょう。例えば瞑想して無意識な領域を意識化したり、知識を得ることで、自分の行動の根拠を知ることでコントロール領域を増やしていく。例えば習慣づけをすることにより、より望む行為を取れるようにしていく、など。
また、人間には反省の能力があるので、これを十全に活かせるように、する。私はこれを本当にすべきなのだろうかと、立ち止まって考える。これも自由を獲得する手段になるでしょう
今、個人的に考えていた内容と合致していて勉強になりました、ありがとうございます。
個人的には意識というのは「遺伝子」と「ミーム」の重ね合わせではないか?とも思っています。ミームというのは後天的な遺伝子のような働きをするもの全て(経験、環境、学問、芸術、、、)で直感的な感覚というのは遺伝、親を含めて先祖代々の遺伝子の選択、それに対して拒否権はミームによる自分の選択、なのではないか?とも思っています。
AIの登場もそうですがAIがなくても科学が発達し、情報というのは世界に、そして現在から未来に伝えることも容易になりました。「遺伝子」と「ミーム」の関係についても考える時期に来ているように思います。
遺伝子とミームの関係は置いといて、茂木さんが言っているように情報化社会、情報が多く手に入る時代にどのように自分の中のミームを作るのかはとても大事なことだと思います。
人の脳って、千年や二千年ではあまり変わってないんですね。確かに洋の東西関係なく、哲学なんかは昔の人のほうが深いことを考えていたんじゃないかと思っています。またなぜ人は間違い(犯罪)を犯すのか?茂木さんは知っているかもしれないですがAIの成長もそうですが、正しいことばかりさせても長期的な観点から見れば成長はよくない。効率のいい成長、長期的にみれば多少の失敗、ミスもありながら多様性をつくっていくことがいい、そのようなことかと思っています。
どのような自分の作っていくか、それも試行錯誤になるのでしょうか? 「太く短く、細く長く」ではないですが、学問などの知識・情報というのはAIができるものだけど、感覚・感情というのはAIは厳しい分野でそのような経験を意識することが大事なのか?でも、知識がないとその経験というのも無駄になったり、、、AIの時代、哲学も大事になってくるだろうな。
長々と駄文を書きましたがこれからも動画、ご活躍期待しています。
「浮気はいけない」という規範的決定をしている人でも事実としては浮気するという選択をすることはあり得るし、「性自認と性指向は本人が決めるべき」という規範的決定をしている人でも外見から性を推定してしまうことはあり得る。規範的な意志についてはみんなで議論できるけど、事実的な意思を批判しようとするとそれは居心地の悪い世の中になるよね(今がそうだけど)。
茂木先生の話からは、先生が自由意志否定論を信じているようには聞こえない。
結局、「私たちはこれを踏まえてこうしなければならない。こう考えていかねばならない」みたいなところに行き着いている。
茂木先生ははっきりとエリート主義者だし、とにかく天才に対する憧れが強い人だと思うので、
自由意志を否定したら、今まで論じてきたこと、信じてきたことが全部揺らいでしまいますからね。
かしこい!
無意識はこれまでの経験から得られた情報をもとにした次の行動の可能性の候補群から得た結果で、意識は無意識の結果を観測する行為、自由意志は、観測行為によって無意識側にフィードバックして2番目以降の可能性を選択させる行為で、そしてその重み付けが個性につながると考えます。先生の言う現時点で実現出来ていないであろうAIの自発性と内省の問題は、外界との接触があればAIも世界を認識し勝手に生きることの目的を考え始めるでしょうし、人間も五感を断てば、ジョジョの宇宙空間に飛ばされたディオのように、鉱物になって考えることをやめるでしょう。AIも自由意志の選択の結果(自分と周りの世界線の変化)をフィードバック出来れば人間と同じ事ができるようになると思います。この動画によって、普段得られないような知的好奇心を得ることができました、ありがとうございました。
ありがとうございます😊🍀
レオポルド・ンンディの考え方が秀逸です。強制選択と自由選択。ハイデッガーの言葉で言えば、被投的が強制選択、投企が自由選択。合わせて、いま、この瞬間は、被投的投企。
自由意思がないと人生で起こる事は生まれた時から全部決まっているんでしょうかね😮
茂木健一郎❤✨️
能動と受動と中動ってあるらしいですね
今日はカレーにしてね母さん!と言ったら あら、今日はサバの味噌煮によ!と言われた時に自由意志はないと思った!
自由意志は、忙しさにかまけて、ない。と結論ですかね。
私は昔から、自由意志があるかどうか迷ってしまう事自体が、自由意志がない事の示唆だと思っています。
真理として人間に自由意志があるのなら、哲学だろうが脳科学だろうが物理学だろうが、どれだけ難しく考えても、自由意志がある事を自分が100%分かるはずだからです。
「選ぶこと」(行動すること、拒否することなどに拘らず、)の感覚で、本当にその選ぶこと(例えば迷いながらEを取る)の最終段階の最終段階のキワキワの所を、直接自分の自由意志を持って選んでる感覚は、私にはありません。そこには、後から考えると「なぜかそうしてしまった」感覚しかないからです。
直感的に選ぶ、何となく迷って選ぶ、も同じで、「迷ってる段階」から「実際に筋肉を動かしたり動かさなかったりする段階」の間において、本当に直接的かつ完全に「自分の自由意志」が支配できてるのかについては、感覚的には疑問が残ります。
結局は、根本的には「なにかを選ばなきゃいけないという切迫感」に背中を押されてるだけというか...
純粋な意味での自由意志の感覚とは、やはり因果のはじめを決定するという意味だと思います。(それがあるのかないのかすらもちろん分かりませんが)
やはり、純粋な意味での自由意志とは、全知全能の感覚かつそれを支配している真理ではないでしょうか。(それが私にはないので、私には自由意志がない事になります。)
死生観はあるのに、お墓参りしてご飯を備えたりするのは?
これは、無意識では死んでいると理解してるのに、意識ではそれを否定した行動😊
動画大変面白かったです。ところでいくつかの動画を拝見したことで、今のところAIは意識を持たないというのが最先端の先生方の見解だということは察することができたのですが、素人目には、LLMの界隈でよく用いられているEmbeddingというデータ処理が、ほぼイコールでクオリア に見えてしまいます。そこで、脳科学者の視点から、Word embeddingとクオリアの違いを説明した動画を出して頂けると大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。
環境が、人を創る。
生物が生き残るために、反射的な無意識な行動に加えて、それを修正するために「意識」として「快・不快、感覚」「美・醜」、さらに「感情」などのようなものが生まれ、さらに記号を伴った論理的な「思考」による判断が加わったのだろうか?自意識の中でも様々な種類のものがせめぎあって判断が下されるのかな。
何言ってんだ。それは自然選択だろ笑
16:07 メタ認知可能な世界では自由意志はない。ありがとうございます✨
私は一応科学的に考える方だと思っていますが、若い頃から仏教の空の思想に共鳴しています。いろいろの原因が重なって今の自分がある訳ですが、私はそれらの原因をいちいち承知している訳ではありません。これを突き詰めて考えると、自分の根拠を自分のなかに認めることができなくなります。かといって、自分には責任はないのかというと、そうとも言いきれません。少なくとも、ここからここまでが私の責任であるという境界線は引けないというのが、私が理解しているつもりの空の思想です。きわめてあいまいです。で、私も自由意志については疑いをもっています。かつ本来、人は悪人を裁くことはできないとも思っています。
アートかぁ、表現の方便かぁ、ありがとう!
とっても興味深い命題です。このビデオを拝見する前に私の考えを書きます。アルゴリズムの範囲内、自分の意識に私の存在を認めている場合、ただの脳の自動制御ととして自分の意識には私が存在して感じない場合、自分意識の支配を受けて、そのには自由意志と責任は発生する事はない。と考えますが、私の存在は自分の意識をメタ認知している自分がいて、どんな意識状態であろうが、それは私の作った脳の自動制御で現れたものなので認めると、デカルトが言う世界と同じ感覚を得られます。
そこに自由意志と責任があり、私と私が生涯かけて作った体からくる自分の意識の深い関係を感じてます。
うむ。。意識てなんだろう?。という、無限ループの入り口に私は入りそうです WW // イマジン大学は面白いですね。イマジン大学を見て考えて という楽しさの 無限ループに入りそうです。汗
行動→意識学習→次の選択は学習によって選択済みなので行動が先に起きてるように感じる
人生の可能性の確率分布をどういう方向にガイドするか?これこそが自由意志の本質であり役割であるだろう。それは因果を制約する光円錐の中の全可能性空間のなかで、自分がこれから歩もうとする限られた世界線を一定の方向性を持った領域(例、自分なりの円錐領域内)に誘導し、それからはみ出そうになったらコントロールする機能。
二元論で考えたら
あったり無かったり
直感を大事にしたり気持ちをのし殺したり
波状状態の時だったり点の時だったり
闇と光は二つで一つ
「自由意志はあるのかないのか」と言う問いの設定が間違えてると思う。「このような状況で、起こした行動を世間一般的には自由意思のもとで行ったと見做す」というのが自由意志であって、「でもそれって究極的には全て本人がコントロールできない要素で行動させられてるよね」と言うのは的を得ていない。
自由意志というのは人間の制度的構築物で、刑罰を成立させるための一種のフィクションですから、このフィクション的刑罰の制度不可欠なアクターが自由意志なのです。なので、その制度よりもさらにメタな視点に立って「でも究極的には」といったらフィクションが破綻してしまうのです
自由意志は無いし、それは皆が思っているほど重要ではない、というか抗うものではない。
見た動画により集まって来る物がガラリ!と変化しますよね。わかります。ですから時々元に戻す様に中和するような動画を取り入れてます。
面白かったです。ありがとうございました。
あ!💡、今なんとな~く、それとなくボンヤリと感じが、繋がって来た様な…🙄。
意識って、それまでの蓄積?総合的な物の?中からかぁ…。
そうしますと途中でやはり方向転換の為のやり方は考えられますよね。有りますよね~。
な~んか、これは面白い感じですね。
ちょっとこれからは、意識してみます(笑)
💮もう一度動画を再度見ました。より分かりやすい感じに成りましたね🤭
想う事、感じる事も、やはり重大でありますよね✨。面白い。
繋がりが有りますね。
今迄の事さえもね…。
@thomasaqinas2000 さん 制約と自由の定義次第の論のようで興味あります、でこぼこ道も難なく歩ける小脳以下の機能は、大脳の思考の中で言われる無意識という機能とは別とした方が良さそうですね。 大脳が活動する以前に歩行は無事完了してその要約のみが大脳に送信されるか、大脳が要求したら送信するとすれば、身体内でその制約の中で大脳に自由な思考あれば、社会の中での自由もあり、その結論としての意思もあるというふうに思います。
人生は無限の選択があるように見える一本道
悲しいな
選択できるときに選択したことの 応報としての事象は、選べない と思う。
選べる時がある
これいつ撮られたものですか?
仮にこの宇宙を最初から全く同じ条件を揃えて開始した場合、宇宙誕生から今と同じ時が経てばその宇宙には自分がいて、今書き込んでいるこのコメントと同じコメントを入力しているはずではないか?
みたいな事を思ってました。
なので、仮にこのあと宇宙の物理法則が解明されてかつ、宇宙初期の構成要素も解明できれば、それを超高速でシュミレートでき将来起こる事も全てわかってしまう様に出来る事になるのだけど、仮にそうなってもそうなる事すら必然だった訳で、そうなれば未来を変えれると思っても、その変えれた未来でさえもそうなる事になっていたという事になり、全てが必然として経過しているという…
頭ぐるぐるになってしまうのですがどう思いますか?
それは量子脳理論を排除してる。人間の脳がコンピュータなら、きみのいってるとおり。しかし、量子もつれが影響しているなら、無限の可能性がある
もし、自由意思がほとんど存在しないかもしれない事を知っているうえで、
現在進行形において自由意思が存在していると強く信じている時、
その人に自由意思は存在しますか?
難しい💦自由意志があると信じてる自分とは何だろうか?脳?細胞?意識?意識とはなんだろう。。。。終わらないですね
@@imagine-univ 私は絵を描くしか脳が無いので、わからないんですが、、(色々教えてください!)
直感的には、神学の体系的な理論の中かアジア哲学の中のどこかに抜け出すヒントがあるんじゃないかと夢見ています。
@@imagine-univ 信じるという言葉が他のものとは異なる特別なものだと考えます。
選択も含めて自由意思は無いと感じます。経験を積む行為すらそれまでの経験によって決定してしまう。そもそも選択することに因果関係の無いランダム性すらあるでしょう。
でも、もしかしたらそのランダム性に自由意志が混在する可能性はあると思います。
茂木さんに一発ギャグをしてみてほしい、自由意志じゃないならどんなギャグが出るのかみたい
自由意志がなければ「善も悪もない」し、認識の自由がなければ、「真も偽もない」。認識の自由がないなら、「自由意志はない」も「真でも偽でもない」。
完全な無意識は無理でしょうね。生まれる前の世界もわからないのに。選択は過去のデータに影響してるし、完全無意識なら選択するという事自体が理解できないのでは?
乳幼児の時は意志無いじゃん。でもうんこ漏らしたら泣いて意思表示するよね。じゃあ乳幼児に自由意志はあると言える?大人になった今はうんこ漏らしたら、泣く以外にも誤魔化すか、洗うか、着替えるか、という選択ができるわけだ。複数の選択の中からどれかを選ぶ行為を自由意志と呼ぶのでは?選択が増えると迷うから選んで行為に及ぶまでの時間が長くなるわけだ。その時間的間隙、空間的間隙を「意志」と定義したに過ぎない。であれば自ら選択できる主体は自由意志があると言える。犬猫も蟻も虫も細胞も。
ニールドナルドウォルシュ「神との対話」をおすすめ致します。自由意志の本質が見えてきます。
思考実験として、全く原因を持たない意思決定を考えてみる。そのような決定はごく普通の意味において、本当に自由だろうか、と考えてみる。
まったく原因を持たない決定は、どんなものか。これは、決定という言葉に矛盾するのではないか。
「自分の意思で決定したものだ」というのなら、これは、誰かに強制されたものではない意味での自由を指している。これはいわゆる「消極的自由」だ。
しかし、消極的自由は、原因を持たないかというと、そんなことはない。「私が自分の意思で誰に強制されるのでもなく、会社を辞めた」などという時、そのように決断した背景や、経緯はいくらでも思いつく。そのような背景や経緯を仮に全て剥ぎ取ったら、「決断した」という言葉の意味はもはや維持できない。
自由意志があるのか、ないのかは、こんなふうに考えるとわかりやすいですよ
まず、あなたが今AにするかBにするかを迷っていてその地点をCとします
なぜそこがC地点なのかというと、過去にCを選ぶかDを選ぶか迷った末に選んだ結果がCだったからです
今のAにするかBにするか、これと同じように過去にもCにするかDにするかを迷っていたというわけです
そして同じようにCにするかDにするか迷っていた地点をEとすると、そのE地点もまたEを選ぶかFを選ぶかを迷った末の選択の結果ということになります
さらにそこをGとし、GにするかHにするかをI、IにするかJにするかをKとします
このたとえはこれ以降も続きますが、これを、私たちが物心ついてない幼児期にまで遡って考えたときに、AにするかBにするかを自由に選ぶことができたかということです
さらに時間を遡り、生まれてくることをA、生まれてこないことをBとしたときに、AにするかBにするかを選ぶことができたかどうか、ということ
人は年齢を重ねると共に自由意志が発生するということはないでしょう
答えは明白ですね
でも、この自由意志がないという話は、世には浸透しないようになっているように思います
何か事件があったときに、責任問題に発展し、最終的にはモラルの崩壊になるのでw
自由意志の概念がそういうことだと、もしかして、ないのかも。。。
10:20 外国語がわからないことで、かえってその本質に気がつくことかある。先生が自由意志と呼ばれたり、無意識と言われる中には、他人の思考や感情が入っています。😂 11:47
思考と感情は量子体。他人や集合意識とも絡み合う。スマホにはすでに集合意識のエネルギーが入ってます。
11:57 これがメタ認知
2:13 そのとおり 自覚できない設定
死後初めて、自由意志を獲得できると解釈できませんか?
自由意志はないと思います。自由意志は選択の結果を言葉にしたものだと思います。
いいねを連打し続けたけど、これは自由意志?
ハパニャッ!って叫んでみたけど、これは言わされてるのか!モハニャっ
性格は腸の細菌で変わるってさとうみつろうさんが仰ってましたね
罪を憎んで、人を憎まず。自由意思があろうと無かろうと、罪をなくす、犯さぬように生きる事が、結果的に、社会をよくする。よりよく生きよという神の意志と、AIIの主張は同じ内容になると思いますが。人間の総意こそ、神の意志、そしてAIなのでは。ご苦労様です。
神の視点、次元の高い視点?からすると、人間が思うような、良い悪いがない。経験全てが価値であるという視点がありますよね。
自由意思っていうと言葉が難しく、自由とは何か?という話になりますが、人間は少なくとも、自由かどうかは別として、
意図を出す。意識をする。
ということはできると思います。
そのため、人間の役割は要求、意図、意識する。
ということで、あとは神というのかタオというのか、源というのか、宇宙エネルギーというのか知らないですが、とにかく無限のエネルギー、本質的なエネルギーを出す場所という概念があり、わかりやすく神としますが、神が場を作る。
ということ。
つまり、オーダーは人が出して、神が場を作る。
そういう流れだとしたら、すべてを人が操作できないので、自由意思はないとも言える。
言語では表現できないでしょうね。
少なくとも人は単独で動いているということはまずないので、1人ですべてを決定することはない。自由の定義が100%すべて自分で決めることができる。という前提のお話であれば、自由意思はありません。
となるかもしれないと思いました。
もっと多次元的に絡み合っているんだと思います。
それを無意識とか顕在意識という抽象的な言葉で説明されるケースが多いので、人によって解釈は必ずずれます。
そして、人の解釈は統一不可能だと思います。
それが1人1人宇宙と言われることにもつながるのかなと。
個人的な仮説としては、
世界はフラクタル構造であり、マクロとミクロは常に相互作用がある。
というのは感覚的な話ですがあり得るのでは?と最近感じました。
僕は量子力学懐疑派の決定論者です。なので物理学的に、人に自由意思は存在しないと考えます。宇宙の全ての物質・エネルギーが同じ状態なら人の行動は1つしかあり得ません。つまり、全く等しい選択肢を思い浮かべて等しく悩んで等しい行動をする、しかないです。宇宙が誕生した瞬間にその後の全てが決定されている、と考えるのがシンプルで論理的に思えます。
ここ違っています😢 3:58
海のように広大な物理的・生物的・社会的な因果のネットワークのノードとしての「私の意志」や「私の意識」はあると思います.しかしネットワークから切り離された,外界の干渉を受けずただ一方的に行為の原因となるような「自由意志」は無いと思います.心身複合体たる人間は歴史の縁の産物だというのが私の考えです.
またあらゆる言動は【当人の世界では】常に正しいのであって,人間はそもそも悪事を為しえません.人は自己正当化モンスターです.有害な逸脱行為だと社会が認定するから悪事たりうるのです.自由意志により犯行を選択したか否かではなく,良心・社会常識・共感性の欠如が問題なのであり,矯正したり制裁を課せばよいのではないでしょうか(現にそうしていると思いますが).
クリックの重さを言っても自己責任の辛さを自覚させ。主体的に選んだ結末を引き受ける辛さが増す。
自由のために敢えて普段見ないコンテンツを見て自分にとって辛いコンテンツをおすすめで表示させるようにしたり、敢えて犯罪をする事も含めて自由なようでいて因果関係を超えないよ。
だって、今このコンテンツを見てその人が変わるならそれはその人のアルゴリズムが駆動しただけじゃないか。
犯罪は自由意思ではなく遺伝子と環境が行わせるものだよ。
「自由意志がない」ということがはやっているようですが、はたしてそうでしょうか?私たちは単に意志するだけではなく、意志していることを「知っている」のです。知っているということは「反省している」ということです。すなわち私たちは意志することをそのまま直ぐに実行するかというというとそうではないということです。私たちが意識するということは反省するということです。純粋経験とは「無意識の意識」であり、無意識の意識を反省して意識化することが私たちに意識なのです。意識は0,5秒遅れてやってくると言われますが、そうではありません。物理的な脳のたらきと「無意識の意識」の働きは「同時」なのです。意識の前に無意識の意識が働いているのです。この「無意識の意識」の存在を体験的に知ることが所謂「見性」すなわち「悟り」というものです。禅では「隻手の音声を聞け」とか「鳴らぬ前の鐘の音を聞け」といった「公案」をもって無意識の意識の存在を示唆しています。茂木さんにはこの辺のところを深く考えてもらいたい、そうすることでもう一歩前進することができます。今のままでは茂木さんは単なる「唯物論者」でしかありません。
わけわからんけど、おもしろい~(≧▽≦)
本来向かうべき方向という潜在的意識では自由意思がないかもしれない。ただしそのプロセスで、大きく分けて2択を常に試されている部分では自由意志がある。1つ目は私利私欲でないヒュマニティに対する貢献、2つ目は自分を優先するという判断。これによってカルマスコアなるものが上昇あるいは下降し、限られた人生の中での終着地点が決定する。輪廻転生論では、人間の魂はこれを繰り返しレッスンが学ばれ魂レベルの上昇を試される。人間は子供をまず持つという部分で、魂の上昇に大きく影響を受ける場合がほとんどである。
エピソード記憶だっけ?前田さん
我々は通常、意識と思考を混同しているように思っています。
思考は記憶と情報から答えを導き出しますが、意識は思考も含むと思いますが、もっと感覚的な作用を中心だと思います。
例えば自分自身を説明する時に、記憶と自分の信じている情報をもとに、名前や性別・年齢や出身・学歴や職業などで説明しますが、それは思考が導く答えです。意識の場合は、自分はここに在るというような感覚的な認知の領域を含みます。
要するに意識の領域はある意味で説明することは不可能です、何故なら感覚的に分かるという領域だからです。そしてその感覚は他の人と共有して認知することは不可能です。
茂木氏の追求されているクオリアはこの意識の領域に関係していると思われ、我々人類には現在の物理現象的3次元の世界に要点を置いている限りそれを見出すことは難しいのではないかと考えています。
で結論として、自由意思というのはこの意識の領域を含み、思考を超えた意識の選択ということだと考えられると思っています。
長々とすみません。😅
んだから、その行きたい学校というのがあやしい。 ただの欲張りなだけではないか?
その行きたい学校に、その先、自分にとっての幸せが、ない!!かもしれない。
んだからさ。ふさわしいふさわしい自分の生き方? 快適な、愉快な、それ、その人生を🌸
自由意志がなくても刑罰は抑止力にはなるのではないのでしょうか?
ヒルティは、ユダヤ人自身がキリスト教に帰依しなかったことが神の最大の誤算だが、それは、人間が自由意思を持つことの最大の証明でもあると言ってた。