【前田利家正室】前田まつ【ゆっくり解説】
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- เผยแพร่เมื่อ 28 ก.ย. 2024
- 前半はしゃぎ過ぎましたが反省はしていない!!
やはり日本は楽しいなあ
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秀頼の誕生は1593年でした!
1589年に生まれたのは長男鶴松の方でした!!
間違えてしまいました!!すみません!
どんまいでござる。いずれにしろ淀殿が生んだ男児でござるな。あそこらへん生んだ順番とか、ややこしいでござるからなぁ(;'∀')
いえいえ大丈夫ですよ😃
次回の動画楽しみにしてます🎵
利家の兄、利久には。実の娘と結婚させた養子の(『華の慶次』で有名な)慶次郎がいたのですが。まだ年少で前田家当主としては利家が良いと思われたとか。
『利家とまつ』では派手好きなだけの扱いでした。『かぶき者慶次』では米沢の晩年(かつて程強くない=そこらの若造なら圧勝なんですが。経験からの頭脳戦が主になります)
前、TSUTAYAのバイト先でこの方の子孫の女の子と一緒だったのですが、
その方は次男?の子孫らしくて(富山城城主の子孫)、「出来が悪いほうの子孫なの。」と笑っていました。
とはいえ、その方、すごく美人で仕事も出来る方で、かっこよかったです。
前田土佐守家の方ですね。次男・利政は関ヶ原の戦いで西軍に味方したため領地を没収され、嵯峨野に隠居しました。後にまつ様は利政の一人息子を引き取り金沢で育てることにしました。この子が成長して前田土佐守家の初代当主となり、その子孫は加賀藩に重臣として仕え、幕末を迎えました。金沢には前田土佐守家の資料館があり、遺品や書簡等の貴重な資料を展示・収蔵しています。まつ様の手紙もあるんですよ。さすがはご子孫だけあって血は争えませんね。
次男の利政のご子孫ですか。子孫も謙虚できれいな方なのですね。
まつの凄いところは、長男利長が子供に恵まれなかった(梅毒説もある人物)にもかかわらず、自身の血統にこだわらずに側室腹の利常を後継ぎにしたことです。自身の血統にこだわるならこの利政の子供を後継ぎにしそうですけどね。徳川ににらまれることを避けたか、利常の幼少ながらも聡明さを見込んだのか、それとも徳川家との縁組で年齢が釣り合う利常が選ばれたのかは謎ですが、家を残し繁栄させた手腕は見事です。
出来が悪いなんてとんでもない!。前田家中には加賀八家(八つの家から一万石以上!の重臣)がいました。『華の慶次』にも出て来る奥村助右衛門の奥村家も含め武勇伝がある重臣たちの中に前田土佐守家がいるんです。
そりゃ、前田一族は帝国陸軍の大将や日本郵船の重役も出していますから。出来が悪い方なのかな?
今年の百万石行列にも。利家とお松さん夫婦だけでなく、加賀八家(その方の先祖の前田土佐守も)出ます。(行列は金沢城への初入城なので。この時は前田土佐守はいなかったのですが)
若き日に参加しましたが、暑くて。今年は弟が参加します。
立派な女性でした。「芳春院」も良い名。恵まれた生涯でしたが、当時はそんな事は分からず一生懸命に生きた結果。こういう人生を辿った人はなかなか居ないでしょう。
唐沢と松嶋の夫婦も良かった記憶が蘇りましたw
旦那を奮起させようとしたり
自分が人質になったり
息子や旦那を鼓舞したりするなんて
松様は戦国時代の肝っ玉母ちゃんだな‼️
とりあえず、
まつが居なかったら、加賀百万石は絶対にあり得なかったろうなぁ。。。
最近、石田リンネ『十三歳の誕生日、皇后になりました』というラノベの感想を見つけて。
その中に「前田利家みたいな鬼畜ロリコンと違い。手は付けません」に唖然。
「まつさん無くして加賀百万石はなかった」というには激しく同意。
さすがは「加賀百万石の母」です。まつ様はやはり素晴らしい奥方様ですね。特にケチの利家に「悔しかったらお金に槍を持たせて出陣なさったらいかが?」とハッパをかけてやる気にさせるところは痛快です。
かの「信長」の寵愛()を受けつつイケイケな「秀吉」と競う「利家」を手懐け、晩年は単身でタヌキ親父「家康」と渡り合えるのは、このお姫様しかいない…!
まつの事は、結構知ってるつもりでしたが、12歳でお母さんになったとか、利家がロリ…とは知らなかった…まつもかなりの女傑だったんですね。
ステキな動画でした😊
まつは、ほんとすばらしい女性だったのでね。家康は、やっぱりまつや寧々のことをリスペクトしていたんでしょうね。
人質になりに堂々と訪ねてきたまつさんに家康のほうがタジタジだったという話もありますね。でもそこは家康。すぐ他の大名やその奥方に人望のあるまつの人質としての価値を理解し提案を受け入れたとか。
それから三代目前田利常と珠姫の名前が出たので、前田家に伝わる怪談を一つ。
珠姫の乳母は珠姫と利常の仲が良すぎて徳川の情報が利常に筒抜けになるのを恐れて、珠姫が五女夏姫を産んだ後、利常が夏姫の元に来れないように工作。ところがそのせいで珠姫が夫の心が離れたと気を落として、体調を崩しタヒ去。それを知った利常は大桶を蛇で一杯にしてそこへ酒を満たした中へぶち込む蛇攻めで処刑。以後、その乳母の霊が前田家の人々に厠で目撃されるようになりかわ姥と呼ばれたそうです。後に大桶が掘り出され供養されたせいか、100年程でかわ姥は出なくなったとか。利常自身も一度目撃し震えあがって厠から飛び出てきたそうです。
中村彰彦のわれに千里の思いありの有名なエピソードですね。
また、この本によるとまつ夫人は利常母子のことをよく思っていなかったということになっている。
まつ夫人は33歳で末の子を産んだ珍しい人との解説がありましたが、珠姫母の江夫人も末娘は30代後半で生んでましたね。
前半、笑いながら見ていたのに…終盤には涙が。。。。。凄い人だ
今回の動画、『12歳の母』にドン引きされてる方が多いと思われますが、歴史上には上には上がおりまして…
以前の動画「ペドロ1世とイネス」に出ていたペドロ1世の孫でポルトガルのボルゴーニャ朝最後の王ベアトリス(1373年生)という人物が、1383年に当時のカスティーリャ国王ファン1世(この人物は以前動画で紹介された有名なカスティーリャ女王フアナの高祖父です)と結婚し翌1384年に第一子出産…つまり『11歳の母』になったという記録が残っていたりします…(私もWikiの彼女の記事を見て一瞬 ゚ ゚ ( Д )でした)
あとこのファン1世ですが、ベアトリスの父の従兄弟でもあります。
(ファンの母とベアトリスの父方祖母が姉妹)
12歳でも大柄な子はいるし
まつは体の大きい成熟した子だったのかもしれないですね…
前田まつの正式な生年や容姿の記録は一級史料には残ってないので、年上のかっこいいお兄ちゃんをつなぎとめるために必死だったのかもしれませんね。健気。
ただ、大名や武将は年齢や容姿で側室を選べません。ほとんど政略結婚で、有力な家臣や領主の娘と結婚しています。
女好きと言われた秀吉や家康も有力者が娘を送り込んだりしているだけです。
末子の千世姫を辿って行けば皇室に、そして明治天皇に繋がります。そして人質として江戸入りを許されたという事は家康がまつにそれだけの価値を見出したからでしょうね。
つまり明治天皇の御先祖様はまつだったのか?
やった!お松さん😃
利家の衆道ガチとロリには笑うけど、時代を考えるとそれが当時の常識だったりするから、ギャップが激しいですよね😃今じゃロリは逮捕案件😅
松さんがいて、礎を築いたからこそ、現代まで前田家が存続出来たと言っても、決して過言ではないと思います。肝っ玉母さん強し!ですね😃
昔旅行行った金沢は本当に良かった。景色も食べ物も。歴史も感じられる建物もあっていい想い出です
この動画を見て、まつさんを花に例えるなら、蓮の花だなぁと思いました。 大分前に大河ドラマ「おんな太閤記」で前田まつの役は確か音無美紀子さんが演じられていました。 ちゃんと賢そうな人が選ばれてるんですねぇ。
今回は“加賀百万石”の前田まつ…。
この人については名前を知っていただけで、
生涯の詳細について知ったのは、今回が初めてです。
確かに11歳で結婚、12歳で出産…なんていうと、現代なら「恋はまだ知らない」などと言われてしまいそうですが、
まつと利家の間には、やはり並々ならぬ絆があったのでしょうか。
それにしても、歴史に名を残す女性というのは(←いや、男性も)
本当に傑出していますね。
また次回も、よろしくお願いします。(^-^)
今回も楽しく視させて頂きました😊
まつは改めて凄い人だなぁと思いました。
久々に逮捕のシーンも面白かったです(笑)
利家も素晴らしいお嫁さんをもらいましたね。利家自身は微妙ですが……
また次回も楽しみにしています😊✨
おぉ!!まつさんだ!!
大好きな女性の解説ありがとうございます。
願わくば小松姫の解説もお願いします(ヲイ
ちなみに衆道は主側も家臣に対し深い情を注ぐことで裏切りを未然に防ぐ
という意味合いもあったそうです。
日本で嫁さんが婚家の姓を名乗ることが定着したのは明治になってからだから
まつの姓は篠原のままだと思うが
まつは、武家の妻として夫を支えた内助の功が称えられる。しばしば武士の妻の理想とされる女性だな
羽柴秀吉の妻ねねと仲が良かったようだし。彼女のそうした人付き合いが前田利家を支えたのかも知れない
利家とまつ、花の前田慶次、両方好きでして、まつは花の慶次の年齢差の方が近いんでしょうね。
利家は残念に描かれ過ぎてますが。
動画を見ると土曜日が来たなって
天は二物を与え…ていますね!
利家も運を持った人ですがまつがいなければ…
ねねさんとともに、武将にも優る生き様ですね♥
3:07 咲熊さんの絵めっちゃかわいい(*´ω`*)
ねね様の動画を見た時からずっとまつ様の動画が投稿されるのを楽しみにしてました!戦国のおしどり夫婦と言えば前田利家とまつ様は欠かせませんよね。でもまつ様の第一子出産の年齢はいただけませんね。逮捕案件です(笑)
どっこいしょー!!
こんなBGMあるんですねw
小説家の隆慶一郎さんが、当時は女性も早熟だったと書いておられましたが、
やはり12歳出産には、周囲もドン引きになったんですね(^^;)
あ。考えてみたら、12歳で出産って、危険すぎる😨
それにしても、逮捕収監されたお人は、利家さんが初めてですねぇ。
この人昔少年ジャンプで連載していた「花の慶次」の原作者だけど、その原作小説で慶次とお松に不倫させていた。
読んでます。大好きな作品です。
作品では、あの不倫(というよりあれは、ただ一時(ひととき)の全身全霊をかけた灼熱の恋ですが)が、お松が家康のもとへ人質にゆく遠因になっていましたね。
歳の差婚ではなく同世代婚ですが、武田信玄も初婚時は夫婦共に十代前半で、その幼な妻は十代前半にうちに産褥で亡くなってますね。
@@tominonojigokuおお! 知りませんでした。ありがとうございます。なるほど、なるほど(いろいろ納得)
でも、それはそれで、うp主には不純異性交遊で補導されそうですね😛
今、大河ドラマの主人公でもある明智光秀の嫁、煕子とその子供達もリクエストします!
大河ドラマは観ていませんが。照子という人は。たしか婚礼の前に病気であばた顔に変わってしまい。両親は妹を代わりに婚礼の場に連れて来たのを。
明智光秀は花嫁に話しかけると「私の妻は何所にいますか?」と両親に聞いたという。
坂本龍馬の家系、明智光秀の息子(養子ですが)明智佐馬の介の息子を初代としている。
立派な女性ですね
おはよう御座います今週も乙です!ついにロリ婚で逮捕者がww
ま、まあたぶん愛はあるから… しかしこの時代は年若いお嫁様にも容赦なく過酷な運命が降りかかりますね
20代の夫の浪人時代を中学生嫁が子供を抱えて支えるとか…カオス
そう考えるとビビりますよねw
うちの姪っ子が今ちょうど12才なのですが、
あの姪が妊娠出産?無理無理ぃ!ってなりますもん
甥っ子の前田慶次もカブキ者って言われてるけど利家の方が酷い気がww
慶次郎は実際のところ風流人であって、「花の慶次」で描かれてるような傾奇者ではないよね。利家は傾奇者で間違いないが。
まさに日本版マリア・テレジアですね。
まつ ええ人やな
中学生の頃歴史の教師に
「前田さん(旧姓)は利家の子孫かもしれないですねぇ(笑)」
とか言われたので
「ウチの家紋加賀梅鉢です」
って言ったらめっちゃ興奮してたなぁ。
当人は全く興味無いんだけど。
加賀梅鉢ってそんなに興奮するもんなん?教えて詳しい人www
地元の石川県民なら大興奮ですわ。
石川県民は織田信長の軍勢と戦った一向宗(浄土真宗)の末裔。日露戦争では北海道(第七師団)と東北(第二師団)と共に第九師団として戦ったり。
敗戦後に内灘に居座ろうとした米軍相手に『一向一信』とのぼりを立てて抵抗しました。
そんな石川県で前田家の梅鉢は凄いですよ。梅鉢の着物を着て石川県金沢市へ行ったら分かります。
@@西村孝一-s4p さん
ありがとうございます!
確かに実家の宗派は浄土真宗ですわ…。
遥か昔加賀の前田家と何かしらの繋がりがあったのかもしれません。
今となっては家系図なんて物も無い一般市民ですが(笑)
12歳。まだ身体もちゃんと完成していないのに。あの時代よく無事に産む事ができましたね〜。よほど産婆さんとか、しっかりフォローできていたんだろうな。
寧々さんまつさん築山殿をやったのならぜひ帰蝶さんもやってください。人気という意味ではトップでは?
戦国時代の美女なら細川ガラシャは、外せない!
それと、最上の駒姫もぜひやって欲しい!
明智光秀と妻ひろも、凄く素敵な逸話が残ってます!
7:47 石○県警:「時空超越するのに、Team R-TYPEからR-11Bお借りしました…」
まつ様は良き妻、良き母で戦国の世を生きる夫を叱咤激励し、共に賢明に生きた姿がとても格好良いです。ロリコン武将ですが(笑)咲熊様の書かれる小さい頃のまつ様がとても可愛くて大好きです。
完全なるロリコン…。なんでロリコンて大男が多いんだろう。でも同意だから合法ロリ…?
でもまつが家康の人質になることを名乗り出て、先に人に善意を伝えてみんなに与える精神がとても尊い…。
市、まつ、ねねとやっていただいた所でそろそろ見性院 千代と皇女和宮あたりをお願いいたします~
序盤のBGMが「歴史の細道」と同じでさおりさんが出てくるかと思いました。
大河ドラマ「秀吉」では信長役:渡哲也、利家役:渡辺徹。
この2人がそういう行為していたかと想像するとちょっと・・・ですね。
渡辺徹…石川県での『前田利家を演じた俳優』ワーストワンですか。みんな「前田利家は相撲取りかい」という感想ですから。
まつが12歳で出産した時、織田信長から「オマエ嫁殺す気か!」と手紙で怒られましたw
やっぱり当時でも12歳の出産は非常識だったんですね😅
利家もできるとは思わなかったんだろうなぁ・・・・・
@@shinpeikitajima711512歳相手に、子作りはできたんかい!
ちょっと不思議系のちからがある人曰く「金沢は女性の力が凄くこの地を護っている」というのを感じるそうです。しかし自分も人質に行った織田家の重臣だった前田家を排除しにかかった家康、徳川家から家を守るため人質になったまつさん、旦那のケチさにちゃんとお金で兵を雇い危機を脱する、とにかく彼女の方が賢い。しかし彼女より2年生き延びて豊臣家を葬った家康は天下取りの知恵の蓄積以上に長寿に恵まれたのも大きい。
それにしてもこの時代に幼くして子供を産んで無事だっただけでもすごいのに、その後も沢山産んで当時としては長生きして…
とても丈夫な女性だったんですね…体も心も…
千姫様、お願いします❗
小学校高学年の頃のクラスの女子にたいてい一人か二人はいたであろう、高校生と言っても通りそうなくらい大人びた雰囲気のクラスメート。(成長ホルモンの分泌具合には個人差があるでしょうし)
まつさんもそんな女性だったのかもしれませんね。
@@ゴメスマリオ-h4e さん
家康の孫に千姫って2人いますけど、亀姫の娘とお江与の方の娘、どちらでしょう?
どっちも悲劇なのですが😖
@@asukas.7141 亀姫の娘って名前あるの?
十一歳なら一般的には性交渉も危険な年齢だ。この年齢の膣は未発達な事が多いからな
当時の事だから自然分娩だったのでしょうが、、
正直、よく無事に産むことができたと思う。
現在の日本なら12.13で子供を産む場合は、ほとんど帝王切開になる。
それだけ自然分娩は危険なんだ。母体が未成熟だから畸形児や死産の原因にもなれば、もちろん母体の方にも負担が大きいでしょうから
初っ端から若かりし利家公の人物評「オラオラ系のパリピッピ」「調子こいた」で吹いてしまった~
そんな利家と10代前半にして渡り合えるまつ様スゴイ!
「オラオラ系のパリピッピ」…
それは「傾き者」ってやつでは?
12歳…12歳!? でも長生きしてるし凄いなこの人
愛人 子供に家を継ぐ権利なし
側室 子供に家を継ぐ権利あり(正室優先だけど)
この違いがやはり大きいですね。
大河ドラマの「利家とまつ」を
観てから歴史が好きになりました。
ガラシャ様も解説していただけると
うれしいです。
良妻賢母にして夫や息子の危機を救い、家を盛り立てたまつ様は素晴らしい!
子供が無かった長男利長の跡目も、自身の血筋にこだわることなく、側室腹で利家に体格が似ていた利常に継がせ、利常も名君だった。娘たちにも優しく離縁された娘たち(四女豪姫、末娘ちよ姫)も子供ぐるみで引き取った。女性ながら柔軟な思考で戦国の世を渡り切った傑女だな。
ちなみに四女豪姫は子供の無かった秀吉夫妻の養女となった後、同じく秀吉の養子となった宇喜多秀家と結婚しますが、夫が関ヶ原の戦いで敗戦した後、八丈島に息子たちと夫が流罪になり、実家の前田家に出戻って娘と余生を送り、八丈島の夫一家に米の仕送りをしたそうです。豪姫はキリシタンでもあり、再婚はしませんでした。
末娘ちよ姫は細川家に嫁ぎますが、姑の細川ガラシャが関ヶ原前に自害した時に、姑を見捨てて実家の前田屋敷に逃げたことを舅の細川忠興が許さず、夫の長男に離縁するよう迫りますが、長男は拒否し廃嫡になった後離縁して前田家に戻ります。一説には姑を見捨てた以外に外様の前田家と縁を結んで幕府ににらまれるよりは、幼い時から秀忠に仕えていた三男の忠利を後継ぎにしたかったために、長男に煮え湯を飲ませたとも言われています。ちよ姫は実家に戻った後に家臣と再婚しますが、子供は生まれませんでした。
@@星ドリフター 様
まつ様はちよ姫をとても可愛がっていて、まめに手紙を書いていたそうですね。
@@のん-l4z2h さん
末っ子でしたし、不憫な娘の状況に同情もしていたのでしょうね。
ちよ姫は長岡休無と後に名乗った前夫細川忠隆とは離縁しますが、早世した熊千代という長男以外に娘を数人産んでから離縁したと言われています。娘たちは京都の公家に嫁いだようです。もしかしたらちよ姫が実家に戻ることが条件で前田家から支援の約束があったのかもしれませんね。
ちなみに前田家の子孫の女性が書いた歴史系の本も読んだことがありますが、政略結婚で苦労するより、前田家のお姫様たちは前田家の家臣に嫁いで気楽に暮らすことを好んだようですよ。確かに家臣の家に嫁いだほうが「お姫様」として大切に扱われますからね。まつの長女・次女は嫁ぎ先が家臣で大切にされたようですし。
お松さんの人質時代の金沢については。
大西港一『おてんば珠姫さま』北国新聞社がよろしいかと。珠姫がヒロインで豪姫も出ます(最終回では長姫も)
醍醐の花見のエピソードは本当爽快ですね。
淀殿も松の丸殿も名門家のお嬢様でだからこそバチバチの争いをしたわけですが、そこに前田家出身とはいえ実両親の身分は大して高くないおまつ様がさっと現れてその場を丸く収める。
お嬢様達は悔しくてたまらなかったでしょう。でもおまつ様のそれまでの功績を知っているから何も言えないんですよねえ。
松の丸殿は、まあ姫だったでしょうか?
@@銀狼-k9s 松の丸様は京極竜子様です。
淀殿の父親の浅井長政公の姉の姫で
従姉妹ですね。
血筋から言えば松の丸様の方が上で側室になったのも
早かったので色々諍いがあったそうです。
摩阿姫は加賀殿ですね。
@@花子-o6l 様 なるほど!ありがとうございます♪
秀吉の側室間のバチバチは小説『淀殿日記』が印象に残っています。
アフリカで幼い子が無理やりお産させられて、産道に穴が空いて垂れ流しになって悲惨な人生をおくるという動画を見たことがあるので、まつさまがご無事で良かった
数ヶ月前、40通以上のまつさまの子どもたち宛への手紙が見つかったそうで、翻訳が待たれますね
まつが出たら山内一豊お千代さんですね☺️
UPありがとうございます。
前田松様、戦国の逞しいヒロインの一人ですね。
北政所ねね様と反対に多くの子宝に恵まれて、
でも恵まれた故の苦労も大変でした。
自分の血筋に拘らない懐の深い素晴らしい女性のお話
とても楽しかったです( *´艸`)
動画でも前田まつと出ているが。
日本で嫁さんが婚家の姓を名乗ることが定着したのは明治になってからだから
まつの姓は篠原のままだと思うが
咲熊さんの登録者がどんどん増えますように🤲
咲熊さんの動画を見て休みを迎えるのがルーティンになってます🥰
今回もありがとうございます😊
そりゃ「内助の功」のモデルになるわ。
良妻賢母!!
@@佐藤はるか-m6b 内助の功は山内一豊のアレでした( ̄▽ ̄;)
信長との衆道関係とロ○嫁ネタは絶対出ると思ってたけど、
そこの演出の力の入れようが凄いww
昔からいいとこの子は早めに結婚、成長のち正式に夫婦関係を結んで子を…がセオリーの中、
結婚直後に手を出した利家はパクられて当然(おい
しかし当人が終生仲睦まじかったならまあ…いいのでしょうか、当時ならw
まつが江戸に人質で行っている際,再度謀反の嫌疑をかけられたことがある。
その際,加賀藩内は徹底抗戦か,和睦かで割れた。
そこで利長が放った一言が「母を見捨てること、嫌なり。」だという。
結果,加賀は和睦の選択をし,江戸末期まで別格外様として生き残ったのである。
ねねさんとまつさんの醤油貸し借りしてた話がお気に入りです
2人は加賀100万石の基礎を築きましたが幕末には…戦が無かったとは言え「煙に巻かれて蚊が(加賀)逃げた」と言われる迄弱体化。
「利家とまつ」「武士の家計簿」はマストです!
ある意味まつ様の「お家大事」を貫いた結果なのかも。
中立(どちらかと言えば日和見)の立場を取り大勢を見て新政府につく…
結果、維新後にも大したお咎めも無かったので。
幕末には加賀藩は自前の造船所をつくり。梅鉢海軍として明治維新後に帝国海軍に加わるのですが。
明治大正に問題になった脚気も既に解決したという。
「武士の家計簿」の猪山一族は海軍の軍人・軍属になるのですが。
旧加賀藩(石川県、富山県)出身者は造船関係にいて。大正のシーメンス事件で猪山家からも逮捕者が出ました。
平賀譲(平賀譲らず、とも)が造船の神様と呼ばれるのも、出身が違うのもあるような?
まだ見始めたばかりですが…「お巡りさん!こっちです!」な展開があると予想。
利家とまつを思い出します!!
今年、観てとてもハマった大河ドラマの一つです♪
とても波乱な人生を送った夫婦ですがそのおかげで金沢が発展したのですね♪
キャストのみなさん最高でした。
解説ありがとうございました。
Up主の絵、相変わらずうますぎる😂
まつ様格好いいです‼️💖😻
戦国武将の奥方は凛とした方が多いような…ヨーロッパと違って…😅
マヌル猫先輩のファンなんで出演お願いいたします🙇
幼い頃から預けられた前田家で、家事その他に武芸も叩き込まれたのか。その体力が出産に耐える一因だったのかしら。
でも、家事・子育てだけでなく、夫と共に戦国時代に運命を切り開く才覚もあって、それが魅力ですね♪
現在では年齢だけではなく色々と問題の多そうな結婚だな
肝っ玉座ってる上に少女の頃から子供を産んで息子より長生きとか強すぎる...。
できた戦国のおかんの話、うp主さんのイラストとあいまって、
今回は大変良いお話でした。
しかし、前半のおまわりさんの出動回数がシリーズ最多のような・・・ww
次回も期待しています。
かっこよすぎて涙が出ます。13分45秒あたり、もう号泣寸前。何コレ、凄い。戦国時代という世が荒れていた頃にこんな、心身共に最強の健やかさを持つ女性が出るという日本の不思議。咲熊さん、今回も泣いたり笑ったり(咲熊トリオのツッコミに)の濃ゆい動画をありがとうございました❣️これで1週間、元気が持ちます💪🏼
ロリこ…ゲフンゲフン、いやまつと利家の仲の良さは有名ですね。
豪姫のお話も見てみたいと…
宇喜多秀家の奥様でござるな。秀家が暴君キリシタンだったのもあるけど、豪華な生活送ったり、豪姫が与えた影響はどう描かれるのでしょうか。
@@日替睦実 豪姫のおかげで秀家の子孫は江戸時代の間ずっと八丈島にいたけど前田家から援助を受けていた。
いつも毎週土曜日を楽しみにしております。
美男美女と言った円満ですが、時には夫を支え、時には激励できる、息子や家臣にも激や労りを与えれる、素晴らしい偉人ですね(そりゃ惚れるわw)
あとロ◯婚武将ww
すごい長生きしたんだな……まつ様は大河ドラマで知ったけど、小説の主人公のような素晴らしい人生だ……ねね様といい、本当にこんな人いたのか……!?と思えてしまうくらいの神々しい存在やで……!
まつさんは、徳川家康の人質になるや、「侍はお家が大事、何か有れば迷わずに母を捨てよ」と息子利長に遺書同然の手紙を送ったそうです。
母親として利家亡き後の責任者として江戸時代唯一の百万石と成る加賀藩を生涯を通して守り抜いたまつさんは当に責任者の見本です。
信長と利家の関係が本当に『そう(笑)』だったのかは私にはわかりませんが
少なくとも現代でも意見が分かれる程の話だから当時宴席での信長の発言(意図は別として)聞いて
信長「そういえば若い頃利家とよく一緒に寝たもんだよな~笑」
一同「あっ・・・・・・(察し)」
ってなった奴もけっこう多かったはずw(※二人の関係は置くとしても当時そういう風習があったのは事実らしいので)
そういう意味で、この時の利家が『図星』だから照れたのか、「殿がそういういい方すると誤解されるじゃないか(/ω\)」という意味で照れたのかも興味深いww
『まつ回』なのにどこにコメントしているのやら笑(自嘲)
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
ありがとうございます♥
加賀百万石から感謝、感謝✨
つまり唐沢寿明(利家)と反町隆史(信長)が出来ていて
反町隆史(信長)が暴露して唐沢寿明(利家)が照れながら認めたと
あの反町隆史信長、素敵でした~♪
絵にはなるけど、カオスには違いない…
他の豊臣系の大名の末路を考えると
豊臣秀吉との関係がズブズブの前田家の場合まつさんの人質の意義は凄いと思う
直近で柴田勝家と豊臣秀吉との例もあるわけだし
咲熊ちゃん こんにちは💓💞
まつ様 好きやわ~
加賀が百万石になれたのはまつ様の力が大きいよね
まつ様ねね様の最強タッグw
「花の慶次」のまつ様はもっとカッコいいですよ
まつさんの話が好きすぎて何回も見てしまう
利家が連行されるところが特に好きです❤。
是非とも、伊達政宗の正室である愛姫も扱ってください。
まつに負けず劣らずの幼妻なので・・・
確か、政宗に嫁いだ時は8歳だった気がしましたが・・・
まつ姫だ!😍😍😍😍
大好きな女性なので嬉しいです!!ありがとうございます!!!!!!
ロリコン武将( ゚∀゚)・∵ブハッ!!
12才でよく無事に出産出来たなぁ😓😓😓
戦国時代に織田家の周辺に生まれてどえらい目にあう運命!でも自らの器量を武器に夫と見事に生き抜いて後世にまで賢妻と伝えられるまつ様、素敵ですね。
世界史の女性ならメアリースチュアート、日本史の女性なら北条政子と日野富子を咲熊さんの解説できいてみたいです。
母は強し!ですからね🎵
松さまは 頭が良いですね。
そう感じました。
今回も素敵な動画をありがとうございます。まつはねねと仲が良く、共に賢妻の誉れ高い女性達ですね。2人とも大好きです。
利家の「ロリ婚武将」は仕方ないですよね。まつだけでなく、側室も十代前半で結婚してたんじゃあねぇ……とっとと連行してください(#^ω^)
できますれば、賢妻にして女傑の誉れ高い小松姫(稲姫)のお話も見てみたいです。
いつも楽しみにしてます。
内容も分かりやすくて良いんですが、やっぱり一番
ちょこちょこ「ボケとツッコミ」ww
最高に⤴⤴⤴オモシロイ😁
色々な動画楽しみにしてます(笑)
大河ドラマのヒロインだね
まつはお市と同い年でヘンリー(8世)が亡くなった年に
生まれているぞ
次はぜひ甲斐姫やって欲しいです。
最強のお姫様で秀吉の側室となり、そして大坂の役の後、秀頼の娘、後の天秀尼を引き取った。
松とねねは戦国の最強の双璧よなあ。
今回は日本の良妻賢母ですね^_^
まつの肝っ玉かあちゃんっぷりは友人のねね様と良い勝負って感じで好きです!でも、12歳で結婚&出産って...当時でもドン引きレベルだとは...(^◇^;)
いつか、良妻賢母つながりでエドワード3世王妃フィリッパ・オブ・エノーも取り上げてほしいです^_^
実はこの動画を見た後、Wikiのまつさんの記事を見たのですが、そこには第一子幸姫を出産したのは
『11歳11ヶ月』
という驚愕の記述が…!( ゚д゚)ポカーン
で、幸姫の誕生日を見ると、1559年7月11日生まれでその母のまつさんは1547年7月25日生まれ…。
まだ12歳にもなっていなかったんかい!Σ( ̄□ ̄;)
と更なる衝撃を受けた次第であります(´Д`|||)
12で、子供を産める体だった、というのはちょっと驚きました。
武家でいいもの食べてたから発育が良かったかもしれません、しかし身長180越えの大学生の大男が小学生に迫っている事を考えると犯罪臭がしますねw
出産が11歳11ヶ月なので孕んだのは11歳ちょっとの頃という・・・
この世界(戦国時代)の12歳は大人
にゃんこのおめめがキラキラしてて可愛いです!
利家は通報すべきだけど成長した女性になったら
興味を無くすではなくずっと大事にしてたなら
セーフ…かな? やっぱり通報しよう。
咲熊さんの動画毎週楽しみにしてます。
今度、娘である豪姫と地元岡山城主宇喜多秀家夫婦を取り上げ欲しいです。
大河ドラマで聞いたことがあるけど、こんなに肝の据わった人だったんですね。
おしどり夫婦の代名詞どころか最強の良妻賢母なのでは(*‘∀‘)
高身長でイケメンで、できる男子が好きな疑惑の信長様。早期出産、子宝姫、高齢出産(当時の水準で)、賢妻と4冠を達成したまつ様ですな。利家とは従姉妹関係の近親婚。羽柴家ご一家とはご近所とネタが尽きないお方でござる。なんだかんだで傾奇者気質な利家には苦労させられているんだけど、利家同様計算高さは似たもの同士だった感があります。
UP主様のご都合に任せますが、まつと子宝姫同着東北一の美女の久保姫(伊達政宗の祖母)、伊達政宗の正妻の愛姫と政宗の側室たちをリクエストするでござる。東北大名だから、誰得なのでスルーOKでござるが、人間関係のネタさ関係では両極なのでさわりだけでも調べると面白いかもです。
久保姫様、見たいですよね
美女すぎて、他の男の所に嫁入りする道中で、伊達政宗の祖父の晴宗が横から彼女をかっさらって嫁さんにしたという・・・
そんな形で始まった夫婦生活だけど、久保姫と晴宗はラブラブで、晴宗の父稙宗が側室を大量に抱えていたのと真逆に側室を一人も持たず、子供も11人生まれて、とドラマチックでロマンティックなお姫様です
@@gomaazarasi5895 誘拐されたけどラブラブっていう現代人にはにわかに信じられない関係です。戦国最強のブラコン政宗の母義姫もいいのだけどれど、どうみても悪女にしか見えない。伊達家は他にも、他家に嫁いだ結果実家に徹底抗戦する阿南姫(政宗のおば)、近親婚を二度経験する彦姫、政宗と一説には不仲で42歳の高齢出産もした愛姫などネタばかりなのですが、何分政宗が知名度的に、こう、、、
政宗と愛姫の娘・五郎八姫もいますよ。
@@のん-l4z2h 五郎八姫もいいでござるなぁ。愛姫譲りの美貌と再婚を断り続けたとかいい嫁です。
欲を言えば片倉重綱の後妻阿梅(真田幸村の娘)もプッシュしたいけど、ここまでくるとマニアすぎて(;'∀')
戦国武将ってロリが多いのか?
しかし、賢夫人が多いなぁ。賢くなければ生き残れないし当たり前かもだけど、まつさんすごいなぁ。
そもそもロリコンという発想自体が、近代になってからなので、ここらへんの感覚は今と異なるかと思いまする。
この時代で11歳(数えで12歳)で出産してるのは早いにしても、一桁で婚約して10~16歳で結婚してるのがこの時代の常識ですね。17から結婚相手に焦りだし、20で結婚していないのはもう行き遅れという感じだったそうですが、背景には医療水準の低さによる平均寿命の低さや、多産多死があったようです。
@@日替睦実 江戸時代の将軍の娘の方がもっと子どもの内に嫁いでいる。秀忠の5人の娘は若くして嫁いでいるけど内3人は年齢一桁で嫁いでいるし、家光の娘も綱吉の娘も一桁で嫁いでいる。
@@yh6146
秀忠の娘が確か3歳で前田利常に嫁いでますね
毎回、華麗な歴史物の話。綺麗事で終わらせず、ちゃんと史実に忠実で分かりやすい内容ですね。本当に歴史物が好きになりました🌷 戦国時代のBL話は!でした。そうですよね、長い戦の間 奥方、側室と離れていたらそうなりますよね♨️
前田利家は花の慶次やその原作の小説ではかなり貶められていますが実は前田慶次とどっちが凄いかっていう位の猛者だったんですよね。どうもこの二人本当に殴り合いの喧嘩もした様です。ただ利家は政治も出来ましたが慶次は文化人でもありましたが政治には無縁だった様です。ですから花の慶次で豊臣秀吉が百万で迎え入れると言っていましたがそれでは一万石でも多いか、というところだったかと。
徳川家からお嫁に来た珠姫様と利常様は、ラブラブ💓だったそうです。
利常と珠姫は子供の頃から共に育てられて、長じてから実質的な夫婦になってからは仲睦まじい夫婦になりました。珠姫を愛していた利常は珠姫の死後側室は持ちましたが、後妻を迎えることはありませんでした。一説には結婚したとは言え敵方であった前田家の内情を探る目的であった珠姫の乳母は、夫利常との仲を裂くように画策して、珠姫の死後妻との仲を妨害された利常が珠姫の乳母を酷い刑罰で処罰したそうです。ただ、乳母のほうも言い分があったようで、若年から子供を休む暇なく生み続けあまり丈夫ではない珠姫の健康を配慮して夫の利常を遠ざけるようにしたそうです。臨終の床で珠姫が利常に「あなたとはもう子供をつくることはできない」と悲しくつぶやいたという話も伝わっています。
お松は子沢山だったけど、この珠姫も8人も産んでいる。
珠姫は若くして亡くなりましたが、京極忠高(松の丸殿の甥)に嫁いだ妹の初姫が夫に粗略に扱われて寂しい最後を迎えたのに比べれば、まだ夫にとても愛されていただけましだったと思います。
秀忠とお江夫妻の娘たちの中でも四女初姫は生まれた時から伯母お初に引き取られ
義理の従兄の京極忠高と結婚させられ、20代で亡くなった初姫臨終の際に夫は
相撲見物に興じていたそうです。三女勝姫も夫に斬り殺されそうになり離縁。
長女の千姫も前夫秀頼と後の夫本多忠刻とは死別と姉妹たちは夫運がない姫が
多いですね。お江の娘で比較的安定した結婚生活を送ったのは早世した次女珠姫と
末娘で天皇の后となった和子ぐらいなものでしょうか?
大西港一『おてんば珠姫さま』が電子書籍であるそうです。
ただ『華の慶次』ファンの方は覚悟して下さい。奥村助右衛門がいますが、(連載時、読者を驚かす)晩年の姿。現役で戦っていた『華の慶次』末森城の戦いから20年後なので。一度、引退したのを。「利光に三代目やらせるから」と呼び戻されたから。