世界遺産・国宝「姫路城」西の丸探訪 〜千姫の痕跡を辿る〜

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  • เผยแพร่เมื่อ 5 ต.ค. 2024
  • 「心で旅する姫路」Presented by Himeji FC
    新しい生活スタイルがスタートした今、
    知っていただきたい魅力的な姫路を紹介する姫路FCのチャンネル。
    ◾️心で旅する姫路公式ウェブサイト kokohime.com/
    今回は、世界遺産・国宝「姫路城」の西の丸をご紹介!
    6/29(月)放送の「新説!所JAPAN」でもご紹介頂いた、
    徳川家康の孫娘・千姫が過ごした西の丸の風景をまとめました。
    是非、ご覧ください。
    【🌸千姫について🌸】
    千姫は、徳川家康と浅井長政の孫で、浅井家三姉妹・お江の娘。
    7歳の時、豊臣秀吉の息子・秀頼に嫁ぎ大坂城へ入り、
    また父・徳川秀忠が2代将軍になります。
    19歳の時、大坂「夏の陣」で燃え盛る大坂城から、
    父・秀忠のもとに救い出されます。
    大坂城から江戸に送り届けられる道中、
    桑名の七里の渡しの船中で本多忠政の長男・忠刻と出会い、本多忠刻に嫁いで桑名城へ。
    千姫の化粧料10万石で、姫路城の西の丸を整備し、
    本多忠刻・千姫の屋敷や化粧櫓に庭園まで、
    美しく整えられ当時の華やかな雰囲気が現在も残っています。
    忠刻と千姫には、長女・勝姫、長男・幸千代が生まれます。
    しかし、幸せな生活は長く続きませんでした。
    夫・忠刻と長男・幸千代が早くに亡くなってしまい、
    千姫は、再び深い悲しみに襲われるのです。
    姫路城の西側にある男山に千姫天満宮を建立し、
    本多家の繁栄を願って朝夕祈りをささげました。
    千姫は、姫路城で約10年過ごしたと言われています。
    その後、江戸に戻り、落飾して天寿院と号します。
    弟になる3代将軍・家光や4代将軍・家綱の相談相手として、徳川家を支え、
    70歳で波乱万丈な生涯を閉じたと言われています。
    「大坂の陣」の際、千姫に助けられて養女となった豊臣秀頼の娘は、
    東慶寺に入寺し、天秀尼と名乗って寺を幕府公認の「駆け込み寺」とし、
    多くの女性を助けました。
    千姫はこの時も、天秀尼の後ろ盾として活躍していたと言われています。
    自らが数奇な運命にあったからこそ、世の女性たちの幸せを願いご尽力されたのかもしれません。
    千姫たちが過ごした姿を連想しながら、西の丸を探索してみてはいかがでしょうか。
    (※諸説あります。)
    姫路城公式HP
    www.city.himej...
    ♪ちょっと小ネタ♪
    千姫と養女・天秀尼が関わった東慶寺を舞台にした作品『駆込み女と駆出し男』は、姫路の古刹・圓教寺でも撮影されました。
    圓教寺を東慶寺の一角として撮影して頂きました。
    映画『駆込み女と駆出し男(松竹・2015年)』(原田眞人監督作品)

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