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ハプスブルク家が蕎麦に税金をかけなかったこともあって、日本以上に蕎麦に馴染みがある国が多いことも面白い
馴染みはあるが好きかと言われると微妙かもしらんぞ…
@@kojitadokoro1448それこそフランスならガレットやから好きなんちゃう?
@@ピグモン-x1tそば粉のクレープか!
それMASTERキートンで知ったわ
鬼平犯科帳のエンディング雪が降る中で温かい蕎麦らしきものを啜ってるシーンとても好きです
あのエンディングテーマ『インスピレーション』で、ジプシーキングスを知ってフラメンコギターを習っていたよ😊
駅や地域の安くてうまい立食い蕎麦屋を回るのが好きです。江戸の庶民もそうした楽しみはあったのかなぁ。江戸と私が蕎麦でつながっているようでなんだか楽しい気分になります。
オレの昔の上司が蕎麦好きでよく都内のそば屋巡りに付き合わされた。お陰で、今でも出先でそば屋を探すのが楽しみにしています。ただ本当は博多生まれなので、コシのくだけたうどんも大好きです😊
なんだか素敵なエピソードですね。
二八蕎麦を実現させたのは荒川の流通です。川越から西の流域エリアに小麦の生産地が広がっていました。北海道で小麦の生産が広大な農園を武器にする以前は埼玉県が小麦の生産日本一だったと言われています。また、蕎麦の実も埼玉県が生産量上位にありました。荒川は江戸に木材をはじめとして様々な生産物を流通させる経路でした。浅草の芋羊羹も川越の芋があってこそです。
今でも、蕎麦饅頭は有る。寛正六年(西暦1465年-応仁の乱の前年)創業、京都に店舗を構える菓子と蕎麦の尾張屋。
江戸は江戸詰めの独身若しくは単身赴任の武士がが多く単身者の職人も多かったので必然的に日本一の外食文化が栄えた。煮物売りなどのテイクアウト店(中食)もありご飯だけ炊いておけばおかずにも困らなかったようです。おそらく当時世界でも江戸ほどの外食文化があった都市はないでしょう。時代が移り令和の世になって男性ばかりか女性の単身者も増えた現在の東京の外食、中食文化の隆盛は当時の江戸の街に近いものがあるかもしれません。
米炊いといておかず買うのは現代も同じだな。家で食うもんだけでなく会社に持ってくお昼とかまさにそうだし。おにぎりだけ作って、買いだめしといたカップ麺とか。
江戸に比肩するのは古代ローマくらいかもねぇ古代ローマはホント江戸中期以降とよく似た所が多いし(アパート住まいの過密住宅、外食文化、風呂文化等々)
穀物としての蕎麦は江戸近郊の農民にとって主食に近く、当時の記録からすると蕎麦餅を頻繁に食していたようです。
電車で遠出する時は駅そばを食べます。わかめとミニかつどんかミニカレー🍛をつけます。
江戸~東京の蕎麦屋はファーストフード兼居酒屋でどの町内にも1軒は有ったから昭和中期までは何処もかなり繁盛してたらしいね。しかもメニューも普通の蕎麦ばかりじゃなくて天丼やカツ丼、親子丼などの丼物(うな丼は焼きが入るから無い店も多かった)果てはカレーライスやラーメン(当時は〇那そばの名称が一般的)が有るからちょっとした外食や出前では、ほぼ蕎麦屋だったって聞いた。しかも調理も早いから駅のホームの食事は駅弁か蕎麦屋だったし。
江戸じゃなくて東京の話しね😅
明治 生まれの死んだバァちゃんが、日本人がラーメンや餃子食べる様になったのは戦後だって言ってた
@@daishiyokota-ok2ruGHQの政策で和食の排斥・洋食促進が行われてたから、ラーメンや餃子などの中華系なら堂々と出店できた
昔のラーメンの面影あるのはラーメンショップ系の気がする。今流行りの白濁スープは歳とると胸焼けして食えなくなってくる。
白米を食べていた江戸っ子にとって、蕎麦は重要な栄養源。ビタミンやミネラルが豊富なので蕎麦を食べると体調が良くなったはず。
花粉症の時期に食べると症状軽くなる気がする。
魔理沙の後ろにいる背景の天秤棒担ぎの商人さんが時々活字せりふで補足説明してくれる演出が、何とも良い味を出して面白かったです。あと二八蕎麦の名前の由来、12文から16問に値上げで計算したら、12文→360円・16文→480円、120円の値上げは消費者心理として大きな負担になる値上げだったと感じました。ちょうど現代で12文から16文への値上げを考えてみると、牛丼チェーン店で牛丼並み1杯が来月から120円値上がりします。というような感覚。あとはマックの高級単品バーガー(ちょいマックの200円台の価格帯ではなく、単品で300~400円台のバーガー)、日高屋のラーメン1杯でも、120円の値上げは大きな負担に感じます。しかしその後の重なる値上げで最終的には24文(720円)、ロシアVSウクライナ戦争で、世界中の物資不足と戦争地域を避けた余計な輸送ルートによる運搬コスト高による世界的なインフレのような、歴史的に大きな事件があったかのようなインフレ値上げが江戸時代にあったのですね。そう考えると、江戸時代でも庶民の生活は、現代の令和日本と同じようなモノだったのかもしれませんね。
江戸時代の町人は一日4時間くらい働いたと言います。
うん
江戸時代後期の物価高騰は、同時に貨幣価値の下落も引き起こっていますので、実はかけそばの実質の価格はほとんど変わってないんですよね。
昼間から蕎麦屋で飲む酒の美味い事といったら…たまらねぇぜ!
蕎麦屋で、肴食いながら熱燗なんか飲んでるのは田舎者だって知ってる?
@@伊東敏明-j2vわざわざそんなこと言うのは田舎者より恥ずかしいんやで😊
剣客商売でやっていたが、上州(群馬)風だと、太く切ったそばをショウガをたっぷり入れたツユで食ったとか。
池波正太郎の時代小説は、時代考証という点では参考程度にしたほうがいいわりと具体性のある江戸グルメなんかを登場させることで知られる作家だが、実際にそれらが一般に供されていたかどうかは定かではない飽くまでも「小説の一節」であるので、アレンジを効かせて話に盛り込むことも多々あるのだ
ゆで太郎の朝そばはメッチャお得で楽しみのひとつ
切りそばの歴史は、思ったよりも深いのが説になっています。例えば織田信忠の甲州征伐の際に切りそばが振舞われたりなど記述があります。また、大阪城築城の際に砂場で振舞われた蕎麦屋が後に江戸に進出して「砂場」の祖になったとも言われています。江戸蕎麦の歴史は、実は醤油の歴史とも深くかかわっているのではないかと存じます。そこら辺も動画にして頂けますと幸いです。
この種の動画のときのどうしても治らない癖が、、いったん動画を止めて蕎麦を作って再開、食べながら観る、をいまやっちまいました。
良いなそれ。今度まねしようw
もっと伸びていいチャンネル
蕎麦だけにな。
蕎麦は伸びたらアカンやろ
嘗て職場近くにあった蕎麦屋には「蕎麦掻汁粉」「蕎麦団子」「蕎麦豆腐」という伝統的なメニューがあった。蒸籠蕎麦の付け汁にたっぷり生姜を入れて食べる蕎麦豆腐が絶品でした。汁粉や団子は女性が好んで注文していたね。店主が高齢で且つ後継者に恵まれず店を閉めてしたのがつくづく残念な良店でした。ちなみに、つなぎ無しで打つ田舎蕎麦は色は黒っぽくて香りが強く癖があったけど、濃い口の付け汁と相性が良くて蒸籠3枚分は軽く喰えましたw
凄い面白かったです~蕎麦を食べる時この動画を思い出しますね~💛
私は無類の蕎麦好きです😊盛り蕎麦にワサビさえあれば満足。😊蕎麦と私の一騎打ちを邪魔する薬味は一切不要。蕎麦の風味とツユの味にワサビの刺激。これらを三位一体で喉越しに堪能します😊
それじゃ蕎麦の香りが無くなっちまうんじゃ?水蕎麦をすすめる 秋の味覚 今は食わねえ
@@arika5857ベビースターラーメンのアイコンに言われてもwwwなかなかハイセンスですね❤
盛り蕎麦にはワサビだけ、他の薬味は蕎麦湯で頂く。十割そばも美味しいけど近所の十割そばは1杯2000円するので月一が精一杯。
海原雄山がチラチラ見てるぞ
@@438atw面白い😂😂
久しぶりに面白いゆっくり見つけました〜登録しました!頑張ってください!
うちではお米を炊く時に蕎麦の実も混ぜて炊いてますあと、スーパー等で蕎麦を買う時表示に気を付けないと蕎麦粉よりも小麦粉の方が最初に書かれた蕎麦モドキも多いので注意
28が普通だし、逆に10割とかだと美味しくは無いよ。
業務スーパーのは蕎麦粉がたったの20%なんだぜ八二そばというか、蕎麦粉入りうどんというべきか
@@健久保田-x4k 乾麺で十割は無いですよ???見たことありますか???ちゃんとパッケージの記載を見て買う事をおすすめします
@@HAYASHITAROU 業スーでも何処でも乾麺を買う時は何がメインか先ず記載内容を確認して買っています業スーはチャイナと偽物の得体の知れない物体を置いているので色々考えさせられます
表示を見て有難がるってのは、味の違いは分からなくて、情報を食べてるんだなあってことよね。仮に栄養価の話だとしても、私などはそれが自分の体調にどう影響してるかの実感も出来ないので、マズくさえなければ腹を膨らませられれば大感謝です。
蕎麦、大好きなので、取り上げていただいて良かったです👍信州へ行くと美味しいお蕎麦が食べれます。また、江戸中期に、信州上田から但馬の出石(今の兵庫県豊岡市)へお国替えになった大名さんが、その時に出石の地に蕎麦を持ってきて、出石のお蕎麦は地元の名産となっています。江戸の町の事にとどまらず、江戸時代の我が国の食文化等々を取り上げていただけると、視聴者さんもいろいろと楽しめるかなと思います😊ご参考にしていただけるとありがたいと思います🍀今日も有益な動画UPありがとうございます😉👍️🎶🍀
そばの乾麺茹でたの食べながらこれ見てると美味しい!
「せめてたけのこだよね」……聞き捨てならぬ言葉であった
「まな板と申したか」
ここの蕎麦おいしいね!
(出来ておる喃)
二八蕎麦の由来は 十六文 だったから。二八うどんも有った。そば粉8割、小麦粉2割の割合で呼ぶ様になったのは 後から。
ラーメン店は今の東京にはどのくらいあるのかな?恐らく、これらが蕎麦屋に取って代わった可能性が高いと思う。蕎麦の方が健康にはよさそうだが。すすってのど越しを楽しむ日本独特の文化も似てる。ただ、蕎麦は多くの人はつけ蕎麦を好む傾向があると思う。蕎麦本来の風味が味わいやすいから。逆にラーメンは、普通のラーメンがつけ麺よりも食べる人が多いだろう。個人によって好みは違うだろうが、蕎麦は麺が主で、ラーメンはスープが主のような気がする。もちろん、両方とも、麺もスープも大切な要素だが。
蕎麦に税金が掛からなかったから、甲州や信州の農家さんは米以外に蕎麦を育てた。要は小遣い稼ぎだったのです。水が良く高品質な蕎麦が沢山作られ、江戸庶民の懐に優しい価格もあって滅茶苦茶支持されました。
三河遠州の幕府領では「農民は蕎麦食うな、幕府が買い取るので」というお触れ出てたそうだから、よっぽど江戸で蕎麦が人気だったのかと。
で、結局のところ饂飩じゃなくて蕎麦な理由はなんだったんだろう。24時間に近い営業形態だったってことは、生地の熟成が必要な饂飩より、すぐ出来る蕎麦が合ってたっていうことかな?
江戸っ子は基本短気、そしてそれを粋だと言って良い事としていた風潮もあっただから蕎麦の強い香りやあの鰹節をグツグツに煮だす様な出汁、凄い濃いかえしを合わせた汁でせっかちに食っても味がしっかり感じられるってのが良かったんじゃないかなうどんみたいにコシとかどうこう無しにのど越しだけをサッと味わう様な食べ方逆にうどんはしっかり咬む事前提だしね(別に咬まずに飲む様な食べ方も出来るし、何ならのど越しその物はうどんの方が良さそうだけど蕎麦みたいな強い香りが無いしね)
飢饉が発生するような状況は、水不足や冷害が発生するときなので、単純に作物の生育期間は関係ないと思う。あと収穫量だけで比較すると米が圧倒的
そこで栄養抜群で痩せてようが水分が不足しがちだろうが育つ甘藷ですよまぁ品種改良進んでない江戸期のサツマイモはそんなに甘くはなかったらしいけど、栄養価や荒れた土地でも育つという点は最強でしたからね(なおお侍様は米に拘るので結局そこまで浸透しない模様)
二八蕎麦には2種類あって、「ソバ8:小麦粉2」の「二八」と、「ソバ10;小麦粉2」の「外二」。割合的には「外二」の方が蕎麦の割合が多い。
15:30 水餅なら昭和50年代は正月用に注文したでっかいシート状の餅を適当に切って保管するのにうちの家でもやってたな。冬場だとそうそうカビは生えないし、水面にちょっとカビが生えたところで餅は洗ってから煮るなり焼くなりするわけなので、腹なんて下さないよ…。
「時そば」に「そば清」なんて落語の演目を彷彿とさせる浮世絵でしたね⁈
ヒイフウミイ・・今何時だい?
@@tryo2115うわ、絶対損しない時に聞いてきた!!
「時そば」の元ネタは、上方落語の「時うどん」なんだよね。
蕎麦が着物着て座ってら
蕎麦は米はもちろん麦すら育たない貧しい土地の食べ物だという事で、お公家さんは口にしないなど上方では嫌われていたんですよね。また上方から見たら鰹節の煮出し汁だと見下された江戸の強い出汁と、関東産の濃口醤油で作られた濃厚なそばつゆとの相性が抜群に良かったのも肉体労働の多い江戸っ子達に好まれた要因でしょう。
上方では~、上方から見たら~、関東産の醤油~、肉体労働の多い江戸っ子達・・ 独特な地域コンプレックスや選民思想をお持ちのようだけど、日本が嫌いなあちら系のソレに、そっくり
@poissonblanc3106コメ主の言ってることは事実だよ。江戸だけでなく、鎌倉から運動しない、する必要がないニートの公家からしたら、働いてる人の食い物は塩っ辛くて食えない。 何でもかんでもそれっぽい単語があったら助詞とか抜かしてそう決めつけようとするとかポリコレとかツイフェミと変わらんよ? しかも逆にコメ主は公家に対する嫌味とも取れなくないでしょ? 正直地雷にしか見えないよ。 釣り針意識してたら、俺は見事に掛かった鴨なんだけど。
@@poissonblanc3106もう少し歴史のお勉強してからコメントした方が良いですよ。
普通に歴史の話してるだけじゃね?何をイラついてんだ?江戸って地方から働きに来る肉体労働者沢山居たんだぞだからそう言った人達に向けた食が発展していったって話じゃん
@@poissonblanc3106これは普通に歴史や文化の知識として楽しめたよ!
蕎麦が日本に到来したきっかけには、禅宗のお茶があります。粉茶を挽くための石臼は蕎麦を挽くのにも最適で、しいては、火縄銃の火薬を作るのにも用いられました。ですので、戦が始まる前にはお寺の石臼を壊すことも多かったそうです。禅宗とは、今に残る曹洞宗や臨済宗の流れです。参道沿いに蕎麦屋を出すお寺が増え、信仰の前に商売かと問題にされて、本寺から閉鎖を申し渡されるお店も多かったそうですよ。
コメント失礼いたします。ざるそば食べ放題を行っている札幌のお蕎麦屋さん「喜心庵」さんは、サービスでそば饅頭を提供してくれます。
江戸の蕎麦屋てソバも勿論売りだったけどソバや天ぷらを肴に一杯飲るて、需要も高かったでは?昔の時代劇なんかではそんなシーンが結構ありました。
残念ながらその辺は時代劇の創作が強い天ぷらは当時の消防法(に類するもの)で屋内調理禁止だったから屋台以外では中々無いし(後期も後期だと緩んできたから割とあったらしいけど)、当然屋台では酒は出ないそして何より蕎麦をそんなダラダラ喰う食べ方は粋ルールに反するので江戸っ子は蕎麦屋でそんな事はしない蕎麦はサッと食うのが粋酒は居酒屋で呑むもの
お蕎麦は、ここ2年ほどで好きになりました😊現代もせいろで出てくるのは、蒸し物だった名残り、という話がとても興味深かったです😊
海藻で繋いだ蕎麦切りって、へぎ蕎麦のルーツ?
江戸期の店舗じゃない蕎麦ってのを食べてみてぇなぁ
色んな文献で残ってるけど、店舗構えてない蕎麦(要は担ぎ屋台とかの奴)は割とボロクソに記載されてる事多いんだよねぇ・・・(どんなに良くても「食えなくもない」程度の書き方)当たり前な事だけど火力は火鉢レベル、水も豊富に使えないこんなんじゃまぁイマイチなのはしゃーないんだけども
地元の古い蕎麦屋のオヤジが30年ぐらい前に言ってた話では、昔は蕎麦粉の価格が小麦粉に比べて特に高いこともなく手軽に仕入れ出来ていたが、近年はとんでもなく高騰してしまって小麦粉より遥かに高くなってしまったと。ざっと10倍とか言ってた。スーパーで蕎麦の乾麺を買う時も、八割蕎麦とか十割蕎麦とかは物凄く高いもんね。それ以外の乾麺でもカップ麺の蕎麦でも、殆ど全部が小麦粉の方が大量に使われてるんだもんな。
値段で言うとうどん粉<そば粉<小麦粉みたいな感じらしいですね。駅の立ち食いそばなんかは「八二そば」と言って「8割うどん粉」だが、安物のパンは4~5割そば粉って聞いた事ある。
もともとはうどんの代用品として蕎麦粉を麺にしてたのに今では小麦粉麺の中華ソバとかヤキソバとか、蕎麦の方が麺料理の代名詞になってしまった。
@@ゼーフェルト博士 >今では小麦粉麺の中華ソバとかヤキソバとか、蕎麦の方が麺料理の代名詞になってしまった。ですよね。逆転しちゃって不思議。
@@cho-un それは輸入小麦の影響でしょうね。四国の讃岐うどんも、ほとんどが輸入小麦を使っているらしいですよ。
既に訂正済みですが 2:13 食日本紀・・・食に本気!そして元正天皇が女性なのも割と知られていますが、ゆっくり音声が「げんしょう」と正しく発音してるのは地味にポイント高いですね。
当時の出前なんて電話があるわけもなく、思い付きで注文できないし早い時期からの予約注文だったんだろうなあ。
出前…今なら食べたくなった→電話(ネット)で注文、だけどこの頃はどういうものだったんだろう。
そば屋は、座敷にあがって畳の上に直接、食器類を置いて食べていたとは、初めて知りました。昔の時代劇で、イスとテーブルに違和感を抱いた人、いたかな?
最近、うめー蕎麦食べてないなぁ…🥲💦
当時の暖簾はお手拭きで暖簾の汚れている蕎麦屋が美味い目安になるのも今とは違う
水が貴重な江戸は風呂や職務上以外で手を洗うのは割と贅沢ですからねぇ
関西 大阪 難波 にはうどん蕎麦屋はあれど蕎麦屋が少ない
そういや実家では蕎麦焼き餅にしてたな
北関東では今でも自然薯をつなぎにしている物もありますよでもお察しの通りコシは無いに等しいです歯が弱くなったり少なくなった方々に人気です
江戸は、現代に比べて人口が少なかったのはもちろんだけど、当時いわゆる「江戸」とされてた範囲は、今の23区よりはるかに狭い範囲なんだよね中央区と千代田区くらいだったかな品川は「品川宿」っていう隣町扱いだし、巣鴨とかは「巣鴨村」だったからね
江戸落語には蕎麦のフードファイターのネタもあるくらいだし
当時の蕎麦屋は、現在の居酒屋をも、兼ねていたのだと思います。
蕎麦屋は蕎麦屋で居酒屋は居酒屋で別物よ同じように感じるのは時代劇特有の演出の影響そもそも当時の居酒屋は時代劇みたいにテーブルとか無いし
江戸時代に転生して蕎麦屋巡りしてぇなあ・・・
ラーメン西遊記の作家さんがそんな漫画描いてたけど。
蕎麦茶飲んで食べられて一石二鳥だよ。火がすぐ通るしべちゃっとしないからオートミールより楽。
9:19 1両で三人家族が1ヶ月暮らせる、んだっけ。現在の給料だとそれくらいかもな
昭和の頃は、駅そばに卵を付けても400円しなかった気がするのだが。。400円出せば肉ソバとか食えたんじゃなかったっけなぁ。。
日本の側に蕎麦がずっといたんだな。
駅のそばだってほんの数日前までは200円が普通だったことを考えると今の物価上昇と大して変わらんでしょ一秒ごとにどんどん値段が上がるもうジンバブエ状態の日本
蕎麦を悪魔の実として育てる食べることを禁止にした聖職者、、、
ん~セイロで出すのは、ゆでるとつなぎがないのでバラバラになるから蒸したであってるのかな?小麦より栽培に数が少ないから、収穫量が多いから値段が安いのかな?手軽にとれる炭水化物で人気が出たと?
蕎麦か、縄文の昔から食べまくってたのね?。実のままから、麺状に成る迄、時間がかかってるのね。東隣の徳島県の三好市では、蕎麦の名産だけれども?、うどんが身近かも、
初物食べると75日寿命が伸びるってのも蕎麦が原点って聞いたけど。盛り蕎麦30枚出前とか、屋台担いでとか昔の人は力持ちだったんですね。
ミルクボーイの関西限定ネタで「蕎麦なんかで人生観変わらんよぉ!」って下りあって若林や伊集院に「関東だと結構人生変わった人いるから……」ってツッコまれてたけど、なんで蕎麦がここまでオジサンを狂わせるのかわからん(笑)
江戸で、蕎麦が流行った理由に江戸煩い(脚気)予防もあったらしいな~( 一一)
当時の蕎麦屋(店舗)は食事だけでなく逢引の場所(ラブホ的な)としての役目もあったらしい。
その前段階の茶店やパブだな。ちょいと蕎麦屋で腹据えてからお家や暗いとこに…ダメでも夜になったら遊女との出会いが…
逢引ってデートだぞ。
たぶんそれは水茶屋の間違いだと思います…
江戸時代のラブホは、蕎麦屋でも水茶屋でもなく「出合茶屋」でしょう。あと鰻屋さんも割とその多くがラブホです。
ウソかくな茶屋、逢い引き茶屋だ
出前って、どうやって注文出してたんだろ?蕎麦屋までつかいを出してたんかな?麺以外の蕎麦と言えば、はったい粉を湯でこねたやつ。ちょっと砂糖を入れたらめちゃ美味しい
そもそもうどんが全国的に普及したのは戦後余った小麦をアメリカがねじ込んできてからの話。
蕎麦屋で天ぷら蕎麦をとって、冷酒で一杯やる…というのを早く実現したい…おさらばえ
更に進めば、天ぷら蕎麦の「台抜き」、ほろ酔い心地でせいろを手繰る…池波正太郎の世界だね。
う○ば○い○つでいいんじゃない?ニハ蕎麦屋「出前持ちもそう思います」
@@KAZWACKY難しい、ついていけません😊
江戸時代にも蕎麦アレルギーって、あったのかなあ?
三十年ほど前 阿波踊り観光に徳島市訪問しました(そばごめ)なるもの 和食店メニュー見かけました宿の女中さんに聞きました 「当館でも出来ますが」と言うことだったのてオーダーしました「県外のお客様食べるの珍しい」とのことでした
蒸し蕎麦の味は本当に美味しい…ただボソボソ。
>なぜ江戸は蕎麦屋が多かった?結局、この「なぜ?」の理由がよくわからなかった。「うどんより安かったから」ということ?
そば茹でて、うっかり寝落ちたら全部合体してソバガキみたいになっててワロタわ(;^ω^)
ちょっと話す速度を早くした方が聞きやすいかな?
人口1000万なのに蕎麦屋の数が現代のコンビニくらいって異常に多い気がする。メニューに蕎麦があれば蕎麦屋ってことなのかな?
担ぎ屋台がとんでもない数居たからってのがデカいちゃんとどっしり店を構えてる蕎麦屋は滅茶苦茶少ないよ
小麦粉が貴重品ということは香川県でうどんが増えたのは明治以降なんだろうか
ざっくり江戸中期じゃなく、おおよそでももう少し具体的にいつ頃「ゆでそば」ができてきたんや?
イトメンの二八蕎麦は、小麦粉が主成分だ。
蕎麦の実の粥とかかな国産で増産して欲しい
うどんよりソバが人気なのは当然すぎることだろう
江戸っ子に会った事あるけど。うどんは飲むもんだって、馬鹿にしてた。
ふと、蕎麦にけしの実が練りこんでなかったかと考えた
池波正太郎が現在までご存命でこの蕎麦に関する情報量があれば盗賊が又は同心木村忠吾がもっと華やかな蕎麦を手繰るシーンが有ったのかいや知ってて削ぎ落とし洗練して作品に残したのか…
2×8=16文上手いなぁ。
江戸時代の物価の値上がり・・・この頃は物価だけではなく、給料も増えたんだろうか・・・?
うどんはダシを効かせた方が美味い。北海道で採れた昆布は松前船に乗って日本海側を渡って京都•大阪に運ばれた。松前船は太平洋側を航海できなかったので、昆布は江戸には運ばれなかった。美味しい出汁が作れなかった江戸では醤油を沢山使った辛い出汁の合う蕎麦が普及したんじゃないか。
濃口醤油より薄口醤油のほうが塩分が濃い事も知らんのか
江戸時代に一般庶民が掛け算できる時点で驚愕なんだけど
寺子屋で和算(数学)として庶民にも学ばれていたらしいです
落語の「時そば」でも代金のやり取りで「ニ八で十六文」とあった。
当たり前だけど、丁稚奉公として弟子入りするから、ほぼ皆計算できたんだよね。女の子も良い家に嫁ぐな計算出来ないと貰い手がない。(将来女将さんとしての振舞が必要)
神社の絵馬に数学の問題を書き、解いた人が裏に答えを書くという遊びもあったらしい。
これが出来たから明治維新文明開化も普通にこなせたってのが凄い。
一部完全な間違いがあるな。「元正天皇が出した詔勅」のところで髭生やした男性が出てくるんだが、元正天皇は「女帝」だ。
"食"日本紀・・・
確かにw 『食日本紀』の表記にびっくりしてそっち気が付きませんでしたw
今は小麦粉の方が多い蕎麦が主流だ。 安いやつは10%以下しか蕎麦粉が入っていない。 蕎麦と名乗るには50%以上とか法律を作ってもらいたいぐらいだ。 とは言え、10%レベルでも意外に美味しいのもまた事実だ。 蕎麦の香りが・・などとうるさいことを言うと8割なんだろうけどね。
蒸し蕎麦ってあれ某有名料理漫画の嘘情報だよ。一度茹でた蕎麦を温め直すのに蒸篭を使っていた名残りなんですよ。
ソバ殻は枕にもなるし捨てるところないなアレルギーある人には無理だけど
どん兵衛と同い年だった!!
江戸患いという病気が有る。ビタミンB1B2不足に起こる、脚気や免疫力低下が病気です。江戸時代になると精米技術が進歩して、白米には栄養素乏しいが、公家大名だけでは無く庶民にも、白米を食べる習慣が根づき始めた。江戸っ子は白米を、たらふく食べるのが粋と言われた。蕎麦にはビタミンB1等栄養素豊富です。江戸に居ると何故か調子が悪いが、蕎麦を食べると何故か調子か良くなり、結果的に小麦の主成分の饂飩寄りも蕎麦が好まれた。現代と同じく江戸時代は、男性の独身貴族が多かったらしいから、必然的に外食が多くなり、病気等を引き起こす(現代と似てますな〜😅)江戸っ子は白米と掛け蕎麦が定番か、呑んだ後の〆が蕎麦だった後〜日本酒は江戸時代前迄は濁酒だったが、濁酒、酒粕には栄養素豊富で、技術が進歩し江戸時代には清酒が登場し始めた。此ら食文化の変化だと思う。自分もラーメン、饂飩より蕎麦派です。蕎麦湯飲むと翌朝の調子が良いです。
食い終わった食器をどうしてたのかも気になるんだぜ…桶ためた水にザブっとつけてオケみたいな…?
半蔵門おばこでは「蕎麦の実」から入る
現代に照らし合わせると、チェーン店みたいな組織があってもおかしくない。規格化した屋台セットと麦売って勢力広げるとか。UBERもあったかもね。派遣なのか流通専門かはしらんけど。
増田屋がそれっぽい気がする
誰か鎌倉時代に転生して史実より早く蕎麦を作って無双する小説書け
現代じゃメジャーな蕎麦は3割で次は五割蕎麦、二八蕎麦 十割蕎麦よな。自分は五割の更科と挽きぐるみの蕎麦をローテーションで毎日食べてるわ。皆は汁は何処の使っとるん?
ハプスブルク家が蕎麦に税金をかけなかったこともあって、日本以上に蕎麦に馴染みがある国が多いことも面白い
馴染みはあるが好きかと言われると微妙かもしらんぞ…
@@kojitadokoro1448
それこそフランスならガレットやから好きなんちゃう?
@@ピグモン-x1tそば粉のクレープか!
それMASTERキートンで知ったわ
鬼平犯科帳のエンディング
雪が降る中で温かい蕎麦らしきものを啜ってるシーン
とても好きです
あのエンディングテーマ『インスピレーション』で、ジプシーキングスを知ってフラメンコギターを習っていたよ😊
駅や地域の安くてうまい立食い蕎麦屋を回るのが好きです。江戸の庶民もそうした楽しみはあったのかなぁ。
江戸と私が蕎麦でつながっているようでなんだか楽しい気分になります。
オレの昔の上司が蕎麦好きでよく都内のそば屋巡りに付き合わされた。お陰で、今でも出先でそば屋を探すのが楽しみにしています。ただ本当は博多生まれなので、コシのくだけたうどんも大好きです😊
なんだか素敵なエピソードですね。
二八蕎麦を実現させたのは荒川の流通です。川越から西の流域エリアに小麦の生産地が広がっていました。北海道で小麦の生産が広大な農園を武器にする以前は埼玉県が小麦の生産日本一だったと言われています。また、蕎麦の実も埼玉県が生産量上位にありました。荒川は江戸に木材をはじめとして様々な生産物を流通させる経路でした。浅草の芋羊羹も川越の芋があってこそです。
今でも、蕎麦饅頭は有る。
寛正六年(西暦1465年-応仁の乱の前年)創業、京都に店舗を構える菓子と蕎麦の尾張屋。
江戸は江戸詰めの独身若しくは単身赴任の武士がが多く単身者の職人も多かったので必然的に日本一の外食文化が栄えた。
煮物売りなどのテイクアウト店(中食)もありご飯だけ炊いておけばおかずにも困らなかったようです。
おそらく当時世界でも江戸ほどの外食文化があった都市はないでしょう。
時代が移り令和の世になって男性ばかりか女性の単身者も増えた現在の東京の外食、中食文化の隆盛は当時の江戸の街に近いものがあるかもしれません。
米炊いといておかず買うのは現代も同じだな。
家で食うもんだけでなく
会社に持ってくお昼とかまさにそうだし。
おにぎりだけ作って、買いだめしといたカップ麺とか。
江戸に比肩するのは古代ローマくらいかもねぇ
古代ローマはホント江戸中期以降とよく似た所が多いし
(アパート住まいの過密住宅、外食文化、風呂文化等々)
穀物としての蕎麦は江戸近郊の農民にとって主食に近く、当時の記録からすると蕎麦餅を頻繁に食していたようです。
電車で遠出する時は駅そばを食べます。わかめとミニかつどんかミニカレー🍛をつけます。
江戸~東京の蕎麦屋はファーストフード兼居酒屋でどの町内にも1軒は有ったから昭和中期までは何処もかなり繁盛してたらしいね。しかもメニューも普通の蕎麦ばかりじゃなくて天丼やカツ丼、親子丼などの丼物(うな丼は焼きが入るから無い店も多かった)果てはカレーライスやラーメン(当時は〇那そばの名称が一般的)が有るからちょっとした外食や出前では、ほぼ蕎麦屋だったって聞いた。しかも調理も早いから駅のホームの食事は駅弁か蕎麦屋だったし。
江戸じゃなくて東京の話しね😅
明治 生まれの死んだバァちゃんが、
日本人がラーメンや餃子食べる様になったのは戦後だって言ってた
@@daishiyokota-ok2ruGHQの政策で和食の排斥・洋食促進が行われてたから、ラーメンや餃子などの中華系なら堂々と出店できた
昔のラーメンの面影あるのはラーメンショップ系の気がする。
今流行りの白濁スープは歳とると胸焼けして食えなくなってくる。
白米を食べていた江戸っ子にとって、蕎麦は重要な栄養源。
ビタミンやミネラルが豊富なので蕎麦を食べると体調が良くなったはず。
花粉症の時期に食べると症状軽くなる気がする。
魔理沙の後ろにいる背景の天秤棒担ぎの商人さんが時々活字せりふで補足説明してくれる演出が、何とも良い味を出して面白かったです。
あと二八蕎麦の名前の由来、12文から16問に値上げで計算したら、12文→360円・16文→480円、120円の値上げは消費者心理として大きな負担になる値上げだったと感じました。
ちょうど現代で12文から16文への値上げを考えてみると、牛丼チェーン店で牛丼並み1杯が来月から120円値上がりします。というような感覚。あとはマックの高級単品バーガー(ちょいマックの200円台の価格帯ではなく、単品で300~400円台のバーガー)、日高屋のラーメン1杯でも、120円の値上げは大きな負担に感じます。
しかしその後の重なる値上げで最終的には24文(720円)、ロシアVSウクライナ戦争で、世界中の物資不足と戦争地域を避けた余計な輸送ルートによる運搬コスト高による世界的なインフレのような、歴史的に大きな事件があったかのようなインフレ値上げが江戸時代にあったのですね。
そう考えると、江戸時代でも庶民の生活は、現代の令和日本と同じようなモノだったのかもしれませんね。
江戸時代の町人は一日4時間くらい働いたと言います。
うん
江戸時代後期の物価高騰は、同時に貨幣価値の下落も引き起こっていますので、実はかけそばの実質の価格はほとんど変わってないんですよね。
昼間から蕎麦屋で飲む酒の美味い事といったら…たまらねぇぜ!
蕎麦屋で、肴食いながら熱燗なんか飲んでるのは田舎者だって知ってる?
@@伊東敏明-j2vわざわざそんなこと言うのは田舎者より恥ずかしいんやで😊
剣客商売でやっていたが、上州(群馬)風だと、太く切ったそばをショウガをたっぷり入れたツユで食ったとか。
池波正太郎の時代小説は、時代考証という点では参考程度にしたほうがいい
わりと具体性のある江戸グルメなんかを登場させることで知られる作家だが、実際にそれらが一般に供されていたかどうかは定かではない
飽くまでも「小説の一節」であるので、アレンジを効かせて話に盛り込むことも多々あるのだ
ゆで太郎の朝そばはメッチャお得で楽しみのひとつ
切りそばの歴史は、思ったよりも深いのが説になっています。例えば織田信忠の甲州征伐の際に切りそばが振舞われたりなど記述があります。また、大阪城築城の際に砂場で振舞われた蕎麦屋が後に江戸に進出して「砂場」の祖になったとも言われています。江戸蕎麦の歴史は、実は醤油の歴史とも深くかかわっているのではないかと存じます。そこら辺も動画にして頂けますと幸いです。
この種の動画のときのどうしても治らない癖が、、いったん動画を止めて蕎麦を作って再開、食べながら観る、をいまやっちまいました。
良いなそれ。今度まねしようw
もっと伸びていいチャンネル
蕎麦だけにな。
蕎麦は伸びたらアカンやろ
嘗て職場近くにあった蕎麦屋には「蕎麦掻汁粉」「蕎麦団子」「蕎麦豆腐」という伝統的なメニューがあった。蒸籠蕎麦の付け汁にたっぷり生姜を入れて食べる蕎麦豆腐が絶品でした。汁粉や団子は女性が好んで注文していたね。店主が高齢で且つ後継者に恵まれず店を閉めてしたのがつくづく残念な良店でした。
ちなみに、つなぎ無しで打つ田舎蕎麦は色は黒っぽくて香りが強く癖があったけど、濃い口の付け汁と相性が良くて蒸籠3枚分は軽く喰えましたw
凄い面白かったです~蕎麦を食べる時この動画を思い出しますね~💛
私は無類の蕎麦好きです😊盛り蕎麦にワサビさえあれば満足。😊蕎麦と私の一騎打ちを邪魔する薬味は一切不要。蕎麦の風味とツユの味にワサビの刺激。これらを三位一体で喉越しに堪能します😊
それじゃ蕎麦の香りが無くなっちまうんじゃ?
水蕎麦をすすめる 秋の味覚 今は食わねえ
@@arika5857
ベビースターラーメンのアイコンに言われてもwww
なかなかハイセンスですね❤
盛り蕎麦にはワサビだけ、他の薬味は蕎麦湯で頂く。十割そばも美味しいけど近所の十割そばは1杯2000円するので月一が精一杯。
海原雄山がチラチラ見てるぞ
@@438atw面白い😂😂
久しぶりに面白いゆっくり見つけました〜登録しました!頑張ってください!
うちではお米を炊く時に蕎麦の実も混ぜて炊いてます
あと、スーパー等で蕎麦を買う時表示に気を付けないと蕎麦粉よりも小麦粉の方が最初に書かれた蕎麦モドキも多いので注意
28が普通だし、逆に10割とかだと美味しくは無いよ。
業務スーパーのは蕎麦粉がたったの20%なんだぜ
八二そばというか、蕎麦粉入りうどんというべきか
@@健久保田-x4k
乾麺で十割は無いですよ???
見たことありますか???
ちゃんとパッケージの記載を見て買う事をおすすめします
@@HAYASHITAROU
業スーでも何処でも乾麺を買う時は何がメインか先ず記載内容を確認して買っています
業スーはチャイナと偽物の得体の知れない物体を置いているので色々考えさせられます
表示を見て有難がるってのは、味の違いは分からなくて、情報を食べてるんだなあってことよね。
仮に栄養価の話だとしても、私などはそれが自分の体調にどう影響してるかの実感も出来ないので、マズくさえなければ腹を膨らませられれば大感謝です。
蕎麦、大好きなので、取り上げていただいて良かったです👍
信州へ行くと美味しいお蕎麦が食べれます。
また、江戸中期に、信州上田から但馬の出石(今の兵庫県豊岡市)へお国替えになった大名さんが、その時に出石の地に蕎麦を持ってきて、出石のお蕎麦は地元の名産となっています。
江戸の町の事にとどまらず、江戸時代の我が国の食文化等々を取り上げていただけると、視聴者さんもいろいろと楽しめるかなと思います😊
ご参考にしていただけるとありがたいと思います🍀
今日も有益な動画UPありがとうございます😉👍️🎶🍀
そばの乾麺茹でたの食べながらこれ見てると美味しい!
「せめてたけのこだよね」……聞き捨てならぬ言葉であった
「まな板と申したか」
ここの蕎麦おいしいね!
(出来ておる喃)
二八蕎麦の由来は 十六文 だったから。二八うどんも有った。
そば粉8割、小麦粉2割の割合で呼ぶ様になったのは 後から。
ラーメン店は今の東京にはどのくらいあるのかな?
恐らく、これらが蕎麦屋に取って代わった可能性が高いと思う。蕎麦の方が健康にはよさそうだが。すすってのど越しを楽しむ日本独特の文化も似てる。
ただ、蕎麦は多くの人はつけ蕎麦を好む傾向があると思う。蕎麦本来の風味が味わいやすいから。逆にラーメンは、普通のラーメンがつけ麺よりも食べる人が多いだろう。
個人によって好みは違うだろうが、蕎麦は麺が主で、ラーメンはスープが主のような気がする。もちろん、両方とも、麺もスープも大切な要素だが。
蕎麦に税金が掛からなかったから、甲州や信州の農家さんは米以外に蕎麦を育てた。要は小遣い稼ぎだったのです。水が良く高品質な蕎麦が沢山作られ、江戸庶民の懐に優しい価格もあって滅茶苦茶支持されました。
三河遠州の幕府領では「農民は蕎麦食うな、幕府が買い取るので」というお触れ出てたそうだから、よっぽど江戸で蕎麦が人気だったのかと。
で、結局のところ饂飩じゃなくて蕎麦な理由はなんだったんだろう。
24時間に近い営業形態だったってことは、生地の熟成が必要な饂飩より、すぐ出来る蕎麦が合ってたっていうことかな?
江戸っ子は基本短気、そしてそれを粋だと言って良い事としていた風潮もあった
だから蕎麦の強い香りやあの鰹節をグツグツに煮だす様な出汁、凄い濃いかえしを合わせた汁でせっかちに食っても味がしっかり感じられるってのが良かったんじゃないかな
うどんみたいにコシとかどうこう無しにのど越しだけをサッと味わう様な食べ方
逆にうどんはしっかり咬む事前提だしね
(別に咬まずに飲む様な食べ方も出来るし、何ならのど越しその物はうどんの方が良さそうだけど蕎麦みたいな強い香りが無いしね)
飢饉が発生するような状況は、水不足や冷害が発生するときなので、単純に作物の
生育期間は関係ないと思う。あと収穫量だけで比較すると米が圧倒的
そこで栄養抜群で痩せてようが水分が不足しがちだろうが育つ甘藷ですよ
まぁ品種改良進んでない江戸期のサツマイモはそんなに甘くはなかったらしいけど、栄養価や荒れた土地でも育つという点は最強でしたからね
(なおお侍様は米に拘るので結局そこまで浸透しない模様)
二八蕎麦には2種類あって、「ソバ8:小麦粉2」の「二八」と、「ソバ10;小麦粉2」の「外二」。
割合的には「外二」の方が蕎麦の割合が多い。
15:30 水餅なら昭和50年代は正月用に注文したでっかいシート状の餅を適当に切って保管するのにうちの家でもやってたな。
冬場だとそうそうカビは生えないし、水面にちょっとカビが生えたところで餅は洗ってから煮るなり焼くなりするわけなので、腹なんて下さないよ…。
「時そば」に「そば清」なんて落語の演目を彷彿とさせる浮世絵でしたね⁈
ヒイフウミイ・・今何時だい?
@@tryo2115うわ、絶対損しない時に聞いてきた!!
「時そば」の元ネタは、上方落語の「時うどん」なんだよね。
蕎麦が着物着て座ってら
蕎麦は米はもちろん麦すら育たない貧しい土地の食べ物だという事で、お公家さんは口にしないなど上方では嫌われていたんですよね。また上方から見たら鰹節の煮出し汁だと見下された江戸の強い出汁と、関東産の濃口醤油で作られた濃厚なそばつゆとの相性が抜群に良かったのも肉体労働の多い江戸っ子達に好まれた要因でしょう。
上方では~、上方から見たら~、関東産の醤油~、肉体労働の多い江戸っ子達・・
独特な地域コンプレックスや選民思想をお持ちのようだけど、日本が嫌いなあちら系のソレに、そっくり
@poissonblanc3106
コメ主の言ってることは事実だよ。江戸だけでなく、鎌倉から運動しない、する必要がないニートの公家からしたら、働いてる人の食い物は塩っ辛くて食えない。
何でもかんでもそれっぽい単語があったら助詞とか抜かしてそう決めつけようとするとかポリコレとかツイフェミと変わらんよ?
しかも逆にコメ主は公家に対する嫌味とも取れなくないでしょ?
正直地雷にしか見えないよ。
釣り針意識してたら、俺は見事に掛かった鴨なんだけど。
@@poissonblanc3106もう少し歴史のお勉強してからコメントした方が良いですよ。
普通に歴史の話してるだけじゃね?
何をイラついてんだ?
江戸って地方から働きに来る肉体労働者沢山居たんだぞ
だからそう言った人達に向けた食が発展していったって話じゃん
@@poissonblanc3106これは普通に歴史や文化の知識として楽しめたよ!
蕎麦が日本に到来したきっかけには、禅宗のお茶があります。粉茶を挽くための石臼は蕎麦を挽くのにも最適で、しいては、火縄銃の火薬を作るのにも用いられました。ですので、戦が始まる前にはお寺の石臼を壊すことも多かったそうです。禅宗とは、今に残る曹洞宗や臨済宗の流れです。参道沿いに蕎麦屋を出すお寺が増え、信仰の前に商売かと問題にされて、本寺から閉鎖を申し渡されるお店も多かったそうですよ。
コメント失礼いたします。
ざるそば食べ放題を行っている札幌のお蕎麦屋さん「喜心庵」さんは、サービスでそば饅頭を提供してくれます。
江戸の蕎麦屋て
ソバも勿論売りだったけど
ソバや天ぷらを肴に一杯飲る
て、需要も高かったでは?
昔の時代劇なんかでは
そんなシーンが結構ありました。
残念ながらその辺は時代劇の創作が強い
天ぷらは当時の消防法(に類するもの)で屋内調理禁止だったから屋台以外では中々無いし(後期も後期だと緩んできたから割とあったらしいけど)、当然屋台では酒は出ない
そして何より蕎麦をそんなダラダラ喰う食べ方は粋ルールに反するので江戸っ子は蕎麦屋でそんな事はしない
蕎麦はサッと食うのが粋
酒は居酒屋で呑むもの
お蕎麦は、ここ2年ほどで好きになりました😊
現代もせいろで出てくるのは、蒸し物だった名残り、という話がとても興味深かったです😊
海藻で繋いだ蕎麦切りって、へぎ蕎麦のルーツ?
江戸期の店舗じゃない蕎麦ってのを食べてみてぇなぁ
色んな文献で残ってるけど、店舗構えてない蕎麦(要は担ぎ屋台とかの奴)は割とボロクソに記載されてる事多いんだよねぇ・・・(どんなに良くても「食えなくもない」程度の書き方)
当たり前な事だけど火力は火鉢レベル、水も豊富に使えない
こんなんじゃまぁイマイチなのはしゃーないんだけども
地元の古い蕎麦屋のオヤジが30年ぐらい前に言ってた話では、昔は蕎麦粉の価格が小麦粉に比べて特に高いこともなく手軽に仕入れ出来ていたが、近年はとんでもなく高騰してしまって小麦粉より遥かに高くなってしまったと。ざっと10倍とか言ってた。
スーパーで蕎麦の乾麺を買う時も、八割蕎麦とか十割蕎麦とかは物凄く高いもんね。
それ以外の乾麺でもカップ麺の蕎麦でも、殆ど全部が小麦粉の方が大量に使われてるんだもんな。
値段で言うと
うどん粉<そば粉<小麦粉みたいな感じらしいですね。
駅の立ち食いそばなんかは「八二そば」と言って「8割うどん粉」だが、
安物のパンは4~5割そば粉って聞いた事ある。
もともとはうどんの代用品として蕎麦粉を麺にしてたのに
今では小麦粉麺の中華ソバとかヤキソバとか、蕎麦の方が麺料理の代名詞になってしまった。
@@ゼーフェルト博士
>今では小麦粉麺の中華ソバとかヤキソバとか、蕎麦の方が麺料理の代名詞になってしまった。
ですよね。逆転しちゃって不思議。
@@cho-un
それは輸入小麦の影響でしょうね。四国の讃岐うどんも、ほとんどが輸入小麦を使っているらしいですよ。
既に訂正済みですが 2:13 食日本紀・・・食に本気!
そして元正天皇が女性なのも割と知られていますが、ゆっくり音声が「げんしょう」と正しく発音してるのは地味にポイント高いですね。
当時の出前なんて電話があるわけもなく、思い付きで注文できないし早い時期からの予約注文だったんだろうなあ。
出前…今なら食べたくなった→電話(ネット)で注文、だけどこの頃はどういうものだったんだろう。
そば屋は、座敷にあがって畳の上に直接、食器類を置いて食べていたとは、初めて知りました。
昔の時代劇で、イスとテーブルに違和感を抱いた人、いたかな?
最近、うめー蕎麦食べてないなぁ…🥲💦
当時の暖簾はお手拭きで
暖簾の汚れている蕎麦屋が美味い目安になるのも
今とは違う
水が貴重な江戸は風呂や職務上以外で手を洗うのは割と贅沢ですからねぇ
関西 大阪 難波 にはうどん蕎麦屋はあれど蕎麦屋が少ない
そういや実家では蕎麦焼き餅にしてたな
北関東では今でも自然薯をつなぎにしている物もありますよ
でもお察しの通りコシは無いに等しいです
歯が弱くなったり少なくなった方々に人気です
江戸は、現代に比べて人口が少なかったのはもちろんだけど、当時いわゆる「江戸」とされてた範囲は、今の23区よりはるかに狭い範囲なんだよね
中央区と千代田区くらいだったかな
品川は「品川宿」っていう隣町扱いだし、巣鴨とかは「巣鴨村」だったからね
江戸落語には
蕎麦のフードファイターのネタもあるくらいだし
当時の蕎麦屋は、現在の居酒屋をも、兼ねていたのだと思います。
蕎麦屋は蕎麦屋で居酒屋は居酒屋で別物よ
同じように感じるのは時代劇特有の演出の影響
そもそも当時の居酒屋は時代劇みたいにテーブルとか無いし
江戸時代に転生して蕎麦屋巡りしてぇなあ・・・
ラーメン西遊記の作家さんがそんな漫画描いてたけど。
蕎麦茶飲んで食べられて一石二鳥だよ。火がすぐ通るしべちゃっとしないからオートミールより楽。
9:19 1両で三人家族が1ヶ月暮らせる、んだっけ。現在の給料だとそれくらいかもな
昭和の頃は、駅そばに卵を付けても400円しなかった気がするのだが。。
400円出せば肉ソバとか食えたんじゃなかったっけなぁ。。
日本の側に蕎麦がずっといたんだな。
駅のそばだってほんの数日前までは200円が普通だったことを考えると
今の物価上昇と大して変わらんでしょ一秒ごとにどんどん値段が上がるもうジンバブエ状態の日本
蕎麦を悪魔の実として育てる食べることを禁止にした聖職者、、、
ん~
セイロで出すのは、ゆでるとつなぎがないのでバラバラになるから蒸したで
あってるのかな?小麦より栽培に数が少ないから、収穫量が多いから
値段が安いのかな?手軽にとれる炭水化物で人気が出たと?
蕎麦か、縄文の昔から食べまくってたのね?。実のままから、麺状に成る迄、時間がかかってるのね。東隣の徳島県の三好市では、蕎麦の名産だけれども?、うどんが身近かも、
初物食べると75日寿命が伸びるってのも蕎麦が原点って聞いたけど。
盛り蕎麦30枚出前とか、屋台担いでとか昔の人は力持ちだったんですね。
ミルクボーイの関西限定ネタで「蕎麦なんかで人生観変わらんよぉ!」って下りあって
若林や伊集院に「関東だと結構人生変わった人いるから……」ってツッコまれてたけど、なんで蕎麦がここまでオジサンを狂わせるのかわからん(笑)
江戸で、蕎麦が流行った理由に江戸煩い(脚気)予防もあったらしいな~( 一一)
当時の蕎麦屋(店舗)は食事だけでなく逢引の場所(ラブホ的な)としての役目もあったらしい。
その前段階の茶店やパブだな。
ちょいと蕎麦屋で腹据えてからお家や暗いとこに…
ダメでも夜になったら遊女との出会いが…
逢引ってデートだぞ。
たぶんそれは水茶屋の間違いだと思います…
江戸時代のラブホは、蕎麦屋でも水茶屋でもなく「出合茶屋」でしょう。あと鰻屋さんも割とその多くがラブホです。
ウソかくな
茶屋、逢い引き茶屋だ
出前って、どうやって注文出してたんだろ?
蕎麦屋までつかいを出してたんかな?
麺以外の蕎麦と言えば、はったい粉を湯でこねたやつ。ちょっと砂糖を入れたらめちゃ美味しい
そもそもうどんが全国的に普及したのは戦後余った小麦をアメリカがねじ込んできてからの話。
蕎麦屋で天ぷら蕎麦をとって、冷酒で一杯やる…というのを早く実現したい…おさらばえ
更に進めば、天ぷら蕎麦の「台抜き」、ほろ酔い心地でせいろを手繰る…池波正太郎の世界だね。
う○ば○い○つでいいんじゃない?
ニハ蕎麦屋「出前持ちもそう思います」
@@KAZWACKY難しい、ついていけません😊
江戸時代にも蕎麦アレルギーって、あったのかなあ?
三十年ほど前 阿波踊り観光に徳島市訪問しました
(そばごめ)なるもの 和食店メニュー見かけました
宿の女中さんに聞きました
「当館でも出来ますが」と言うことだったのて
オーダーしました「県外のお客様食べるの珍しい」
とのことでした
蒸し蕎麦の味は本当に美味しい…ただボソボソ。
>なぜ江戸は蕎麦屋が多かった?
結局、この「なぜ?」の理由がよくわからなかった。「うどんより安かったから」ということ?
そば茹でて、うっかり寝落ちたら全部合体してソバガキみたいになっててワロタわ(;^ω^)
ちょっと話す速度を早くした方が聞きやすいかな?
人口1000万なのに蕎麦屋の数が現代のコンビニくらいって異常に多い気がする。メニューに蕎麦があれば蕎麦屋ってことなのかな?
担ぎ屋台がとんでもない数居たからってのがデカい
ちゃんとどっしり店を構えてる蕎麦屋は滅茶苦茶少ないよ
小麦粉が貴重品ということは香川県でうどんが増えたのは明治以降なんだろうか
ざっくり江戸中期じゃなく、おおよそでももう少し具体的にいつ頃「ゆでそば」ができてきたんや?
イトメンの二八蕎麦は、小麦粉が主成分だ。
蕎麦の実の粥とかかな国産で増産して欲しい
うどんよりソバが人気なのは当然すぎることだろう
江戸っ子に会った事あるけど。うどんは飲むもんだって、馬鹿にしてた。
ふと、蕎麦にけしの実が練りこんでなかったかと考えた
池波正太郎が現在までご存命で
この蕎麦に関する情報量があれば盗賊が又は同心木村忠吾がもっと華やかな蕎麦を手繰るシーンが有ったのか
いや
知ってて削ぎ落とし
洗練して作品に残したのか…
2×8=16文
上手いなぁ。
江戸時代の物価の値上がり・・・
この頃は物価だけではなく、給料も増えたんだろうか・・・?
うどんはダシを効かせた方が美味い。北海道で採れた昆布は松前船に乗って日本海側を渡って京都•大阪に運ばれた。松前船は太平洋側を航海できなかったので、昆布は江戸には運ばれなかった。美味しい出汁が作れなかった江戸では醤油を沢山使った辛い出汁の合う蕎麦が普及したんじゃないか。
濃口醤油より薄口醤油のほうが塩分が濃い事も知らんのか
江戸時代に一般庶民が掛け算できる時点で驚愕なんだけど
寺子屋で和算(数学)として庶民にも学ばれていたらしいです
落語の「時そば」でも代金のやり取りで「ニ八で十六文」とあった。
当たり前だけど、丁稚奉公として弟子入りするから、ほぼ皆計算できたんだよね。
女の子も良い家に嫁ぐな計算出来ないと貰い手がない。(将来女将さんとしての振舞が必要)
神社の絵馬に数学の問題を書き、解いた人が裏に答えを書くという遊びもあったらしい。
これが出来たから明治維新文明開化も普通にこなせたってのが凄い。
一部完全な間違いがあるな。
「元正天皇が出した詔勅」のところで髭生やした男性が出てくるんだが、元正天皇は「女帝」だ。
"食"日本紀・・・
確かにw
『食日本紀』の表記にびっくりしてそっち気が付きませんでしたw
今は小麦粉の方が多い蕎麦が主流だ。 安いやつは10%以下しか蕎麦粉が入っていない。 蕎麦と名乗るには50%以上とか法律を作ってもらいたいぐらいだ。 とは言え、10%レベルでも意外に美味しいのもまた事実だ。 蕎麦の香りが・・などとうるさいことを言うと8割なんだろうけどね。
蒸し蕎麦ってあれ某有名料理漫画の嘘情報だよ。
一度茹でた蕎麦を温め直すのに蒸篭を使っていた名残りなんですよ。
ソバ殻は枕にもなるし捨てるところないな
アレルギーある人には無理だけど
どん兵衛と同い年だった!!
江戸患いという病気が有る。ビタミンB1B2不足に起こる、脚気や免疫力低下が病気です。
江戸時代になると精米技術が進歩して、白米には栄養素乏しいが、公家大名だけでは無く庶民にも、白米を食べる習慣が根づき始めた。
江戸っ子は白米を、たらふく食べるのが粋と言われた。蕎麦にはビタミンB1等栄養素豊富です。江戸に居ると何故か調子が悪いが、蕎麦を食べると何故か調子か良くなり、結果的に小麦の主成分の饂飩寄りも蕎麦が好まれた。
現代と同じく江戸時代は、男性の独身貴族が多かったらしいから、必然的に外食が多くなり、病気等を引き起こす(現代と似てますな〜😅)
江戸っ子は白米と掛け蕎麦が定番か、呑んだ後の〆が蕎麦だった
後〜日本酒は江戸時代前迄は濁酒だったが、濁酒、酒粕には栄養素豊富で、技術が進歩し江戸時代には清酒が登場し始めた。
此ら食文化の変化だと思う。
自分もラーメン、饂飩より蕎麦派です。蕎麦湯飲むと翌朝の調子が良いです。
食い終わった食器をどうしてたのかも気になるんだぜ…
桶ためた水にザブっとつけてオケ
みたいな…?
半蔵門おばこでは「蕎麦の実」から入る
現代に照らし合わせると、チェーン店みたいな組織があってもおかしくない。規格化した屋台セットと麦売って勢力広げるとか。
UBERもあったかもね。派遣なのか流通専門かはしらんけど。
増田屋がそれっぽい気がする
誰か鎌倉時代に転生して史実より早く蕎麦を作って無双する小説書け
現代じゃメジャーな蕎麦は3割で次は五割蕎麦、二八蕎麦 十割蕎麦よな。
自分は五割の更科と挽きぐるみの蕎麦をローテーションで毎日食べてるわ。
皆は汁は何処の使っとるん?