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ありがとうございました
崎昭子様ご視聴、コメントありがとうございます。南無阿彌陀仏合掌高科修
大変勉強になりました。ありがとうございました。
とよ子菊地様ご視聴、コメントありがとうございます。南無阿彌陀仏。合掌高科修
知ると知らぬでは、人生を左右しますね、生きてる内に教わった事、残り人生に生かします。合掌
秋元一良様ご視聴、コメントありがとうございます。『生きてる内に教わった事、残り人生に生かします』とのお言葉。その秋元一良様の『生き様』が、後に続くひと達への『大きな深い願い』となっていきます。それは間違いのないことです。生き様を見せて行くこと!それが、年長者の、ある意味、人生をかけた仕事であります。南無阿弥陀仏合掌高科修
そういうことばかりですよねん☆サンクス
ジンナマ様ご視聴、コメントありがとうございます。どういうことばかりなのでしょう?☆クエスチョン南無阿弥陀仏合掌高科修
本日も有り難うございます。今回のお話、とても感慨深く聴かせて頂きました。僧侶の方々の美しい所作、佇まい…その中にどれほどの想い、研鑽が込められていたか…その根底を改めて知ることが出来ました。お焼香の際の左手の置き方も、お手次寺の先生に幼い頃から師事して頂いていたのに、How toとしての知識、捉え方に過ぎなかったと、気付かせて頂きました。「対となっているもの」私達の両手が合わさる形の合掌も、益々美しく見えます。
ちゃんぴー様本当に大切で大事なものは両手で扱います。本当に尊いものと出会ったならば自然と頭がさがります。私たちを支えてくれている無相(願い=佛)の教え。その教えとの出会いが有相の作法を生みます。教えだけが大切なのではなく、また作法だけを重んじれば良いわけでもありません。教え=作法です。教え⇔作法です。合掌する姿は…その対となる両手が合わさる合掌の姿は…教えと作法の両方を、自ら体現している姿に他なりません。ちゃんぴー様が仰る通り、「美しき姿」なのです。合掌高科修
有難うございました😀👏👏👏
加藤真理様こちらこそ、ありがとうこざいます。南無阿彌陀仏合掌高科修
お釈迦様の教え、親鸞聖人の教えばかり知りたい!学びたい!と思っていましたが、このように作法も知らなければならないものだと痛感しました。知ってるようでまだまだ無知な私です。どうぞ、これからも宜しくお願い致します🤲本日も有難うございました。南無阿弥陀仏🙏
M Kawaguchi様お釈迦様の教えも…親鸞聖人の教えも…学問でも、勉強でもありません。本来「教え」は学ぶものではなく「気づいて」いくものです。お釈迦様も、仏教を作った(編み出した)のではありません。「真理」に「気づいた」のです。親鸞聖人も「浄土真宗」を立てたのではありません。「人間の真の姿に気づいた」のです。「教え」が先に在るのではなく、人間の「生活の中」、「生きていくその生きる中」に、すでに「教え」があるのです。その教えに気づいていくことが大切なのです。その教えは、私の生き方の「指針」です。「作法」は、その「指針」を体現している姿に他なりません。看護師、消防士、警察官等…その方々の立ち振舞い(ある意味作法と言える)も、その看護師、消防士、警察官等としての生き方を体現しているはずです。また、その「制服」も、看護師、消防士、警察官等としての「生き方」を体現しています。「作法」とは、実は深く重い行為なのです。合掌高科修
今回の法話も真摯に楽しく聞かせていただきました。🙂普段、さりげなく行っている事にも、それなりの理由があるのですね。改めて考えさせられました。毎回思うのですが・・・こんなに有意義なお話を、もっと多くの方が聞いていただけたらと感じます。南無阿弥陀仏
とし爺様「改めて考えさせられました」……それが浄土真宗の「軸」です。毎回毎回…有るもの、在るもの、出会う事に対して「考え気づいていく」そういう生き方が浄土真宗の生き方なのですから。合掌高科修
説法ありがとうございました。いつもは両手でお供えしますが片手だけでやってた事が......反省しております。必ず両手でお供えするようにします! ご先祖さまに申し訳ない気持ちです。
aikane35ify様大丈夫です。ご先祖様は怒りません。両手でお供えを「しなければならない」では決してないのです。本来は両手でお供えを「せずにはおれない」なのですから。片手で「ごめんなさい!」も、それはそれで、そんな時もあります。合掌高科修
十一月は親父、長男、三男の命日が続いて、酒の量が増えます!お坊さんの法話がなかったら、だいたいアホなことになります!本当に身も心も助けられてます!感謝以外あり得ません!ありがとうございます!
孫声哲様「人に人生あり」辛く悲しく寂しい思いを胸に刻まれて居られたのですね。存ぜぬこととはいえ、その「思い」に、メールでご無礼かと存じましが、一言お参りの言葉を申し上げたく思います。孫声哲様におかれましては、「お寂しいことでございます」お父様、長男様、三男様の命日の十一月。酒量が増えるのは、誰もが頷けることです。むしろ自然なことであると思います。けれど…どうでしょう…亡くなられたお父様、長男様、三男様は、今!「飲んでも良いけど、深酒はダメやよ」と孫声哲様のそのそばで優しく微笑みながら呟いてくれているのではないでしょうか。イエ!呟いています。「身体を大事にしてね」と。なぜなら、孫声哲様自身も仰られているように、それがお父様、長男様、三男様の「願い」なのですから。孫声哲様が「その命を精一杯に生ききる」そのことが、先に亡くなられた御三方の願いに他ならないからです。その「願い」を孫声哲様ご自身がよくお分かりになられていることは、コメントから深く感じさせて頂きました。少しでも、孫声哲様の生きる手助けになれているのなら、私は有り難く、嬉しく思います。どうぞこれからも、お父様、長男様、三男様の「願い」を汲み取られて、1日1日を大切に生活されていかれることを、切に切に願っております。合掌高科修
文が上手く
ありがとうございました
崎昭子様
ご視聴、コメント
ありがとうございます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
大変勉強になりました。ありがとうございました。
とよ子菊地様
ご視聴、コメントありがとうございます。
南無阿彌陀仏。
合掌
高科修
知ると知らぬでは、人生を左右しますね、生きてる内に教わった事、残り人生に生かします。合掌
秋元一良様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『生きてる内に教わった事、残り人生に生かします』とのお言葉。
その秋元一良様の『生き様』が、後に続くひと達への『大きな深い願い』となっていきます。
それは間違いのないことです。
生き様を見せて行くこと!
それが、年長者の、ある意味、人生をかけた仕事であります。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
そういうことばかりですよねん☆サンクス
ジンナマ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
どういうことばかりなのでしょう?☆クエスチョン
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
本日も有り難うございます。
今回のお話、とても感慨深く聴かせて頂きました。
僧侶の方々の美しい所作、佇まい…その中にどれほどの想い、研鑽が込められていたか…その根底を改めて知ることが出来ました。
お焼香の際の左手の置き方も、お手次寺の先生に幼い頃から師事して頂いていたのに、How toとしての知識、捉え方に過ぎなかったと、気付かせて頂きました。
「対となっているもの」私達の両手が合わさる形の合掌も、益々美しく見えます。
ちゃんぴー様
本当に大切で大事なものは両手で扱います。
本当に尊いものと出会ったならば自然と頭がさがります。
私たちを支えてくれている無相(願い=佛)の教え。
その教えとの出会いが有相の作法を生みます。
教えだけが大切なのではなく、また作法だけを重んじれば良いわけでもありません。
教え=作法です。
教え⇔作法です。
合掌する姿は…
その対となる両手が合わさる合掌の姿は…
教えと作法の両方を、自ら体現している姿に他なりません。
ちゃんぴー様が仰る通り、「美しき姿」なのです。
合掌
高科修
有難うございました😀👏👏👏
加藤真理様
こちらこそ、ありがとうこざいます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
お釈迦様の教え、親鸞聖人の教えばかり知りたい!学びたい!と思っていましたが、このように作法も知らなければならないものだと痛感しました。知ってるようでまだまだ無知な私です。
どうぞ、これからも宜しくお願い致します🤲
本日も有難うございました。南無阿弥陀仏🙏
M Kawaguchi様
お釈迦様の教えも…
親鸞聖人の教えも…
学問でも、勉強でもありません。
本来「教え」は学ぶものではなく「気づいて」いくものです。
お釈迦様も、仏教を作った(編み出した)のではありません。
「真理」に「気づいた」のです。
親鸞聖人も「浄土真宗」を立てたのではありません。
「人間の真の姿に気づいた」のです。
「教え」が先に在るのではなく、人間の「生活の中」、「生きていくその生きる中」に、すでに「教え」があるのです。
その教えに気づいていくことが大切なのです。
その教えは、私の生き方の「指針」です。
「作法」は、その「指針」を体現している姿に他なりません。
看護師、消防士、警察官等…
その方々の立ち振舞い(ある意味作法と言える)も、その看護師、消防士、警察官等としての生き方を体現しているはずです。
また、その「制服」も、看護師、消防士、警察官等としての「生き方」を体現しています。
「作法」とは、実は深く重い行為なのです。
合掌
高科修
今回の法話も真摯に楽しく聞かせていただきました。🙂
普段、さりげなく行っている事にも、それなりの理由があるのですね。
改めて考えさせられました。
毎回思うのですが・・・こんなに有意義なお話を、もっと多くの方が聞いていただけたらと感じます。
南無阿弥陀仏
とし爺様
「改めて考えさせられました」
……
それが浄土真宗の「軸」です。
毎回毎回…
有るもの、在るもの、出会う事に対して
「考え気づいていく」
そういう生き方が浄土真宗の生き方なのですから。
合掌
高科修
説法ありがとうございました。いつもは両手でお供えしますが片手だけでやってた事が......
反省しております。必ず両手でお供えするようにします! ご先祖さまに申し訳ない気持ちです。
aikane35ify様
大丈夫です。
ご先祖様は怒りません。
両手でお供えを
「しなければならない」
では決してないのです。
本来は
両手でお供えを
「せずにはおれない」
なのですから。
片手で「ごめんなさい!」も、それはそれで、そんな時もあります。
合掌
高科修
十一月は親父、長男、三男の命日が続いて、酒の量が増えます!お坊さんの法話がなかったら、だいたいアホなことになります!本当に身も心も助けられてます!感謝以外あり得ません!ありがとうございます!
孫声哲様
「人に人生あり」
辛く悲しく寂しい思いを胸に刻まれて居られたのですね。
存ぜぬこととはいえ、その「思い」に、メールでご無礼かと存じましが、一言お参りの言葉を申し上げたく思います。
孫声哲様におかれましては、
「お寂しいことでございます」
お父様、長男様、三男様の命日の十一月。
酒量が増えるのは、誰もが頷けることです。
むしろ自然なことであると思います。
けれど…
どうでしょう…
亡くなられたお父様、長男様、三男様は、
今!
「飲んでも良いけど、深酒はダメやよ」と孫声哲様のそのそばで優しく微笑みながら呟いてくれているのではないでしょうか。
イエ!呟いています。
「身体を大事にしてね」と。
なぜなら、
孫声哲様自身も仰られているように、それがお父様、長男様、三男様の「願い」なのですから。
孫声哲様が「その命を精一杯に生ききる」そのことが、先に亡くなられた御三方の願いに他ならないからです。
その「願い」を孫声哲様ご自身がよくお分かりになられていることは、コメントから深く感じさせて頂きました。
少しでも、孫声哲様の生きる手助けになれているのなら、私は有り難く、嬉しく思います。
どうぞこれからも、お父様、長男様、三男様の「願い」を汲み取られて、1日1日を大切に生活されていかれることを、切に切に願っております。
合掌
高科修
文が上手く
崎昭子様
ご視聴、コメントありがとうございます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修