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とても良かった🎉
何回聴いても、引き込まれる噺です。名人ですね。小朝さん。
マクラを聴いただけでも今になって気付く。小朝の非凡。言葉の詰まりで98点。だが、これは凄い。真似できない。
小朝さんのストーリーテリング、描写力、知識、どれも素晴らしい!この池田屋という落語は内容はかなり血生臭いのだが、小朝さんはその中に笑いを巧みに入れることで、血生臭くなく聞き通すことが出来る!この落語は、小朝さんしか出来ない!
声が良いねぇ✨しゃべりの滑らかさ❗
歴史の授業もこんな感じなら面白いのに(笑)
この頃の小朝師匠が一番乗ってた時期かなぁ〜🤔🙄😃
死んでも名を残すと言うことはこう言うことなんですね。小朝師匠ありがとうございます✨
金を遺すのは三流、名を遺すのは二流、人を遺すのは一流。
決して皮肉でなく、小朝さんは、優男の風情で、ザラザラした毒舌・ゲスな語りをするところが良いですね。
小朝、うまいなー😄
角松敏生の件、最高!噺は無論素晴らしいです、平成、令和の大看板!!
28年前の落語か。小朝さん、若いな。
この話は元々笑えるようなサゲがないから、途中の小ネタで笑いを取るんだろうな。
桃花師匠のお披露目でこれやってました。最高でした。
ぴっかり(現桃花)の前の弟子は辞めたり移籍したりしたから、自分の弟子が真打ちになるのはかなり久しぶりだったんだよな。
協会を辞めて立川流を作った途端、談志師匠と縁を切った落語家もいたんだろうな。小朝師匠は付き合いを続けていた方だが。
談志は人徳がないからね
小朝が真打になった時、そのお披露目の独演会で、談志は「俺が『前』を演ってやろう。」と言った。小朝は緊張しながら喜んで受けた。けれど当日、出番になっても談志が来ない。30分待っても来ない。でも談志を飛ばすわけにもいかず、ひたすら間を持たした。結局45分遅れて来た談志は「すまん」の一言も無く、楽屋から高座にまっすぐに向かったが、小朝曰く、「この時の噺が、惚れ惚れするほど出来が良かった。」。話し終わると談志は、「私の方を見向きもせず真っ直ぐ前を向いて歩いたまま、『ま、こんなもんだ。』って言い捨てて出て行っちゃうんですよ。」小朝の「前」を務めるのに、十分に気持ちが上がらず、上がるまで新宿の街をぐるぐる歩き続けていたのだろう。「でね、お客さん、45分待たされた挙句に談志の最高の噺をたっぷりと聞いて、もうすっかり満腹なんですよ。その後に出て行く私はどうしたら良いと思います?」徹子の部屋でそう話していた小朝は嬉しそうでした。小朝の結婚式にも談志はTシャツにオレンジのバンダナを巻いてやって来て祝辞を述べたと言う。こんなに可愛がられたら、慕い続けるしか無いですよね。^_^。
@@skadarmatt1422 小朝師匠は、仲良かった同期の二人(黒圓楽師匠、立川ぜん馬師匠)が二人とも一門の事情で落語協会からいなくなったからな。だからこそ六人の会とかで他団体と交流していったんだろうが。
写真が残ってるて凄いな!幕末だから、写真なんて取る人間少なかったハズ、ましては幕府お抱えだけに、西洋な物は!
将軍慶喜は、隠居してから写真とりまくったくらい好きだったんだが。
相撲に例えると江戸落語の横綱です
この勢いで圓朝襲名してほしかったねえ。今はどうかな。
この頃がピークだね。
冒頭の談志さんの語りだけをずっと聴いていたい
談志は大したことないはなしを勿体ぶって話すからなぁーーー
ぐん
老人の娯楽が少ないと思った事は無いな俺は若いけど小朝さんも若くて老人の楽しみを知らなかっただけじゃないのか
とても良かった🎉
何回聴いても、引き込まれる噺です。
名人ですね。小朝さん。
マクラを聴いただけでも今になって気付く。小朝の非凡。
言葉の詰まりで98点。だが、これは凄い。真似できない。
小朝さんのストーリーテリング、描写力、知識、どれも素晴らしい!
この池田屋という落語は内容はかなり血生臭いのだが、小朝さんはその中に笑いを巧みに入れることで、血生臭くなく聞き通すことが出来る!この落語は、小朝さんしか出来ない!
声が良いねぇ✨しゃべりの滑らかさ❗
歴史の授業もこんな感じなら
面白いのに(笑)
この頃の小朝師匠が一番乗ってた時期かなぁ〜🤔🙄😃
死んでも名を残すと言うことはこう言うことなんですね。
小朝師匠ありがとうございます✨
金を遺すのは三流、名を遺すのは二流、人を遺すのは一流。
決して皮肉でなく、小朝さんは、優男の風情で、ザラザラした毒舌・ゲスな語りをするところが良いですね。
小朝、うまいなー😄
角松敏生の件、最高!
噺は無論素晴らしいです、平成、令和の大看板!!
28年前の落語か。小朝さん、若いな。
この話は元々笑えるようなサゲがないから、途中の小ネタで笑いを取るんだろうな。
桃花師匠のお披露目でこれやってました。
最高でした。
ぴっかり(現桃花)の前の弟子は辞めたり移籍したりしたから、自分の弟子が真打ちになるのはかなり久しぶりだったんだよな。
協会を辞めて立川流を作った途端、談志師匠と縁を切った落語家もいたんだろうな。小朝師匠は付き合いを続けていた方だが。
談志は人徳がないからね
小朝が真打になった時、そのお披露目の独演会で、談志は「俺が『前』を演ってやろう。」と言った。
小朝は緊張しながら喜んで受けた。
けれど当日、出番になっても談志が来ない。30分待っても来ない。でも談志を飛ばすわけにもいかず、ひたすら間を持たした。
結局45分遅れて来た談志は「すまん」の一言も無く、楽屋から高座にまっすぐに向かったが、小朝曰く、「この時の噺が、惚れ惚れするほど出来が良かった。」。
話し終わると談志は、「私の方を見向きもせず真っ直ぐ前を向いて歩いたまま、『ま、こんなもんだ。』って言い捨てて出て行っちゃうんですよ。」
小朝の「前」を務めるのに、十分に気持ちが上がらず、上がるまで新宿の街をぐるぐる歩き続けていたのだろう。
「でね、お客さん、45分待たされた挙句に談志の最高の噺をたっぷりと聞いて、もうすっかり満腹なんですよ。その後に出て行く私はどうしたら良いと思います?」
徹子の部屋でそう話していた小朝は嬉しそうでした。
小朝の結婚式にも談志はTシャツにオレンジのバンダナを巻いてやって来て祝辞を述べたと言う。
こんなに可愛がられたら、慕い続けるしか無いですよね。^_^。
@@skadarmatt1422
小朝師匠は、仲良かった同期の二人(黒圓楽師匠、立川ぜん馬師匠)が二人とも一門の事情で落語協会からいなくなったからな。だからこそ六人の会とかで他団体と交流していったんだろうが。
写真が残ってるて凄いな!幕末だから、写真なんて取る人間少なかったハズ、ましては幕府お抱えだけに、西洋な物は!
将軍慶喜は、隠居してから写真とりまくったくらい好きだったんだが。
相撲に例えると江戸落語の横綱です
この勢いで圓朝襲名してほしかったねえ。今はどうかな。
この頃がピークだね。
冒頭の談志さんの語りだけをずっと聴いていたい
談志は大したことないはなしを勿体ぶって話すからなぁーーー
ぐん
老人の娯楽が少ないと思った事は無いな俺は若いけど
小朝さんも若くて老人の楽しみを知らなかっただけじゃないのか