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立ち絵素晴らしい出来ですね。眺めて楽しい、表情も良すぎ。
村上義清「信濃の村上は信玄をフルボッコして頑張ってます」
しかかくさんの動画で大名独自の水軍を備えていることを知りました。ありがとうございます。
取り上げて頂き、ありがとうございました‼︎ダイジェスト解説という事でしたが、今までの印象が間違っていた…という事がよおおく判りました。早速推薦本買って、勉強します。信長、秀吉、家康中心の戦国時代の知識でしたが、日本国中面白い出来事があったんですね。ご教授下さいましてありがとうございました。
内戦ばかりで表舞台に出てこない河野家について教えて下さい
おっきーな、冠番組おめでとうございます!(スキマより)木津川口の戦いの後も拠点が大阪湾にあったというのはTwitterや今回の動画で知ることができました。その辺りも分かることができる資料や文献も調べてみないといけないですね。
全国に海賊衆っているのに村上水軍だけ知名度高いのは信長と戦ったからですかね、関東だと三浦半島を荒らし回っていた里見の水軍も有名ですね。
分かりやすい、いい動画でした!
こんにちは、伊予の河野貞勝の末裔です。とても勉強になります。
海の国衆、解説されたら納得でした
ブイブイ言わしてたと言うより、本当に賊レベルだったんですな
よく考えると、海戦自体がまだ接舷主体だから、勝ち戦でも乗員の損失が、砲戦時代より大きいはずだよね。(レパントの海戦とトラファルガーの海戦との比較から類推)では乗員の確保はどこでしたかというと、陸上の余剰人員。そうだとすると、大きな余剰人員を確保できたのは、自ずと大勢力(大内・毛利その他)になる。海の国衆である村上水軍の領地は小島。どれほど余剰人員がいたのやら?
今治市民です。今治で村上海賊について山内譲先生の講演があった際、内容が気に入らず地元民の1人が怒り出すという一幕を目撃しました。誇張であっても地元民にとっては誇り。ひょっとしたらこの動画にも納得いかないというコメントが付くかも?と勝手に心配してます。でも気にせずしかかくさんの正しいと思う動画を送り出し続けてください。応援してます❗️
本拠地を追い払われても復活するのが水軍衆らしいポイントですね,来島の例も同じく。 来島と言えば,村上→来島→久留島という柔軟さと生き残り術は何なんでしょうね?
海の国衆って恐ろしい説得力国衆だから大名に匹敵しないのも分かり易い
興味ポイントなのでこれは期待値大。動員数百人〜十万石格まで、諸説の変動幅が大きいみたいですよね。
拝見しました。やはり面白かったので、是非深堀りして欲しい分野です。
ありがとうございます!
大内水軍なんて明の港で細川水軍と一戦交えてるからね渡海して海上戦する能力があるから村上水軍じゃ歯が立たないよな
寧波の乱、ですな。
結局フロイスさん適当なこと書いていて草
ノブヤボの水軍Sのせいですねw
派手に負けた奴が最強扱いされる歴史のテンプレパターンという訳ですね
無敵艦隊、イギリスが命名ってやつですねー
村上水軍と言えば今治を思い出す。
わかりやすくて面白かった。知識欲を充足できました。陸でも海でも大内、毛利はガチで強かった。クソ野郎は草。
清和源氏の村上氏を名乗っていたと思ってたから、姓が藤原なのが意外。
動画投稿お疲れ様です!篠原長房(駟雲)が雑賀年寄衆に宛てた起請文で「松満并同名其外家中、(松満とは長房と本願寺·宗主一族で教行寺·実誓の娘との子)」阿波国人·篠原氏自体も「同名(中)」が存在する一揆体制であるとすれば本願寺の宗主一族と姻戚関係にもあり紀伊と阿波に跨がる雑賀衆の一家!だったりして(笑)
厳島合戦では毛利小早川警固衆じゃ小さいから村上を待ってたと思ってましたからびっくらです考えてみれば陸の大大名の大規模になるのは当然ですね
たしかに村上水軍が日本最大なら瀬戸内海に止まらず下手したら敦賀とか拠点作ってても可笑しくないですからね。
0:19 そこは「東方天空璋」じゃないんですか(
村上はゆうなら海の雑賀衆ですね
いやいや,それではオリジナルの海の雑賀衆が浮かばれませぬ
@@t16-b1w 狐島さんとかですよね(*^^*)
村上水軍の血を継ぐむらかみまこ むらまこが如何に現代で力を発揮してるか是非見てほしい。 ツイッチのマドンナ、梨民のジャンヌダルク、政治家とのつながり、いろいろ出てる
摩多羅翁ちゃん絶対叡智な画像紹介してください
フロイスさん自分の印象だけで適当なこと言って、、、アーメン
そんなに村上水軍って凄くなかったと思う祖母は来島の出なんだけどな
同時代の無敵艦隊リスペクトの過大評価かな()
村上海賊が弱いと言ってますが弱いのならなぜ日本海軍は村上海賊の戦術を用いたのかあなたが言ってふことが矛盾しますね。どう説明しますかコメントして下さい
まず第一に、戦術レベルの話と戦略レベルの話を混同しないで下さい。当時トップレベルの鉄砲を使った用兵術を持っていた雑賀衆は戦略の稚拙さにより簡単に惨敗・滅亡していますし、その生き残りは後に鉄砲術の師範として各大名家に雇われています。村上海賊が実際は言われているよりは弱かったことと、彼等の戦術の有用性は別に矛盾しません。第二に、秋山真之と「野島流海賊古法」の逸話のことを仰られているようですが、この本(軍法)がこの時期に成立したと仰る根拠は何ですか?基本的にこういった兵法書は戦国時代よりも江戸時代初期に成立したものが圧倒的に多いのですが・・・。また、この逸話のきっかけとなった木津川口の戦いについては動画で説明した通りです。第三に、喧嘩を売るようなコメントを安易に書き込む前に動画はちゃんと見てください。村上海賊の評価は実績・戦績を見れば明らかに過大評価だ、ということを言っております。もしそれを否定するのであれば、私が動画で取り上げた根拠(大内水軍に占拠される・毛利家離反後すぐに包囲される、等)に対する反論を提示してください。
あなたは村上海賊の衰退して行く時代の事だけ述べてますが
この短い動画ですら既に触れていますが、村上水軍の最盛期は大内家滅亡後であり、毛利家の急拡大の波に乗ったことで瀬戸内海全域に網の目を広げています。その時ですら村上武吉が毛利家を裏切った途端、能島を包囲される位基盤は弱かったという話をしております。また、先述した「古法」を作ったとされる南北朝時代の海賊大将・村上義弘は実在すら疑われている人物です。また、別に戦国以前は村上水軍一強だったという事実もありませんし、そもそも戦国時代の話をしているのに南北朝時代〜室町初期の話を持ち出すのはお門違いでしょう。
ん~、村上水軍より大内水軍のが強かったってのはどうですかね。元就公が信用のおけない軍団を重要な戦いにの為に味方にわざわざ引き入れていますからね。それなりの実力はあったと思います。一族による瀬戸内海の利権の大きさなら間違いなく日本最強ですね。
実際問題として大内方に打ち破られてるからなぁ…
@@matukawatositane 数が違い過ぎるので、それで単純な比較は出来ませんね。それに完全に打ち破られてるなら瀬戸内海であれほどの利権を得ることは出来ないでしょう。結果的には秀吉に屈するまで瀬戸内の利権は失ってないですからね。また陰徳太平記の信憑性は低く、中国の勝者である毛利家によって改ざんされています。
@@惟任日向-r5d 数で劣るなら弱いで良いんじゃない?この場合、総数も考慮した強さやろうしさ…秀吉に屈服するまで瀬戸内海な支配権を失わなかったのは確かかもだけど、それはバックに存在する大毛利の力あってこそって気もするがただ陰徳太平記が信用できないって話は大いに頷く
@@matukawatositane 尾張の弱兵という言葉は聞いたことないですか?数で勝っていても一人一人は弱いと言うことです。今の尺度では勝ったものが強いのかもしれないが、中世では数で勝っていることがそのまま強いと記録される訳ではないんです。だから、合戦に負けてもその戦いぶりや強さは後世に語り継がれているんです。どちらにせよ、大内水軍の記録自体が乏しいので定かではないですけどね。毛利水軍に組み込まれたことは確かですが、それでも知名度は村上水軍のが上ですからね。それが物語ってます。
@@惟任日向-r5d 私はその尾張弱兵論はちょっと信用してないので…応仁以降、斯波氏の中核軍団として戦闘経験はそこらの国以上ですから知名度の話も最終的に大内は滅び、村上は生き残ったというのは大きそうだなと
立ち絵
素晴らしい出来ですね。
眺めて楽しい、表情も良すぎ。
村上義清「信濃の村上は信玄をフルボッコして頑張ってます」
しかかくさんの動画で大名独自の水軍を備えていることを知りました。ありがとうございます。
取り上げて頂き、ありがとうございました‼︎
ダイジェスト解説という事でしたが、今までの印象が間違っていた…という事がよおおく判りました。
早速推薦本買って、勉強します。
信長、秀吉、家康中心の戦国時代の知識でしたが、日本国中面白い出来事があったんですね。
ご教授下さいましてありがとうございました。
内戦ばかりで表舞台に出てこない河野家について教えて下さい
おっきーな、冠番組おめでとうございます!(スキマより)
木津川口の戦いの後も拠点が大阪湾にあったというのはTwitterや今回の動画で知ることができました。
その辺りも分かることができる資料や文献も調べてみないといけないですね。
全国に海賊衆っているのに村上水軍だけ知名度高いのは信長と戦ったからですかね、関東だと三浦半島を荒らし回っていた里見の水軍も有名ですね。
分かりやすい、いい動画でした!
こんにちは、伊予の河野貞勝の末裔です。
とても勉強になります。
海の国衆、解説されたら納得でした
ブイブイ言わしてたと言うより、本当に賊レベルだったんですな
よく考えると、海戦自体がまだ接舷主体だから、勝ち戦でも乗員の損失が、砲戦時代より大きいはずだよね。(レパントの海戦とトラファルガーの海戦との比較から類推)では乗員の確保はどこでしたかというと、陸上の余剰人員。そうだとすると、大きな余剰人員を確保できたのは、自ずと大勢力(大内・毛利その他)になる。海の国衆である村上水軍の領地は小島。どれほど余剰人員がいたのやら?
今治市民です。今治で村上海賊について山内譲先生の講演があった際、内容が気に入らず地元民の1人が怒り出すという一幕を目撃しました。
誇張であっても地元民にとっては誇り。ひょっとしたらこの動画にも納得いかないというコメントが付くかも?と勝手に心配してます。
でも気にせずしかかくさんの正しいと思う動画を送り出し続けてください。応援してます❗️
本拠地を追い払われても復活するのが水軍衆らしいポイントですね,来島の例も同じく。 来島と言えば,村上→来島→久留島という柔軟さと生き残り術は何なんでしょうね?
海の国衆って恐ろしい説得力
国衆だから大名に匹敵しないのも分かり易い
興味ポイントなのでこれは期待値大。動員数百人〜十万石格まで、諸説の変動幅が大きいみたいですよね。
拝見しました。やはり面白かったので、是非深堀りして欲しい分野です。
ありがとうございます!
大内水軍なんて明の港で細川水軍と一戦交えてるからね
渡海して海上戦する能力があるから村上水軍じゃ歯が立たないよな
寧波の乱、ですな。
結局フロイスさん適当なこと書いていて草
ノブヤボの水軍Sのせいですねw
派手に負けた奴が最強扱いされる歴史のテンプレパターンという訳ですね
無敵艦隊、イギリスが命名ってやつですねー
村上水軍と言えば今治を思い出す。
わかりやすくて面白かった。知識欲を充足できました。陸でも海でも大内、毛利はガチで強かった。
クソ野郎は草。
清和源氏の村上氏を名乗っていたと思ってたから、姓が藤原なのが意外。
動画投稿お疲れ様です!
篠原長房(駟雲)が雑賀年寄衆に宛てた起請文で「松満并同名其外家中、(松満とは長房と本願寺·宗主一族で教行寺·実誓の娘との子)」阿波国人·篠原氏自体も「同名(中)」が存在する一揆体制であるとすれば本願寺の宗主一族と姻戚関係にもあり紀伊と阿波に跨がる雑賀衆の一家!だったりして(笑)
厳島合戦では毛利小早川警固衆じゃ小さいから村上を待ってたと思ってましたからびっくらです
考えてみれば陸の大大名の大規模になるのは当然ですね
たしかに村上水軍が日本最大なら瀬戸内海に止まらず下手したら敦賀とか拠点作ってても可笑しくないですからね。
0:19 そこは「東方天空璋」じゃないんですか(
村上は
ゆうなら海の雑賀衆ですね
いやいや,それではオリジナルの海の雑賀衆が浮かばれませぬ
@@t16-b1w 狐島さんとかですよね(*^^*)
村上水軍の血を継ぐむらかみまこ むらまこが如何に現代で力を発揮してるか是非見てほしい。 ツイッチのマドンナ、梨民のジャンヌダルク、政治家とのつながり、いろいろ出てる
摩多羅翁ちゃん絶対叡智な画像紹介してください
フロイスさん自分の印象だけで適当なこと言って、、、アーメン
そんなに村上水軍って凄くなかったと思う
祖母は来島の出なんだけどな
同時代の無敵艦隊リスペクトの過大評価かな()
村上海賊が弱いと言ってますが弱いのならなぜ日本海軍は村上海賊の戦術を用いたのかあなたが言ってふことが矛盾しますね。どう説明しますかコメントして下さい
まず第一に、戦術レベルの話と戦略レベルの話を混同しないで下さい。当時トップレベルの鉄砲を使った用兵術を持っていた雑賀衆は戦略の稚拙さにより簡単に惨敗・滅亡していますし、その生き残りは後に鉄砲術の師範として各大名家に雇われています。村上海賊が実際は言われているよりは弱かったことと、彼等の戦術の有用性は別に矛盾しません。
第二に、秋山真之と「野島流海賊古法」の逸話のことを仰られているようですが、この本(軍法)がこの時期に成立したと仰る根拠は何ですか?基本的にこういった兵法書は戦国時代よりも江戸時代初期に成立したものが圧倒的に多いのですが・・・。また、この逸話のきっかけとなった木津川口の戦いについては動画で説明した通りです。
第三に、喧嘩を売るようなコメントを安易に書き込む前に動画はちゃんと見てください。村上海賊の評価は実績・戦績を見れば明らかに過大評価だ、ということを言っております。もしそれを否定するのであれば、私が動画で取り上げた根拠(大内水軍に占拠される・毛利家離反後すぐに包囲される、等)に対する反論を提示してください。
あなたは村上海賊の衰退して行く時代の事だけ述べてますが
この短い動画ですら既に触れていますが、村上水軍の最盛期は大内家滅亡後であり、毛利家の急拡大の波に乗ったことで瀬戸内海全域に網の目を広げています。その時ですら村上武吉が毛利家を裏切った途端、能島を包囲される位基盤は弱かったという話をしております。
また、先述した「古法」を作ったとされる南北朝時代の海賊大将・村上義弘は実在すら疑われている人物です。また、別に戦国以前は村上水軍一強だったという事実もありませんし、そもそも戦国時代の話をしているのに南北朝時代〜室町初期の話を持ち出すのはお門違いでしょう。
ん~、村上水軍より大内水軍のが強かったってのはどうですかね。
元就公が信用のおけない軍団を重要な戦いにの為に味方にわざわざ引き入れていますからね。それなりの実力はあったと思います。
一族による瀬戸内海の利権の大きさなら間違いなく日本最強ですね。
実際問題として大内方に打ち破られてるからなぁ…
@@matukawatositane 数が違い過ぎるので、それで単純な比較は出来ませんね。それに完全に打ち破られてるなら瀬戸内海であれほどの利権を得ることは出来ないでしょう。結果的には秀吉に屈するまで瀬戸内の利権は失ってないですからね。また陰徳太平記の信憑性は低く、中国の勝者である毛利家によって改ざんされています。
@@惟任日向-r5d 数で劣るなら弱いで良いんじゃない?この場合、総数も考慮した強さやろうしさ…
秀吉に屈服するまで瀬戸内海な支配権を失わなかったのは確かかもだけど、それはバックに存在する大毛利の力あってこそって気もするが
ただ陰徳太平記が信用できないって話は大いに頷く
@@matukawatositane 尾張の弱兵という言葉は聞いたことないですか?数で勝っていても一人一人は弱いと言うことです。今の尺度では勝ったものが強いのかもしれないが、中世では数で勝っていることがそのまま強いと記録される訳ではないんです。だから、合戦に負けてもその戦いぶりや強さは後世に語り継がれているんです。
どちらにせよ、大内水軍の記録自体が乏しいので定かではないですけどね。毛利水軍に組み込まれたことは確かですが、それでも知名度は村上水軍のが上ですからね。それが物語ってます。
@@惟任日向-r5d 私はその尾張弱兵論はちょっと信用してないので…応仁以降、斯波氏の中核軍団として戦闘経験はそこらの国以上ですから
知名度の話も最終的に大内は滅び、村上は生き残ったというのは大きそうだなと