【開業理由は◯◯のリベンジ⁉︎】謎多き阪急最古の路線を探索 阪急沿線ぶらり途中下車旅 #6-1
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.พ. 2025
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<一部の画像はwikipediaより>
第6弾 パート2はこちら→ • 【乗客騒動で珍事件!?】 阪急宝塚線で最もデ...
阪急沿線ぶらり旅 再生リスト→ • 阪急沿線ぶらり途中下車旅
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米原→名古屋 東海道線/681系/元はくたか
#阪急 #宝塚線
昔、阪急宝塚線に特急や快速急行が走りました。
石橋駅近くの旧西国街道の件、今津線の門戸厄神駅の改札を出た眼の前の道も 旧西国街道で、標識がたってます。
生まれ育った地元なのでいろいろと感慨が。
それにしても川西能勢口駅がすっかり立派になりはって(笑)
《 観音様は 崖の上に現れる 》という考え方があって、それで、中山観音は大阪平野の縁(へり)、清水寺は京都盆地の縁、奈良東大寺二月堂は奈良盆地の縁にあります。
13:48 意味から考えると「一帯」だと思いますよ。
駅名は「石橋阪大前」ですが、その近くの西国街道と能勢街道との交差点の名前は「石橋阪大下」で、阪大石橋キャンパスの正門(南門)前;中国道豊中インター上に「阪大前」という交差点があります。
前は一時期特急走ってたんですねどねー笑
改めての沿線案内面白くて良いですね。
かつては、宝塚線の「普通」は曽根行き・池田行き・雲雀丘花屋敷行きと宝塚行きがあって、雲雀丘花屋敷から西は急行で石橋から西は各停になった電車と最初から各停の電車が交互にきましたが、今では曽根行き・池田行きはなくなり、「普通」の宝塚行きもなくなって、雲雀丘花屋敷から西は実際は各停の「急行」だけになりましたね。
結局、川西能勢口から西は複線電化されたJR福知山線との競争に勝てないと諦めた…とまではいかないとして、πが倍増したわけでもないのに路線が倍になったことから、川西能勢口から西はそれまでの半分でいいことになった…てこと…かな。
子供の頃石橋で降りる時は、カーブのおかげで間が広くて、怖かったので一生懸命ジャンプした思い出が。
京都から東京に旅行した時、初めて阪急の美しさを実感出来た。どこも同じような電車やろと思ってたけど、初めて阪急圏外に出てそれに気付けた
宝塚は、手塚治虫記念館が有りますね。
阪急の創始者の小林一三氏の手腕は日本鉄道史に名を残す素晴らしいものだったと、沿線にその名残がありますね。
後色々駅名が変わって驚きました。
2:57 一応 通勤特急も忘れないであげてー
宝塚線で高架化が早く昔は動物園で乗り降りが多かった中心的な池田駅はスルーかよ😂
久々に楽しませていただきました。
要所要所でツッコミが入る流れはやっぱりTKさんならではの構成ですね!!
「石橋」の語源ですが、昔、阪大文学部教授による万葉集の授業でこんな話がありました。(私は理学部で、教養部時代に受けた授業です。)
「…この歌などで『いしばし』という言葉が出てきますが、これは《石で出来た橋》という意味ではなく、川を渡るために浅瀬に石を並べたものです。石並(いしなみ)ともいいます。現在では一般的に『飛び石』と言われたりします。京都の賀茂川に今でもそういう処が2か所程ありますね。石(の上)を走る➞「いしばしり」➞「いしばし」です。この近くの石橋駅とか各地に『石橋』という地名がありますが、大体、こっちの意味でしょう」
4:35 清荒神の発車標は行灯式で、正月の多客時(特にかつての終夜運転や初詣特急)で使用されていたそうです
(なので液晶ではない)
阪急電鉄宝塚線が好きで社会人と同時に越してきました。線形は良くないかも知れませんが、都市間輸送路線とは違う落ち着いた車内の雰囲気が好きです。阪急のマルーン色が鏡面の様に美しく撮影されていて感動しました。いてもたってもおれず、コメントしました。各駅の紹介も的確かつ美しい映像の数々。通勤車両の美しさは日本一いや世界一だと思っております。これからも応援しますのでよろしくお願いいたします。ありがとうございます。
8:52
南海の車庫は住ノ江検車区です
住ノ江駅の隣が住吉区の住吉大社駅なのでよく間違えがちですが、、
阪急シリーズ待ってました‼︎‼︎
石橋といえば赤い橋
13分56秒の辺り、室町住宅地の枠は、明らかに大きすぎます。姫室町・桃園1丁目を含んでおり、少なくとも桃園は住宅開発を阪急がやった場所ではありません。道路こそ真っ直ぐですが、ゴチャゴチャした乱開発です。50年前は田んぼのエリアもありましたしね。(旧桃園の長屋の住民です。)
5:14 よく見たら右奥の家の屋根に猫がいる
阪大生、阪大OBの方見てますか??石橋駅前懐かしすぎて涙出そうでした。。。
旧西国街道高架下の方の踏切を渡った時、踏切が鳴り始めて行き先表示が宝塚方面行だったら、そこから西改札まで商店街を全力で走ると、電車に間に合った。でもそれが池田行だったら、走って損した、と思ったものだった。
ちなみに、雲雀丘花屋敷駅の横の雲雀丘学園小学校の校内には、快速「夜行ちどり」でおなじみのC56-111号機が静態保存されてます。
中山寺は西国三十三のひとつで、安産祈願・子授け祈願の寺でもあります。
池田には小林一三記念館があります。
前は石橋駅だったんだよね。
久しぶりに帰省したら名前が長くなってた。
19:23 競馬オールドファンには有名な「待兼山」.
宝塚線は線形が悪いからスピードを出せない…………というのは昔から言われてきたことだが、かつては単線非電化で山陰方面に行く特急「まつかぜ」・急行「だいせん」に乗る時は使えても、通勤路線にはならなかった福知山線が複線電化されて、さらに国鉄がJRにかわって、黒字化をはかるべく、マンションに体当たりするくらいの高速運転をして、宝塚ー大阪梅田間の所要時間では福知山線の方が有利になると、それまで「宝塚線はカーブが多いからスピードを出せない」と言い訳していたのが、岡町・豊中付近とか高架化をはかり、三国付近の「超徐行」も改まって「普通に走れる」ようになって、十三-石橋間の急行は、停車駅がそれまでより増えたのに、逆に所要時間は相当短くなった。
なんだ、やればできるじゃないか……て感じ。
だから、神戸線・京都線に比べればカーブは多いとしても、雲雀丘花屋敷より西は、福知山線に勝てないとあきらめたから線形改善しないのではないですか。
8:16 藤原拓海 「山本(平井)って何じゃ~い!」
特急、日生エクスプレスを除くと、平日朝ラッシュに川西能勢口→大阪梅田間の10両編成(宝塚側の先頭車は女性専用車)の「通勤特急」が最上位種別ですよ...
国鉄前に行く線は、私ら(多田グリーンハイツ住人)は「国鉄前線」と
呼んでいましたっけ。池田から宝塚方面への高架が出来る前は、この
池田までの各駅停車が走っていましたね(これが延長されて雲雀丘
行きに変わったのでした)。
梅田に急いで行きたかったら今津線経由で行ったほうが早いんですよね
しかもそっち経由で行った方が駅数も少ないという
ラッシュ時間帯に運転される今津線経由の準急を昼間にも運転したら30分以内で行けそう。
近々、中山観音と清荒神に行く予定です。参考になりました。
懐かしすぎて、見ていて嬉しかった。
清荒神駅の行灯式の行き先案内は年に3日、正月三が日だけ稼働します。
初見です!宝塚線といえば昔ストライキをおこしていたような…
庄内事件の事ですかね?
朝の通勤特急を忘れてはいけない)))
西北行かないやつだっけ?
阪急宝塚線の急行は本来ならば区間急行と区別されるのでしょうね。それでも昔は十三と石橋(現石橋阪大前)間は一応ノンストップだったのですが。
また阪急宝塚線とJR宝塚線が完全競合している区間というのは宝塚と川西能勢口(川西池田)間くらいで、阪急伊丹線の方がJRと全区間競合なんですよね。もし豊中にいて阪急宝塚線が事故か何かでストップしたとしても急遽JRに乗り替えて…というには不便過ぎますし。それに今は宝塚と大阪梅田間も所要時間だけ見たらJRの快速に乗った方が早いですし。
有馬温泉行ってて欲しかったけどね、ロマンスカーまでいかなくても観光特急走ってね。結局そこは神鉄や北神急行に出資してってとこかな。
地形上は問題ないと言われても地質では問題が大アリ。蓬莱峡の断層破砕帯(バッドランド)は今の技術をもってしても工事不可能に近いですからね。
あらためて見ると宝塚線はカーブが多くて
これでは特急が無いのもよく分かりますね。
最古参の5100系が現役バリバリなのも良いですね✨
川西能勢口は高架化されるまで恐ろしいほどの大渋滞を引き起こしてましたね。高架化されたときは嬉しかったです。阪急百貨店もできたし。
路線だけでなく住宅地、レジャー施設と共に宝塚線を開通させた小林一三翁の先見性は素晴らしいと思います。
阪急沿線は見所満載ですよね☺️
宝塚線はスピードが無いけど猪名川超えてから車窓の風景が一気に変わるのが楽しいね🙆
子供の頃宝塚線沿線に居住しており小学校🎒の遠足は五月山🏞️(池田).多田神社⛩️(能勢電)だった。高学年の遠足は長岡天神⛩️(京都線)まで出掛けたが100系の高速運転にはビックリした。
雲雀で「ひばり」と読むんですね
雲雀丘は宝塚市で花屋敷は川西市なんですよね。
神戸本線はワンハンドルだけになり、なおかつその支線系統も含めフルマルーン車がいなくなってしまった一方で、宝塚線には5100系が現役として残っているので私もですが鉄道ファンにとってはとても嬉しいことです。(京都線もですが)
ちなみに能勢電となった6000系については最近は全く自社線を走ってくれません😩
関西の私鉄は、阪神が最初に上手いことやったので、それを踏襲してスタートした例が多いんですよね。
その「阪神手法」ですが、
・認可が出にくい“鉄道”ではなく、簡単に認可が出る“軌道”で申請し開業。
・“軌道”なので、ほんのわずかの併用軌道区間を設けるが、大半は専用軌道にする。
・軌道は最高速度規制があったが、「そんなの関係ねぇ」でぶっ飛ばす(黙っとりゃバレへんw)。
・乗客を拾うため、途中の集落にはこまめに寄って行く(結果、路線くねくね+駅だらけ)。
というもの。箕面有馬電気軌道、京阪、阪和電鉄(現・JR阪和線)などがコレをやり、阪神と京阪はいまだに「カーブ式鉄道」と呼ばれています。また、阪和電鉄の伝説「韋駄天のモヨ」は、思い切りスピード違反だったそうです。w
日中は急行しか来ないというと、かつての東武東上本線。副都心線直通やら快速やらが登場する前は、急行が事実上の最優等で中ほどの川越から先は各駅停車となり、終着の森林公園や小川町まで全駅に停車。実質は「区間急行」でした。
阪和電鉄は、軌道ではなく、当初から鉄道省所管の私設鉄道です。超特急の速度違反は、認可最高速度を無視して超高速運転したということで、軌道系の速度違反とは異なります。
阪急宝塚線UPありがとうございます。この沿線育ちなので、小中の遠足で利用しまくりでした。
宝塚、清荒神、中山、山本、雲雀丘花屋敷、池田など。複数回遠足で行ったのは中山~奥の院とか万願寺、五月山かな。あと石橋乗り換えですが、箕面の滝と勝尾寺も。今回の動画沿線はハイキングコース満載エリアですね。
阪急宝塚線とJR宝塚線が実は大元を辿れば同じ会社であった、というのは意外と知らない人も多そうですね。
似たような例で、南海電車とJR阪和線も元は同じ南海鉄道の路線でしたし、相模鉄道とJR相模線もまたそうでしたね。
こういった例で元居た鞘に再び収まった稀有な例が、富山地鉄富山港線ですね。
誤解のないように補足しますと、阪和線は「阪和電鉄(京阪の影響を受けた独立会社)」→「南海山手線(不毛の競争に終止符)」→「阪和線(国が買収)」となってます。
日本のお寺の多くは神社を持ってるよ。 面白い歴史的経緯ありです
尼崎には神様と仏さまが両方祭られてる神社あります
神戸線の特急は飛ばしまくりますね。だから、宝塚線には特急が無いんですね。なるほど☝️
特に西宮北口~十三は速いですね。電車がすれ違う時のドン❗と言う音に驚くことがたまにあります。
阪神尼崎駅の車庫も高架だっけ
石屋川車庫ですな。
尼崎は、分岐するまでは高架で、車庫と工場はしっかり地平のはず
やないと外部受託の整備車両が陸送で入れられない
一駅一駅がこんなに魅力に感じるとは思わなかった
小さい頃から40年、宝塚瀬で育って来たので懐かしい😱大阪を離れる前は池田が最寄り駅だったけど、ちょうど池田を使うようになった時は池田はまだ下を走ってた😭高架建設中だったわ😂池田が川西能勢口より発展しなかったのは阪急百貨店建設を拒否した事にあると個人的に思ってる😭
阪急石橋駅>あの、駅独特な急カーブなホームのお陰で、ホームと各車両中央部の自動開閉ドアの間には、30cm前後の『隙間』が、出来てしまいます。 よく阪急石橋で車両との『人身事故』が放じられるのは、車両降車時に足をとられて、車両とホームの間に落ちる事故が原因だとか(笑い事ではない。)。
売布神社昔住んでたから懐かしい
8:54
住吉検車区ではなく
"住之江検車区"
ですね
あ、やってしまった!!!(((((
まず高評価を押してから見る動画
撮影お疲れ様です、池田駅は阪急の登記簿上の本店所在。創設者小林一三氏の邸宅を改装して氏のコレクションであった、陶茶器や宝塚歌劇の初期の台本等展示してあり、お茶を好まれたので、氏の茶の名前逸翁から取り逸翁美術館として残ってます。あと一両編成とナレーションしてますが、一両は単車2両から編成となります。
雲雀丘花屋敷駅の雲雀丘は、漢字だけど、
東京の西武池袋線のひばりが丘ひばりがは、ひらがなで、丘だけ漢字です。
阪急宝塚本線は頻繁にダイヤ改正を行って運行形態がコロコロ変わった時期がありましたが、それだけ福知山線(JR宝塚線)との乗客争奪戦が激化して、試行錯誤していたのでしょうね。私が子供の頃の福知山線は単線で客車やディーゼルカーで遅い、高い、本数が少ないで見向きもされず、阪急宝塚線沿線は一部の間では阪急平野とまで言われていたそうです。その頃の急行停車駅は石橋までの各駅、十三、終点梅田でしたが三国の急カーブでの30キロ制限もあり遅かった。宝塚↔️大阪は形勢がガラリと変わりましたね。急行通過駅では庄内がDEEPですが、豊南市場が有名ですね。
石橋阪大前にも学生改札口がありましたよ(2021年6月まで)
池田を飛ばしたのはびっくり。ネタとしてちっちゃな阪急電鉄本店入口でも出てくるのかと期待したのに。池田市唯一の阪急の駅なのに。
池田出てこないの寂しいですよね。石橋阪大前駅も池田市ですよ〜
昔はでも特急ありましたね
原点にして頂点
ドラクエみたいですな。
映画の阪急電車の、舞台は、今津線ですよね
日曜には、阪急杯ですね
モント厄神ライゼからです
雲雀丘花屋敷行き準急復活してほしい。
たしか小林一三は阪鶴鉄道の若手取締役やったはず。
鉄道は国有化前提という法律があったとはいえ
民間人が出資して手塩にかけた育てた会社を恫喝まがいに「お国」が取り上げたらしい。
(関西で言うと、学研都市線、大和路線、阪和線も確かそのたぐい)
小林一三はその時の恨み忘れじ、とばかり阪急に心血を注いだとのこと。
阪急でJRとの並走区間が多いのは「見ろ、阪急のほうが客も多いし流行ってるだろ」
というのを「お国」に見せつけるため、とか。
宝塚線とトロリーバス
阪急2000 能勢電1700のメンテは平井と正雀でやってるんやけどな。
池田の阪急電鉄書類上本社と石橋の阪急バス書類上本社もネタにすると思ったけどしないのね。
石橋は駅員ジョニーとかいう漫画の部隊でもあります。
間違いですよ 宝塚の雲雀丘側が勝って 川西側が負けたんですよ
大阪環状線(旧車)みたいに加速力重視の車両があれば、急行以上の優等種別が出来るのかな?
石橋、阪大と来たら、ワニですね(笑)
自分は山本駅が最寄り。駅前に豊臣秀吉の時代に植木の接木を初めて行った、木接太夫の彰徳碑があります。友達はその子孫です。
旧山本駅跡の周りには、昔の大手銀行(三井・住友・神戸)の跡や郵便局の跡が散在していて街の中心だったときがあります。
現物を見たことがあるのですが、古くから植木苗の通信販売をやってたかげんで、近所の蔵から宮沢賢治自筆の苗の注文書や、届いた苗の御礼状も出てきたそうです。
それと、いまでも自尊心強い人がおおいので、うかつに山本で「平井駅でええやん」というと、生きては帰れないかもしれませんよ(笑)
宝塚線ルートと神戸線、今津線ルート。西北で乗り換える方が宝塚に早く着くのは有名なお話。
やっぱり京阪やなぁ
8000系も最近更新されてきましてましたねぇ
【池田】は通過ですか…
思い出の街だったので少しショックです…
京急のパタパタが廃止するニュースで、まるで京急のパタパタが日本で最後かのような扱いをされていて、宝塚線ユーザーとしてはムカついたw
神戸線ユーザーかて「岡本にあるやん」ってムカついたでww
でも、もうすぐ岡本は電光掲示になるな。三宮行きのホームは架装完了っぽい。
阪急も車内放送が自動化されたのですね。
思うに、清荒神駅て相反する駅名ですね( ̄~ ̄;)
(かなり山の手にあるお寺は清澄寺て、清みきった名前ですが)
清澄寺は生前オカンがうかつに火の点いたコンロの前でプスレーのエア抜きして軽い火傷して、後日自分が同伴でお参りした記憶が。
あと荒神さんの玉子焼きも名物です。
中山観音もローマ字一文字違えば、寺社秘蔵の必殺最終兵器的な。
(nakayama-kannon→nakayama-cannon)
昔、私が子供の頃の50年以上前、「鯨尺」と呼ばれる尺貫法の物差しを販売することが禁止されていた時代があって、(「度量衡法」「計量法」:おそらく明治維新の乱暴な政策の残滓)清荒神駅からの長い参道に続く屋台の列の中に、この「鯨尺」を売る店があって、遠く大阪市内からこれを買いに清荒神に来るお年寄りたちがいました。(1977年、鯨尺・曲尺合法化)
カメラメーカーの「キャノン」の社名の由来は、観音からだそうです。
JRの中山寺駅は横浜線の中山と間違えるため宝塚線側が改名したらしい
阪急って飛び抜けお上品やな
石橋は阪大ができたことから開けた街ではなく、先に石橋駅と石橋付近の街があって、後から阪大が近くに引っ越してきたもので、「阪大で知られる石橋阪大前駅」という言い方は感心せんな。私ら、昔は石橋は知ってても、阪大が石橋にあると聞いて、「え?石橋のどこにあんの?」と思った。むしろ、「みのお に行くときに乗り換える石橋駅」の方がまだしも観光客には知られていたが、石橋は単に乗り換えのための乗客だけでなく、石橋駅で降りる客も多い駅だった。阪大の南側は蛍池からも遠くないし。他に大阪モノレールで「なんとか阪大前」を名乗る駅が阪大の南側にできたから、こっちも阪大に近いんやで…と言うために「石橋阪大前」に駅名変更したのやろうけど。
阪大のあたりはマチカネワニの出土地であるし。待兼山芋畑と呼ばれ、
イモ学生の産地とも言われる。
「石橋阪大前」への改称は、池田市からの要請。阪急はそれを受け、阪大に名称利用の承諾を得て改称した。池田市は、減災のために駅前に広場を作るために駅前を再開発したい。で、そのための資金を得るために駅前にタワマンを建てて売る案があって、それには、「XX大学前」という方がイメージが良いと不動産屋に入れ知恵された、という説あり。モノレール「柴原阪大前」については、阪大からの要請があった。というのは、モノレールには既に「阪大病院前駅」があり、伊丹空港や(新大阪→)千里中央からモノレールに乗って、阪大石橋キャンパスに行きたいが、間違えて「阪大病院前駅」に行った(もしくは間違えて切符を買った)という話があるので、「柴原阪大前」への改称を求めた、という。
阪急京都線に住んでた者として、フルマルーンの電車って何気に嫌だったんだよね〜
神戸線や宝塚線は上が白い、大阪弁で言うサラだったけど、京都線のはフルマルーンばっかりで、古い電車ばっかり乗せられてるイメージだったなぁ〜しかも京都線でも特急は上が白いキレイな電車だって、でも自分は淡路までだから、当時は特急止まらなかったんだよね〜だから余計に上が白いキレイな電車に乗りたい思いが子供の頃あったなぁ〜今は逆にフルマルーンばっかり乗りたいけど…( *´艸`)
【阪急と宝塚歌劇団】が【切っても切れない関係】なら、【京急と川崎大師平間寺】だって【切っても切れない関係】だと思いますよ?【京急の前身】は【現在の京急大師線である大師電気軌道】ですから!
近くにJRの駅があるのはひどい話だよな
阪急の宝塚線は、なぜか高級感溢れるような駅名もあり、静かな高級住宅街や怒涛は、宝塚劇場を目指して走っているイメージがあります。
宝塚線
景色もいいです
宝塚線に乗り、
宝塚から今津線に乗り換え
大学まで
通っていました
懐かしいです🤗
関西学院大学ですか?
@@ランバス先生 女学院か聖和かも。
地元や
12:35辺り~の車輪を模したモニュメント、バーベルみたい(^^;
奈良にあるJR関西本線の旧大仏ルートのモニュメントも車輪型ですが、こちらは、片側の車輪だけですので、バーベルには見えません…
池田、石橋がふるさとです
小学校2年の時、図工で
小豆色の阪急電車を描きました
当時はマルーンなんて言いません
小豆色でした
幼い私は馴染みの阪急電車がダサいなと
思っていました
遠く離れた今は
懐かしいです
マルーンが
車体の形が
緑ビロードの座席が
カッコいいです
阪急といえば箕面有馬電気軌道として開業する前に沿線の宅地開発から始まり、その後宝塚に温泉と遊園地、更に少女歌劇(今といえば宝塚歌劇団)を立ち上げるなどに力を尽くした。またターミナルの梅田(現在の大阪梅田)では世界初のターミナルデパートを建設するなどお客さんを呼び込み作戦に成功するなどの効果を発揮した。by酒向正也
本地垂迹や神仏習合は義務教育で習う範囲だと思うのですが…。
まあ閑話休題、宝塚線の遅さは年々酷くなるばかりな気が致します(笑)。
池田、ごりっごり地元なので悲しい😭
五月山や逸翁美術館やインスタントラーメン発明記念館があるのに。
じゃ、じゃんけんでしんじられんな。
宝塚から雲雀丘花屋敷 ぐらいが 一番ほっこりして 宝塚線やわー という感じ 川西能勢口から曽根 ぐらいは少しざわざわするけど まだ 宝塚線らしさがある、服部からは、完全に 都会の下町モードに突入 庄内 三国 十三にとどめをさす。今津線も競馬が無い日は、北口まで ほっこりしてるよねぇ。
6002F 能勢電から事実上の出禁をされてるみたいで日生エクスプレスの運用から外されてるみたいです