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宦官の文化があった国って基本的に大国が多く、宮廷の規模もデカいから男性が入れないような空間でも男性の力が必要とされる部分が多いのよねまたどれも文明が進んでいたから去勢する際、必要とされる高い医療技術を有していたってのもある。とはいえ現代の男からすれば聞いてて震え上がる文化なのは間違いないのだが・・・
政治の問題については、日本の戦国大名みたいな家臣と言われる側近兼官吏のような存在に宦官がハマったんでしょうね。科挙の官吏は仕事の付き合いだけな感じするし
他所さまのチャンネルですが、文化人類学的見地に基づいて割礼と去勢の類似性から宦官の去勢行為を「主人が家畜を去勢するようにユダヤ教では割礼をする。このように『主人がマウントを取る』象徴として宦官は去勢させられたのではないか?そして去勢技術・文化の由来としては遊牧文化やそれとの交流が挙げられるのではないか?」と考察していた動画はすごく納得しました。
宦官がなくならなかったのは皇帝にとって便利な存在だったんだろうな🤔側近が学力テストで来たビジネスでの付き合いしかないのに対して幼いときからの世話係で友達で楽しい遊びを教えてくれるなら王朝を立ち上げた人物以外は流されるんだな。
日本は宦官が導入されず、女性たち多数で“後宮=奥方”を運営していたのが…。日本の女性は本当に強いと思います。
「皇帝陛下、ここからは重要な話です、人払いをお願いします。あ、宦官は人じゃないので大丈夫。」
こういう一つのテーマで、長い歴史の中での変遷を見るのも良いですね。
皇帝が外戚に対抗するために身近なところから人材確保しようとすると宦官に目がいくんだなあ
後代、科挙の難易度が苛烈を極めると、宦官として宮中に使える道を選ぶ人も出てきました。自分の、それこそ命の次ぐらいに大切なブツを切り落としてまで宮中での立身出世に賭けたぐらいだから、当然、野心に満ち溢れています。自分の出世が一族の浮沈にも関わってくるから余計に。で、彼等は科挙に挑戦するぐらいだから、人並み以上に頭も良いし教養もある。だから皇帝や皇族の側近として重宝され、そこから出世の糸口を掴んでいきました。
宦官のなり方については浅田次郎さんの小説「蒼穹の昴」で、詳しく説明してありましたが、まさにタマヒュンでした。舞台となっていたのは清末だったのである程度、去勢のメソッドが、積み重ねられていた思うが、それでも、相当つらそうだったので、もっと昔だと、死罪から一等減じられて宮刑になっても、結局、死罪と同じ結果になっちゃった人もいたのでは
丁度その本が出た頃六本木のゲイバーで女の子(男の子)達があのシーンで泣いたって言って話題になってた(笑)助かる確率は5人に一人とか聞いた様な気がする。。どこでだったか。。大人に成るほど死亡率は上がるらしい。
こういう時代を通して語るシリーズもっと見たい!!!
宦官の話題に遂に触れましたな。袁世凱が北京の紫禁城攻略した時、街中に宦官が大量に逃げ出し、街中に現れた彼(?)らは見た目がかなり奇っ怪だったって話を聞いた事あります。
ありがとうございます!一人を深く掘り下げる動画も好きですが、こういったテーマごとで話してくれる動画も大好きです。
ご支援いただき、まことに感謝感激でございます……!!ご好評いただき本当に嬉しいです!今後はこのようなテーマを絞った動画を出していこうと思います!
「前門に虎を拒ぎ、後門に狼を進む。前門拒虎、後門進狼。」(趙弼 評史)なんて故事がありましたね。色々な解釈がある様ですが、前門の虎は「外戚」、後門の狼は「宦官」を暗に示していると聞いた記憶があります。外戚を追い払ったら、宦官が跋扈する様を表している様ですね。動画面白かったです。
宦官と言えば映画ラストエンペラーで宦官が処断去れるとき、自らのモノを納めた壺を天に捧げていたシーンが思い出される。
後漢時代の宦官だと曹操の祖父曹騰も有名で、四代の皇帝(安帝・順帝・沖帝・質帝)に仕え中常侍・大長秋にまで昇進した人物。優れた人材を推挙するのが好きで、それでいて決して驕る事が無いのが彼の美点です。
後宮って美女だらけなんかな🤔と世界史の時間にずっと考える高校生のぼくちゃん。
@@heiho_ita さま美女ばかりではないですよ。美貌を見初められた美女戦利品として献上された女性時の権力者が皇帝近くに監視要員として送り込む女性有力者が権力を得るべく送り込む血縁者の女性…などなどが公称3000人の構成女性でしょう。
宮城谷三国志で曹騰はまさに主役級。曹騰なくして曹操は存在しえないといっていい。
皇帝に力がなくなった時、跋扈将軍みたいな外戚を抑えるには宦官を使うしかないんだよな。
唐朝の代宗の紹介で、daiso のロゴが出てきたの、細かすぎるネタで好き☺️
殷代から清代まで、中国における宦官の歴史は、まるで大河のように長く続いてたんですねぇ😃。今回は楽しみにしていただけあって、とっても勉強になりました👍👍👍。
1つのテーマで三千年を語るのもいいですね司馬遷・蔡倫・鄭和といったスーパースターよりも趙高や魏忠賢にどうしても目を奪われるwwwwww
順帝によって宦官が養子をとる事を認められたのが後の曹操誕生に繋がってますね。曹騰は後漢の名臣と呼ばれる人物を何人も推挙した話もありますが決して清廉な人物などではなく、質帝即位の際に名前が挙がり桓帝擁立の際に再び候補者となった評判の良い清河王劉蒜ではなく蠡吾侯劉志を擁立するよう(後漢最大の外戚)梁冀と共謀して即位させたという経歴があります。その後の梁冀誅殺前後の頃には綺麗にフェードアウトしているので処世術に長けた人物だったんでしょう。
宦官について知りたければ蒼穹の昴という小説がおすすめだぜ
三代欲求の一角の性欲を奪われ、それは男にとって1番と言って良いほどの欲やったために、その欲望が支配力や権力欲に走ってしまったため、何度も同じ事を繰り返してしまったのではないかと思いました。
書き忘れたけど西洋で去勢と言えばカストラートあのベートーヴェンもあわやカストラートにされるところでした次第に必要性が薄れて絶滅の道を辿りますがそれでも20世紀まで存在しました
蔡倫とかの馬鹿みたいに優秀なやつもいるけど基本的に悪影響が大きいイメージ
最後の宦官、孫耀庭(1902~1996)をモデルにした香港映画「チャイナ・フィナーレ/清朝・最後の宦官」(中国最後一個太監)(1987)があります。主演はモク・シウチョン。アンディ・ラウ(革命家役)やサモ・ハン・キンポー(上司役)も出演してます。中共建国後は、封建制の被害者として丁重に扱われたようです。
みんな大好き三国時代末期の蜀に現れた黄皓も忘れないで(蜀滅亡の原因)日本ではあまり無いけど、武断政治が続いたというのも理由にありそう。
日本に宦官制度が導入されなくて良かったです(*^^*)
1:30 いつものように「霊夢 宦官大好き!」とならないかヒヤヒヤしましたが言わなかったので安心しましたw前漢の武帝の肖像画のように皇帝の左右を宦官の侍従(?)が補佐する構図って魏晋南北朝、隋唐の時代まで続きますよね。後の時代にまとめて描いたようなタッチですが、なにか決まりがあったのでしょうか?
楽しく勉強になる動画をありがとうございます
ご支援ありがとうございます!ご厚意、大変励みになります……!!
鳥人間さんの動画は誤字脱字、読み違いイントネーション違いがほとんどないからラジオ的に聴いてるだけでも内容が違和感なくすっと入ってくる。そーゆうチャンネルって案外ないんですよねぇ…って書いたらみちおに違和感バリバリでしたわ(笑)
宦官同士の争いも激しくて、出世しても同僚に地位を奪われるリスクが絶えないし、小間使いや奴隷の境遇のままで終わるのが大多数。一見華やかな宮廷も厳しそうです。
きっと麻酔など殆ど無かった頃のこと。衛生への配慮だって貧弱だったろうし。それを踏み越えた勇者には怖い事ナシ。現代では絶対に理解不能な歪んだ意識。
面白かったです。客家の歴史とかも見てみたいです。
アッチの欲望の代わりに、出世欲、金欲、物欲等々、あらゆる欲望が強くなってしまうのでしょうかねぇ。
若い時に取ればとるほど喉仏が発達せず中性的になる。破傷風により無事宦官になる可能性は低かった。尿道に栓をしておしっこを耐えていた。中年になるとホルモンバランスが崩れ筋肉が発達せずおっさんかおばさんかわからない風貌になる。性格もヒステリックになる。子孫を残せない絶望は儒教的な背景も含めて非常に深く、それを埋めるために権力欲に走る。等々…。
宦官の皇帝の一番近くに居て皇帝を操りやすいという1番の強みが、同時に皇帝に依存しているので皇帝が変わると次代に権力を維持できないという最大の弱みでもある気がする。
日本だと…江戸期の“側用人”が近いと考えますが、やはり『夫れ事独り断むべからず。必ず衆とともに宣しく論ずべし』(十七条憲法より)の国がらなので、1人の人物に圧倒的権威&権力を得る事が少ない点もあるかと。
皇帝側にとってはメリットだけどね途中で邪魔になっても自分の一存で処しやすいっていう
やっぱり趙高がぶっ飛んでる感は否めない
モンゴル軍も去勢したオス馬を戦闘に使っていたと聞いたことがあります。去勢したら、馬力はメスより強く、性格は大人しくなるとか。そういう家畜・牧畜の文化から生まれたのかもしれませんね。日本になじまなかったのもなんとなくわかる。
今も競馬で騙(せん)馬にした理由として、よく言われてます。『気性がどうにも荒い』『走るフォームが硬い』…など。
@@bingosaru 海外の場合、障害競走に出るから安全のため去勢(基本的に牡の障害競走馬は騙馬)、種馬失格により現役復帰で要らないから去勢、という例がありますね。
@@bingosaru レガシーワールドには何度もお世話になりました(笑
結局後宮の管理に宦官が必要でそこで皇帝とつながりが出来れば権力や利権が産まれるんだな。
個人レベルで見ると宦官になってなおかつ出世の道も閉ざされ一生使用人として終わるとかあまりにも酷いから同情的に見る人も居たのかも、そう言う人が皇帝とかになると宦官を重用したのかもなぁ。。。
宦官は高校世界史の資料集で見た清朝宦官の写真がなんかめちゃくちゃしわくちゃで笑顔で写ってたのが印象深いですね。去勢といっても袋を切ってタマを抜き取るだけだと思ってたのでwikipediaで宦官の全裸の写真を見てヒエッとなりました。司馬遷は小学校にあった歴史漫画で「史記」完成の為にあえて潔く宮刑を選ぶという描写があったので屈辱に思ってたのは意外でした(執筆中も「ヒゲ生えなくなってきたな」と冷静にいってた)。
レジェンド宦官というパワーワードw
やはり宦官のイメージは鄭和よりも十常侍などの方が際立ちますね。
宦官といえば、蔡倫と鄭和と王承恩以外はロクなのがいない印象・・・・・(司馬遷は壮年期にペナルティとして去勢されたので、成人前に去勢されたケースが多い一般的な宦官とは同列には扱えないかと思っています)
唐末~五代の張承業のような忠義の人もいるのですが…まあ一般的にはそういう印象になりますよね。
曹操の祖父曹騰も入れてあげてください。
@@sa-oq7ci曹操の父親が宦官の養子だったのは知ってましたが、業績をよく知らないもので・・・・・😅
宦官の作り方は横光先生に教えてもらいました
最初はおそらく、征服した異民族の誇りをへし折り漢民族に精神的に屈伏させる意味合いがあったんじゃないかなと思ってます。男なら誰しもソコを失うのは怖いんだ…
共産党「大胆な異民族の去勢は中国の伝統だった...?」
ED治療薬とか「バイアグラ」とか…やはり男性の象徴を機能させることに“こだわる”のは“種の保存”に関わる本能的なモノなのでしょう。
宦官の有用性が全くなかったら、色々制限してでも用いようという判断には至らないだろうし、無視できないくらいの有用性はあったのかなあ……
唐突のゆっこで喜ぶオタクわい。小説だけど浅田次郎の蒼穹の昴は過酷な科挙受験や自宮宦官の壮絶な習慣とかが楽しめる名作です。
もちろん善良な者も大多数存在するが、一部のせいで非常に悪目立ちする存在。
清は宮廷においてもボーイという家政を司る役職を置き、宦官はそこで后妃の世話に限定されたらしいですね。
胡亥と趙高の最恐タッグ好き
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、ひたすらに感謝しております……!これを励みに、ますます精進していきますッ!!
こんな感じの動画があるのは助かる
土木の変に焦点を当てた動画が観たい
古代の文字はどれもなんとなくそうかな?くらいにしか初見では理解できないものが多いけれど動画の冒頭で象さんに一部隠された殷の甲骨文字は他の何かを連想する余地なく理解できた。
動画お疲れ様でした。朱元璋が抑止させようとし永楽帝によりなかった事にされた宦官抑止策を、家臣との問答の際に誰よりも朱元璋を評価した順治帝が確立に成功したというのも感慨深いですね。そもそもで満州民族が包衣がいて宦官に依存する必要がなかったのも大きいですが
家臣が学力テストで選ばれた人しかいなかったのが皇帝を孤独にしたんだろうな。漢王朝は外戚の脅威とのバランスで宦官が強くなったけど。
すみません包衣はなに?
@@小沢プロミネンス 八旗の中で家政を担当する下級旗人の事です。主人に支えて身の回りの世話・雑用・資材調達・土地の管理や警備を行う実質使用人です。このシステムがあったから宦官に頼る必要が無かったのが清朝でした
@@小沢プロミネンス 包衣は満州貴族たちの男女家奴たち、男子は去勢されない出自はお主に捕虜、身売りされてる仕事は主人たちの身の回りの世話、雑用係、たまに土地屋敷の管理や警備を任されていました。包衣同士は結婚できる、身分は旗人より低いですが庶民より上。
@@小沢プロミネンス 満州族貴族が抱えてた召使いのこと
【あそこを…】と聞いて【あそこ】がキュッと成ったのは私だけではない😱
制度として語るなら宦官のライバルである官僚を生み出す科挙も欠かせないので是非
士大夫史気になる
宦官「切っても切り離されない・・・まぁ切り離されてるんですがね」
蔡倫や鄭和等の一部を除いて宦官に良いイメージがなかったが、この動画を拝見して負のイメージはより確固たるものとなった。それにしても、東は朝鮮やベトナムまで広まりながらなぜ日本には広まらなかったのだろう。遣隋使や遣唐使で渡った日本人たちも宦官は見かけたはずだが、もしかするとそのときにこれは真似しない方が良いと考えたのかもしれないし、賢明な判断だったと思うのは私だけだろうか。
日本で宦官がいなかったのは去勢してなおかつ生かしておく医学技術がなかったということと、そもそも天皇が権力維持を目的として宮中で粛清しなければならない強力な将軍が少なかったというのが大きいと思います。宮中で殺された将軍は蘇我入鹿くらい。その後強力な将軍が活躍しだしたころには天皇に権力がなくなっていたという。足利義満とか織田信長とか天皇の権力を脅かした将軍は謎の死を遂げましたがそもそも彼らとて日常的に朝廷に詰めていたわけではありません。天皇に守るべき権力がなかったため宦官を導入する必要性がなかったからだと思います。
日本には家畜の去勢文化すらなかったので、人間のそれなんてのはとてもじゃないけど受け入れられなかったのでしょう。
@user-oi5dt9tt8d明確に拒否したからだと思う。日本は動物の去勢も拒否して受け入れなかったから。それで大陸のような大規模な家畜の利用というのは成立しなかった。日本の場合は水域が身近に多く降水量も多いから、海や川を利用した水運でかなりの役割をカバー出来たからそれで良かったんじゃない?
アフリカのどこかの国からヨーロッパの近代的畜産を学びに行った畜産家たちが、人工授精をひどく嫌悪していたなあ。数年前のNHKかどこかのドキュメンタリー番組だったと思うけど。業績を上げるには必須の手法だから、ヨーロッパの畜産家たちは「人工授精無しで改善なんて話にならない、絶対必要だ」と、ドン引きされた事に怒ってたよ。それで「家畜から自然交配(雌雄の集団で放置して殖やす手法のこと)の環境を奪うなんて動物に対して非人道的過ぎる」と凄い雰囲気で議論になってたよ。
宦官の話かーって乗り気じゃなかったけど、面白かった。中国史に宦官あり。しかし、日本は何故この文化を受け入れなかったのだろうか。正解だったと思うが。
中国史を知れば世界に平和が来ることはないってよくわかる
3:00は民族浄化でしょう。藤崎版『封神演義』の太公望はこれを逃れた異民族設定だったが案外外れてないのかも?
殷代に宦官がいたとは大変興味深いです。もしかし夏にもいたのかもしれませんね。宦官の起こりは一体どこのどなたなのでしょう?
悪逆無道の宦官の中では趙高と魏忠賢のツートップが最強で中華最大の大航海という偉業を成した鄭和も霞む勢いですね。あと宦官の甲骨文字を検索しましたがあれは出せないですよね。…だってそのままだったんですからw
あぁ、日本に宦官がいなくて良かった…と、本気で思う。しかし、今回の動画は宦官に限らない普遍的な教訓を沢山含んでいる。なかでも、現代にもそのまま通じるのは、どの様な属性の集団や人物であっても、専横へ走る要素を多かれ少なかれ必ず持っていること。そして、どの様な組織や法制度であっても、功罪を別つのは運用次第だと云うこと。それらを一言で纏めるなら「やり過ぎちゃいかん」に尽きる。日本には宦官はいなかったが、乳母と外戚が官僚と権力闘争を繰り広げ朝廷を傾け…なんて事を繰り広げてきた歴史があるので、他所の事ではないのだな。つくづく、人間と云うのは業の深い生き物だ。
豎刁の「自ら宮して」の説明のところで「自宮自足」という造語が浮かんでしまった。自ら去勢して権力欲を満たすこと、って感じに使えませんかね...
宦官といえば明朝は永楽帝の靖難の変時、スパイ組織として力を持っていったけど、清朝みたいに分離したら上手く利用できたんかなぁ
鳥人間さんの動画を視て思ったのが、歴代王朝が滅んだきっかけに宦官が影響してると気付いたのは会社の中でも俺を含めて数人くらいだと思う。
宦官確定ガチャはないのか…あと遣唐使最大の功績が宦官を持ち込まなかったこととかいう評価があった気がする。他の人も言ってるかもしれないけど
それなら、sssスーパーレアは曹騰・張蚝・イシハ・董海川辺りがお薦めです。
つくづく日本でこれが用いられなかった事が不思議でならない
日本は血の穢れを嫌うので、宦官は受け入れられなかったという事です。
よくよく考えたら日本は女性を財産の一つとしてモノ扱いせず、後宮作らなかったからってのがあるが…女系社会から発展した流れで女性を敬う文化があったから、なのだろうか?
憧れの時計です。
こんなにいくら規制してものさばった宦官が近代にすっぱり消えてしまった…
皇帝がいなくなったからね(国家主席の地位は世襲されない)
やはり凶悪な外戚についても…単独でイケる外戚もいますから難しいか
宦官のかつての名称である奄人の「奄」という字の篆刻が、どこか男性のアレを切り落としたかのようにも見えるんですよね。文字というのも不思議な分野です。
この動画を見て思ったこと。唐以降、各王朝初代は宦官の力をそぐ政策をとりますが、いろいろあって宦官が復権(あの鄭和の大航海もその一環としての面あり)してしまう流れになってるんですね~。そして日本でいうところの大正時代まで宦官が続くあたり「しぶとい」と感じざるを得ません。その日本はむしろ例外的に宦官がいない国(欧州諸国やインカ帝国にも類似制度ありと聞いてびっくり!)というのにも驚かされました。
中国文化の導入にあれだけ熱心だった日本の朝廷が宦官制度は入れなかったのは大きな意味があるよね。やはり中国の皇帝制度と日本の天皇・皇室制度は大きく異なる制度なんだな。
導入されなかった理由は日本の去勢技術が不十分で致死率が高かったから
18世紀になって日本ではじめて初歩的な去勢馬の技術が身についた
伝世文献を耳で聞いて本当に「田斉で書かれた文献に宦官が詳しく記されていたのか…!」と思ってしまったw名君のときは宦官は能臣となりイマイチなときは内憂そのものになってしまうのは、腸内細菌にも似てるなぁ。
今日も楽しく拝見させて頂きました。ダイソー、みちおwww それより宦官…おっかないですねー(^_^;)何人かの方たちがおっしゃってますが本当に日本になくて良かったと思います。そして今回のように1つのテーマで時代を流れるのもとてもおもしろいなと思いました。
夜、寝る前に見ています。以前のような長文が大好きなのですが、何か制限がかかったのですか?
宦官が向いている宮中の政治的機能ってどんなものなのかという事が気になりましたそれと、しつこくてすみませんが1:40〜のBGMの曲名を知りたいのですご存じの方は教えて下さい
自己解決しました。この曲だったのですね。これは回答は難しいのもわかります。th-cam.com/video/Do4pAtDutc0/w-d-xo.html
日本で宦官いないの不思議やね
Thanks!
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ツルツルでもフサフサになるみたい😲
朱元璋はあんなに宦官を警戒したのに...
宦官と、今話題のLGBTとの関わりについても、今後のテーマとして、考察アップをお願いします。
宦官の話題を出したならば宦官と長きに渡って対立を繰り広げた竇憲、梁冀、何進等外戚達の話題列伝の方も是非ともよろしくお願いしますm(._.)m
この動画を観た後、もぎせかチャンネルの『宮脇淳子先生に聞く03』の12分55秒からを観ると…。「将軍はみんな宦官」「正史を書くのは官僚」「中国人にとって宗族が一番。プライオリティの一番は血族」がキーワードでしょうか…。それを踏まえると、劉邦や朱元璋の粛清とは…。
宦官が更にお二人お越しになりました。 宗愛「無敵の太武帝拓跋燾を葬り去った私、参上!」王承恩「威張って言うなこの不忠義者が!」
凡ミスと分かってはいるのですが、「清楚クビライ」がちょっと面白かったですw
やっぱり明は宦官天国でしたwさっき調べたけど、宦官の甲骨文字ヤバすぎんよぉ。( ̄▽ ̄;)
猫の去勢は猫が増えすぎないようにするように、やはり元は異民族浄化的なことなんでしょうね。日本に伝わらなかったのは異民族がいなかったから?いやそもそもDNAが大陸と違うし…異民族の衝突は残酷さを生みやすいですなぁ。
宦官の歴史編おつです宦官がいた地域や国と日本を比較すると古代の頃に既に骨折の整復手術だったり頭部切開手術をしていた等、外科医療が発達してた国々が多く日本はぶっちゃけ江戸時代の蘭学で外科的治療法を知るまで殆ど存在しなかったのでそういうのも大きいのかなと思った
ご支援いただき、ありがとうございます……!なるほどなるほど!外科手術が未熟だったが故に宦官が導入されなかったのではないか、という考えですね!これは面白いですねェ~~~
宦官を締めつけ→緩んで宦官が専横→王朝が滅亡…ふりだしに戻る最初から宦官を宮廷に入れなきゃいいのに…う〜ん
24:18 帰郷くらいで済ませて貰えたんだ・・・・
当時の宦官って解雇はほぼ野垂れ死コースだからなあほっといても死ぬだろ状態だったんだろ
誰だったか武帝が司馬遷に中書令の職を与えたのは李陵の処分が過ちだと分かったから(つまり司馬遷が正しかった)というのを聞いたな。…後悔先に立たずが多すぎませんかね?武帝
巨根のロウアイもそうだけど、絶対嘘ついて「ついた」まま宦官やってるやつも居たよね。何か清末だっけ?康有為と同じ頃に、「宦官として仕えてたけど、なぜか『生えて』きたので実子をもうけた」みたいな人の話を何かの本で読んだことある。まあ切ったものが生えるはずは無いので、最初から付いてたんだろうな、と笑った記憶がある。誰だったかなアレ
元々は遊牧民の風習だったらしいね。恐ろしい。
レジェンド宦官という聞きなれないパワーワード
司馬遷の「せん」は騙馬の「せん」だった!?
「殷 宦官」が予想以上にパオーンだった
宦官と科挙 中国の2大ロマン
宦官の文化があった国って基本的に大国が多く、宮廷の規模もデカいから男性が入れないような空間でも男性の力が必要とされる部分が多いのよね
またどれも文明が進んでいたから去勢する際、必要とされる高い医療技術を有していたってのもある。
とはいえ現代の男からすれば聞いてて震え上がる文化なのは間違いないのだが・・・
政治の問題については、日本の戦国大名みたいな家臣と言われる側近兼官吏のような存在に宦官がハマったんでしょうね。
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側近が学力テストで来たビジネスでの付き合いしかないのに対して幼いときからの世話係で友達で楽しい遊びを教えてくれるなら王朝を立ち上げた人物以外は流されるんだな。
日本は宦官が導入されず、女性たち多数で“後宮=奥方”を運営していたのが…。
日本の女性は本当に強いと思います。
「皇帝陛下、ここからは重要な話です、人払いをお願いします。あ、宦官は人じゃないので大丈夫。」
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皇帝が外戚に対抗するために身近なところから人材確保しようとすると宦官に目がいくんだなあ
後代、科挙の難易度が苛烈を極めると、宦官として宮中に使える道を選ぶ人も出てきました。
自分の、それこそ命の次ぐらいに大切なブツを切り落としてまで
宮中での立身出世に賭けたぐらいだから、当然、野心に満ち溢れています。
自分の出世が一族の浮沈にも関わってくるから余計に。
で、彼等は科挙に挑戦するぐらいだから、人並み以上に頭も良いし教養もある。
だから皇帝や皇族の側近として重宝され、そこから出世の糸口を掴んでいきました。
宦官のなり方については浅田次郎さんの小説「蒼穹の昴」で、詳しく説明してありましたが、まさにタマヒュンでした。舞台となっていたのは清末だったのである程度、去勢のメソッドが、積み重ねられていた思うが、それでも、相当つらそうだったので、もっと昔だと、死罪から一等減じられて宮刑になっても、結局、死罪と同じ結果になっちゃった人もいたのでは
丁度その本が出た頃六本木のゲイバーで女の子(男の子)達があのシーンで泣いたって言って話題になってた(笑)
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大人に成るほど死亡率は上がるらしい。
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ありがとうございます!
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「前門に虎を拒ぎ、後門に狼を進む。前門拒虎、後門進狼。」(趙弼 評史)なんて故事がありましたね。色々な解釈がある様ですが、前門の虎は「外戚」、後門の狼は「宦官」を暗に示していると聞いた記憶があります。外戚を追い払ったら、宦官が跋扈する様を表している様ですね。動画面白かったです。
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優れた人材を推挙するのが好きで、それでいて決して驕る事が無いのが彼の美点です。
後宮って美女だらけなんかな🤔と世界史の時間にずっと考える高校生のぼくちゃん。
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美女ばかりではないですよ。
美貌を見初められた美女
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時の権力者が皇帝近くに監視要員として送り込む女性
有力者が権力を得るべく送り込む血縁者の女性
…などなどが公称3000人の構成女性でしょう。
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皇帝に力がなくなった時、跋扈将軍みたいな外戚を抑えるには宦官を使うしかないんだよな。
唐朝の代宗の紹介で、daiso のロゴが出てきたの、細かすぎるネタで好き☺️
殷代から清代まで、中国における宦官の歴史は、まるで大河のように長く続いてたんですねぇ😃。今回は楽しみにしていただけあって、とっても勉強になりました👍👍👍。
1つのテーマで三千年を語るのもいいですね
司馬遷・蔡倫・鄭和といったスーパースターよりも
趙高や魏忠賢にどうしても目を奪われるwwwwww
順帝によって宦官が養子をとる事を認められたのが後の曹操誕生に繋がってますね。
曹騰は後漢の名臣と呼ばれる人物を何人も推挙した話もありますが決して清廉な人物などではなく、質帝即位の際に名前が挙がり桓帝擁立の際に再び候補者となった評判の良い清河王劉蒜ではなく蠡吾侯劉志を擁立するよう(後漢最大の外戚)梁冀と共謀して即位させたという経歴があります。その後の梁冀誅殺前後の頃には綺麗にフェードアウトしているので処世術に長けた人物だったんでしょう。
宦官について知りたければ蒼穹の昴という小説がおすすめだぜ
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書き忘れたけど西洋で去勢と言えばカストラート
あのベートーヴェンもあわやカストラートにされるところでした
次第に必要性が薄れて絶滅の道を辿りますがそれでも20世紀まで存在しました
蔡倫とかの馬鹿みたいに優秀なやつもいるけど基本的に悪影響が大きいイメージ
最後の宦官、孫耀庭(1902~1996)をモデルにした香港映画「チャイナ・フィナーレ/清朝・最後の宦官」(中国最後一個太監)(1987)があります。主演はモク・シウチョン。アンディ・ラウ(革命家役)やサモ・ハン・キンポー(上司役)も出演してます。
中共建国後は、封建制の被害者として丁重に扱われたようです。
みんな大好き三国時代末期の蜀に現れた黄皓も忘れないで(蜀滅亡の原因)
日本ではあまり無いけど、武断政治が続いたというのも理由にありそう。
日本に宦官制度が導入されなくて良かったです(*^^*)
1:30 いつものように「霊夢 宦官大好き!」とならないかヒヤヒヤしましたが言わなかったので安心しましたw
前漢の武帝の肖像画のように皇帝の左右を宦官の侍従(?)が補佐する構図って魏晋南北朝、隋唐の時代まで続きますよね。
後の時代にまとめて描いたようなタッチですが、なにか決まりがあったのでしょうか?
楽しく勉強になる動画をありがとうございます
ご支援ありがとうございます!
ご厚意、大変励みになります……!!
鳥人間さんの動画は誤字脱字、読み違いイントネーション違いがほとんどないからラジオ的に聴いてるだけでも内容が違和感なくすっと入ってくる。
そーゆうチャンネルって案外ないんですよねぇ
…って書いたらみちおに違和感バリバリでしたわ(笑)
宦官同士の争いも激しくて、出世しても同僚に地位を奪われるリスクが絶えないし、小間使いや奴隷の境遇のままで終わるのが大多数。一見華やかな宮廷も厳しそうです。
きっと麻酔など殆ど無かった頃のこと。
衛生への配慮だって貧弱だったろうし。
それを踏み越えた勇者には怖い事ナシ。
現代では絶対に理解不能な歪んだ意識。
面白かったです。
客家の歴史とかも見てみたいです。
アッチの欲望の代わりに、
出世欲、金欲、物欲等々、あらゆる欲望が強くなってしまうのでしょうかねぇ。
若い時に取ればとるほど喉仏が発達せず中性的になる。
破傷風により無事宦官になる可能性は低かった。尿道に栓をしておしっこを
耐えていた。
中年になるとホルモンバランスが崩れ筋肉が発達せずおっさんかおばさんかわからない風貌になる。性格もヒステリックになる。
子孫を残せない絶望は儒教的な背景も含めて非常に深く、それを埋めるために権力欲に走る。等々…。
宦官の皇帝の一番近くに居て皇帝を操りやすいという1番の強みが、同時に皇帝に依存しているので皇帝が変わると次代に権力を維持できないという最大の弱みでもある気がする。
日本だと…江戸期の“側用人”が近いと考えますが、やはり『夫れ事独り断むべからず。必ず衆とともに宣しく論ずべし』(十七条憲法より)の国がらなので、1人の人物に圧倒的権威&権力を得る事が少ない点もあるかと。
皇帝側にとってはメリットだけどね
途中で邪魔になっても自分の一存で処しやすいっていう
やっぱり趙高がぶっ飛んでる感は否めない
モンゴル軍も去勢したオス馬を戦闘に使っていたと聞いたことがあります。
去勢したら、馬力はメスより強く、性格は大人しくなるとか。
そういう家畜・牧畜の文化から生まれたのかもしれませんね。
日本になじまなかったのもなんとなくわかる。
今も競馬で騙(せん)馬にした理由として、よく言われてます。
『気性がどうにも荒い』
『走るフォームが硬い』
…など。
@@bingosaru 海外の場合、障害競走に出るから安全のため去勢(基本的に牡の障害競走馬は騙馬)、種馬失格により現役復帰で要らないから去勢、という例がありますね。
@@bingosaru レガシーワールドには何度もお世話になりました(笑
結局後宮の管理に宦官が必要でそこで皇帝とつながりが出来れば権力や利権が産まれるんだな。
個人レベルで見ると宦官になってなおかつ出世の道も閉ざされ一生使用人として終わるとかあまりにも酷いから
同情的に見る人も居たのかも、そう言う人が皇帝とかになると宦官を重用したのかもなぁ。。。
宦官は高校世界史の資料集で見た清朝宦官の写真がなんかめちゃくちゃしわくちゃで笑顔で写ってたのが印象深いですね。
去勢といっても袋を切ってタマを抜き取るだけだと思ってたのでwikipediaで宦官の全裸の写真を見てヒエッとなりました。
司馬遷は小学校にあった歴史漫画で「史記」完成の為にあえて潔く宮刑を選ぶという描写があったので屈辱に思ってたのは意外でした(執筆中も「ヒゲ生えなくなってきたな」と冷静にいってた)。
レジェンド宦官というパワーワードw
やはり宦官のイメージは鄭和よりも十常侍などの方が際立ちますね。
宦官といえば、蔡倫と鄭和と王承恩以外はロクなのがいない印象・・・・・
(司馬遷は壮年期にペナルティとして去勢されたので、成人前に去勢されたケースが多い一般的な宦官とは同列には扱えないかと思っています)
唐末~五代の張承業のような忠義の人もいるのですが…まあ一般的にはそういう印象になりますよね。
曹操の祖父曹騰も入れてあげてください。
@@sa-oq7ci
曹操の父親が宦官の養子だったのは知ってましたが、業績をよく知らないもので・・・・・😅
宦官の作り方は横光先生に教えてもらいました
最初はおそらく、征服した異民族の誇りをへし折り漢民族に精神的に屈伏させる意味合いがあったんじゃないかなと思ってます。男なら誰しもソコを失うのは怖いんだ…
共産党「大胆な異民族の去勢は中国の伝統だった...?」
ED治療薬とか「バイアグラ」とか…やはり男性の象徴を機能させることに“こだわる”のは“種の保存”に関わる本能的なモノなのでしょう。
宦官の有用性が全くなかったら、色々制限してでも用いようという判断には至らないだろうし、無視できないくらいの有用性はあったのかなあ……
唐突のゆっこで喜ぶオタクわい。小説だけど浅田次郎の蒼穹の昴は過酷な科挙受験や自宮宦官の壮絶な習慣とかが楽しめる名作です。
もちろん善良な者も大多数存在するが、一部のせいで非常に悪目立ちする存在。
清は宮廷においてもボーイという家政を司る役職を置き、宦官はそこで后妃の世話に限定されたらしいですね。
胡亥と趙高の最恐タッグ好き
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こんな感じの動画があるのは助かる
土木の変に焦点を当てた動画が観たい
古代の文字はどれもなんとなくそうかな?くらいにしか初見では理解できないものが多いけれど
動画の冒頭で象さんに一部隠された殷の甲骨文字は他の何かを連想する余地なく理解できた。
動画お疲れ様でした。
朱元璋が抑止させようとし永楽帝によりなかった事にされた宦官抑止策を、家臣との問答の際に誰よりも朱元璋を評価した順治帝が確立に成功したというのも感慨深いですね。
そもそもで満州民族が包衣がいて宦官に依存する必要がなかったのも大きいですが
家臣が学力テストで選ばれた人しかいなかったのが皇帝を孤独にしたんだろうな。
漢王朝は外戚の脅威とのバランスで宦官が強くなったけど。
すみません包衣はなに?
@@小沢プロミネンス 八旗の中で家政を担当する下級旗人の事です。
主人に支えて身の回りの世話・雑用・資材調達・土地の管理や警備を行う実質使用人です。
このシステムがあったから宦官に頼る必要が無かったのが清朝でした
@@小沢プロミネンス
包衣は満州貴族たちの男女家奴たち、男子は去勢されない
出自はお主に捕虜、身売りされてる
仕事は主人たちの身の回りの世話、雑用係、たまに土地屋敷の管理や警備を任されていました。
包衣同士は結婚できる、身分は旗人より低いですが庶民より上。
@@小沢プロミネンス
満州族貴族が抱えてた召使いのこと
【あそこを…】と聞いて【あそこ】がキュッと成ったのは私だけではない😱
制度として語るなら宦官のライバルである官僚を生み出す科挙も欠かせないので是非
士大夫史気になる
宦官「切っても切り離されない・・・まぁ切り離されてるんですがね」
蔡倫や鄭和等の一部を除いて宦官に良いイメージがなかったが、この動画を拝見して負のイメージはより確固たるものとなった。それにしても、東は朝鮮やベトナムまで広まりながらなぜ日本には広まらなかったのだろう。遣隋使や遣唐使で渡った日本人たちも宦官は見かけたはずだが、もしかするとそのときにこれは真似しない方が良いと考えたのかもしれないし、賢明な判断だったと思うのは私だけだろうか。
日本で宦官がいなかったのは去勢してなおかつ生かしておく医学技術がなかったということと、そもそも天皇が権力維持を目的として宮中で粛清しなければならない強力な将軍が少なかったというのが大きいと思います。宮中で殺された将軍は蘇我入鹿くらい。その後強力な将軍が活躍しだしたころには天皇に権力がなくなっていたという。足利義満とか織田信長とか天皇の権力を脅かした将軍は謎の死を遂げましたがそもそも彼らとて日常的に朝廷に詰めていたわけではありません。天皇に守るべき権力がなかったため宦官を導入する必要性がなかったからだと思います。
日本には家畜の去勢文化すらなかったので、人間のそれなんてのはとてもじゃないけど受け入れられなかったのでしょう。
@user-oi5dt9tt8d
明確に拒否したからだと思う。日本は動物の去勢も拒否して受け入れなかったから。それで大陸のような大規模な家畜の利用というのは成立しなかった。
日本の場合は水域が身近に多く降水量も多いから、海や川を利用した水運でかなりの役割をカバー出来たからそれで良かったんじゃない?
アフリカのどこかの国からヨーロッパの近代的畜産を学びに行った畜産家たちが、人工授精をひどく嫌悪していたなあ。数年前のNHKかどこかのドキュメンタリー番組だったと思うけど。
業績を上げるには必須の手法だから、ヨーロッパの畜産家たちは「人工授精無しで改善なんて話にならない、絶対必要だ」と、ドン引きされた事に怒ってたよ。それで「家畜から自然交配(雌雄の集団で放置して殖やす手法のこと)の環境を奪うなんて動物に対して非人道的過ぎる」と凄い雰囲気で議論になってたよ。
宦官の話かーって乗り気じゃなかったけど、面白かった。
中国史に宦官あり。しかし、日本は何故この文化を受け入れなかったのだろうか。正解だったと思うが。
中国史を知れば世界に平和が来ることはないってよくわかる
3:00は民族浄化でしょう。藤崎版『封神演義』の太公望はこれを逃れた異民族設定だったが案外外れてないのかも?
殷代に宦官がいたとは大変興味深いです。もしかし夏にもいたのかもしれませんね。宦官の起こりは一体どこのどなたなのでしょう?
悪逆無道の宦官の中では趙高と魏忠賢のツートップが最強で中華最大の大航海という偉業を成した鄭和も霞む勢いですね。あと宦官の甲骨文字を検索しましたがあれは出せないですよね。…だってそのままだったんですからw
あぁ、日本に宦官がいなくて良かった…と、本気で思う。しかし、今回の動画は宦官に限らない普遍的な教訓を沢山含んでいる。
なかでも、現代にもそのまま通じるのは、どの様な属性の集団や人物であっても、専横へ走る要素を多かれ少なかれ必ず持っていること。
そして、どの様な組織や法制度であっても、功罪を別つのは運用次第だと云うこと。
それらを一言で纏めるなら「やり過ぎちゃいかん」に尽きる。
日本には宦官はいなかったが、乳母と外戚が官僚と権力闘争を繰り広げ朝廷を傾け…なんて事を繰り広げてきた歴史があるので、他所の事ではないのだな。
つくづく、人間と云うのは業の深い生き物だ。
豎刁の「自ら宮して」の説明のところで「自宮自足」という造語が浮かんでしまった。自ら去勢して権力欲を満たすこと、って感じに使えませんかね...
宦官といえば明朝は永楽帝の靖難の変時、スパイ組織として力を持っていったけど、清朝みたいに分離したら上手く利用できたんかなぁ
鳥人間さんの動画を視て思ったのが、歴代王朝が滅んだきっかけに宦官が影響してると気付いたのは会社の中でも俺を含めて数人くらいだと思う。
宦官確定ガチャはないのか…
あと遣唐使最大の功績が宦官を持ち込まなかったこととかいう評価があった気がする。他の人も言ってるかもしれないけど
それなら、sssスーパーレアは曹騰・張蚝・イシハ・董海川辺りがお薦めです。
つくづく日本でこれが用いられなかった事が不思議でならない
日本は血の穢れを嫌うので、宦官は受け入れられなかったという事です。
よくよく考えたら日本は女性を財産の一つとしてモノ扱いせず、後宮作らなかったからってのがあるが…女系社会から発展した流れで女性を敬う文化があったから、なのだろうか?
憧れの時計です。
こんなにいくら規制してものさばった宦官が近代にすっぱり消えてしまった…
皇帝がいなくなったからね
(国家主席の地位は世襲されない)
やはり凶悪な外戚についても…
単独でイケる外戚もいますから難しいか
宦官のかつての名称である奄人の「奄」という字の篆刻が、どこか男性のアレを切り落としたかのようにも見えるんですよね。文字というのも不思議な分野です。
この動画を見て思ったこと。唐以降、各王朝初代は宦官の力をそぐ政策をとりますが、いろいろあって宦官が復権(あの鄭和の大航海もその一環としての面あり)してしまう流れになってるんですね~。そして日本でいうところの大正時代まで宦官が続くあたり「しぶとい」と感じざるを得ません。その日本はむしろ例外的に宦官がいない国(欧州諸国やインカ帝国にも類似制度ありと聞いてびっくり!)というのにも驚かされました。
中国文化の導入にあれだけ熱心だった日本の朝廷が宦官制度は入れなかったのは大きな意味があるよね。やはり中国の皇帝制度と日本の天皇・皇室制度は大きく異なる制度なんだな。
導入されなかった理由は日本の去勢技術が不十分で致死率が高かったから
18世紀になって日本ではじめて初歩的な去勢馬の技術が身についた
伝世文献を耳で聞いて本当に「田斉で書かれた文献に宦官が詳しく記されていたのか…!」と思ってしまったw
名君のときは宦官は能臣となりイマイチなときは内憂そのものになってしまうのは、腸内細菌にも似てるなぁ。
今日も楽しく拝見させて頂きました。ダイソー、みちおwww それより宦官…おっかないですねー(^_^;)何人かの方たちがおっしゃってますが本当に日本になくて良かったと思います。そして今回のように1つのテーマで時代を流れるのもとてもおもしろいなと思いました。
夜、寝る前に見ています。以前のような長文が大好きなのですが、何か制限がかかったのですか?
宦官が向いている宮中の政治的機能ってどんなものなのかという事が気になりました
それと、しつこくてすみませんが
1:40〜のBGMの曲名を知りたいのです
ご存じの方は教えて下さい
自己解決しました。この曲だったのですね。
これは回答は難しいのもわかります。
th-cam.com/video/Do4pAtDutc0/w-d-xo.html
日本で宦官いないの不思議やね
Thanks!
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ツルツルでもフサフサになるみたい😲
朱元璋はあんなに宦官を警戒したのに...
宦官と、今話題のLGBTとの関わりについても、今後のテーマとして、考察アップをお願いします。
宦官の話題を出したならば宦官と長きに渡って対立を繰り広げた竇憲、梁冀、何進等外戚達の話題列伝の方も是非ともよろしくお願いしますm(._.)m
この動画を観た後、もぎせかチャンネルの『宮脇淳子先生に聞く03』の12分55秒からを観ると…。
「将軍はみんな宦官」「正史を書くのは官僚」「中国人にとって宗族が一番。プライオリティの一番は血族」がキーワードでしょうか…。
それを踏まえると、劉邦や朱元璋の粛清とは…。
宦官が更にお二人お越しになりました。
宗愛「無敵の太武帝拓跋燾を葬り去った私、参上!」
王承恩「威張って言うなこの不忠義者が!」
凡ミスと分かってはいるのですが、「清楚クビライ」がちょっと面白かったですw
やっぱり明は宦官天国でしたw
さっき調べたけど、宦官の甲骨文字ヤバすぎんよぉ。
( ̄▽ ̄;)
猫の去勢は猫が増えすぎないようにするように、やはり元は異民族浄化的なことなんでしょうね。日本に伝わらなかったのは異民族がいなかったから?いやそもそもDNAが大陸と違うし…
異民族の衝突は残酷さを生みやすいですなぁ。
宦官の歴史編おつです
宦官がいた地域や国と日本を比較すると古代の頃に既に骨折の整復手術だったり頭部切開手術をしていた等、外科医療が発達してた国々が多く日本はぶっちゃけ江戸時代の蘭学で外科的治療法を知るまで殆ど存在しなかったのでそういうのも大きいのかなと思った
ご支援いただき、ありがとうございます……!
なるほどなるほど!外科手術が未熟だったが故に宦官が導入されなかったのではないか、という考えですね!これは面白いですねェ~~~
宦官を締めつけ→緩んで宦官が専横→王朝が滅亡…ふりだしに戻る
最初から宦官を宮廷に入れなきゃいいのに…う〜ん
24:18 帰郷くらいで済ませて貰えたんだ・・・・
当時の宦官って解雇はほぼ野垂れ死コースだからなあ
ほっといても死ぬだろ状態だったんだろ
誰だったか武帝が司馬遷に中書令の職を与えたのは李陵の処分が過ちだと分かったから(つまり司馬遷が正しかった)というのを聞いたな。
…後悔先に立たずが多すぎませんかね?武帝
巨根のロウアイもそうだけど、
絶対嘘ついて「ついた」まま宦官やってるやつも居たよね。
何か清末だっけ?康有為と同じ頃に、「宦官として仕えてたけど、なぜか『生えて』きたので実子をもうけた」みたいな人の話を何かの本で読んだことある。
まあ切ったものが生えるはずは無いので、最初から付いてたんだろうな、と笑った記憶がある。誰だったかなアレ
元々は遊牧民の風習だったらしいね。恐ろしい。
レジェンド宦官という聞きなれないパワーワード
司馬遷の「せん」は騙馬の「せん」だった!?
「殷 宦官」が予想以上にパオーンだった
宦官と科挙 中国の2大ロマン