AI写真とプロンプトグラフは違うもの
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 27 ก.ย. 2024
- 「M型教習所」
chum-photo.com...
「萩庭桂太 Your Eyes Only」
keitahaginiwa....
「インダストリア 写真家 萩庭桂太のコレクション」
industria-toky...
「inception」のお買い求めははこちらから
2bh.base.shop/...

『da.gasita』はこちら。
送料無料、定価4959円(税込)
2bh.base.shop/
2BChannel twitter
@2BChannel2019
写真生活
satorw.hatenadi...
インスタグラム
@watanabesatoru2b
とっても腑に落ちる内容でした。
自分の悪い癖なんですが、こういう話を聞くとホルヘ・ルイス・ボルヘスのことを思い出します。セルバンテスと全く無関係にドン・キホーテがもう一度書かれる可能性はあるんだと。少なくとも可能性において、あるフォトグラフィと全く同じプロンプトグラフィが出力されることはあり得るわけですよね。そのときそれらを区別することはできるんだろうか、と考えてしまいます。
最近は テレビは合成で 作った映像が一部分にありますよね。
刑事物で 爆弾の爆発場面。
あと、時代劇で 背景の野原に沢山の兵がいる場面。
作られた場面(写真)が多くなりました。広告の世界も多いと思います。
行為論と主体性の話しに聴きました。
「言葉で認識している」という言語論的転回を考えると、メディア論的転回が考えられます。
さて、写真もpaint a picture、take a pictureもプロンプトグラフィーも、鑑賞者は区別ができません。
出力先に区別できない時、同じものと考えるのは乱暴でしょうか?
んー、プロンプトであまたの写真を細切れに重ねるのが生成AIでしたっけ。元々の材料は写真なんだけどLLMするとプロンプトグラフっていう理解ですかね。
そうすると、比較明合成などは、人がやってるのでフォトグラフかな。Photoshopのレイヤーも、アナログの覆い焼きもフォトグラフになりますね。
そうするとモデルさんは写真で背景はAI生成の場合は写真の部類に入るんでしょうか?