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日露戦の時も、露軍は常に乃木軍が何処にいるかを気にして恐れていた。そして、あの自軍にも多大な犠牲が有った際どい戦闘を、最後まで高い士気を保ち軍をまとめたのは乃木将軍の人徳の高さ。
乃木希典大将は自分は大好きな偉人です‼️
司馬遼太郎はノモンハンでソ連と戦った際、上官のあまりに無計画、無理な作戦で多数の戦死者が出たことに強い憤りをもっていたから、それと203高地の乃木の作戦が重なったのかもしれない。
司馬遼太郎の小説を史実と勘違いするのは、いまどきの大河ドラマを史実と勘違いするのと一緒。
実際に信じている人がいるからねぇ 盲信。
小説でしよう.?学術論文じゃあるまいし。
乃木大将より毛利敬親公をそうせい侯と揶揄しているが、ものかき、戯作者の域をでないのが司馬と思う。歴史家ではない人の説が歴史として定着している日本の歴史。もっと歴史学者は頑張らないといけませんね。
「坂の上の雲」にはやたらと天才が出てきますが根拠実績が全く示されていません。乃木大将の実績は検証すればするほど素晴らしいことが分かってきます。
そうですね、愚将論はとんでもない話です。従軍記者スタンレーヴォジュバン「乃木大将と日本人」がお勧め。
埼玉県和光市の熊野神社(神瀧山清龍寺不動院)で桂総理と一緒に滝行をされて必勝祈願されてますね。神瀧山清龍寺不動院は徳川家康の守護を祀ってるとは言われてます。不動明王なんですが…徳川家康は妙見信仰なので、恐らく本当は妙見菩薩を祀っていた場所だと思います。真北の方角に向かって参拝をする形からも不動信仰ではなく妙見信仰です。恐らくは?寺が管理をしていた為にこのような形になっていったとは思います。それは別に構わないのですが…これほどの聖地に対して管理があまりにも悪過ぎる。滝行の池は汚くて、掃除はせず、意味不明な洞窟は作るは、稲荷は祀るは、仏は祀るは、汚い・ボロい・管理者は仕事しないで酷いもんです。これほどの文化的遺産が管理者のエゴで汚されて行くのは見るに耐えない。どうにかならんもんですかね…
司馬史観ね。私的には彼の小説は面白いけど時代小説、決して歴史小説ではない。
エンタメですね
私的な個人の意見が雪だるま式に喧伝された。
時代小説と歴史小説の定義の違いは?小説は小説でしよう?
203高地は乃木将軍の人間性がなかったら落とせなかった。前線を自ら視察し、部下に文句を言いたくてもじっと我慢して耐えていた。日露戦争で二人の息子さんを二人も亡くしている。トップが偉くなかったら部下は死地に赴くことはできない。
自分の先祖は、乃木大将と同じ長府毛利の出身であるから、大将を辱める司馬は赦せない!
いくら小説でも司馬は酷いね。
私が尊敬する、近代日本(明治以降)の偉大な先人、五人を挙げると・・・。一に明治のすめらぎ、二に昭和のすめらぎ、三に乃木希典、四に西郷隆盛、五に東郷平八郎、です。司馬氏の「坂の上の雲」は小説としてはなるほどなかなか面白いとは申せ、同じ日露戦争にスポットを当てた小説としては、私は児島襄氏の「日露戦争」のほうを断然押します。
日本国自体を否定的に観ていたあの進歩的知識人全盛の時代に司馬遼太郎氏の登場によって日本史に再び光があたったことは事実だが、福田恆存氏が乃木希典を擁護、司馬批判をしたことを記憶している。
日本の正史🇯🇵
3月14日の日に靖国神社で突然お声をおかけてしまい申し訳御座いませんでした いつも勉強させて頂いている お礼がしたかったので 失礼致しました
何を言ってるの?何をやってるの???坂の上の雲の小説内でも論理的に矛盾した表現になっているんだけど?そこに気付けば、あぁ・・・たぶんこれ間違ってると小説を読めば誰でも分かることですが?いったい何をやってるの?15年ぐらい前にネット上でちゃんと説明してた側なんだがwというか、乃木希典じゃなくて伊地知幸介への評価が酷い点があると思いますが、NHKスペシャルドラマでは伊地知幸介役は村田雄浩さんでしたけど、どうでしたかね?
司馬遼太郎氏が悪いのではありません。悪いのは「読者」です。小説の内容をそのまま史実だと信じるのはいかがなものでしょう。私のような「司馬史観」の信奉者でもそこら辺の分別はつきますけどね。
日本を貶める奇妙な勢力が垂れ流す出鱈目を鵜呑みにする読者は仰有る通り悪かも知れませんね。司馬遼太郎が出鱈目な数字を持ち出した珍説がその後に踏襲され続け定説にされてしまっていたりしていますからね。でもしかしそれを発信した張本人が悪くないとは思えません。
有名な『轢き殺してしまえ』でしたか、アレも後にこっそり否定したようで。私は歴史家ではない、歴史小説家だと。読書に事実かのように誤認させる事でエンタメとして盛り上げるのも売れる手法としては正しかったのでしょうが、それで棄損された個人団体国家の名誉が存在し、それを食い物に売上を伸ばした図式は否定しようが無いと思います。
司馬さん自身も「これは歴史書では無くて小説です」とおっしゃられています。
いや、小説であっても歴史小説である以上は史実と異なる内容にして誤解を与えるのは読者より筆者が悪いと言わざるおえないでしょ。
@@明伊藤-d3h 出版社に口聞いてくれるなら全然いいよ。なんなら無給でも良い。
小説家に文句言うのは筋違い。文句言うなら軍事史家にいうべき。
いや22歳で少佐って時点でバリバリの情実派閥人事じゃん(笑)まあ司馬さんの乃木希典評価ってのは客観的に見るとかなり偏向してるんだろうけれどもそんな名将と言えるほどの作戦遂行能力があったとも思えんな。お飾りとしては適任だったんだろうが。
第一次世界大戦で損害の山を築いて3年目4年目に発見された定理、発明された戦術を使ってたから名将なのは間違いない。 したがって旅順攻略戦では守備側のロシア軍が急速に兵力を消耗していく不思議な現象にロシアの軍と皇帝高官は恐怖した。 奉天会戦では黒木軍、奥軍が撃退されたところ、乃木軍だけが突進できたのは乃木の戦術思想の先進性に依る。お飾りではない。陸大で教えていたのはWWⅠ1年目の戦術だったわけで参謀・師団長はその思想に染まっていた。乃木は、陸大卒ではない技官あがりの伊地知参謀着想のWWⅠ3年目の戦術思想を採用し司令部内をその戦術思想に染め、各師団長とその幕僚には労力をかけて説得している。
少佐になれたのは当時仲の悪い薩摩人のおかげよ
@@よく見る顔 そうなの?
@@deeeeeeebuu 薩摩人の黒田清隆に推挙されて少佐になったんだけど、当時は長州と薩摩は犬猿の仲だからかなり異例
多くの兵士を戦死させたのは無能かも?
乃木さんというより第三軍参謀の伊地知さんが無能扱いされていたような、、まあしかしロシアの機銃掃射の前に、只々突撃を繰り返して一回の攻撃で一個師団分、15000名という死傷者、損失を出したのは司令官として如何なものでしょうね。当時日本は20個師団しかないという有様だったと思います。
第ゼロ時世界大戦と言われてる所以。産業革命の成果により大量破壊兵器が登場し被害想定がそれ以前の戦闘とは全く違った。
しばきアゲ太郎?😂東郷平八郎所縁の者です。母親から何度も聞かされたのが、梅干しが好きになるまで食べさせられた乃木少年の事です。東郷平八郎が一番心に残っていた事だと感じます。
日露戦の時も、露軍は常に乃木軍が何処にいるかを気にして恐れていた。
そして、あの自軍にも多大な犠牲が有った際どい戦闘を、
最後まで高い士気を保ち軍をまとめたのは乃木将軍の人徳の高さ。
乃木希典大将は自分は大好きな偉人です‼️
司馬遼太郎はノモンハンでソ連と戦った際、上官のあまりに無計画、無理な作戦で多数の戦死者が出たことに強い憤りをもっていたから、それと203高地の乃木の作戦が重なったのかもしれない。
司馬遼太郎の小説を史実と勘違いするのは、いまどきの大河ドラマを史実と勘違いするのと一緒。
実際に信じている人がいるからねぇ 盲信。
小説でしよう.?学術論文じゃあるまいし。
乃木大将より毛利敬親公をそうせい侯と揶揄しているが、ものかき、戯作者の域をでないのが司馬と思う。歴史家ではない人の説が歴史として定着している日本の歴史。もっと歴史学者は頑張らないといけませんね。
「坂の上の雲」にはやたらと天才が出てきますが根拠実績が全く示されていません。
乃木大将の実績は検証すればするほど素晴らしいことが分かってきます。
そうですね、愚将論はとんでもない話です。従軍記者スタンレーヴォジュバン「乃木大将と日本人」がお勧め。
埼玉県和光市の熊野神社(神瀧山清龍寺不動院)で桂総理と一緒に滝行をされて必勝祈願されてますね。
神瀧山清龍寺不動院は徳川家康の守護を祀ってるとは言われてます。
不動明王なんですが…
徳川家康は妙見信仰なので、恐らく本当は妙見菩薩を祀っていた場所だと思います。
真北の方角に向かって参拝をする形からも不動信仰ではなく妙見信仰です。
恐らくは?寺が管理をしていた為にこのような形になっていったとは思います。
それは別に構わないのですが…
これほどの聖地に対して管理があまりにも悪過ぎる。
滝行の池は汚くて、掃除はせず、意味不明な洞窟は作るは、稲荷は祀るは、仏は祀るは、汚い・ボロい・管理者は仕事しないで酷いもんです。
これほどの文化的遺産が管理者のエゴで汚されて行くのは見るに耐えない。
どうにかならんもんですかね…
司馬史観ね。私的には彼の小説は面白いけど時代小説、決して歴史小説ではない。
エンタメですね
私的な個人の意見が
雪だるま式に喧伝された。
時代小説と歴史小説の定義の違いは?小説は小説でしよう?
203高地は乃木将軍の人間性がなかったら落とせなかった。前線を自ら視察し、部下に文句を言いたくてもじっと我慢して耐えていた。日露戦争で二人の息子さんを二人も亡くしている。トップが偉くなかったら部下は死地に赴くことはできない。
自分の先祖は、乃木大将と同じ長府毛利の出身であるから、大将を辱める司馬は赦せない!
いくら小説でも司馬は酷いね。
私が尊敬する、近代日本(明治以降)の偉大な先人、五人を挙げると・・・。一に明治のすめらぎ、二に昭和のすめらぎ、三に乃木希典、四に西郷隆盛、五に東郷平八郎、です。司馬氏の「坂の上の雲」は小説としてはなるほどなかなか面白いとは申せ、同じ日露戦争にスポットを当てた小説としては、私は児島襄氏の「日露戦争」のほうを断然押します。
日本国自体を否定的に観ていたあの進歩的知識人全盛の時代に司馬遼太郎氏の登場によって日本史に再び光があたったことは事実だが、福田恆存氏が乃木希典を擁護、司馬批判をしたことを記憶している。
日本の正史🇯🇵
3月14日の日に靖国神社で突然お声をおかけてしまい申し訳御座いませんでした いつも勉強させて頂いている お礼がしたかったので 失礼致しました
何を言ってるの?何をやってるの???
坂の上の雲の小説内でも論理的に矛盾した表現になっているんだけど?そこに気付けば、あぁ・・・たぶんこれ間違ってると小説を読めば誰でも分かることですが?
いったい何をやってるの?15年ぐらい前にネット上でちゃんと説明してた側なんだがw
というか、乃木希典じゃなくて伊地知幸介への評価が酷い点があると思いますが、NHKスペシャルドラマでは伊地知幸介役は村田雄浩さんでしたけど、どうでしたかね?
司馬遼太郎氏が悪いのではありません。悪いのは「読者」です。小説の内容をそのまま史実だと信じるのはいかがなものでしょう。私のような「司馬史観」の信奉者でもそこら辺の分別はつきますけどね。
日本を貶める奇妙な勢力が垂れ流す出鱈目を鵜呑みにする読者は仰有る通り悪かも知れませんね。司馬遼太郎が出鱈目な数字を持ち出した珍説がその後に踏襲され続け定説にされてしまっていたりしていますからね。
でもしかしそれを発信した張本人が悪くないとは思えません。
有名な『轢き殺してしまえ』
でしたか、アレも後にこっそり否定したようで。私は歴史家ではない、歴史小説家だと。
読書に事実かのように誤認させる事でエンタメとして盛り上げるのも売れる手法としては正しかったのでしょうが、それで棄損された個人団体国家の名誉が存在し、それを食い物に売上を伸ばした図式は否定しようが無いと思います。
司馬さん自身も「これは歴史書では無くて小説です」とおっしゃられています。
いや、小説であっても歴史小説である以上は史実と異なる内容にして誤解を与えるのは読者より筆者が悪いと言わざるおえないでしょ。
@@明伊藤-d3h
出版社に口聞いてくれるなら全然いいよ。
なんなら無給でも良い。
小説家に文句言うのは筋違い。文句言うなら軍事史家にいうべき。
いや
22歳で少佐って時点でバリバリの情実派閥人事じゃん(笑)
まあ司馬さんの乃木希典評価ってのは客観的に見るとかなり偏向してるんだろうけれども
そんな名将と言えるほどの作戦遂行能力があったとも思えんな。
お飾りとしては適任だったんだろうが。
第一次世界大戦で損害の山を築いて3年目4年目に発見された定理、発明された戦術を使ってたから名将なのは間違いない。
したがって旅順攻略戦では守備側のロシア軍が急速に兵力を消耗していく不思議な現象にロシアの軍と皇帝高官は恐怖した。
奉天会戦では黒木軍、奥軍が撃退されたところ、乃木軍だけが突進できたのは乃木の戦術思想の先進性に依る。
お飾りではない。
陸大で教えていたのはWWⅠ1年目の戦術だったわけで参謀・師団長はその思想に染まっていた。
乃木は、陸大卒ではない技官あがりの伊地知参謀着想のWWⅠ3年目の戦術思想を採用し
司令部内をその戦術思想に染め、各師団長とその幕僚には労力をかけて説得している。
少佐になれたのは当時仲の悪い薩摩人のおかげよ
@@よく見る顔 そうなの?
@@deeeeeeebuu
薩摩人の黒田清隆に推挙されて少佐になったんだけど、当時は長州と薩摩は犬猿の仲だからかなり異例
多くの兵士を戦死させたのは無能かも?
乃木さんというより第三軍参謀の伊地知さんが無能扱いされていたような、、まあしかしロシアの機銃掃射の前に、只々突撃を繰り返して一回の攻撃で一個師団分、15000名という死傷者、損失を出したのは司令官として如何なものでしょうね。当時日本は20個師団しかないという有様だったと思います。
第ゼロ時世界大戦と言われてる所以。産業革命の成果により大量破壊兵器が登場し被害想定がそれ以前の戦闘とは全く違った。
しばきアゲ太郎?😂
東郷平八郎所縁の者です。母親から何度も聞かされたのが、梅干しが好きになるまで食べさせられた乃木少年の事です。東郷平八郎が一番心に残っていた事だと感じます。