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やはり、来世でできるだけ苦しまずに済むように、現世でできるだけ悪い行いをしないように努力することは重要なことなんだと思いました。
大好きだった祖母が93歳で亡くなる前日に意識が戻った。孫の私にだけ、ありがとうよと何度も言う。その時はわからなかった。30年経って、祖母に感謝しています。私は外孫ですが、祖父とそっくりです。その思い出を家族は笑いながら言います。爺ちゃんがお迎えに来たと思ったんだよと。死は悲しいが怖くない。誰かに感謝して逝ける人生でありたいと思う。祖母は臨終の在り方を示してくれました。
ものすごく勉強になります。40半ばになって今更になって仏教の教えが、求めていた学びに近い様なものと思えて毎日見ています。ありがとうございます。
人間の本質の話有難うございます。私も老人なので人々の臨終の姿を拝見しました。色々な表情の人々が思い浮かびました。母とは95歳まで一緒に暮らしました。(ブランクは三年ぐらい)しかし母の顔は考えられない本当に美し顔立ちでした。人は最後は色々な表情を見せるものです。行った先がとても幸せな場所だったのかも知れません。ただ生前の母に言いそびれた言葉は心の中にあります。
深すぎるお話です。菊谷さん!いつも有り難うございます。🙇
今日の内容はちょっと難しい内容でした。
素晴らしいです。 感じ方が非常に似ていて共感、共鳴しています。 教えも 本質を 上手く表現されています。
とっても勉強になりました。感謝致します。今後も仏教の解りやすい解説をお願いします。本当にありがとうございます。
2人の子供がりつぱに成長して成果しているのを見ると思いも無く安心して死んで行ける様な気がします。先生の仏教のお話し解りやすく始めて何か解つた様な気がします。
人生は楽しいけど手間です。毎日、寝落ちしています、亡くなるその日も眠る様に肉体を離れたい。ありがとうございます。
菊谷先生本日もありがとうございます。7の習慣という本で「終わりを思い描くことから始める」という習慣が勧められてますが、死について考えることは今をより良く生きるためにとても大切で意味があることだと考えます。
「the end」ですね。最終目標という意味で使っていますが、究極的には「死」だと私はあの本から受け止めます。
先生いつもありがとうございます。今後も楽しみにしております。
人間がいくら努力しても変えることができないのが誕生と死。親は選べないし気が付いたら自分はこの世に生きていて、一生懸命人生を生きるが、最後に例外なく死を迎えざるを得ない。つまり人生はプロセスはいくらでも努力で変化し得るが、スタートとエンドだけは変えられない。拙者もついに古希になり、この講義を拝聴して、つくづく感じ入ったでござる。
確かに死んでしまえば肉体も家財産も社会的な地位などもすべて返さないといけませんね。大切な水や空気などもすべて天から与えられたもので自分のものではない。この世に生きて、与えられるものはすべて借りているのであって最初から自分のものと言えるものは何一つないと言えます。そう悟ってしまえば生きることも死ぬことも大変楽になります。心が澄み渡って人生の真実の姿が見え、大切なこととは何かがわかる気がします。
お話を聞かせて貰うといつも心が穏やかになります。
それは菊谷さんがいつも微笑をたたえて離されていることもありますね。
主人を なくし道 を さまよって いましたがyoutube☀️は 本当に ありがたくて視聴 させて 頂いております☀️🙇菊谷 先生 ☀️ ✨いつも ありがとうございます✨🙇
人は臨終の時がわかるのでしょうか? 突然死の方や、また病気でなくなっていく人でも自分の臨終が見えるのでしょうか。それがわからないと、この質問は答えられな様な気がします。いつ時でも与えられた人生に感謝し辛いこともこれが良いことになると確信できる生き方を続けていけたら、最後だとはしらなかった目をつぶった時、息を終えた時も同じ思いなのだろうと考えます。何時も魂に嬉しいお話をありがとうございます。
改めて死が近い将来自分にもやって来ると言う事を教えてくれました。ありがとうございます。
私を生んでくれて私を愛おしく思ってくれた私の親でさえも今日のような大切な話をしてくれたことは無く、私にしても我が愛おしい家族に語って聞かせてあげることは何故だか出来ない尊いお話でした。心の在り様をもっともっと客観的に見直すべきか。
生まれるのも、1人、死ぬ時もひとりと、言う話は、良く聞きます執着をもたず!ありがたいお話ですが、1日、1日を大切に😃生きて行くことが大丈夫何だと、思いました。大切な家族、父親を54才で突然亡くし、弟を56才で亡くし、母は93才ですが認知症になり、私の名前も忘れコロナで、なかなか直接あえませんが、人間の尊厳として、人生を生きて欲しいです、残された一人の母なので、最後まで見てあげたいてす。私も62才になり😅孫の子守りと、両方で疲れますが🎵頑張ろうと思います。🙏
三愛初めて聞きました。 本当に、暗いと恐いです。ありがとうございました。🙇♀️
ありがとうございました。 これでまた安心して生きていけます。
人間に生まれて良かった。魂波長と云う意識を感動させたい😂😢😆🥺🤭堪能したいと思いました。
とても深い話をして頂き、有難うございました🙏。主人が亡くなり、主人からは私を通しての生を学び、私は主人を通しての死を学んでいるのではないのかと思います。また仕事柄、人の死までの段階を関わってきましたが、どの方も口では「早く行きたい」と言われていますが、身体は生きたがっていることを感じています。✨
釈尊が「三愛」を説かれていることを初めて教えて頂きました。自体愛、当生愛はあるだろうなあ、と思います。やはり生死の一大事の解決を求めて、仏教を聴かせていただくしかないですね。ありがとうございました。
しっかり聞きぬいてください。今後ともよろしくお願いいたします。
今回も大変に勉強になりました。ありがとうございました。
菊谷講師、ありがとうございました。
菊谷氏有難う御座います🙇🏻♂️65歳ですピンコロを目指して今も働いています働く事は勿論お金の為では有るけど働く事を辞めたら堕落の道を歩む様な気がして仕事故に自分に厳しく修行の気持ちで働いています。3人の妻素晴らしい例えです理解しました執着心は臨終の時迄有る様ですが南無阿弥陀と称えて現世にすべておいて1人で往生します南無阿弥陀いつまで生きれるかな⁉️ピンコロが1番理想です!有難う御座います🙏
南無阿弥陀仏の大船に乗られ、浄土までの航海する、その心を絶対の幸福といいます。
合掌南無阿弥陀仏シェアさせていただきました🙇
生きているからこそ、死を未曾有な闇の世界に彷徨うかも知れないと想ってしまうのでしょうね。もっと安心して☺️安寧に過ごせたら😊と思います。いつも真実にある日々を🙏有難う御座います
ありがとうございました。大変勉強になりました!
素晴らしいお話有り難うございます。私は家族も財産も何もないので、執着するものはありません。「死ぬ15分前に読む本」に死んだらここらの世界に応じていく世界が決まると書いてありました。でも、死ぬのはやっぱり嫌です。怖いです。でもその執着心を捨てられる人になりたいです。お話有り難う、毎回心にジンと響きます。
執着を捨てるというのは聖道的なので凡夫の我々は生への執着は捨てられないのではないでしょうか?親鸞上人はそれで良いと言ってたかと思います。ではどうすれば絶対的な幸福を得られるかは仏法を聴聞するという事だと理解しています。しかし私にはそこがしっくりこない。「死ぬ15分前に読む本」面白いですね。読んでみます
菊谷さん😆心の学びに役に立ちます🙇貴重な素晴らしいお言葉をありがとうございました🙇♂️
どんな人でも、臨終の時は三愛の執着が起きるのでしょうね。ドラマにあるような冷静な死に方、笑顔で死んでいくような死に方ではなく、やはりジタバタして死んでいくのだと思います。死に対する不安と恐怖はなくならいとしても、聴聞を続けていきたいです。ありがとうございました。
先生のご講義を仏法者として、本当に感慨深く拝聴させて頂いております。生と死の考えは本当に様々な思いがあると思います。やはり生物学的に生に対する執着があればこそ頑張れるし、向上心も湧きますし、最終的に死は訪れますが、遠い未来の事の様に考えないと人は生きていけないものではないでしょうか。偉そうにスミマセン、個人的な考えです。聞き流して下さいませ。
祖母を看取ったときに、やっぱり家族がいても一人で行ってしまいました。一番辛かったです。私は忘れることはずっとありませんでした。私もいつか死ぬまで頑張ります。
死期が二週間後の姉を面会15分の日々です。まだ話しも出来、耳も聞こえる状態、少しづつ自覚した話し方に手を握り、昔を語り合い帰ります。寂しいです。先生の講話に癒やされます。
よかったですありがとうございます感謝
Toとてもいいお話しを聴かせて頂きました。ありがとうございました。感謝します
先生のお話身につまされながら聴きました。子供が小学校入学してまもない5月に乳癌の手術をしました。鎖骨下に転移があり絶望のどん底に落ちました。子供が不憫でとにかく生きたいと願い辛い治療に耐えました。ある日夢の中で流れの早い川にその子供が流されていくのです。名前を呼びながら必死に川べりを追いかけるのですが追いつきません。子供の名前を叫んで目が覚めました。このような夢を何度も見ました。3人子供がいて末っ子のこの子の夢ばかりです。その後は棺桶に入れられた私は真っ暗な広ーい宇宙の果てに向かって飛んでいく夢。それがとても気持ち良いのです。その夢を見てから死は怖くなくなりました。子供達も独立しいつお迎えが来ても良い年になりましたが、心静かに旅立てると思います。先生のお話も心に深く刻みつつ。
頑張ってください。とことん生きるのです!
考えされられます…ありがとうございます
ありがとうございます。
私はいつも人に虐げられ欺かれ生きて来ました。親兄弟、姪にまで欺かれ大金を取られる人生でした。もうたくさんです。
生死一如・・・初めて菊谷先生の説法に共感しました。。。これは、一度死に掛けた人間には良く分かる。臨終に何を思うというか、、、その生き様が大切だと思います。死に際に ラオウ「我が人生に一遍の悔い無し!!」って死ぬのが1番です。
そうですね
ラオウの得たものが無碍の一道というものでしょうか。であるならばケンシロウよりもラオウの方が仏に近い存在なのかもしれませんね。
ありがたいお話。ありがとうございます。
菊谷先生、おはようございます。昨日、ご近所の家族が引っ越して行きました。毎日聞こえていた生活ノイズが、突然聞こえなくなると、寂しい気持ちになりました。寝起きに、先生から繰り返し教えていただいている「諸行無常」という言葉を思い出しました。そう思った瞬間に、今まで煩っていた事が、突然懐かしく愛しく思えて来ました。よほど病的になるような事以外は、煩いも存在していて良い(むしろありがたい)のだなって感じました。なんだかわかりませんが、煩悩も悪くないなって思います。ましてや「臨終」の時なんかは、自分の目の前から消えてくれと思えていた事ですら、懐かしく愛しく思えて来るのかな、、、?と、思いました。でも、重要なのは、「諸行無常」という教えを菊谷先生から事前に受けていたということです。それを知らなければ、心に空いた穴の意味がわかりませんから、ひたすら悲しかったり、うろたえた事でしょう。人間同士のつながり(知らない人も含めて)が、こんなにもオモシロイなと思った日はありませんでした。親兄弟、離れて暮らしている娘や、そばにいてくれるネコ、関わる人々に、もっと感謝しようと思いました。菊谷先生、これからも宜しくお願い申し上げます。
もう十数回菊田様の無料講座を視聴させて頂いております。殆んどのこの講座で、最期に、人間は何時か、お釈迦様の達せられた境地にごく普通の一般人でも到達することが出来るんだ、或いは、ある時本当の幸福感を得ることが出きるんだ、というというように締め括られるのですが、ここの処で、私はこういう気持ちになります。なるほどそうか、でも私のような者にはとうていそこまで到達出来ない。 具体的に何をしたらそこに到達出来るのかという説明がされていないからです。仏経者の様な、千日回峰のような荒行をした人にしか、あるいは釈尊の様な人にしか、その様な境地に
続き、にしか出来ないのではないかという、虚しい絶望感を抱かざるを得ません。何かよいてだてはあるのでしょうか 。
とっても勉強になりました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
生きている間、いろいろなことを考えている。臨終の瞬間もそのうちの一つに過ぎないと思う。それに、臨終って本当にわかるのかなあ
とても勉強ぬりました。若い時には遊ぶことばかり考えてきましたが、歳を取るに連れて死を考えるようになりました。後何年いかされてるのかとかね!最近は人生は一度きり悔いのない人生を送るために、元気なうちに自分のしたい事をして過ごしてます、最後の夢はバイクの免許を取り、バイクに乗ることでした、非常に両親が厳しくバイクだけはダメでしたが、64歳でバイクの免許を取りやっと念願のバイクを2日前に買いました。我が人生に悔いはなしです、全て手に入れ、全てやりました。本当に幸せです、感謝しかありません。第2の人生も最高の場を与えてもらえ感謝しかあるません。来世の事はわかりませんが、今日は大変良い勉強になりました。私とまったく同じ考え方でした。やはり最後に近付くと誰しも同じ事を考えるのですね!ありがとうございました!
仏教に説かれている生死の一大事の解決の道を20回の無料メール講座にまとめました。こちらからどうぞ。peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
ありがとうございます感謝します
今日、登録したところ早速の小冊子のプレゼントお忙しい中感謝いたします。秋の声聞くもまだ続く残暑、ご自愛くださいませ。いつか親鸞様と神社でお会いした女性の子孫ではないかと申し出た82歳の主婦より勉強させて頂いております。
ありがとうございました ほんとに
しあわせに、感謝。👀‼️
お疲れ様でございます本当に、いつも 有り難くお話しをして下さり感謝感謝でございます🎶😄勉強になります(*^^*)人って 何十年この世に活きて居ても?💦学って少ないな?💦 思いますこれからも、残りの人生を学び人として 活きて行きたいって思います本日も有難うございましたお疲れ様でございます
今気づきましたが、菊谷先生は左利きですか?なるほどと思いました。仏教の教えを感じ取ることができる感性(右脳)と、その感じたことを伝えられる能力(左脳)どちらも優れていらっしゃる。本当に羨ましい限りです。
菊谷さん、とても学びました。ありがとうございます。 私は、多分まだ精神的に幼稚だからだと思いますが、臨終までに至る期間の方が心配です。具体的には、事故で亡くならない場合、病気・もしくは老衰の場合、暖かい布団の中で清潔に臨終を迎えられるかどうか、です。 孤独死を迎える心構え、のような内容を、トピックが思いつかないときなど、是非お願いしたいです。🙏
先生の仏教シリーズ配信動画を視て色々考えさせらている毎日を送るようになりました。実は7/2に家内が亡くなってしまいました。夜勤帰りで部屋のソファーで少し様子がおかしいと思って近寄って起こそうとしたのですがすぐに悪い予感が当たってもう既に冷たくなっていました。どんな宝石よりも大切な宝物を失ってしまい毎日朝から晩まで生前の彼女とのフラッシュバックが強烈に蘇って気持ちが張り裂けそうな日々です。彼女は亡くなる時、何を言いたかったのかを知りたくてたまりません。どうか先生の所感などがありましたら宜しくお願いします。
菊谷先生ありがとうございました。姉をなくし、自分も病気になつて死を考えさせられています。産まれる苦しみ死ぬ苦しみから逃げれないことは頭ではわかつています。笑いながら死ぬ人はほとんどいないでしようが苦労して生きてきて死ぬときも苦しんで旅立つ人は霊界の良いところにいけるのか?来世はがんばつたぶん幸せな来世になるのか?いつも思います。誰にも分からないこととは思いますが?
有り難うございます菊谷先生深く受け取りました、親父を昨年亡くしております登録しましたよ。
本を読んでみたいですので~よろしくお願いいたします。
菊谷様、何時も有難うございます。私は、死ぬ時にいい人生だったな♥o(^▽^)o~と、思える生き方が目標です。なので💦笑毎日やりたい事、学びたいこと沢山有ります。生きる事は、辛い事を……🤔沢山乗り越えた人=幸せ💞な人だと思ってます。
シェアさせて頂きました🙇♂️
昨日このチャンネルに出会いました。すごく説明が面白いのでチャンネル登録させていただきました。ありがとうございます。よろしくお願いします🤲
いつもありがたい仏教のお話楽しく聴いてます。生死の一大事、死の不安を、解決するには何をすればいいのでしょうか。
幸福の3大要素、健康、財産、愛情、との別れなんですから当然ですね。
当然ですよね。死んだら死んだときさ、死んだほうがまし、とは口では言えど、実際はどうなのか、ブッダの教えから考えていただきたいと思い、今回話をしました。
おはようございます。突然ですが、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが歌っている(慕情)を聴いて下さい。あなたがおっしゃる事を歌っておられます。
軈て臨終の事は考えています、楽な死に方をしたいです、人生振り返れは苦労の多い人生でした。修行が足りないから卒業出来ない、卒業間地かです。
亡き妻の「ありがとう」一言で十分です。私も、子供に、その一言が発せられる器になりたいです。この世から去りゆく時は、「ご先祖様」が、迎えに来られますよ。その器になっておきたく願うのみです。
聴いている時は、そうだな、と思っている自分…がものの、5分も過ぎると、リラックス?。、忘れている。
溺れたり交通事故で2回死の淵まで行きました。それ以降、死への思いが変わり上手く言えませんが「命からの解放」と言う事で、恐怖心、執着心は湧かんと思てます。医学が進めば安全に臨死体験が出来る様になり、誰でも死生感を変える事が出来るかもしれませんね。
本頂きたいです。ありがとうございます。
はじめまして、大変勉強になりました。
母が亡くなって47年になり いまだに親孝行が出来なかったことを後悔してます 供養になることが大変良く分かりました ありがとうございました
解決方法の説明が欲しい!
へー生死一如ですか、すっごい話を聴きました ありがとうございます
「人間は臨終に何を思うか」と言いますが・・・臨終とは、死を迎える直前の時期であって、その時には一般的には脳の働きも極度に弱くなっているはず。そのような状態で何かを思考することなんてことは出来ないでしょう。つまり何も思えないのではないでしょうか!自分の人生を後悔したり、死ぬのが恐い、と思うのは、脳の働きが正常であるにもかかわらず、死を宣告された時の話であって、それはまだまだ臨終とは言わない。
素晴らしいです。
死後の世界は今生きている人間だれも行ったことが無いので、考える必要はない
63歳独身、死ぬ時別れたくない人は誰もいない、大抵の人は誰もいないのではないだろうか。別れたくない人がいる方異常な気がする。
家族を早くに亡くしているからか、死に対する思いは強く持っています。 自分はどうやって死ぬんたろうか? 痛いのかな、恥ずかしいのかな、気付かれずに死ぬのかな、など。 死を考えることはタブーでは無く、そこから逆算して今の幸せを味わえるようになりたいですし、それが答えなのかなと今は思います。以前の動画にもあったように、死は突然にプツン!とスイッチを切られるように訪れる。 この事を正面から捉えて日々を生きて行きたいです。 生まれることは神様と「必ず死ぬ」こともセットで契約した事なのかも。 歩き出した以上、いつか止まる日が訪れます。
執着ですかなるほど 仏教は万能なんですね、輪廻の外に出たいです どうすればよいのでしょう 先生
私の祖母と祖父は要介護の認定する前に臨死しました。そうで、なかったら私もかなりの負担が重くなることを感じました。
南無阿弥陀佛🙏
南無阿弥陀仏
生死の一大事とは成仏の法に対する血脈の有無を言います。
死んだら天国が待っていると考えているので死は怖く無い。阿弥陀様が待っていてくださるのではないでしょうか?
平生に弥陀の本願力に救い取られた人が死ぬと同時に浄土に往きます。
死んだ後の事は誰も見たことがないのだから、そう考えるのは自由だが、天国を信じるというのは事実ではないと釈迦はいってますよね。だから死んだら阿弥陀の極楽浄土があるという見方は仏教的では無いと思います。
死期に当たりまず、過去の懺悔だろうね。・・・こうすれば良かった、あうすれば良かった、との悔いでしょう。・・・だから、死期の言葉は真言で有る。と言うんだと思うよ。
すきなひとがいるだけで、たのしかつた、せいしゆん。
臨終 は眠りにつく時で 何も考えられない
そこまで好きな人はいません。家族にならなかった異性に対し、執着が全くありません。変わらず想う相手は、親と亡きペットだけです。恋に生きれる人が羨ましいです。
執着があればあるで、また苦しむので、難しいものです。
私は、生きて来たことで経験した事ややったことは、起承転結で自分の能力内でやれることをやって来たんだという思いになると思います。(今もそうですが、)私は小さい時の父親のDVでトラウマが有って、若い頃はそれがまさにトラウマとなっていますが、それなりに頑張ったなぁと思っています。しかし、そのトラウマで結婚はしないで家族は持てませんでした。私は医師で、家族を持とうと思えば持てたでしょう。でもトラウマを考えるとしませんでした。いっそ、カミングアウトをして結婚すれば良かったかな?と思う事も有りましたが、独り身でもその方が幸せな人生だったと考えています。人それぞれですね。また、辞世の句は、おそらくは前もって考えていたんだと思いますよ。
医師をなさっておられるのでしたら、人の死に触れる機会が多くあられるのでしょうね。辞世の句はそうなると、本当の辞世の句とは言えないですね。
返信ありがとうございます。私は、8年程前から神経ベーチェット病に掛かっていて、特に目のブドウ膜炎がひどく、仕事はしていません。また、神経ベーチェットは5年は生きないと言われてますから、その当時から死を意識して、世の句のようなものは考えています。勿論、現役の時は外科で人の死をみとり、死亡の確認を数十回は、遺族に伝えています。ただ、ほとんどは急死の状態でも、挿管をして人工呼吸器に繋ぎ、延命処置をしているので、患者さんは数日間は無意識の状態です。(本人が苦しまないように痛み止めや入眠剤は使っています。)辞世の句を作ったりとか話すという状況ではないですね。癌の末期なども最後の入院は長くなる傾向が有り、延命時に至るまでの日々に辞世的な話をするケースもありますが、ほとんどは思い出話です。もし、辞世の句の様なものを残したいのなら、元気な時に考えて置いた方が良いでしょう。
仏縁を結ばれたことをありがたく思います。死を超えた本当の幸福があることを学んでいただければと念じます。
生死の一大事なるほどありがとうございました。
喜び楽しい思いの人生だったら、後悔の無い天寿の全うしたモノと成る。とも云えない見えない世界観は本人の意識魂に終わり逝く🤔訳ではない。を思いました。
人間は、思っている様なストーリーに逝かないと云う事ですね?
無の境地!日頃の鍛錬!煩悩を払う!それが出来る為の人生修行なのかな?
南無阿弥陀仏。
仏教のたとえ話はどれも面白い
その時にはっきり解りますよ、その時は手遅れですが、
出家と言うのはひっくり返すと家を出ると言うことですよね。身重の奥様と家族を打ち捨てて迷っている庶民を助けようと言う志はすごいなと思うのですが、ご主人がさっさと出て行ってしまった後の奥様とか子供たちのことを考えると、まず自分の家族を幸せにしてから周りをどんどん幸せにするということができなかったのかなあなどと…考えてしまいました。執着を捨てると言う事は簡単ですけど、普通の庶民が理解しやすい解決策と言うのはないのかなあなどと考えてしまいます。(何か偉そうに言ってしまってすいません)
あなた分かりきった言い方あなたしんだことあるの?何わかりきたったこと言えるの偉い人なんですね。
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はじめまして!いつも勉強させていただいてます。般若心経の空について、菊谷さんはどのように解釈されてますか?
先日、気胸と血胸で呼吸困難になり、救急車に初めてお世話なり、初めて死を受け止めました。少しは、やり残した事もあるが、つっ走ったいい人生だったと思いましたね!!死は一人で 、まあ助かって、又精いっぱいフルーティーに今日を楽しんでおります。死に際に、俺は死ぬのかいとも思わなかったし、恐怖心も全く無かったですね!!70歳男性
やはり、来世でできるだけ苦しまずに済むように、現世でできるだけ悪い行いをしないように努力することは重要なことなんだと思いました。
大好きだった祖母が93歳で亡くなる前日に
意識が戻った。
孫の私にだけ、ありがとうよと何度も言う。
その時はわからなかった。
30年経って、祖母に感謝しています。
私は外孫ですが、祖父とそっくりです。
その思い出を家族は笑いながら言います。
爺ちゃんがお迎えに来たと思ったんだよと。
死は悲しいが怖くない。
誰かに感謝して逝ける人生でありたいと思う。
祖母は臨終の在り方を示してくれました。
ものすごく勉強になります。40半ばになって今更になって仏教の教えが、求めていた学びに近い様なものと思えて毎日見ています。ありがとうございます。
人間の本質の話有難うございます。
私も老人なので人々の臨終の姿を拝見しました。
色々な表情の人々が思い浮かびました。
母とは95歳まで一緒に暮らしました。
(ブランクは三年ぐらい)
しかし母の顔は考えられない本当に美し顔立ちでした。
人は最後は色々な表情を見せるものです。
行った先がとても幸せな場所だったのかも知れません。
ただ生前の母に言いそびれた言葉は心の中にあります。
深すぎるお話です。菊谷さん!いつも有り難うございます。🙇
今日の内容はちょっと難しい内容でした。
素晴らしいです。 感じ方が非常に似ていて共感、共鳴しています。 教えも 本質を 上手く表現されています。
とっても勉強になりました。感謝致します。
今後も仏教の解りやすい解説をお願いします。
本当にありがとうございます。
2人の子供がりつぱに成長して成果しているのを見ると思いも無く安心して死んで行ける様な気がします。先生の仏教のお話し解りやすく始めて何か解つた様な気がします。
人生は楽しいけど手間です。
毎日、寝落ちしています、
亡くなるその日も眠る様に肉体を離れたい。ありがとうございます。
菊谷先生本日もありがとうございます。7の習慣という本で「終わりを思い描くことから始める」という習慣が勧められてますが、死について考えることは今をより良く生きるためにとても大切で意味があることだと考えます。
「the end」ですね。最終目標という意味で使っていますが、究極的には「死」だと私はあの本から受け止めます。
先生いつもありがとうございます。今後も楽しみにしております。
人間がいくら努力しても変えることができないのが誕生と死。親は選べないし気が付いたら自分はこの世に生きていて、一生懸命人生を生きるが、最後に例外なく死を迎えざるを得ない。つまり人生はプロセスはいくらでも努力で変化し得るが、スタートとエンドだけは変えられない。拙者もついに古希になり、この講義を拝聴して、つくづく感じ入ったでござる。
確かに死んでしまえば肉体も家財産も社会的な地位などもすべて返さないといけませんね。
大切な水や空気などもすべて天から与えられたもので自分のものではない。
この世に生きて、与えられるものはすべて借りているのであって最初から自分のものと
言えるものは何一つないと言えます。
そう悟ってしまえば生きることも死ぬことも大変楽になります。
心が澄み渡って人生の真実の姿が見え、大切なこととは何かがわかる気がします。
お話を聞かせて貰うといつも心が穏やかになります。
それは菊谷さんがいつも微笑をたたえて離されていることもありますね。
主人を なくし
道 を さまよって いましたが
youtube☀️は 本当に
ありがたくて
視聴 させて 頂いております☀️🙇
菊谷 先生 ☀️
✨いつも ありがとうございます✨🙇
人は臨終の時がわかるのでしょうか? 突然死の方や、また病気でなくなっていく人でも自分の臨終が見えるのでしょうか。それがわからないと、この質問は答えられな様な気がします。いつ時でも与えられた人生に感謝し辛いこともこれが良いことになると確信できる生き方を続けていけたら、最後だとはしらなかった目をつぶった時、息を終えた時も同じ思いなのだろうと考えます。何時も魂に嬉しいお話をありがとうございます。
改めて死が近い将来自分にもやって来ると言う事を教えてくれました。ありがとうございます。
私を生んでくれて私を愛おしく思ってくれた私の親でさえも今日のような大切な話をしてくれたことは無く、私にしても我が愛おしい家族に語って聞かせてあげることは何故だか出来ない尊いお話でした。心の在り様をもっともっと客観的に見直すべきか。
生まれるのも、1人、死ぬ時もひとりと、言う話は、良く聞きます執着をもたず!
ありがたいお話ですが、1日、1日を大切に😃生きて行くことが大丈夫何だと、思いました。
大切な家族、父親を54才で突然亡くし、弟を56才で亡くし、母は93才ですが認知症になり、私の名前も忘れコロナで、なかなか直接あえませんが、人間の尊厳として、
人生を生きて欲しいです、残された一人の
母なので、最後まで見てあげたいてす。
私も62才になり😅孫の子守りと、両方で
疲れますが🎵頑張ろうと思います。🙏
三愛初めて聞きました。
本当に、暗いと恐いです。
ありがとうございました。🙇♀️
ありがとうございました。 これでまた安心して生きていけます。
人間に生まれて良かった。魂波長と云う意識を感動させたい😂😢😆🥺🤭堪能したいと思いました。
とても深い話をして頂き、有難うございました🙏。主人が亡くなり、主人からは私を通しての生を学び、私は主人を通しての死を学んでいるのではないのかと思います。また仕事柄、人の死までの段階を関わってきましたが、どの方も口では「早く行きたい」と言われていますが、身体は生きたがっていることを感じています。✨
釈尊が「三愛」を説かれていることを初めて教えて頂きました。自体愛、当生愛はあるだろうなあ、と思います。やはり生死の一大事の解決を求めて、仏教を聴かせていただくしかないですね。ありがとうございました。
しっかり聞きぬいてください。今後ともよろしくお願いいたします。
今回も大変に勉強になりました。ありがとうございました。
菊谷講師、ありがとうございました。
菊谷氏有難う御座います🙇🏻♂️
65歳です
ピンコロを目指して今も働いています
働く事は勿論お金の為では有るけど
働く事を辞めたら堕落の道を歩む様な気がして仕事故に自分に厳しく修行の気持ちで働いています。
3人の妻素晴らしい例えです
理解しました
執着心は臨終の時迄有る様ですが
南無阿弥陀と称えて現世にすべておいて
1人で往生します南無阿弥陀
いつまで生きれるかな⁉️
ピンコロが1番理想です!
有難う御座います🙏
南無阿弥陀仏の大船に乗られ、浄土までの航海する、その心を絶対の幸福といいます。
合掌南無阿弥陀仏シェアさせていただきました🙇
生きているからこそ、死を未曾有な闇の世界に彷徨うかも知れないと想ってしまうのでしょうね。もっと安心して☺️安寧に過ごせたら😊と思います。いつも真実にある日々を🙏有難う御座います
ありがとうございました。大変勉強になりました!
素晴らしいお話有り難うございます。私は家族も財産も何もないので、執着するものはありません。「死ぬ15分前に読む本」に死んだらここらの世界に応じていく世界が決まると書いてありました。でも、死ぬのはやっぱり嫌です。怖いです。でもその執着心を捨てられる人になりたいです。お話有り難う、毎回心にジンと響きます。
執着を捨てるというのは聖道的なので凡夫の我々は生への執着は捨てられないのではないでしょうか?親鸞上人はそれで良いと言ってたかと思います。ではどうすれば絶対的な幸福を得られるかは仏法を聴聞するという事だと理解しています。しかし私にはそこがしっくりこない。
「死ぬ15分前に読む本」面白いですね。読んでみます
菊谷さん😆心の学びに役に立ちます🙇貴重な素晴らしいお言葉をありがとうございました🙇♂️
どんな人でも、臨終の時は三愛の執着が起きるのでしょうね。ドラマにあるような冷静な死に方、笑顔で死んでいくような死に方ではなく、やはりジタバタして死んでいくのだと思います。死に対する不安と恐怖はなくならいとしても、聴聞を続けていきたいです。ありがとうございました。
先生のご講義を仏法者として、本当に感慨深く拝聴させて頂いております。生と死の考えは本当に様々な思いがあると思います。やはり生物学的に生に対する執着があればこそ頑張れるし、向上心も湧きますし、最終的に死は訪れますが、遠い未来の事の様に考えないと人は生きていけないものではないでしょうか。偉そうにスミマセン、個人的な考えです。聞き流して下さいませ。
祖母を看取ったときに、やっぱり家族がいても一人で行ってしまいました。一番辛かったです。私は忘れることはずっとありませんでした。私もいつか死ぬまで頑張ります。
死期が二週間後の姉を面会15分の日々です。まだ話しも出来、耳も聞こえる状態、少しづつ自覚した話し方に手を握り、昔を語り合い帰ります。寂しいです。先生の講話に癒やされます。
よかったです
ありがとうございます感謝
Toとてもいいお話しを聴かせて頂きました。ありがとうございました。感謝します
先生のお話身につまされながら聴きました。子供が小学校入学してまもない5月に乳癌の手術をしました。鎖骨下に転移があり絶望のどん底に落ちました。子供が不憫でとにかく生きたいと願い辛い治療に耐えました。ある日夢の中で流れの早い川にその子供が流されていくのです。名前を呼びながら必死に川べりを追いかけるのですが追いつきません。子供の名前を叫んで目が覚めました。このような夢を何度も見ました。3人子供がいて末っ子のこの子の夢ばかりです。その後は棺桶に入れられた私は真っ暗な広ーい宇宙の果てに向かって飛んでいく夢。それがとても気持ち良いのです。その夢を見てから死は怖くなくなりました。子供達も独立しいつお迎えが来ても良い年になりましたが、心静かに旅立てると思います。先生のお話も心に深く刻みつつ。
頑張ってください。とことん生きるのです!
考えされられます…
ありがとうございます
ありがとうございます。
私はいつも人に虐げられ欺かれ生きて来ました。親兄弟、姪にまで欺かれ大金を取られる人生でした。もうたくさんです。
生死一如・・・初めて菊谷先生の説法に共感しました。。。
これは、一度死に掛けた人間には良く分かる。
臨終に何を思うというか、、、その生き様が大切だと思います。
死に際に ラオウ「我が人生に一遍の悔い無し!!」って死ぬのが1番です。
そうですね
ラオウの得たものが無碍の一道というものでしょうか。であるならばケンシロウよりもラオウの方が仏に近い存在なのかもしれませんね。
ありがたいお話。ありがとうございます。
菊谷先生、おはようございます。
昨日、ご近所の家族が引っ越して行きました。
毎日聞こえていた生活ノイズが、突然聞こえなくなると、寂しい気持ちになりました。
寝起きに、先生から繰り返し教えていただいている「諸行無常」という言葉を思い出しました。
そう思った瞬間に、今まで煩っていた事が、突然懐かしく愛しく思えて来ました。
よほど病的になるような事以外は、煩いも存在していて良い(むしろありがたい)のだなって感じました。
なんだかわかりませんが、煩悩も悪くないなって思います。
ましてや「臨終」の時なんかは、自分の目の前から消えてくれと思えていた事ですら、懐かしく愛しく思えて来るのかな、、、?
と、思いました。
でも、重要なのは、「諸行無常」という教えを菊谷先生から事前に受けていたということです。
それを知らなければ、心に空いた穴の意味がわかりませんから、ひたすら悲しかったり、うろたえた事でしょう。
人間同士のつながり(知らない人も含めて)が、こんなにもオモシロイなと思った日はありませんでした。
親兄弟、離れて暮らしている娘や、そばにいてくれるネコ、関わる人々に、もっと感謝しようと思いました。
菊谷先生、これからも宜しくお願い申し上げます。
もう十数回菊田様の無料講座を視聴させて頂いております。殆んどのこの講座で、最期に、人間は何時か、お釈迦様の達せられた境地にごく普通の一般人でも到達することが出来るんだ、或いは、ある時本当の幸福感を得ることが出きるんだ、というというように締め括られるのですが、ここの処で、私はこういう気持ちになります。なるほどそうか、でも私のような者にはとうていそこまで到達出来ない。 具体的に何をしたらそこに到達出来るのかという説明がされていないからです。仏経者の様な、千日回峰のような荒行をした人にしか、あるいは釈尊の様な人にしか、その様な境地に
続き、
にしか出来ないのではないかという、虚しい絶望感を抱かざるを得ません。何かよいてだてはあるのでしょうか 。
とっても勉強になりました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
生きている間、いろいろなことを考えている。
臨終の瞬間もそのうちの一つに過ぎないと思う。
それに、臨終って本当にわかるのかなあ
とても勉強ぬりました。若い時には遊ぶことばかり考えてきましたが、歳を取るに連れて死を考えるようになりました。後何年いかされてるのかとかね!最近は人生は一度きり悔いのない人生を送るために、元気なうちに自分のしたい事をして過ごしてます、最後の夢はバイクの免許を取り、バイクに乗ることでした、非常に両親が厳しくバイクだけはダメでしたが、64歳でバイクの免許を取りやっと念願のバイクを2日前に買いました。我が人生に悔いはなしです、全て手に入れ、全てやりました。本当に幸せです、感謝しかありません。第2の人生も最高の場を与えてもらえ感謝しかあるません。来世の事はわかりませんが、今日は大変良い勉強になりました。私とまったく同じ考え方でした。やはり最後に近付くと誰しも同じ事を考えるのですね!ありがとうございました!
仏教に説かれている生死の一大事の解決の道を20回の無料メール講座にまとめました。こちらからどうぞ。
peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
ありがとうございます感謝します
ありがとうございます。
今日、登録したところ早速の小冊子のプレゼントお忙しい中感謝いたします。秋の声聞くもまだ続く残暑、ご自愛くださいませ。いつか親鸞様と神社でお会いした女性の子孫ではないかと申し出た82歳の主婦より勉強させて頂いております。
ありがとうございました ほんとに
しあわせに、感謝。👀‼️
お疲れ様でございます
本当に、いつも 有り難く
お話しをして下さり感謝
感謝でございます🎶😄
勉強になります(*^^*)
人って 何十年この世に
活きて居ても?💦学って
少ないな?💦 思います
これからも、残りの人生を学び
人として 活きて行きたいって思います
本日も有難うございました
お疲れ様でございます
今気づきましたが、菊谷先生は左利きですか?
なるほどと思いました。
仏教の教えを感じ取ることができる感性(右脳)と、その感じたことを伝えられる能力(左脳)どちらも優れていらっしゃる。
本当に羨ましい限りです。
菊谷さん、とても学びました。ありがとうございます。 私は、多分まだ精神的に幼稚だからだと思いますが、臨終までに至る期間の方が心配です。具体的には、事故で亡くならない場合、病気・もしくは老衰の場合、暖かい布団の中で清潔に臨終を迎えられるかどうか、です。 孤独死を迎える心構え、のような内容を、トピックが思いつかないときなど、是非お願いしたいです。🙏
先生の仏教シリーズ配信動画を視て色々考えさせらている毎日を送るようになりました。実は7/2に家内が亡くなってしまいました。夜勤帰りで部屋のソファーで少し様子がおかしいと思って近寄って起こそうとしたのですがすぐに悪い予感が当たってもう既に冷たくなっていました。どんな宝石よりも大切な宝物を失ってしまい毎日朝から晩まで生前の彼女とのフラッシュバックが強烈に蘇って気持ちが張り裂けそうな日々です。彼女は亡くなる時、何を言いたかったのかを知りたくてたまりません。どうか先生の所感などがありましたら宜しくお願いします。
菊谷先生ありがとうございました。姉をなくし、自分も病気になつて死を考えさせられています。産まれる苦しみ死ぬ苦しみから逃げれないことは頭ではわかつています。笑いながら死ぬ人はほとんどいないでしようが苦労して生きてきて死ぬときも苦しんで旅立つ人は霊界の良いところにいけるのか?来世はがんばつたぶん幸せな来世になるのか?いつも思います。誰にも分からないこととは思いますが?
有り難うございます菊谷先生深く受け取りました、親父を昨年亡くしております登録しましたよ。
本を読んでみたいですので~よろしくお願いいたします。
菊谷様、何時も有難うございます。
私は、死ぬ時にいい人生だったな♥o(^▽^)o~と、思える生き方が目標です。なので💦笑毎日やりたい事、学びたいこと沢山有ります。生きる事は、辛い事を……🤔沢山乗り越えた人=幸せ💞な人だと思ってます。
シェアさせて頂きました🙇♂️
昨日このチャンネルに出会いました。すごく説明が面白いのでチャンネル登録させていただきました。ありがとうございます。よろしくお願いします🤲
いつもありがたい仏教のお話楽しく聴いてます。
生死の一大事、死の不安を、解決するには何をすればいいのでしょうか。
幸福の3大要素、健康、財産、愛情、との別れなんですから当然ですね。
当然ですよね。死んだら死んだときさ、死んだほうがまし、とは口では言えど、実際はどうなのか、ブッダの教えから考えていただきたいと思い、今回話をしました。
おはようございます。
突然ですが、
サザンオールスターズの
桑田佳祐さんが歌っている(慕情)を聴いて下さい。あなたがおっしゃる事を歌っておられます。
軈て臨終の事は考えています、楽な死に方をしたいです、人生振り返れは苦労の
多い人生でした。修行が足りないから卒業出来ない、卒業間地かです。
亡き妻の「ありがとう」一言で十分です。
私も、子供に、その一言が発せられる器になりたいです。
この世から去りゆく時は、「ご先祖様」が、迎えに来られますよ。
その器になっておきたく願うのみです。
聴いている時は、そうだな、と思っている自分…がものの、5分も過ぎると、リラックス?。、忘れている。
溺れたり交通事故で2回死の淵まで行きました。
それ以降、死への思いが変わり上手く言えませんが「命からの解放」と言う事で、恐怖心、執着心は湧かんと思てます。
医学が進めば安全に臨死体験が出来る様になり、誰でも死生感を変える事が出来るかもしれませんね。
本頂きたいです。ありがとうございます。
はじめまして、大変勉強になりました。
母が亡くなって47年になり いまだに親孝行が出来なかったことを後悔してます
供養になることが大変良く分かりました ありがとうございました
解決方法の説明が欲しい!
へー生死一如ですか、すっごい話を聴きました ありがとうございます
「人間は臨終に何を思うか」と言いますが・・・
臨終とは、死を迎える直前の時期であって、その時には一般的には脳の働きも極度に弱くなっているはず。そのような状態で何かを思考することなんてことは出来ないでしょう。つまり何も思えないのではないでしょうか!自分の人生を後悔したり、死ぬのが恐い、と思うのは、脳の働きが正常であるにもかかわらず、死を宣告された時の話であって、それはまだまだ臨終とは言わない。
素晴らしいです。
死後の世界は今生きている人間だれも行ったことが無いので、考える必要はない
63歳独身、死ぬ時別れたくない人は誰もいない、大抵の人は誰もいないのではないだろうか。別れたくない人がいる方異常な気がする。
家族を早くに亡くしているからか、死に対する思いは強く持っています。 自分はどうやって死ぬんたろうか? 痛いのかな、恥ずかしいのかな、気付かれずに死ぬのかな、など。 死を考えることはタブーでは無く、そこから逆算して今の幸せを味わえるようになりたいですし、それが答えなのかなと今は思います。
以前の動画にもあったように、死は突然にプツン!とスイッチを切られるように訪れる。 この事を正面から捉えて日々を生きて行きたいです。 生まれることは神様と「必ず死ぬ」こともセットで契約した事なのかも。 歩き出した以上、いつか止まる日が訪れます。
執着ですかなるほど 仏教は万能なんですね、輪廻の外に出たいです どうすればよいのでしょう 先生
私の祖母と祖父は要介護の認定する前に臨死しました。そうで、なかったら私もかなりの負担が重くなることを感じました。
南無阿弥陀佛🙏
南無阿弥陀仏
生死の一大事とは成仏の法に対する血脈の有無を言います。
死んだら天国が待っていると考えているので死は怖く無い。阿弥陀様が待っていてくださるのではないでしょうか?
平生に弥陀の本願力に救い取られた人が死ぬと同時に浄土に往きます。
死んだ後の事は誰も見たことがないのだから、そう考えるのは自由だが、天国を信じるというのは事実ではないと釈迦はいってますよね。だから死んだら阿弥陀の極楽浄土があるという見方は仏教的では無いと思います。
死期に当たりまず、過去の懺悔だろうね。・・・こうすれば良かった、あうすれば良かった、との悔いでしょう。・・・だから、死期の言葉は真言で有る。と言うんだと思うよ。
すきなひとがいるだけで、たのしかつた、せいしゆん。
臨終 は眠りにつく時で 何も考えられない
そこまで好きな人はいません。家族にならなかった異性に対し、執着が全くありません。
変わらず想う相手は、親と亡きペットだけです。恋に生きれる人が羨ましいです。
執着があればあるで、また苦しむので、難しいものです。
私は、生きて来たことで経験した事ややったことは、起承転結で自分の能力内
でやれることをやって来たんだという思いになると思います。(今もそうです
が、)私は小さい時の父親のDVでトラウマが有って、若い頃はそれがまさに
トラウマとなっていますが、それなりに頑張ったなぁと思っています。
しかし、そのトラウマで結婚はしないで家族は持てませんでした。
私は医師で、家族を持とうと思えば持てたでしょう。でもトラウマを
考えるとしませんでした。いっそ、カミングアウトをして結婚すれば
良かったかな?と思う事も有りましたが、独り身でもその方が幸せな
人生だったと考えています。
人それぞれですね。
また、辞世の句は、おそらくは前もって考えていたんだと思いますよ。
医師をなさっておられるのでしたら、人の死に触れる機会が多くあられるのでしょうね。辞世の句はそうなると、本当の辞世の句とは言えないですね。
返信ありがとうございます。
私は、8年程前から神経ベーチェット病に掛かっていて、特に目のブドウ膜炎がひどく、仕事はしていません。
また、神経ベーチェットは5年は生きないと言われてますから、その当時から死を意識して、世の句のようなものは考えています。
勿論、現役の時は外科で人の死をみとり、死亡の確認を数十回は、遺族に伝えています。
ただ、ほとんどは急死の状態でも、挿管をして人工呼吸器に繋ぎ、延命処置をしているので、患者さんは数日間は無意識の状態です。(本人が苦しまないように痛み止めや入眠剤は使っています。)
辞世の句を作ったりとか話すという状況ではないですね。
癌の末期なども最後の入院は長くなる傾向が有り、延命時に至るまでの
日々に辞世的な話をするケースもありますが、ほとんどは思い出話です。
もし、辞世の句の様なものを残したいのなら、元気な時に考えて置いた方が良いでしょう。
仏縁を結ばれたことをありがたく思います。死を超えた本当の幸福があることを学んでいただければと念じます。
生死の一大事
なるほど
ありがとうございました。
喜び楽しい思いの人生だったら、後悔の無い天寿の全うしたモノと成る。とも云えない見えない世界観は本人の意識魂に終わり逝く🤔訳ではない。を思いました。
人間は、思っている様なストーリーに逝かないと云う事ですね?
無の境地!日頃の鍛錬!煩悩を払う!それが出来る為の人生修行なのかな?
南無阿弥陀仏。
仏教のたとえ話はどれも面白い
その時にはっきり解りますよ、その時は手遅れですが、
出家と言うのはひっくり返すと家を出ると言うことですよね。
身重の奥様と家族を打ち捨てて迷っている庶民を助けようと言う志はすごいなと思うのですが、
ご主人がさっさと出て行ってしまった後の奥様とか子供たちのことを考えると、まず自分の家族を幸せにしてから周りをどんどん幸せにするということができなかったのかなあなどと…考えてしまいました。
執着を捨てると言う事は簡単ですけど、普通の庶民が理解しやすい解決策と言うのはないのかなあなどと考えてしまいます。(何か偉そうに言ってしまってすいません)
あなた分かりきった言い方あなたしんだことあるの?何わかりきたったこと言えるの偉い人なんですね。
拍手 !
はじめまして!
いつも勉強させていただいてます。
般若心経の空について、菊谷さんはどのように解釈されてますか?
先日、気胸と血胸で呼吸困難になり、救急車に初めてお世話なり、初めて死を受け止めました。少しは、やり残した事もあるが、つっ走ったいい人生だったと思いましたね!!死は一人で 、まあ助かって、又精いっぱいフルーティーに今日を楽しんでおります。死に際に、俺は死ぬのかいとも思わなかったし、恐怖心も全く無かったですね!!70歳男性