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セナとともにあった青春。特に93~94年は自身にとって感慨深い時でした。アップ感謝します。
芸術家のような表情レースでの強さと涙腺の弱さ本田宗一郎とスピリッツでふれあう…互いにリスペクトし合っていたナーバスな表情で歩いてコースの確認をする姿日本人がセナを愛し、セナが日本を愛した記録では計れない記憶は色褪せない地上にF1がある限り、アイルトン・セナは最速・最強のドライバー🏁🇧🇷🇯🇵
この曲を、既に亡くなったアイルトン・セナ選手と、今年(2020年)の1月4日に亡くなった今宮純さんに捧げたい。合掌。
セナが死ぬ前の1994年開幕からエンディングに使われてるんだよなこの曲なにか予兆でもあったかのように
この音楽に城さんのナレーションが入ると完璧なんだよね
90年からずっと見てましたが、闘争心とは裏腹にいつしか寂しい表情と不安気な顔が目立つように…心に残る貴公子でした✨️
何度聴いても、涙が溢れてしまいます。アイルトン・セナが戦っていた頃のF1がいちばん好きでした。94年のモナコグランプリと日本グランプリのエンディングの際のナレーションには、感動させられました。改めて、ありがとうアイルトン・セナ。永遠に光輝く一番星として、これからのF1を見ていてほしい。
国葬の時、兵隊がセナの棺を担ぎながら泣いてるシーンが、今でも辛いです。
自分も覚えてます‼️悲しいけど送り出さなければならない。
「セナに会いに行く」って書置きして、後追いした人もいたらしいですね…
ブラジルの英雄そのものです、英雄が伝説になった瞬間誰もがそばでいたい、、、
そのシーンを見ると涙が出る。
あれだけ🇯🇵のファンに愛されて居たんですね。亡きアイルトン・セナは私と同じ利き腕なんです❗左利きです❗😉☺️😁😆😃😀😚😊😊
死去の録画を再生した中学一年の春でした。 最愛の英雄が亡くなった現実が理解できず自問自答するためトイレから出られなかった。心に穴が空いたような感覚で欠かさず録画したF1から距離をおきまさした。いつの間にかセナが生きた34年を越えて自分が生きている。しかしセナの走りを越える感動には出会えてないな。今でも感謝ですし、生涯ファンです。
私も同じく生涯アイルトン・セナのファンですよ。後、私ですけど本当にセナと同じ利き腕なんです。左利きです。
私の働いているお店のエンディングが昨日から、この曲になりました。F1好きのオーナーが、悲しくも美しい曲と言っていました。この動画を見て、その理由がようやく分かりました。
あの頃のことがこの曲の記憶とともに鮮やかに蘇ってくる。貴公子の死から幾月か経過しても悲歎に暮れていた1994年の夏。あの年の夏は本当に暑かった。つかの間の夢をありがとう、永遠の貴公子。
マイケル・ジャクソンが亡くなった年に、私はセナが死んだ、34歳になった。マンセルが、パトレーゼが、アレジが、ゲルハルトが、穏やかに、子や、あるいは孫たちに囲まれている姿を想像出来ても、アイルトンに、そんな姿を重ねることは、どうしてもできない。アイルトンにとって、F1は全てだったし、F1はアイルトンだった。こんなに美しい人を私は知らないし、同じ時代を生きられた、その幸運に感謝する術を、私は知らない。ダメだ、涙が止まらない。
これこそアイルトン・セナのテーマ。実際は93年のエンディングからだったが孤高の天才セナにはこの曲こそ似つかわしい。
2024年4月で音速の貴公子、アイルトン・セナがサンマリノのイモラから天へ旅立って30年になる、、、この曲を改めて聞き直すと、20の当時を振り返り思い出す当時は専門学校を卒業して社会人になったばかり若かった、あの頃は
5月だよ
確か5月1日に亡くなられたって聞きましたよ
あの日と同じ5月1日、日曜日。28年が経った今も忘れられない。ありがとう、アイルトン・セナ。君は永遠に光り輝く…
そうですよ❗✌️永遠に光り輝く英雄ですよ❗😁😉
かつて中嶋が「ロータス時代、それぞれのコースで、コーナリングのポイントや角度、ギアチェンジのタイミングといったことを、彼は事細かく包み隠さず教えてくれた。ありがたいと思う反面、それは自分が彼のライバルとなり得なかったことの現れであり、申し訳なく感じている」と言っていたのがとても印象的だった。
佐藤琢磨の登場まで15年、小林可夢偉の登場まで22年のことであった。
中嶋さんが現役時代、心から話しが出来たチームメイトはセナだけだったよね
@@ゆうゆう-x4n まあ、ピケも色々教えてくれたらしいですよ。セナは中島さんがヨーロッパF3000にスポット参戦した時にわざわざグリッドまで来て「来年よろしくね!」と言ってくれたそうです。中島さんは誰だか分からなくて後から「あれセナだったの!?」と驚いたとか。
セナは日本と日本人とHONDAを愛してくれたから、その分も中嶋さんに優しくしてくれたのかな?
アスリートらしい言葉ですね。競うべき相手がいないというのはある意味つらいことなのかもしれませんね。
「孤高の天才」とはまさにセナの事だと思う
あの時のセナの歳を遥かに過ぎても、この曲を聴くと、当時の自分に一気に戻ります…時間は早いものですね。アップして頂きありがとうございました。
本当にあっという間の24年でした。記録こそシューマッハやハミルトンに越されてしまっているけど記憶に残るドライバーは?と聞かれてもセナしかいませんね。それだけ94年イモラでの落命はショックも大きいし、何より未だにこの事故には謎が多いですね。
本当に悲しくなりました。アイルトン・セナの急逝には。ショックでした。
1994年のワールドカップで優勝したブラジル代表が、ウイニングランで「優勝はセナとともに」と書かれた横断幕を掲げていたのを見て涙が止まらなかった思い出
その映像シーン、自分も見たのを覚えてます。
Estava escrito "Senna, Aceleramos juntos, o Tetra é nosso!"
懐かしい話ですねアイルトン・セナがいないF1はもう観なくなりました追伸私の利き腕は本当にセナと同じ左利きなんです❗✌️😁😄☺️😊😉
この時代のマシンは本当に美しかった!
あれから30年が経ちました。同い年のベルガーは64歳、ヒルは63歳、マンセルは70歳、プロストも69歳。皆、良い歳になりました。F1は今も続いてます。ホンダも頑張ってます。これからも神と共に見守っていてください。R.I.P
中嶋悟71歳、鈴木亜久里63歳、片山右京60歳 R.I.Pアイルトン・セナ63歳・・・ですね
存命中なら還暦を過ぎていますね。アイルトン・セナはね。
いかに自分に完璧を求めても、この世に完璧な人間なんていない。結局、自分や他人の失敗から学んでいくしかないんだ。自分が好きなセナの言葉です。この言葉を胸に、自分は今を生きています。
心が悲しくなる曲ですが…僕は好きですね。セナの思い出と共に永遠に流れて貰いたい一曲です。
天才 空に去り 瞬く星となる人生の全てをF1に捧げ全身全霊で勝利した情熱の人よ繊細にして厳格極めることの美しさを示した革命の人何を探してきたのだ そんなにも寂しい眼で何を求めていたのか 生涯命をかけて私たちは知るだろうあなたが教えてくれた人生の幸せ至上の愛をありがとうアイルトン・セナ君は永遠に光り輝くフジ 94年モナコGP ED
泣ける!23年経っても泣ける!ありがとう アイルトン永遠なれ...
レギレーシヨンの手違いやね…多分:セナは日本とホンダやね☆悲しい現実やしねん。byeジンナマ
アイルトン・セナのいないF1は観なくなりました追伸私は本当にセナと同じ利き腕なんです。左利きです。
ウィリアムズに移籍して一勝も出来ずに迎えた第三戦次こそはセナが勝ってくれると信じてテレビの前に座って見ていたまさか、あんなことになろうとは…半年前にあんなにはしゃいでカートレースをしていたのに…
この日が来ると必ず聴きたくなる。あれから24年・・・
いつ聞いてもセナを思い出して鳥肌が立つ。載せていただき感謝します。
僕もセナのクラッシュを生で見たので、この曲を聴くと思い出すしセナを忘れない為にも聴き続けます
今宮さん、セナ、昨年はついにHONDAさんdriverChampionshipメルセデスと言う強敵、ルイスと言う最高のドライバーから、マックスフェルスタッペンと言う新世代のドライバーが奪取しました‥‥‥‥今宮さん見てたら絶対号泣してましたよね‥‥‥。今年はまた新たなルールとマシンで新時代が始まります。F1は進みます‥‥あの日今宮さんが言ったように‥‥‥‥‥‥‥‥
セナの命日に、日本の元号が変わるんだ!
@関圭輔 さん天国のサーキットで話しているでしょうね、
TVの目の前で現役ヒーローが逝った瞬間だった。ただF1が好きで見ていただけなのにいきなり壮絶なまでの現実に直面させられるという・・。命の儚さを痛感しながらこれからもこの曲と対峙していきたいと思う。
93年。前年までとは違って随分儚げなエンディングテーマになったなと思いました。それから一年後・・・偶然か?かみさまからの遠いお知らせだったのか?悲しい出来事が世界を包みました。今思っても、悲しく。不思議です・・・
やはりこの曲には、セナの映像が似合う。
この曲を聴くとセナが一番に浮かぶ、、、
今年もまた、この時期が来ました。F1ファンは忘れたいと思っても、忘れてはいけない日が。それが1994年5月1日。F1というよりも、世界の至宝アイルトン・セナがこの世を去ったこと。
俺もこの曲を聞いてしまうと、どうしてもセナの事を思い出します!
Beautiful track...Ayrton forever
デザイン的には青と黄色のウィリアムズよりロスマンズカラーのウィリアムズがカッコイイと思ってたしセナは似合ってた。このウィリアムズで勝つセナが見たかった。
男が惚れる男、アイルトン・セナ。この曲を聞く度にアイルトン・セナの事を思い出し涙が込み上げてきます。
Linda homenagem ao querido e saudoso Senna. Uma inspiração para os brasileiros e para o mundo, sem dúvida. Foi o maior.
死ぬまでにセナのお墓参りはしたい私にとって永遠のヒーロー
久しぶりにこの曲を聞き、セナに思いを馳せています。
青い服を着たセナはどことなくさみしげに映りますね
HONDAが撤退していなければ起こらなかった悲劇だったのかも知れませんね
日本を愛してくれたセナ…セナの墓碑で手を合わせたい…
聴いたら必ず涙🥲が出ます
今年で30年…当時小学生だったので鈴鹿に行くのは夢物語、いつもテレビにかじりついて親が録画してくれたビデオを何回も観てました。セナはテレビの中のスーパーヒーロー。いつか会いたかったけど願い叶わず…あの時はgwのお休みでしたが朝ご飯中に母からセナが亡くなった旨を伝えられたときは「えっ…?」としか言葉が出ず泣くことも出来ませんでした。いつか会いたかったなぁ
まさかフジNEXTの中継の最後に流れるとは思わなかった
Ayrton Senna Forever!
この曲を聞くと今でも涙でます、😢😢ウィリアムズじゃなくフェラーリで走って欲しかったです、
去年のフジNEXTのマックスがチャンピオンになった最終戦後に流れて動画の構成的にマックスがチャンピオンになれなくても流されたんだろうけど、チャンピオンになったので余計に涙しました。これで本当にホンダF1は終わったんだと・・・この曲をバックにマックスがサムズアップするシーンにあのセナのサムズアップと重ね合わせてしまいました・・・。
貴方は偉大でした
何を見つめていたのか、そんなに悲しい眼で、ありがとうアイルトンセナ 君は永遠に輝く。城 達也さんのナレーションより。セナ、なぜそんなに急いで行ってしまう?
94年のサンマリノでセナは、バリチェロの大事故を含んだ数々の事故と、ラッツェンさんの事故死で精神的にボロボロな状態で、操作性に大きなストレスを感じる欠陥だらけのFW-16を操らなきゃいけなかったんだよな...悪い事が次々に連鎖した挙げ句に偉大な英雄が居なくなってしまった。
ちょっと名前が気になりますが(^^;それはさておき、まさしくそのとおりでしたね。できることならば、その日は乗らない方が良かったですが・・起きてはほしくない出来事でした。。
彼女に電話で「走りたくない」と漏らしていたそうですねそしてセナの事故車両のコックピットからラッツェンバーガーの母国、オーストリア国旗が見つかったんですよね優勝を彼に捧げようとしていたのでしょう
ほんとにほんとに好きなメロディー。セナに会いたいです。
当時の録画ビデオとってある。捨てられないし、見れない
2018年。今でも彼の事を思う。セナが生きていたなら何を語ってくれただろう…と。
この動画を見ると、自然と涙が流れてしまいます、、あの日以来、F1は見てません、、セナの居ないF1は、、。
27 years have passed since the 1994 Imola / San Marino , very sad GP,, Ayrton Senna forever !!! R I P .. 今となっても想いだします。セナ、永遠に…
あかん、涙が止まらん・・・・・
今でもふっとセナを思い出すな。F1を初めて知って、セナを知って、セナにどんどん夢中になった。偉大な先人であり、時には圧倒的に強力だったライバル達にも、負けずにドラマチックに、勝ちをもぎ取り続けていくセナは、まぎれもなく自分にとって、現実の世界に現れたヒーローそのものだった。リタイアした愛機の傍ら、ポツンと佇む、セナの姿を時折思い出す。全力で生きるセナを神様が「もう、いいんだよ、こちらにおいで。そして、少しおやすみよ」見かねてお傍に呼び戻したのかな。この曲のピアノの後に重なるコツーン、コツーンという音が、天国の階段を一段一段登ってゆくセナの足音に聞こえて聞こえて仕方がない。アイルトン・セナ。偉大なレーサー。その勇姿をずっと忘れない。
オススメに上がってきて久しぶりに聴きました。これぞ、アイルトン・セナの曲ですよね切ない、本当に切ないでも、凄く好きな曲です。アイルトン・セナ、ありがとう。
Magic SENNA. Still miss you. The greatest driver ever in F1 ❣🌍🌎🌏🚘🚦👍👍👍😨🙏🙏🙏🙏
幼き自分にとってセナはヒーローだった。
0:53 Impressive. Zero distance between Mansell in Williams Honda and Ayrton in Lotus.
名曲!否、神曲です!!
今年も聞きにきました。
今宮純さんに捧ぐ ご冥福を
もうあの日から25年なのか…25年経ってもニュースとかに取り上げられてるということはよっぽど世界中で知られていたんだ
@関圭輔 事故死と自死を並べて語るのは不謹慎でしょう加えてセナは国葬が行われる程の英雄で、大統領の名前を知らない国民でもセナの名前は知っていたと言われる程の人物です事故死の一報を受け、ブラジル国内のサッカーの試合会場では黙祷が捧げられました死亡時の扱いで比べれば、日本の有名人の誰の名前を出しても見劣りしてしまうでしょう比較して貶める為にわざわざ故人の固有名詞を出す必要はありません
1993〜94年 フジテレビF1中継ED曲 作曲:佐藤準
今年はとうとう30年…
今年もこの日が来ました。どうか安らかに。
事故当時自分は10歳で、泣きながらテレビを見ていたのを覚えています。気がつけばセナと同じ年齢になっていました。この曲は何度聴いても良いですね。5月1日にまた聴きに来ます。
5月1日、来ました。
94年のイモラからこの曲はセナの哀悼曲にしか聞こえない。2024年で没30年未だに悲しい。。。
この曲を聴くと今でも涙があふれてくる。F1=アイルトンだった。ドライバーはみんな個性的だった。面白いプライベーターも多かった。いまのつまらんF1をアイルトンが見たらどう思うだろうか
The best f1 driver ever
聴くたびにTVを見ていた当時の悲しみ 悔しさ 脱力感がよみがえる (涙)
今日(5.1)は24回目のセナ様の命日なので聞きに来ました
いつの間にかセナの歳を超えてしまった・・・。
アイルトン・セナって本当に皆さんが愛したドライバー🥺私は本当に心から素晴らしい人、ドライバーだと思います❗本当に寂しいくて切ない🥺1番好きなドライバー、めちゃくちゃカッコいい人❗アディオス、セナ❗
94年5月3日かな、ホンダに記帳と献花しに行きました。号泣して。セナを永遠に好きでいようと思っています。94年がどれだけ悩んだのか、93年の手記を読んで辛くなりました。日本で最後に桜も見れた様で、ホンダや日本がセナと縁が結べてよかった。今でも泣けるけど本当にセナ、ありがとう。
ウィリアムズのスーツよりもマクラーレンのスーツが似合うね。もう26年か。もし生きてたら、今年で日本でいう還暦。
2021年12月12日アブダビGP、マックスフェルスタッペンの初チャンピオンと共にHONDAは F1から消えました。 中継最後にこの曲が流れて文字通りHONDA F1活動のlatchkey(止め鍵)に。
まだ終わってない。HRCが次の世代に松明を受け継いでくれるはず。ホンダにはレースを辞めさせられても必ずレースを始めようとする遺伝子がある。
事故が5月、8月に東京でセナの追悼行事に出た。みんな泣いてたなぁ。6年後、モルンビの丘にセナに会いに行った。今でもセナの写真は部屋に飾ってある。
アイルトン、君がいなくなって とてもさみしいよ
一昨日がセナの60回目のバースデーでしたね。向こうでレース楽しんでるかな?
セナに、勇気を、もらいました。ありがとう。
アイルトン・セナがこの世を去ってもう29年の歳月が流れたんですね。英雄は私の心の中に生き続けています。アイルトン・セナよ永遠に。合掌。追伸私の利き腕は亡きアイルトン・セナと同じ左利きです。
たらればは言いたく無いが1994年マシンのシェイクダウンで「このマシンには乗りたく無い」と言ってたんだから乗らなければ事故死は無かったんじゃないかと。アクティブサスペンションなどのハイテク機能だけを取り去ったマシンでは挙動もバランスもおかしくなるのは明白で残念でしか無い。
ヒルもコース上に留めて置くのも難しい車と評していたFw16。高速コーナーではすっ飛ばされそうになるほど運転するのが難しく、恐かったと話していたほどです。セナもヒルも同じコーナーでスピンする場面が何度かあったし、セナにラップ遅れにされたアーバインも「ウィリアムズはコース上の至る所で跳ねて不安定そうだった」と回想していました。強烈なダウンフォースがあるのにサスペンションが硬くてトラクションが掛からない車、ルノーエンジンのパワーを活かしてアクセルを踏めば踏むほど力が外へ逃げていって限界を越えるとスピンしてしまう。とにかく神経質な挙動だったようです。TI英田で開催された日本GPの後、テストを行った際に前年度の改造車であるFw15Dと新車のFw16を乗り比べてみたところ、旧車のほうがいいタイムが出てしまい、しかも、ドライバーの印象が乗りやすいと良かったことがあったとか。それにセナは腹を立て、不快感を募らせていたようです。なぜ満を持して投入したはずの新車が遅れを取るんだと。デザイナーだったニューウェイも後にFw16は失敗作だったし、ハイテク装備前提で何年か作っていただけに計算を間違ってパッシブサスペンションの車を送り出してしまったことを認めていました。その後にテストでおかしい部分に気付いて修正してFw16Bで大分良くはなっていたものの、シーズン前半のウィリアムズはポールどころかトップを快走できるような代物じゃなかった。それなのに、それを成し遂げてしまったセナの力に驚嘆したとも語っていました。
恐らくこのマシンはアクティブサスなどのハイテク装備ありきでデザインされたマシンだったのでは😢それが前年に急にルールが変わってハイテク装備禁止になったのでダウンフォースだけが強くなって操りにくいマシンになったのではないかと思っています
当時の検証で、ステアリングの位置が悪い為に途中でカットして繋ぎ位置合わせをした。その繋ぎ目が金属疲労を起こし折れ、操縦不能に陥った。という事がありました。真偽は分かりませんが、マシンの性能以上の力を発揮させてしまう、セナならではの事故だったのかもしれません。
当時この曲が入ったアルバムを買った。ジャケットはセナ関係ではなくウイリアムズFW-14Bの写真だった。オリジナルの曲はサビの部分が繰り返しておらず驚いた。F1中継のエンディングで聴いたこの曲は編集されていたのだと知った。作曲者の佐藤さんには悪いけど、編集バージョンの方がいいね笑
永遠のヒーロー!セナ程のF1ドライバーはあれからでていない
1992~1993年は、各ドライバーにウィニングテーマがあって、初めて聴いたのが、1992年のモナコ。マンセルが圧倒的に強くて、ずっとマンセルのテーマを聴いていて、初があのモナコ。地上波だから、あの演出が出来たのだろうし、当時勢いのあったフジテレビだからこそ、とも思う。今は時代が違うし、CSやネット配信になっているから、あの頃の熱気はリアタイで観ていた人しか分からない。今は今、昔は昔の良さがある。
本物のF-1の時代(T_T)
深夜放送してた事故の生放送の時のエンディングがこの曲で、聴く毎に思い出して悲しくなってしまいます。
確かに、この頃はまだ生身の人間が直接コントロールする領域が多く残ってましたね(ハイテク禁止という背景もあったのでしょうが)。今はドライバーというより、オペレーターに近いような気がしますね。
🇧🇷アイルトン・セナ・ダ・シルバ🌟1960年3月21日~✞1994年5月1日神の愛は、永遠に我が身に降り注ぐF1グランプリ出走:161戦優勝:41勝ポールポジション:65回ファステストラップ:19回所属したチーム:トールマン(1984年)ロータス(1985年~1987年)マクラーレン(1988年~1993年)ウィリアムズ(1994年)
Hoy 2021 sigue siendo de simply the best
このマルボロカラーのマクラーレンのなんと美しいことか!
会いたかった
品川昌也
強すぎる何にしても強すぎる故の事故貴公子の強すぎる死私は強すぎるものを好まない
俺はセナの事が大好きですセナに会いたかったセナのお墓参りに絶対に行きたいです
🇧🇷🏁 o melhor senna
このエンディング曲になった年の第3戦、サンマリノ。まさか、という想いだった😭F1に無くてはならなかった大切な人材を失い、見る気も失せてしまった。曲の旋律が、セナへのレクイエムにも聞こえ、セナの細かい心を表現してる感じ。当時の解説者だった今宮純さんも鬼籍に入り、今、セナと何を語っているのだろうか❓
城達也さんも当然印象深いですが、個人的にはF1番組のナレーションというと窪田等さんの方がより印象深い。
セナとともにあった青春。特に93~94年は自身にとって感慨深い時でした。アップ感謝します。
芸術家のような表情
レースでの強さと涙腺の弱さ
本田宗一郎とスピリッツでふれあう…互いにリスペクトし合っていた
ナーバスな表情で歩いてコースの確認をする姿
日本人がセナを愛し、セナが日本を愛した
記録では計れない
記憶は色褪せない
地上にF1がある限り、アイルトン・セナは最速・最強のドライバー
🏁🇧🇷🇯🇵
この曲を、既に亡くなったアイルトン・セナ選手と、今年(2020年)の1月4日に亡くなった今宮純さんに捧げたい。
合掌。
セナが死ぬ前の1994年開幕からエンディングに使われてるんだよなこの曲
なにか予兆でもあったかのように
この音楽に城さんのナレーションが入ると完璧なんだよね
90年からずっと見てましたが、闘争心とは裏腹に
いつしか寂しい表情と不安気な顔が目立つように…
心に残る貴公子でした✨️
何度聴いても、涙が溢れてしまいます。
アイルトン・セナが戦っていた頃のF1がいちばん好きでした。
94年のモナコグランプリと日本グランプリのエンディングの際のナレーションには、感動させられました。
改めて、ありがとうアイルトン・セナ。
永遠に光輝く一番星として、これからのF1を見ていてほしい。
国葬の時、兵隊がセナの棺を担ぎながら泣いてるシーンが、今でも辛いです。
自分も覚えてます‼️悲しいけど送り出さなければならない。
「セナに会いに行く」
って書置きして、後追いした人もいたらしいですね…
ブラジルの英雄
そのものです、英雄が伝説になった瞬間誰もがそばでいたい、、、
そのシーンを見ると涙が出る。
あれだけ🇯🇵の
ファンに愛されて
居たんですね。
亡きアイルトン・セナは
私と同じ利き腕
なんです❗
左利きです❗😉☺️😁😆😃😀😚😊😊
死去の録画を再生した中学一年の春でした。 最愛の英雄が亡くなった現実が理解できず自問自答するためトイレから出られなかった。
心に穴が空いたような感覚で欠かさず録画したF1から距離をおきまさした。
いつの間にかセナが生きた34年を越えて自分が生きている。しかしセナの走りを越える感動には出会えてないな。
今でも感謝ですし、生涯ファンです。
私も同じく
生涯アイルトン・セナのファンですよ。
後、私ですけど
本当にセナと同じ
利き腕なんです。
左利きです。
私の働いているお店のエンディングが昨日から、この曲になりました。
F1好きのオーナーが、悲しくも美しい曲と言っていました。
この動画を見て、その理由がようやく分かりました。
あの頃のことがこの曲の記憶とともに鮮やかに蘇ってくる。貴公子の死から幾月か経過しても悲歎に暮れていた1994年の夏。あの年の夏は本当に暑かった。つかの間の夢をありがとう、永遠の貴公子。
マイケル・ジャクソンが亡くなった年に、私はセナが死んだ、34歳になった。
マンセルが、パトレーゼが、アレジが、ゲルハルトが、穏やかに、子や、あるいは孫たちに囲まれている姿を想像出来ても、アイルトンに、そんな姿を重ねることは、どうしてもできない。
アイルトンにとって、F1は全てだったし、F1はアイルトンだった。
こんなに美しい人を私は知らないし、同じ時代を生きられた、その幸運に感謝する術を、私は知らない。
ダメだ、涙が止まらない。
これこそアイルトン・セナのテーマ。
実際は93年のエンディングからだったが孤高の天才セナにはこの曲こそ似つかわしい。
2024年4月で音速の貴公子、アイルトン・セナが
サンマリノのイモラから天へ旅立って30年になる、、、
この曲を改めて聞き直すと、20の当時を振り返り思い出す
当時は専門学校を卒業して社会人になったばかり
若かった、あの頃は
5月だよ
確か5月1日に
亡くなられた
って聞きましたよ
あの日と同じ5月1日、日曜日。
28年が経った今も忘れられない。
ありがとう、アイルトン・セナ。
君は永遠に光り輝く…
そうですよ❗✌️
永遠に光り輝く
英雄ですよ❗😁😉
かつて中嶋が「ロータス時代、それぞれのコースで、コーナリングのポイントや角度、ギアチェンジのタイミングといったことを、彼は事細かく包み隠さず教えてくれた。ありがたいと思う反面、それは自分が彼のライバルとなり得なかったことの現れであり、申し訳なく感じている」と言っていたのがとても印象的だった。
佐藤琢磨の登場まで15年、小林可夢偉の登場まで22年のことであった。
中嶋さんが現役時代、心から話しが出来たチームメイトはセナだけだったよね
@@ゆうゆう-x4n まあ、ピケも色々教えてくれたらしいですよ。
セナは中島さんがヨーロッパF3000にスポット参戦した時にわざわざグリッドまで来て「来年よろしくね!」と言ってくれたそうです。
中島さんは誰だか分からなくて後から「あれセナだったの!?」と驚いたとか。
セナは日本と日本人とHONDAを愛してくれたから、その分も中嶋さんに優しくしてくれたのかな?
アスリートらしい言葉ですね。競うべき相手がいないというのはある意味つらいことなのかもしれませんね。
「孤高の天才」とはまさにセナの事だと思う
あの時のセナの歳を遥かに過ぎても、この曲を聴くと、当時の自分に一気に戻ります…
時間は早いものですね。
アップして頂きありがとうございました。
本当にあっという間の24年でした。記録こそシューマッハやハミルトンに越されてしまっているけど記憶に残るドライバーは?と聞かれてもセナしかいませんね。それだけ94年イモラでの落命はショックも大きいし、何より未だにこの事故には謎が多いですね。
本当に悲しくなりました。
アイルトン・セナの
急逝には。
ショックでした。
1994年のワールドカップで優勝したブラジル代表が、ウイニングランで「優勝はセナとともに」と書かれた
横断幕を掲げていたのを見て涙が止まらなかった思い出
その映像シーン、自分も見たのを覚えてます。
Estava escrito "Senna, Aceleramos juntos, o Tetra é nosso!"
懐かしい話ですね
アイルトン・セナがいない
F1はもう
観なくなりました
追伸私の利き腕は
本当にセナと同じ
左利きなんです❗✌️😁😄☺️😊😉
この時代のマシンは本当に美しかった!
あれから30年が経ちました。同い年のベルガーは64歳、ヒルは63歳、マンセルは70歳、プロストも69歳。皆、良い歳になりました。
F1は今も続いてます。
ホンダも頑張ってます。これからも神と共に見守っていてください。
R.I.P
中嶋悟71歳、鈴木亜久里63歳、片山右京60歳 R.I.Pアイルトン・セナ63歳・・・ですね
存命中なら
還暦を過ぎて
いますね。
アイルトン・セナはね。
いかに自分に完璧を求めても、この世に完璧な人間なんていない。
結局、自分や他人の失敗から学んでいくしかないんだ。
自分が好きなセナの言葉です。
この言葉を胸に、自分は今を生きています。
心が悲しくなる曲ですが…僕は好きですね。セナの思い出と共に永遠に流れて貰いたい一曲です。
天才 空に去り 瞬く星となる
人生の全てをF1に捧げ
全身全霊で勝利した情熱の人よ
繊細にして厳格
極めることの美しさを示した革命の人
何を探してきたのだ そんなにも寂しい眼で
何を求めていたのか 生涯命をかけて
私たちは知るだろう
あなたが教えてくれた人生の幸せ
至上の愛を
ありがとうアイルトン・セナ
君は永遠に光り輝く
フジ 94年モナコGP ED
泣ける!23年経っても泣ける!ありがとう アイルトン永遠なれ...
レギレーシヨンの手違いやね…多分:セナは日本とホンダやね☆悲しい現実やしねん。byeジンナマ
アイルトン・セナのいないF1は
観なくなりました
追伸
私は本当に
セナと同じ利き腕
なんです。
左利きです。
ウィリアムズに移籍して一勝も出来ずに迎えた第三戦
次こそはセナが勝ってくれると信じてテレビの前に座って見ていた
まさか、あんなことになろうとは…
半年前にあんなにはしゃいでカートレースをしていたのに…
この日が来ると必ず聴きたくなる。あれから24年・・・
いつ聞いてもセナを思い出して鳥肌が立つ。載せていただき感謝します。
僕もセナのクラッシュを生で見たので、この曲を聴くと思い出すし
セナを忘れない為にも聴き続けます
今宮さん、セナ、昨年はついにHONDAさんdriverChampionshipメルセデスと言う強敵、ルイスと言う最高のドライバーから、マックスフェルスタッペンと言う新世代のドライバーが奪取しました‥‥‥‥今宮さん見てたら絶対号泣してましたよね‥‥‥。今年はまた新たなルールとマシンで新時代が始まります。F1は進みます‥‥あの日今宮さんが言ったように‥‥‥‥‥‥‥‥
セナの命日に、日本の元号が変わるんだ!
@関圭輔 さん
天国のサーキットで話しているでしょうね、
TVの目の前で現役ヒーローが逝った瞬間だった。ただF1が好きで見ていただけなのにいきなり壮絶なまでの現実に直面させられるという・・。命の儚さを痛感しながらこれからもこの曲と対峙していきたいと思う。
93年。前年までとは違って随分儚げなエンディングテーマになったなと思いました。それから一年後・・・偶然か?かみさまからの遠いお知らせだったのか?悲しい出来事が世界を包みました。今思っても、悲しく。不思議です・・・
やはりこの曲には、セナの映像が似合う。
この曲を聴くとセナが一番に浮かぶ、、、
今年もまた、この時期が来ました。
F1ファンは忘れたいと思っても、忘れてはいけない日が。
それが1994年5月1日。
F1というよりも、世界の至宝アイルトン・セナがこの世を去ったこと。
俺もこの曲を聞いてしまうと、どうしてもセナの事を思い出します!
Beautiful track...
Ayrton forever
デザイン的には青と黄色のウィリアムズよりロスマンズカラーのウィリアムズがカッコイイと思ってたしセナは似合ってた。このウィリアムズで勝つセナが見たかった。
男が惚れる男、アイルトン・セナ。
この曲を聞く度にアイルトン・セナの事を思い出し涙が込み上げてきます。
Linda homenagem ao querido e saudoso Senna. Uma inspiração para os brasileiros e para o mundo, sem dúvida. Foi o maior.
死ぬまでに
セナのお墓参りはしたい
私にとって永遠のヒーロー
久しぶりにこの曲を聞き、セナに思いを馳せています。
青い服を着たセナはどことなくさみしげに映りますね
HONDAが撤退していなければ起こらなかった悲劇だったのかも知れませんね
日本を愛してくれたセナ…
セナの墓碑で手を合わせたい…
聴いたら必ず涙🥲が出ます
今年で30年…当時小学生だったので鈴鹿に行くのは夢物語、いつもテレビにかじりついて親が録画してくれたビデオを何回も観てました。セナはテレビの中のスーパーヒーロー。いつか会いたかったけど願い叶わず…あの時はgwのお休みでしたが朝ご飯中に母からセナが亡くなった旨を伝えられたときは「えっ…?」としか言葉が出ず泣くことも出来ませんでした。いつか会いたかったなぁ
まさかフジNEXTの中継の最後に流れるとは思わなかった
Ayrton Senna Forever!
この曲を聞くと今でも涙でます、😢😢ウィリアムズじゃなくフェラーリで走って欲しかったです、
去年のフジNEXTのマックスがチャンピオンになった最終戦後に流れて動画の構成的にマックスがチャンピオンになれなくても流されたんだろうけど、チャンピオンになったので余計に涙しました。これで本当にホンダF1は終わったんだと・・・この曲をバックにマックスがサムズアップするシーンにあのセナのサムズアップと重ね合わせてしまいました・・・。
貴方は偉大でした
何を見つめていたのか、そんなに悲しい眼で、ありがとうアイルトンセナ 君は永遠に輝く。城 達也さんのナレーションより。セナ、なぜそんなに急いで行ってしまう?
94年のサンマリノでセナは、バリチェロの大事故を含んだ数々の事故と、ラッツェンさんの事故死で精神的にボロボロな状態で、操作性に大きなストレスを感じる欠陥だらけのFW-16を操らなきゃいけなかったんだよな...
悪い事が次々に連鎖した挙げ句に偉大な英雄が居なくなってしまった。
ちょっと名前が気になりますが(^^;
それはさておき、まさしくそのとおりでしたね。できることならば、その日は乗らない方が良かったですが・・起きてはほしくない出来事でした。。
彼女に電話で「走りたくない」と漏らしていたそうですね
そしてセナの事故車両のコックピットからラッツェンバーガーの母国、オーストリア国旗が見つかったんですよね
優勝を彼に捧げようとしていたのでしょう
ほんとにほんとに好きなメロディー。セナに会いたいです。
当時の録画ビデオとってある。捨てられないし、見れない
2018年。今でも彼の事を思う。セナが生きていたなら何を語ってくれただろう…と。
この動画を見ると、自然と涙が流れてしまいます、、
あの日以来、F1は見てません、、
セナの居ないF1は、、。
27 years have passed since the 1994 Imola / San Marino , very sad GP,, Ayrton Senna forever !!! R I P .. 今となっても想いだします。セナ、永遠に…
あかん、涙が止まらん・・・・・
今でもふっとセナを思い出すな。
F1を初めて知って、セナを知って、セナにどんどん夢中になった。偉大な先人であり、時には圧倒的に強力だったライバル達にも、負けずにドラマチックに、勝ちをもぎ取り続けていくセナは、まぎれもなく自分にとって、現実の世界に現れたヒーローそのものだった。
リタイアした愛機の傍ら、ポツンと佇む、セナの姿を時折思い出す。
全力で生きるセナを神様が「もう、いいんだよ、こちらにおいで。そして、少しおやすみよ」見かねてお傍に呼び戻したのかな。
この曲のピアノの後に重なるコツーン、コツーンという音が、天国の階段を一段一段登ってゆくセナの足音に聞こえて聞こえて仕方がない。
アイルトン・セナ。偉大なレーサー。その勇姿をずっと忘れない。
オススメに上がってきて久しぶりに聴きました。
これぞ、アイルトン・セナの曲ですよね
切ない、本当に切ない
でも、凄く好きな曲です。
アイルトン・セナ、ありがとう。
Magic SENNA. Still miss you. The greatest driver ever in F1 ❣🌍🌎🌏🚘🚦👍👍👍😨🙏🙏🙏🙏
幼き自分にとってセナはヒーローだった。
0:53 Impressive. Zero distance between Mansell in Williams Honda and Ayrton in Lotus.
名曲!否、神曲です!!
今年も聞きにきました。
今宮純さんに捧ぐ ご冥福を
もうあの日から25年なのか…
25年経ってもニュースとかに取り上げられてるということは
よっぽど世界中で知られていたんだ
@関圭輔
事故死と自死を並べて語るのは不謹慎でしょう
加えてセナは国葬が行われる程の英雄で、大統領の名前を知らない国民でもセナの名前は知っていたと言われる程の人物です
事故死の一報を受け、ブラジル国内のサッカーの試合会場では黙祷が捧げられました
死亡時の扱いで比べれば、日本の有名人の誰の名前を出しても見劣りしてしまうでしょう
比較して貶める為にわざわざ故人の固有名詞を出す必要はありません
1993〜94年 フジテレビF1中継ED曲 作曲:佐藤準
今年は
とうとう30年…
今年もこの日が来ました。どうか安らかに。
事故当時自分は10歳で、泣きながらテレビを見ていたのを覚えています。
気がつけばセナと同じ年齢になっていました。
この曲は何度聴いても良いですね。5月1日にまた聴きに来ます。
5月1日、来ました。
94年のイモラからこの曲はセナの哀悼曲にしか聞こえない。2024年で没30年未だに悲しい。。。
この曲を聴くと今でも涙があふれてくる。
F1=アイルトンだった。
ドライバーはみんな個性的だった。
面白いプライベーターも多かった。
いまのつまらんF1をアイルトンが見たらどう思うだろうか
The best f1 driver ever
聴くたびにTVを見ていた当時の悲しみ 悔しさ 脱力感がよみがえる (涙)
今日(5.1)は24回目のセナ様の命日なので聞きに来ました
いつの間にかセナの歳を超えてしまった・・・。
アイルトン・セナって本当に皆さんが愛したドライバー🥺私は本当に心から素晴らしい人、ドライバーだと思います❗本当に寂しいくて切ない🥺1番好きなドライバー、めちゃくちゃカッコいい人❗アディオス、セナ❗
94年5月3日かな、ホンダに記帳と献花しに行きました。号泣して。
セナを永遠に好きでいようと思っています。
94年がどれだけ悩んだのか、93年の手記を読んで辛くなりました。
日本で最後に桜も見れた様で、ホンダや日本がセナと縁が結べてよかった。
今でも泣けるけど本当にセナ、ありがとう。
ウィリアムズのスーツよりもマクラーレンのスーツが似合うね。もう26年か。もし生きてたら、今年で日本でいう還暦。
2021年12月12日アブダビGP、マックスフェルスタッペンの初チャンピオンと共にHONDAは F1から消えました。
中継最後にこの曲が流れて文字通りHONDA F1活動のlatchkey(止め鍵)に。
まだ終わってない。
HRCが次の世代に松明を受け継いでくれるはず。ホンダにはレースを辞めさせられても必ずレースを始めようとする遺伝子がある。
事故が5月、8月に東京でセナの追悼行事に出た。みんな泣いてたなぁ。
6年後、モルンビの丘にセナに会いに行った。
今でもセナの写真は部屋に飾ってある。
アイルトン、君がいなくなって とてもさみしいよ
一昨日がセナの60回目のバースデーでしたね。向こうでレース楽しんでるかな?
セナに、勇気を、もらいました。ありがとう。
アイルトン・セナが
この世を去って
もう29年の歳月が
流れたんですね。
英雄は私の心の中に
生き続けています。
アイルトン・セナよ
永遠に。合掌。
追伸私の利き腕は
亡きアイルトン・セナと同じ左利きです。
たらればは言いたく無いが1994年マシンのシェイクダウンで「このマシンには乗りたく無い」と言ってたんだから乗らなければ事故死は無かったんじゃないかと。アクティブサスペンションなどのハイテク機能だけを取り去ったマシンでは挙動もバランスもおかしくなるのは明白で残念でしか無い。
ヒルもコース上に留めて置くのも難しい車と評していたFw16。高速コーナーではすっ飛ばされそうになるほど運転するのが難しく、恐かったと話していたほどです。セナもヒルも同じコーナーでスピンする場面が何度かあったし、セナにラップ遅れにされたアーバインも「ウィリアムズはコース上の至る所で跳ねて不安定そうだった」と回想していました。強烈なダウンフォースがあるのにサスペンションが硬くてトラクションが掛からない車、ルノーエンジンのパワーを活かしてアクセルを踏めば踏むほど力が外へ逃げていって限界を越えるとスピンしてしまう。とにかく神経質な挙動だったようです。
TI英田で開催された日本GPの後、テストを行った際に前年度の改造車であるFw15Dと新車のFw16を乗り比べてみたところ、旧車のほうがいいタイムが出てしまい、しかも、ドライバーの印象が乗りやすいと良かったことがあったとか。それにセナは腹を立て、不快感を募らせていたようです。なぜ満を持して投入したはずの新車が遅れを取るんだと。
デザイナーだったニューウェイも後にFw16は失敗作だったし、ハイテク装備前提で何年か作っていただけに計算を間違ってパッシブサスペンションの車を送り出してしまったことを認めていました。
その後にテストでおかしい部分に気付いて修正してFw16Bで大分良くはなっていたものの、シーズン前半のウィリアムズはポールどころかトップを快走できるような代物じゃなかった。それなのに、それを成し遂げてしまったセナの力に驚嘆したとも語っていました。
恐らくこのマシンはアクティブサスなどのハイテク装備ありきでデザインされたマシンだったのでは😢それが前年に急にルールが変わってハイテク装備禁止になったのでダウンフォースだけが強くなって操りにくいマシンになったのではないかと思っています
当時の検証で、ステアリングの位置が悪い為に途中でカットして繋ぎ位置合わせをした。その繋ぎ目が金属疲労を起こし折れ、操縦不能に陥った。
という事がありました。
真偽は分かりませんが、マシンの性能以上の力を発揮させてしまう、セナならではの事故だったのかもしれません。
当時この曲が入ったアルバムを買った。
ジャケットはセナ関係ではなく
ウイリアムズFW-14Bの写真だった。
オリジナルの曲はサビの部分が繰り返しておらず驚いた。F1中継のエンディングで聴いたこの曲は編集されていたのだと知った。
作曲者の佐藤さんには悪いけど、編集バージョンの方がいいね笑
永遠のヒーロー!
セナ程のF1ドライバーはあれからでていない
1992~1993年は、各ドライバーにウィニングテーマがあって、初めて聴いたのが、1992年のモナコ。マンセルが圧倒的に強くて、ずっとマンセルのテーマを聴いていて、初があのモナコ。地上波だから、あの演出が出来たのだろうし、当時勢いのあったフジテレビだからこそ、とも思う。今は時代が違うし、CSやネット配信になっているから、あの頃の熱気はリアタイで観ていた人しか分からない。今は今、昔は昔の良さがある。
本物のF-1の時代(T_T)
深夜放送してた事故の生放送の時のエンディングがこの曲で、聴く毎に思い出して悲しくなってしまいます。
確かに、この頃はまだ生身の人間が直接コントロールする領域が多く残ってましたね(ハイテク禁止という背景もあったのでしょうが)。今はドライバーというより、オペレーターに近いような気がしますね。
🇧🇷アイルトン・セナ・ダ・シルバ
🌟1960年3月21日~✞1994年5月1日
神の愛は、永遠に我が身に降り注ぐ
F1グランプリ出走:161戦
優勝:41勝
ポールポジション:65回
ファステストラップ:19回
所属したチーム:トールマン(1984年)
ロータス(1985年~1987年)
マクラーレン(1988年~1993年)
ウィリアムズ(1994年)
Hoy 2021 sigue siendo de simply the best
このマルボロカラーのマクラーレンのなんと美しいことか!
会いたかった
品川昌也
強すぎる何にしても
強すぎる故の事故貴公子の強すぎる死
私は強すぎるものを好まない
俺はセナの事が大好きです
セナに会いたかった
セナのお墓参りに絶対に行きたいです
🇧🇷🏁 o melhor senna
このエンディング曲になった年の第3戦、サンマリノ。
まさか、という想いだった😭
F1に無くてはならなかった大切な人材を失い、見る気も失せてしまった。
曲の旋律が、セナへのレクイエムにも聞こえ、セナの細かい心を表現してる感じ。
当時の解説者だった今宮純さんも鬼籍に入り、今、セナと何を語っているのだろうか❓
城達也さんも当然印象深いですが、個人的にはF1番組のナレーションというと窪田等さんの方がより印象深い。