よみがえる名吟 笹川鎮江「諸生と月を見る」

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  • เผยแพร่เมื่อ 19 ก.ย. 2024
  • 伝説の名吟詠家 笹川鎮江二代会長の映像を発掘!
    名吟の数々が令和の時代に蘇る
    第三弾は中江藤樹作「諸生と月を見る」
    作者:
    中江藤樹(1608~1648)江戸初期の学者。
    近江(滋賀県)高島郡小川村に生まれる。17歳の時大洲に転じる。学問、武術に励み、27歳の時、母の孝養を理由に致仕を願い出るが許されず、脱藩して小川村に帰る。故郷でも学問に励み、門人に近江聖人と称される。藤樹は、王陽明の知行合一説に傾倒し、わが国の陽明学の首唱者となり、晩年は全考説を唱えて、「考は天地神明に通づる大道」とする藤樹学を確立した。
    解説:
    この詩の題は「戊子の夏、諸生と月を見ての偶成」とつけられていることから、慶応元年の夏、門人たちと月見をしたときに、たまたまできた詩であることがわかる。藤樹は学徳が高かったのみならず、教育者としても優れ、風教と徳化とは深く田夫野人にまで及び、入門を希望する者が絶えなかったという。この門人たちと月を見ての詩であるが、この年に藤樹が亡くなっていることを思うと、その感慨もまたひとしおのものがある。
    通釈:
    清々しい風が吹きわたり、昼の焼けるような暑さも忘れてしまう。明るく澄んだ月が中天に輝いて、俗世間の塵や汚れをすっかり断ち切って清らかである。志を同じくしている者たちが、月見に打ち興じていると、知らず知らず、古代の聖王帝堯時代の民のように素朴で清らかな心になる。
    笹川鎮江:
    大正12年(1923)東京に生まれる。
    幼少より筑前琵琶を習い、昭和6年(1931)、当時の筑前琵琶の女王豊田旭穣に師事し、雅号「旭凰」を授与される。
    昭和11年吟詠の木村岳風に入門、翌年NHKオーディションを1回で通り、NHK文芸部長小野賢一郎の勧めによって吟詠主体に精進し、吟詠界のスターとなる。
    戦後も笹川良一夫人として多忙な身でありながら、レコード、公演と幅広く活動し、吟詠静凰流を創始、昭和43年(1968)日本吟剣詩舞振興会の創立メンバーの一人となる。
    和歌と近代詩を吟詠の素材として発掘、琵琶の節調を生かした独特の詩吟の節付けをし、主な作曲に「千曲川旅情の曲」「潮の音」(島崎藤村作詞)、「わが家の富」(徳富蘆花作詞「自然と人生」より)、「兜」(大野恵三作詞)などがある。
    海外への吟詠の普及活動にも努め、欧米・東南アジア各地で公演する。
    筑前琵琶の名手としても名高く、「ひめゆりの塔」「千姫の嘆き」などを作曲。
    昭和56年、吟詠と琵琶の芸術的活動に対し、中華民国より文化奨章を受章。
    昭和60年、財団法人日本吟剣詩舞振興会「吟剣詩舞芸術大賞」を受賞。また吟剣詩舞の振興功労により「文部大臣特別表彰状」を受賞。
    平成元年、吟詠の精進並びに発展に寄与した功績により、「紫綬褒章」を授与される。
    平成7年、財団法人日本吟剣詩舞振興会第2代会長に就任。
    平成14年3月16日逝去。

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