②アメリカ世の10年【沖縄戦後の女性と子供たち:朝鮮人慰安婦・収容所・軍雇用員・沖縄女性・戦争孤児】
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.พ. 2025
- 資料:アメリカ世の10年「沖縄戦後写真史」
米国防総省 米陸軍省 米海兵隊本部 米国立公文書館 沖縄県立博物館 琉球大学図書館
前編①「アメリカ世」の国際通り・平和通り・開南・神里原・市場・映画館・ガーブ川と人々:沖縄戦後(1945~1955)
• ①アメリカ世の10年【国際通り・平和通り・開...
#沖縄戦後#アメリカ世#在沖米軍#朝鮮人慰安婦#収容所#広島原爆投下#軍雇用員#料亭「那覇」
06:47 「昇降用」⇒「将校用」
【9:31】「美人を狙うフィリピーナ」、➡ この言葉は誤りだと思います。これでは「美人を狙うフィリピン娘」になってしまいます。☺
フィリピーナ=「フィリピン娘」、フィリピーノ=「フィリピン男」が正解だと思います。
これにつられて思い出しましたが、1967年に歌手・梓みちよが歌った曲に、「渚のセニョリーナ」という歌がありましたが、これも同じような誤りで、未婚女性には【セニョリータ】が正解で「セニョリーナ」は何かの誤解から付けられた題名だと推測します。尚、スペイン語では、未婚女性には「セニョリータ」、既婚女性は「セニョーラ」、男性には「セニョール」が使われます。 動画を興味深く見させていただきました。👍
おはようございます。
現在、動画制作者長期不在のため、ちゃんねる管理者が代わって返信します。
当時の沖縄の人々は、男女構わず、台湾の人を「タイワナー」と呼び、フィリピン人も全員ひっくるめて「フィリピナー」でした。スペイン語の文法的な名詞・形容詞のジェンダーの誤用ではなく、沖縄語での慣用的な語尾だと思われます。
よって、当時の出版物にコラムやキャプションを載せる人も、うちなんちゅが実際にフィリピン人を指した呼称を掲載したのではないでしょうか。
動画にも有る通り、「そのまま転載」なので、動画制作者の知識不足ではなく、当時の呼称に忠実、と言うことになります。
なお、当時羽振りが良く、上品に着飾ったフィリピン人男性は、フィリピナー紳士とも呼ばれていました。
いずれにせよ、スペイン語の知識が有ると、当時の沖縄庶民の言葉使いに気を取られると思います。
しかし、「フィリピナー」は、スペイン語そのものと言うより、沖縄人が「人」を指す時の、少し差別的な意味合いを含む「あ」の長母音を語尾に付けた呼称だとご理解していただき、そして、フィリピン人を「フィリピナー」と総称していた事も、戦後の沖縄社会での事実として、動画を鑑賞していただければ幸いです。
@@okinawa_share_tube : そういう時代的背景があったんですね! 知りませんでした。 当時の沖縄の状況を説明していただきありがとうございます。
当時を知る人の中には、今でも台湾人を「タイワナー」、フィリピン人を「フィリピナー」と呼んでいます。その類の人は、山原出身者を「やんばらー」とどこまでも差別用語を使っています。県外出身者を「やまとぅんちゅ」ではなく、「ないちゃー」と呼ぶのも、その同線上にあります。
なぜか、侮蔑語を自ら進んで自己紹介に使う県外出身者が増えたのは、不思議な現象です。