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これは素晴らしい出会いというか「縁」ですねぇ。Kさん、すごいですね。かっての集落の一軒一軒の写真や屋号まで記録されているとは。そうした「成果」がKさん一人のもので終わらず、それを引き継いでくれるにわまるさんに出会えた。まさに「縁」だと思います。Kさんもうれしかったのでは? それにしても山の上の棚田。畑があったのは想像できますが、田んぼというのはいまだに信じられない。
これは良い縁でした。今も時々会いに行きます。これからも記録は残して行かないといけませんね。あの津越集落で田んぼがあったのは信じられませんね~。水も確保が大変で、下のほうまで汲みに行ってたそうです。
ご苦労さまでした。すごいですね。今後楽しみにしています。
今後も情報は探っていきます!
にわまるさん おこんばんはあるもんなんですねぇ、すごい歴史のお宝が。。。見当違いかもしれませんが、道の駅への道中にその歴史を感じる山々がある。奈良や和歌山はそんな場所だと感じます。それにしても生活の知恵が命を紡いできたのですね。
人口の少ないところなので、その地に住んでいる、あるいは詳しいごく少数の人が何も発信しなければ、永遠に知られずに消えていくような情報ですね。わたしも少しでも隠れた情報を探っていけたら良いなあと思っています。
今後が更に楽しみです。5時間話を伺ったというのも興味深いです。
コメントありがとうございます。聞いたり尋ねたりパソコン触ったりしてると過ぎた時間です……地元民でもこういうことに興味がない人も多くて、話し相手がいないそうな。まあ、わたしのような余所者では話について行くのも難しいのですが……。
津越の回を見返してきました。そしてふるさと紀行も。モノレールの変化に時の流れを感じて物悲しくなってしまいました。にわまるさんの動画は欠かさず拝見するのは私も十津川に惹かれているのかもしれません。玉置神社には毎年お参りに行ってますよ。今後も動画のupを楽しみにしています。
えらい人と巡り合いましたね。5時間も話ししたのもわかります。何度見てもうらにわ放送の人がカラテカ矢部に見える。
人とまず会うのが大変です。話せそうな人が外に出てるかどうかも運ですから……。巡り合い大切です。カラテカ矢部です笑笑
まあご苦労様でございます
ありがとうございます。これからも地道に探索していきます。
これからも楽しみです🙄
これからも楽しんでいただけたら!
すごいですね〜。楽しみです!
情報量が多くて大変です!
8:26 にわまるさんが「たぶんここ」と指しているところ、Googleのストリートビューを2013年9月にすると、ちょうどここにつり橋がかかっていますね。このあたりで渡れたようです。今はなくなっていますが…
西中の吊り橋は、最近なくなったみたいです。昔は吊り橋ではなくて丸木橋だったそうです。ほんとうに、吊り橋がどんどんなくなってきて、悲しいです。
一時期山間部に住んだことがあるのですが、借りた家は位置的に本来自治会は○○区なんだけど先住者の絡みで隣の××区だったので、地理的要素以外に集落が入り乱れるのは割とよくあったかなぁと、見てて思いました。
コメントありがとうございます。いろいろな自治体や自治区の境目は、集落と集落がぶつかった時にできるものですからねー、境界ありきではなく、中心ありきですから。ちなみに、区域を決める方法です。京都府の木津川市と笠置町の境目に気持ち悪い飛び地があるのですが、属人主義で市町村の境目を作るとああなった、という良い例です。参考までに。
お疲れ様です。貴重なお話を聞かれたんですね。資料も貴重でしょうね。以前に和歌山に行った時に幾つかの廃村を通ったのもあって、とても興味深く拝見させて頂きました。
和歌山も山間部は廃村だらけですね。和歌山の廃村は、どことなく十津川の廃村と雰囲気が似ています。なかなか遠くて、和歌山の廃村は手が出ませんね。
お疲れ様でした。kさん色々調べられていて凄いですね。資料は廃村探すのに役にたちそうですね。昔の人は凄いですね。家から小学校まで何キロもありそうなのに歩いて行かなきゃならなかったのだから。
Kさんの情報はすごいですね。地元で、集会所等に残っている資料が使えるのと、歩き回れること、本人の気質等、さまざまな偶然の結果です。ただ、本人は変人扱いされて、なかなか理解されないようです。家族以外にはおおっぴらに言っていないようでもあります。十津川の小学校はとても通いにくくて、往復で5−8時間かかるところもありました。毎日通学しないのが当たり前だったそうです。通学時の危険が、崖崩れ・ケモノ・飢えという、今の時代では考えられない課題がありました。
とても興味深いです。津越は、ふるさと紀行を見たことで、さらに印象深い場所です。Kさんもにわまるさんもリスペクトです!今後の動画を楽しみにしております。
コメントありがとうございます。ふるさと紀行ではわからないような情報もありましたね! 今後も地味に調査・探索を続けていきます!
Kさん、すごいですね、根気はいるし、大変な作業ですよね、何年もかかっているのでは?頭がさがります、
しかも、ほぼリタイヤしてから(自営業なので正確には退職がないのですが)、パソコンもキャドも覚えたそうです……。
にわまるさんのお部屋でお話をされている時、にわまるさんがとても生き生きワクワクされているように感じました🎵このように熱意を持って探究されているのはもう、Kさんもにわまるさんも学者さんですね!
十津川はこういうことがあるから面白いんですよねー。他の地域と違って十津川ばかり行ってしまうのは、地域に深みがあるからなんですよねぇ。
屋号が、集落名?とかスゴいですね!こういった方がいるのは嬉しいですね。にわまるさんの声がウッキウキで聞いていても楽しそう(笑)今後の廃村探訪動画ますます楽しみです☺️いい人に巡り会えるのも人柄と何かを突き詰める心を持つ人に見えない力が人を寄せ付けるんですね😊
もともと十津川の集落名は住民の名字と同じものがあるのですが、それもどちらが先かわからないですからねえ。そこに屋号も絡むともはやわけがわかりません。人柄~がらがら~
そういえば、孫入峰も孫入さん名字ですもんね。がらがらってシャッターっすか(笑)いい青年じゃあないですか😊
国土地理院地図では西中から北へ上がっていく谷に大谷の記載があり車道も書いてありますね。さら~によく見れば尾根上の小辺路との中間に徒歩道があり建物の記載も2つあります!意味なく徒歩道が一周してるのは、かつてこのあたりに集落が散在していたんでしょうか?。。。。う~探索大変そう(笑)
大谷はややこしそうです……小辺路が街道だった時代は、その横の集落だったのではないでしょうか。いまも一応、大谷出身者はいるはずですが、ちょっと探しにくいですね。大谷は後回しにします……
お疲れ様です✨インフォーマント、初めて知りました!村の生活、時代とともに変わるんですね(*´ω`)
生活も常識も、すぐに変わるんですよ。恐ろしいのは、常識なんてものの10年や20年で変わるのに、そのことを忘れてしまうことですね。
現地の人の話程生きた情報はないっすね(≧▽≦)ノこれは良い時間でしたっすね!(^^)!
現地の人はネットや本に載っていない情報を当たり前のこととして知っていますからねー。しかも、その情報が貴重だとわからない(あたりまえだから)。で、あたりまえだから、普通に話していても、こちらから聞かないと言わない(あたりまえだから)。これが難しさですね……。
これは素晴らしい出会いというか「縁」ですねぇ。Kさん、すごいですね。かっての集落の一軒一軒の写真や屋号まで記録されているとは。そうした「成果」がKさん一人のもので終わらず、それを引き継いでくれるにわまるさんに出会えた。まさに「縁」だと思います。Kさんもうれしかったのでは?
それにしても山の上の棚田。畑があったのは想像できますが、田んぼというのはいまだに信じられない。
これは良い縁でした。
今も時々会いに行きます。これからも記録は残して行かないといけませんね。
あの津越集落で田んぼがあったのは信じられませんね~。水も確保が大変で、下のほうまで汲みに行ってたそうです。
ご苦労さまでした。
すごいですね。今後楽しみにしています。
今後も情報は探っていきます!
にわまるさん おこんばんは
あるもんなんですねぇ、すごい歴史のお宝が。。。
見当違いかもしれませんが、道の駅への道中にその歴史を感じる山々がある。奈良や和歌山はそんな場所だと感じます。
それにしても生活の知恵が命を紡いできたのですね。
人口の少ないところなので、その地に住んでいる、あるいは詳しいごく少数の人が何も発信しなければ、永遠に知られずに消えていくような情報ですね。
わたしも少しでも隠れた情報を探っていけたら良いなあと思っています。
今後が更に楽しみです。5時間話を伺ったというのも興味深いです。
コメントありがとうございます。
聞いたり尋ねたりパソコン触ったりしてると過ぎた時間です……地元民でもこういうことに興味がない人も多くて、話し相手がいないそうな。まあ、わたしのような余所者では話について行くのも難しいのですが……。
津越の回を見返してきました。そしてふるさと紀行も。モノレールの変化に時の流れを感じて物悲しくなってしまいました。
にわまるさんの動画は欠かさず拝見するのは私も十津川に惹かれているのかもしれません。玉置神社には毎年お参りに行ってますよ。
今後も動画のupを楽しみにしています。
えらい人と巡り合いましたね。5時間も話ししたのもわかります。何度見てもうらにわ放送の人がカラテカ矢部に見える。
人とまず会うのが大変です。話せそうな人が外に出てるかどうかも運ですから……。
巡り合い大切です。
カラテカ矢部です笑笑
まあご苦労様でございます
ありがとうございます。
これからも地道に探索していきます。
これからも楽しみです🙄
これからも楽しんでいただけたら!
すごいですね〜。
楽しみです!
情報量が多くて大変です!
8:26 にわまるさんが「たぶんここ」と指しているところ、Googleのストリートビューを2013年9月にすると、ちょうどここにつり橋がかかっていますね。このあたりで渡れたようです。今はなくなっていますが…
西中の吊り橋は、最近なくなったみたいです。昔は吊り橋ではなくて丸木橋だったそうです。ほんとうに、吊り橋がどんどんなくなってきて、悲しいです。
一時期山間部に住んだことがあるのですが、借りた家は位置的に本来自治会は○○区なんだけど先住者の絡みで隣の××区だったので、地理的要素以外に集落が入り乱れるのは割とよくあったかなぁと、見てて思いました。
コメントありがとうございます。
いろいろな自治体や自治区の境目は、集落と集落がぶつかった時にできるものですからねー、境界ありきではなく、中心ありきですから。
ちなみに、区域を決める方法です。京都府の木津川市と笠置町の境目に気持ち悪い飛び地があるのですが、属人主義で市町村の境目を作るとああなった、という良い例です。参考までに。
お疲れ様です。
貴重なお話を聞かれたんですね。資料も貴重でしょうね。
以前に和歌山に行った時に幾つかの廃村を通ったのもあって、とても興味深く拝見させて頂きました。
和歌山も山間部は廃村だらけですね。和歌山の廃村は、どことなく十津川の廃村と雰囲気が似ています。
なかなか遠くて、和歌山の廃村は手が出ませんね。
お疲れ様でした。kさん色々調べられていて凄いですね。資料は廃村探すのに役にたちそうですね。
昔の人は凄いですね。家から小学校まで何キロもありそうなのに歩いて行かなきゃならなかったのだから。
Kさんの情報はすごいですね。地元で、集会所等に残っている資料が使えるのと、歩き回れること、本人の気質等、さまざまな偶然の結果です。
ただ、本人は変人扱いされて、なかなか理解されないようです。家族以外にはおおっぴらに言っていないようでもあります。
十津川の小学校はとても通いにくくて、往復で5−8時間かかるところもありました。毎日通学しないのが当たり前だったそうです。通学時の危険が、崖崩れ・ケモノ・飢えという、今の時代では考えられない課題がありました。
とても興味深いです。
津越は、ふるさと紀行を見たことで、さらに印象深い場所です。
Kさんもにわまるさんもリスペクトです!
今後の動画を楽しみにしております。
コメントありがとうございます。
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Kさん、すごいですね、根気はいるし、大変な作業ですよね、何年もかかっているのでは?頭がさがります、
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このように熱意を持って探究されているのはもう、Kさんもにわまるさんも学者さんですね!
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もともと十津川の集落名は住民の名字と同じものがあるのですが、それもどちらが先かわからないですからねえ。そこに屋号も絡むともはやわけがわかりません。人柄~がらがら~
そういえば、孫入峰も孫入さん名字ですもんね。
がらがらってシャッターっすか(笑)いい青年じゃあないですか😊
国土地理院地図では西中から北へ上がっていく谷に大谷の記載があり車道も書いてありますね。さら~によく見れば尾根上の小辺路との中間に徒歩道があり建物の記載も2つあります!
意味なく徒歩道が一周してるのは、かつてこのあたりに集落が散在していたんでしょうか?。。。。う~探索大変そう(笑)
大谷はややこしそうです……小辺路が街道だった時代は、その横の集落だったのではないでしょうか。いまも一応、大谷出身者はいるはずですが、ちょっと探しにくいですね。
大谷は後回しにします……
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恐ろしいのは、常識なんてものの10年や20年で変わるのに、そのことを忘れてしまうことですね。
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現地の人はネットや本に載っていない情報を当たり前のこととして知っていますからねー。しかも、その情報が貴重だとわからない(あたりまえだから)。で、あたりまえだから、普通に話していても、こちらから聞かないと言わない(あたりまえだから)。
これが難しさですね……。