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ありがとうございます!兵隊で帯広に居た時、国鉄の機動車に乗り、十勝三俣迄行きました。懐かしいですね!
自衛官でなく、帝国陸軍?ですか?
父が士幌線や広尾線を運転していましたが、私は幼い頃で記憶がないです。ここを走っていたのだと思うと感慨深いです。今度帰省した時に、父と一緒に見てみようと思います。
@@pianotaro8208 ありがとうございます。ぜひ一緒にに見てください。他の動画ですが、「運転している父が写っていました」というコメントをいただいた事があります。駅員や車掌も知り合いではないでしょうか
@@user-tabiichiro 動画一覧を拝見しましたが、とても充実していて驚きました。チャンネル登録させていただきました☺️もう40年程前のことなので、父が覚えているのが怪しいのですが、もしかすると駅員なども分かるかもしれませんね。父は根室本線なども運転していたようです。他の動画も確認してみますね。
@@pianotaro8208 ありがとうございます!
上士幌出身です中学にあがった頃廃止になったので糠平まで帯広まで士幌線に乗った記憶ははっきりあります映像見ると懐かしさでグッとくるものが有りますね貴重な映像ありがとうございました
ありがとうございます。楽しんでもらえると嬉しいです。地元の方ならではの発見もあるんでしょうね。
懐かし映像ありがとうございます。同年同月に士幌線と広尾線を乗り通した事を思い出しました。
と言う事は同じ日かもしれないですね。この年の北海道シリーズは他にも上がっているのでご自身がおられませんか
糠平の1駅手前「黒石平」は下り列車しか停車しないという変わった仕組みでしたが、上り列車はどうだったのか?それは黒石平~糠平間に「電力所前」という名の仮乗降場を設置しておりまして、上り列車はそこで客扱いを行うという変わった仕組みでした。そのために「下り列車=黒石平、上り列車=電力所前」という役割分担がなされていました(何しろ「電力所前」は先程申し述べました通り終始正式な駅ではなく仮乗降場として扱われており、あくまでも黒石平駅構内の一員でした)。
「おびひろ、おびひろ、おびひろぉ~~」、懐かしい帯広駅の到着アナウンス。意外と知られていないが、帯広駅の到着アナウンスは声のきれいな人が多くて風情が有り、自分はこのアナウンスが好きでした。従兄もこの当時は帯広駅で働いており、このアナウンスを形成する1人でした。因みにこのアナウンスは従兄のものではないです(笑)。
貴重なお話ありがとうございます!士幌線は民営化と同時に廃線だったんですね😵道東エリアは他にも標津線、広尾線、白糠線、池北線(ふるさと銀河線)・・・釧網線も根室本線の釧路~根室もこの先どうなるか・・・
帯広駅に入っていく手前側の古い建物群と上に見えるミルキーウェイ(長崎屋方面への連絡橋)が懐かしい。父が職員だったんで帯広駅の中にある職員用の大浴場へよく行っていました。
ありがとうございます。地上時代の帯広駅は広々として見えましたが、いまは私鉄の駅のようですね
亡き父方の祖父が糠平湖で貸しボートの管理人をやってました昭和53年に北海道を訪れ、しばらく糠平に滞在したことがあります朝目をさまし散歩してると、村外れから汽笛の音が一番列車の発車する汽笛でした動画にも映ってるキハ22の600番台は、半室がロングシートになってましたカーテンで仕切って荷物室にするためです
佐久間ディック まだ十勝三俣までの頃ですね。羨ましいです
@@user-tabiichiro もうその頃にはバス代行となってました 三股には4軒しかありませんでしたから
7年前、タウシュベツ橋梁見に行った時に十勝三股駅跡を訪問しましたが、この映像の頃はまだその時より駅跡付近に人家や建物が多いですね。
そうですね。この頃すでに代行バスとなってはいましたが、鉄道がなくなる=街がなくなるという典型例です
私は32年前、十勝三俣と糠平の間にあった唯一の駅「幌加」にある幌加温泉に行った事がありますが、既に全線バスでした。でも温泉は最高で泉質の違う4つの湯舟独り占めでした。まだ自炊は泊まれるのかな?私が泊まった時は一泊二日二食付きでサービスも良好でした。真冬だったので景色も最高でしたね。
Tama Kaneko 32年前なら僕がいった頃と変わりませんね。その時代にも自炊宿という文化があったんでしようか
全国の鉄ちゃんが寄付し合って廃止路線をひとつだけ復活させるというプランはないかな?もちろん一日だけではなく永遠にです私も少し出します
実際どれくらいの額が必要なんでしょうか。イギリスのようにボランティアが運営しながら通勤にも使ってる例もありますね。
何かを購入したり維持するための費用は必ずかかります人件費はゼロ関係者はボランティアですから短い路線で少しは利用者がある場所そうなるとやはり街(都市)の近くになるのでしょうか?個人的には北海道か九州あたりの廃線を復活させたいと思いますがしょうもない話で失礼しました
2008年からほぼ毎年、北海道にマイカードライブへ行くようになり、2010年この路線のことを知りました。それ以降、道東方面へ行った時は必ずこの沿線を訪れたり、これまで3回参加した地元NPOの主催するタウシュベツ橋梁見学ツアーでも旧幌加駅に寄ったりと、思い入れの強い路線となりました。もちろん現役のころは知る由もありませんが、実に北海道らしい路線だったんだろうなあと思います。この動画も永久保存版クラスの貴重なものだと思います。
キジネコたま 評価いただきありがとうございます。民営化を控えて、二度ど見られなくなる国鉄という時代を記録したくて、最後の10ヶ月を記録しまったものです。TH-camがなければ一眼に触れずお蔵入りでした。こうやって公開できた事、そして評価をいただけることでやって良かったと思います。それと同時に今コロナで歴史的転換点にあるように思えるので、そちらも記録しています
今年初めて行きました。また行きたいと思います。タウシュベツ橋梁はじめ、ずっと残してみんなに見てもらいたい素晴らしい鉄道遺跡ですね。
mie tan そうですね。話題になって、人が訪れてくれるだけでも記憶が残りいいと思うところです
私は上士幌に祖父母が住んでいたので何度か利用しました、当時の記憶が蘇ってきました、貴重な映像資料ありがとうございます。
Juliet Alpha ありがとうございます。お役に立てて良かったです
懐かしい映像をありがとうございました。私はこの撮影の2年前に乗車しました。キハ22系のディーゼル音、地上駅舎の帯広駅、窓からの車窓、当時を思い出しました。この頃の帯広には、まだ広尾線もあった頃かと・・・愛国駅や幸福駅は公園化しているそうですが、やはり汽車が走ってこその駅ですね。
anklady 評価いただきありがとうございます。この年、国鉄最後のダイヤ改正に当たる61.11ダイヤ改正前になんとか最後の国鉄(旧客、腕木式信号機、通票閉塞など)の雰囲気を残そうとビデオカメラを購入したばかりなので、技術はなっていませんが、懐かしくおもっていたたければ嬉しいです。この前後で広尾線も撮影しています。
こちらへも返信ありがとうございます。広尾線の映像も拝見しました。想いが技術を上回っていて、当時を知る者にはとても良かったですよ。今の人たちに「タブレット」と言っても、i-padになるでしょうが(笑)。
anklady そう言ってもらえると、アップした甲斐があります。他も楽しんでいただければいいのですが、国鉄時代のはほんの僅かしかありません。
@@user-tabiichiro 私はまだ一度も北海道に行った事がありません!士幌線全線とあるが、実際は糠平〜十勝三股は運行休止だったが、廃止扱いになりましたね、Wikipediaで見ましたが、この区間は、人家が2軒ぐらいと少なく100円儲けるのに12000円の赤字がありました。昭和53年頃から列車からバス🚌に代行運転するようになり、国鉄の企画乗車券は利用できました。
西部好一 当時の時刻表では、普通に列車が直通しているような感じの表示で、横にに「糠平ー十勝三俣間はバスになります」という注意書きがありました。実際には昭和53年からずっとバスだったのに、「〜なります」という書き方だったため、「一体いつからバスになるの?」と思っていました。
十勝三股からの代行バス、地上に駅舎があったころの帯広駅懐かしいですね。バスはほとんどの客が周遊券利用者だったような気がします。私が旅したのは1986年の7月後半でした。えりも岬YHに泊まって、広尾線で帯広に着いて帯広YHに宿泊して翌日に士幌線に乗車しました。
あの時代のユースは楽しそうでしたね。僕はひねくれていたので全て夜行列車で過ごしました。少しくらい泊まっていたら素敵な出会いがあったかもしれないですね。
貴重な動画ですね。昨年、帯広駅で士幌線の線路跡をみました。
ヒマりん。 ありがとうございます😊北海道のほとんどの路線が廃止になる民営化直前に何とかビデオを撮る事ができたので、アップする場所があり、皆さまにお届けできました
この映像から10年後に、帯広駅が立派な高架駅に変身してしまうなんて想像がつかないです。
そんなに昔から高架になってたんですか。95年から2008年まで北海道に行かない時期があったので、2008年に高架になった帯広駅を見て愕然としました。あの日本食堂はどこへ行ったのだ?
96年11月に高架になったようです。私は2000年春に帯広駅を訪れましたが、その時はもうこの映像当時の面影は皆無で、駅前にホテルなどが建ち並び、すっかり都会的になっていました。
Tabizuki 1675 ショックでしたね。一番線から直接乗れる駅、駅裏には留置線がならび典型的な大型駅だったのに
@@user-tabiichiro 日本レストランエンタプライズに名を変えて営業してますね。紺の制服に白いカチューシャのお姉さん 懐かしいです。
ぶっちゃけ帯広駅を高架にする必要あったのでしょうか❓
最終的には糠平~十勝三股間は鉄道として復旧することもなく、廃止の日を迎えてしまいました。その代替バスですが、地元のタクシー会社「上士幌タクシー」の手によって運行されていたようですが、現在の十勝三股は完全に廃村状態になっているらしいです。
rhscm989 鉄道がなくなる=村がなくなる、ですね
現在の日高線と同じですよね(日高線は災害で不通ですが)‼️。
斉藤弥 鉄道が最後の砦なのに、容易に手放してはダメでしょう
懐かしい映像をアップしていただきありがとうございます。自分が通っていた小学校の目の前を通っていたのですが、その画像もあってとてもうれしかったです。帯広駅に到着したときのあの早口のアナウンスはいまでは聴くことができないのが残念です。
ありがとうございます。車窓ビデオはともすると退屈なんですが、大切な場所が映っていることもあるんですね。
14分58秒くらいの踏切を渡って左側に建物は見えないのですが木が並んでいてその隣がクランドと校舎になります。市内の学校でこんなに目の前に汽車が走っていたのはたぶん私が通っていた小学校だけです。グランドで授業をしているときに汽車が通っていった姿をいまでも思い出します。貴重な画像本当にありがとうございました。小学校時代に戻った気分になれました。
喜んでいただき、こちらもうれしいです。
懐かしい映像を発見。士幌駅手前の無人駅「北平和」の短いホームが右手に写っていたのを気づきいた方はいますかね。
士幌線は勿論の事、キハ22のエンジンアイドリング音・走行音だってとても懐かしいです。アップ感謝します。
山田市之助 ありがとうございます。国鉄標準気動車の音はいいですね
懐かしい!あの当時の威厳のある形の帯広駅。人や時間の流れがゆっく~りとしていた時代ですね。今でしたら、線路に子供が飛び降りたら、ニュースやワイドショーで大げさに取り上げるんでしょうね。
daiseidou512 そうですね。窮屈になりましたね。今回の自粛警察もそうですが。
懐かしいね私もガキの頃よく乗った路線だよ 学校が休みの日よく糠平温泉の方に友達と一緒に汽車に乗って帯広から糠平温泉まで遊びに行ったよ そこに糠平湖があってよく釣竿他の子と釣りをしたり 糠平温泉の食堂で飯を食ったりして楽しい日々を過ごしたら もうその時は150年ぐらい前だったかな私が小学校5年生くらいの時かその時は頻繁に糠平温泉の方に来ちゃで言っていたがその時は十勝三股までは行っていなかったら 確か聞くところによると糠平温泉駅の先に十勝三股という駅があったということは聞いているが 実際十勝三股の駅は私は糠平温泉まで列車で行ったがその先の駅は知らないが知らなんだだからそれより古い映像だね 現在は道がとても綺麗になって車も走りやすい道になっちゃったね 駅はもちろん鉄道のレールもなくなっちゃったよね 私は中学生を卒業して2年目ぐらいの時に糠平にある糠平温泉観光ホテルに調理師の見習いとして 丁稚奉公で働くことになったその時も休みの日はよく糠平温泉の駅から列車で休む時は帯広まで出て行って映画なんかよく見たね
コメントありがとうございます😊地元の方ですね。時代は少し違うかもしれませんが、当時を思い出していただければ嬉しいです。途中からの勾配が印象的でした
まさか士幌線の映像を見られるとは思わなかった。俺が初めて十勝三股に行ったのは廃線の年かその翌年くらいで、踏切の跡しかわからなかった。
Kartz MotoVlog 評価いただきありがとうございます。国鉄最期の年、今行かなければ絶対後悔すると考えて、行った甲斐がありました
十勝三股まで鉄道が走ってた頃の映像はないのかなあ。
糠平ー十勝三股はこの動画より8年前にバスになったので動画はほとんど見ませんね
年代的に、NHKなどが番組・記録として撮っていなければ無さそうですね。…他にはタウシュベツ橋梁が現役だった頃の写真なんかもないのかなあと思ったりもします。
自分は、士幌線の現役時代を知りませんが、本当に良い景色ですね。乗りたかったです>.<貴重な映像を有り難うございました!
十勝平野を直走って、最後に急に山に分け入るというのが特徴でした。平野部は「でっかいどう」を感じられましたね
昭和59年に乗りに行きました。好きな路線の一つでした。帯広駅いいですね。今では高架駅になってしましましたがやはり駅は地平駅がいいですね。
ありがとうございます。帯広を始め、高架駅になった所はどこもこじんまりとしてしまい、私鉄の駅のようで寂しいですね
8:16に通過したのは新士幌駅のようだね。この駅は道内時刻表にも掲載されなかった幻の駅だった。他に国鉄時代に道内時刻表に載らなかった駅は共栄仮乗降場(白糠線)、笹森仮乗降場(池北線)、稲士別(根室本線)、尾路遠(胆振線)、下ノ滝(羽幌線)などかあった。
道内時刻表にも未掲載という仮乗もあったのですか
@@user-tabiichiro さん例えば池北線の笹森仮乗降場の場合は国鉄時代保線作業員の宿舎があり職員とその家族のみの利用に限られていてそれに合わせて列車を停車させるダイヤだったようです。この仮乗降場は民営化後に正駅に昇格第三セクターのふるさと銀河線の廃止まで存続していました。駅の構造も他の仮乗降場とは違い信号場のようなボロボロで狭く短いホームでした。
大塩平八郎 北海道にはそんなきめ細やかな対応があったということですね
貴重な動画拝見しました。末期の十勝三股駅票の傾きぶり、閉鎖された駅舎がなんともいえないですね…ワイド周遊券は一度利用してみたかったですねぇ、いくら当時の価格とはいえ20日で2万円代は最強過ぎです
はねが生えた鳥が如くの時代でした。今にいたるまでこれ以上の自由な切符はないとおもいます
おお、関係者ですね。国鉄時代の駅到着アナウンスはよかったですね。長距離列車で到着した「にしかごしまーー」や「あおもーり」など、どれも感慨ぶかいものがあり、じーんときました。
DMH17のアイドリング音と発車時の動き始めの音、実は鉄道省の戦前の設計で性能も低く燃費も悪いものでしたが、扱いやすさが現場に好評で、かつては当たり前のローカル線サウンドでした。しかしそれも歴史の奥に消えようとしています。
dou ga99 眠気を誘う優しい音でした
わぁ〜私が小学生の頃毎日通った地下道が写ってる!よくチカンが出没したよ。。。
そうなんですね。今は無くなったんですか
今はもう無くなりました。15:00あたりに映り込んでいる黄色い帯広ガスの円筒タンクの前を通って線路下の地下道を通って通学してました。人しか通らない地下道で薄暗く、現代なら絶対に事件が起こりそうな匂いがプンプンするスポットでした笑懐かし過ぎる映像、ありがとうございます😂
帯小の近くの問屋街の地下道ですね!当時柏林台でしたがよくうわさは聞きました。
撮影以後生まれの地元民ですが、木野→帯広の風景で今も残ってる建物はないかなと目を凝らしてもなかなかピンと来るものはないですね。雰囲気は帯広の風景だとはわかりますが。30年と言う期間はがらりと街を変えてしまいますね。
少なくとも帯広駅周辺は大きくかわりましたね。帯広駅もかつては多くの留置線がある立派な駅でしたが、今は電鉄の駅のようです。
旧帯広駅懐かしいな〜もう駅舎変わって20年以上経っているから旧帯広駅の映像も貴重ですね!木野駅もあんな感じの駅だったんですね!せめて音更まで本数増やせたら上士幌くらいまでならまだまだ需要ありそうだし、広尾線よりは生き残れたと思うだかな…。
広尾線も中札内くらいまでなら、空港アクセスで使えたのかなと思いました。帯広駅の雰囲気は別の動画、旧客イベント広尾線でも映っています。またご参考いただけると幸いです。ありがとうございます
@@user-tabiichiro さん幸福駅の方観光需要もある駅件帯広空港への最寄り駅になりますが、中札内なら花畑牧場くらいですかね…。ただ帯広空港への利用者と音更、木野から帯広への通勤利用者を比較すると広尾線は苦しく、今の広尾線のバスか、空港への直行のバスで事足りていると思います!
@@セフィロト-t6d 空港アクセスとしては無理がありましたか。
@@user-tabiichiro さん広尾線は元帯広市民の地元民からしても厳しかったと思います。中札内、同じ帯広市内ではありますが、幸福駅はかなり遠い。士幌線は駒場駅は高校の最寄り駅、音更、木野は帯広のベットタウンなので、音更まで複線化していたら札沼線の石狩当別駅みたいな感じになっていたかもしれません。
懐かしいね私の ガキの頃は 士幌線にはまだ 十勝三股駅があったね 駅の周辺には小さな商店がポツンと一軒家っていたね 私の幼稚園の頃ちょうど十勝三股駅を見た記憶がある しかし小学5年の頃 士幌線に乗って糠平まで行ったがもう既に十勝三股駅自体が無かったね
佐藤辰也 ほぼ同年代ですかね。僕の記憶でも小学3年までは三股まで列車でした
これが4:54タウシュベツ橋梁がある糠平湖なんだ@@ 一望できてすごいね。
私のガキの頃はまだ士幌線は走っていたら糠平までは走っていてた 私は糠平のホテルの 調理見習いで入っていたので休みの日には 糠平温泉から列車で帯広の実家に帰って映画などを見た しかしもうすでにその頃は十勝三股までには行っていなかった糠平温泉泊まりだっただから私も糠平温泉までの経路は持っているから知っているが十勝三股駅は分からない 多分糠平温泉の酒だと私は思っている
糠平から先はかなり早くにバスになっていたので、あまり乗られた経験がある方がいませんね。
この士幌線の糠平~十勝三股間の列車代行バスも結局は列車による運転再開には労りませんでしたね(確か運休理由は災害ではなくて単なる乗客が居なかったからだと思いますが)⁉️。だから現在の日高線や根室線東鹿越~上落合信号場間と同じ感じですね(日高線鵡川~様似間と根室線東鹿越~上落合信号場間は災害による運休ですが)。
斉藤弥 日高線も根室本線も放ったらかし感がすごいですね。国鉄ではあり得ない。でもそういう姿を見せて、民営化とは何だったのか、ということを考えるいい機会になったのかも知れませんね。根室本線は本当に困ります。
いつも興味深く拝見させて頂いております。士幌線と言いますと、なぜか『時刻表二万キロ』の宮脇俊三先生が真っ先に思い浮かびます。宮脇先生はこんな風景を見ていたんだなあ…と感慨深い気持ちになりました。
和光白子 ご覧いただきありがとうこざいます😊
和光白子 撮影技術も、編集もプロからはほど遠いですが、当時の「生感」を感じ取っていただきければ嬉しいです。
私が物心ついたとき柿の時はもうすでに十勝三股駅はなかったなあ糠平駅まではあったが バー糠平駅を何度か使ったことがあるけど 果たして十勝三股駅は十勝三股駅というのは糠平の先だろうと私はそう思っていたが果たしてどうなんだろうね
僕が初めて行った時も既に糠平から先はバスでした。時刻表で「糠平〜十勝三俣はバスになります」という表示を見て、「いつからバスになるのだろう?」と思ってましたが、その時既にバスだったと後から知りました
昭和60年代当時は車のカラーは白が多かったみたいですね。何となくですが。
西澤大 言われてみるとそうですね。今も白が一番多い気がします。
ハイソカーブームの頃ですね。ソアラやマークIIを筆頭に
昔の佐賀線やってもらいたいですね
佐賀線は写真しかなくて、申し訳ございません
三股はバスですね
失礼します当時、三股には家が4軒しかありませんでしたから亡き祖父は全部知ってましたが
石勝線のようなバイバス路線となって、特急が走行していたらもっと面白かったカナ?
ヒマりん。 客車や優等列車が無い路線は退屈でしたね。
ありがとうございます!兵隊で帯広に居た時、国鉄の機動車に乗り、十勝三俣迄行きました。懐かしいですね!
自衛官でなく、帝国陸軍?ですか?
父が士幌線や広尾線を運転していましたが、私は幼い頃で記憶がないです。
ここを走っていたのだと思うと感慨深いです。
今度帰省した時に、父と一緒に見てみようと思います。
@@pianotaro8208 ありがとうございます。ぜひ一緒にに見てください。
他の動画ですが、「運転している父が写っていました」というコメントをいただいた事があります。
駅員や車掌も知り合いではないでしょうか
@@user-tabiichiro 動画一覧を拝見しましたが、とても充実していて驚きました。
チャンネル登録させていただきました☺️
もう40年程前のことなので、父が覚えているのが怪しいのですが、もしかすると駅員なども分かるかもしれませんね。
父は根室本線なども運転していたようです。他の動画も確認してみますね。
@@pianotaro8208 ありがとうございます!
上士幌出身です
中学にあがった頃廃止になったので糠平まで帯広まで士幌線に乗った記憶ははっきりあります
映像見ると懐かしさでグッとくるものが有りますね
貴重な映像ありがとうございました
ありがとうございます。
楽しんでもらえると嬉しいです。
地元の方ならではの発見もあるんでしょうね。
懐かし映像ありがとうございます。同年同月に士幌線と広尾線を乗り通した事を思い出しました。
と言う事は同じ日かもしれないですね。
この年の北海道シリーズは他にも上がっているのでご自身がおられませんか
糠平の1駅手前「黒石平」は下り列車しか停車しないという変わった仕組みでしたが、上り列車はどうだったのか?
それは黒石平~糠平間に「電力所前」という名の仮乗降場を設置しておりまして、上り列車はそこで客扱いを行うという変わった仕組みでした。そのために「下り列車=黒石平、上り列車=電力所前」という役割分担がなされていました(何しろ「電力所前」は先程申し述べました通り終始正式な駅ではなく仮乗降場として扱われており、あくまでも黒石平駅構内の一員でした)。
「おびひろ、おびひろ、おびひろぉ~~」、懐かしい帯広駅の到着アナウンス。意外と知られていないが、帯広駅の到着アナウンスは声のきれいな人が多くて風情が有り、自分はこのアナウンスが好きでした。従兄もこの当時は帯広駅で働いており、このアナウンスを形成する1人でした。因みにこのアナウンスは従兄のものではないです(笑)。
貴重なお話ありがとうございます!士幌線は民営化と同時に廃線だったんですね😵道東エリアは他にも標津線、広尾線、白糠線、池北線(ふるさと銀河線)・・・釧網線も根室本線の釧路~根室もこの先どうなるか・・・
帯広駅に入っていく手前側の古い建物群と上に見えるミルキーウェイ(長崎屋方面への連絡橋)が懐かしい。父が職員だったんで帯広駅の中にある職員用の大浴場へよく行っていました。
ありがとうございます。
地上時代の帯広駅は広々として見えましたが、いまは私鉄の駅のようですね
亡き父方の祖父が糠平湖で貸しボートの管理人をやってました
昭和53年に北海道を訪れ、しばらく糠平に滞在したことがあります
朝目をさまし散歩してると、村外れから汽笛の音が
一番列車の発車する汽笛でした
動画にも映ってるキハ22の600番台は、半室がロングシートになってました
カーテンで仕切って荷物室にするためです
佐久間ディック まだ十勝三俣までの頃ですね。
羨ましいです
@@user-tabiichiro もうその頃にはバス代行となってました 三股には4軒しかありませんでしたから
7年前、タウシュベツ橋梁見に行った時に十勝三股駅跡を訪問しましたが、この映像の頃はまだその時より駅跡付近に人家や建物が多いですね。
そうですね。この頃すでに代行バスとなってはいましたが、鉄道がなくなる=街がなくなるという典型例です
私は32年前、十勝三俣と糠平の間にあった唯一の駅「幌加」にあ
る幌加温泉に行った事がありますが、既に全線バスでした。でも
温泉は最高で泉質の違う4つの湯舟独り占めでした。まだ自炊は泊
まれるのかな?私が泊まった時は一泊二日二食付きでサービスも
良好でした。真冬だったので景色も最高でしたね。
Tama Kaneko 32年前なら僕がいった頃と変わりませんね。その時代にも自炊宿という文化があったんでしようか
全国の鉄ちゃんが寄付し合って
廃止路線をひとつだけ復活させるというプランはないかな?
もちろん一日だけではなく
永遠にです
私も少し出します
実際どれくらいの額が必要なんでしょうか。
イギリスのようにボランティアが運営しながら通勤にも使ってる例もありますね。
何かを購入したり維持するための費用は
必ずかかります
人件費はゼロ
関係者はボランティアですから
短い路線で少しは利用者がある場所
そうなるとやはり街(都市)の近くになるのでしょうか?
個人的には
北海道か九州あたりの廃線を復活させたいと思いますが
しょうもない話で
失礼しました
2008年からほぼ毎年、北海道にマイカードライブへ行くようになり、2010年この路線のことを知りました。それ以降、道東方面へ行った時は必ずこの沿線を訪れたり、これまで3回参加した地元NPOの主催するタウシュベツ橋梁見学ツアーでも旧幌加駅に寄ったりと、思い入れの強い路線となりました。もちろん現役のころは知る由もありませんが、実に北海道らしい路線だったんだろうなあと思います。この動画も永久保存版クラスの貴重なものだと思います。
キジネコたま 評価いただきありがとうございます。
民営化を控えて、二度ど見られなくなる国鉄という時代を記録したくて、最後の10ヶ月を記録しまったものです。
TH-camがなければ一眼に触れずお蔵入りでした。こうやって公開できた事、そして評価をいただけることでやって良かったと思います。
それと同時に今コロナで歴史的転換点にあるように思えるので、そちらも記録しています
今年初めて行きました。また行きたいと思います。タウシュベツ橋梁はじめ、ずっと残してみんなに見てもらいたい素晴らしい鉄道遺跡ですね。
mie tan そうですね。
話題になって、人が訪れてくれるだけでも記憶が残りいいと思うところです
私は上士幌に祖父母が住んでいたので何度か利用しました、
当時の記憶が蘇ってきました、貴重な映像資料ありがとうございます。
Juliet Alpha ありがとうございます。お役に立てて良かったです
懐かしい映像をありがとうございました。私はこの撮影の2年前に乗車しました。キハ22系のディーゼル音、地上駅舎の帯広駅、窓からの車窓、当時を思い出しました。この頃の帯広には、まだ広尾線もあった頃かと・・・愛国駅や幸福駅は公園化しているそうですが、やはり汽車が走ってこその駅ですね。
anklady
評価いただきありがとうございます。
この年、国鉄最後のダイヤ改正に当たる61.11ダイヤ改正前になんとか最後の国鉄(旧客、腕木式信号機、通票閉塞など)の雰囲気を残そうとビデオカメラを購入したばかりなので、技術はなっていませんが、懐かしくおもっていたたければ嬉しいです。
この前後で広尾線も撮影しています。
こちらへも返信ありがとうございます。広尾線の映像も拝見しました。
想いが技術を上回っていて、当時を知る者にはとても良かったですよ。
今の人たちに「タブレット」と言っても、i-padになるでしょうが(笑)。
anklady
そう言ってもらえると、アップした甲斐があります。
他も楽しんでいただければいいのですが、国鉄時代のはほんの僅かしかありません。
@@user-tabiichiro 私はまだ一度も北海道に行った事がありません!
士幌線全線とあるが、実際は糠平〜十勝三股は運行休止だったが、廃止扱いになりましたね、Wikipediaで見ましたが、この区間は、人家が2軒ぐらいと少なく100円儲けるのに12000円の赤字がありました。昭和53年頃から列車からバス🚌に代行運転するようになり、国鉄の企画乗車券は利用できました。
西部好一 当時の時刻表では、普通に列車が直通しているような感じの表示で、横にに「糠平ー十勝三俣間はバスになります」という注意書きがありました。
実際には昭和53年からずっとバスだったのに、「〜なります」という書き方だったため、「一体いつからバスになるの?」と思っていました。
十勝三股からの代行バス、地上に駅舎があったころの帯広駅懐かしいですね。バスはほとんどの客が周遊券利用者だったような気がします。私が旅したのは1986年の7月後半でした。えりも岬YHに泊まって、広尾線で帯広に着いて帯広YHに宿泊して翌日に士幌線に乗車しました。
あの時代のユースは楽しそうでしたね。
僕はひねくれていたので全て夜行列車で過ごしました。
少しくらい泊まっていたら素敵な出会いがあったかもしれないですね。
貴重な動画ですね。昨年、帯広駅で士幌線の線路跡をみました。
ヒマりん。 ありがとうございます😊
北海道のほとんどの路線が廃止になる民営化直前に何とかビデオを撮る事ができたので、アップする場所があり、皆さまにお届けできました
この映像から10年後に、帯広駅が立派な高架駅に変身してしまうなんて想像がつかないです。
そんなに昔から高架になってたんですか。
95年から2008年まで北海道に行かない時期があったので、2008年に高架になった帯広駅を見て愕然としました。
あの日本食堂はどこへ行ったのだ?
96年11月に高架になったようです。私は2000年春に帯広駅を訪れましたが、その時はもうこの映像当時の面影は皆無で、駅前にホテルなどが建ち並び、すっかり都会的になっていました。
Tabizuki 1675
ショックでしたね。
一番線から直接乗れる駅、駅裏には留置線がならび典型的な大型駅だったのに
@@user-tabiichiro 日本レストランエンタプライズに名を変えて営業してますね。
紺の制服に白いカチューシャのお姉さん 懐かしいです。
ぶっちゃけ帯広駅を高架にする必要あったのでしょうか❓
最終的には糠平~十勝三股間は鉄道として復旧することもなく、廃止の日を迎えてしまいました。
その代替バスですが、地元のタクシー会社「上士幌タクシー」の手によって運行されていたようですが、現在の十勝三股は完全に廃村状態になっているらしいです。
rhscm989 鉄道がなくなる=村がなくなる、ですね
現在の日高線と同じですよね(日高線は災害で不通ですが)‼️。
斉藤弥 鉄道が最後の砦なのに、容易に手放してはダメでしょう
懐かしい映像をアップしていただきありがとうございます。自分が通っていた小学校の目の前を通っていたのですが、その画像もあってとてもうれしかったです。帯広駅に到着したときのあの早口のアナウンスはいまでは聴くことができないのが残念です。
ありがとうございます。
車窓ビデオはともすると退屈なんですが、大切な場所が映っていることもあるんですね。
14分58秒くらいの踏切を渡って左側に建物は見えないのですが木が並んでいてその隣がクランドと校舎になります。市内の学校でこんなに目の前に汽車が走っていたのはたぶん私が通っていた小学校だけです。グランドで授業をしているときに汽車が通っていった姿をいまでも思い出します。貴重な画像本当にありがとうございました。小学校時代に戻った気分になれました。
喜んでいただき、こちらもうれしいです。
懐かしい映像を発見。士幌駅手前の無人駅「北平和」の短いホームが右手に写っていたのを気づきいた方はいますかね。
士幌線は勿論の事、キハ22のエンジンアイドリング音・走行音だってとても懐かしいです。アップ感謝します。
山田市之助 ありがとうございます。
国鉄標準気動車の音はいいですね
懐かしい!あの当時の威厳のある形の帯広駅。
人や時間の流れがゆっく~りとしていた時代ですね。
今でしたら、線路に子供が飛び降りたら、ニュースやワイドショーで大げさに取り上げるんでしょうね。
daiseidou512 そうですね。
窮屈になりましたね。
今回の自粛警察もそうですが。
懐かしいね私もガキの頃よく乗った路線だよ 学校が休みの日よく糠平温泉の方に友達と一緒に汽車に乗って帯広から糠平温泉まで遊びに行ったよ そこに糠平湖があってよく釣竿他の子と釣りをしたり 糠平温泉の食堂で飯を食ったりして楽しい日々を過ごしたら もうその時は150年ぐらい前だったかな私が小学校5年生くらいの時かその時は頻繁に糠平温泉の方に来ちゃで言っていたがその時は十勝三股までは行っていなかったら 確か聞くところによると糠平温泉駅の先に十勝三股という駅があったということは聞いているが 実際十勝三股の駅は私は糠平温泉まで列車で行ったがその先の駅は知らないが知らなんだだからそれより古い映像だね 現在は道がとても綺麗になって車も走りやすい道になっちゃったね 駅はもちろん鉄道のレールもなくなっちゃったよね 私は中学生を卒業して2年目ぐらいの時に糠平にある糠平温泉観光ホテルに調理師の見習いとして 丁稚奉公で働くことになったその時も休みの日はよく糠平温泉の駅から列車で休む時は帯広まで出て行って映画なんかよく見たね
コメントありがとうございます😊
地元の方ですね。
時代は少し違うかもしれませんが、当時を思い出していただければ嬉しいです。
途中からの勾配が印象的でした
まさか士幌線の映像を見られるとは思わなかった。
俺が初めて十勝三股に行ったのは廃線の年かその翌年くらいで、踏切の跡しかわからなかった。
Kartz MotoVlog 評価いただきありがとうございます。
国鉄最期の年、今行かなければ絶対後悔すると考えて、行った甲斐がありました
十勝三股まで鉄道が走ってた頃の映像はないのかなあ。
糠平ー十勝三股はこの動画より8年前にバスになったので動画はほとんど見ませんね
年代的に、NHKなどが番組・記録として撮っていなければ無さそうですね。…他にはタウシュベツ橋梁が現役だった頃の写真なんかもないのかなあと思ったりもします。
自分は、士幌線の現役時代を知りませんが、本当に良い景色ですね。
乗りたかったです>.<
貴重な映像を有り難うございました!
十勝平野を直走って、最後に急に山に分け入るというのが特徴でした。
平野部は「でっかいどう」を感じられましたね
昭和59年に乗りに行きました。好きな路線の一つでした。
帯広駅いいですね。今では高架駅になってしましましたがやはり駅は地平駅がいいですね。
ありがとうございます。
帯広を始め、高架駅になった所はどこもこじんまりとしてしまい、私鉄の駅のようで寂しいですね
8:16に通過したのは新士幌駅のようだね。この駅は道内時刻表にも掲載されなかった幻の駅だった。
他に国鉄時代に道内時刻表に載らなかった駅は共栄仮乗降場(白糠線)、笹森仮乗降場(池北線)、稲士別(根室本線)、尾路遠(胆振線)、下ノ滝(羽幌線)などかあった。
道内時刻表にも未掲載という仮乗もあったのですか
@@user-tabiichiro さん
例えば池北線の笹森仮乗降場の場合は国鉄時代保線作業員の宿舎があり職員とその家族のみの利用に限られていてそれに合わせて列車を停車させるダイヤだったようです。この仮乗降場は民営化後に正駅に昇格第三セクターのふるさと銀河線の廃止まで存続していました。駅の構造も他の仮乗降場とは違い信号場のようなボロボロで狭く短いホームでした。
大塩平八郎 北海道にはそんなきめ細やかな対応があったということですね
貴重な動画拝見しました。
末期の十勝三股駅票の傾きぶり、閉鎖された駅舎がなんともいえないですね…
ワイド周遊券は一度利用してみたかったですねぇ、いくら当時の価格とはいえ20日で2万円代は最強過ぎです
はねが生えた鳥が如くの時代でした。今にいたるまでこれ以上の自由な切符はないとおもいます
おお、関係者ですね。
国鉄時代の駅到着アナウンスはよかったですね。
長距離列車で到着した「にしかごしまーー」や「あおもーり」など、どれも感慨ぶかいものがあり、じーんときました。
DMH17のアイドリング音と発車時の動き始めの音、実は鉄道省の戦前の設計で性能も低く燃費も悪いものでしたが、扱いやすさが現場に好評で、かつては当たり前のローカル線サウンドでした。しかしそれも歴史の奥に消えようとしています。
dou ga99
眠気を誘う優しい音でした
わぁ〜私が小学生の頃毎日通った地下道が写ってる!
よくチカンが出没したよ。。。
そうなんですね。今は無くなったんですか
今はもう無くなりました。15:00あたりに映り込んでいる黄色い帯広ガスの円筒タンクの前を通って線路下の地下道を通って通学してました。人しか通らない地下道で薄暗く、現代なら絶対に事件が起こりそうな匂いがプンプンするスポットでした笑
懐かし過ぎる映像、ありがとうございます😂
帯小の近くの問屋街の地下道ですね!当時柏林台でしたがよくうわさは聞きました。
撮影以後生まれの地元民ですが、木野→帯広の風景で今も残ってる建物はないかなと目を凝らしてもなかなかピンと来るものはないですね。
雰囲気は帯広の風景だとはわかりますが。
30年と言う期間はがらりと街を変えてしまいますね。
少なくとも帯広駅周辺は大きくかわりましたね。
帯広駅もかつては多くの留置線がある立派な駅でしたが、今は電鉄の駅のようです。
旧帯広駅懐かしいな〜もう駅舎変わって20年以上経っているから旧帯広駅の映像も貴重ですね!
木野駅もあんな感じの駅だったんですね!せめて音更まで本数増やせたら上士幌くらいまでならまだまだ需要ありそうだし、広尾線よりは生き残れたと思うだかな…。
広尾線も中札内くらいまでなら、空港アクセスで使えたのかなと思いました。帯広駅の雰囲気は別の動画、旧客イベント広尾線でも映っています。
またご参考いただけると幸いです。
ありがとうございます
@@user-tabiichiro さん
幸福駅の方観光需要もある駅件帯広空港への最寄り駅になりますが、中札内なら花畑牧場くらいですかね…。
ただ帯広空港への利用者と音更、木野から帯広への通勤利用者を比較すると広尾線は苦しく、今の広尾線のバスか、空港への直行のバスで事足りていると思います!
@@セフィロト-t6d 空港アクセスとしては無理がありましたか。
@@user-tabiichiro さん
広尾線は元帯広市民の地元民からしても厳しかったと思います。中札内、同じ帯広市内ではありますが、幸福駅はかなり遠い。士幌線は駒場駅は高校の最寄り駅、音更、木野は帯広のベットタウンなので、音更まで複線化していたら札沼線の石狩当別駅みたいな感じになっていたかもしれません。
懐かしいね私の ガキの頃は 士幌線にはまだ 十勝三股駅があったね 駅の周辺には小さな商店がポツンと一軒家っていたね 私の幼稚園の頃ちょうど十勝三股駅を見た記憶がある しかし小学5年の頃 士幌線に乗って糠平まで行ったがもう既に十勝三股駅自体が無かったね
佐藤辰也 ほぼ同年代ですかね。
僕の記憶でも小学3年までは三股まで列車でした
これが4:54タウシュベツ橋梁がある糠平湖なんだ@@ 一望できてすごいね。
私のガキの頃はまだ士幌線は走っていたら糠平までは走っていてた 私は糠平のホテルの 調理見習いで入っていたので休みの日には 糠平温泉から列車で帯広の実家に帰って映画などを見た しかしもうすでにその頃は十勝三股までには行っていなかった糠平温泉泊まりだっただから私も糠平温泉までの経路は持っているから知っているが十勝三股駅は分からない 多分糠平温泉の酒だと私は思っている
糠平から先はかなり早くにバスになっていたので、あまり乗られた経験がある方がいませんね。
この士幌線の糠平~十勝三股間の列車代行バスも結局は列車による運転再開には労りませんでしたね(確か運休理由は災害ではなくて単なる乗客が居なかったからだと思いますが)⁉️。だから現在の日高線や根室線東鹿越~上落合信号場間と同じ感じですね(日高線鵡川~様似間と根室線東鹿越~上落合信号場間は災害による運休ですが)。
斉藤弥 日高線も根室本線も放ったらかし感がすごいですね。
国鉄ではあり得ない。
でもそういう姿を見せて、民営化とは何だったのか、ということを考えるいい機会になったのかも知れませんね。
根室本線は本当に困ります。
いつも興味深く拝見させて頂いております。士幌線と言いますと、なぜか『時刻表二万キロ』の宮脇俊三先生が真っ先に思い浮かびます。宮脇先生はこんな風景を見ていたんだなあ…と感慨深い気持ちになりました。
和光白子 ご覧いただきありがとうこざいます😊
和光白子
撮影技術も、編集もプロからはほど遠いですが、当時の「生感」を感じ取っていただきければ嬉しいです。
私が物心ついたとき柿の時はもうすでに十勝三股駅はなかったなあ糠平駅まではあったが バー糠平駅を何度か使ったことがあるけど 果たして十勝三股駅は十勝三股駅というのは糠平の先だろうと私はそう思っていたが果たしてどうなんだろうね
僕が初めて行った時も既に糠平から先はバスでした。
時刻表で「糠平〜十勝三俣はバスになります」という表示を見て、「いつからバスになるのだろう?」と思ってましたが、その時既にバスだったと後から知りました
昭和60年代当時は車のカラーは白が多かったみたいですね。何となくですが。
西澤大 言われてみるとそうですね。
今も白が一番多い気がします。
ハイソカーブームの頃ですね。ソアラやマークIIを筆頭に
昔の佐賀線やってもらいたいですね
佐賀線は写真しかなくて、
申し訳ございません
三股はバスですね
失礼します
当時、三股には家が4軒しかありませんでしたから
亡き祖父は全部知ってましたが
石勝線のようなバイバス路線となって、特急が走行していたらもっと面白かったカナ?
ヒマりん。 客車や優等列車が無い路線は退屈でしたね。