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テトちゃんというのですね、猫さん可愛い😊
ありがとうございます❣️風の谷のナウシカのキツネリスくんから名付けました。保護した時は痩せててシッポがシマシマでキツネリスちゃんみたいでした。今はタヌキネコになってますが〜💦
宮司さんのお話をこんなに手軽に聞くことができて嬉しいです。ありがとうございます❗️
嬉しいコメントありがとうございます♪また色々語りたいと思っていますので、これからもよろしくお願いいたします❤
とても興味深いお話しありがとうございます。宮司さんから聞くことの出来るお話しは本当に面白いです。奈良に行かないと聞くことのできないお話しって多いなっておもいます。また楽しみに待っています。
嬉しいコメントありがとうございます❤また色々情報発信したいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします❣
猫ちゃん、可愛い宮司様のお話し良く解ります。
うちの愛猫、テトと言います。甘えん坊の女の子です。また度々おじゃますると思いますが、テト共々よろしくお願いいたします😻
興味深いお話をありがとうございます。由緒ある古社の宮司様より伝承のお話を伺えるとは、とても貴重なお話でした。古代史を調査しており、出雲口伝を読んで出雲と葛城の関係を知り、3月に御社も含めて葛城の古社を全て廻りました(出雲の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡も廻っています)出雲口伝では、葛城の南側には西出雲人が居住して西出雲王家の向家が高鴨社と御歳社を祀り、北側には東出雲人が居住して東出雲王家の神門臣家が富家(登美家)と名を変えて鴨都波社と一言主社を祀っていた旨でしたが、訪問して見ると各々が金剛山と葛城山を祀っていた出雲の神名火山信仰が伺え、とても納得しました記紀の神武東征は史実ではないと思いますが、お話を伺うと、出雲口伝が伝えるタニハから来た天村雲が出雲王家の協力を得て初代大王に就任した逸話の方に、史実性がある様に感じました。村雲を支えた金鵄が登美家で、抵抗した長脛彦は向家の方ではないかとあと、鴨氏(加茂氏)のカモと言うのは、高鴨神社のご由緒に記載の通り、神(カミ)でしょうね。アイヌのカムイもカミで、縄文時代からの神だと思います。御社も含め、葛城の古社は天孫降臨などより遥かに古い、出雲系の由緒正しい神社だと確信しました。
コメントありがとうございます^^またご参拝頂きありがとうございます!神武東征は全くの史実とは言えませんが、何かしら史実に由来していると思っています。そのあたりの加減が悩ましいです。鴨氏は、神に通じる言葉と云われ、「醸す」も同じ語源と云われています。菌の働きを知らない人には、お酒ができるのは神様の力だと思ったのでしょう。アイヌは純粋な縄文ではないと思っています。祭り方の本質が違うので。やはり北極圏から降りてきた民族と混血したのではと思っています。またそのあたりのお話もUPしたいです❣
もう直ぐ72歳ですが、33歳の頃京都から奈良の葛城山の中腹にあるクレイン奈良で乗馬を5年間していましたが何ヶ月か前に建角身尊が葛城山の中腹に住んでいた事を知り偶然ではなかった事に気づきました私の守護神は上賀茂神社の神様なのでお爺様である建角身尊様の御導きであった事にやっと気づきました そう言えばあの頃から普通の人なら手が届かない様な立派な方々と友達になれました今ドン底で修行中ですがきっと神様が助けて下さり奇跡が起こる事と思います 私は奈良へ行くと心が落ち着き奈良の人々が大好きですまた元気になれば奈良へ行きます有難う御座います
またぜひぜひご参拝くださいませ🍀
ありがたいお話を聞かせていただき感謝いたします😊
こちらこそありがとうございます❣️
@@mitoshijinja さま国民の心がさわさわしている今、根本に立ち帰り教科書にない本来の歴史を聞けることを嬉しく思います神話の中に真実があるのは世界中同じではないかと思えます🙏
@@1-3-5-7さん、ありがとうございます❤本当に〜やはり、原点に立ち返ってちゃんとまっすぐ向き合うことが大切なのかも?と思っています✨
東川宮司様 はじめまして、こんにちは😊太郎先生のチャンネルからやって来ました♪コラボ動画とっても勉強になりました😊👏ありがとうございました✨奈良や八咫烏のお話が好きなのでとっても勉強になりました😊ありがとうございました✨🙏✨
わっ💕ご覧頂きありがとうございます💕太郎先生ともまだまだ話し足りないよね〜なんて言ってました。ぜひ第二弾もやりたいです。こちらこサイトもぜひぜひよろしくお願いいたします。
@@mitoshijinja お返事ありがとうございます🎶嬉しいです😍💕もちろんでございます🎶東川宮司様のチャンネルも拝見させていただきます✨楽しみにしています😊👏今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます✨🙇✨
はじめまして當麻寺、訪ねてから葛城に興味をもち、この秋葛城五社巡りをいたします。ツアーですが東川宮司様のお話を生で聞く事ができ、今からとっても楽しみにしております✨
それはありがとうございます❤️葛城五社めぐり、葛城の素晴らしい神社を紹介させていただきますね。こちらこそ、お会いするのを楽しみにしています✨
奈良県御所市、鴨氏、神武天皇…古代日本の大切な場所、ロマン溢れてますよね!
ありがとうございます^^自然も豊かでありがたいです❣
@@mitoshijinja 自然も神様も山も樹も…日本は全てに神様が宿ってるんですよね。
@@遠くへ それがありがたいことですよね❤日本に暮らす幸せです^^
フォローさせて頂きました。忌宮神社の祭礼準備中の様子が大変興味深い光景でした!TH-camでお話が聞ける機会を大変嬉しく思っております。ありがとうございます😊
ありがとうございます。これから神社紹介の動画も上げていく予定なのでよろしくお願いいたします。
いいお話、ありがとうございます。とても分かりやすい、しかも納得できる内容でした。単なる神話ではなく、歴史的事実が推測できました。
嬉しい感想をありがとうございます❣️神話を良く読み、補うと見えてくるものがある気がしています✨
やわらかい口調で、分かりやすく説明してくれたおかげでよく理解できました。
嬉しいお言葉をありがとうございます❤今後ともよろしくお願いいたします。
役 小角 に 少しばかり 縁が有りまして、役小角が 賀茂一族の出だと言う事で、賀茂神社には 何度か行きましたが、最近になって 一言主神社に お参りに行ってきました。葛城山の周り(大阪も含めて)に 色々と旧跡が有りますね。今は、その辺りを 周遊しています。最近、四国の阿波が 天孫降臨の地で有ると主張する人(TH-cam)が居て、興味を持っています。四国にも式内社が多く、古くは 阿波から奈良盆地南部にかけて 一つの文化圏であった気もしています。
コメントありがとうございます。役小角の生まれ育った場所が吉祥草寺と云われていて、葛木御歳神社から車で数分のところです。ぜひ吉祥草寺とともにお参りください!阿波古事記、阿波天孫降臨説はかなりのこじつけの気がしています。それをやると大炎上しそうですが(^^;
@@mitoshijinja 私は大阪の出身です。古い親族(全て亡くなっていますが)の大阪弁を聞いています。奈良と四国(香川、徳島 辺り)の言葉が 大阪弁に よく似ています。阿波天孫降臨が正しいとも思っていませんが、昔 神武東征を習った時、何故 宮崎から大和まで移動するのか 不思議に思っていました。宮崎を本拠地にして、大和まで遠征するのなら分かりますが(日本武尊が遠国に遠征した様に)。
東川宮司さま、初めまして。テト🐱ちゃん超可愛いですね💕今自分が読んでおります大元出版からの旧出雲東王家富家の口伝をまとめた『出雲王国とヤマト政権』の本に、葛城御歳神社が出てきましたので、ご紹介させてください。第八章 ヤマト政権の成立 3 出雲系神社の増加 古代出雲では、神をカモと発音した。そのため、カツラギに移住した登美家はカモ家と呼ばれた。「神」の字はのちに「賀茂」や「鴨」「加茂」の字で書かれるようになった。登美家が賀茂家と正式に呼ばれたのは、賀茂建津乃身かもたてつのみ(建角身、大賀茂津身)からであった。また、コトシロヌシの個人名は八重波津身やえなみつみであった。その名前の一部と、鴨の字が組み合わさって、「鴨都波神社」の名になった。中略 (葛城一言主神社の)さらに南には、郷戸家からアマべ家のホアカリに輿入れした高照姫(天道姫)を祀る葛城御歳神社(御所市東持田)がある。その社の名は、正月祭りの神・歳神に由来する。御所市葛城のあたりは出雲色の強い神社が多いですね。第一次物部東征の後に、 (西出雲王家・神門臣家)郷戸家アジスキタカ彦の息子多岐都彦が親族や家来を連れて、登美家クシヒカタを頼ってカツラギに移住し、登美家と同じくカモ族と呼ばれた。カツラギ南部に住んだ郷戸家は、とくに高鴨家と呼ばれた。のちに多岐都彦は、父君・アジスキタカ彦と、叔母の下照姫とその婿・天稚彦あまのわかひこの霊を祀る高鴨神社(御所市鴨神)を建てた。第一次物部東征がA.D.2世紀中頃の後漢・恒霊時代だそうなので、 オシヒト大王の王子・フトニの時代であったものと考えられる。とても長い歴史のある神社さんですね。二千年近く続いておられるのは凄いと思います。賀茂氏祖霊の象徴金鵄が東征軍の神武天皇側に付いた。というお話も面白いですね。天孫族の物部軍をヤマトに引き入れた賀茂氏、大田家の当主、大田田根子とも重なる様で、その経緯をある意味で吉祥と捉えて暗示しているようでもあり、とても興味深いです。
コメントありがとうございます。甘えたのテトちゃん、時々出没します❣出雲口伝はぶっ飛びすぎて何が何だか~です(^^;葛木御歳神社は日本最古の神社の部類になると思っています。古すぎて創祀についてはわかっていません。賀茂氏の象徴はヤタガラス、金鵄はナガスネヒコのトミの象徴かと思っています^^
@@mitoshijinja 様、返信ありがとうございます。
御所市の名の由来は、ここで神武天皇が政務を執ったことからきているのですね。御所市には由緒ある神社がたくさんあり、県道30号線は眺望のいいドライブコースで、すばらしいところです。葛城山、一言主神社、高天彦神社は行ったことがあります。次は葛木御歳神社へお参りし周囲をまわってみます。
コメントありがとうございます^^御所の名前はその他に、巨勢氏からきている説もあります。ぜひぜひご参拝くださいませ。
ご活躍様です。動画、久しぶりで、楽しく拝見しました。テトちゃんの元氣な甘えんぼうな姿にも癒やされました❤
ずいぶん間が空きましたが、またアップしていきますのでよろしくお願いいたします。近々TH-camライブもしたいなあと思っています^^今回もご覧いただきありがとうございました❤
視聴させていただきました
毎回、いいお話をありがとうございます。私は、三井修験の関わっていますが、①「役行者(699年伊豆に流刑)」は出雲族(葛城氏?)の出身と聞いていますが、伝承では、葛城山で一言主(出雲族・加茂氏?)と争い、負かしたとされています。同じ出雲族でありながら、両氏は仲が悪かったのでしょうか?。②大国主の「出雲の国譲り」後、多くの出雲族が、争そいの少ない奈良・京都地方に移住してきて、大国主の七代後(200年位のち)の事代主の娘が、神武天皇の后となったされています。出雲の国譲りを迫った勢力は、東日本(日高見国)の鹿島・香取神宮の勢力と考えられますが、いかがでしょうか。
役行者が一言主神を捕縛した話は、のちの時代に葛城氏を貶めるために作られたと云われています。記紀→続日本紀→日本霊異記と時代が下るごとに一言主神が神らしからぬ描き方になります。国譲りはどうなんでしょうね。記紀をそのまま読めば、天孫族によって迫られた感じですが、確かに鹿島香取の神ですね!
@@mitoshijinja 宮司様。ありがとうございました。一言主と役行者は時代が異なり、修験道が、後に独り歩きし、そのような逸話を創作していったということでしょう。「国譲り」や「天孫降臨」は、歴史的に関東の鹿島・香取の勢力がおこなったもので、神話においては「天孫族」として描かれたものと存じます。
御所市の鴨神社群の鴨一族の源流はどこから来たかについて神社に伝わっていませんか? 何かご存じでしたらお願いします。加西市、加東市、一部西脇市に加茂一族が遙か前に住んでいた気配があります。その基は出雲近辺か? と考えていますが。鴨一族は大和王権の母方として強く結びついていたのですから。
コメントありがとうございます。実は古すぎてこちらにも伝わっていないのです。出雲から来た説が有力ですが、御所市の場所が古く、出雲が時代が新しいという説もあります。何かしら交流があったことは間違いなさそうです。この辺りには縄文遺跡も出ますので、古くから栄えていた場所ではあります。
にゃんこ😸。トビは富家ですかね。小泉館長と対談してほしいですね!神武天皇社あるんですね!
神武天皇社、江戸時代の本居宣長先生もおすすめされています^^
ほー、本居宣長先生でしたか、御所市のかしわらがルーツと指摘してくれたのは。私は『かつらぎ』という地名について、御所市の葛城と和歌山県のかつらぎ町や、 かつらぎ山は同じく「カツラから来た人々が住み着いた土地」を意味すると考えています、その人たちは鴨氏でした。たしかかつらぎ町の一言主神社も江戸時代の文献では葛城神社と表記されていると何かで読んだことがあります。
コメントありがとうございます^^そうなんです。本居宣長さん、各地を巡っておられますよね。葛城は神の宿る「桂の木」からきているとか、土蜘蛛をカズラ(葛)の蔓で縛ったとかの説もあります。金剛山頂の葛木神社も主祭神は一言主神です。この付近に雄略天皇と一言主神が出会った場所もあります。もしかしたら、山頂のほうが古いのかもしれませんね。
@@mitoshijinja 様かつらぎ地名について、一般論としてはその様に説明されていますね。カツラから来た人々がいる土地という解釈は私のオリジナルだと思います。カツラとは勝浦、勝占、桂浜などのウミベや湊などです。鴨たけつぬみのみこと、つみはやえことしろぬしのみこと、一言主のみこと、雄略とそっくりだった伝説など、あるいはあじすきたかひこね神と同一視される場合がある、など、の資料から割り出した答です。弥生時代からその都度繰り返されてきた、海辺から高地性集落への大避難で誕生した大文化圏だという結論です。ぜんぜん気になさらないで下さい。ずいぶん前に御社にお参りしたことがあります。ここにこんな立派な神社があったのか‼️とビックリしました。さすが奈良県最古の水田跡が発見された(中西遺跡)葛城地区だけのことはあります。
なるほど!陸路より海路のほうが楽ですものね!勝浦!和歌山の勝浦からのルートもありかも?ご参拝頂いていたのですね!ありがとうございます!葛城地方の神社は、葛城氏が滅んだはるか後の平安時代の延喜式での格式も高いです。その理由についても思いを馳せています^^
はじめまして、京都からです、東川宮司さんは葛城一族の末裔ですか?昔からの知合いに葛城一族の末裔と言う姉妹がいるのですが・・・
コメントありがとうございます。私は末裔ではないのですが、何かしらのご神縁に導かれたと思っています✨
双葉葵紋の葵が自生する地は本州に無く、四国のみらしいです😊
「フタバアオイ」ウィキペディアよりコピペ日本固有種で、本州の福島県以南から九州まで分布する。温帯域の広葉樹林、あるいは針葉樹の混じった森林に生育し、暗い林床に生える。小型なので目立たないことも多いが、時に広範囲にまとまった大きな集団を作る。
私は三本足の八咫烏は大海人皇子を案内した役行者、杖を持った修験者がモデルになったのではないか?と考えています。
八咫烏は、熊野本宮修験の一族が烏紋を用いた説などもあります。
吉祥草寺と神武天皇社の中間ぐらいに住んでいます。以前、県立美術館でお話をお聴きした事があります。
あら!それはありがとうございます!お近くなんですね^^
テトちゃんというのですね、猫さん可愛い😊
ありがとうございます❣️風の谷のナウシカのキツネリスくんから名付けました。
保護した時は痩せててシッポがシマシマでキツネリスちゃんみたいでした。今はタヌキネコになってますが〜💦
宮司さんのお話をこんなに手軽に聞くことができて嬉しいです。
ありがとうございます❗️
嬉しいコメントありがとうございます♪
また色々語りたいと思っていますので、これからもよろしくお願いいたします❤
とても興味深いお話しありがとうございます。宮司さんから聞くことの出来るお話しは本当に面白いです。奈良に行かないと聞くことのできないお話しって多いなっておもいます。また楽しみに待っています。
嬉しいコメントありがとうございます❤また色々情報発信したいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします❣
猫ちゃん、可愛い
宮司様のお話し良く解ります。
うちの愛猫、テトと言います。甘えん坊の女の子です。また度々おじゃますると思いますが、テト共々よろしくお願いいたします😻
興味深いお話をありがとうございます。由緒ある古社の宮司様より伝承のお話を伺えるとは、とても貴重なお話でした。
古代史を調査しており、出雲口伝を読んで出雲と葛城の関係を知り、3月に御社も含めて葛城の古社を全て廻りました(出雲の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡も廻っています)
出雲口伝では、葛城の南側には西出雲人が居住して西出雲王家の向家が高鴨社と御歳社を祀り、北側には東出雲人が居住して東出雲王家の神門臣家が富家(登美家)と名を変えて鴨都波社と一言主社を祀っていた旨でしたが、訪問して見ると各々が金剛山と葛城山を祀っていた出雲の神名火山信仰が伺え、とても納得しました
記紀の神武東征は史実ではないと思いますが、お話を伺うと、出雲口伝が伝えるタニハから来た天村雲が出雲王家の協力を得て初代大王に就任した逸話の方に、史実性がある様に感じました。村雲を支えた金鵄が登美家で、抵抗した長脛彦は向家の方ではないかと
あと、鴨氏(加茂氏)のカモと言うのは、高鴨神社のご由緒に記載の通り、神(カミ)でしょうね。アイヌのカムイもカミで、縄文時代からの神だと思います。御社も含め、葛城の古社は天孫降臨などより遥かに古い、出雲系の由緒正しい神社だと確信しました。
コメントありがとうございます^^またご参拝頂きありがとうございます!
神武東征は全くの史実とは言えませんが、何かしら史実に由来していると思っています。そのあたりの加減が悩ましいです。
鴨氏は、神に通じる言葉と云われ、「醸す」も同じ語源と云われています。菌の働きを知らない人には、お酒ができるのは神様の力だと思ったのでしょう。
アイヌは純粋な縄文ではないと思っています。祭り方の本質が違うので。やはり北極圏から降りてきた民族と混血したのではと思っています。またそのあたりのお話もUPしたいです❣
もう直ぐ72歳ですが、33歳の頃京都から奈良の葛城山の中腹にあるクレイン奈良で乗馬を5年間していましたが何ヶ月か前に建角身尊が葛城山の中腹に住んでいた事を知り偶然ではなかった事に気づきました私の守護神は上賀茂神社の神様なのでお爺様である建角身尊様の御導きであった事にやっと気づきました そう言えばあの頃から普通の人なら手が届かない様な立派な方々と友達になれました今ドン底で修行中ですがきっと神様が助けて下さり奇跡が起こる事と思います 私は奈良へ行くと心が落ち着き奈良の人々が大好きですまた元気になれば奈良へ行きます有難う御座います
またぜひぜひご参拝くださいませ🍀
ありがたいお話を聞かせていただき感謝いたします😊
こちらこそありがとうございます❣️
@@mitoshijinja さま
国民の心がさわさわしている今、根本に立ち帰り教科書にない本来の歴史を聞けることを嬉しく思います
神話の中に真実があるのは世界中同じではないかと思えます
🙏
@@1-3-5-7さん、ありがとうございます❤
本当に〜やはり、原点に立ち返ってちゃんとまっすぐ向き合うことが大切なのかも?と思っています✨
東川宮司様 はじめまして、こんにちは😊
太郎先生のチャンネルからやって来ました♪
コラボ動画とっても勉強になりました😊👏
ありがとうございました✨
奈良や八咫烏のお話が好きなのでとっても勉強になりました😊
ありがとうございました✨🙏✨
わっ💕ご覧頂きありがとうございます💕
太郎先生ともまだまだ話し足りないよね〜なんて言ってました。ぜひ第二弾もやりたいです。
こちらこサイトもぜひぜひよろしくお願いいたします。
@@mitoshijinja お返事ありがとうございます🎶
嬉しいです😍💕
もちろんでございます🎶
東川宮司様のチャンネルも拝見させていただきます✨
楽しみにしています😊👏
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます✨🙇✨
はじめまして
當麻寺、訪ねてから葛城に興味をもち、この秋葛城五社巡りをいたします。ツアーですが東川宮司様のお話を生で聞く事ができ、今からとっても楽しみにしております✨
それはありがとうございます❤️
葛城五社めぐり、葛城の素晴らしい神社を紹介させていただきますね。
こちらこそ、お会いするのを楽しみにしています✨
奈良県御所市、鴨氏、神武天皇…
古代日本の大切な場所、ロマン溢れてますよね!
ありがとうございます^^
自然も豊かでありがたいです❣
@@mitoshijinja
自然も神様も山も樹も…
日本は全てに神様が宿ってるんですよね。
@@遠くへ それがありがたいことですよね❤
日本に暮らす幸せです^^
フォローさせて頂きました。忌宮神社の祭礼準備中の様子が大変興味深い光景でした!
TH-camでお話が聞ける機会を大変嬉しく思っております。ありがとうございます😊
ありがとうございます。これから神社紹介の動画も上げていく予定なのでよろしくお願いいたします。
いいお話、ありがとうございます。とても分かりやすい、しかも納得できる内容でした。単なる神話ではなく、歴史的事実が推測できました。
嬉しい感想をありがとうございます❣️
神話を良く読み、補うと見えてくるものがある気がしています✨
やわらかい口調で、分かりやすく説明してくれたおかげでよく理解できました。
嬉しいお言葉をありがとうございます❤
今後ともよろしくお願いいたします。
役 小角 に 少しばかり 縁が有りまして、役小角が 賀茂一族の出だと言う事で、賀茂神社には 何度か行きましたが、最近になって 一言主神社に お参りに行ってきました。
葛城山の周り(大阪も含めて)に 色々と旧跡が有りますね。
今は、その辺りを 周遊しています。
最近、四国の阿波が 天孫降臨の地で有ると主張する人(TH-cam)が居て、興味を持っています。
四国にも式内社が多く、古くは 阿波から奈良盆地南部にかけて 一つの文化圏であった気もしています。
コメントありがとうございます。役小角の生まれ育った場所が吉祥草寺と云われていて、葛木御歳神社から車で数分のところです。ぜひ吉祥草寺とともにお参りください!
阿波古事記、阿波天孫降臨説はかなりのこじつけの気がしています。それをやると大炎上しそうですが(^^;
@@mitoshijinja 私は大阪の出身です。
古い親族(全て亡くなっていますが)の大阪弁を聞いています。
奈良と四国(香川、徳島 辺り)の言葉が 大阪弁に よく似ています。
阿波天孫降臨が正しいとも思っていませんが、昔 神武東征を習った時、何故 宮崎から大和まで移動するのか 不思議に思っていました。
宮崎を本拠地にして、大和まで遠征するのなら分かりますが(日本武尊が遠国に遠征した様に)。
東川宮司さま、初めまして。
テト🐱ちゃん超可愛いですね💕
今自分が読んでおります大元出版からの旧出雲東王家富家の口伝をまとめた『出雲王国とヤマト政権』の
本に、葛城御歳神社が出てきましたので、ご紹介させてください。
第八章 ヤマト政権の成立 3 出雲系神社の増加
古代出雲では、神をカモと発音した。そのため、カツラギに移住した登美家はカモ家と呼ばれた。
「神」の字はのちに「賀茂」や「鴨」「加茂」の字で書かれるようになった。
登美家が賀茂家と正式に呼ばれたのは、賀茂建津乃身かもたてつのみ(建角身、大賀茂津身)からであった。
また、コトシロヌシの個人名は八重波津身やえなみつみであった。その名前の一部と、鴨の字が組み合わ
さって、「鴨都波神社」の名になった。中略
(葛城一言主神社の)さらに南には、郷戸家からアマべ家のホアカリに輿入れした高照姫(天道姫)を祀る
葛城御歳神社(御所市東持田)がある。その社の名は、正月祭りの神・歳神に由来する。
御所市葛城のあたりは出雲色の強い神社が多いですね。第一次物部東征の後に、
(西出雲王家・神門臣家)郷戸家アジスキタカ彦の息子多岐都彦が親族や家来を連れて、
登美家クシヒカタを頼ってカツラギに移住し、登美家と同じくカモ族と呼ばれた。
カツラギ南部に住んだ郷戸家は、とくに高鴨家と呼ばれた。
のちに多岐都彦は、父君・アジスキタカ彦と、叔母の下照姫とその婿・天稚彦あまのわかひこの霊を
祀る高鴨神社(御所市鴨神)を建てた。
第一次物部東征がA.D.2世紀中頃の後漢・恒霊時代だそうなので、
オシヒト大王の王子・フトニの時代であったものと考えられる。
とても長い歴史のある神社さんですね。二千年近く続いておられるのは凄いと思います。
賀茂氏祖霊の象徴金鵄が東征軍の神武天皇側に付いた。というお話も面白いですね。
天孫族の物部軍をヤマトに引き入れた賀茂氏、大田家の当主、大田田根子とも重なる様で、
その経緯をある意味で吉祥と捉えて暗示しているようでもあり、とても興味深いです。
コメントありがとうございます。甘えたのテトちゃん、時々出没します❣
出雲口伝はぶっ飛びすぎて何が何だか~です(^^;
葛木御歳神社は日本最古の神社の部類になると思っています。古すぎて創祀についてはわかっていません。
賀茂氏の象徴はヤタガラス、金鵄はナガスネヒコのトミの象徴かと思っています^^
@@mitoshijinja 様、
返信ありがとうございます。
御所市の名の由来は、ここで神武天皇が政務を執ったことからきているのですね。
御所市には由緒ある神社がたくさんあり、県道30号線は眺望のいいドライブコースで、すばらしいところです。
葛城山、一言主神社、高天彦神社は行ったことがあります。次は葛木御歳神社へお参りし周囲をまわってみます。
コメントありがとうございます^^
御所の名前はその他に、巨勢氏からきている説もあります。
ぜひぜひご参拝くださいませ。
ご活躍様です。動画、久しぶりで、楽しく拝見しました。テトちゃんの元氣な甘えんぼうな姿にも癒やされました❤
ずいぶん間が空きましたが、またアップしていきますのでよろしくお願いいたします。近々TH-camライブもしたいなあと思っています^^今回もご覧いただきありがとうございました❤
視聴させていただきました
毎回、いいお話をありがとうございます。私は、三井修験の関わっていますが、①「役行者(699年伊豆に流刑)」は出雲族(葛城氏?)の出身と聞いていますが、伝承では、葛城山で一言主(出雲族・加茂氏?)と争い、負かしたとされています。同じ出雲族でありながら、両氏は仲が悪かったのでしょうか?。②大国主の「出雲の国譲り」後、多くの出雲族が、争そいの少ない奈良・京都地方に移住してきて、大国主の七代後(200年位のち)の事代主の娘が、神武天皇の后となったされています。出雲の国譲りを迫った勢力は、東日本(日高見国)の鹿島・香取神宮の勢力と考えられますが、いかがでしょうか。
役行者が一言主神を捕縛した話は、のちの時代に葛城氏を貶めるために作られたと云われています。記紀→続日本紀→日本霊異記と時代が下るごとに一言主神が神らしからぬ描き方になります。
国譲りはどうなんでしょうね。記紀をそのまま読めば、天孫族によって迫られた感じですが、確かに鹿島香取の神ですね!
@@mitoshijinja 宮司様。ありがとうございました。一言主と役行者は時代が異なり、修験道が、後に独り歩きし、そのような逸話を創作していったということでしょう。「国譲り」や「天孫降臨」は、歴史的に関東の鹿島・香取の勢力がおこなったもので、神話においては「天孫族」として描かれたものと存じます。
御所市の鴨神社群の鴨一族の源流はどこから来たかについて神社に伝わっていませんか? 何かご存じでしたらお願いします。
加西市、加東市、一部西脇市に加茂一族が遙か前に住んでいた気配があります。その基は出雲近辺か? と考えていますが。
鴨一族は大和王権の母方として強く結びついていたのですから。
コメントありがとうございます。実は古すぎてこちらにも伝わっていないのです。
出雲から来た説が有力ですが、御所市の場所が古く、出雲が時代が新しいという説もあります。何かしら交流があったことは間違いなさそうです。
この辺りには縄文遺跡も出ますので、古くから栄えていた場所ではあります。
にゃんこ😸。トビは富家ですかね。小泉館長と対談してほしいですね!神武天皇社あるんですね!
神武天皇社、江戸時代の本居宣長先生もおすすめされています^^
ほー、本居宣長先生でしたか、御所市のかしわらがルーツと指摘してくれたのは。
私は『かつらぎ』という地名について、御所市の葛城と和歌山県のかつらぎ町や、 かつらぎ山は同じく「カツラから来た人々が住み着いた土地」を意味すると考えています、その人たちは鴨氏でした。たしかかつらぎ町の一言主神社も江戸時代の文献では葛城神社と表記されていると何かで読んだことがあります。
コメントありがとうございます^^そうなんです。本居宣長さん、各地を巡っておられますよね。葛城は神の宿る「桂の木」からきているとか、土蜘蛛をカズラ(葛)の蔓で縛ったとかの説もあります。金剛山頂の葛木神社も主祭神は一言主神です。この付近に雄略天皇と一言主神が出会った場所もあります。もしかしたら、山頂のほうが古いのかもしれませんね。
@@mitoshijinja 様
かつらぎ地名について、一般論としてはその様に説明されていますね。カツラから来た人々がいる土地という解釈は私のオリジナルだと思います。カツラとは勝浦、勝占、桂浜などのウミベや湊などです。鴨たけつぬみのみこと、つみはやえことしろぬしのみこと、一言主のみこと、雄略とそっくりだった伝説など、あるいはあじすきたかひこね神と同一視される場合がある、など、の資料から割り出した答です。弥生時代からその都度繰り返されてきた、海辺から高地性集落への大避難で誕生した大文化圏だという結論です。ぜんぜん気になさらないで下さい。ずいぶん前に御社にお参りしたことがあります。ここにこんな立派な神社があったのか‼️とビックリしました。さすが奈良県最古の水田跡が発見された(中西遺跡)葛城地区だけのことはあります。
なるほど!陸路より海路のほうが楽ですものね!
勝浦!和歌山の勝浦からのルートもありかも?
ご参拝頂いていたのですね!ありがとうございます!
葛城地方の神社は、葛城氏が滅んだはるか後の平安時代の延喜式での格式も高いです。その理由についても思いを馳せています^^
はじめまして、京都からです、東川宮司さんは葛城一族の末裔ですか?昔からの知合いに葛城一族の末裔と言う姉妹がいるのですが・・・
コメントありがとうございます。
私は末裔ではないのですが、何かしらのご神縁に導かれたと思っています✨
双葉葵紋の葵が自生する地は本州に無く、四国のみらしいです😊
「フタバアオイ」ウィキペディアよりコピペ
日本固有種で、本州の福島県以南から九州まで分布する。
温帯域の広葉樹林、あるいは針葉樹の混じった森林に生育し、暗い林床に生える。小型なので目立たないことも多いが、時に広範囲にまとまった大きな集団を作る。
私は三本足の八咫烏は大海人皇子を案内した役行者、杖を持った修験者がモデルになったのではないか?と考えています。
八咫烏は、熊野本宮修験の一族が烏紋を用いた説などもあります。
吉祥草寺と神武天皇社の中間ぐらいに住んでいます。以前、県立美術館でお話をお聴きした事があります。
あら!それはありがとうございます!お近くなんですね^^