ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
テレビ左上の箕、浪って漢字だけでもう熱い。
春はセンバツから。の、名調子。毎日放送が誇る井上アナの実況と共に、箕島VS浪商の阪和決戦は、センバツ史に残る名勝負でした。
牛島投手の「投げてるのは俺や、黙って見とけ」の言葉をそのまま伝えたときの浪商監督の表情が見れました
牛島香川のバッテリーも石井島田のバッテリーも素晴らしい。この決勝は漫画のドカベンの世界だね。
この頃の公立強豪高校は野球でもしてないとヤンチャで先生や親を困らせそうな悪がき風の連中を集めて監督さんが強くしたイメージが強いですね。
決勝戦でこれだけの名勝負を繰り広げておきながら、試合終了後に握手もしない(笑)両チームともに武骨な男の気概が滲み出ていて、これはこれで清々しい。
箕島は強さより絶対に負けないチームというイメージです😃
見応えギッシリの素晴らしい名勝負!!そんなこの動画で1番驚きましたのが浪商広瀬監督が50歳だった事!70手前ぐらいのおじいちゃん監督と思い込んで居ましたね
この試合、観てました。浪商バッテリー大好きでした!牛島かっこよかった!
春夏連覇したあとのいつ頃だったか有田市役所に仕事で行ったとき、その直前、ちかくにある簑島高校のグラウンドの練習風景を見た。高い場所から前景が見える。尾藤監督が走者付きのシートノックをしていた。明るい笑い声が監督や選手から絶えず、エラーしても「なにやっとるんや」って感じで笑い声。その感想を役所の人に漏らすと役人さんはうれしそうな顔をして机の引き出しから新聞の切り抜きを何枚も出し、「PLなんかあっちこっちかき集めてるがうちらはこの辺の子でやってる」と自慢話。
8回に広瀬監督の敬遠指示を拒んで北野選手と勝負した牛島・香川のバッテリー。この勝負にサイクルヒットで決勝点を奪った北野。高校野球は、こんなドラマがあるから観るものを引きつけて止まない。素晴らしい決勝戦でした。
北野選手はサイクルのことは知っていたのかどうなんだろう?三塁を欲張ってアウト、結果的にサイクルになったんですね。今見直して気づきましたよ。
最後の上野山キャプテンの守備、素晴らしい。
あ〰️懐かしい‼️尾藤先生〰️若い‼️毎年楽しみにみてました😂牛さん〰️ドカベン香川〰️若い‼️こんな映像がみれるなんて感激ですね❗涙出ちゃいます😅
改めて見ても良い試合ですね!
まだ春ということもありますが、両校ともに勝敗を超えた爽やかさや清々しさに満ちていますよね。無論センバツ決勝史に残る名勝負なのは間違いありません🏟️。。☆
和歌山が地元なのでこの春夏連覇した年の箕島は、全部テレビ観戦しました。和歌山全体が家で観戦して、外出しなかったくらいだった!
分かりますよ。大阪南部の私でさえ摩訶不思議なドラマを次々と演出する尾藤野球には惹き込まれましたからね。相手からすれば、どんな展開になっても箕島には勝てっこない!と匙を投げてしまうような驚異なまでの勝負強さが今もなお記憶に深く刻み込まれております。
当時の箕島は練習試合でもファンが詰めかけるくらい和歌山では人気がありましたね。私もこの年の夏に予選の決勝を見に紀三井寺に行きましたが普段閉鎖している外野も開放して立ち見の超満員でした。
流石に牛島兄貴や!落ち着いてはる!
この試合はテレビで観ましたもう43年前です8対7いい試合でした浪商は夏4強浪商に勝った池田とY校に勝った箕島の決勝4対3春夏連覇星稜との3回戦嶋田森川のホームランイヤ〜奇跡懐かしい
石井、牛島がこんなに打たれてたなんて、記憶から消えてました。島田、香川、両バッテリーがプロで活躍するのも珍しい気がする。
甲子園春夏連覇の箕島のエース石井毅は高校野球歴代屈指のアンダースロー
浪商牛島連投の疲れ相当有った。
このころの箕島は3点取られたら4点取って勝つ。7点取られたら8点取って勝つ。そんなチーム。強いというより負けないチーム。当時見ていて箕島に勝つのは至難じゃないかと思いながら見ていた記憶があります。
まさにそうでしたね。僕は祖父が和歌山生まれで、箕島が大好きだった影響で、一緒にテレビで応援していたのですが、後の大阪桐蔭や智弁和歌山のような圧倒的な強さが無かったため、毎試合ドキドキしながら観ていた記憶があります。神懸かり的に勝負強いチームでした。
北野さんのサイクルヒットは凄い。
この時 めっちゃ感動した 記憶があります!浪商 箕島 復活して強くなって欲しいと願います!
石井と牛島、今目線で見ても良いピッチャーだな
確かに良いピッチャーですね。この頃の高校野球も面白かったしみんなが熱中して応援したよ。今はレベルが高いが地域格差や、野球留学があって残念なところもある。
解説者が128km出てるので速いですね、と言ってるがもっと速く感じますね。
8回の北野選手の打席の時伝令が飛んでベンチから敬遠を指示した時牛島投手が「黙って見とけ!」と言ったらしいですね(笑)今はTH-camで当時のいろんな舞台裏の話がご本人から直接聞けて感慨深いですw
高校野球絶頂期でしたね☺️
懐かしい映像です。高校を卒業され、住友金属を経て、西武ライオンズにドラフト指名された石井投手ですが、ライオンズ入団前のその当時にプロ野球で活躍していた箕島高校OBの方々(西武の東尾投手、中日の上川選手、近鉄の島本選手など)のサイン会が箕島高校で行われましたが、石井投手は来てなくて残念でしたが、私の叔母の家の近所にある商店の息子さんであったようで、サイン会の後日、叔母に連れられて直接サインをもらいに行きました。叔母が石井投手の母に『タケちゃん、あるけ?』と聞いてくれて、呼んできてくれました。寝起きでパジャマ姿の石井投手、頭をボリボリかきながら現れて『サイン会、忘れてとー』と言いながら、持って来た色紙に『西武ライオンズ 石井毅』とサインしてくれて、またこの映像の試合のウィングボール⚾か、夏の大会のウィングボール⚾を見せてくれて、実際に触らせてもらいました。マジックで何か書いてあって、茶色く変色したウィングボール⚾でした。その時に石井投手の母が『おまん、東尾さんみたいになりなよ』と言ってたのを思い出します。※一部、和歌山弁で書かせてもらっています
この年の北野選手は小学生時代、初優勝のパレードで憧れの島本さんに握手してもらったのが嬉しくて箕島進学を決意したそうですね。懐かしい名前と貴重なシーンが思い浮かぶ箕島黄金時代。。令和の世にまたミラクル伝説を甲子園で築いてもらいたいですね。。☆
大変貴重なお話ありがとうございます。
強いのと住まいが学校から近いというのもあって、ずっとPLファンなのですが、PLがいくらやっても勝てなかったのがこの箕島。負けそうで負けない、憎たらしいほど強かったですよ。
前年春は新2年生の石井毅に6安打完封負けを喫し、この春も急造リリーフの阿部が初球をワイルドピッチで敗戦、。。その3年後のセンバツでようやく榎田投手らで箕島打倒なりましたね。以後は近畿大会などでPLが優勢だったのではないでしょうか。。⛩️🏟️☆
全くの同感!自分も大阪人でPL初優勝対高知商戦が初高校野球観戦でPLファンでした。なので、大のアンチ箕島でした。
嶋田が憎たらしかったなぁ。
でも、3年後の選抜で優勝候補筆頭の箕島に榎田が完封して2連覇しましたね。
これはナイスゲームですね。現代ようなウェイトトレーニング全盛でマッチョな選手と違い、いかにも高校生という選手たちが死闘を繰り広げていて大変面白いですね。牛島君は当時の高校生としては珍しいフォークを投げる投手として有名でした。ドカベン香川も懐かしいし、尾藤監督も若い。お二人とも鬼籍に入られたことが残念です。
筋トレを引き合いに出すのはかなり見当違いだと思いますよ。
そうそう、北野選手は、今見ても1979年当時までの最高のバッターです。あと、嶋田捕手は、最高のキャッチャー。9回2アウト目の、キャッチャーフライを捕るときの動き、声のかけ方は凄い。
今は高校野球っていうよりプロ養成機関の試合ってかんじやからな
今時はプロ予備軍の大会でつまらない。何より自分と年齢差あるから興味ないのが大きい。
貴重な動画をありがとうございます。当時の私は小学4年生。箕島高校に憧れて野球を始めた時でした。当時の箕島は和歌山の誇りでした。圧倒的に強いって訳ではなかったんですがとにかく負けなかった印象があります。1点差、2点差で終わってみれば勝っていたみたいな。またあの頃の箕島の復活を望みます。今、和歌山は智弁和歌山の時代が長く続いていますがまたあの校歌を甲子園で聞きたいです。私立の学校が全盛の甲子園ですが徳島の池田高校と共に最強公立学校の復活を願っています。
その通り。
残念ながら復活は無いでしょう。両校とも人口減少地域ですし、今の有力中学生が昔強かっただけの公立にわざわざ行くわけないですよ。今の選手は甲子園に行くためにシニアやボーイズで活躍してお互いに情報交換しながら強豪私学へ地域に関係なく進学するんで。それは野球の進化だと思いますよ。地元高校に行かなきゃならない決まりは無いですしね。
あと銚子商や津久見、松山商、新居浜商、豊見城なんかも見たいチームですなぁ(^^)☆
そうです。勝つというよりも「負けない」チームでした。そういう意味では高校野球史上最無敗チームでした。
甲子園出場待っています嶋田宗彦さんが監督やってくれたら来年から阪神一軍コーチですが
池田とか箕島とか公立がよく優勝したり強かった。
芸術品のように美しい牛島の投球フォーム。それでも4連投のヘロヘロで直球にスピードがありませんね。中学時代からその剛腕で近畿中の野球名門校のスカウト合戦の渦中にいた牛島は、浪商の復活、更に甲子園での優勝を期待されて浪商に入学。入学翌日には早くも春の府大会で北陽相手に2失点完投勝ち。その牛島の相棒は、これもまた中学時代から大阪No.1スラッガーとして名を轟かせていたドカベン香川。そんな2人による天才バッテリーも甲子園ではこの春の準優勝が最高成績でした。
尾藤監督若いなあ。箕島は夏も優勝して春夏連覇したんだよな。とにかく接戦に強かった
今は息子の尾藤監督も結構なお年ですよね。しかし若い尾藤監督のお姿懐かしいですね。
パッと見た目は圧倒的な強さは感じなかったんだけどね。あの年の箕島は自分達のペースを掴む(巻き込む?)のが巧く、且つ球運をも味方に付ける常識を超えた勝負強さを備えてましたからね。どういう展開であっても箕島には勝てっこない!と相手校は悔しくも降参するしかなかったのではないでしょうか。。☆
尾藤監督自身のインタビュー記事では以下のように述べています。「私自身が監督をしていた中で最強のチームだと思ったのは68年の東尾がいたチーム。あのチームは監督の私が未熟だから優勝できなかった(センバツベスト4で敗退、夏は和歌山大会2回戦で敗退)。監督さえまともだったら優勝していたチーム。79年のチームは春夏連覇を達成したのですが、私には強いチームとはとても思えなかった。ただ、試合になると不思議と負けないチームだった。」東尾を筆頭にタレントが揃っていた68年のチームは準決勝での敗退が信じられなかった。あの一方的な試合をあんなチームにあんな逆転負けを喫すること自体が普通あり得ない。当時の尾藤監督も信じられなかったのでは。ベスト4が揃った時点で箕島の初出場初優勝の可能性が高いと誰もが思ったと思う。
ちなみにこの79年のチームは秋の近畿大会では準決勝で浪商と対戦してボコボコに打ちまくられて2ケタ失点のコールド負けで惨敗しています。しかもその時の浪商は香川選手をケガで欠いていました。4番打者と正捕手のいない浪商に惨敗していたのです。
この両校とも最近甲子園に出ていないですね公立校で春夏連覇している箕島は凄かった
私が生まれたこの年に、実家から自転車で通学できる距離にある箕島高校が春夏連覇したっていうのが嬉しい
箕島と言えば、あのプッシュバント。当時見ていて走・攻・守レベル高いと感じた。現代の各地方から優秀な選手を集めて勝つ事に徹した高校野球より見ていておもしろかった・・・
このときは浪商を応援してました。しかし箕島のプッシュバント攻撃(内野安打)は当時よく真似してました!
倉吉北のコワモテ矢田投手が右に左に揺さぶられて根負けした表情が今も思い浮かびますね。
牛島さんは、浪商の卒業式に、パンチバーマ、チョビヒゲ、さらに、リンカーンコンチネンタルを運転してきた、凄すぎる!
真っ赤なリンカーンでしょう?
大阪と和歌山の強豪対決ですね。古くは箕島-PL・箕島-浪商、PL-智弁和歌山、そして今は智弁和歌山-大阪桐蔭・智弁和歌山-履正社あたりですね。
当時中学生だった私はこの試合の7回表、同点スリーベースヒットを打った浪商の遊撃手(3番打者)・山本昭良さんの大ファン。この試合の7年後、山本さんと同じ会社で働くことになって大感激。無神論者の私が初めて神様に感謝した。
この頃の高校野球は毎年全試合テレビで見ていましたが、箕島の強さは尋常じゃなかったですね。
箕島尾藤監督素晴らしい試合でした。
8-7・・・今ではザラにあるスコアですが、当時は投手優位でしたから、壮絶な打撃戦と言われたのですね。そういえば、同じ年の夏の選手権大会でも、一番の打撃戦は、瀬田工業と明野が対戦した時の9-7が目立つ程度でしたね。
AZIANOKAKUMEI 下関商ー熊谷商はどうですか?
挙げられてる試合微妙に年度は違いますが全て良かったですね。今と違って派手な打ち合いが少なかったので目まぐるしい点の奪い合いは新鮮味があり思わずTVに見入ったものです。。☆
ルーズベルトゲーム
今見ても牛島さんカッコイイ。夏の浪商対上尾も見たいです。
上尾は今現在まででも甲子園7勝、ベスト4が最高成績にすぎないのだが何故か名門強豪のイメージがするんだよね。勝っても負けても1点差が多く高校野球ファンにインパクトを残しているからだろうか。それにしても前年夏からのPL、箕島、浪商ら近畿の猛者はいずれ劣らぬ驚異の粘り腰。甲子園が興奮の坩堝と化すのも然りだったな。
強い浪商、強い池田に勝って春夏連覇した箕島はどんだけ強いんだと思った。この両校は夏も優勝とベスト4だったな
このとしの夏の大会は箕島と星稜の伝説の延長18回1点を争う名勝負だったが、この春の大会決勝は浪商であの牛島、香川という有名なバッテリーが相手だが、内容はもう点の取り合いの打撃戦でしたな。この2人も春夏連覇を果たした箕島相手によくやったと思う。香川はえの人気野球漫画ドカベンが人気を博していたから、余計に体型もポジションも比較してみるから、重圧もあったかもね。さいごの9回裏の無死一塁でドカベン登場はもう、最大のハイライトでしたね。箕島対星稜と違い、ほんとに打ち合いの紙一重のいい試合だった。石井投手も最後はかなり焦ったと思う。
牛島かっこいい!!
70年代は箕島、80年代はPL、90年代は智弁和歌山、2000年代は大阪桐蔭が中心になっていると思います。全て近畿のチームですね。
全て近畿って、和歌山と大阪しかないやんw
じゃあ来年から和歌山勢ってことかな
和歌山ー大阪ー和歌山ー大阪
この頃の和歌山県民は皆、箕島校歌を口ずさんでいた
この年の箕島は本当に強かった☺️尾藤監督最高😃⤴️⤴️の年でした❗昭和60年のPL学園や平成10年の横浜とも互角に戦えると思います🎵
いや互角以上でしょう✨とにかく箕島は投攻守安定していた飛び抜けた選手はいないけど✨
個人的には76年春の崇徳や77年夏の東洋大姫路、82〜83年の池田とも対戦させてみたいですな(^^)☆
そうですね☺️83年水野がエースの方の池田とは私もぜひ甲子園で見たかったです😅大熱戦間違いないと思います。
@@user-bp7yh5er8dさん、いつもThanksです。石井箕島✕水野池田は柔と剛の対決で興味深いですね。箕島は連覇の翌夏は愛甲の横浜に敗れましたが、その前年のチームならどうだったか、。と愛甲のガッツポーズを見てシミュレーション?したものです(^^)☆
1979箕島対1980横浜なら箕島が勝つ💪🏆と思います‼️。
毎日放送の井上光央アナの実況。懐かしすぎます。
センバツの生き字引、花園の高校ラグビーでも名実況で惹き込まれたものです。
井上アナの「光央」を「てるひさ」と読めるファンも、少なくなったでしょう。個人的には植草貞夫アナより好きでした。
@@MrNishikameari さん、私も井上アナの方が好きでした。春と夏の温度差(切迫感?)はあるでしょうけど、植草アナはドラマが、青春が、。。をやや意識して実況で多様する傾向があったのに対し、井上アナは基本冷静沈着でしたよね。試合終盤頃に果たして勝利の女神はどちらに微笑むのでしょうか、。。という高いトーンの美声も春が来るたび懐かしく思い出されます。
ですよね。毎日、朝日独自のカラーがありましたね。後に朝日は植草さんの「悪いところ」を真似たようなアナが続出しましたよね。同時期の、中村哲、黒田、因田さんは耳障りがよかったですが。
@@user-og2ov1eg6e さんその花園の実況でアノンシスト賞の一番上の賞を頂きましたね。ちなみにご健在です
この試合、3塁側のアルプススタンドにいたなぁ懐かしい
惜しくも亡くなられたドカベンこと香川さん、牛島さんとの息の合ったバッテリーとても大好きで、当時夢中でTVで声援してました。この二人の優勝して抱き合う場面を見たかったです。
香川捕手がパパッとサインを出してクールに頷いた牛島投手がテンポよく投げ込む。入学早々からのコンビゆえに息もピッタリでしたね。。🌸🌻⚾☆
尾藤監督は本当絵になってますね
淡々と投げ続ける石井投手が大好きでした。長い間高校野球ファン(50代)ですが、これだけ安定したサブマリン投手はほかに見当たりません。あとは広陵の渡辺投手くらいでしょうか。
yukun konnta 超サブマリン渡辺投手は近畿大学に行きませんでしたか?
小松島高の大和投手は素晴らしかったですよ
有難うございます。本当ですね!!。
◇47回大会の福井商・前側投手が「No.1サブマリン」のイメージ。明治神宮大会優勝/60イニング無失点という記録もある。甲子園ベスト8。完投2試合で合計被安打5/負けた試合は優勝した高知に1-2。「エッ!?」と思う二段モーション、「阪急山田か福商前側か」くらいの美しい下手投げ。
前側カッコ良かったな。ベスト8で高知に中盤に長打とスクイズで逆転負け。結果的に優勝するこの西の横綱を苦しめただけに当然夏も出てくるものだと信じ切っていたが福井大会決勝で三国に敗退(福滋代表へ)。。。前側の3年後に準優勝した板倉はどちらかといえばゆったりと軟投派のイメージがある。あとマニアックかも知れんがこの79年と翌80年のセンバツ8強に進んだ尼崎北の田中も好きなサブマリンで子供心に魅せられたな。
この大会は近畿勢が史上初のベスト4を独占した、センバツ近畿大会。とにかくこの年は春も夏も実力と人気を近畿勢が独占してた。
関西人には毎試合堪らんかったな。それゆえに80年春のガタ落ちぶり(尼崎北が8強、滝川1勝、5校は初戦敗退)には放心状態だったわ。。☆
@@user-og2ov1eg6e 天理初戦敗退やらかした
石井毅投手は当時は軟投派だと思っていたけど、こう見るとなかなか球速あるね。
手元でビュッと伸びるので打者は芯を外されると内野ゴロかポップフライに打ち取られているな。。☆
住金から西武に入ったから、そこそこスピードはあった、135キロぐらいは出てる
5万1000人が大熱狂した、79年のセンバツやね。
箕島が連覇した年やな!
この試合は僕の中で選抜ナンバーワンです!いやこの時の浪商が好きなだけかな。2回戦やったかな高知商の試合の井戸さんの頭上超える打球キャッチも見たいな〜。
抜けていれば勿論同点、さらに逆転となる浪商としてはホント激ヤバな当たりだった。Niceファインプレー(^^)!!。四国は4校ともに初戦を突破、敗れた試合も各々インパクトを残す内容で野球王国のしたたかさを如実に窺わせたよね。。🐡🍶☆
北野さんは、現在手帳を作る会社の社長です
森川さんは、工場でしたよね。
山本昭良選手の『三塁打まで行くかもわからん』の実況とお母さんの、大阪のおばちゃん感がたまらなく好きです。
この二校は、中京、平安などと肩を並べる超名門校なのに今は寂しくなってしまった。浪商は特に消えてしまい本当に残念。
木暮修 浪商は「大体大」って元々の学校法人付けて生きています。智弁和歌山がやり過ぎなのは事実。
牛島さんもカッコいいが、嶋田宗さんも、カッコいい
長い高校野球史上でも屈指の名捕手、司令塔でしょうね。牛島を左手で制しながら打席に入る姿もさすがに絵になってます。。☆
サイドスローいまでは、貴重
牛島は決して大きくない上に細身の身体なのに、大阪の総番張るくらいケンカ強かったおそらく威圧感と根性が凄かったんだろうな
体幹を鍛えることができたんでしょうね、なんやかやで。
大阪と和歌山名門浪商と箕島すごい試合ですよ尾藤箕島の黄金時代でした石井嶋田香川牛島
後に浪商は、大体大浪商となり2002年に選抜出場!緒戦突破のみ!
レベルはともかく、今から見れば得体の知れない熱さがあったな。
今ほど全体的に洗練されてなかったためか気迫と気迫がぶつかり合う投打の一騎討ちな熱さだったね。仲間が、チームの勝利が、ワンチームで。。などという言葉は彼等から聞けそうにないな。。(^^)☆
70年代夏の箕島 星稜も凄かった
この頃は箕島高校が強かったですね!
箕島に始まり(70年春優勝)、箕島で終わった(79年春夏連覇)10年間でした。これ以降優勝が途絶えたゆえに郷愁を覚えますね。。☆
北野「牛島に勝負せえ、言うて来いや」香川、マウンドに行く、伝令も行く、牛島(すっこんどれや!」
牛島イケメンやなぁ
ソーナンス
ヒーローになるべくして生まれてきたようなカッコいい要素が詰まってますね。。☆
喧嘩も強く、女子にもモテた。男の鏡ですな。
夏の甲子園では準決勝で浪商が敗れてしまい、決勝での再戦ならなかったですね
ホント惜しかったな。箕島と池田の決勝も接戦での決着だったので、池田も相当な実力を秘めていたことが窺える。敗れた牛島投手、強気な彼も目を少し赤くしながら甲子園を去っていったよな。。🏟️☆
間に挟むCMが大事マンブラザースバンドの替え歌。94年ごろにテレビ放送されたんかな?
この箕島は「ドカベン」の明訓と重なり、大阪出身でありながら応援していた。公立高校でありながら連覇は凄い。プロに入ったバッテリーも応援していたが、最強西武と木戸のいた阪神で運がなかったな。
浪商は広瀬監督で淡路島の洲本高校赴任時に優勝しています。部長は小原部長です。
浜松商業の樽井投手も好きな投手だった。
レト追い返したまさにケンカ越しの勝負結果は、北野が2塁打を放ち8点目をあげ勝負をきめた
それにしてもピッチャーのレベル高いなぁ〜
準決勝の箕島対PLが見たいです。名勝負なのにどこにも上がってないので。
P L のお株を奪う、逆転サヨナラ劇でしたね。『奇跡』という点で箕島は、P L の上を行っていると思います。
自分も見たいです。あのとき釣りに行っていて見てなかった。
あの時は PLの阿部(元広島)が大会3本塁打を打って注目の選手だったね。とくに2回戦の宇都宮商業戦の2打席連続のサヨナラホームランは神ってた。準決勝では9回ツーアウトまで勝っていて箕島を追い詰めてたのに 同点に追いつかれ 延長戦でサヨナラのピンチ時に 乗りに乗ってたショートの阿部がリリーフして ビックリしたのを覚えてる。更に 初球がサヨナラワイルドピッチという あっけない幕切れで PLにとっては 阿部で始まって 阿部で終わった大会だった。俺も PLvs箕島の準決勝が観てみたい。
PL-宇都宮商ならありますね。笈川投手懐かしいです。
PL対箕島は昭和50年代の甲子園黄金カード。一度くらい決勝での対決を見たかったな。54年の準決勝は2点差を追う箕島が9回2死からの同点劇。前年夏から4試合逆転勝ちが続くPLも尾藤スマイル野球には通じず万事休す。この後3季出場を逃した鶴岡監督の甲子園最後の指揮となったのもホントに切ないなぁ。
箕島の4番北野は、サイクルヒットを記録第4打席カーブを投げた牛島にブチ切れ捕手の香川に,「ストレートで勝負せんかい!」と挑発対して牛島も,「敬遠しろ」と伝令しに来た控え選手に「ひっこんどれ!」と追い返したまさにケンカ越しの勝負結果は、北野が2塁打を打ち8点目をあげ勝負をきめた
当時プロを目指してる牛島にとっては敬遠するのはプライドが許さなかったのだろ
8回にだめ押しの2塁打を放った4番北野、3塁を欲張ってアウトになっちゃいましたね。でも怪我の巧妙、アウトになったがために2塁打となり、サイクルヒットが記録されたわけです。勝負した牛島は、北野にやられた、って感じでした。で、これを見ていた北野武は何て言ってたかな?……忘れました。
敬遠してまで優勝して嬉しいか?と言われるのは大阪人にとって我慢ならんことだからね。勝負して試合も惜敗だったからこそ41年経った今でも語り継がれるのだろう。
北野も、こんなヘロヘロの牛島にストレート要求してもなあ
箕島対浪商いい勝負
盛り上がりが今とは違うね。。
PL 横浜 大阪桐蔭が最強チームだと言う人がいるが私はこの年の箕島高校が甲子園最強チームだと思う❗
@祐一郎山田 は?簡単に打てるだろ。今年の奥川もたいしたことないし。
奥川はえぐいピッチャーだったけど、30年の大阪桐蔭とはどっちが勝ってもおかしくない戦いすると思うで
太郎mondepa あほか
激しく同感!とにかく負けないチームという印象。三回戦の星稜戦の一塁ファールフライ落球のエピソードなんかはその典型。
何度も徳俵に足が掛かりながらも驚異の二枚腰を発揮して勝ち名乗りを上げてしまう79年の箕島。このチームに勝つには序盤から大量点を奪う以外あり得ない。2、3点くらいのリードなら策士尾藤監督の思う壺。野球巧者のナインに各々の“”仕事“”をやられてしまう公算が高そうだね(^^)。。🚩☆
牛島の落ち着き払ったこの雰囲気は何なんだ(笑)高校生じゃないぞ
43:50センバツ唯一のサイクルヒット
私、浪商、1番セカンド、椎名正三と、小学校時代、同じクラス、家も近所で、友達でした。小学校時代から、スポーツ万能で、ケンカも強く、いいやつでした。出来れば、彼に勝たせたかった😢
尾藤さんと帽子のM、やけに合っている・・・
ユニフォームを着込んでドカッとベンチに腰掛ければ相手校はマトモに箕島ベンチを見られないでしょう。オレンジMの帽子と尾藤スマイルはまさにワンセットですね〜🍊☆
この頃のサイレン音は今に比べるとキィ~ンとした感があるな。
試合終了整列前に鳴らすのも時代を感じますよね。甲子園を取りまく環境の全て少しずつ変化しているのが認識できる昭和の高校野球アップです。。☆
甲子園が、今と違う。 カメラのアングルが・・安定しない。
この当時の捕手は野球帽のツバ(庇)を後ろに被っていたのか。
8回ウラのピンチ 監督に黙って見とれ?牛島こわ〜
箕島高校ってセーラー服なんだね。この年だとあの人も在籍した年代だね。
はやしますみ
当時はドカベン香川の浪商を応援してましたが、彼らは秋の国体で星稜と対戦した際に、あの箕島戦で落球した加藤選手へ「お前、大阪では自殺した事になってるぞ!」と酷いヤジを飛ばしたとか。今更ながら、コイツらが負けて結果オーライです。こんな輩達が優勝の栄光に浴してはならない、負けるべくして負けた。今は心から、そう思います。
浪商は、現在は、大阪体育大学附属浪商になっていますね。現在は、あまり大阪でも上位には出てきません。牛島投手は力のある投手ではありますが、4連投ならやはりフォームに切れがありませんね。香川さんは体は大きいですが、当時は、そんなに動きが鈍いという感じではありませんでした。選抜という事で、やはりグランドは芝の色は色あせていますね。
香川さんのお母さん、息子の方が先に亡くなって悲しいやろな
牛島バテバテ、球にキレなし。好調とは程遠い。しかし近年稀に見る好勝負で、決勝戦として見てる方は楽しかったやろうね。やってる方も楽しかったやろうね。ナイスゲーム!
バテバテじゃないよ。球は来てた。野球知らんな?
牛島もちゃんと練習していたら、もっとBigになっていたかも?
小さな巨人、石井投手とドカベン香川さんとの対決でした。
これはアルプスで見てたわ~
テレビ左上の箕、浪って漢字だけでもう熱い。
春はセンバツから。
の、名調子。
毎日放送が誇る井上アナの実況と共に、箕島VS浪商の阪和決戦は、センバツ史に残る名勝負でした。
牛島投手の「投げてるのは俺や、黙って見とけ」の言葉をそのまま伝えたときの浪商監督の表情が見れました
牛島香川のバッテリーも石井島田のバッテリーも素晴らしい。
この決勝は漫画のドカベンの世界だね。
この頃の公立強豪高校は野球でもしてないとヤンチャで先生や親を困らせそうな悪がき風の連中を集めて監督さんが強くしたイメージが強いですね。
決勝戦でこれだけの名勝負を繰り広げておきながら、試合終了後に握手もしない(笑)両チームともに武骨な男の気概が滲み出ていて、これはこれで清々しい。
箕島は強さより絶対に負けないチームというイメージです😃
見応えギッシリの素晴らしい名勝負!!そんなこの動画で1番驚きましたのが浪商広瀬監督が50歳だった事!70手前ぐらいのおじいちゃん監督と思い込んで居ましたね
この試合、観てました。浪商バッテリー大好きでした!牛島かっこよかった!
春夏連覇したあとのいつ頃だったか有田市役所に仕事で行ったとき、その直前、ちかくにある簑島高校のグラウンドの練習風景を見た。高い場所から前景が見える。尾藤監督が走者付きのシートノックをしていた。明るい笑い声が監督や選手から絶えず、エラーしても「なにやっとるんや」って感じで笑い声。
その感想を役所の人に漏らすと役人さんはうれしそうな顔をして机の引き出しから新聞の切り抜きを何枚も出し、
「PLなんかあっちこっちかき集めてるがうちらはこの辺の子でやってる」と自慢話。
8回に広瀬監督の敬遠指示を拒んで北野選手と勝負した牛島・香川のバッテリー。この勝負にサイクルヒットで決勝点を奪った北野。
高校野球は、こんなドラマがあるから観るものを引きつけて止まない。
素晴らしい決勝戦でした。
北野選手はサイクルのことは知っていたのかどうなんだろう?三塁を欲張ってアウト、結果的にサイクルになったんですね。今見直して気づきましたよ。
最後の上野山キャプテンの守備、素晴らしい。
あ〰️懐かしい‼️尾藤先生〰️若い‼️毎年楽しみにみてました😂牛さん〰️ドカベン香川〰️若い‼️こんな映像がみれるなんて感激ですね❗涙出ちゃいます😅
改めて見ても良い試合ですね!
まだ春ということもありますが、両校ともに勝敗を超えた爽やかさや清々しさに満ちていますよね。無論センバツ決勝史に残る名勝負なのは間違いありません🏟️。。☆
和歌山が地元なのでこの春夏連覇した年の箕島は、全部テレビ観戦しました。和歌山全体が家で観戦して、外出しなかったくらいだった!
分かりますよ。大阪南部の私でさえ摩訶不思議なドラマを次々と演出する尾藤野球には惹き込まれましたからね。相手からすれば、どんな展開になっても箕島には勝てっこない!と匙を投げてしまうような驚異なまでの勝負強さが今もなお記憶に深く刻み込まれております。
当時の箕島は練習試合でもファンが詰めかけるくらい和歌山では人気がありましたね。
私もこの年の夏に予選の決勝を見に紀三井寺に行きましたが
普段閉鎖している外野も開放して立ち見の超満員でした。
流石に牛島兄貴や!
落ち着いてはる!
この試合はテレビで観ました
もう43年前です8対7いい試合でした
浪商は夏4強浪商に勝った池田とY校に勝った箕島の決勝4対3春夏連覇
星稜との3回戦嶋田森川のホームラン
イヤ〜奇跡懐かしい
石井、牛島がこんなに打たれてたなんて、記憶から消えてました。
島田、香川、両バッテリーがプロで活躍するのも珍しい気がする。
甲子園春夏連覇の箕島のエース石井毅は高校野球歴代屈指のアンダースロー
浪商牛島連投の疲れ相当有った。
このころの箕島は3点取られたら4点取って勝つ。7点取られたら8点取って勝つ。そんなチーム。強いというより負けないチーム。当時見ていて箕島に勝つのは至難じゃないかと思いながら見ていた記憶があります。
まさにそうでしたね。僕は祖父が和歌山生まれで、箕島が大好きだった影響で、一緒にテレビで応援していたのですが、後の大阪桐蔭や智弁和歌山のような圧倒的な強さが無かったため、毎試合ドキドキしながら観ていた記憶があります。神懸かり的に勝負強いチームでした。
北野さんのサイクルヒットは凄い。
この時 めっちゃ感動した 記憶があります!浪商 箕島 復活して強くなって欲しいと願います!
石井と牛島、今目線で見ても良いピッチャーだな
確かに良いピッチャーですね。この頃の高校野球も面白かったしみんなが熱中して応援したよ。今はレベルが高いが地域格差や、野球留学があって残念なところもある。
解説者が128km出てるので速いですね、と言ってるがもっと速く感じますね。
8回の北野選手の打席の時伝令が飛んでベンチから敬遠を指示した時牛島投手が「黙って見とけ!」と言ったらしいですね(笑)今はTH-camで当時のいろんな舞台裏の話がご本人から直接聞けて感慨深いですw
高校野球絶頂期でしたね☺️
懐かしい映像です。高校を卒業され、住友金属を経て、西武ライオンズにドラフト指名された石井投手ですが、ライオンズ入団前のその当時にプロ野球で活躍していた箕島高校OBの方々(西武の東尾投手、中日の上川選手、近鉄の島本選手など)のサイン会が箕島高校で行われましたが、石井投手は来てなくて残念でしたが、私の叔母の家の近所にある商店の息子さんであったようで、サイン会の後日、叔母に連れられて直接サインをもらいに行きました。叔母が石井投手の母に『タケちゃん、あるけ?』と聞いてくれて、呼んできてくれました。寝起きでパジャマ姿の石井投手、頭をボリボリかきながら現れて『サイン会、忘れてとー』と言いながら、持って来た色紙に『西武ライオンズ 石井毅』とサインしてくれて、またこの映像の試合のウィングボール⚾か、夏の大会のウィングボール⚾を見せてくれて、実際に触らせてもらいました。マジックで何か書いてあって、茶色く変色したウィングボール⚾でした。その時に石井投手の母が『おまん、東尾さんみたいになりなよ』と言ってたのを思い出します。
※一部、和歌山弁で書かせてもらっています
この年の北野選手は小学生時代、初優勝のパレードで憧れの島本さんに握手してもらったのが嬉しくて箕島進学を決意したそうですね。懐かしい名前と貴重なシーンが思い浮かぶ箕島黄金時代。。令和の世にまたミラクル伝説を甲子園で築いてもらいたいですね。。☆
大変貴重なお話ありがとうございます。
強いのと住まいが学校から近いというのもあって、ずっとPLファンなのですが、PLがいくらやっても勝てなかったのがこの箕島。負けそうで負けない、憎たらしいほど強かったですよ。
前年春は新2年生の石井毅に6安打完封負けを喫し、この春も急造リリーフの阿部が初球をワイルドピッチで敗戦、。。その3年後のセンバツでようやく榎田投手らで箕島打倒なりましたね。以後は近畿大会などでPLが優勢だったのではないでしょうか。。⛩️🏟️☆
全くの同感!自分も大阪人でPL初優勝対高知商戦が初高校野球観戦でPLファンでした。なので、大のアンチ箕島でした。
嶋田が憎たらしかったなぁ。
でも、3年後の選抜で優勝候補筆頭の箕島に榎田が完封して2連覇しましたね。
これはナイスゲームですね。現代ようなウェイトトレーニング全盛でマッチョな選手と違い、いかにも高校生という選手たちが死闘を繰り広げていて大変面白いですね。牛島君は当時の高校生としては珍しいフォークを投げる投手として有名でした。ドカベン香川も懐かしいし、尾藤監督も若い。お二人とも鬼籍に入られたことが残念です。
筋トレを引き合いに出すのはかなり見当違いだと思いますよ。
そうそう、北野選手は、今見ても1979年当時までの最高のバッターです。
あと、嶋田捕手は、最高のキャッチャー。9回2アウト目の、キャッチャーフライを捕るときの動き、声のかけ方は凄い。
今は高校野球っていうよりプロ養成機関の試合ってかんじやからな
今時はプロ予備軍の大会でつまらない。何より自分と年齢差あるから興味ないのが大きい。
貴重な動画をありがとうございます。当時の私は小学4年生。箕島高校に憧れて野球を始めた時でした。当時の箕島は和歌山の誇りでした。圧倒的に強いって訳ではなかったんですがとにかく負けなかった印象があります。1点差、2点差で終わってみれば勝っていたみたいな。またあの頃の箕島の復活を望みます。今、和歌山は智弁和歌山の時代が長く続いていますがまたあの校歌を甲子園で聞きたいです。私立の学校が全盛の甲子園ですが徳島の池田高校と共に最強公立学校の復活を願っています。
その通り。
残念ながら復活は無いでしょう。両校とも人口減少地域ですし、
今の有力中学生が昔強かっただけの公立にわざわざ行くわけないですよ。
今の選手は甲子園に行くためにシニアやボーイズで活躍してお互いに
情報交換しながら強豪私学へ地域に関係なく進学するんで。
それは野球の進化だと思いますよ。
地元高校に行かなきゃならない決まりは無いですしね。
あと銚子商や津久見、松山商、新居浜商、豊見城なんかも見たいチームですなぁ(^^)☆
そうです。勝つというよりも「負けない」チームでした。そういう意味では高校野球史上最無敗チームでした。
甲子園出場待っています
嶋田宗彦さんが監督やってくれたら
来年から阪神一軍コーチですが
池田とか箕島とか公立がよく優勝したり強かった。
芸術品のように美しい牛島の投球フォーム。
それでも4連投のヘロヘロで直球にスピードがありませんね。
中学時代からその剛腕で近畿中の野球名門校のスカウト合戦の渦中にいた牛島は、浪商の復活、更に甲子園での優勝を期待されて浪商に入学。入学翌日には早くも春の府大会で北陽相手に2失点完投勝ち。
その牛島の相棒は、これもまた中学時代から大阪No.1スラッガーとして名を轟かせていたドカベン香川。
そんな2人による天才バッテリーも甲子園ではこの春の準優勝が最高成績でした。
尾藤監督若いなあ。箕島は夏も優勝して春夏連覇したんだよな。とにかく接戦に強かった
今は息子の尾藤監督も結構なお年ですよね。しかし若い尾藤監督のお姿懐かしいですね。
パッと見た目は圧倒的な強さは感じなかったんだけどね。あの年の箕島は自分達のペースを掴む(巻き込む?)のが巧く、且つ球運をも味方に付ける常識を超えた勝負強さを備えてましたからね。どういう展開であっても箕島には勝てっこない!と相手校は悔しくも降参するしかなかったのではないでしょうか。。☆
尾藤監督自身のインタビュー記事では以下のように述べています。
「私自身が監督をしていた中で最強のチームだと思ったのは68年の東尾がいたチーム。あのチームは監督の私が未熟だから優勝できなかった(センバツベスト4で敗退、夏は和歌山大会2回戦で敗退)。監督さえまともだったら優勝していたチーム。79年のチームは春夏連覇を達成したのですが、私には強いチームとはとても思えなかった。ただ、試合になると不思議と負けないチームだった。」
東尾を筆頭にタレントが揃っていた68年のチームは準決勝での敗退が信じられなかった。あの一方的な試合をあんなチームにあんな逆転負けを喫すること自体が普通あり得ない。当時の尾藤監督も信じられなかったのでは。ベスト4が揃った時点で箕島の初出場初優勝の可能性が高いと誰もが思ったと思う。
ちなみにこの79年のチームは秋の近畿大会では準決勝で浪商と対戦してボコボコに打ちまくられて2ケタ失点のコールド負けで惨敗しています。しかもその時の浪商は香川選手をケガで欠いていました。4番打者と正捕手のいない浪商に惨敗していたのです。
この両校とも最近甲子園に出ていないですね
公立校で春夏連覇している箕島は凄かった
私が生まれたこの年に、実家から自転車で通学できる距離にある箕島高校が春夏連覇したっていうのが嬉しい
箕島と言えば、あのプッシュバント。
当時見ていて走・攻・守レベル高いと感じた。
現代の各地方から優秀な選手を集めて勝つ事に
徹した高校野球より見ていておもしろかった・・・
このときは浪商を応援してました。
しかし箕島のプッシュバント攻撃(内野安打)は当時よく真似してました!
倉吉北のコワモテ矢田投手が右に左に揺さぶられて根負けした表情が今も思い浮かびますね。
牛島さんは、浪商の卒業式に、パンチバーマ、チョビヒゲ、さらに、リンカーンコンチネンタルを運転してきた、凄すぎる!
真っ赤なリンカーンでしょう?
大阪と和歌山の強豪対決ですね。古くは箕島-PL・箕島-浪商、PL-智弁和歌山、そして今は智弁和歌山-大阪桐蔭・智弁和歌山-履正社あたりですね。
当時中学生だった私はこの試合の7回表、同点スリーベースヒットを打った浪商の遊撃手(3番打者)・山本昭良さんの大ファン。この試合の7年後、山本さんと同じ会社で働くことになって大感激。無神論者の私が初めて神様に感謝した。
この頃の高校野球は毎年全試合テレビで見ていましたが、箕島の強さは尋常じゃなかったですね。
箕島尾藤監督素晴らしい試合でした。
8-7・・・今ではザラにあるスコアですが、当時は投手優位でしたから、壮絶な打撃戦と言われたのですね。そういえば、同じ年の夏の選手権大会でも、一番の打撃戦は、瀬田工業と明野が対戦した時の9-7が目立つ程度でしたね。
AZIANOKAKUMEI 下関商ー熊谷商はどうですか?
挙げられてる試合微妙に年度は違いますが全て良かったですね。今と違って派手な打ち合いが少なかったので目まぐるしい点の奪い合いは新鮮味があり思わずTVに見入ったものです。。☆
ルーズベルトゲーム
今見ても牛島さんカッコイイ。夏の浪商対上尾も見たいです。
上尾は今現在まででも甲子園7勝、ベスト4が最高成績にすぎないのだが何故か名門強豪のイメージがするんだよね。勝っても負けても1点差が多く高校野球ファンにインパクトを残しているからだろうか。それにしても前年夏からのPL、箕島、浪商ら近畿の猛者はいずれ劣らぬ驚異の粘り腰。甲子園が興奮の坩堝と化すのも然りだったな。
強い浪商、強い池田に勝って春夏連覇した箕島はどんだけ強いんだと思った。この両校は夏も優勝とベスト4だったな
このとしの夏の大会は箕島と星稜の伝説の延長18回1点を争う名勝負だったが、この春の大会決勝は浪商であの牛島、香川という有名なバッテリーが相手だが、内容はもう点の取り合いの打撃戦でしたな。この2人も春夏連覇を果たした箕島相手によくやったと思う。香川はえの人気野球漫画ドカベンが人気を博していたから、余計に体型もポジションも比較してみるから、重圧もあったかもね。さいごの9回裏の無死一塁でドカベン登場はもう、最大のハイライトでしたね。箕島対星稜と違い、ほんとに打ち合いの紙一重のいい試合だった。石井投手も最後はかなり焦ったと思う。
牛島かっこいい!!
70年代は箕島、80年代はPL、90年代は智弁和歌山、2000年代は大阪桐蔭が中心になっていると思います。全て近畿のチームですね。
全て近畿って、和歌山と大阪しかないやんw
じゃあ来年から和歌山勢ってことかな
和歌山ー大阪ー和歌山ー大阪
この頃の和歌山県民は皆、箕島校歌を口ずさんでいた
この年の箕島は本当に強かった☺️尾藤監督最高😃⤴️⤴️の年でした❗昭和60年のPL学園や平成10年の横浜とも互角に戦えると思います🎵
いや
互角以上でしょう✨
とにかく箕島は投攻守安定していた
飛び抜けた選手はいないけど✨
個人的には76年春の崇徳や77年夏の東洋大姫路、82〜83年の池田とも対戦させてみたいですな(^^)☆
そうですね☺️83年水野がエースの方の池田とは私もぜひ甲子園で見たかったです😅大熱戦間違いないと思います。
@@user-bp7yh5er8dさん、いつもThanksです。石井箕島✕水野池田は柔と剛の対決で興味深いですね。箕島は連覇の翌夏は愛甲の横浜に敗れましたが、その前年のチームならどうだったか、。と愛甲のガッツポーズを見てシミュレーション?したものです(^^)☆
1979箕島対1980横浜なら箕島が勝つ💪🏆と思います‼️。
毎日放送の井上光央アナの実況。懐かしすぎます。
センバツの生き字引、花園の高校ラグビーでも名実況で惹き込まれたものです。
井上アナの「光央」を「てるひさ」と読めるファンも、少なくなったでしょう。個人的には植草貞夫アナより好きでした。
@@MrNishikameari さん、私も井上アナの方が好きでした。春と夏の温度差(切迫感?)はあるでしょうけど、植草アナはドラマが、青春が、。。をやや意識して実況で多様する傾向があったのに対し、井上アナは基本冷静沈着でしたよね。試合終盤頃に果たして勝利の女神はどちらに微笑むのでしょうか、。。という高いトーンの美声も春が来るたび懐かしく思い出されます。
ですよね。毎日、朝日独自のカラーがありましたね。後に朝日は植草さんの「悪いところ」を真似たようなアナが続出しましたよね。同時期の、中村哲、黒田、因田さんは耳障りがよかったですが。
@@user-og2ov1eg6e さんその花園の実況でアノンシスト賞の一番上の賞を頂きましたね。ちなみにご健在です
この試合、3塁側のアルプススタンドにいたなぁ
懐かしい
惜しくも亡くなられたドカベンこと
香川さん、牛島さんとの息の合った
バッテリーとても大好きで、当時夢中
でTVで声援してました。この二人の
優勝して抱き合う場面を見たかったです。
香川捕手がパパッとサインを出してクールに頷いた牛島投手がテンポよく投げ込む。入学早々からのコンビゆえに息もピッタリでしたね。。🌸🌻⚾☆
尾藤監督は本当絵になってますね
淡々と投げ続ける石井投手が大好きでした。長い間高校野球ファン(50代)ですが、これだけ安定したサブマリン投手はほかに見当たりません。あとは広陵の渡辺投手くらいでしょうか。
yukun konnta 超サブマリン渡辺投手は近畿大学に行きませんでしたか?
小松島高の大和投手は素晴らしかったですよ
有難うございます。本当ですね!!。
◇47回大会の福井商・前側投手が「No.1サブマリン」のイメージ。
明治神宮大会優勝/60イニング無失点という記録もある。甲子園ベスト8。
完投2試合で合計被安打5/負けた試合は優勝した高知に1-2。
「エッ!?」と思う二段モーション、「阪急山田か福商前側か」くらいの美しい下手投げ。
前側カッコ良かったな。ベスト8で高知に中盤に長打とスクイズで逆転負け。結果的に優勝するこの西の横綱を苦しめただけに当然夏も出てくるものだと信じ切っていたが福井大会決勝で三国に敗退(福滋代表へ)。。。前側の3年後に準優勝した板倉はどちらかといえばゆったりと軟投派のイメージがある。あとマニアックかも知れんがこの79年と翌80年のセンバツ8強に進んだ尼崎北の田中も好きなサブマリンで子供心に魅せられたな。
この大会は近畿勢が史上初のベスト4を独占した、センバツ近畿大会。とにかくこの年は春も夏も実力と人気を近畿勢が独占してた。
関西人には毎試合堪らんかったな。それゆえに80年春のガタ落ちぶり(尼崎北が8強、滝川1勝、5校は初戦敗退)には放心状態だったわ。。☆
@@user-og2ov1eg6e 天理初戦敗退やらかした
石井毅投手は当時は軟投派だと思っていたけど、こう見るとなかなか球速あるね。
手元でビュッと伸びるので打者は芯を外されると内野ゴロかポップフライに打ち取られているな。。☆
住金から西武に入ったから、そこそこスピードはあった、135キロぐらいは出てる
5万1000人が大熱狂した、79年のセンバツやね。
箕島が連覇した年やな!
この試合は僕の中で選抜ナンバーワンです!いやこの時の浪商が好きなだけかな。2回戦やったかな高知商の試合の井戸さんの頭上超える打球キャッチも見たいな〜。
抜けていれば勿論同点、さらに逆転となる浪商としてはホント激ヤバな当たりだった。Niceファインプレー(^^)!!。四国は4校ともに初戦を突破、敗れた試合も各々インパクトを残す内容で野球王国のしたたかさを如実に窺わせたよね。。🐡🍶☆
北野さんは、現在手帳を作る会社の社長です
森川さんは、工場でしたよね。
山本昭良選手の
『三塁打まで行くかもわからん』の実況と
お母さんの、大阪のおばちゃん感が
たまらなく好きです。
この二校は、
中京、平安などと肩を並べる超名門校なのに今は寂しくなってしまった。
浪商は特に消えてしまい本当に残念。
木暮修 浪商は「大体大」って元々の学校法人付けて生きています。智弁和歌山がやり過ぎなのは事実。
牛島さんもカッコいいが、嶋田宗さんも、カッコいい
長い高校野球史上でも屈指の名捕手、司令塔でしょうね。牛島を左手で制しながら打席に入る姿もさすがに絵になってます。。☆
サイドスローいまでは、貴重
牛島は決して大きくない上に細身の身体なのに、大阪の総番張るくらいケンカ強かった
おそらく威圧感と根性が凄かったんだろうな
体幹を鍛えることができたんでしょうね、なんやかやで。
大阪と和歌山名門浪商と箕島すごい試合ですよ尾藤箕島の黄金時代でした石井嶋田香川牛島
後に浪商は、大体大浪商となり2002年に選抜出場!緒戦突破のみ!
レベルはともかく、今から見れば得体の知れない熱さがあったな。
今ほど全体的に洗練されてなかったためか気迫と気迫がぶつかり合う投打の一騎討ちな熱さだったね。仲間が、チームの勝利が、ワンチームで。。などという言葉は彼等から聞けそうにないな。。(^^)☆
70年代夏の箕島 星稜も凄かった
この頃は箕島高校が強かったですね!
箕島に始まり(70年春優勝)、箕島で終わった(79年春夏連覇)10年間でした。これ以降優勝が途絶えたゆえに郷愁を覚えますね。。☆
北野「牛島に勝負せえ、言うて来いや」香川、マウンドに行く、伝令も行く、牛島(すっこんどれや!」
牛島イケメンやなぁ
ソーナンス
ヒーローになるべくして生まれてきたようなカッコいい要素が詰まってますね。。☆
喧嘩も強く、女子にもモテた。
男の鏡ですな。
夏の甲子園では準決勝で浪商が敗れてしまい、決勝での再戦ならなかったですね
ホント惜しかったな。箕島と池田の決勝も接戦での決着だったので、池田も相当な実力を秘めていたことが窺える。敗れた牛島投手、強気な彼も目を少し赤くしながら甲子園を去っていったよな。。🏟️☆
間に挟むCMが大事マンブラザースバンドの替え歌。94年ごろにテレビ放送されたんかな?
この箕島は「ドカベン」の明訓と重なり、大阪出身でありながら応援していた。
公立高校でありながら連覇は凄い。
プロに入ったバッテリーも応援していたが、最強西武と木戸のいた阪神で運がなかったな。
浪商は広瀬監督で淡路島の洲本高校赴任時に優勝しています。部長は小原部長です。
浜松商業の樽井投手も好きな投手だった。
レト追い返したまさにケンカ越しの勝負結果は、北野が2塁打を放ち8点目をあげ勝負をきめた
それにしてもピッチャーのレベル高いなぁ〜
準決勝の箕島対PLが見たいです。
名勝負なのにどこにも上がってないので。
P L のお株を奪う、逆転サヨナラ劇でしたね。『奇跡』という点で箕島は、P L の上を行っていると思います。
自分も見たいです。あのとき釣りに行っていて見てなかった。
あの時は PLの阿部(元広島)が大会3本塁打を打って注目の選手だったね。
とくに2回戦の宇都宮商業戦の2打席連続のサヨナラホームランは神ってた。
準決勝では9回ツーアウトまで勝っていて箕島を追い詰めてたのに 同点に追いつかれ 延長戦でサヨナラのピンチ時に 乗りに乗ってたショートの阿部がリリーフして ビックリしたのを覚えてる。
更に 初球がサヨナラワイルドピッチという あっけない幕切れで PLにとっては 阿部で始まって 阿部で終わった大会だった。
俺も PLvs箕島の準決勝が観てみたい。
PL-宇都宮商ならありますね。笈川投手懐かしいです。
PL対箕島は昭和50年代の甲子園黄金カード。一度くらい決勝での対決を見たかったな。54年の準決勝は2点差を追う箕島が9回2死からの同点劇。前年夏から4試合逆転勝ちが続くPLも尾藤スマイル野球には通じず万事休す。この後3季出場を逃した鶴岡監督の甲子園最後の指揮となったのもホントに切ないなぁ。
箕島の4番北野は、サイクルヒットを記録第4打席カーブを投げた牛島にブチ切れ捕手の香川に,「ストレートで勝負せんかい!」と挑発対して牛島も,「敬遠しろ」と伝令しに来た控え選手に「ひっこんどれ!」と追い返したまさにケンカ越しの勝負結果は、北野が2塁打を打ち8点目をあげ勝負をきめた
当時プロを目指してる牛島にとっては
敬遠するのはプライドが許さなかったのだろ
8回にだめ押しの2塁打を放った4番北野、3塁を欲張ってアウトになっちゃいましたね。でも怪我の巧妙、アウトになったがために2塁打となり、サイクルヒットが記録されたわけです。勝負した牛島は、北野にやられた、って感じでした。で、これを見ていた北野武は何て言ってたかな?……忘れました。
敬遠してまで優勝して嬉しいか?と言われるのは大阪人にとって我慢ならんことだからね。勝負して試合も惜敗だったからこそ41年経った今でも語り継がれるのだろう。
北野も、こんなヘロヘロの牛島にストレート要求してもなあ
箕島対浪商いい勝負
盛り上がりが今とは違うね。。
PL 横浜 大阪桐蔭が最強チームだと言う人がいるが私はこの年の箕島高校が甲子園最強チームだと思う❗
@祐一郎山田
は?簡単に打てるだろ。
今年の奥川もたいしたことないし。
奥川はえぐいピッチャーだったけど、30年の大阪桐蔭とはどっちが勝ってもおかしくない戦いすると思うで
太郎mondepa あほか
激しく同感!とにかく負けないチームという印象。三回戦の星稜戦の一塁ファールフライ落球のエピソードなんかはその典型。
何度も徳俵に足が掛かりながらも驚異の二枚腰を発揮して勝ち名乗りを上げてしまう79年の箕島。このチームに勝つには序盤から大量点を奪う以外あり得ない。2、3点くらいのリードなら策士尾藤監督の思う壺。野球巧者のナインに各々の“”仕事“”をやられてしまう公算が高そうだね(^^)。。🚩☆
牛島の落ち着き払ったこの雰囲気は何なんだ(笑)高校生じゃないぞ
43:50
センバツ唯一のサイクルヒット
私、浪商、1番セカンド、椎名正三と、小学校時代、同じクラス、家も近所で、友達でした。
小学校時代から、スポーツ万能で、ケンカも強く、いいやつでした。
出来れば、彼に勝たせたかった😢
尾藤さんと帽子のM、やけに合っている・・・
ユニフォームを着込んでドカッとベンチに腰掛ければ相手校はマトモに箕島ベンチを見られないでしょう。オレンジMの帽子と尾藤スマイルはまさにワンセットですね〜🍊☆
この頃のサイレン音は今に比べるとキィ~ンとした感があるな。
試合終了整列前に鳴らすのも時代を感じますよね。甲子園を取りまく環境の全て少しずつ変化しているのが認識できる昭和の高校野球アップです。。☆
甲子園が、今と違う。 カメラのアングルが・・安定しない。
この当時の捕手は野球帽のツバ(庇)を後ろに被っていたのか。
8回ウラのピンチ
監督に黙って見とれ?
牛島こわ〜
箕島高校ってセーラー服なんだね。この年だとあの人も在籍した年代だね。
はやしますみ
当時はドカベン香川の浪商を応援してましたが、彼らは秋の国体で星稜と対戦した際に、あの箕島戦で落球した加藤選手へ「お前、大阪では自殺した事になってるぞ!」と酷いヤジを飛ばしたとか。
今更ながら、コイツらが負けて結果オーライです。
こんな輩達が優勝の栄光に浴してはならない、負けるべくして負けた。
今は心から、そう思います。
浪商は、現在は、大阪体育大学附属浪商になっていますね。現在は、あまり大阪でも上位には出てきません。牛島投手は力のある
投手ではありますが、4連投ならやはりフォームに切れがありませんね。香川さんは体は大きいですが、当時は、そんなに動きが
鈍いという感じではありませんでした。選抜という事で、やはりグランドは芝の色は色あせていますね。
香川さんのお母さん、息子の方が先に亡くなって悲しいやろな
牛島バテバテ、球にキレなし。好調とは程遠い。しかし近年稀に見る好勝負で、決勝戦として見てる方は楽しかったやろうね。やってる方も楽しかったやろうね。ナイスゲーム!
バテバテじゃないよ。球は来てた。野球知らんな?
牛島もちゃんと練習していたら、もっとBigになっていたかも?
小さな巨人、石井投手とドカベン香川さんとの対決でした。
これはアルプスで見てたわ~