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馬場さんの技で一番好きだったのは、ランニングネックブリーカーでした。私自身も学生の頃、新宿でチンピラ3人に絡まれた時にこの技を使って逃げ延びたことがあります。馬場さんは力道山に師事していた頃、煉瓦で手を殴り続けられたそうです。「痛いか?「と聞かれ、「痛い」と答えれば「我慢が足らん」と言われ、「痛くない」と言えば「未だ未だ行けるな」と言われ、結果的に殴られ続けたそうです。脳天唐竹割は、当初力道山から封印されていたが、ディック・ザ・ブルーザー戦で苦し紛れに解禁したと、インタビュー記事で読みました。私にとっで馬場さんは、最高のレスラーです。
いやーん素晴らしい👍
「力道山先生は、人間的には何一つ尊敬出来ませんでした」
全盛期の馬場はかなり俊敏あのデカさであの動きはめちゃくちゃ強いと思う
あの巨体でプロ野球選手になれる身体能力。そりゃ弱くはないだろう。
馬場さんの逸話をご存知でしょうか? 新潟から上京されたら母上様が車が苦手だったそうです。馬場さんは母の為に都内の移動に、電車に乗ったそうです。母上様と一緒にね。誰でも分かる馬場さんが、母上様の為に電車に乗って移動されたのです。流石に馬場さんですよね‼️
プヲタにとっては有名な話だね写真に撮られてて不機嫌そうにカメラを見る馬場の表情がなんとも
入院している妻のお見舞いにも電車に乗って行ったそうですね。
ジャイアント馬場サンの試合を観る機会があり、その時、馬場サンが繰り出した技が、ブレーンバスターとバックドロップ。ブレーンバスターは、後ろへ倒れる背中打ちでは無く、脳天から落とす完璧な、正に綺麗なブレーンバスターだったし、バックドロップは、鉄人ルーテーズ譲りの、綺麗な弧を描いた綺麗な技だった。それらを観た時『技師』なんだなぁ、と再認識した事を思い出しました。
子供のころ、近くの体育館に全日が来て、鶴田とタッグを組んでブッチャーと、あとだれか覚えてないけど、場外乱闘になって馬場さんがブッチャーに水平チョップを食らわせたときの、生で聞いたそのすさまじい音、子供ながらに度肝抜かれて、あれを普通の人が食らったら即死だなって思いました。
馬場さんには猪木さんとは別種の華があった。年をとってても、そこにいるだけでファンには満足。唐竹割りとか見たら、めっちゃ嬉しかった♬
小学生だったころ、試合会場の売店でブロディ、ハンセンのプリントTシャツを買ったのですが、馬場さんが葉巻を咥えてイスに座っていて、買ったTシャツにサインしてくれました。とにかくデカくて、こんな人に勝てる人間いるのかな?と衝撃を受けたのを鮮明に覚えております。
昔ジャイアント馬場さんが売店に座っていてなんとなく見ていたら知り合いの人が来たみたいで挨拶を交わしてた知り合いの人は子供を連れてきていたのでその子供にT シャツを2枚ぐらい取ってサインして渡してたお土産にあげるんだなと思って見ていたらその後何と付き人 みたいな人に多分 自分の財布を持って来させて何枚か取り出して売店の男の人に渡してた自分の会社なのにきっちりするわ と思ってびっくりした。
プロレス会場に行って、馬場さんと並んでびっくりしました。こんなでっかい人間がいるのかと思いました。背だけでなく顔も長くでかいのです。握手してもっとびっくり。とてつなく手がでかいのです。常人がこんな手でチョップをくらったら、一発でノックアウトです。死ぬかもしれません。バレーボールNECの大竹秀之さんと同じ電車に乗り合わせましたが、大竹さんはひょろっと背が高いだけで、普通人が背が高くなったようでした。馬場さんは怪物です。いまだにこんなでかい日本人をみたことがありません。忘れられない思い出です。
1度だけ、全日本が沖縄に来てくれて生で見たとき、あまりの大きさと、大きさだけでは無い威圧感、オーラに圧倒された思い出😄
自分が若い時、馬場さんの入場時に大勢のファンと一緒に御大に触ろうとしたら、馬場さんが軽く払いのけようとした手に自分の指が当たって突指してしまいました。金属バットに触ったような感覚でしたよ。耐久力だってハンセンや川田のガチのエルボーやミドルキックも受け切るわけで、晩年ですらこれだけの強度があるのだから、全盛期はマジの怪物だったでしょう。
馬場さんの手はチョップの鍛錬で手にタコができ、非常に固いです。あんな長いリーチを振り回して、常人のテンプルに直撃したら、木製バットが当たったようなもので、泡吹いて失神すか、さもなくば死にます。脳天唐竹割は、力道山から危険だからと封印されていました。(マジ)馬場さんのチョップをまともに何発も食らうブッチャーもすごいです。そうとう鍛えているのが分かります。
@@シャビエスタ-g7x 熱狂新日ファン最強レスラーと評される猪木でさえ16戦やって1度も勝てなかったんだからな🤩これ言うと新日バカはあれはブックだと言うからなー🤭
昔、馬場と猪木の試合がレンタルビデオ屋にシリーズで20本くらいあって見ることが出来ました。 若い頃は、あの巨体でリングを素早く走ったり跳んだりしていた。 想像してみてほしい。玄関のドアよりもデカいものが自分に向かって来たらと。 中学生当時175センチあった自分が、直に見たことが有るが、30センチ以上の身長差とあの横幅で3メートルの壁みたいに感じて驚いたのを覚えています。 テレビで見てると手足が細く見えるのですが、脚なんて普通の日本人男性が隠れてしまうくらい太かったです。 弱いわけがない。
それだと腕回りの太さは150cm以上ありますねwww
@@イエガー 胸囲はありそうですね。 とにかく、眼の前で見るとTVで見て想像していた以上にデカかったですね。 太ももや尻周りは普通の人の胴回り以上あった気がしますよ。 当時、UWFとかの影響でローキックが流行ってて、空手やってたヤツが馬場なんて俺のローキック一発で倒せるって豪語してたのが、実物を目の前にして呆気に取られてましたから
馬場さんの最後の言葉は深いな…。胸に響くものがある。
昨日1月24日。10年に一度の大寒波の中、凍結した道をバイクで走っていたら見事にすっ転んでしまい、ちょうど馬場さんのランニングネックブリーカードロップを受けるような体勢で後頭部を凍った地面に打ち付けてしまいました。(もちろんヘルメット着用)その瞬間、体が痺れて動けない状態で最初に思った事が『馬場さんのネックブリーカードロップって多分こういう感じなんだろなぁ…。』でした。時速40km程度に抑えて走っていたため無傷で済みましたが、思わぬ形で馬場さんの偉大さを感じた瞬間でした。
それで偉大なら同じフライングネックブリーカードロップを使ったマスクド・スーパースターは同じだけ偉大か?たいていのプロレス技はマトモに食らったらとんでもないことになる。だからといって相手が受ける前提の技の威力でガチの強さは語れない。
路上でそれ仕掛けたら馬場の骨もバラバラに折れるだろうねw
馬場さんが深刻な顔で自分の掌をじっと見ているので「何かあったんだろうか」と心配になってよく見たら本を読んでいた・・・というエピソードすこw
物凄い読書家、勉強家というのは聞いたことあります。あの時代にはいた、巨大な妖怪の一人ですよね。
馬場さんスマホ操作したら周囲には掌に指文字書いてる動作にしか見えんねw
みんな馬場さんの「ポォー」っマネして小馬鹿にしてましたが、あの身長と体重でリングを動き回るんですよ、身体能力凄いと思う。若い時は32文ドロップキックで飛んでたんですから。しかも四天王、三沢、川田、小橋、田上がのし上がってきて、全盛期の彼らとガンガン闘っててんです、凄いとしか言えない。だから自分はジャイアント馬場最強説です。
自分は馬場が日曜の昼、猪木が金曜か木曜の夜にテレビで活躍していた頃、小学生でプロレスが大好きで将来の夢はプロレスラーになるでしたが、高学年になった頃には、相手をロープに投げたら、投げられた方は勢いよくロープに走り、自らバウンドして足を上げただけの16文キックでブッ倒れたり、チョップ1発ぐらいで人が倒れたり、コーナーにわざわざ登ってフライングボディアタックしたり、物理的違和感に気づきプロレス自体にすっかり幻滅して覚めました。自分の父も含めて昭和の日本人の大人達はなんでも信じれて純粋だったんだな〜と今は感じています。ですが、ボクシングやキック、MMAがある世の中で未だにあなたのようなガチの闘いとゆうコメントをどう捉えたら良いのかわかりません。この現代でプロレスを好きで観る人たちは、演劇とか観る感覚で楽しんでいるんだと思っていました。 もちろん、自分は馬場や猪木の経営者として、また偉大なセレブとしての存在感は凄いと感じていますが。
あの巨体でドロップキックが打てる時点で凄いでしょう。
晩年の試合だけどリングサイドで見て、馬場さんのあまりのデカさと迫力にびっくりした。
2:39 馬場さんが鴨居に頭をぶつけた時の痛さで脳天唐竹割りのアイデアを閃き、当時の師匠力道山に相談したら「相手がタヒぬからやめておけ」と忠告された話がありますね。
60年代は手をつけられない程強かったと思います。猪木さんは70年代。
手をつけられないという例えがぴったりですね!
そなの•́ω•̀)? 70年代生まれ代表(仮)は猪木なんだよな(爆)
全盛期の馬場さんの動きを見てると、相当に運動神経が高いことが分かる。元巨人軍で、あの身長は脅威としか言えない。
秋広優人は阿部剣友と共に馬場以来の身長2メートルのジャイアンツ🐰の選手。
私が馬場さんの試合を見だしたのは90年代、夜中の全日本プロレスその番組で往年の馬場さんの試合を、モノクロ映像のVTRで見たことがありますとにかく動きが速く、飛ぶことに驚かされました「見慣れた馬場さんと違う!」その試合で放っていた32文ロケットキックも、「ファイヤープロレスリング」のグレート司馬でしか見たことが無かったですしあと若き日の馬場さんといえばアメリカ巡業中の試合で、相手にキレた馬場さんがトップロープから相手選手を場外へ投げ落とし、結果的に相手選手が死亡して以降「自分は怒ってはいけない。自らを律さねば」と精神状態を冷静に保つよう心掛けていたとのことです
元ピッチャーでしたかね?あの高さから投げ落とされる球は打者にとっては脅威だったでしょうね。
@@miya3655バント処理が出来ないという欠点があった、数少ない一軍登板の1つだった阪神戦ではムッシュ吉田の噛ませ馬🤣
いや、馬場にしか見えないけどなw
馬場の全盛期は1960年代後半~全日本プロレスの初期と思います。日プロ時代の馬場は凄かった!
馬場さんが還暦試合の後インタビューで「昔は60歳なんてずいぶん爺さんだと思っていたけど自分がなってみたらなんだまだやれるじゃんと思った」と仰っておられました。そんな60歳になりたいものです。
長年の真剣勝負により身体を酷使した無理がたたり、1年後にお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
自分を客観視できないことは恐ろしいことだ、プロレスを長年みているが正直馬場さんは全然やれてないように見えた人間性を否定してるわけじゃないが、プロレスショーとして見ごたえがなかった
@@gokurakuhh どこが真剣勝負だよ
この還暦試合はよく覚えています。若手選手のチョップを胸にまともに食らって、馬場は何発も耐えていました。胸が真っ赤になりました。その後の反撃でチョップを返すと、若手はダウンしそうになってクリンチ。終いに、馬場は本気になり、テンプルへがんがんチョップを入れました。とても迫力があり、感動しました。馬場の晩年のベストバウトに挙げます。
あれは名言ですね。おおらかな馬場さんですが、こういうファイティングスピリットの強さはやはりプロレスラーです。
もうすぐ命日ですね。涙を流しながら動画を見てました。遠い昔に後楽園ホールで買った手書きのサイン入りの王道16文を今でも大事に持っています。
昔、キックやってました。ある程度実力が付いてきて、相手の攻撃をかわせられるようになりカウンターが入れられようになった頃に先輩から「オマエでも馬場のチョップ(脳天唐竹割り)は、見て避けられるようになった、でも喰らったら死ぬ」と言われました。そのとき俺は、この言葉を信じました。そして、その後。・プロレスラーをなめない方がいい、一流とはそういうこと。・攻撃には長所と短所があり、年齢と経験が生きることもある。・戦術として敢えて避けない(貰って)攻撃することもあるが、それが間違いになることもある。・遠心力、力感(人体力学)など、脱力と一点への爆発的な威力。言わんとしていることは、こういうことだろうなと今は俺はこれを知見としています。以下のジャイアント馬場を馬鹿にしているコメントはガキか無知か非経験者だと思います。
鉈や斧をナチュラルに上腕骨~指骨に持っているようなもの
脳天唐竹割り。三沢さんだったか川田さんだったかが言ってた、分厚いまな板を縦にしておもいきり頭に叩きつけられたような衝撃っていう喩えが一番リアルに感じたな。既に高齢で衰えてたはずの時期ですらそこまでなんだから、全盛期の頃だったら、食らったら死ぬというのは決して大袈裟ではないよ。
アンチ馬場の人達が心酔してる猪木さんでさえ馬場さんの技を効くと言ってますからね。ただそこは猪木さんらしく「当たれば効くけど俺には当たらない」とも付け加えてましたが(笑)
当時のことは知らないが今残っている晩年の映像を見るとなんか凄く温かい気持ちになるそりゃ当時は批判する人も多かったんだろうけどプロレスってもんの捉え方が変わった今見ると、偉大な存在にみんなが敬意を持って接して観客も喜んでるんなら凄くいい光景じゃないかと思うプロレスとプロレスラーしか見せられない光景だねアレは
馬場さんがリングに上がってた時代の全日本プロレスはまさに標榜するキャッチコピーのとおりの「明るく激しく楽しいプロレス」でしたね☝️😊そのためか女性ファンも新日より全日の方が断然多かったですね。当時はおそらくプロレスファン女子の8~9割は全日派だったんじゃないかな?新人女子アナ紹介でも地方含めた日テレ系列では好きなスポーツ選手に全日の選手挙げてて全日ファンなので(花束嬢などする機会がある)日テレ系列を志望したらしい人も多かった。
馬場さんは姿を見ているだけで嬉しい人だった。
所謂、見せ物w
ジャイアント馬場の技で一番好きなのは、語感がカッコイイ、「ココナッツクラッシュ!!」😂
アメリカ時代の馬場さんは間違いなく強そうだし強かっただろう、
強い訳ねーだろ、ブックに護られた最弱だわ😂
@@ティオテッタセブン弱いといえるなら、戦ったことあるの?
子供の頃、たまたま観たプロレス中継、馬場さんの強さ、存在感の大きさは凄かった、幾多の実力派レスラーを葬って来たランニングネックブリーカードロップは代名詞でありカウント2で返せる選手は居なかったのでは無いか、脚も大きく強靭だったと聞く、そして人望があったが故に世界からあれだけのビッグネームのレスラーを集結させる事が出来たのだろう、又国内でもアニマル浜口、ハヤブサ、新崎人生、彼等の事を解説者の時いつも高く評価をしてくれていた、意気に感じ誰もが素晴らしいファイトだった、今動画を観て居ても熱くなる。
でもガチで戦ったら俺は絶対にその技を喰わない自信はあるけどな。
@@湯川学-s1y ガチで闘ったらお前病院送りだぞ。馬場さんお亡くなりになっているから闘って貰う訳にはいかないが。
@@渡邉真理夫 は?笑 俺は空手三段だけど、馬場さんとガチで闘って勝てるなんて言ってないけど。でもロープに飛ばされたとしても自分で走って行ってノーガードで帰って来て相手の技を受ける事は100%しない自信はある。知的障害のある方にどうやって説明したらわかってもらえるかわからないけど、少しはわかってもらえるかな?
@@渡邉真理夫 ごめん。キミからの反論でちょっと熱くなりました。障害のある方にマジになってしまった事を反省してます。
@@湯川学-s1y いやいやよく読むと僕の勘違い、悪かった。(終結)
若い時はホント強かった。晩年の馬場さんの試合の時に会場に馬場さんのファンが掲げてた「動け馬場!」って言う突っ込みみたいな横断幕大好きだったな~(笑)。ラッシャー木村さんの「兄貴〜」で始まるマイクパフォーマンスも好きだった。晩年は何かといじられる事が多かったけどファンや後輩レスラーから愛されてた証拠だよね😊
御本人もそれを楽しんでる姿が会場の観客やテレビ中継見てるお茶の間にも温かい空気を醸し出してましたよね😊あの空気は他の団体では出せない楽しみ方でした。川田選手との試合だったか、馬場さんがフィニッシュ技を掛けようとしたら観客席から「馬場さん、止めて~!💦」と女性の声が飛んできて思わず躊躇って本当に止めてしまって、川田選手がスイマセンでしたと頭を下げてる場面、ほんと好きだった😂
昭和40年代終わりから50年代前半にかけて馬場と猪木どちらが強いの話しで盛り上がり馬場が勝つの意見の方が多かった❗
馬場が弱いって言ってる人は、晩年しか知らないんだと思う。全盛期の比較なら、猪木よりハッキリ強かったと思う。
あの身体ですげえ動きだったよね。
セーム・シュルトの身体能力では32文は無理だと思います。
馬場の若い頃動ける、飛べる、東洋の大巨人
確か猪木と馬場は2回対戦して2回馬場が勝ってますよね
@@綿帽子-x4s 日本プロレス時代に16回対戦して、馬場が16勝している。猪木は一度も馬場に勝っていない!
馬場さんはアメリカ遠征時から特遇を受けているし、NWAも短期間ながら獲得し、全盛のハンセンにも背を向けず戦う姿はヤッパ偉大です。
馬場さんのアメリカ修業時代やBI砲時代の動画を偶然観た事がありましたが…私がレスラーだったなら戦いたくない選手だと思いました。あの巨体で動きが機敏なんですよ!マジでビックリしました…ピーク時の馬場さんって最強なのでは?と思う。
ハンセンがどんなに強かろうと関係有りません。ハンセンは大変知的で、立場や人間関係を理解できるレスラーです。ハンセンにとって、G馬場はどういう存在か?という事を考えれば、おのずと説明が着きますよね。そう・・ハンセンにとってG馬場は高額のファイトマネーで自分を必要としてくれる「依頼主」「雇用主」です。そんな恩義ある人物に対して、本気で痛め付けたりなんか、する訳無いじゃないですか!
@@このコメントに1500件のいいねがつきま 様その通りだと思います。それがプロレスの醍醐味ですね。ハンセンさんはピークが過ぎようとも関係なく強さを見せつけていました。あっぱれです!(初来日は弱さを見せていましたが、大化けしたそのギャップも魅力です。)
馬場より遅い格闘家はいない(除:80過ぎの婆さん格闘家)
@@mmzero7732 様ありがとうございます。馬場さんを格闘家と認めていただき光栄です。
アメリカ武者修行時代にNWA・WWA・WWWFの3大タイトルを連続して挑戦した事は今考えると圧巻だった🎉
多分この時の馬場さん、王、長嶋より稼いでる。どれほどONにタニマチがつこうとも、ドルで稼ぐのは桁が1つ違う。しかも当時1ドル360円だからね。
日プロ時代の馬場さんの試合の動画をみるとあの体格であの動きをするのはフィジカルが凄いんだなと思ったもので馬場さんの全盛期を観ていた方が羨ましいですその後 後進にメインイベンターに譲っていくなど日テレの子会社の社長として苦労しながら プロレスのプロモーターとしてその腕をふるっていたと思います全日時代のブロディ戦とハンセン戦は忘れられません
最初猪木さんのファンだった私が、初めて全日本の中継を見たのが、対ハーリー・レイスとのNWA世界ヘビー級タイトルマッチ。それ以来、馬場さんのプロレスに魅せられ、全日本プロレスのファンになった。
馬場さんは筋肉ででかいんじゃなくて骨自体がかなりでかいから攻撃力が高いって聞いたことあるな、木でぶっ叩いてる的なかんじ。
バランスは猪木で攻撃力は馬場って感じかな!
良く考えると、馬場さんの“脳天唐竹割り”は、2㍍の所から、丸太ん棒で殴られてるようなもんだし、“十六文キック”なんかは、全力でロープに走り、振り返ったらそこに跳馬があって、突っ込む感じで、どっちにしても痛いだけじゃすまないですよネ😱単純な技ほど、威力は絶大だと思います👊
幼少期、外道が馬場さんの脳天唐竹割りを大声で「うわーーーっ!!」っ食らってるの見て「ホントかよ〜(笑)」って感じで笑って見てました。食らった外道はすごく嬉しそうでした(笑)
シブチンと言われてたけど、アメリカでトップスター扱いでもギャラが1試合4ドルで、後はマネージャーの取り分でも文句言わなかったそうだけど、その経験が忘れられなかった?馬場は足腰の強かった頃はホントに強かったんだろうと思います。猪木とはそれほどの年齢差は無いけど、全盛期の時期が違ってたんじゃないかと思う。
誇張やプロレス的コメントはあるかも知れないが、馬場が弱い訳はないんだよね。若い頃の体付きと動きは凄まじいし、生で見てたら技の一つ一つに重みがあった。プロ野球の投手になれたのも運動能力があるから。
馬場さんは若い頃、映画に何本か出ていますが、その中で大立ち回りをするシーンがあるのですが、当時の動きの良さは、当然ながら晩年のそれとは段違いでしたね。多分若い頃、アメリカで悪役修行をなされていた頃は、かなり強かったのではと思います。実際に若い頃の馬場さんの体は、筋肉質な力強い体型でしたからね。
運動能力と強さは全くの別物。それで強いなら体操選手や水泳選手は強いのかね?ガチの技術が初歩レベルしかない馬場の強さなんか、たかが知れている。
身体能力だけでホーストに連勝し、田村潔司を秒殺したサップ打撃は下手くそだけど空手上がりの堀田をパンチで瞬殺したギャビ
@@はむはむ-dao サップにはジョシュ・バーネットやサム・グレコがコーチしていたんだ。身体能力だけじゃない。
@@はむはむ-dao 堀田って全女の?女子のことは知らんけど、もしそんなのにガチで負けたなら堀田の空手の技術がなかったからでしょ。
全盛時のスピード感溢れる動きを見れば、ビックリする人が多いと思う。
TH-camで検索するといくつかあるから見てほしいよな。ただやっぱり全盛期は短かったねそれは確か。
ハリーレイスにランニングネックブリーカーする時とかめちゃ速かったな。ビートたけしにオールナイトニッポンでハガキ職人に「馬場動け!」っていじられてたけどね。
@@池田眞一-t8h どこが速いんだよww全盛期でも体の割にはよく動けるな、という程度で、スピード感とか速いという表現は贔屓の引き倒しで見苦しい。全盛期のアンドレの方がよっぽど速いわ。
@@フジヤマケンゾー全盛期のアンドレの方が動けるって言い方にはちょっと引っかかりがあるし、ジャイアント馬場の全盛期の頃体の割には 動きが早かったと言う言い方にもトゲがあるし贔屓のの贔屓倒しというのもおかしい、コメントしてる人達は誰一人ジャイアント馬場さんのファンと言っているわけじゃなく自分が見て判断して馬場さんの動きが早かったた言ってるに過ぎないよ
@@享矢野野球時代から動きの遅さは指摘されてたけど、バント処理できずにムッシュ吉田にキリキリ舞い😂😂😂
馬場さんの右手はチョップを打ち過ぎてかなり固くなってるそうで、脳天チョップは鉄の棒で殴られてる感じと対戦した某レスラーから聞きました。レスラー人生でいい思い出だそうです。
馬場さんとハンセンとのベストバウトは、1984年7.31 蔵前国技館で行われたPWFヘビー級王座戦でしょう。ハンセンがボディスラムを仕掛けて来たところ、馬場さんがあの大きな体でスモールパッケージホールドで仕留めた試合です。あと、後楽園ホールでよく全日本プロレスを観に行きましたが、馬場さんのチョップは一番後ろの席に座っていても「バチーン」とすごい音で響き渡っていました。
あの試合の凄いのはハンセンのラリアートを16文で防いだところですね。あれには驚きました。
黒柳徹子が長生きしてるのは馬場からスクワットを薦められたから
素晴らしいです。
なんか馬場さんのことが好きになりました
晩年のガリガリに痩せ細って動けなくなって永源遙とお笑いプロレスを繰り広げてた馬場ならかなり忖度されまくってたと思うが、全盛期の馬場の強さはガチだと思う。巨体に似合わず動きが俊敏で他の大きなレスラーを軽々リフトアップするする姿は真の世界の巨人そのもの‼️全盛期の馬場さんは間違いなく強かった☀️
晩年の「早送りで見るとちょうどいい」と言われた時しか知らない人にはわからんでしょうが、全盛期の動き、三十二文ロケット砲やネックブリーカードロップなんて本当に凄かったもちろんアングルはあったでしょうが、受ける方も相当の技術がなければ壊されていたでしょうね
そりゃ素人よりは強いだろ。一流レスラーよりは弱い。
@@フジヤマケンゾーK川晃司が「水中なら馬場さんに勝てる」と発言して日明ストップ喰らったそうです😂😂😂
リアルタイムは知らないのですが古い映像を見た感じだと若い時の馬場さんはいわば高山善廣選手のような技の一つ一つに説得力のある選手で、信じられないかもしれませんがものすごく機敏でテキパキとした動きでしたね。それに、一応元プロ野球選手でちゃんとしたアスリートだからガチで強いのもうなずけますね。まぁ、晩年のお笑いやってた馬場さんも好きでしたがw
アメリカ修行時代は、体型も、逆三角形で動きも巨体なのに、かなり早いですね。この頃が最強だと思います。
宝島で言ってた「馬場や猪木はプロレスに選ばれた、オカダや棚橋はプロレスを選んだ、この差は大きい」みたいな記事が印象深い。
@@roppongiiiiii そうだね。日本が戦争で負けたあと、力道山が外国人をなぎ倒すのを見て勇気をもらったのが始まりだしね。昔で言えば「越後獅子」みたいなもんで現代では成り立たんよね。
Starless and bibleblack
棚橋弘至やオカダも偉大、もっと偉大なのが全日本四天王。
@@user-KAZUCHIKA そういうプロレスファンがいることは嬉しいよ。
全盛期の馬場さんはあの大きさでとんでもないスピードがありました強いに決まってる
1980年半ばくらいからしか馬場さんの試合見てないのでその頃にはかなり動きがスローでしたが、まだ白黒時代だった頃の馬場さんかなり速いですね😅あんな速さで動かれたら今の現役レスラーは、ほぼ勝てる人はいないでしょうね💧
@@堀内伸広 そうですそうです
そんなわけがない。素人との比較ならともかく、猪木さんとかテーズのような人と比べたらガチの技術が決定的に劣っているのだから無理。
@@フジヤマケンゾー お前は何もわかっていない
@@フジヤマケンゾーそれこそ贔屓の、贔屓倒しというやつですね
馬場さんの全盛期は70年代、自分が小学校でプロレス見始めた頃は、対ブッチャーの頃でスローな馬場になっていました。ハンセンが全日移籍してからの馬場は、若いハンセンとバチバチやって、馬場すごいなと、思いました。生馬場は、やっぱりデカイです。フレッドアトキンスにレスリングの基礎を学んでいるので、タダのデカイ人ではありませんよ。
だからアトキンスの正当な弟子であるシンが「アトキンスが馬場にレスリングの技術を教えたというのは嘘。コンディションを保つためのトレーニングを教えただけ」と否定しているのに。そんなアングルみたいな嘘を信じるなよ。馬場はプロレスにガチは不要、だからガチの技術を身につける必要はないという考えの持ち主だから日プロの若手時代だけでそれ以降は全くガチの技術を習得していない。そんな人間が一流の技術を持った猪木さんやテーズのようなレスラーに勝てるわけがない。
馬場さんが遅いだの弱いだの言われているのは50歳を越えた後の試合を観ているからだと思いますね。では、鮮明に強さを覚えている全日四天王の50歳と比べてどうか。三沢は40代でかなり動きが落ちていたし、小橋川田田上も40代でリタイア。現時点の川田や田上がリングで若いレスラーと戦っている姿なんて想像すら出来ない。もし、全員が同い年で50歳なら馬場さんの圧勝でしょうね。
良いコメントです、ありがとうございます😆
確か還暦試合もあったような。
@@大名古屋金鯱軍-r1x ありましたよ😃試合後にリングで徳光さんとのやりとりで名言がありました。
四天王と馬場さんとでは時代も違うし試合スタイルも違う。なので単純に比較するのはフェアじゃないと思う。四天王プロレスをあれだけ続けていたら体ボロボロは当たり前。だいたい馬場さん御本人が「自分が長く現役を続けてこられたのは身体が大きいおかげで他の選手程投げ技を受けていないから」だと仰ってました
後楽園ホールで試合前にTシャツやタオル買って馬場さんのサインしてもらえて嬉しかった思い出が。いちぶをのぞいて今もしまったままになってます。馬場さんの誕生日興行?で確かリングにあげていただき、甘い物が好きとの事で地元のお菓子屋のお饅頭を渡せたのはいい思い出です。
最強日本🏋️ジャイアント馬場さん🤼プロレス
馬場サンの逆水平をブッチャーとの場外乱闘で見た事があります。場外だったので1、2メートルの至近距離で見たのですが、例えるなら、フルスイングで丸太をぶち当てる感じで、凄い音がしました。体がまるでヌリカベのようにデカイので腕が細く見えますが、生で見ると一般人より太いです。あれを素人がまともにうけたら間違いなく吹っ飛ばされますwちなみに馬場サンとブッチャーの場外乱闘はもの凄い迫力で、例えるなら怪獣が暴れまわっているようで、観客席は悲鳴を上げながら、逃げ惑いながら、喜んでいましたw地方公演でも手を抜かない馬場サンのプロレスラー魂を生で見れて、とても貴重な思い出です。
馬場さんがクイズ番組の早押しボタンを壊してしまった時は、衝撃的でした。
あれを壊したのは馬場さんとマイク・タイソンだけだったような
5000試合出場を達成した試合後に記者からの「次の目標は?」という質問に「5001!」と答えた馬場さん。頂点を極めても、一つ一つの試合を大切にしているのがよくわかります。試合開始前のグッズ売場で馬場さんを間近で見た時、強烈なオーラを感じた事を今でも覚えています。調子こいて「馬場なんか俺でも勝てる」とか言う人がいますが、ハッキリ言って無理です。睨み付けられただけで降参するでしょう。
😮もうその頃からしんどかったんだ?
馬場さんのサイン会で手を見せてもらった時、大きな手で、ゴツゴツしていて固かった。こんなのがただでさえ背の高い馬場さんが、ジャンプして鍛えようのない脳天にチョップを打ち込こんで来たら、こりゃ効くわと納得した。ハンセンが乱入した最強タッグの優勝戦、怒った馬場さんに何度も頭にチョップを浴びせられ、大乱闘しながら、これからこんなものをずっと食らわなきゃいけないのか、嫌だなと思いながらやり合ってたのは有名な話。馬場さんの全盛期ならスピードもあったろうし、もっと効いたろうね。
ブロディって、もう四十年前になるのですね。あの頃は、相手を輝かせてからそれ以上に輝こうとしたレスラー達の意地のぶつかり合いの試合が凄くて熱中して見ていました !!!
88年に死亡されたので、現在は23年ですので死後35年ですね。
K1でも2メートル以上の大型の選手が優勝し続けていた(それでつまらなくなった)が、2000年代のK1が体格の大きさがどれだけ有利かを証明していたし、鍛えた大きな身体に格闘技術を身に付けた馬場が弱かった訳がないと思う。
NWAを3回取れたのは、大プロモーターとして、アメリカのプロモーターたちから絶大な信頼があったから。
晩年の馬場さんのバックドロップを見た(テレビで)のは良い思い出
大仁田厚さんも馬場さんはチョップもキックも痛いんです、骨に来る感じって言ってましたね特に怖かったのが16文でロープに振られて前を向いたら顔の前に足がある40センチくらいの板にぶつかる感じで逃げられないってハンセンのラリアートは首に決めたいのに胸に当たるおっとりコミカルな印象でしたが、相手に手数を決められても一発で仕留める
全盛期の社長の動きは異次元だわ。
ジャイアント馬場さん強かったよ❗️前世期会ったこともあり、優しい人です。人見知りですが、人を見分ける力があり秋山さんのように強いやつを見つけたり、友達など心を許した関係者などにも豪快な笑いで受け入れてくれます。
ジャイアント馬場さんの強さを知る事が出来て、本当に素晴らしい動画でした!
強いだけではなく観客を楽しませる魅せるところがプロレスだね。プロレスを初めて見に行ったときブロディーの迫力はすごかったな。飛んだり跳ねたりしないけどとにかく迫力がすごかった。
馬場さんはプロ野球選手だったんだから基礎体力だけでも一般人とは比べものにならないだろうね偶然かもしれないけど猪木さんの攻めのプロレスよりも馬場さんが進めて行った受けのプロレスの方が現代のプロレスに上手くつながっていると思うんよね
高校生くらいの頃に地元の体育館での試合をリングサイドで観たけど16文キックも水平チョップもTVで観るより数倍痛そうだった。迫力が凄かった。あと試合前にグッツ売場の後ろの方で椅子に座っていたのを思い出しました。
馬場さんに会場でTシャツ買ってサインしてもらいました。確かに葉巻を吸ってましたね笑
馬場選手の技はジャイアントバックブリーカーを始め痛そうなのが多かったのを貴コメントで思い出しましたでもあの巨人が実は痛がりというのはファンとして最高でしたね鶴田と組んだvs超獣コンビ戦でラリアート食らう寸前の表情は至高でした
水平チョップの音ですよ。後楽園ホールで音でビビりました。早そうに見えないのに威力は音で伝わりましたね
1981年だったか地方巡業を見に行って 試合前パイプイスに座って馬場さん探してたら 真横に誰かが立ってて 見上げたら 葉巻をくわえた馬場さんでした。びっくりしました。本物だー!!ってカンジ
@@おしゃべり階段さん私は何度か試合開始前の馬場さんを間近だ見てるのですが、馬場さんは気配を消せるんじゃないでしょうか。そのとき、そういうことも自在にできるのか、と感じたのを覚えています。
馬場のチョップは普段は手加減してるけど、その気になったらハンパない威力出すよ。舐めない方がいい
ルーテーズが全盛期の頃、アメリカの長者番付で全米2位になったこともある。プロレスラーはどのスポーツよりも稼げる時代。同じ時期にアメリカでヒールとして人気レスラーだった馬場はかなり稼いでたと思う。
メキシコに行った時は観客が客席だけじゃなくリングサイドまで押し寄せたと聞いた記憶が
2019年で馬場さんが亡くなられて20年てことは、三沢さんはちょうどその10年後だったのか…😢😢😢まあ自分も馬場さんの試合をリアルタイムで見た頃は、さすがにタイトル戦線には上がらず、いわゆる全日の「明るく」の部分を担う存在になっていましたが、時に世界タッグリーグなどでは、アンドレやハンセンなどと組んで、超世代軍とも試合をしていましたね。自分の中では、ジャック・ブリスコからNWA取ったあたりの馬場さんは、体の張りも色艶も良くて、すごくいい体をしていたと思います。
リアルで見ていた頃は、エリックに一方的にやられていた印象でしたが、今になって映像を見返してみると、相手をしっかり見て闘っていて、大夫印象が変わりました。
馬場さん近くでみたら本当に驚きますよ。たけしのネタがあながち嘘ではないのではとおもうほどデカい。人としてもデカい。東京体育館でのハンセン戦「馬場ー馬場ファイトー」と必死に叫ぶMくんの声がテレビからながれてきて驚きました。君のせいでこんなそこが丸見えの底なし沼にはまっちゃったんだぞ。感謝してます。
あの声援を送っていた人と知り合いなのですか⁉️あの声援、今も印象に残ってる。
巨人軍投手時代、大きく振りかぶり過ぎてバックスクリーン壊したとか、マウンドから直接キャッチャーにボールを渡してたとか、奥さんが馬場さんの靴の中に落ちてしまって行方不明になったとか・・・
最近、馬場正平さんのプロ野球選手時代を詳細に調べたと言う書籍を図書館で借りて読んだのですが、馬場さんは巨人症で体格が急激に成長したことが災いしてアマチュア時代はまともなスパイクのサイズも合わせてもらえない不運に見舞われましたが、長身でイメージ的には外人投手みたいな立ち投げかと思いきや、ちゃんと足腰しっかり曲げた腰の入った感じの投球フォームでした。制球力も精密というほどではなくとも四球で自滅するようなことは少なかったらしいです。手もデカいから普通体格の投手に比べて、当時の指導だとスナップを効かせることがやりにくくて、球威に秀でていたわけではなかったらしいです。しかしながら制球力が悪くなく、球質が見た目よりも重くて意外と打ちにくい投手ではあったらしいのだとか、凡打を打たせる技巧派投手としてチームからの理解があったら大成とまでは行かなくとも、そこそこ好投手になる可能性はあったのかもしれないと思いました。まだそういう時代じゃなかったみたいです。学生野球の方が盛況な時代だったらしく地味な投手が理解されにくい時代であったようです。昭和30年から34年まで在籍しておられたそうで、入団した時にはまだ別所毅彦さん大友工さんがおられ、昭和32年には藤田元司さんが入団など投手陣が厚く、馬場正平さんが出番を得られるチャンスは少なかったようです。昭和33年と言ったら長嶋茂雄さんの華々しいデビューと活躍ですが後にONと並び称される王貞治さんは翌年昭和34年入団で、NPBきっての長距離打者として開眼するのは数年後で、馬場正平さんの野球選手としての最後の年で、二軍で時々王さんに打撃投手として相手をしてあげていたらしいです。不遇の野球選手生活を終えた馬場正平さんは翌昭和35年に力道山に弟子入りしてプロレスラーとしての道を迷わずひた走る人生を歩むことになるそうですが、プロ野球選手として目が出なかったとはいえ長身に似合わぬ器用さと少なくとも試合を壊さぬ制球ができる運動神経をお持ちな方の空手チョップとかかなり相手の急所に正確にヒットできそうな気もしますし、投手ができる足腰をフルに使ったキックも強力でしょうし、若き日の馬場さんを知らずとも、相当強かったことは想像に難くない気がします。馬場さんを長身にした巨人症は当時はまだ手術法が普及しておらず、プロ野球選手という身分のため日本でも数少ないその分野の権威と言える医師の施術を受けられたそうですが、巨人症が悪化して視力に影響がでていたので、当時は手術失敗の危険性も今とは比較にならないほどたかかったらしいですし、巨人症の人は好奇の視線に晒されることを嫌って引きこもるケースも少なくないそうで、馬場さんのように世間に知られる著名人として活躍するケースは類い稀と言っても良いらしいです。短命なケースも多いらしく、その点でも還暦まで存命だった馬場さんはレアケースらしいです。今では手術法も普及し、早期発見で手術するらしいので、第二の馬場さん的人物の出現は望み薄らしいです。数々の点で馬場さんは類を見ない人物だったと言えるのだそうです。忘れられることはないにしても、少しずつ薄れていく馬場さんの姿を少しでも鮮明にお伝えすることに寄与できれば幸いですとあとがきに記述されてました。なかなか読後感の良い書籍でした。追記、父が若き日に多摩川グラウンドを見に行って馬場正平さんの登板を観戦した記憶がある言ってたのを思い出しました。父もかなりの高齢なので帰省した時に詳しく聞いてみようと思いました。
子供の頃は凄さが分からなかった今の時代になってTH-camで26歳の頃の海外での試合見たら腕は太いわ胸板は厚いわ動きは速いわで別人だった
ショーだから格闘技であのスローな攻撃が当たる事などあり得ない
デカいピエロ🤡、それが馬場
@@mmzero7732かわいそうなやつだね、なくなってる人間をこんな風に貶すことができないなんてさ
さすがに……
@@mmzero7732人の意見に水を差して喜ぶ。かわいそうな人だね。
ここのコメントを見てみんな優しいな馬場さんってまるで気功の達人みたい相手が勝ってに忖度して...
プロレス知らない人から「馬場なら俺でも勝てる」とか言われると何かカチンと来てた
プロレス知らない奴は絶対それを言うのよ、そういう奴がまたK1だけはガチだと必ず言うのよ
晩年は仕方ないけど、馬場はウエイトで絶対強い。馬場より強いのはアンドレだけ。
私も勝てるかもしれません。・・・・・ジャンケンだったら。
@@shinpeikitajima7115 ワンチャン引き分け!
口の悪いお笑い芸人も馬場には勝てそうとか言ってましたね猪木さんもドン引きしてましたが最近不倫を噂される大嫌いな芸人でした
強いかどうかはさておいて。昔、高田馬場のBIGBOXで馬場の新テーマ王者の魂の即売会&サイン会があった時の事。本来はレコードwの購入者のみサインをもらえる予定が購入者が5人ほどしかいなかった為、会場にいた全員に握手をしてもらえる事になった。当時ワシはゴリゴリの新日ファン。馬場なんて猪木の相手にならないと思ってたがいざ目の前にすると身体の大きさ、横幅、手の大きさ厚み、そして動画にもある手首の辺りの巨大な瘤。それを見た瞬間、新宿育ちでヤンチャ真っ盛りだった高1だったワシは「あの高さからあの手で脳天唐竹割りを喰らったら確実にタヒねる」と馬場に対する認識を改めました。
馬場の本気の最後の試合は、80年代のハンセンとの、PWF選手権でしたね。ウエスタンラリアットに対する必殺技として、ランニングネックブリーカードロップを最高のタイミングで何回も見舞って、何度もフォールしかけましたが、ハンセンは負けなかって、その試合が馬場の本気の最後だったように思いました。ハンセンでなかったら、確実にフォールしてたと思えるような、最強の馬場選手でした👍
本当馬場さんは新潟県民の誇り!
田中角栄、三波春夫と共に「越後の三名人」と言われただけの事はありますね
新潟県民の恥の間違い
タニマチ話を蹴られたS急便会長(新潟産まれ)は「新潟の恥」と言ってたけどな😂😂😂
G.カブキとかキム・ドクとかは「米国での実績をギャラに反映させてくれないから」という理由で馬場と袂を分かったが、全米を渡り歩いた筋金入りのプロであるこの二人ともが、「猪木よりも馬場の方が、レスラーとしてあらゆる意味で上」であると口を揃えている。
ショーマンが自己否定するような事は言わないだろw
@@mmzero7732 人の意見に水を差して喜ぶ。かわいそうな人だね。
@@akinohotaru 馬場が猪木さんの挑戦を逃げ回ったという事実が全て。ガチの実力は猪木さんの足元にも及ばないということだよ。
@@フジヤマケンゾー 猪木さんファンは三本勝負で一本取った試合がある事実を語りませんね、少しぐらい誇ってもいいのでは?
馬場さんが球を投げると手がキャッチャーの頭に当たって気絶するから大変だったらしい
それはコサキンネタ🤣
本当に格闘技やっていなかったから坂口征二や鶴田よりも強いわけではない。ただ若い頃の馬場はむちゃくちゃ動けたし、凄い身体していたから強かったのは間違いない。でも練習やらなかったのは事実だよ。日本プロレス時代ですら身体や腕が細くなっていた。身体魅せるのもプロだからきちんとトレーニングすべきだった。 8:19
馬場の強さに的を絞って動画を作成しているのであれば、馬場のインサイドワークが抜群だった!ことにも言及して欲しかったです。
試合会場前で開場待ちしてたら後ろからざわめきがして振り向いたら壁が・・・と思ったら馬場さんが真後ろに居てその大きさにションベンチビリそうになるくらいビックリ感動したのはもう45年前だよ(≧▽≦)数年後アンドレが全日本に上がり始めた時に馬場&アンドレをWで見て以来180や190㎝の人を見てもデカいと感じなくなったのよね~
プロ野球に在籍していたんだから、あの頃は走れ走れ走れだったからな。身体能力は誰よりも高いだろう。2軍でも最多勝とったって聞いた事ある。あの頃はコーチなどの派閥でなかなか1軍に上げてもらえなかったらしい。
バント処理ができなかった
UWFを見た時に「あんなもの地方のおばあちゃんが見て喜ぶのかねぇ」みたいなこと言ってたらしいし、大きくてゆっくりな動きはどんなドームでも後ろの席のおばあちゃんでも見えるようにやってたんじゃないかなぁそもそもあの体格でプロ野球選手になれる身体能力があった訳だし、全盛期の動きも考えて強いか弱いかで言えば弱いとは考え難い。
今NOAHに上がっているジェイク リーがジャイアント馬場さんのいた頃の全日上がってジャイアント馬場さんの教えを受けていたら恐らく帝王と言われた高山善廣 ぐらいになるんじゃないかと思う実際 高山が飛躍したのはジャイアント馬場さんのプロレスに触れてだからね
ケンカで鳴らした真樹日佐夫先生が、「若い頃の馬場は、デカくて動けて手に負えない強さだろう」と言われてましたね。
リップパフォーマンス😂
@@maruhiroya417さん梶原兄弟は一時期は親しかった猪木さんと揉めたことも、こうした馬場さんヨイショ発言に繋がってるのかもしれません(笑)とはいえ流石に若い頃の馬場さんは最強だったとかそういうことではなく普通に強そうな気はします
馬場さんの全盛期は、あの巨体パワーにスピードがありましたからね、そりゃ強かった。晩年は相手の技をマトモに喰らって敗戦、ってパターンが増えましたが、それは逃げないという馬場さんの哲学やったと思いますよ。
100㎏を超えるレスラーがロープに振られて返ってくるのに、片足で受け止めた馬場
若い頃(30代前半くらいまで)は本当に強そう!あの巨体であの動きはありえない!
遅過ぎる!
同感です。三十代前半てか、四十歳くらいまでかしら、仰る通り『あの巨体であの動き』は素晴らしいと思います。当時もちらほらテレビで見てましたが、新日本ファンだったのでちらほら、凄さもわからず。後になって過去の映像やら見てから『こんな凄かったんや』と。当時は凄さを解らなかったジジです。
逆に50代であのプロレスが出来るのも凄いと思いますよ。四天王が凄かったのも30代から40歳位までですから。ラーメン屋の川田さんや今の田上さんが50歳の時点を比べたら凄いと思う。
@@kanpa7762 様 同感です 前座に退いた以降は中堅あたりを立てて「(オレのような)大男が速く動いたら気持ち悪いだろ」とおっしゃってジジイのフリしてましたねひと場所にひと試合「なまらないように」見せる本気モードの試合は三倍速で動いてましたが涙でよく見えなかったのが悔やまれます
事実強さは本物だったと思いますよ。あの巨体から繰り出す技は全てが必殺技クラスですし、ドロップキックを放つなんて驚異としか言えません。馬場、猪木の強さを比較するなんて意味がありません。どちらも不世出の偉大なレスラーです。
ジャイアント馬場は大谷翔平が現れる前の日本人で大型のアスリ-トと言われています。プロ野球で3年連続ファーム最優秀投手にも選ばれた凄い選手でした。
もしも馬場さんがプロ野球選手として成功して、メジャー進出しアメリカでも活躍してたら、今頃大谷選手は現地でリトルショーヘイとか呼ばれたかも知れないですね。
ファームだけね
@@明弘-f1d 寝言は寝て言え
>ジャイアント馬場は大谷翔平が現れる前の日本人で大型のアスリ-トと言われています。誰も言ってねーよ。自分で作るなよ。
まあぶっちゃけ野球選手としてはあまり評価高くないね。馬場レベルの投手はプロなら普通に居るし、体格がデカイから投手としては不向きだったみたいね。
衰えてからの試合の印象が強いからなー。
当時、25才の馬場氏が「喜劇駅前茶釜」に出演してますが、映画の後半で乱闘シーンありますが、あの巨体で速く動くので😳ですわー。
衰えてもお客さんを楽しませ続けてくれたんだから、やっぱり偉大なレスラーです!
2軍で無双していた投手があの長身から振り降ろすチョッププロ野球で鍛えた下半身
馬場の全盛期は1963~64年。肉体の説得力が半端ない。それ以降はガリガリまっしぐら。
馬場さんの技で一番好きだったのは、ランニングネックブリーカーでした。私自身も学生の頃、新宿でチンピラ3人に絡まれた時にこの技を使って逃げ延びたことがあります。
馬場さんは力道山に師事していた頃、煉瓦で手を殴り続けられたそうです。「痛いか?「と聞かれ、「痛い」と答えれば「我慢が足らん」と言われ、「痛くない」と言えば「未だ未だ行けるな」と言われ、結果的に殴られ続けたそうです。
脳天唐竹割は、当初力道山から封印されていたが、ディック・ザ・ブルーザー戦で苦し紛れに解禁したと、インタビュー記事で読みました。
私にとっで馬場さんは、最高のレスラーです。
いやーん
素晴らしい👍
「力道山先生は、人間的には何一つ尊敬出来ませんでした」
全盛期の馬場はかなり俊敏
あのデカさであの動きはめちゃくちゃ強いと思う
あの巨体でプロ野球選手になれる身体能力。そりゃ弱くはないだろう。
馬場さんの逸話をご存知でしょうか? 新潟から上京されたら母上様が車が苦手だったそうです。馬場さんは母の為に都内の移動に、電車に乗ったそうです。母上様と一緒にね。誰でも分かる馬場さんが、母上様の為に電車に乗って移動されたのです。流石に馬場さんですよね‼️
プヲタにとっては有名な話だね
写真に撮られてて不機嫌そうにカメラを見る馬場の表情がなんとも
入院している妻のお見舞いにも電車に乗って行ったそうですね。
ジャイアント馬場サンの試合を観る機会があり、その時、馬場サンが繰り出した技が、ブレーンバスターとバックドロップ。
ブレーンバスターは、後ろへ倒れる背中打ちでは無く、脳天から落とす完璧な、正に綺麗なブレーンバスターだったし、バックドロップは、鉄人ルーテーズ譲りの、綺麗な弧を描いた綺麗な技だった。
それらを観た時『技師』なんだなぁ、と再認識した事を思い出しました。
子供のころ、近くの体育館に全日が来て、鶴田とタッグを組んでブッチャーと、あとだれか覚えてないけど、場外乱闘になって馬場さんがブッチャーに水平チョップを食らわせたときの、生で聞いたそのすさまじい音、子供ながらに度肝抜かれて、あれを普通の人が食らったら即死だなって思いました。
馬場さんには猪木さんとは別種の華があった。
年をとってても、そこにいるだけでファンには満足。
唐竹割りとか見たら、めっちゃ嬉しかった♬
小学生だったころ、試合会場の売店でブロディ、ハンセンのプリントTシャツを買ったのですが、馬場さんが葉巻を咥えてイスに座っていて、買ったTシャツにサインしてくれました。
とにかくデカくて、こんな人に勝てる人間いるのかな?と衝撃を受けたのを鮮明に覚えております。
昔ジャイアント馬場さんが売店に座っていてなんとなく見ていたら
知り合いの人が来たみたいで挨拶を交わしてた
知り合いの人は子供を連れてきていたのでその子供にT シャツを2枚ぐらい取ってサインして渡してたお土産にあげるんだなと思って見ていたらその後何と付き人 みたいな人に多分 自分の財布を持って来させて何枚か取り出して売店の男の人に渡してた自分の会社なのにきっちりするわ と思ってびっくりした。
プロレス会場に行って、馬場さんと並んでびっくりしました。こんなでっかい人間がいるのかと思いました。背だけでなく顔も長くでかいのです。握手してもっとびっくり。とてつなく手がでかいのです。常人がこんな手でチョップをくらったら、一発でノックアウトです。死ぬかもしれません。
バレーボールNECの大竹秀之さんと同じ電車に乗り合わせましたが、大竹さんはひょろっと背が高いだけで、普通人が背が高くなったようでした。馬場さんは怪物です。いまだにこんなでかい日本人をみたことがありません。忘れられない思い出です。
1度だけ、全日本が沖縄に来てくれて生で見たとき、あまりの大きさと、大きさだけでは無い威圧感、オーラに圧倒された思い出😄
自分が若い時、馬場さんの入場時に大勢のファンと一緒に御大に触ろうとしたら、馬場さんが軽く払いのけようとした手に自分の指が当たって突指してしまいました。金属バットに触ったような感覚でしたよ。耐久力だってハンセンや川田のガチのエルボーやミドルキックも受け切るわけで、晩年ですらこれだけの強度があるのだから、全盛期はマジの怪物だったでしょう。
馬場さんの手はチョップの鍛錬で手にタコができ、非常に固いです。あんな長いリーチを振り回して、常人のテンプルに直撃したら、木製バットが当たったようなもので、泡吹いて失神すか、さもなくば死にます。脳天唐竹割は、力道山から危険だからと封印されていました。(マジ)
馬場さんのチョップをまともに何発も食らうブッチャーもすごいです。そうとう鍛えているのが分かります。
@@シャビエスタ-g7x
熱狂新日ファン最強レスラーと評される猪木でさえ
16戦やって1度も勝てなかったんだからな🤩
これ言うと新日バカは
あれはブックだと言うからなー🤭
昔、馬場と猪木の試合がレンタルビデオ屋にシリーズで20本くらいあって見ることが出来ました。
若い頃は、あの巨体でリングを素早く走ったり跳んだりしていた。
想像してみてほしい。玄関のドアよりもデカいものが自分に向かって来たらと。
中学生当時175センチあった自分が、直に見たことが有るが、30センチ以上の身長差とあの横幅で3メートルの壁みたいに感じて驚いたのを覚えています。
テレビで見てると手足が細く見えるのですが、脚なんて普通の日本人男性が隠れてしまうくらい太かったです。
弱いわけがない。
それだと腕回りの太さは150cm以上ありますねwww
@@イエガー 胸囲はありそうですね。
とにかく、眼の前で見るとTVで見て想像していた以上にデカかったですね。
太ももや尻周りは普通の人の胴回り以上あった気がしますよ。
当時、UWFとかの影響でローキックが流行ってて、空手やってたヤツが馬場なんて俺のローキック一発で倒せるって豪語してたのが、実物を目の前にして呆気に取られてましたから
馬場さんの最後の言葉は深いな…。胸に響くものがある。
昨日1月24日。10年に一度の大寒波の中、凍結した道をバイクで走っていたら見事にすっ転んでしまい、ちょうど馬場さんのランニングネックブリーカードロップを受けるような体勢で後頭部を凍った地面に打ち付けてしまいました。(もちろんヘルメット着用)
その瞬間、体が痺れて動けない状態で最初に思った事が『馬場さんのネックブリーカードロップって多分こういう感じなんだろなぁ…。』でした。
時速40km程度に抑えて走っていたため無傷で済みましたが、思わぬ形で馬場さんの偉大さを感じた瞬間でした。
それで偉大なら同じフライングネックブリーカードロップを使ったマスクド・スーパースターは同じだけ偉大か?たいていのプロレス技はマトモに食らったらとんでもないことになる。だからといって相手が受ける前提の技の威力でガチの強さは語れない。
路上でそれ仕掛けたら
馬場の骨もバラバラに折れるだろうねw
馬場さんが深刻な顔で自分の掌をじっと見ているので
「何かあったんだろうか」と心配になってよく見たら本を読んでいた・・・というエピソードすこw
物凄い読書家、勉強家というのは聞いたことあります。
あの時代にはいた、巨大な妖怪の一人ですよね。
馬場さんスマホ操作したら周囲には掌に指文字書いてる動作にしか見えんねw
みんな馬場さんの「ポォー」っマネして小馬鹿にしてましたが、あの身長と体重でリングを動き回るんですよ、身体能力凄いと思う。
若い時は32文ドロップキックで飛んでたんですから。
しかも四天王、三沢、川田、小橋、田上がのし上がってきて、全盛期の彼らとガンガン闘っててんです、凄いとしか言えない。
だから自分はジャイアント馬場最強説です。
自分は馬場が日曜の昼、猪木が金曜か木曜の夜にテレビで活躍していた頃、小学生でプロレスが大好きで将来の夢はプロレスラーになるでしたが、高学年になった頃には、相手をロープに投げたら、投げられた方は勢いよくロープに走り、自らバウンドして足を上げただけの16文キックでブッ倒れたり、チョップ1発ぐらいで人が倒れたり、コーナーにわざわざ登ってフライングボディアタックしたり、物理的違和感に気づきプロレス自体にすっかり幻滅して覚めました。自分の父も含めて昭和の日本人の大人達はなんでも信じれて純粋だったんだな〜と今は感じています。
ですが、ボクシングやキック、MMAがある世の中で未だにあなたのようなガチの闘いとゆうコメントをどう捉えたら良いのかわかりません。この現代でプロレスを好きで観る人たちは、演劇とか観る感覚で楽しんでいるんだと思っていました。 もちろん、自分は馬場や猪木の経営者として、また偉大なセレブとしての存在感は凄いと感じていますが。
あの巨体でドロップキックが打てる時点で凄いでしょう。
晩年の試合だけどリングサイドで見て、馬場さんのあまりのデカさと迫力にびっくりした。
2:39
馬場さんが鴨居に頭をぶつけた時の痛さで脳天唐竹割りのアイデアを閃き、当時の師匠力道山に相談したら「相手がタヒぬからやめておけ」と忠告された話がありますね。
60年代は手をつけられない程強かったと思います。猪木さんは70年代。
手をつけられないという例えがぴったりですね!
そなの•́ω•̀)? 70年代生まれ代表(仮)は猪木なんだよな(爆)
全盛期の馬場さんの動きを見てると、相当に運動神経が高いことが分かる。元巨人軍で、あの身長は脅威としか言えない。
秋広優人は阿部剣友と共に馬場以来の身長2メートルのジャイアンツ🐰の選手。
私が馬場さんの試合を見だしたのは90年代、夜中の全日本プロレス
その番組で往年の馬場さんの試合を、モノクロ映像のVTRで見たことがあります
とにかく動きが速く、飛ぶことに驚かされました
「見慣れた馬場さんと違う!」
その試合で放っていた32文ロケットキックも、「ファイヤープロレスリング」のグレート司馬でしか見たことが無かったですし
あと若き日の馬場さんといえば
アメリカ巡業中の試合で、相手にキレた馬場さんがトップロープから相手選手を場外へ投げ落とし、結果的に相手選手が死亡して以降「自分は怒ってはいけない。自らを律さねば」と精神状態を冷静に保つよう心掛けていたとのことです
元ピッチャーでしたかね?
あの高さから投げ落とされる球は打者にとっては脅威だったでしょうね。
@@miya3655
バント処理が出来ないという欠点があった、数少ない一軍登板の1つだった阪神戦ではムッシュ吉田の噛ませ馬🤣
いや、馬場にしか見えないけどなw
馬場の全盛期は1960年代後半~全日本プロレスの初期と思います。日プロ時代の馬場は凄かった!
馬場さんが還暦試合の後インタビューで「昔は60歳なんてずいぶん爺さんだと思っていたけど自分がなってみたらなんだまだやれるじゃんと思った」と仰っておられました。そんな60歳になりたいものです。
長年の真剣勝負により身体を酷使した無理がたたり、1年後にお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
自分を客観視できないことは恐ろしいことだ、プロレスを長年みているが正直馬場さんは全然やれてないように見えた
人間性を否定してるわけじゃないが、プロレスショーとして見ごたえがなかった
@@gokurakuhh どこが真剣勝負だよ
この還暦試合はよく覚えています。若手選手のチョップを胸にまともに食らって、馬場は何発も耐えていました。胸が真っ赤になりました。その後の反撃でチョップを返すと、若手はダウンしそうになってクリンチ。終いに、馬場は本気になり、テンプルへがんがんチョップを入れました。とても迫力があり、感動しました。馬場の晩年のベストバウトに挙げます。
あれは名言ですね。
おおらかな馬場さんですが、こういうファイティングスピリットの強さはやはりプロレスラーです。
もうすぐ命日ですね。
涙を流しながら動画を見てました。
遠い昔に後楽園ホールで買った手書きのサイン入りの王道16文を今でも大事に持っています。
昔、キックやってました。
ある程度実力が付いてきて、相手の攻撃をかわせられるようになりカウンターが入れられようになった頃に先輩から
「オマエでも馬場のチョップ(脳天唐竹割り)は、見て避けられるようになった、でも喰らったら死ぬ」
と言われました。そのとき俺は、この言葉を信じました。
そして、その後。
・プロレスラーをなめない方がいい、一流とはそういうこと。
・攻撃には長所と短所があり、年齢と経験が生きることもある。
・戦術として敢えて避けない(貰って)攻撃することもあるが、それが間違いになることもある。
・遠心力、力感(人体力学)など、脱力と一点への爆発的な威力。
言わんとしていることは、こういうことだろうなと今は俺はこれを知見としています。
以下のジャイアント馬場を馬鹿にしているコメントはガキか無知か非経験者だと思います。
鉈や斧をナチュラルに上腕骨~指骨に持っているようなもの
脳天唐竹割り。三沢さんだったか川田さんだったかが言ってた、分厚いまな板を縦にしておもいきり頭に叩きつけられたような衝撃っていう喩えが一番リアルに感じたな。
既に高齢で衰えてたはずの時期ですらそこまでなんだから、全盛期の頃だったら、食らったら死ぬというのは決して大袈裟ではないよ。
アンチ馬場の人達が心酔してる猪木さんでさえ馬場さんの技を効くと言ってますからね。ただそこは猪木さんらしく「当たれば効くけど俺には当たらない」とも付け加えてましたが(笑)
当時のことは知らないが今残っている晩年の映像を見るとなんか凄く温かい気持ちになる
そりゃ当時は批判する人も多かったんだろうけどプロレスってもんの捉え方が変わった今見ると、
偉大な存在にみんなが敬意を持って接して観客も喜んでるんなら凄くいい光景じゃないかと思う
プロレスとプロレスラーしか見せられない光景だねアレは
馬場さんがリングに上がってた時代の全日本プロレスはまさに標榜するキャッチコピーのとおりの「明るく激しく楽しいプロレス」でしたね☝️😊
そのためか女性ファンも新日より全日の方が断然多かったですね。
当時はおそらくプロレスファン女子の8~9割は全日派だったんじゃないかな?
新人女子アナ紹介でも地方含めた日テレ系列では好きなスポーツ選手に全日の選手挙げてて全日ファンなので(花束嬢などする機会がある)日テレ系列を志望したらしい人も多かった。
馬場さんは
姿を見ているだけで
嬉しい人だった。
所謂、見せ物w
ジャイアント馬場の技で一番好きなのは、語感がカッコイイ、「ココナッツクラッシュ!!」😂
アメリカ時代の馬場さんは間違いなく強そうだし
強かっただろう、
強い訳ねーだろ、ブックに護られた最弱だわ😂
@@ティオテッタセブン
弱いといえるなら、戦ったことあるの?
子供の頃、たまたま観たプロレス中継、馬場さんの強さ、存在感の大きさは凄かった、幾多の実力派レスラーを葬って来たランニングネックブリーカードロップは代名詞でありカウント2で返せる選手は居なかったのでは無いか、脚も大きく強靭だったと聞く、そして人望があったが故に世界からあれだけのビッグネームのレスラーを集結させる事が出来たのだろう、又国内でもアニマル浜口、ハヤブサ、新崎人生、彼等の事を解説者の時いつも高く評価をしてくれていた、意気に感じ誰もが素晴らしいファイトだった、今動画を観て居ても熱くなる。
でもガチで戦ったら俺は絶対にその技を喰わない自信はあるけどな。
@@湯川学-s1y ガチで闘ったらお前病院送りだぞ。馬場さんお亡くなりになっているから闘って貰う訳にはいかないが。
@@渡邉真理夫 は?笑 俺は空手三段だけど、馬場さんとガチで闘って勝てるなんて言ってないけど。でもロープに飛ばされたとしても自分で走って行ってノーガードで帰って来て相手の技を受ける事は100%しない自信はある。知的障害のある方にどうやって説明したらわかってもらえるかわからないけど、少しはわかってもらえるかな?
@@渡邉真理夫 ごめん。キミからの反論でちょっと熱くなりました。障害のある方にマジになってしまった事を反省してます。
@@湯川学-s1y いやいやよく読むと僕の勘違い、悪かった。(終結)
若い時はホント強かった。晩年の馬場さんの試合の時に会場に馬場さんのファンが掲げてた「動け馬場!」って言う突っ込みみたいな横断幕大好きだったな~(笑)。ラッシャー木村さんの「兄貴〜」で始まるマイクパフォーマンスも好きだった。晩年は何かといじられる事が多かったけどファンや後輩レスラーから愛されてた証拠だよね😊
御本人もそれを楽しんでる姿が会場の観客やテレビ中継見てるお茶の間にも温かい空気を醸し出してましたよね😊
あの空気は他の団体では出せない楽しみ方でした。
川田選手との試合だったか、馬場さんがフィニッシュ技を掛けようとしたら観客席から「馬場さん、止めて~!💦」と女性の声が飛んできて思わず躊躇って本当に止めてしまって、川田選手がスイマセンでしたと頭を下げてる場面、ほんと好きだった😂
昭和40年代終わりから50年代前半にかけて馬場と猪木どちらが強いの話しで盛り上がり馬場が勝つの意見の方が多かった❗
馬場が弱いって言ってる人は、晩年しか知らないんだと思う。全盛期の比較なら、猪木よりハッキリ強かったと思う。
あの身体ですげえ動きだったよね。
セーム・シュルトの身体能力では32文は無理だと思います。
馬場の若い頃
動ける、飛べる、東洋の大巨人
確か猪木と馬場は2回対戦して2回馬場が勝ってますよね
@@綿帽子-x4s 日本プロレス時代に16回対戦して、馬場が16勝している。猪木は一度も馬場に勝っていない!
馬場さんはアメリカ遠征時から特遇を受けているし、NWAも短期間ながら獲得し、
全盛のハンセンにも背を向けず戦う姿はヤッパ偉大です。
馬場さんのアメリカ修業時代やBI砲時代の動画を偶然観た事がありましたが…私がレスラーだったなら戦いたくない選手だと思いました。
あの巨体で動きが機敏なんですよ!マジでビックリしました…ピーク時の馬場さんって最強なのでは?と思う。
ハンセンがどんなに強かろうと関係有りません。
ハンセンは大変知的で、立場や人間関係を理解できるレスラーです。
ハンセンにとって、G馬場はどういう存在か?という事を考えれば、おのずと説明が着きますよね。
そう・・ハンセンにとってG馬場は高額のファイトマネーで自分を必要としてくれる「依頼主」「雇用主」です。
そんな恩義ある人物に対して、本気で痛め付けたりなんか、する訳無いじゃないですか!
@@このコメントに1500件のいいねがつきま 様
その通りだと思います。それがプロレスの醍醐味ですね。ハンセンさんはピークが過ぎようとも関係なく強さを見せつけていました。あっぱれです!(初来日は弱さを見せていましたが、大化けしたそのギャップも魅力です。)
馬場より遅い格闘家はいない
(除:80過ぎの婆さん格闘家)
@@mmzero7732 様
ありがとうございます。馬場さんを格闘家と認めていただき光栄です。
アメリカ武者修行時代にNWA・WWA・WWWFの3大タイトルを連続して挑戦した事は今考えると圧巻だった🎉
多分この時の馬場さん、王、長嶋より稼いでる。どれほどONにタニマチがつこうとも、ドルで稼ぐのは桁が1つ違う。しかも当時1ドル360円だからね。
日プロ時代の馬場さんの試合の動画をみるとあの体格であの動きをするのはフィジカルが凄いんだなと思ったもので馬場さんの全盛期を観ていた方が羨ましいです
その後 後進にメインイベンターに譲っていくなど日テレの子会社の社長として苦労しながら プロレスのプロモーターとしてその腕をふるっていたと思います
全日時代のブロディ戦とハンセン戦は忘れられません
最初猪木さんのファンだった私が、初めて全日本の中継を見たのが、対ハーリー・レイスとのNWA世界ヘビー級タイトルマッチ。
それ以来、馬場さんのプロレスに魅せられ、全日本プロレスのファンになった。
馬場さんは筋肉ででかいんじゃなくて骨自体がかなりでかいから攻撃力が高いって聞いたことあるな、木でぶっ叩いてる的なかんじ。
バランスは猪木で攻撃力は馬場って感じかな!
良く考えると、馬場さんの“脳天唐竹割り”は、2㍍の所から、丸太ん棒で殴られてるようなもんだし、“十六文キック”なんかは、全力でロープに走り、振り返ったらそこに跳馬があって、突っ込む感じで、どっちにしても痛いだけじゃすまないですよネ😱
単純な技ほど、威力は絶大だと思います👊
幼少期、外道が馬場さんの脳天唐竹割りを大声で「うわーーーっ!!」っ食らってるの見て「ホントかよ〜(笑)」って感じで笑って見てました。食らった外道はすごく嬉しそうでした(笑)
シブチンと言われてたけど、アメリカでトップスター扱いでもギャラが1試合4ドルで、後はマネージャーの取り分でも文句言わなかったそうだけど、その経験が忘れられなかった?
馬場は足腰の強かった頃はホントに強かったんだろうと思います。
猪木とはそれほどの年齢差は無いけど、全盛期の時期が違ってたんじゃないかと思う。
誇張やプロレス的コメントはあるかも知れないが、馬場が弱い訳はないんだよね。若い頃の体付きと動きは凄まじいし、生で見てたら技の一つ一つに重みがあった。プロ野球の投手になれたのも運動能力があるから。
馬場さんは若い頃、映画に何本か出ていますが、その中で大立ち回りをするシーンがあるのですが、当時の動きの良さは、当然ながら晩年のそれとは段違いでしたね。
多分若い頃、アメリカで悪役修行をなされていた頃は、かなり強かったのではと思います。
実際に若い頃の馬場さんの体は、筋肉質な力強い体型でしたからね。
運動能力と強さは全くの別物。それで強いなら体操選手や水泳選手は強いのかね?ガチの技術が初歩レベルしかない馬場の強さなんか、たかが知れている。
身体能力だけでホーストに連勝し、田村潔司を秒殺したサップ
打撃は下手くそだけど空手上がりの堀田をパンチで瞬殺したギャビ
@@はむはむ-dao サップにはジョシュ・バーネットやサム・グレコがコーチしていたんだ。身体能力だけじゃない。
@@はむはむ-dao 堀田って全女の?女子のことは知らんけど、もしそんなのにガチで負けたなら堀田の空手の技術がなかったからでしょ。
全盛時のスピード感溢れる動きを見れば、ビックリする人が多いと思う。
TH-camで検索するといくつかあるから見てほしいよな。ただやっぱり全盛期は短かったねそれは確か。
ハリーレイスにランニングネックブリーカーする時とかめちゃ速かったな。ビートたけしにオールナイトニッポンでハガキ職人に「馬場動け!」っていじられてたけどね。
@@池田眞一-t8h どこが速いんだよww全盛期でも体の割にはよく動けるな、という程度で、スピード感とか速いという表現は贔屓の引き倒しで見苦しい。全盛期のアンドレの方がよっぽど速いわ。
@@フジヤマケンゾー全盛期のアンドレの方が動けるって言い方にはちょっと引っかかりがあるし、ジャイアント馬場の全盛期の頃体の割には 動きが早かったと言う言い方にもトゲがあるし贔屓のの贔屓倒しというのもおかしい、コメントしてる人達は誰一人ジャイアント馬場さんのファンと言っているわけじゃなく自分が見て判断して馬場さんの動きが早かったた言ってるに過ぎないよ
@@享矢野
野球時代から動きの遅さは指摘されてたけど、バント処理できずにムッシュ吉田にキリキリ舞い😂😂😂
馬場さんの右手はチョップを打ち過ぎてかなり固くなってるそうで、脳天チョップは鉄の棒で殴られてる感じと対戦した某レスラーから聞きました。
レスラー人生でいい思い出だそうです。
馬場さんとハンセンとのベストバウトは、1984年7.31 蔵前国技館で行われたPWFヘビー級王座戦でしょう。
ハンセンがボディスラムを仕掛けて来たところ、馬場さんがあの大きな体でスモールパッケージホールドで仕留めた試合です。
あと、後楽園ホールでよく全日本プロレスを観に行きましたが、馬場さんのチョップは一番後ろの席に座っていても「バチーン」とすごい音で響き渡っていました。
あの試合の凄いのはハンセンのラリアートを16文で防いだところですね。
あれには驚きました。
黒柳徹子が長生きしてるのは馬場からスクワットを薦められたから
素晴らしいです。
なんか馬場さんのことが好きになりました
晩年のガリガリに痩せ細って動けなくなって永源遙とお笑いプロレスを繰り広げてた馬場ならかなり忖度されまくってたと思うが、全盛期の馬場の強さはガチだと思う。巨体に似合わず動きが俊敏で他の大きなレスラーを軽々リフトアップするする姿は真の世界の巨人そのもの‼️全盛期の馬場さんは間違いなく強かった☀️
晩年の「早送りで見るとちょうどいい」と言われた時しか知らない人にはわからんでしょうが、全盛期の動き、三十二文ロケット砲やネックブリーカードロップなんて本当に凄かった
もちろんアングルはあったでしょうが、受ける方も相当の技術がなければ壊されていたでしょうね
そりゃ素人よりは強いだろ。一流レスラーよりは弱い。
@@フジヤマケンゾー
K川晃司が「水中なら馬場さんに勝てる」と発言して日明ストップ喰らったそうです😂😂😂
リアルタイムは知らないのですが古い映像を見た感じだと若い時の馬場さんはいわば高山善廣選手のような技の一つ一つに説得力のある選手で、信じられないかもしれませんがものすごく機敏でテキパキとした動きでしたね。それに、一応元プロ野球選手でちゃんとしたアスリートだからガチで強いのもうなずけますね。まぁ、晩年のお笑いやってた馬場さんも好きでしたがw
アメリカ修行時代は、体型も、逆三角形で動きも巨体なのに、かなり早いですね。この頃が最強だと思います。
宝島で言ってた「馬場や猪木はプロレスに選ばれた、オカダや棚橋はプロレスを選んだ、この差は大きい」みたいな記事が印象深い。
@@roppongiiiiii
そうだね。
日本が戦争で負けたあと、力道山が外国人をなぎ倒すのを見て勇気をもらったのが始まりだしね。
昔で言えば「越後獅子」みたいなもんで現代では成り立たんよね。
Starless and bibleblack
棚橋弘至やオカダも偉大、もっと偉大なのが全日本四天王。
@@user-KAZUCHIKA
そういうプロレスファンがいることは嬉しいよ。
全盛期の馬場さんはあの大きさで
とんでもないスピードがありました
強いに決まってる
1980年半ばくらいからしか馬場さんの試合見てないのでその頃にはかなり動きがスローでしたが、まだ白黒時代だった頃の馬場さんかなり速いですね😅
あんな速さで動かれたら今の現役レスラーは、ほぼ勝てる人はいないでしょうね💧
@@堀内伸広
そうですそうです
そんなわけがない。素人との比較ならともかく、猪木さんとかテーズのような人と比べたらガチの技術が決定的に劣っているのだから無理。
@@フジヤマケンゾー
お前は何もわかっていない
@@フジヤマケンゾーそれこそ贔屓の、贔屓倒しというやつですね
馬場さんの全盛期は70年代、自分が小学校でプロレス見始めた頃は、対ブッチャーの頃でスローな馬場になっていました。ハンセンが全日移籍してからの馬場は、若いハンセンとバチバチやって、馬場すごいなと、思いました。生馬場は、やっぱりデカイです。フレッドアトキンスにレスリングの基礎を学んでいるので、タダのデカイ人ではありませんよ。
だからアトキンスの正当な弟子であるシンが「アトキンスが馬場にレスリングの技術を教えたというのは嘘。コンディションを保つためのトレーニングを教えただけ」と否定しているのに。そんなアングルみたいな嘘を信じるなよ。馬場はプロレスにガチは不要、だからガチの技術を身につける必要はないという考えの持ち主だから日プロの若手時代だけでそれ以降は全くガチの技術を習得していない。そんな人間が一流の技術を持った猪木さんやテーズのようなレスラーに勝てるわけがない。
馬場さんが遅いだの弱いだの言われているのは50歳を越えた後の試合を観ているからだと思いますね。
では、鮮明に強さを覚えている全日四天王の50歳と比べてどうか。
三沢は40代でかなり動きが落ちていたし、小橋川田田上も40代でリタイア。現時点の川田や田上がリングで若いレスラーと戦っている姿なんて想像すら出来ない。
もし、全員が同い年で50歳なら馬場さんの圧勝でしょうね。
良いコメントです、ありがとうございます😆
確か還暦試合もあったような。
@@大名古屋金鯱軍-r1x ありましたよ😃試合後にリングで徳光さんとのやりとりで名言がありました。
四天王と馬場さんとでは時代も違うし試合スタイルも違う。なので単純に比較するのはフェアじゃないと思う。四天王プロレスをあれだけ続けていたら体ボロボロは当たり前。だいたい馬場さん御本人が「自分が長く現役を続けてこられたのは身体が大きいおかげで他の選手程投げ技を受けていないから」だと仰ってました
後楽園ホールで試合前にTシャツやタオル買って馬場さんのサインしてもらえて嬉しかった思い出が。いちぶをのぞいて今もしまったままになってます。馬場さんの誕生日興行?で確かリングにあげていただき、甘い物が好きとの事で地元のお菓子屋のお饅頭を渡せたのはいい思い出です。
最強日本🏋️ジャイアント馬場さん🤼プロレス
馬場サンの逆水平をブッチャーとの場外乱闘で見た事があります。場外だったので1、2メートルの至近距離で見たのですが、例えるなら、フルスイングで丸太をぶち当てる感じで、凄い音がしました。体がまるでヌリカベのようにデカイので腕が細く見えますが、生で見ると一般人より太いです。あれを素人がまともにうけたら間違いなく吹っ飛ばされますwちなみに馬場サンとブッチャーの場外乱闘はもの凄い迫力で、例えるなら怪獣が暴れまわっているようで、観客席は悲鳴を上げながら、逃げ惑いながら、喜んでいましたw地方公演でも手を抜かない馬場サンのプロレスラー魂を生で見れて、とても貴重な思い出です。
馬場さんがクイズ番組の早押しボタンを壊してしまった時は、衝撃的でした。
あれを壊したのは馬場さんとマイク・タイソンだけだったような
5000試合出場を達成した試合後に記者からの「次の目標は?」という質問に「5001!」と答えた馬場さん。
頂点を極めても、一つ一つの試合を大切にしているのがよくわかります。
試合開始前のグッズ売場で馬場さんを間近で見た時、強烈なオーラを感じた事を今でも覚えています。
調子こいて「馬場なんか俺でも勝てる」とか言う人がいますが、ハッキリ言って無理です。睨み付けられただけで降参するでしょう。
😮もうその頃からしんどかったんだ?
馬場さんのサイン会で手を見せてもらった時、大きな手で、ゴツゴツしていて固かった。こんなのがただでさえ背の高い馬場さんが、ジャンプして鍛えようのない脳天にチョップを打ち込こんで来たら、こりゃ効くわと納得した。ハンセンが乱入した最強タッグの優勝戦、怒った馬場さんに何度も頭にチョップを浴びせられ、大乱闘しながら、これからこんなものをずっと食らわなきゃいけないのか、嫌だなと思いながらやり合ってたのは有名な話。
馬場さんの全盛期ならスピードもあったろうし、もっと効いたろうね。
ブロディって、もう四十年前になるのですね。
あの頃は、相手を輝かせてからそれ以上に輝こうとしたレスラー達の意地のぶつかり合いの試合が凄くて熱中して見ていました !!!
88年に死亡されたので、現在は23年ですので死後35年ですね。
K1でも2メートル以上の大型の選手が優勝し続けていた(それでつまらなくなった)が、2000年代のK1が体格の大きさがどれだけ有利かを証明していたし、鍛えた大きな身体に格闘技術を身に付けた馬場が弱かった訳がないと思う。
NWAを3回取れたのは、大プロモーターとして、アメリカのプロモーターたちから絶大な信頼があったから。
晩年の馬場さんのバックドロップを見た(テレビで)のは良い思い出
大仁田厚さんも馬場さんはチョップもキックも痛いんです、骨に来る感じって言ってましたね
特に怖かったのが16文でロープに振られて前を向いたら顔の前に足がある
40センチくらいの板にぶつかる感じで逃げられないって
ハンセンのラリアートは首に決めたいのに胸に当たる
おっとりコミカルな印象でしたが、相手に手数を決められても一発で仕留める
全盛期の社長の動きは異次元だわ。
ジャイアント馬場さん強かったよ❗️前世期会ったこともあり、優しい人です。人見知りですが、人を見分ける力があり秋山さんのように強いやつを見つけたり、友達など心を許した関係者などにも豪快な笑いで受け入れてくれます。
ジャイアント馬場さんの強さを知る事が出来て、本当に素晴らしい動画でした!
強いだけではなく
観客を楽しませる
魅せる
ところがプロレスだね。
プロレスを初めて見に行ったときブロディーの迫力はすごかったな。
飛んだり跳ねたりしないけど
とにかく迫力がすごかった。
馬場さんはプロ野球選手だったんだから基礎体力だけでも一般人とは比べものにならないだろうね
偶然かもしれないけど猪木さんの攻めのプロレスよりも馬場さんが進めて行った受けのプロレスの方が
現代のプロレスに上手くつながっていると思うんよね
高校生くらいの頃に地元の体育館での試合をリングサイドで観たけど16文キックも水平チョップもTVで観るより数倍痛そうだった。迫力が凄かった。あと試合前にグッツ売場の後ろの方で椅子に座っていたのを思い出しました。
馬場さんに会場でTシャツ買ってサインしてもらいました。確かに葉巻を吸ってましたね笑
馬場選手の技はジャイアントバックブリーカーを始め痛そうなのが多かったのを貴コメントで思い出しました
でもあの巨人が実は痛がりというのはファンとして最高でしたね
鶴田と組んだvs超獣コンビ戦でラリアート食らう寸前の表情は至高でした
水平チョップの音ですよ。後楽園ホールで音でビビりました。早そうに見えないのに威力は音で伝わりましたね
1981年だったか地方巡業を見に行って 試合前パイプイスに座って馬場さん探してたら 真横に誰かが立ってて 見上げたら 葉巻をくわえた馬場さんでした。びっくりしました。本物だー!!ってカンジ
@@おしゃべり階段さん
私は何度か試合開始前の馬場さんを間近だ見てるのですが、馬場さんは気配を消せるんじゃないでしょうか。そのとき、そういうことも自在にできるのか、と感じたのを覚えています。
馬場のチョップは普段は手加減してるけど、その気になったらハンパない威力出すよ。
舐めない方がいい
ルーテーズが全盛期の頃、アメリカの長者番付で全米2位になったこともある。プロレスラーはどのスポーツよりも稼げる時代。
同じ時期にアメリカでヒールとして人気レスラーだった馬場はかなり稼いでたと思う。
メキシコに行った時は観客が客席だけじゃなくリングサイドまで押し寄せたと聞いた記憶が
2019年で馬場さんが亡くなられて20年てことは、三沢さんはちょうどその10年後だったのか…😢😢😢
まあ自分も馬場さんの試合をリアルタイムで見た頃は、さすがにタイトル戦線には上がらず、いわゆる全日の「明るく」の部分を担う存在になっていましたが、時に世界タッグリーグなどでは、アンドレやハンセンなどと組んで、超世代軍とも試合をしていましたね。
自分の中では、ジャック・ブリスコからNWA取ったあたりの馬場さんは、体の張りも色艶も良くて、すごくいい体をしていたと思います。
リアルで見ていた頃は、エリックに一方的にやられていた印象でしたが、今になって映像を見返してみると、相手をしっかり見て闘っていて、大夫印象が変わりました。
馬場さん近くでみたら本当に驚きますよ。たけしのネタがあながち嘘ではないのではとおもうほどデカい。人としてもデカい。東京体育館でのハンセン戦「馬場ー馬場ファイトー」と必死に叫ぶMくんの声がテレビからながれてきて驚きました。君のせいでこんなそこが丸見えの底なし沼にはまっちゃったんだぞ。感謝してます。
あの声援を送っていた人と知り合いなのですか⁉️あの声援、今も印象に残ってる。
巨人軍投手時代、大きく振りかぶり過ぎてバックスクリーン壊したとか、
マウンドから直接キャッチャーにボールを渡してたとか、奥さんが馬場さんの靴の中に落ちてしまって
行方不明になったとか・・・
最近、馬場正平さんのプロ野球選手時代を詳細に調べたと言う書籍を図書館で借りて読んだのですが、馬場さんは巨人症で体格が急激に成長したことが災いしてアマチュア時代はまともなスパイクのサイズも合わせてもらえない不運に見舞われましたが、長身でイメージ的には外人投手みたいな立ち投げかと思いきや、ちゃんと足腰しっかり曲げた腰の入った感じの投球フォームでした。制球力も精密というほどではなくとも四球で自滅するようなことは少なかったらしいです。手もデカいから普通体格の投手に比べて、当時の指導だとスナップを効かせることがやりにくくて、球威に秀でていたわけではなかったらしいです。
しかしながら制球力が悪くなく、球質が見た目よりも重くて意外と打ちにくい投手ではあったらしいのだとか、凡打を打たせる技巧派投手としてチームからの理解があったら大成とまでは行かなくとも、そこそこ好投手になる可能性はあったのかもしれないと思いました。まだそういう時代じゃなかったみたいです。学生野球の方が盛況な時代だったらしく地味な投手が理解されにくい時代であったようです。昭和30年から34年まで在籍しておられたそうで、入団した時にはまだ別所毅彦さん大友工さんがおられ、昭和32年には藤田元司さんが入団など投手陣が厚く、馬場正平さんが出番を得られるチャンスは少なかったようです。昭和33年と言ったら長嶋茂雄さんの華々しいデビューと活躍ですが後にONと並び称される王貞治さんは翌年昭和34年入団で、NPBきっての長距離打者として開眼するのは数年後で、馬場正平さんの野球選手としての最後の年で、二軍で時々王さんに打撃投手として相手をしてあげていたらしいです。
不遇の野球選手生活を終えた馬場正平さんは翌昭和35年に力道山に弟子入りしてプロレスラーとしての道を迷わずひた走る人生を歩むことになるそうですが、プロ野球選手として目が出なかったとはいえ長身に似合わぬ器用さと少なくとも試合を壊さぬ制球ができる運動神経をお持ちな方の空手チョップとかかなり相手の急所に正確にヒットできそうな気もしますし、投手ができる足腰をフルに使ったキックも強力でしょうし、若き日の馬場さんを知らずとも、相当強かったことは想像に難くない気がします。
馬場さんを長身にした巨人症は当時はまだ手術法が普及しておらず、プロ野球選手という身分のため日本でも数少ないその分野の権威と言える医師の施術を受けられたそうですが、巨人症が悪化して視力に影響がでていたので、当時は手術失敗の危険性も今とは比較にならないほどたかかったらしいですし、巨人症の人は好奇の視線に晒されることを嫌って引きこもるケースも少なくないそうで、馬場さんのように世間に知られる著名人として活躍するケースは類い稀と言っても良いらしいです。短命なケースも多いらしく、その点でも還暦まで存命だった馬場さんはレアケースらしいです。
今では手術法も普及し、早期発見で手術するらしいので、第二の馬場さん的人物の出現は望み薄らしいです。
数々の点で馬場さんは類を見ない人物だったと言えるのだそうです。
忘れられることはないにしても、少しずつ薄れていく馬場さんの姿を少しでも鮮明にお伝えすることに寄与できれば幸いですとあとがきに記述されてました。なかなか読後感の良い書籍でした。
追記、父が若き日に多摩川グラウンドを見に行って馬場正平さんの登板を観戦した記憶がある言ってたのを思い出しました。父もかなりの高齢なので帰省した時に詳しく聞いてみようと思いました。
子供の頃は凄さが分からなかった
今の時代になってTH-camで26歳の頃の海外での試合見たら腕は太いわ胸板は厚いわ動きは速いわで別人だった
ショーだから
格闘技であのスローな攻撃が当たる事などあり得ない
デカいピエロ🤡、それが馬場
@@mmzero7732かわいそうなやつだね、なくなってる人間をこんな風に貶すことができないなんてさ
さすがに……
@@mmzero7732
人の意見に水を差して喜ぶ。
かわいそうな人だね。
ここのコメントを見て
みんな優しいな
馬場さんってまるで気功の達人みたい
相手が勝ってに忖度して...
プロレス知らない人から「馬場なら俺でも勝てる」とか言われると何かカチンと来てた
プロレス知らない奴は絶対それを言うのよ、そういう奴がまたK1だけはガチだと必ず言うのよ
晩年は仕方ないけど、馬場はウエイトで絶対強い。馬場より強いのはアンドレだけ。
私も勝てるかもしれません。
・・・・・ジャンケンだったら。
@@shinpeikitajima7115 ワンチャン引き分け!
口の悪いお笑い芸人も馬場には勝てそうとか言ってましたね
猪木さんもドン引きしてましたが
最近不倫を噂される大嫌いな芸人でした
強いかどうかはさておいて。昔、高田馬場のBIGBOXで馬場の新テーマ王者の魂の即売会&サイン会があった時の事。
本来はレコードwの購入者のみサインをもらえる予定が購入者が5人ほどしかいなかった為、会場にいた全員に握手をしてもらえる事になった。
当時ワシはゴリゴリの新日ファン。馬場なんて猪木の相手にならないと思ってたがいざ目の前にすると身体の大きさ、横幅、手の大きさ厚み、そして動画にもある手首の辺りの巨大な瘤。
それを見た瞬間、新宿育ちでヤンチャ真っ盛りだった高1だったワシは「あの高さからあの手で脳天唐竹割りを喰らったら確実にタヒねる」と馬場に対する認識を改めました。
馬場の本気の最後の試合は、80年代のハンセンとの、PWF選手権でしたね。ウエスタンラリアットに対する必殺技として、ランニングネックブリーカードロップを最高のタイミングで何回も見舞って、何度もフォールしかけましたが、ハンセンは負けなかって、その試合が馬場の本気の最後だったように思いました。ハンセンでなかったら、確実にフォールしてたと思えるような、最強の馬場選手でした👍
本当馬場さんは新潟県民の誇り!
田中角栄、三波春夫と共に「越後の三名人」と言われただけの事はありますね
新潟県民の恥の間違い
タニマチ話を蹴られたS急便会長(新潟産まれ)は「新潟の恥」と言ってたけどな😂😂😂
G.カブキとかキム・ドクとかは「米国での実績をギャラに反映させてくれないから」という理由で馬場と袂を分かったが、全米を渡り歩いた筋金入りのプロであるこの二人ともが、「猪木よりも馬場の方が、レスラーとしてあらゆる意味で上」であると口を揃えている。
ショーマンが自己否定するような事は言わないだろw
@@mmzero7732
人の意見に水を差して喜ぶ。
かわいそうな人だね。
@@akinohotaru 馬場が猪木さんの挑戦を逃げ回ったという事実が全て。ガチの実力は猪木さんの足元にも及ばないということだよ。
@@フジヤマケンゾー
猪木さんファンは三本勝負で一本取った試合がある事実を語りませんね、少しぐらい誇ってもいいのでは?
馬場さんが球を投げると手がキャッチャーの頭に当たって気絶するから大変だったらしい
それはコサキンネタ🤣
本当に格闘技やっていなかったから坂口征二や鶴田よりも強いわけではない。ただ若い頃の馬場はむちゃくちゃ動けたし、凄い身体していたから強かったのは間違いない。でも練習やらなかったのは事実だよ。日本プロレス時代ですら身体や腕が細くなっていた。身体魅せるのもプロだからきちんとトレーニングすべきだった。 8:19
馬場の強さに的を絞って動画を作成しているのであれば、馬場のインサイドワークが抜群だった!ことにも言及して欲しかったです。
試合会場前で開場待ちしてたら後ろからざわめきがして振り向いたら壁が・・・と思ったら馬場さんが真後ろに居てその大きさにションベンチビリそうになるくらいビックリ感動したのはもう45年前だよ(≧▽≦)数年後アンドレが全日本に上がり始めた時に馬場&アンドレをWで見て以来180や190㎝の人を見てもデカいと感じなくなったのよね~
プロ野球に在籍していたんだから、あの頃は走れ走れ走れだったからな。身体能力は誰よりも高いだろう。2軍でも最多勝とったって聞いた事ある。あの頃はコーチなどの派閥でなかなか1軍に上げてもらえなかったらしい。
バント処理ができなかった
UWFを見た時に「あんなもの地方のおばあちゃんが見て喜ぶのかねぇ」みたいなこと言ってたらしいし、大きくてゆっくりな動きはどんなドームでも後ろの席のおばあちゃんでも見えるようにやってたんじゃないかなぁ
そもそもあの体格でプロ野球選手になれる身体能力があった訳だし、全盛期の動きも考えて強いか弱いかで言えば弱いとは考え難い。
今NOAHに上がっているジェイク リーがジャイアント馬場さんのいた頃の全日上がってジャイアント馬場さんの教えを受けていたら恐らく帝王と言われた高山善廣 ぐらいになるんじゃないかと思う実際 高山が飛躍したのはジャイアント馬場さんのプロレスに触れてだからね
ケンカで鳴らした真樹日佐夫先生が、
「若い頃の馬場は、デカくて動けて手に負えない強さだろう」
と言われてましたね。
リップパフォーマンス😂
@@maruhiroya417さん
梶原兄弟は一時期は親しかった猪木さんと揉めたことも、こうした馬場さんヨイショ発言に繋がってるのかもしれません(笑)
とはいえ流石に若い頃の馬場さんは最強だったとかそういうことではなく普通に強そうな気はします
馬場さんの全盛期は、あの巨体パワーにスピードがありましたからね、そりゃ強かった。
晩年は相手の技をマトモに喰らって敗戦、ってパターンが増えましたが、それは逃げないという馬場さんの哲学やったと思いますよ。
100㎏を超えるレスラーがロープに振られて返ってくるのに、片足で受け止めた馬場
若い頃(30代前半くらいまで)は
本当に強そう!
あの巨体であの動きはありえない!
遅過ぎる!
同感です。三十代前半てか、四十歳くらいまでかしら、仰る通り『あの巨体であの動き』は素晴らしいと思います。当時もちらほらテレビで見てましたが、新日本ファンだったのでちらほら、凄さもわからず。後になって過去の映像やら見てから『こんな凄かったんや』と。当時は凄さを解らなかったジジです。
逆に50代であのプロレスが出来るのも凄いと思いますよ。
四天王が凄かったのも30代から40歳位までですから。
ラーメン屋の川田さんや今の田上さんが50歳の時点を比べたら凄いと思う。
@@kanpa7762 様 同感です 前座に退いた以降は中堅あたりを立てて
「(オレのような)大男が速く動いたら気持ち悪いだろ」とおっしゃってジジイのフリしてましたね
ひと場所にひと試合「なまらないように」見せる本気モードの試合は三倍速で動いてましたが
涙でよく見えなかったのが悔やまれます
事実強さは本物だったと思いますよ。あの巨体から繰り出す技は全てが必殺技クラスですし、ドロップキックを放つなんて驚異としか言えません。馬場、猪木の強さを比較するなんて意味がありません。どちらも不世出の偉大なレスラーです。
ジャイアント馬場は大谷翔平が現れる前の日本人で大型のアスリ-トと言われています。プロ野球で3年連続ファーム最優秀投手にも選ばれた凄い選手でした。
もしも馬場さんがプロ野球選手として成功して、メジャー進出しアメリカでも活躍してたら、今頃大谷選手は現地でリトルショーヘイとか呼ばれたかも知れないですね。
ファームだけね
@@明弘-f1d
寝言は寝て言え
>ジャイアント馬場は大谷翔平が現れる前の日本人で大型のアスリ-トと言われています。
誰も言ってねーよ。
自分で作るなよ。
まあぶっちゃけ野球選手としてはあまり評価高くないね。馬場レベルの投手はプロなら普通に居るし、体格がデカイから投手としては不向きだったみたいね。
衰えてからの試合の印象が強いからなー。
当時、25才の馬場氏が「喜劇駅前茶釜」に出演してますが、映画の後半で乱闘シーンありますが、あの巨体で速く動くので😳ですわー。
衰えてもお客さんを楽しませ続けてくれたんだから、やっぱり偉大なレスラーです!
2軍で無双していた投手が
あの長身から振り降ろすチョップ
プロ野球で鍛えた下半身
馬場の全盛期は1963~64年。
肉体の説得力が半端ない。
それ以降はガリガリまっしぐら。