『シン・エヴァンゲリオン』ラストの世界ってつまりどういうことなの?に対するネットの反応集
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ต.ค. 2024
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animanch.com/a...
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#新世紀エヴァンゲリオン
#エヴァンゲリオン
#ロボットアニメ
#エヴァンゲリオン劇場版
ぶっちゃけ終わらせられたのが1番の功績
現実へ帰れエンドじゃなく、まだ見ぬ未来へ進めエンドだろう
過去への執着は捨てるのではなく、大切な思い出としてお別れして未来へ進んでくれと
もっとストレートに言えば
「みんな、長いことエヴァ見てくれてありがとう!オレはその間に結婚もして幸せになれた。世間では小難しいことあれこれ言われてるが、結婚は良いぞ。だからみんなも結婚して幸せになってくれ」
ってメッセージ
アスカはまさにお別れする過去の象徴じゃないか
言うならば昔
「この人、私の運命の人なんじゃないか」
って思ったくらい入れ込んだ子の象徴みたいなもので
でも自分と未来を伴走してくれるパートナーというのは、案外それまで何の縁も運命も無かったところから不意にやって来るもので
それがこれまでシンジと大して繋がりの無かったマリじゃないか
DSSチョーカーだけは改変後の世界にも残ってるけど、それはまさにそれまでの人生で積んできた業の象徴でもあり
だけどそれをマリはポケットにしまい込んでくれた
自分の後ろ暗い業さえ一緒に共有してくれて、されどそれを捨てて忘れるほどドライな関係でもなく、または代わりにマリのほうが首につけ直すような主従関係でもない
ポケットに入れるから、普段は見えないし、敢えて触れたりもしないんだけど、懐の中では辛かった過去まで一緒に持っていてくれる
みんなもそんな人と幸せになってくれ
今更遅い?
いや、シンジの前にだってそれまで縁も何も無かったマリがふと現れた
諦めるには早い
って話
シンジがアスカと結ばれてたら、アラサーくらいの視聴者が
「高校大学の内に出会えなかった自分はもうおしまい」
って絶望するしかないけど、マリと結ばれたのなら、自分はこれから出会えるかもしれないという希望を抱ける
旧劇庵野秀明「そろそろ現実を見ろ!」終劇→ファン「エヴァおもしろかったけど忘れかけてきたな」→庵野秀明「新劇つくります!」→ファン「うおおお」→シン庵野秀明「そろそろ現実を見ろ!エヴァ完結!」→庵野秀明「そろそろエヴァつくりたくなってきたな・・・」
め、メンヘラ監督たん…
@@bigqandlil ガイナの介護しながら仕事しなきゃいけないんだもんメンタルの一つも病むさ
一度はキッパリ辞めて次の創作に向かおうとしたけど、やっぱり自分のライフワークだったと理解したのかもしれんね
@@kintro6087 ファン的には最後のなぞの説教さえなければ無限にエヴァやっててほしいんですけどね🤣
庵野もエヴァの呪縛から解かれられてないの草
大人になってるアスカは好き、
呪縛が解けて成長してる感じ、
エヴァインフィニティから元の姿に戻った人達が世界を復興させたと解釈しています😊
勘違いされがちだが、ラストの駅の世界はゴルオブで孤独になって虚構に溶けそうになったシンジをマリって他人が観測する事で双補正が生まれて新しく出来た世界。
エヴァが居なくなったインパクト後の世界、第3村やヴィレクルー、アスカが居る世界も一緒にそれぞれ別々で進んでるんだよな。
と解釈してる。
そういうことか
じゃあせっかく救った元世界が上書きされて消滅してるってことはないんだな!
なるほどな〜 他人が己を認識しなければ己はいないと同義になってしまうのか
昔シンエヴァをめちゃめちゃ良作って思ってたんだが、最近シンエヴァの評価動画を見てしまって確かに内容的には薄いような…って思いました、でも新劇エヴァやシンエヴァは
思い出補正でそんなわけないじゃんいい作品だよ。っていってる自分もいて、すごい今消化不良というかもやもやっとしてます
自分語りですみません
旧劇の結末を、「他者のいない世界」ではなく、「傷つけあいながらも他者とともに生きていく世界」を選んだ話として理解してたんだけど、新劇のこれは何かっていうと、「なんでもできる力で都合のいい満たされた世界を創りました」としか思えないのよね。シンジ君はただマリに救済されるだけで、他の人を助けたいとか考えた様子が一切感じられなかったし、結局最後まで自分のことだけ、ていう印象。
結局、なんか凄そうな思わせぶりをして見せただけで、特に中身があるわけではない、ふわっとした雰囲気を楽しむ作品てことなんだと思うテレビ版からずっとまじめに考察してた身としては、落胆と徒労感しかないのだけれど。
本編
↓
考察班「あのシーンがどーのこーのでここが伏線で…」
↓
俺ら「はえーそうなんや」
製作陣「はえーそうなんや」
@@Ukudo 吹いた
シン・エヴァをどういう見方をしたらそうなるの…
TV版の頃から公式は「考察してくれ」なんて言ってないだろ。
当時と比べたら熱意が薄れてるからTV版の頃並みに考察できてないだけで。
加齢のせいで興味や集中力に変化が起きて、自分の思い込みだけで安易な想像しかできないだけなのに作品のせいにするのってなんなの。
落とし前つけに行ったはずが全部なかったことにしてマリと別世界に高跳びしましたーって結末はいくらなんでもあんまりすぎるので、あの後は第3村に戻ったと思いたい
世界に弾かれたんだろ。
あの場にいたかったに決まってる。
シンジ君自身が「過去を無かったことにしたくない」的なことは言ってたじゃん。
それでも結果的に世界を作り直した存在なのだからその世界には介在できなかったんでしょ。
見守るしかないし、行く先は違うところしかないけどそれでも自分もみんなも知らない未来につなげたのだからシンジ君は明るい気持ちで一歩踏み出せたんでしょ
個人的にはパラレルワールド派。
駅にいるのは惣流さんと白波さんで
式波さんと黒波さんは第三村に帰ったと解釈してる。
本人も言ってたし旧劇のやつや今回の現実描写でもただただ嫌になったから
オタクのお前らもしつけえからもう粘着すなってだけだろ
公開時に観た時は、シンヱヴァのラストはオーガスと同じ感じかなーと、ふわっと解釈してたな。
マリが嫁さん(モヨコ先生)っていう、破の頃から言われてた解釈は何となく同意してたからラストはあれであり派。
旧劇→新劇の感に結婚したり旧ガイナのゴタゴタがあって大変だったから、そこらのメタファーも多少は入ってる気もするがw
即ち。ゼーレ=旧ガイナ、ヴンダー=カラー、みたいな? で、諸々片したんで俺は次のステージへ行くぜ!! という監督の心境なのかもしれない?
まぁ、他の皆々様があれこれ書いてらっしゃるように、十人十色百家争鳴侃々諤々、如何様にも解釈できるのが名作の証明ということなのでせう。
一つの手法としての「あえて明確な結末をもうけない」かと
TV板から、ある意味「不足したまま完結」させるような手法で、足りない分は、各自が考える
それでファンと作品が一体化する、解釈は人それぞれだったのかと
寧ろ、シンジ・アスカ・ユイ・カヲルがそれぞれの分岐に分かれて、駅のシーンは他人の空似だと思ってる。
「なんだかよくわかんないけれど、ようやくケリがついたし。良かった良かった」
テレビ放送から約30年のエヴァだから見逃された感じだけど、映画として見るなら長い説明ばかりで展開も雑で良くはない
甲板に勢ぞろいの場面は公開時でも笑ってしまった。隣の人は涙ぐんでいたけど
シンジは第3村がある世界の神(のような)存在になった
→つまり、アニメ(二次元)から見て高次元の存在(3次元、アニメ見てる人たちと同じ存在)になった
ということを伝えてるんだと思った。
おっぱいの大きいいい女は、そんな高次元(3次元)の存在であるシンジを観測する存在(観測するには、同次元以上である必要があるので)になったので、二人とも3次元(アニメを見てる人たちの次元)の駅にいる、みたいな?
基本的には「エヴァから卒業しよう」って旧劇と同じメッセージだと思う
スーツシンジ→大人になった当時んpエヴァファン、マリ(旧劇にいなかった新キャラ)→旧劇当時にはいなかったけど大人になる過程で出会った新しい友人
新キャラのマリがチョーカーを外すのは新しく出会った友人の影響で世界が広がった暗喩(劇中ではチョーカーはエヴァに囚われた人を象徴するアイテム)
アスカ達と違うホームにいるのは2次元と3次元の違いの暗喩(シンジ達がいるホームは現実世界と繋がってる)
こんな風に解釈してる
シンジの苦しみはエヴァの世界で皆苦しんでるけど自分は何もしたくないと思ってたこと。それがオヤジとの対立を経て皆成仏をして行った。シンジの不在で苦しみに囚われてた皆が成仏したのでシンジも楽になった。シンジはLCLに溶けていた頃に見た風景でマリと会っていた駅の別の次元(現実)に去ったみたいなのを想定してる。俺の考えではシンジは溶けている間は現実の次元(三次元)で事態を把握していて、アスカに助け出された後は化身の様になって最終まで行動した。シンジが記憶にないのは二次元の存在が高さを把握できないのと同じでシンジがエヴァ世界(二次元)に行くと高さ(三次元の記憶)が消える。シンジは三次元の世界のマリと一緒になるために二次元のシンジの苦しみを解消して三次元に帰還した。
6:10 これがいちばん納得かなあ
シンジ個人の幸せにマリが同行していく事で「シン」が完結してそう。
割とどっちでもいい派。
最後に「ラブホ行こうぜッ!」ってなってるシンジくん観れただけで大満足。
やっと君もエヴァから卒業できたんだね。
今までお疲れ様。
自分はセカンドインパクトから先のエヴァ及びリリスアダム使徒諸々の事象が抹消されて、普通の文明生活が続いてると思ってる だから現実と似たような世界になってるのかと
テレビ版並の唐突展開よな。というか、テレビ版はあれで既定路線だったのかな。
テレビ版はスケジュールが破綻した結果、あの伝説の2話になった
その後"外で起きていたこと"を映像化したのが1997年のAir / まごころを君に
伝説のテレビ最終2話はシンジの内面を描いてて、人類補完計画が発動してる。
解釈か。特に考えなかったけど思い返すと。
人類補完計画が成功して、それまでとは少し違う、あるべき世界が実現したんだろう。ああいったことがすべて集約してあるべき世界になった。すべてのピースをきちんとはめて、そこにあるのは当たり前の、少しすっきりした日常の世界とかね。
庵野さんは一時期というかいつもというか、ファンが嫌いなのではと思ったことがある。ファンを憎んでいるのかなとも。考えすぎなら良いけど。
ファンが嫌いというより、自分も内向的なオタクなのに、同類だからこそ自分ならオタクに警鐘を鳴らせると勘違いして、オタクの深淵を覗き過ぎたんよ……。
そもそも厄介なアニオタ達に関しては、巨匠と呼ばれる様々なアニメ監督が、エヴァがTVで放送された時点で当に見切りをつけていた。
ジブリの宮崎駿が『早々に見限って関わるのを止める』という路線を、ガンダムの富野由悠季が『作品を通してブチ切れまくる』ことを選択したんだけど、庵野は『そんなことない! 諦めちゃだめだよ!』って思ってたっぽいんよね……最初は。
でも、蓋を開けてみたら『綾波やアスカやミサトさんをズリネタにするだけのオタク』とか『エヴァの退廃的な部分だけ浅く取り込んで厨二病の材料にするオタク』なんかがたくさんいて、自分の伝えたいことは碌に見てもくれないし考えてもくれない。
旧エヴァの劇中でシンジが『誰も僕を見てくれない。分かってくれない。分かろうとさえしてくれない』みたいに呟くのって、仲間だと思っていたオタク達に裏切られたと感じた監督の心の叫びそのものよ。
結局、そういうので気が滅入って、何度も鬱になっちゃった……😅
だから、ファンが嫌いってことはないと思うけれど、所謂『オタクを楽しませる作品』は、もう作る気はないのかも……。
シン・シリーズは、あくまで自分の感性に共感してくれる人を楽しませるための作品であって、外野から何かを求められても、それに応える義理はないってくらいには考えてそう。
・脈絡ゼロで故郷の宇部を出したい
・シンジ(=ワシ)をマリ(=モヨコ)とランデブーさせたい
を何よりも先に置いてるからもうメチャクチャ
碇シンジの物語は波打ち際で終わってますよ
ラストのあれは庵野に乗っ取られた謎のハゲリーマンでしかない
ラストの世界はすでにエヴァの物語から脱却していて
最後の駅はエヴァの世界のメタファーでシンジ=観客、マリ=制作サイド
新劇におけるマリってメタ的な役割であり、良くも悪くも制作にとって
都合のいいキャラだった。
観客と制作サイドともに「エヴァは終わり」を表した描写だったんじゃないかな?
現実に突き放した旧エヴァと違い今度は共に現実へと向かっていったシンエヴァは
本当にいい終わり方だったと思う。
エヴァンゲリオンってギリシャ語で福音だっけ?
福音(救済)のないガイナックスへのさようならエンドってあり?w
シンジとマリだけが改変後の世界に行っただけならネオンジェネシスとか強調しなくないか?
見せたい画が先にあってその後からストーリー作ってんだから精密な考察を考えても無駄って25年前くらいから言われてるから
ワッハマンのラストが気に入ってたからパクった派、後自分の友人はみんな仲違いして離散してるからとうじとけんすけに憧れを投影
某氏がマリア=嫁 発言で注意受けてたが、その人の話を抜きにしても、そう見える。
破の予告どうりの続き見たかったけど、もういいや
話題性だけで興行収入は得たけど、大成功とは言えない作品だったね。
EOEのインパクトにはぜんぜん及んでない。
旧劇は1作目やから有耶無耶で良し
新劇は、新たに作って答えを明白にせんのは駄作よ
この結末で良いなら、マヂで誰が脚本やってもokやん
どんな物語も視聴者が全て決めていいんだぞ。
公式から出された答えがないと楽しめないのはもっとたくさんの物語を活字で読んでくれと思う
う~ん、やっぱりシンエヴァのラストは「だ〜れ〜だっ!」で一旦停止し、選択肢が出てきて、1世話焼の幼馴染、2寡黙なクラスメイト、3イケメン転校生、4胸のでかいいいオンナ、5親友のヤンデレ妹、6ステキな担任教師、7マッドな科学教師・・・の中から選択ができなかったんでしょうかねぇ。
あたしゃ、当然1を選択です。
閑話休題
まあ、主人公が行き来した2つの世界がそれぞれ継続するお話は、マブ◯ヴシリーズで先にやってますから、そこの差別化は難しいと思います。
では
実際は意味なんて何も無いのだろう。ただ意味深な事をやってるだけ。庵野はエヴァに対する熱がとうに無くなってるのに、作らなければならなかったから。
まぁその状況を作ったのも庵野本人だから自業自得。
ゆいもゲンドウも死んだままって辛いノオ
終わらせる事に特化しただけの作品だった印象。
面白いかと言ったら正直面白くはなかった。
シナリオの作り直しやらこだわり過ぎで時間が無かったの?と思うくらい、Qから9年も待ったわりに陳腐な戦闘シーンやシナリオ。
日数かけてこだわればいいってもんじゃない。日程やエンタメとしての面白さも作品には必要だって製作者側に言える優秀なプロデューサー、
ジブリの鈴木敏夫みたいな人が居ればよかったんじゃないかな。
Qまでのブルーレイは買ったけどシンエヴァだけは買う気が起きなくて今だに買っていない。
まあ、公開当時「ちゃんと終わらせたことを評価」なんて言われちゃう有様だったしな
内容には特に驚きはなかったというか、オタが言ってたようなループネタで無難なハッピーエンド(しかも再構築で世界事作り直したっぽい)だったから「大した冒険したわけでもなし、この内容でなんでこんなに年数掛かったの?」って感じだったし
劇場四部作で一本目公開から最後のが出るまで14年間経過は流石に駄目過ぎた
ちな当初の予定だと一本目公開した翌年の春に二本目公開して、三本目・四本目は同年夏って感じだったそうな
@@nkoku2385 たしか当時の新聞広告には、急と4本目は一緒にやるような4部作の予定とあったな。震災なのか本当は別に理由があるのか知らんが、かなりの年月が掛ってしまった
拘って時間掛かったのではなく、叩かれて庵野が病んでたり震災の影響で作り直したりが原因やね
長く書いてるけど未だに位は正しく使えるようになろうな
エヴァの世界は地続きでループはしてないけど、旧劇場版の世界は並行世界としては存在してると思う。
ゴルゴダオブジェクトは言わば何でもアリの世界、アニメ制作者の居る現実世界だと思うから、旧アニメからのメタ発言もできるのだ。
実際、槍がエヴァの脚本を破壊するシーンも入れる予定だったらしいからな。
自分も旧劇とシンは地続きではなく平行世界だと思ってる
旧劇だとユイはヒトが生きた証を永遠に残す為にエヴァを作ってるのに、新劇ではエヴァが存在しない世界を作るのに協力してるし
もし旧劇と新が地続きでユイも同一人物ならエヴァが無い世界を作る事に協力するかな?と思うので(別のやり方なら協力はするだろうけど)
またゲンドウも旧劇でシンジに対してすまなかったと思える気持ちを最後に持てたのに、新ではその気持ちがなかった事になってるのもどうかなと思うので
(皆が溶けて一つになる世界を何故選ばなかったてシンジに言ったのは、ネブカドネザルの鍵を使いその力を得たゲンドウが、旧劇=平行世界の出来事を見たからかなと
見たと言っても言わば、TVや映画といった映像を見てる感じで旧劇のゲンドウの心まで見る事が出来ないので、ゲンドウのすまなかったと言った気持ちが分からなかった)
全てはシンジの夢の物語
ANIMA読んでりゃあの世界みたいにシンエヴァの世界だけループからはじき出されてエヴァも消されて、後は全部再構築で簡単に結論出るでしょ。後付け感はあるけどマリが新劇でいきなり現れて色々裏に関わってたのは、アルマロス吞み込んで補完計画の雇われ管理人の立場に納まったって説明があるし
夢オチでしょ
Sayonaraお疲れ様(。・_・。)ノ
何も考えるな、感じろ
1から10まで説明する作品じゃないって最初から分かってるんだから好きなように解釈すれば良い。私は漫画版もシンも面白かったし作品を終わらせた事自体を評価する。
シンや漫画版の終わり方が許せない納得いかないって人は多分どんな終わり方しても納得しない「終わって欲しくない派」だと思ってる。好き嫌いは別にして。