「腰越状」 / 筑前琵琶 川村旭芳

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  • เผยแพร่เมื่อ 9 พ.ย. 2024
  • 「腰越状」 原文訳抜粋 / 川村旭芳 節付
    ―鎌倉入りを許されない義経が悲痛な心情を綴った兄頼朝への手紙―
    【解説】
    源義経は数々の奇襲で平家軍を打ち破り、戦勝の立役者となりますが、
    任官問題をはじめとした独断の振る舞いや
    家臣の讒言などによって、兄 頼朝の怒りを買うこととなり、
    意気揚々と凱旋するも鎌倉入りを許されず、
    目と鼻の先の腰越に留まらざるを得ませんでした。
    その悲痛な心情を綴った手紙が、有名な腰越状です。
    義経が書いた原文ではないとも言われていますが、
    肉親の情に訴える様など、当時の義経の切々たる思いを
    よく表したものとして評価は高いようです。
    2016年、原文訳を抜粋し(原文は漢文)琵琶曲として創作しました。
    2016年9月 時遊人で聴く琵琶のしらべ「英雄 義経の生涯を語る!巻の二」にて初演
    2019年12月 腰越・満福寺にて奉納演奏
    【琵琶曲詞章】
     左衛門少尉源義経 畏れながら申し上げ候
     此度 兄君の御代官の一人に撰ばれ 勅旨をもって朝敵を退け
    代々の弓馬の芸を世に知らさしめ 亡き父君の汚名を晴らし奉れり
     よって恩賞をこそ賜るべきところ 思ひも寄らぬ股肱の讒言により
    多くの勲功の有様を御前にて語ることも許されず
    この義経 無実のまゝにて咎を受けることゝなりぬ
     我 武功はありても過ちを犯しゝことあらざれば
    兄君の御勘気を蒙るに及び 涙に血が滲む思ひにて過ごし居り候
     讒者の実否をも糺されず 我 鎌倉に入ることさへ叶はざれば
    永く兄君の恩顔を拝し奉らず 兄弟(はらから)の契り既に空しくなりし
    悲しきかな 我が宿運の極まるところか はたまた前世の報ひと言ふべきか
     義経 この五体を父母に受けて幾時節を経ず
    父君は御他界 みなし児となりて 母の懐中に抱かれし頃より
    一日片時も安堵の思ひに住せず 諸国を流浪し 身を在々所々に隠し
    辺土遠国を栖(すみか)となして かく生き延び参りたり
     しかれども思ひも掛けず 好機たちまちに熟し 平家一門追討の命を受け
    ある時は険しき岩山を駿馬と共に 己が命をも顧みずに駆け巡り
    またある時は 大海を吹く嵐をも味方と思ひ
    我が身が鯨の餌食になることさへも 臆することなく船を進めたり
     かくの如く 甲冑を枕として眠り 弓矢をもって戦ひしことの本意は
    たゞ偏に 亡き父君の御霊の怒りを 鎮め奉らむとせむ
    長年の悲願のみにて 他に如何なる望みもなし
     ましてこの義経が 五位の尉に任ぜられ これを受任いたせしは
    偏に当家の面目を思ひてのことにて 他に弁明の言葉もなし
     しかりといへども今この義経 愁ひは深く嘆きは切なり
    何とぞ我が胸中をご賢察くださらむことを欲す
     左衛門少尉義経 畏れながら謹んで申し上げ候
     元暦二年五月二十四日
    演奏:筑前琵琶奏者 川村旭芳 kyokuho-biwaga...
    撮影・編集:七ッ谷正文(NANU ARTS) www.nanu-arts.com/
    撮影場所:エル・おおさか(大阪市) 2021年
    題字揮毫:野田岳豊 gakuho.sakurawe...
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