made in Japan と聞けば、信頼・品質・安心・安全と誰もが思うはずです。 長年、製造業に従事した経験から ものづくりに「清掃」や「道」ということが大事にされています。製造の現場では毎日3S(整理・整頓・清掃)を徹底しています。食品を作る工場やお店ではなおさらでしょう。 生産するのは機械ですが、その機械を綺麗に保つこと、こまめにメンテナンスすることが品質や安全に直結しているのです。機械を扱う人間の意識が大切です。 義務教育における清掃活動がものづくりの人材育成に大きく寄与していると思います。
元小学校の教員です。1年生を担任すると、まず掃除の仕方を一から丁寧に教えます。それこそホウキの持ち方、雑巾の絞り方からです。1年生だと雑巾を絞るのも始めはなかなかできなくてビチョビチョのまま拭いたりします。教室掃除もまず机を運んで、ホウキとぞうきんがけをしてまた机を戻してなど手順がたくさんあるので、それを教えるのも大変です。全員が上手にできるようになるのに3ヶ月くらいはかかるかんじです。
掃除ひとつとっても覚える技術はたくさんあって、ほんと毎日の積み重ねだと感じます。最初は雑巾もちゃんと絞れなかった子が上手に雑巾をしぼって拭いてたりすると、こちらも嬉しくなります。
お2人がおっしゃっているように、たしかに教員の負担は大きいですが、私は掃除を教えるのが好きです。低学年の子は特に掃除が好きで、みんな生き生きと掃除します。学校は勉強だけでなくその国の文化を教える場だと思うので、掃除も日本の文化だと思って教えていました。
地方だと、掃除の時間が縦割り活動になっていて、1〜6年生が混ざって一緒に掃除をするようになっています。そうすると6年生が1年生に教えながら一緒に掃除をします。とても良い場だと思います。
日本の教育は実は細かいところまでいろいろ考えられていて、小学校の教育がその国の文化を形作ってるんだなと感じます。
アニカさんの言うこと、良く分かります。
学校で自分達で掃除をしてた経験があるから掃除の大変さがわかるし、職場や家でお掃除をしてくれてる人に感謝の気持ちを持ちます。
まずもって自分が出したゴミ、汚したものは自分で始末するのは当たり前なので、誰かにしてもらったらありがとう、なんですよね。
決して上から目線にはなりませんよね。
それから日本で教師をしていた自分の経験から言うと、掃除の時に子供たちが学習の時と全く違う態度を見せることがあります。
私が覚えている久保田くんという子は成績が降りませんでしたら掃除の時は黙々と自分の役目を果たしきちっとやっていて本当に感心させられました。
授業の場面でしか彼を知らなかったら彼の良いところを見ることができなかったと思う。
こういうこともとても大切なことだと思います
アメリカの帰国子女です。もう40年以上前ですが・・
私はアメリカの公立学校に通ったのですが、当然のように清掃員の方が居てびっくりしました。それらの経験から個人的に日本文化をかなり調べましたが、日本の掃除文化の原点は「墾田延年私財法」と「神道」だと考えています。
基本的にどこの国でも封建時代の土地所有は「封建領主または貴族」で平民以下に土地所有権はない(あっても限定的)でしたが、日本だけは墾田永年私財法ができたことでずっと私有財産でした。そしてこの法律が重要なのは「墾田への労働投下が自分の利益になる」という点です。(武士が興ったのは、自分達の労働を貴族に搾取されないように武力で田畑を守ったからです)
欧米に限らずユーラシア大陸の文化には奴隷制が根強いています。ユーラシアの歴史で奴隷制がない国はほぼなく、スウェーデンなどの北欧でも奴隷制度はありました。
奴隷制度の特長の一つは「自分の労働が全く自分の利益にならない」という点です。
ということで「奴隷制度=労働搾取制度があったほとんどの国では《利益(対価)がない労働は搾取》というのが常識になった」のではないかと推測するわけです。
だから欧米などの人権先進国は「労働搾取は社会悪であり、ブラック労働は奴隷と同じで搾取だ」という認識が一般的で、それが「契約時間が終われば仕事は終わり」という常識の元だと思います。
また「労働を与えてやっている」という考えも「対価を得られる労働を作るのが上位階級の義務」という階級制度的な認識がまだまだ強いからでしょう。
逆に日本では「労働は美徳」です。これは間違いないです。
そして「自分の利益になる労働は積極的にせよ」という価値観があります。日本の学校で子供たちが「外国では清掃員が掃除するのになぜ日本では自分達でするのか?」と質問しても、教師や親は《自分達が使うモノを自分達で綺麗にするのは当然、きれいになった教室で勉強するのは気持ちいいでしょ》と子供たちに精神的な利益があるような説明をするわけです。
この時点で日本人のいう「労働」には《対価》という概念が抜け落ちているわけです。
逆に欧米などで子供達に掃除をさせようとすると「搾取だ!」と抗議する親が必ず出ます。動画の中でもスウェーデンで子供たちに掃除の一端を担わせるのは「労働力として換算すると〇〇分費用が減る」という金銭的な対価の論理でしか説明されないわけです。
でも日本で「子供に掃除させたから、清掃員の費用が浮いてますよね」と指摘しても、みんな「それは問題ではない、ズレている、教育効果を考えろ!」と反論するでしょう。
なので日本人は無償の労働を含めて「労働の美徳」を精神的な価値である教えるため、それが結局、対価なきブラック労働につながっていると私は考えています。
これが精神的な価値となるのには神道の「清め」という教義が関係していると思います。
そもそも日本の神社とされる場所は古代では《何もない空間》で「ただ単に掃き清められただけの場所》でした。現代でこれを見れるのは地鎮祭で、竹の柱を四隅に立て、真ん中にお供えモノを置くとはいえ「なにもない場所を仕切って清める」のは古来からの神道の教義に則っているといえます。
外国から日本を見てみると分かりますが、日本は決して無宗教ではありません。神社にお参りに行けばみんな「清め」を行なって参拝します。また正月前に大掃除するのも「元旦に神(元旦の太陽)をお迎えするための清め」です。柔道や茶道なども「場の清め」が必ずあり、それが結局サッカー会場を綺麗にして帰る、という日本人的な行動につながるわけで、これは日本人が「精神的な価値を大切にしている」からでしょう。もちろん欧米人もイスラム教徒も「それぞれの教義の精神的価値を大切にする」ものですが、一神教徒が神に感謝するように、日本人は《場に感謝》を表すわけです。
この日本人の行動様式からいえば、日本の学校で子供たちが掃除するのは「自分達が使う場への感謝=場の清め」でもあるわけです。
「労働の美徳」と「場の清め」この二つの目的を、日本人が無意識に学校教育に取り入れたので、世界的にみて特殊な事例になっているのでしょう。
韓国と台湾は日本統治時代があったので、その流れを汲んでいると理解するのが良いと思います。
8:20 当たり前すぎて~に笑ってしまいました😂やはり高校も含めた12年間毎日掃除をするのとしないのとではそこで育つ能力や意識に明確な差がうまれると思います。もちろん掃除以外にも学べる機会はありますが、仕事の分担や時間内に終わらせること、道具を大切に使い管理すること、それに繋がる色々な能力を身に付けられる貴重なチャンスだと思います。
結局お互いの思いやりなんですよね…。
掃除に限らず、経験してみることはその立場の方の事を理解するのにとても役に立つ。百聞は一見にしかず。合理性だけでは社会は上手く回らない。子供のうちからいろいろ経験して、いろいろな立場の考えを知る機会が自然とたくさんあるのはとても素晴らしいと思います👏
🇸🇪在住です。ショッピングモールで、前を歩いていたティーンの女の子がお菓子のゴミをポイっと投げていたのを見て衝撃を受けました。こんなにたくさんゴミ箱があるのに、、、だから道もゴミが落ちてるんだなと腑に落ちました。ここはスウェーデンの嫌いなところの1つです😂
掃除文化は神道の「穢れを祓う」が元になっているのかな?と思ってました!
どんな由来にしても素晴らしい日本の文化ですね😊
アニカさんのお気持ち、わかる気がします。。感謝が伴っているか、大切ですよね。
昔ヘルシンキの初めて行った時、道路にポイ捨ての吸い殻が大量に落ちていて、なのに翌朝キレイに無くなっていたことに驚きました。どうせ掃除されるから、と当たり前に捨ててほしくはないですね。
子供は日本の私立小に通いましたが、お掃除の職員さんを「お掃除の先生」と言っていました。
清掃員がいるにしても、生徒の「汚さない心がけ」は必要ではないかなと思いました。
大勢の生徒が利用する場所ならみんな心がけてたって汚れるわけだし。
自分は教員でしたけど、掃除は生徒と会話したり生徒の素の行動が見られたりする貴重な時間でした。
残業が増えて困るのはお役所からの余計な書類仕事とか、
休日の部活動遠征とか大会運営とかモンペの対応とか。
掃除は給食やホームルームと同じで授業の一貫っていう感覚かもしれません。
今回も興味深い定義をありがとうございます😊
奥義(おうぎ)😊です
オランダのインターナショナルスクールに通っていましたが、高学年になると定期的に掃除当番が回ってきました。一クラスから数人ずづ交代で、毎日ではなく、月に一回程度、昼休みの後10分間だけ、ホールや講堂など皆が使うスペースを箒掛けしていました。指導や見張りは、先生ではなく用務員のおじさん担当でした。これはコスト削減ではなく、完全に教育目的だったように思います。
掃除をすることでモノの道理がわかっていくという
日本古来の考え方って素晴らしい。 海外の人が
急増し日本のトイレがあまりに汚なく使われ、
コンビニ店でトイレの使用を不可としますという
張り紙みたことがあります。
日本のトイレのきれいさを守る意味でも
この心構え 海外に輸出していってほしい。
50代半ばの日本人ですが、既に私が中学、高校の頃、部活が忙しいから…などの理由で掃除を全くしない子は結構いました。
ですので欧米で学校の掃除が義務化しても、やらない子の方が多くて、真面目な子にシワ寄せがいきそうな気がします。
イギリスに住んでる方のブログを読むと、その方のご主人は学校の先生なのですが、同僚(男女関係無く)が飲みさしのコーヒーをそのまま放置しているとのこと。
学校の清掃に入っている業者の方は、床はゴミ箱を片付けるまでが仕事なので、飲みさしのコップまで洗ってやる義理はないということで、悪臭を放ったままだがやった本人(教師)も片付けずに、ただ飲みさしコップが増えていくそうです。
アニメの「一休さん」で一休さんは年がら年中掃除してますが、その一休さんは実は先代の帝のお子様で、超名門の生まれでも清掃をして居るのが日本人のクオリティ。
学生時代のお掃除がとても懐かしい。掃除場所の分担表ありましたね。私はトイレ掃除が好きでした😅流し掃除、ゴミ捨て、雑巾掛け、音楽室の掃除とかかなりありましたね。時には全校で校庭の草取りとかも。喧嘩もあったけど、協力することの大切さ、清潔を保つことなど沢山のことを教えてもらってたんですね。先生ありがとうと思います。
先日お亡くなりになった服部先生。食育の大切さを大事にされてました。日本の掃除も大事な文化。両方とも普段あまり気にしないが本当に人間、民度を創る上で大切だし外人と日本人の決定的な差。故に意識して皆が大切にして欲しいものです。
掃除の時間、無駄って話もあるけど、私のような発達障害者かつ、あまり掃除をする習慣がない家の子にとっては、非常に助かりました。
最低限「パブリックスペースだけは、キレイに使う・キレイにして返す」が身についたからです。
ドキュメンタリー映画で「小学校~それは小さな社会~」が公開されたそうです。監督は英国と日本のハーフ山崎エマ氏です。現在の小学校と日本の教育を知る映画だと思います。私も早く観たいと思います。
現在スウェーデンで寮生活をしていますが、お二人がお話しされていた場面(自分が使った食器をシンクに放置など)は本当に多いですね。授業の後も、自分が出した消しゴムのかすを放置どころか息を吹きかけて(片付けのつもりなのか)床に落としている学生もいたりして、かなり衝撃を受けました。私には考えられなくて最初は嫌な印象を持ってしまいましたが、掃除の教育を受けていない彼らにしたら特になんてことないんですよね。「育った環境が違う」ことを認識することで、相手への嫌悪感や誤解を持ってしまわないよう日々学ばせてもらってます 😅
これはもう文化・風習ってことなので、どっちがどうとも言えないですが、自分の使った物、使う物は自分たちで綺麗にするという文化はこれからもずっと続けて欲しいですね。
トイレ掃除とか正直嫌でしたけど、やっぱり「自分で使ってるものだから」と仕方なく思いながらもやってましたし。
今でも出先でトイレでペーパーが散乱していたり、汚れていたりするとやっぱり片付けてしまいます。
以前勤めていた会社でアジア地域の人が集まって会議を年1回とかやっていたのですが、韓国の人が毎回「日本は本当に道路が綺麗だね」って言ってました。
確かに後日韓国旅行した時に道にビラとかたくさん落ちていて、綺麗というほどではなかったですね。
その時は、日本の道っていうほど綺麗かな?と思っていたのですが、TVで中国のドキュメンタリーを見た時、出勤風景が流れたのですが、みんな歩いて出勤する人たちが容器に入った食べ物を朝食として食べているのですが、食べ終わったら、容器や箸とかを歩いているその場にというか足元にポイッと捨てていくんです。
なので、通勤の人々が通った道路はすごい数のごみだらけで、それを清掃車が後からやってきて、ガーーーーッと集めて掃除をするという風になってました。
まさに「掃除をする人のために捨ててやってる」ってことです。
だから、日本に来た中国人観光客は平気でゴミを捨てまくっていくんだなと納得しました。
中華系の飛行機に乗った際にトイレに入った時息が止まるかと思ったことを思い出します。
離陸後数時間しか経っていないのにそこら中水浸しでぐちゃぐちゃで、後から使う人のことなどまったく考えてないんですよね。
綺麗に拭いて掃除して出ました。それ1回きりで凝りて、二度と中華系の飛行機には乗っていません。
見てくれは同じ漢民族 中身は全く違うエイリアン、お互いから見れば
理解も譲歩も無理 近づかない近づけさせないが理想
「道」から来る"モノを大切にする精神"について、イチロー選手がグローブを毎日自分で手入れする、というお話を思い出しました。自分が毎日使うものを大切にすることはとても大事なことで、それをはぐくむ学校での掃除は貴重な機会と思います。その一方で、以前は職場でも自分たちで居室を掃除する時間があり、これが残業時間の増加につながっていると思うと、職場では掃除の方を雇うべきかなと思っていました。掃除と同じく、大学研究室での実験機器の片づけ等も日本の大学では自分たちでやってたのに、北欧では専門の人がいて学生・研究者は何もしていなかったので驚きましたが、ある意味研究に没頭できて効率的と思いました。最後まとめてくださっていたように、掃除を他の人にやってもらうにしても、やってもらって当たり前ではなくて、感謝の気持ちをもってお願いすることが大事かなと思います。(何事もそうですが)
来てくれる清掃員の方が学童たちに掃除の仕方、やり方、指導をすればいいんじゃないかなと思いました。
高校時代、定期テストの後にみんなでジャージに着替えて大掃除をする習慣がある学校に行ってましたが、卒業して20年以上経った今でも友達とあそこまでして掃除するって気合いが違ったなあって話になります笑
逆に高校時代に留学していたニュージーランドの高校では、清掃の人が居たので、みんなゴミ置きっぱなしだし、ポイ捨てするしで、うわ…無理…ってなったの覚えてます😂
自分で掃除することの大変さを理解するから汚くしないように頑張るのかなあと思います。
個人宅で外部に掃除を頼む場合セキュリティはどうなっていますか。日本でも介護や家事でヘルパーさんを頼むことが多くなっていますが、盗難に遭うとかの事件が起きています。東南アジアでは家事を住み込みで雇うことが多いので部屋だけでなく家具・冷蔵庫等にも鍵が掛かるようになっており、外出するとき鍵も持って行くのでジャラジャラして大変と聞いています。
掃除は「他人に迷惑をかけない。」の一部ではないかな?汚くすると他人を不快にするでしょう。「使う前より綺麗に。公園やトイレ!」日本人の心です。
made in Japan と聞けば、信頼・品質・安心・安全と誰もが思うはずです。
長年、製造業に従事した経験から ものづくりに「清掃」や「道」ということが大事にされています。製造の現場では毎日3S(整理・整頓・清掃)を徹底しています。食品を作る工場やお店ではなおさらでしょう。
生産するのは機械ですが、その機械を綺麗に保つこと、こまめにメンテナンスすることが品質や安全に直結しているのです。機械を扱う人間の意識が大切です。
義務教育における清掃活動がものづくりの人材育成に大きく寄与していると思います。
正直、子供の頃は学校の掃除が嫌で仕方がなかったです。真面目にやらない同級生とかにイライラすることも多かったし。
但し、何十年もその掃除をやってきたからこそ、今日の綺麗な日本が出来上がったのかもしれませんね。
小さな子供がどんどん成長して中年や老人になる頃に成果が見える徳育というものだろうな、と思います。
異文化について大いに議論することは、母国の文化を色々な視点で確認する機会になるから健全じゃないのかな。文化が優れているのはこの国という結論に至らないよう注意はすべき。
🇪🇺在住です。消しゴムのカスや黒板をそのままにする、くらいは清掃員さん任せでいいと思いますが、飲み終わった缶や瓶をゴミ箱にも運ばず放置したり、食べ終わったお皿を配膳コーナーに運ぼうとしないと"そういう人なんだな"とこちらでも白い目で見られること、あります。義務ではなくてもマナーですね。
韓国の金浦空港でのトランジットの時、日本の大学生達がビールを飲んで酔っ払っていて空き缶でタワーを作り、そのままにして居なくなった。
日本人の特徴は自分の生活圏の中は行儀よくしたり、綺麗にするが、生活圏を離れると顰蹙を買う行為を平気でする。
それと人の目を異常に気にする為に、知り合いと遭遇する可能性が高い所では顰蹙を買う行為をしない。
昔から日本では旅の恥はかき捨てと言うが、日本人の性格を上手く言い表している。
@@hongkongpunkrocker2591
自国で養ったマナー・価値観は外国へ行ったからと言って簡単に無くならない。
だからこそ、かつて日本人が行った旅行先や、かつて住んだ土地で「いい日本人イメージ」が付いてることが少なくない。
外国の滞在先のホテルをマナーよく使ったり、それこそゴミを散らかしたりしない、とか「日本の当たり前」を外国で実行した結果、良いイメージに繋がってる。それは、次に訪れた日本人にも良い影響がある。「以前来た日本人が良い人だったんだ」と言ってくれて、優しくしてくれる。
もちろん、外国に行った途端クソみたいなことする日本人も存在はするが、多数派とは思わない。
@@eagbea申し訳ないですが、あなたの文章構成にイライラしました。最後のパラグラフを最初に書くべきです。読み始めた時、不埒な大学生たちを弁護しようとしているのかと思いましたよ。
@@hongkongpunkrocker2591
日本人の民度も中国人を馬鹿にできないほど落ちてしまったか…
生徒が掃除をする意義、目的の中にコストは入ってないと思います。むしろコストを掛けても掃除をさせることは重要です。自分の居場所は自分で掃除しなければならないとなると、誰もが自然と汚したりごみを捨てなくなります。その積み重ねが日本が世界一の綺麗さを保っているのだと思います。
立つ鳥跡を濁さず って言葉が、ありましたよね。。。最近あまり聞かれませんが。
清掃婦の方に仕事を与えてやってるんだという考えは少なくともありえないと思う。
あくまでも感謝が大事だと思うから、少なくとも学生の時は感謝の気持を学ぶためにも定期的に清掃はするべきだと思います。
掃除は生徒だけで先生はいなかった。トイレをキレイに掃除してたら美形の赤ちゃんが生まれると言われた。掃除をする事でしてくれる人に感謝する事ができ日本人でホテルを汚す人が少ないという事に繋がっていると思います
約40年前デンマークの体操のhøjskoleに留学していました。
全寮制の学校だったのですが、うちの学校は朝のお掃除当番がありました。掃除以外の雑用もあったのかも?
ちょうど掃除当番の2週間私は骨折していて肘までギプスをはめていたのですが、「雑巾渡されて拭き掃除かな?」って思っていたら、職員さんに「あなたは水さわれないから、掃除機ね!」って
あの、でかいニールフィスク(掃除機)を渡されてえーってなったので覚えています。
ちなみに、共用スペースや教室が汚れていた記憶はないですね。
北欧で学生が掃除するのは珍しいことなのですね!
あと、掃除をする大変を理解でき、掃除する人へのリスペクトが産まれたのが凄く良かった。自分でやれば、汚して返そうなんて、思わない。
作業するとき、掃除が楽になるように、工夫するようにもなるよね。
アメリカにいた頃、部屋や教室が散らかっている時に、自然と片付けたくなってしまう自分がいて、結構損な役回りだなと思いました。周りは「散らかってる」って感覚すら無いのに🥲
けど、そういう意識の人間が集まってる日本は、会社の会議室ひとつとっても圧倒的に綺麗ですよね。
「教師の重労働に繋がる余計な作業を増やす事はNG」みたいな原理原則は正しいけど、
「学校は勉強だけを教える場で、教師の仕事は勉強を教えることだけ」は、
少なくとも日本では間違いだわ。ちゃんと社会で生きていける能力を仕込む、集団生活を送れるようにする、のも学校と教師の仕事だと思う、日本では。
そんな「日本では」ー日本だけはこうだ、などという現実はない。ただ妄想の中だけにある。
そもそも社会生活で生きていける能力を教えるのが授業であり、教師の仕事はそれ以上ではない。
それ以外の長時間労働、ブラックな仕事は日本の教師はやる必要もないし、学校は勉強を教えるところの原則を広げると地獄の職場になる。
まずコストカットから話が始まってるから負担増がより全面に出ちゃうんだと思いますね。
昔の話しですが年に1〜2回床にワックスをかける時があって、その時だけは先生が居たような気がします。掃除の時間は先生によりますが時々歩いて周ってる先生も居ました。
オーストラリア在住の者です。こちらにも世界中からさまざまな文化背景を持った人たちが集まっていますが、教育に関する考え方もさまざまなようです(私には子供がいないので人から聞いたりした話ですが)。しかし日本のように「AをすることによってBが身につく」(掃除をすることによって心が磨かれる、など)という考え方は他の文化ではあまりないように思います。世界の多くの人にとって、掃除をして身につくのは掃除のやり方でしかないようです。
なるほど。すごく分かりやすい説明ですね、ありがとうございます!
他の国はある意味合理的?なのかなぁ。短期的にみているのでしょうか。
日本だと例えば、同じ場所を掃除していると、そこに愛着が湧いたり大切にしたりする子も出てくる、そういう気持ちを大事にしてほしいって教育なんでしょうね。しらんけど笑
いつも日本語忘れた的なこと言ってるのに懈怠の心読めるんすね笑
人生で初めて出会ったわこの言葉笑
こんにちは😃昔、アニメの一休さんで、いつもほうきで掃き掃除、お堂の雑巾がけのシーンありましたよね。フィギュアの羽生結弦選手がインタビュー席の椅子を定位置に戻しながら、「日本人としてきちんとしてないと恥ずかしい」と言っていた映像を見たことがありますが、彼も海外の人との生活の中で思うところがあったのでしょう。しかし不思議なのは、日本人て、家汚い人、多いですよね…物質的豊かさからくるものや、モノを大切にする、勿体無いの精神等が一因なのでしょうが…西欧人の家とかってさ、なんかいつも綺麗なイメージです。外国人は外では平気でゴミ捨てたりするけど自分とこは綺麗で、日本人は外では綺麗にするけど自分ちは…って感じじゃないですか
タバコのポイ捨てを正当化しておいて環境先進国とはよく言えるなと思うけど、それとこれとは違うとかいうのかね
海外だと清掃員って階級低い人がやる労働っていう意識が根底にあるんだろうな…って思う
だから単純に「いい事だからやろう」って言われても受け入れ難いのかも
タバコのポイ捨てが清掃の人の仕事になるからって言えるってすごい😅
日本人的な感覚ではありえない気がしますが、悪気なく自然にそう思ってるのはそういう
文化圏なのか、そういう価値基準で育った、ってことなんでしょうからそれ自体が悪い
とも言い切れないかと。
それが普通な文化圏でも、その掃除をする人に対してのリスペクトがあるかどうかが
大事なことかなー。(ポイ捨ての時点でリスペクトない気がして困惑しますが💦)
生活の中に潜む小さな文化的な側面で、すごく興味深いです。
でも掃除の人の仕事云々以前に、たとえ自分の家の外でも自分が存在する生活圏は、
自分の住む場所でもあるわけで、家の中でタバコポイ捨てするのと同じようなもんかなと。
自分の生活空間を気持ちよい空間にしたいって思うなら自分で綺麗にする
のって基本中の基本ですし。
ドイツに住んでますけど、掃除その他の単純作業労働ゴミ収集それらは外国人がやってますね。例えばドイツ人が自分の子供たちが将来そういう職業に就くとしたらもう絶望的なほど落胆すると思うし、Daichiそんなことを誰も考えてないんじゃないかしら。。やはりこう言ってはなんですが掃除等は下層階級の仕事と言うイメージが中流のドイツ人にはあるし、生活に困っているドイツ人の家庭ではやむを得ずそういう仕事をする、もしくは友達で頼まれたからするというのはあると思いますけど、誰も好んでやりたいと言う仕事ではないしそれをしてるから尊敬されると言うようなものでももちろんない。
だから掃除と言う作業そのものが低く見られていて子供たちは小さい時からそういったものを感じながら生活しているわけでこれは職業に貴賎は無しと言う日本の崇高な考えには全く遠く及びもつかないことです。
文化が違うと言えばそれまでですが。
でも個人で自分の家をきれいにするのはみんな好んでやりますよそして汚い家はやはりよく思われません
今時はどうかはわかりませんが、自分が子供の頃は、掃除の時間に先生は教職員室にいて見てはいませんでしたよ。今は違うのかな?
子供は子供同士でさぼってる子の注意はするので牽制はきいているし、(小学校1年生とかは、6年生の当番が面倒を見に来てた)
家で普通に掃除の仕方なんて習ってた時代だからですかね🙄
アニカさんの思考は素晴らしいです
身を清める というのは神道から来ていると思います
周りを汚くすると病原菌がはびこる というのは昔からの経験で理解していたと思います 社会が成熟していないと それどころではないということもあるでしょうが
教育は大事ですね 今回 コロナが流行しましたが このコロナも環境を不潔にしていたから発生したのです
生活圏を清潔に保つ これが病気の発生を少なくするのにつながるのです
多分小学校の歴史として最初は単に掃除の人を雇うと言う発想が無かっただけなのではないかと思いますが、確かに現代で掃除の当番表を作ったり掃除を見届けるチリツモは先生には負担ですね。
2019年の日本であったラグビーワールドカップでは入場者にちゃんとゴミ袋が配られてましたね。で、飲んだ後の空き缶、食べ物のケースなどのゴミはそこに入れて、試合が終わって出る時に通路のゴミ箱に入れたなぁ。
イングランドやニュージーランドのワールドカップではゴミ袋なんて配ってなかった気がするが…。
江戸時代の庶民向け教育機関が「寺」小屋だった事も影響しているかも。
永平寺などの雲水=修行僧の生活の様子を紹介した動画を見て貰えば分かるかもだけど、日々の生活の作業全てが修行の一環として、雲水によって行われています。
〝茶道や剣道、武士道の心〟〝仏教〟〝やおよろずの神様〟が起源とは初めて知りました✨掃除が嫌い過ぎて「これは、きっと誰かの陰謀」「詰め込み教育の一環」て勝手に妄想してました😅💦
学校の時、子供の掃除とは別に放課後に用務員さんが掃除し直しているのを見掛けました。柔道でも、日本人選手は試合後必ず道着を洗うのに、外国人選手はそのまま干すだけ。だから、臭いが凄い(涙)、とパリ五輪メダリストが言ってました。
神道の中には特別にトイレの神様がおられると聞いたことはありませんが、仏教ではそれに該当する明王がおられます。
名前は、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)。
なぜこの明王様がトイレに鎮座するようになったかは調べてみてください。
お寺の中には、トイレのことを「烏枢沙摩明王殿」と称するところがあります。
私が知っているのは、京都の鞍馬寺ですが。
10年くらい前、フランスの飲み屋の外でタバコ吸っていた時、携帯灰皿使ってたらオッサンに怒られたな。大袈裟なゼスチャーでタバコを靴で踏みつけて『こうするんだよ』ってフランス語で言ってたよ。うーん、ちょっと出来ないな。
2:55 「いや、持って帰れよっ」のツッコミがウケました(笑)あと「やおよろず」って読めないですよねw でもちゃんと知ってるのが凄いです!
近所の道や電車の中でゴミが落ちていたら、何となく残念な気持ちになる日本人って現代でも多いと思います。この「なんとなく」が大事で、これこそ学生時代の掃除の経験で培った大切な感覚なんではないかと思います。神道の心が根付くきっかけにもなっていると言うか。そう言えば大谷選手もグランドのゴミをサクっと拾ってましたよね。(笑)
日本の教員たちは大変だけど、もし清掃員さんが全て掃除してしまったら、日本の魅力的なDNAが一気に半減しそうなので、「お掃除の時間」是非うまく継続していってほしいところですσ(^_^;)
大袈裟かもしれませんが、日本の神道が引き継がれていけば、いつかゴミだらけの地球を救うことができるような気がするんです(^-^)命があって有難いから綺麗にして祀って感謝を表すって言うんでしょうか。どこの国にいても地球に住んでいる以上、自然や物に対して謙虚でいないといけないのは共通してると思います。だから私はスウェーデンの生徒さんたちが掃除をすることは賛成です。思っているより多くの事を学べると思います(^^)既に働かれている清掃員さんとのバランスも考えた上でですけど。(・_・;
わたしは現在🇺🇸に住んでいる主婦ですが、オーバーコンサンプションでゴミだらけの国で暮らしていると、日本のポイ捨てなんて大した事ないな、と間違った感覚になってしまいます。。。非常に話が長く広がってしまいましたσ(^_^;)これからもお二人のこと応援しております( ^ω^ )あと、アニカのハット可愛くて似合ってます!!笑
掃除をサボって遊んでると女子に呼び出されてお説教されました。もう小学生から女子は「おかぁちゃん」でした。
大事な仕事なんだけど、お金になりにくいから外注する。それで移民が必要になるんで、移民が先にあるんじゃないでしょ。低賃金で雇われる移民には愛国心など期待しようもないわけで、そのことが大きな問題になってんだよね。
昔のヨーロッパでは、学問をすることができる子どもたちはエエトコのボンボンだけやったから、掃除は使用人の仕事やったから、やないんかな???
日本では江戸時代の寺子屋から学問が始まってるから、中流の子どもたちから始まってるから、自分らで掃除してたんやろう。
言いたかったのは八方神はっぽうしん ではなくて「八百万の神」やおよずのかみ ですね。
奥義は「おくぎ」ではなく「おうぎ」が普通です。文字変換でも変な読みで入力すると変換されないので判ります。
教員の仕事は担当の教科を教えることでしょうが「教師」「先生」の仕事は社会人として育てる、人間を育てる事でしょう。
逆に何のために「教員」「教師」を選んだのでしょうか?いわゆる勉強だけ教えていれば良いなら学習塾の先生と同じです。
教育の目的が違います。キリスト教は個人主義を育みます、個人の幸福を追求するとき他人への配慮は必要ありません。美的感覚や価値観は個人のものであり、道徳も個人の意識の問題です。「自由」「平等」「平和」正義」などの価値観も個人差があって当然で社会に許容されるものと思っているから対等の立場で「議論」します。
昔の日本では「一人前の社会人に成れ」と教えました。人に認められる事、社会に認められる人間になる事を小さいころから教わりました。
現代ではそれが忘れられて個人主義が浸透していますね。
そうなんですよネ。昔から自然災害が多く自然と共生するためには皆で力を合わせ助け合って行かなければ生きていけなかった、そこで日本人が代々考え伝えてきたのが「神道:しんとう」と言う考え方
、人として生きる道なんですよネ。だから日本人は人を大切にし礼節を守り共有物を大事にすることで連携意識を保つと言う精神性を創り上げて来たんだと思います。やっぱり日本人は賢いんですよ。
社会▪︎家庭内で生活していく上での最低条件(?)として、自分が実際に使ったり移動させた物を元通りにする努力はすべきだと思います。
たとえ学校などの公共施設でそれが成されたとしても結局どうしてもプロの清掃は必要になるだろうから、必ずしも清掃の職業を失くしてしまうことにならないのではと思うのですがね。
わざわざ清掃職員の仕事量を「確保する▪︎減らさない」ようにするという考え方は余計なお世話で、驕りさえ感じでしまいます。
ちなみにわたしはアメリカ在住者ですが、公立教育施設での仕事終わりにはホワイトボードやモニター等々、教材の後片づけをせずにはいられません。
高校の時、運動部の人は掃除しないで部活に行っちゃって、文化部の人だけで掃除していて、あの文化は何だったんだ?と思います。
みんな掃除して育っても、たばこのポイ捨てする人は絶えないし‥‥‥
結局個人の問題なのでは?
確かに学校で同じ様に過ごしてきてもみんながみんな同じような大人になるとは限らないでしょう。
しかし社会の基本的な認識、あるいは常識においてはゴミをポイ捨てしてはいけない、で通る世の中だと思います。
こういう意識や常識という認識はやはり幼いときからの生活の中での習慣から生まれると思います。
ポイ捨てする人は昔からいますが、世の中の多くの人はそれをヨシとはしないと思いますし、そうであるうちはそう悲観しなくても大丈夫だと思いますよ。
日本では、掃除を教えるのも 教育で有り、教員の仕事。
清掃員さん達に、お掃除の先生になってもらえばいいんだよ!いっしょにやって教えてもらうとかボランティアやPTAにも参加してもらうとか、掃除参観なんか日本ではあるけどねw
江戸に比べて19世紀以前のヨーロッパの都市はあまり清潔ではなかったと聞きますし、民族としても根本的に文化が違うんでしょうね。
日本だと近所付き合いでも宗教でも学問でも武道でも奉公でも、まず何を為すよりも先に掃除や身支度を修めなければ人としてお話にならなかったと思います。
あとは温暖湿潤か寒冷乾燥した気候かの違いもあるのかなと考えたりもします。
日本の気候では毎日水回りを清潔にしていてもカビから逃れるのは至難の業ですし、床に食べかすなどが落ちていれば虫が湧き腐敗も早いですが、ヨーロッパの乾燥ならば少し掃けばあまり気にならなかったかも知れません。
仏教哲学にしても、神道の「ウチとソト」「ハレとケ」「次清(つぎきよ)」の精神は明文化されることなく、何となくで現代日本まで受け継がれているのがとても不思議ですね。
日常生活が禅の修行だ…いや、掃除は精神衛生に良いらしい。
学校で子供たちが掃除しないかもしれないけど、逆にヨーロッパの家の中は綺麗に片付いているイメージがある。日本の方がごちゃごちゃモノが散らかっている感じ。不思議だなぁ。
教員です。
あ〜経費削減や質向上という名目で、教員の負担が増えることはよくよくよくよくわかります。
というか、それを一切断れて無かった結果が今の日本の先生ブラック化です。
変わりつつあって、掃除の時間は教員配置あるけど毎日ではなかったり、時程や配置の都合で無しになったり色々柔軟になっています。
でも逆に、何かやる変わるとなると全て教員負担だったんだな…と闇が垣間見えるところありますよ。
それって闇だったのですか?昔の人間ですから、先生方を尊敬しています。日本で教師は、生き方のお手本でした。掃除時間などの雑務は闇じゃなくて、それが負担にならない教員の配置と給与アップについて戦わなかった日教組の問題では?個人への批判ではありません。どうぞご容赦ください。
東アジア圏、特に大乗仏教の影響は少なからずあるかもしれないですね。
ただ佐々木閑氏の言う 当時の釈迦の仏教や僧団では生産的な活動はせず、ひたすら修行をしたというお話です。
釈迦、入滅後数百年、数千年と流れその中で大乗運動が勃興し、やがて中国、朝鮮、日本へと大乗仏教が伝わり、
一方、スリランカやタイへは上座部仏教と呼ばれる教えが伝わりました。
同じ仏教国でもスリランカやタイの学校の掃除はどうなっているか興味がある所ですね。
気になって律蔵(僧団における規則)について少しだけ調べてみましたが、特に「掃除」についての決まり事や罰則は見当たりませんでした。
掃除なんて当たり前すぎて敢えて書くまでもないという事でしょうか?
ただ掃除に関しての面白い逸話があります。
それは赤塚不二夫原作の「元祖天才バカボン」に出てくるレレレのおじさんのモデルが釈迦の弟子の一人「チューラパンタカ」の話です。
チューラパンタカは今で言う境界知能の方で、物覚えが悪くやがて僧団を追放されそうになり、悲嘆に暮れていると釈迦から「ちりを払わん、あかを除かん」と唱えながら掃除をせよと言われてから20年掃除三昧をした結果、悟られ阿羅漢となったと言われています。
こういう話って日本人は好きですよね。私も好きです。
日本の小学校の掃除も変わりつつあると思います。
現在、東京都在住ですが、40代の私が当たり前にしていた廊下の雑巾掛けは、狭い家のためか家庭でも経験が無い子達が顔から打ちつける事が多発し、しなくなっています。
そのため、我が家は夏休みの日課として雑巾掛けを取り入れて、できない事に愕然とし、夏休みが終わる頃には楽しそうにスイスイできるようになっていて、それからは毎年の恒例行事になりました。
役員になった時に校長先生にお伺いしましたが、家庭でして欲しいとのお話でした。
しかもどんどん掃除をする日が削られている状態です。
そのため、ちゃんと外注で業者の方が隅々までキレイにしています。
生み出した時間で、家庭で共働きのため見る事ができない家庭の子達が多いため、全員で計算ドリル、漢字練習を学校でする時間にしています。
「〜〜道」という土壌的な?感覚が根付いていて、かつ小さな頃からの幼稚園・保育園(みんなで掃除はないにせよ)ゴミはゴミ箱に、とかスリッパは揃えましょうとかの教えからの蓄積が大きいのかなと思います、だって「当たり前だよね」という感覚は個人差はあれやはり根付いているから。ノルウェーでの議論も最初は私も「なぜ議論?」と感じだけどこれさえも私たち日本人が教えを受けてきた自然な結果なんだなと。でも聞いてみると確かに、教員の負担てこういうとこから負担にさせているんだと気付かされた感じです。「教える」は清掃指導も当たり前のように含まれてる結果ですね。話は飛びますが、スウェーデン人が政治に関心を持ち投票率も高いという流れは、社会的に実生活に影響があるから、というのが大きいけど、
子供のうちから政治に関心を持つようになる教育をされてきているから、というのも大きいですよね!土壌になってるんじゃないかな?と思います。
清掃や、きれいに保つのが当たり前というのが、
「仏教や神道」「〜〜道」というものが一般的には無意識にせよ、やはり日本人の心に小さな頃から培われてきたからということ、改めて気が付きました。
片付けなど躾は家庭で行うものでしょうが、移民や問題を抱えている家庭では掃除といった家事にしても親から教えてもらえないこともあるかも。学校教育で行うというのは、国民の共通の価値観やルールを学ぶ機会になりますよね。
自分が思う物事の対処法として欧米の文化では0か1か、是か否か
2択しかないというのをよく感じます。それで政権交代とか、ある意味民主主義が成り立っている面もありますが、アジア人・日本人の感覚として、世の中2択で全て解決するほど単純では無いなと思います。もちろん学校の先生のサービス労働、負担過剰は大きな問題ですが、僕の意見としては学校は地域社会全体で支えて行くべき、
と考えます。クラブ活動にしても清掃にしても、先生に丸投げを改めて地域社会全体であり方を考え
・・・これはPTAの責任範囲を超えているのでPTAという限られた組織体ではなくもっと広い範囲で議論を進めるべきと思います。
日本の学校が先生にも生徒にも親にももっと良い場になることを願っています。
考え
私は昭和の生まれです。最近の若い人は雑巾の絞り方を知らない様です。今の掃除の仕方が違いますよね~。。。
イエローハット創業者の鍵山秀三郎著「掃除道」が日本人の考え方・振る舞いを現わしていると思う。人の行動は心の発露。心が変われば人生が変わる。職業に貴賎なし。
多分、国民性も大きいのだと思います。日本は昔から、掃除という行為がただの掃除ではなく、使うものや部屋やトイレ等に対して「使わせてもらって、有難うございます」という、物に対しても感謝をする心をはぐくんでいるように感じます。この感覚は、何百年も昔から伝わるものなので、海外の方の感覚にはマッチしない所(効率重視)もあるのかな~とも思います。それはそれでよいかと。
ただの妄想だよ。根拠なく「こうだったらいいな」→こうであるに違いないっていうね。そもそもそんな歴史は日本にはない。
清き川に清き水流れる。
10ヵ国以上の国々に行き、結論として、清掃を重視し大事にする考えは、日本の最大の文化的特徴だと考えるようになりました。掃除を重んじる文化の源は、神道と思われます。神社の最高位である宮司を「掃除をする人」というそうです。有名な神社の宮司さんに確認すると「当然です、神々のために場を清めるのが宮司の仕事です」と話されました。仏教は、神道との神仏習合により仏教も清掃を重んじるようになったと思われます。インドでヒンディーの寺院に行きましたが、経済的に苦しい人が寺院で清掃をして収入を得ているとのことでした。
日本では、清掃はケガレを払う行為であり、それは恐らく自身のケガレを払うことにもつながっているという意識があり、掃除を軽んじない文化となっていったと思います。
導入してる人は数パーセントくらいですね。ぼくの場合は自分のものは自分で洗いたいタイプです。
日本は昔から。剣術使いに教えを乞ひ弟子になると、身の回りの整理や、掃除や道具の手入れから始まる。普通かつたいへん重要。
初コメです。
学校場面と家庭場面での掃除の考え方は切り替える必要がありそうですね。学校でいきなり始めるのも抵抗ありましょう。
そもそも日本の場合は、寺子屋の時代から掃除はしていたでしょうし歴史がモノを言いそうです。
仮に現在の掃除が職業の方も、将来的に清掃作業がなくなると分かると、それぞれ考えてくるのではないでしょうか?国力が上がってくることに繋がったりしてきませんか?学校の子供たちも含めて何十年後には違ってきませんかね?
なんて、日本がどうこうなってるってことじゃないですけど😅
日本は学校にいる間全てが教育、大人になった時他人に迷惑かけない社会の一員になるための訓練も含めての教育なのでしょうか。だから教師にも私生活の部分でも、ちゃんとしてることを求められますよね。深いところはお金じゃなく精神論で成り立っていませんか。カナダでも学校では基本、机の上の勉強を教えるのが教育、そして子供に幸せの追求を教えるのが教師の仕事。文化が違うのだ、と思うのですが、うちのカナディアンの子供達が、気がつけば、雑巾の絞り方や箒の使い方を知らない子達に育っていてビックリでした。でも自分の要求や意見、感謝をはっきり口に出して言える大人になりました。
清掃員の仕事を作ってやってるなんてのは、輩、ヤクザの発想だよ。
仏教は宗教では無く,哲学だと思います。
70年くらい前の私の子供時代は、雑巾がけなどの教室掃除をしていましたが、その時、街にはいろんなゴミが結構落ちていました。町の中の川をゴミ箱代わりにしている人も少なからずいました。今私の住んでいる台湾では、日本同様に子供たちが学校の掃除をしていますが、街でのポイ捨ては普通にあります。子供の掃除と街の美化は必ずしも結びつかないのでは。また現在の日本の街がきれいなのは、ごみを家に持って帰るからというのは、そうだと思いますが、私は冗談に、そのために自分の家が半分ゴミ屋敷になっていると説明することがあります。日本の一般の家の中は、スウェーデンなど外国と比べて乱雑でごちゃごちゃしているところがありませんか。
ゴミや環境を綺麗に保つ教育は世界各国が日本を模範にやっていく方針が私は合ってると思います。 ドイツ在住ですが、移民が増えて近所の界隈ではすでに130カ国の子供達が学校生活を送り、
家族それぞれの基準が違います。
教員の労働時間を理由に論争することではなく、環境をみる(周りを認識する能力)は今や地球人としての大切な道徳です。 空気読める日本人とか言いますけど、ポジティブにこの言葉を捉えるならば、空気吸ってんのはみんなですよね。
自分しか見えてないメンタル、横柄な行動が
ゴミを増やす原因です。そういうのにはっきり言ってウンザリなんです。
西洋人は物理的な理由で生活や教育を考えてる人が多すぎる。
道教や仏教を宗教として客観的なご意見を発せられておりましたが、日本人全てのご先祖が建国から同じように教えられて今の私たちの「日本人」というアイデンティティがあるのを忘れてはいけません。海外に在住しているからこそそれらの根本宗教の教えを認識することがとても大事です。
動画で「彼ら(移民)に仕事を与えてあげてるんだ」というくだり。…つまり、それって「移民がいないと困る」という状況を自ら作り出してしまっているじゃないか、と思いました。自国民だけで社会が完結できないことになるので。
(それと、[日本の考え:学校+掃除=教育]、[西欧の考え:学校+掃除=(児童)労働] ⇒問題、なのかも?)
あと、動画の中で、日本での部活動の話も出ていました。私も前に「何でそう部活動することにこだわるんだろう?」と思っていました。なので、(年くってからの)教育実習の時、若い先生にきいたら、「親からの要望があるんです」と言っていました。確か「家でふらふらしているとろくなことしない」という理由だったような…。もちろん部活する理由はそれだけではないでしょうが。もしそうだとすると、部活動は「中高生版学童」、もっと言えば「中高生版『託児所』」? それを学校の先生が担当している、ということになる…。ちなみに、「人生100年時代」の影響からなのか、イマドキの高校生は、精神的にかなり幼く感じました…。
(部活顧問は、若い先生か、指導熱心なベテランの先生がやっているようです)(中高校で非常勤講師をした時は、部活動していることに疑問を持つことがあまりなくて、ききませんでした)
理由はいろいろあるんでしょうが、「なぜ日本は部活動にこだわるのか?」という主な理由は、自分的にはまだよく分かりません(精神修練。肉体鍛錬。道。上下関係を身につける…(のちの社会生活に役立つように))(もし学校の先生、生徒にきいたとしても「それは『当たり前だから』」という答えが返ってくるような)。
学校は何よりも子どもの教育を優先すべきで、雇用を奪うとかは考えなくていいのではと思います。とは言え、掃除も教育の一環だという認識が浸透しないと、導入は難しいでしょうね。日本武道の外国人選手はとにかく勝てばいいという感じで、礼儀とか精神的なこと「道」に対する理解がない。正直、こういった面で文化後進国だなあと感じてしまいます。考え方の違いと言われるかもしれないですが、きれいな方がいいに決まってるんですから。
はいはい、今日も難しい問題ですけど。簡単に言えば、長い古代からの文化の違いがベースですですよね。大昔からの。まず、アジアを含むモンスーン地帯は、湿気が多く掃除をしないとカビが生えやすい。本能的にカビ、匂いを排除してそれを清める必要があった。また欧米は狩猟民族で、定住より移動しながらの生活がベース。従って、農耕民族のように定住していなかったせいで、汚くなったら移動していく可能性が高い。日本は定住していたので、ゴミがたまるから、病気になりやすい。規律を守るのも、日本の水田農耕からの影響が大きい。規律を守りながら、田植えをしないと、ばらばらに植えることになり、言われたことを淡々と行うことが最も安心で効率が良いという歴史を脳に刻んできたのではないか。
清掃するひとがそうじを教えるシステムから始めたら良いかな
私達が小中学生の時は各クラスで2名程度の”掃除指導当番(交代制)”があり、クラス全体の掃除具合を確認していました・・・先生は小学1年生最初の時は暫く指導しますが、2~3ヶ月もしたら殆んど手伝いませんでしたよ!サボると女子達から怒られていましたね!(^^)!
日本が清掃を軽んじないことは、特徴の一つにすぎず、必ずしもそれが素晴らしいということにつながりません。人によって考えは違うと思います。
スウェーデンは、ゴミ問題について、他国のゴミを有料で受け入れて、確かエネルギーに変換していたかと思います、そのようなシステムは日本が学べる点だと思います。スウェーデンの高い投票率や税金の公開制度等も学ぶべきものがあると思います。一方で右傾化もあるようで、衝撃でした。これからも様々なスウェーデンの情報を教えて下さい。
風水も関係あるのでは?
小中学校の先生の仕事は、生徒に対し
学科の授業をする事だと思っていると、
授業に関係ない業務はお断りとなる
👉日本では先生の仕事は、人間形成
だと考えていると思う
その違いでは⁉️
大学生には、学校での掃除は不要だと
思いますが、、
人間形成!まさしくその通りだと思いますっ。しっくりきました!
部活動はともかく掃除は道徳教育(物を大切にする、連帯感を養う、大変な事にも取り組む、環境美化意識等)の一環でもあるので教員の仕事として見ていいと思います。欧米の教員は道徳教育は教員の仕事ではないと思っているのでしょうか?
アメリカで過ごしてた人の話聞いてて、そういうのは各家が躾けるべきことで、学校は口を挟まないでっていうようなイメージでした。
団体主義の日本と違って個人主義が世界では当たり前だからっていうのもあるんでしょうね。
日本の小学校での掃除は私は江戸時代の「寺子屋」の延長だと思う…
日本は清潔ですが、家の中も町も田舎も雑然としていてなぜ美しくないのでしょうか?
私は、日々ストレスを感じます。
いつもありがとうございます。
ヨーロッパの町や家の中の美しさについて、いつか教えていただけますか?
なぜ美しくないと決め付けるのですか?
どういう視点で見るかによって、美しさや面白さは変わりますよ。雑然とした中に美を感じる人もいます。
「日本人は、美しさには敏感だが、醜さには鈍感」、「ヨーロッパ人は、醜さには敏感だが、美しさには鈍感」とフランス人が本で書いていたことを思い出しました。あなたは、ヨーロッパ人に近いかも。
家の中が汚いというのは住む人次第。街の中は汚くないですよ。道の上にゴミないよ。
京都の寺院の庭や建造物はとても美しいです。反対に日常の空間に対する扱いに、気が入っていないような気がするのです。
日本人は物事を丁寧に扱いますが、ヨーロッパの方が古いものを大切にしています。
私の気持ちは、それぞれのよい面を両方感受したいのです。
子供にとっては「躾」だよね。教育の一環。