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いつだかのTV番組のOBのランキングトップ30に入ってなくて呆れた覚えがある
普通にTOP10入りしてもおかしくないんだよなぁ。
昭和50年(カープ初優勝)に広島の中学に転校した時、山本浩二の人気は凄まじいものでした。数字も然ることながら「ここで打って!」と祈る時、必ず打ってくれる男という印象が非常に強い。僕の中では永遠にして最強最高のプレーヤーです
特筆すべきは打撃だけではなく外野守備もプロ野球史上3本の指に入る事なんですよね
鈴木誠也が凄いって言われるけどやっぱり山本浩二さんのチャンスに強いバッティングは圧巻でしたね。 特に広島カープが初優勝した、1975年以降の活躍は素晴らしいに尽きます。 初優勝した後のインタビューでの男泣きが印象に残っています。ミスター赤ヘル、有難う!
通算打点11位
まあ、誠也選手は、コージさん以来、久しぶりに「ここで回ってくれば必ずなんとかしてくれる」と思わせる四番だと思います。
通算本塁打数第4位の長打力はもちろん、首位打者も獲得した確実性、200盗塁以上を決めた走力、エラーが少なかった外野の守備力、そして何度も補殺を記録した抜群の遠投力、もう全てがトップレベルの野手でした。通算本塁打10位以上の選手で「5ツールプレーヤー」と呼べるのは山本浩二さんだけでしょうね。(20位以上なら長嶋さんも含むかな)
通算打点 長嶋茂雄7位 山本浩二11位
@@ゆういち-y7s5ツールプレイヤーの話してるのに意味わからんとこつつき出してて草
@@ゆういち-y7s 通算本塁打 山本浩二4位 長嶋茂雄15位 藁
@@shob9448 打率が残せるタイプではなかった
@@ゆういち-y7s 首位打者を獲得した事あるし、何度も3割を超えてますよ…
長打力があり率が残せて守備が良くて足も速い、外野手の完成形のような選手だったね。
イチローのお手本みたいな感じ❗️
@@ゆういち-y7s 首位打者も獲っているし、通算打率も.290あるから、率も残せると言っていいんじゃないかな。
@@potetosenpai 山本浩二39歳まで打率290落合博満44歳まで打率311
@@ゆういち-y7s落合信者ってしょーもないやつ多いよな、お前みたいな
自分がカープファンになった頃全盛期でしたね。。。そのあと全盛期が何年も続くわけですが。。。。。とにかく、どんな時でもなんとかしてくれるのがコージさんでした。
カープファンにとって ミスター赤ヘル山本浩二は 永遠不滅のヒーローです🎏
リアルタイムに経験していない世代でも各年の成績を見れば「あぁ、この人はミスター赤ヘルなんだな…」と感じますよね。
解説が山本浩二の時の安心感
野球に興味を持ち始めた時の、常勝カープのスーパースター。あの時代はまぎれもなく、プロ野球を代表する選手だった。王を抜く史上最高年俸も納得。
自分より上の世代がみんな長嶋選手を崇めていたのが不思議でした。私にとって最高の選手がコージさんでした。
6:30 年俸8500万円当時の年俸は、野球界では1番でした。
誠也も良いが浩二はもう一回り偉大な選手だね
昭和50年のオールスターの衣笠、山本選手のホームランは当時見ていました。江川卓にも滅法強かった。長嶋茂雄と山本浩ニ、この二人はチャンスに強かった
この試合での衣笠祥雄とのアベック弾がカープのリーグ初優勝を決定づけたのではなかろうか。
昭和50年のオールスターは全国紙に、赤ヘル軍団現れる!外木場義郎投手、大下剛選手も出場
1974年までは中軸の打者としては物足りない数字、ただ1975年から引退までの安定ぶりはすごい。1975年以降は、足が早く守備範囲も広い、そして出塁率も高く長打力もあるという外野手の完成形のような存在。
もうひとりの強打者の水谷実雄選手も30歳を過ぎてから全盛期で成績が凄い⤴️⤴️
大卒で超晩成型で500本塁打は化け物。しかも守備も10年連続だっけか?ゴールデングラブ賞。尚且つと足もはやい。最強の5ツールプレイヤーだと思う。
当時はジャイアンツファンだったけど異議なし、人柄も温厚で尊敬できる。
浩二さんは通算安打数2339もかなりの数です。ちなみに衣笠さんは2543
4年も現役期間長かったんだから多いのは当然だろ
通算打点は山本浩二の方が多い
年齢重ねてからの安定感エグい
強肩いかしたセンターからのバックホームも見ものでしたね。
捕れない打球に「捕球オーケー」のジェスチャーをして、進塁や失点を防ぐ頭脳プレイも得意だったと聞きます
打撃型5ツールプレイヤーの最高峰。ゴールデングラブも10回。右打者最強は落合かもだが、その次を野村克也、長嶋茂雄、中西太辺りと争うと思う
6:34打率が出塁率になってるようです。.288が正しいようです。
w
35歳まで毎年二ケタ盗塁してたのすごい。
その頃から、身体に故障を幾つか抱えられて、年を追う毎に守備力の低下、かっての強肩が影を潜めてしまった。当時、毎年市民球場に出向き、何時までユニフォームを着続けてくれるのかを不安に見つめていました?
@@tomy_tmr 衣笠祥雄も
私のヒーロー。ここぞという場面で必ず打ってくれた。最初の6年間は2割8分にも届いていなかったのが意外。
ミスター赤ヘル❗永久欠番に相応しい最高の選手👍
3割40本、100打点はやっぱりすごいよね。3冠王取れる数字
法政大時代は田淵、富田、浩二と三羽ガラスと言われた。この3人のドラフト会議での評価は3番目であったが、プロ通算成績は№1です。プロ入り後の数年間は好成績は残せなかったが、30代後半からの成績は飛躍的に伸びた。大器晩成型の選手で、ここ一番での勝負強さは凄かった。配球を読む能力素晴らしくて「読みの浩二」とも呼ばれた。
最終的に三羽ガラスと言われるも、大学入学当初は入学時から騒がれてた田淵さんとは違って、浩二さんは寮にも入れないくらいの待遇から這い上がったみたいですね。
30代の成績がすごい⤴️⤴️
衣笠と浩二のホームラン。岡山のオープン戦でみたけどすごかった
五番にめっぽうチャンスに強い水谷が多く座っていたことが浩二の好成績の更なるアップに繋がっていたような気もする。
こうして見ると、山本浩二という野球選手は30過ぎてから本領を発揮した遅咲きの選手だったのだと分かりますね。20代の頃は長打も足もあるけれど荒っぽくて、一流と言えるような数字はとても残せていません。名球会に入るような大選手で、30歳を過ぎてから一流選手に変貌したケースは他には和田一浩くらいじゃないでしょうか。それと最終年、40歳のシーズン成績も.276 27本 78打点、まだやれるんじゃないかと思うような成績ですね。潔い引き際だったんですね。
1979年、来日したLMLBオールスターズと試合、ナックルボーラーのフィル・ニークロと対戦して その初打席の初球で「魔球」をホームランした
強打者のイメージ強いけど守備も脚もあるしかも引退年の成績は阪神なら不動の4番&CM出演確定
何が凄いかって、現役引退その年まで盗塁の記録を付けていたこと。30半ばで二けたの盗塁数を上げるって、世代と技術の差こそあれど、もの凄いことと思いますわ。
ルーキーから引退まで規定打席到達したのは長嶋とコージだけ。
打撃開眼の理由が『腰痛』という稀有な選手
本塁打は当然だが、盗塁が凄い。
ホームランを打って淡々と走る選手はホントにカッコいいな!これがプロだよ
外野手の右打者としてはNPB歴代No.1のレジェンドでありながら現在は注目度が低いのが気の毒特に円熟期となった80年代前半の威圧感はハンパ無かった
@@抹茶ココア-p4u 同世代の外野手は左打者が多いですね
出塁率と長打率が凄い。
1975年のオールスター戦、甲子園球場での衣笠との2打席連続アベックホームランは、小学生の自分はリアルでテレビ中継を見ていました。子供心にそれまで弱小の田舎球団カープが、その年から赤い帽子(ヘルメット)に変え、ホームランの競演が全国放送で流れ、とっても目立ってました。「すごい! コージと衣笠!」って思ったし、とても誇らしかったし、嬉しかった。山本浩二さん自身も、あのオールスターでの2打席連続で「これは、ひょっとしたら今年優勝までいけるんじゃないか?」と勘違いかもしれないが思ったそうです。シーズン後半に向けて「やる気にさせた」オールスターでの活躍でした。その後の山本浩二の活躍ぶりは皆さんご存じのとおりです。
引退した年の日米野球でデーブ・ジョンソン監督が「一番良いバッターは山本 なぜ引退するんだい?」と言ってましたね
山本浩二さんって王さんや落合さんが居るせいか成績の割にあんまり名前聞かない気がするんだよな。通算成績見てみると最近の柳田や鈴木誠也よりも更に凄い(特にホームラン)
打率が低いからです
デ一ブジョンソンが「コ一ジ ヤマモロは素晴らしい 彼なら大リーグでもスターになれる」と言ってた 日米野球でも評価はいつも高かった
今なら引退する必要性全くない高い数字で引退。30超えてから、長打力が伸びた普通とは逆のところが凄いと思う。足早く、守備範囲広く、肩も強かった。
生涯OPSが.923エグいとおもって調べてみたら王貞治生涯OPS1.08で乾いた笑いが出た
晩年のレフトを守ってる時代しか見て無いけどチャンスに強かった引退した年日本一逃して残念だった
持病の腰痛に悩まされるもの衣笠が休まない姿勢に休みたいと言えず、腰に負担のかからない広角打法をあみ出してからホームランを量産。
まさに怪我の功名ってやつですね
腰痛があったとはいえ、そこから打撃のコツをつかんでしまうセンスが素晴らしい
ちなみに持病の腰痛は「大学時代のケツバットが原因かもしれない」そうです
@@しんちゃん-e9n 「怪我の功名」これはもっと評価されてよい。 俺は災い転じて福となすと言おうと思ったが、そっちの方が言い得て妙。
チャンスには必ず打ってくれていた。浩二はもっと評価されるべき選手
ミスターと呼ばれたもう一人の男
山本&衣笠ともに500ホーマー200盗塁って凄すぎ….
狭い広島市民球場だから達成できた記録です。盗塁は凄いですが。
@@まっちん1582 狭くても当時は飛ばないボール
当時のカープが強かったのも納得。
@@まっちん1582 当時はどこの球場も狭かったよ。
@@まっちん1582 当時の球場なんかどこも似たり寄ったりだろ
6:35盟友 衣笠 祥雄選手張本 勲選手
張本勲はなぜ広島に行かなかったんでしょうね
打率・打点・本塁打の結果以上の試合の流れ、結果を左右する効果的、有効な打撃の割合が高かった
大卒でHR500本超えはミスター赤ヘルただ1人。この先もでるかどうか。
落合博満もですよ
@@こういち-q8n 落合は社会人からプロ入りだったような
@@こういち-q8n 落合は大学中退なので社会人扱いです、なので大卒500本超えは山本浩二だけですね
@@こういち-q8n落合は大卒ではなく大学中退→社会人すね
大学は中退ですね。それで社会人を経て、25歳でプロ入り。
王さん引退後の当時、セ・リーグの4番と言えば、ミスター赤ヘル山本浩二さんでした。無類の勝負強さがありました。強いカープを衣笠さんと共に支えてきました。スーパーレジェンドです。まさに、カープの至宝です。
この人の全盛期の頃に生まれた山本姓の男子には、浩二という名前が多い。ウチの学校には山本浩二が何人もいた。
当時の球界(つか巨人にだがw)山本コウジが二人いたな。
@@けん-o4y そっちの山本巧児(コウジ)もなかなか良いバッターでしたね。
広島県出身?
ルーキーから試合に出続けているのに30代からの成長曲線がやばすぎるもう何年かやれたとは思うけどリーグ優勝したのがいい花道になったのかな
そう言うのは外野だけ本人からすればもう腰が限界だった野球経験者なら分かるけど、腰が悪ければバッティングにならない
プロ野球屈指の5ツールプレイヤーだと思う。引退年の成績見ると数年やれるのではと思うけど腰が限界だったらしいね
センターの歴代のナンバーワン選手は別當薫か山本浩二でしょう。
走攻守3拍子揃った代表的な選手!チャンスに強く、リーダーシップもあり、本当の意味で最高のオールラウンダー選手。小学生の時に浩二さんを見てカープファンになりました。山本・衣笠の2枚看板、カープの誇りです!
先輩打者に、「バットにボールを乗せるんだ!バットにボールを乗せるんだ!」と、さんざん聞かされて、意味がわかんねー!と思ってたけど、30くらいの頃のホームランで、「あ‥‥今のがバットにボールを乗せるってことか!」と気づいてから、急にホームラン数が増えたと、言ってたね。おそらくだけど、それに気づいた時は、チームの勝ち負けなんてどーでもよくて、とにかく「バットにボールを乗せる」感覚でホームランを打つことばっか考えて、またそれが結果になって、すごく楽しかったんじゃないかな。成長って、そういうことだよね。
その先輩打者とは これもまた打撃の職人、山本一義さん。 ちなみにですが、「チームの勝ち負けなんてどうでもいい」と思っていたのは若いころ(1974年まで)。1975年にカープが初優勝したシーズンで、初めて「自分が凡退しても、次のバッターよ、打ってくれ!!」と思うようになったそうです。それまではいわゆる「負け癖」のついたチームだったのが、以降選手全員で勝ちたいと思えるチームになったとご本人のインタビュー(NHK)で発言されてましたよ。
大器晩成タイプの代表選手ですね。20代はちょっと一発のある程度の選手が、35歳前後は球界を代表する選手になっているのが凄いです。35歳で引退する選手はいっぱいいるんですけどね。
星野仙一さん?の著書で読んだあやふやな記憶ですが1975年から読みのバッティングをし出してから打率が安定して本塁打も量産出来るようになったとか。
ミスターと呼ばれるのは!!!長嶋茂雄とこの男だけだ!!!
1975年といえば、カープの初優勝、山陽新幹線が博多まで延伸し全線開通、スーパー戦隊シリーズの祖・秘密戦隊ゴレンジャーが放送開始。この3つの出来事は偶然では片づけられない不思議な因果関係があるように思える。
浩二44本 ギャレット40本 ライトル33本 衣笠30本の200発打線凄かったです。
小1の時、この人と江夏豊を見てカープファンになった。自分がファンになった時〜学生時代を終えるまで、カープはずっとAクラスの強者でね!周りで大多数を占めてた巨人ファンや西武or阪急ファンに対して鼻高々だった…もう一度、あの頃の絶対的な強者の立ち位置へ復活して欲しいよ(T_T)
当時は、絶対に休まない衣笠、万能選手の山本と、2人の看板選手がチームを引っぱっていましたが、FAのある今は、残念ながら「生え抜きのスター選手がチームを引っぱる」という形ができにくいですね (T_T)
0:05根本 陸夫監督
1985年の打率がヤバ過ぎ
出塁率の間違えダス
最初27番だったんだ
掛布は20代が凄くて山本浩二は30代が凄い。原は20代30代変わらず大した事なかった印象
清原は10代🤣
原は凄くなりかけてたんだよ。それをシリーズ東尾の内角攻めきっかけでチャンスに弱いバッターになったの
ライトへのホームランも打てるのが特徴だった。単純にホームランとしては水谷さんのホームランの方が好きだった
広島最終年の丸が守備力強化されて頑丈になってずっといる
腰痛との付き合い方を若い選手に教えてほしい
17年目の打率がプロ野球新記録になってる
ビックリしたw
こうして見ると早くから活躍はしてるけど本当の覚醒は30代以降やな序盤の成績も消して悪くは無いけど遅咲きに見えるのが凄い
引退した年の成績でさえ凄いわ。
30歳を過ぎてから全盛期を迎えた選手って記憶にないな...
和田さん
@@futamurateiiti 和田さんとはちょっと違うんだよな。浩二さん入団してからずっとレギュラーだったけど、2割5分前後でホームランは20本ぐらいの成績でいまいちだったのが、31歳から急に覚醒して40本打ちだした。和田さんはそもそも20代は殆ど試合に出てないでしょ...30超えてから40本のホームラン打ち出したのは他に門田さんぐらいかな?
@@ナッキートンプソン 坂本も30過ぎてから40本を打つたよ!
@@futamurateiiti 坂本の場合は浩二さんや門田さんと違って一回きりでしょ
@@ナッキートンプソン だね!確かに
背番号がまだ27だった頃は、「好打者」タイプだったのですが、8に代わってからは、ホームラン、打点が増えましたね。腰痛のため腰をうまく使って回転で打てるようになったからだそうです。「法政三羽烏」の中では一番長く活躍し、一番良い成績だったのではないでしょうか。ホームランの数は、広島市民球場の広さを加味しないといけませんが、それでもセンターから右方向へ打つという卓越した技術も付け加えないといけません。
異色のセンター
懐かしいユニフォーム腰に赤おびwww
3番ライトル、4番山本、5番水谷、怖い打線だった!!
Ops1.台越えが連発!間違いなく大卒では歴代ナンバーワンのプレイヤーでしょうね
長嶋茂雄だろ
@@ゆういち-y7s 20代は長嶋さん30代は断然に浩二さん
キャリアの前半は王さんがいたからね
@@ゆういち-y7s30代以降or5ツールプレイヤーとしてなら山本浩二でしょ、
規定打席立ってないからあれやけどそれでも3割9分6厘ってえぐいな
年俸はご本人の弁では、1975年は1000万円、1976年は2000万円と倍増したと仰られています。
山本浩二さんは大学卒ではただ1人の通算500本塁打達成者です。
三度の三冠王の落合25歳入団で500本超え
@@arizono2 落合は大学中退なんでくくりとしては社会人野球出身だよ
本塁打だけでなく通算安打、盗塁数もすごい
@@arizono2 どっちも凄いでいいよ、右打者の限界点だよ、二人とも。
今年の誠也並みの成績を5年連続で続けるのか…
若い時分は田淵のほうが上でしたね。しかしこの選手は30過ぎてどんどん良くなり最終的には生涯本塁打、田淵抜いた!
田淵さんは浩二さんと違って純粋なホームラン打者で、ボールに向かって踏みこんでいく打法だったためかケガが多かったですね
しかも男前という
強かった頃のカープの選手達は、猛練習で鍛えられていたためか、みんな男らしい顔をしていてそこが好き
結構盗塁してたんですね!17年目打率間違ってませんか?
初めてのドラフトで1位で入団し物凄く期待したが、はじめの2年は打撃がイマイチで期待外れだった。山内が引退した頃から徐々に上向き、初優勝の年から打撃開眼したように活躍した。大卒で即戦力のはずがプロ入り後の成長が凄かった。読み(山張り)が上手くチャンスに強かった。大卒では未だに山本を超える選手がいない。
法政大学では2年生まで2軍で補欠…プロでは補欠どころか全て規定打席😅
福本豊、衣笠祥雄、北別府学、山本和範、加藤英司、門田博光、大杉勝男、津田恒美、今井雄太郎、新井宏昌などもとりあげてもらいたい。
カープ4番と言えばこの方しかいませんよ✨
思っていた以上に凄いわ。35歳~の成績だと王、ノムさん、落合とでトップ4かな。
門田さんも晩年が凄かったですね。
30までは、ん??まあまあかな。だけど、30超えたら覚醒したかのようにえぐいね。初めて知りました。
王さんは本塁打王を争う相手としては浩二さんより衣笠さんのほうが脅威に思っていたらしいところが逆方向にホームランを量産する浩二さんの力量を見誤ったと述べていた。
王貞治から本塁打王を奪ったのは田淵幸一ですよ
ナンバーの「豪打列伝2」山本浩二の項にありましたね若い頃の、中距離打者だった浩二さんすら「いずれ自分のライバルになるかもしれない」と警戒していたところに、王さんの凄さを感じました
06:24 打率「.296」でしょうか?
288ですよ
生涯で一番悪い成績が2割5分10本は凄すぎるな 高いレベルで成績安定しすぎやろ
もちろん超レジェンドなんだけど、どうしても黒バラで野球モノマネしてた面白いおじさんっていうイメージがwww
全盛期には毎年.300 40本 110点 10盗 ops1.050超えの成績を安定して残すうえ、ゴールデングラブ取れる守備も持つとか歴代最強外野手の1人でしょ
名前はありきたりだけど、成績はありきたりじゃないw
改名してから急上昇
いつだかのTV番組のOBのランキングトップ30に入ってなくて呆れた覚えがある
普通にTOP10入りしてもおかしくないんだよなぁ。
昭和50年(カープ初優勝)に広島の中学に転校した時、山本浩二の人気は凄まじいものでした。数字も然ることながら「ここで打って!」と祈る時、必ず打ってくれる男という印象が非常に強い。
僕の中では永遠にして最強最高のプレーヤーです
特筆すべきは打撃だけではなく外野守備もプロ野球史上3本の指に入る事なんですよね
鈴木誠也が凄いって言われるけどやっぱり山本浩二さんのチャンスに強いバッティングは圧巻でしたね。
特に広島カープが初優勝した、1975年以降の活躍は素晴らしいに尽きます。
初優勝した後のインタビューでの男泣きが印象に残っています。ミスター赤ヘル、有難う!
通算打点11位
まあ、誠也選手は、コージさん以来、久しぶりに「ここで回ってくれば必ずなんとかしてくれる」と思わせる四番だと思います。
通算本塁打数第4位の長打力はもちろん、首位打者も獲得した確実性、200盗塁以上を決めた走力、エラーが少なかった外野の守備力、そして何度も補殺を記録した抜群の遠投力、もう全てがトップレベルの野手でした。通算本塁打10位以上の選手で「5ツールプレーヤー」と呼べるのは山本浩二さんだけでしょうね。
(20位以上なら長嶋さんも含むかな)
通算打点 長嶋茂雄7位 山本浩二11位
@@ゆういち-y7s5ツールプレイヤーの話してるのに意味わからんとこつつき出してて草
@@ゆういち-y7s 通算本塁打 山本浩二4位 長嶋茂雄15位 藁
@@shob9448 打率が残せるタイプではなかった
@@ゆういち-y7s 首位打者を獲得した事あるし、何度も3割を超えてますよ…
長打力があり率が残せて守備が良くて足も速い、外野手の完成形のような選手だったね。
イチローのお手本みたいな感じ❗️
@@ゆういち-y7s 首位打者も獲っているし、通算打率も.290あるから、率も残せると言っていいんじゃないかな。
@@potetosenpai 山本浩二39歳まで打率290
落合博満44歳まで打率311
@@ゆういち-y7s
落合信者ってしょーもないやつ多いよな、お前みたいな
自分がカープファンになった頃全盛期でしたね。。。そのあと全盛期が何年も続くわけですが。。。。。とにかく、どんな時でもなんとかしてくれるのがコージさんでした。
カープファンにとって ミスター赤ヘル山本浩二は 永遠不滅のヒーローです🎏
リアルタイムに経験していない世代でも各年の成績を見れば「あぁ、この人はミスター赤ヘルなんだな…」と感じますよね。
解説が山本浩二の時の安心感
野球に興味を持ち始めた時の、常勝カープのスーパースター。あの時代はまぎれもなく、プロ野球を代表する選手だった。王を抜く史上最高年俸も納得。
自分より上の世代がみんな長嶋選手を崇めていたのが不思議でした。私にとって最高の選手がコージさんでした。
6:30
年俸8500万円
当時の年俸は、野球界では1番でした。
誠也も良いが浩二はもう一回り偉大な選手だね
昭和50年のオールスターの衣笠、山本選手のホームランは当時見ていました。江川卓にも滅法強かった。長嶋茂雄と山本浩ニ、この二人はチャンスに強かった
この試合での衣笠祥雄とのアベック弾がカープのリーグ初優勝を決定づけたのではなかろうか。
昭和50年のオールスターは全国紙に、
赤ヘル軍団現れる!
外木場義郎投手、大下剛選手も出場
1974年までは中軸の打者としては物足りない数字、ただ1975年から引退までの安定ぶりはすごい。1975年以降は、足が早く守備範囲も広い、そして出塁率も高く長打力もあるという外野手の完成形のような存在。
もうひとりの強打者の水谷実雄選手も30歳を過ぎてから全盛期で成績が凄い⤴️⤴️
大卒で超晩成型で500本塁打は化け物。
しかも守備も10年連続だっけか?ゴールデングラブ賞。尚且つと足もはやい。最強の5ツールプレイヤーだと思う。
当時はジャイアンツファンだったけど異議なし、人柄も温厚で尊敬できる。
浩二さんは通算安打数2339もかなりの数です。ちなみに衣笠さんは2543
4年も現役期間長かったんだから多いのは当然だろ
通算打点は山本浩二の方が多い
年齢重ねてからの安定感エグい
強肩いかしたセンターからのバックホームも見ものでしたね。
捕れない打球に「捕球オーケー」のジェスチャーをして、進塁や失点を防ぐ頭脳プレイも得意だったと聞きます
打撃型5ツールプレイヤーの最高峰。ゴールデングラブも10回。
右打者最強は落合かもだが、その次を野村克也、長嶋茂雄、中西太辺りと争うと思う
6:34打率が出塁率になってるようです。.288が正しいようです。
w
35歳まで毎年二ケタ盗塁してたのすごい。
その頃から、身体に故障を幾つか抱えられて、年を追う毎に守備力の低下、かっての強肩が影を潜めてしまった。
当時、毎年市民球場に出向き、何時までユニフォームを着続けてくれるのかを不安に見つめていました?
@@tomy_tmr 衣笠祥雄も
私のヒーロー。ここぞという場面で必ず打ってくれた。最初の6年間は2割8分にも届いていなかったのが意外。
ミスター赤ヘル❗
永久欠番に相応しい最高の選手👍
3割40本、100打点はやっぱりすごいよね。3冠王取れる数字
法政大時代は田淵、富田、浩二と三羽ガラスと言われた。
この3人のドラフト会議での評価は3番目であったが、プロ通算成績は№1です。
プロ入り後の数年間は好成績は残せなかったが、30代後半からの成績は飛躍的に伸びた。
大器晩成型の選手で、ここ一番での勝負強さは凄かった。
配球を読む能力素晴らしくて「読みの浩二」とも呼ばれた。
最終的に三羽ガラスと言われるも、大学入学当初は入学時から騒がれてた田淵さんとは違って、浩二さんは寮にも入れないくらいの待遇から這い上がったみたいですね。
30代の成績がすごい⤴️⤴️
衣笠と浩二のホームラン。岡山のオープン戦でみたけどすごかった
五番にめっぽうチャンスに強い水谷が多く座っていたことが浩二の好成績の更なるアップに繋がっていたような気もする。
こうして見ると、山本浩二という野球選手は30過ぎてから本領を発揮した遅咲きの選手だったのだと分かりますね。
20代の頃は長打も足もあるけれど荒っぽくて、一流と言えるような数字はとても残せていません。
名球会に入るような大選手で、30歳を過ぎてから一流選手に変貌したケースは他には和田一浩くらいじゃないでしょうか。
それと最終年、40歳のシーズン成績も.276 27本 78打点、まだやれるんじゃないかと思うような成績ですね。
潔い引き際だったんですね。
1979年、来日したLMLBオールスターズと試合、ナックルボーラーのフィル・ニークロと対戦して その初打席の初球で「魔球」をホームランした
強打者のイメージ強いけど
守備も脚もある
しかも引退年の成績は
阪神なら不動の4番&CM出演確定
何が凄いかって、現役引退その年まで盗塁の記録を付けていたこと。
30半ばで二けたの盗塁数を上げるって、世代と技術の差こそあれど、もの凄いことと思いますわ。
ルーキーから引退まで規定打席到達したのは長嶋とコージだけ。
打撃開眼の理由が『腰痛』という稀有な選手
本塁打は当然だが、盗塁が凄い。
ホームランを打って淡々と走る選手はホントにカッコいいな!
これがプロだよ
外野手の右打者としてはNPB歴代No.1のレジェンドでありながら現在は注目度が低いのが気の毒
特に円熟期となった80年代前半の威圧感はハンパ無かった
@@抹茶ココア-p4u 同世代の外野手は左打者が多いですね
出塁率と長打率が凄い。
1975年のオールスター戦、甲子園球場での衣笠との2打席連続アベックホームランは、小学生の自分はリアルでテレビ中継を見ていました。子供心にそれまで弱小の田舎球団カープが、その年から赤い帽子(ヘルメット)に変え、ホームランの競演が全国放送で流れ、とっても目立ってました。「すごい! コージと衣笠!」って思ったし、とても誇らしかったし、嬉しかった。山本浩二さん自身も、あのオールスターでの2打席連続で「これは、ひょっとしたら今年優勝までいけるんじゃないか?」と勘違いかもしれないが思ったそうです。シーズン後半に向けて「やる気にさせた」オールスターでの活躍でした。その後の山本浩二の活躍ぶりは皆さんご存じのとおりです。
引退した年の日米野球でデーブ・ジョンソン監督が「一番良いバッターは山本 なぜ引退するんだい?」と言ってましたね
山本浩二さんって王さんや落合さんが居るせいか成績の割にあんまり名前聞かない気がするんだよな。
通算成績見てみると最近の柳田や鈴木誠也よりも更に凄い(特にホームラン)
打率が低いからです
デ一ブジョンソンが「コ一ジ ヤマモロは素晴らしい 彼なら大リーグでもスターになれる」と言ってた 日米野球でも評価はいつも高かった
今なら引退する必要性全くない高い数字で引退。
30超えてから、長打力が伸びた普通とは逆のところが凄いと思う。
足早く、守備範囲広く、肩も強かった。
生涯OPSが.923エグいとおもって調べてみたら王貞治生涯OPS1.08で乾いた笑いが出た
晩年のレフトを守ってる時代しか見て無いけどチャンスに強かった
引退した年日本一逃して残念だった
持病の腰痛に悩まされるもの
衣笠が休まない姿勢に休みたいと言えず、
腰に負担のかからない広角打法をあみ出してからホームランを量産。
まさに怪我の功名ってやつですね
腰痛があったとはいえ、そこから打撃のコツをつかんでしまうセンスが素晴らしい
ちなみに持病の腰痛は
「大学時代のケツバットが原因かもしれない」
そうです
@@しんちゃん-e9n 「怪我の功名」これはもっと評価されてよい。 俺は災い転じて福となすと言おうと思ったが、そっちの方が言い得て妙。
チャンスには必ず打ってくれていた。
浩二はもっと評価されるべき選手
ミスターと呼ばれたもう一人の男
山本&衣笠ともに500ホーマー200盗塁って凄すぎ….
狭い広島市民球場だから達成できた記録です。盗塁は凄いですが。
@@まっちん1582
狭くても当時は飛ばないボール
当時のカープが強かったのも納得。
@@まっちん1582
当時はどこの球場も狭かったよ。
@@まっちん1582 当時の球場なんかどこも似たり寄ったりだろ
6:35
盟友 衣笠 祥雄選手
張本 勲選手
張本勲はなぜ広島に行かなかったんでしょうね
打率・打点・本塁打の結果以上の試合の流れ、結果を左右する効果的、有効な打撃の割合が高かった
大卒でHR500本超えはミスター赤ヘルただ1人。この先もでるかどうか。
落合博満もですよ
@@こういち-q8n 落合は社会人からプロ入りだったような
@@こういち-q8n 落合は大学中退なので社会人扱いです、なので大卒500本超えは山本浩二だけですね
@@こういち-q8n落合は大卒ではなく大学中退→社会人すね
大学は中退ですね。それで社会人を経て、25歳でプロ入り。
王さん引退後の当時、セ・リーグの4番と言えば、ミスター赤ヘル山本浩二さんでした。
無類の勝負強さがありました。強いカープを衣笠さんと共に支えてきました。スーパーレジェンドです。まさに、カープの至宝です。
この人の全盛期の頃に生まれた山本姓の男子には、浩二という名前が多い。
ウチの学校には山本浩二が何人もいた。
当時の球界(つか巨人にだがw)山本コウジが二人いたな。
@@けん-o4y
そっちの山本巧児(コウジ)もなかなか良いバッターでしたね。
広島県出身?
ルーキーから試合に出続けているのに30代からの成長曲線がやばすぎる
もう何年かやれたとは思うけどリーグ優勝したのがいい花道になったのかな
そう言うのは外野だけ
本人からすればもう腰が限界だった
野球経験者なら分かるけど、腰が悪ければバッティングにならない
プロ野球屈指の5ツールプレイヤーだと思う。引退年の成績見ると数年やれるのではと思うけど腰が限界だったらしいね
センターの歴代のナンバーワン選手は別當薫か山本浩二でしょう。
走攻守3拍子揃った代表的な選手!
チャンスに強く、リーダーシップもあり、本当の意味で最高のオールラウンダー選手。小学生の時に浩二さんを見てカープファンになりました。
山本・衣笠の2枚看板、カープの誇りです!
先輩打者に、「バットにボールを乗せるんだ!バットにボールを乗せるんだ!」と、さんざん聞かされて、意味がわかんねー!と思ってたけど、30くらいの頃のホームランで、「あ‥‥今のがバットにボールを乗せるってことか!」と気づいてから、急にホームラン数が増えたと、言ってたね。
おそらくだけど、それに気づいた時は、チームの勝ち負けなんてどーでもよくて、とにかく「バットにボールを乗せる」感覚でホームランを打つことばっか考えて、またそれが結果になって、すごく楽しかったんじゃないかな。
成長って、そういうことだよね。
その先輩打者とは これもまた打撃の職人、山本一義さん。 ちなみにですが、「チームの勝ち負けなんてどうでもいい」と思っていたのは若いころ(1974年まで)。1975年にカープが初優勝したシーズンで、初めて「自分が凡退しても、次のバッターよ、打ってくれ!!」と思うようになったそうです。それまではいわゆる「負け癖」のついたチームだったのが、以降選手全員で勝ちたいと思えるチームになったとご本人のインタビュー(NHK)で発言されてましたよ。
大器晩成タイプの代表選手ですね。20代はちょっと一発のある程度の選手が、35歳前後は球界を代表する選手になっているのが凄いです。35歳で引退する選手はいっぱいいるんですけどね。
星野仙一さん?の著書で読んだあやふやな記憶ですが1975年から読みのバッティングをし出してから打率が安定して本塁打も量産出来るようになったとか。
ミスターと呼ばれるのは!!!長嶋茂雄とこの男だけだ!!!
1975年といえば、カープの初優勝、山陽新幹線が博多まで延伸し全線開通、スーパー戦隊シリーズの祖・秘密戦隊ゴレンジャーが放送開始。
この3つの出来事は偶然では片づけられない不思議な因果関係があるように思える。
浩二44本 ギャレット40本 ライトル33本 衣笠30本の200発打線凄かったです。
小1の時、この人と江夏豊を見てカープファンになった。自分がファンになった時〜学生時代を終えるまで、カープはずっとAクラスの強者でね!周りで大多数を占めてた巨人ファンや西武or阪急ファンに対して鼻高々だった…
もう一度、あの頃の絶対的な強者の立ち位置へ復活して欲しいよ(T_T)
当時は、絶対に休まない衣笠、万能選手の山本と、2人の看板選手がチームを引っぱっていましたが、FAのある今は、残念ながら
「生え抜きのスター選手がチームを引っぱる」
という形ができにくいですね (T_T)
0:05
根本 陸夫監督
1985年の打率がヤバ過ぎ
出塁率の間違えダス
最初27番だったんだ
掛布は20代が凄くて山本浩二は30代が凄い。原は20代30代変わらず大した事なかった印象
清原は10代🤣
原は凄くなりかけてたんだよ。それをシリーズ東尾の内角攻めきっかけでチャンスに弱いバッターになったの
ライトへのホームランも打てるのが特徴だった。単純にホームランとしては水谷さんのホームランの方が好きだった
広島最終年の丸が守備力強化されて頑丈になってずっといる
腰痛との付き合い方を若い選手に教えてほしい
17年目の打率がプロ野球新記録になってる
ビックリしたw
こうして見ると早くから活躍はしてるけど本当の覚醒は30代以降やな
序盤の成績も消して悪くは無いけど遅咲きに見えるのが凄い
引退した年の成績でさえ凄いわ。
30歳を過ぎてから全盛期を迎えた選手って記憶にないな...
和田さん
@@futamurateiiti 和田さんとはちょっと違うんだよな。浩二さん入団してからずっとレギュラーだったけど、2割5分前後でホームランは20本ぐらいの成績でいまいちだったのが、31歳から急に覚醒して40本打ちだした。和田さんはそもそも20代は殆ど試合に出てないでしょ...
30超えてから40本のホームラン打ち出したのは他に門田さんぐらいかな?
@@ナッキートンプソン 坂本も30過ぎてから40本を打つたよ!
@@futamurateiiti 坂本の場合は浩二さんや門田さんと違って一回きりでしょ
@@ナッキートンプソン だね!確かに
背番号がまだ27だった頃は、「好打者」タイプだったのですが、8に代わってからは、ホームラン、打点が増えましたね。腰痛のため腰をうまく使って回転で打てる
ようになったからだそうです。「法政三羽烏」の中では一番長く活躍し、一番良い成績だったのではないでしょうか。ホームランの数は、広島市民球場の広さを
加味しないといけませんが、それでもセンターから右方向へ打つという卓越した技術も付け加えないといけません。
異色のセンター
懐かしいユニフォーム
腰に赤おびwww
3番ライトル、4番山本、5番水谷、
怖い打線だった!!
Ops1.台越えが連発!
間違いなく大卒では歴代ナンバーワンのプレイヤーでしょうね
長嶋茂雄だろ
@@ゆういち-y7s 20代は長嶋さん30代は断然に浩二さん
キャリアの前半は王さんがいたからね
@@ゆういち-y7s30代以降or5ツールプレイヤーとしてなら山本浩二でしょ、
規定打席立ってないからあれやけどそれでも3割9分6厘ってえぐいな
年俸はご本人の弁では、1975年は1000万円、1976年は2000万円と倍増したと仰られています。
山本浩二さんは大学卒ではただ1人の通算500本塁打達成者です。
三度の三冠王の落合25歳入団で500本超え
@@arizono2 落合は大学中退なんでくくりとしては社会人野球出身だよ
本塁打だけでなく通算安打、盗塁数もすごい
@@arizono2 どっちも凄いでいいよ、右打者の限界点だよ、二人とも。
今年の誠也並みの成績を5年連続で続けるのか…
若い時分は田淵のほうが上でしたね。しかしこの選手は30過ぎてどんどん良くなり最終的には生涯本塁打、田淵抜いた!
田淵さんは浩二さんと違って純粋なホームラン打者で、ボールに向かって踏みこんでいく打法だったためかケガが多かったですね
しかも男前という
強かった頃のカープの選手達は、猛練習で鍛えられていたためか、みんな男らしい顔をしていてそこが好き
結構盗塁してたんですね!
17年目打率間違ってませんか?
初めてのドラフトで1位で入団し物凄く期待したが、はじめの2年は打撃がイマイチで
期待外れだった。山内が引退した頃から徐々に上向き、初優勝の年から打撃開眼したように
活躍した。大卒で即戦力のはずがプロ入り後の成長が凄かった。
読み(山張り)が上手くチャンスに強かった。大卒では未だに山本を超える選手がいない。
法政大学では2年生まで2軍で補欠…プロでは補欠どころか全て規定打席😅
福本豊、衣笠祥雄、北別府学、山本和範、加藤英司、門田博光、大杉勝男、津田恒美、今井雄太郎、新井宏昌などもとりあげてもらいたい。
カープ4番と言えばこの方しかいませんよ✨
思っていた以上に凄いわ。35歳~の成績だと王、ノムさん、落合とでトップ4かな。
門田さんも晩年が凄かったですね。
30までは、ん??まあまあかな。だけど、30超えたら覚醒したかのようにえぐいね。初めて知りました。
王さんは本塁打王を争う相手としては
浩二さんより衣笠さんのほうが脅威に思っていたらしい
ところが逆方向にホームランを量産する浩二さんの
力量を見誤ったと述べていた。
王貞治から本塁打王を奪ったのは田淵幸一ですよ
ナンバーの「豪打列伝2」山本浩二の項にありましたね
若い頃の、中距離打者だった浩二さんすら
「いずれ自分のライバルになるかもしれない」
と警戒していたところに、王さんの凄さを感じました
06:24 打率「.296」でしょうか?
288ですよ
生涯で一番悪い成績が2割5分10本は凄すぎるな 高いレベルで成績安定しすぎやろ
もちろん超レジェンドなんだけど、どうしても黒バラで野球モノマネしてた面白いおじさんっていうイメージがwww
全盛期には毎年.300 40本 110点 10盗 ops1.050超えの成績を安定して残すうえ、ゴールデングラブ取れる守備も持つとか歴代最強外野手の1人でしょ
名前はありきたりだけど、成績はありきたりじゃないw
改名してから急上昇