【毛利元就解説】第二十六話・防長経略後編、大内家滅亡【豪族達と往く毛利元就の軌跡】

แชร์
ฝัง
  • เผยแพร่เมื่อ 13 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 23

  • @塩漬けマンのYouTube奮闘記
    @塩漬けマンのYouTube奮闘記 4 ชั่วโมงที่ผ่านมา +3

    元就が五奉行に対して辛口な書状を残している背景が理解出来ました。ありがとうございました。

  • @0418ryoyoko
    @0418ryoyoko 6 ชั่วโมงที่ผ่านมา +10

    現地で研究している方によると、大内義長には介丸という息子がおり、
    義長の自害後は守役の下で帰農し、師事した方の名字に変えて医師を務めるなど子孫を残したそうです。

  • @kurbel-w2r
    @kurbel-w2r 7 ชั่วโมงที่ผ่านมา +15

    ううむ弘中隆兼が自害しておらずにいれば周防の統治はもっとやり易かったのかなぁと思ってしまうね

  • @apuro66661
    @apuro66661 4 ชั่วโมงที่ผ่านมา +1

    苦労が絶えないですね毛利家。統治するって大変なんだなあ

  • @ローラン-j4q
    @ローラン-j4q 7 ชั่วโมงที่ผ่านมา +2

    よっ!待ってました!

  • @電気ウナギ-b2v
    @電気ウナギ-b2v 8 ชั่วโมงที่ผ่านมา +1

    5:36 7:16 9:02 13:45 17:01 17:26 18:46 19:17 21:13

  • @yutakikuchi7633
    @yutakikuchi7633 8 ชั่วโมงที่ผ่านมา +9

    元々の大内嫡流は大寧寺の変によって滅んでしまっていたとはいえ、いざ本当に大内家が滅んでしまうと
    強敵を倒した達成感などではなく、元就が駆け抜けた若き日の大内家がこの世から消えてしまった無常さの方がずっと強いなぁ

    • @beowulf05201
      @beowulf05201 8 ชั่วโมงที่ผ่านมา +3

      父や兄が大内からの重圧から酒に逃げて生命を削ったのはなんだったのか、となりそうですね。

  • @長ネギマン-f2q
    @長ネギマン-f2q 8 ชั่วโมงที่ผ่านมา +8

    しかかくさんいつも投稿ありがとうございます。
    元就公は相変わらず機敏で余念がなく辛口で、家臣たちは苦労したことでしょうね。
    個人の力量を差し引いても、当時の大内家文官の教養や知見レベルを安芸の片田舎から急成長した毛利の奉行衆に求めるのは酷な話で、ちょっと可哀想です😂

  • @鶏冠坊主
    @鶏冠坊主 8 ชั่วโมงที่ผ่านมา +5

    大内に恩を感じてた人たちにとっての、恩ある大内は大寧寺の変で滅んでしまっていて
    この時の大内に対しては、命を懸けるほどは恩を感じてはなかったんでしょうかねぇ

  • @beowulf05201
    @beowulf05201 8 ชั่วโมงที่ผ่านมา +10

    すでに防長の民には大寧寺の変で大内は滅んだものとされたような流れでしたね。

  • @BALBATOS
    @BALBATOS 5 ชั่วโมงที่ผ่านมา +2

    大庭賢兼はそうか鎌倉殿の13人に出ていた大庭一族か!

  • @モルモル-g2z
    @モルモル-g2z 2 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    なぜ杉松千代丸の家督継承で秋月文種に相談してるのでしょうか

  • @ラルクアンリ
    @ラルクアンリ 8 ชั่วโมงที่ผ่านมา +1

    是非とも明治維新まで続けてほしい!

  • @matukawatositane
    @matukawatositane 4 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    大国であった大内家の奉行人のノウハウは新領国統治に置いて重宝しそうだもんなぁ

  • @しくじり大名を紹介チャンネルゆっ
    @しくじり大名を紹介チャンネルゆっ 5 ชั่วโมงที่ผ่านมา +2

    以上、大河ドラマでは1分程度の内容でした。

  • @吉見正頼
    @吉見正頼 6 ชั่วโมงที่ผ่านมา +1

    しかかくさん、投稿お疲れ様です。
    遂に大内義長の死により、鎌倉から続いた名門大内氏が滅亡し、毛利氏「国家」の拡大となりました。狼藉・横領等のオンパレードも同時並行で開催されましたが、しかかくさんのおっしゃられた通り、やはり毛利氏の弱みはここで出てしまいました。元就も来たる尼子戦に向けて、何とかしてこれを食い止めなければならない、早急な課題だったと思います。
    そのための山口奉行でしたが、永禄”元年”に終わったことを鑑みると、永禄改元に合わせたようにも見られましたが、元就が三好氏の改元に反対していたことから、あまり関係しないのではないでしょうか。
    岩正氏も興致以外にも、元就を饗応した宮内丞もいて、義隆代から言えば古参ではあります。
    これ一つ確認なのですが、オッキーのコーナーで飯田興秀が従五位下になっていますが、『歴名土代』から弘治2年には従五位上に昇叙しているので、違うのではないでしょうか。あと、従五位下=毛利元就が主君で、従五位上=飯田興秀が毛利家の下で働いていること自体、当時では相当レアすぎることですね。
    次回、隆元が当主を諦める過程が今回からも垣間見えてはいましたが、どうなるか楽しみです。

  • @shangtian-i3c
    @shangtian-i3c 3 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    これ見ると陶は変を起こして何がやりたかったのかほんと疑問。

  • @SAKURANOODLE
    @SAKURANOODLE 4 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    元主家に対する軍事行動・乱暴狼藉・無限横領地獄・小国から急拡大した故の人材不足/組織不備…これは、元就アゲをすべき大河ドラマでは扱えないよな…

  • @naoki080808
    @naoki080808 4 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    寄り合い所帯の毛利氏らしく、統制の緩さが出てますね。
    当主を中心とした官僚団の組織が急がれますが・・・って隆元お前何やっとんの!?

  • @織田信長-l9e
    @織田信長-l9e 8 ชั่วโมงที่ผ่านมา +7

    毛利がまるで大国のようだ

  • @雅雪-j1f
    @雅雪-j1f 4 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    素晴らしく見ごたえのある動画だと思います
    一次資料からのみ史実を史実として解説するのは確かに中級者以上向きですが
    だからこそ喜ばれると思いますし楽しませていただいております。
    一方で投稿主が面白く思っては居ないウィキペディア丸写しのような動画でも
    初級者の導入としては一定の効果もあり住み分けとして考えてくれたらと思っております
    また、そういった粗製乱造に近い動画とは別のドラマ仕立ての有名投稿主の動画に対して
    UP主の意図に反しての批判も散見され誤解の温床になっているかと
    「諸説」と言いながら一次資料と最新の研究及び専門研究者の引用もしっかりしているタイプですので
    おすすめ動画の連携表示の問題から意図せず目立ってしまいおかしな争いになることも危惧しています
    あれを批判するなら時代劇や大河ドラマ、歴史漫画も怪しくなってしまうわけで
    史実では無く娯楽としての部分とのすみ分けをUP主さんはわかっていても
    視聴者の中には誤解して噛みつく人も出てくるかもしれませぬので
    なるべく他動画への思いは少し抑えて自分らしい動画で続けてほしいなと思っています
    素晴らし動画をたくさん見させていただきました、応援させていただきます
    (今回の動画では無く過去動画への反応になってしまった事お許しください)

  • @大庭相模守
    @大庭相模守 7 ชั่วโมงที่ผ่านมา +2

    西国一の大名として、権勢を誇った大内家をその手で滅ぼしたとき、元就は何を思っただろうか…
    出来れば、今回紹介しきれなかった旧大内家奉行人たちも紹介していただけると幸いです。次回も楽しみに待ってます!