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11:20あたり。戦力移動の偽装の話。こういうのを待ってました。連合国のそういうエピソードは沢山あるのに、枢軸国のはあんまり聞かないので、貴重な情報が聞けて良かったです。
当時イギリスに亡命していたフランスのドゴール将軍が、「シンガポールの陥落により欧州によるアジア支配は終わった。」と言ってました。実際シンガポールだけでなく、インド、ミャンマー、マレーシアなどが第二次大戦後に、イギリスから独立し、大英帝国は崩壊しています。
実はヒトラーも寂しそうにそう言ったとされている。
後に経済学でフィリップス曲線を生み出したフィリップス氏がここで捕虜となっている。
山下中将の一幕に誤りがあります山下中将はイエスかノーかという言葉自体は発したもののそれは辿々しい通訳に対するもので、実際に山下中将はその事への取材に対して敗軍の将を恫喝するようなことができるかと言っています。
日本軍が火力や機械化を軽視していたと言うのは 誤解だとよく分かる戦いですね、工業力に限界があったけど…
英国の植民地兵には勇敢に闘わない連中も結構いますが、ネパールのグルカ族出身の者は 全体的に気合いが入っていて、他の植民地兵から「死を恐れないヤツは クレイジーかグルカだ」と言われた程です。このマレー作戦でもやはり死傷率が高く、あるグルカ兵(O-neg Nakum Decorum)は 投降せずに1949年に発見されるまでマレーのジャングルに潜んでいたそうです。
京都出身の部隊がグルカ兵の猛攻に尻尾を撒いて逃げた話がイギリスで拡散され、「あの屈強な日本軍が怖がるグルカ兵すげぇー!」というグルカ伝説が生まれた。
アニメンタリー決断で戦車で夜襲!?がありましたね
マレー作戦の解説動画はあまり無いので助かります
すげー手が込んでる
登録しました!細かい地図解説に映像による演出でものすごくわかりやすいです!マレー戦線のオーストラリア軍の戦いは際立ってますよね。ムアルの戦いでもグマスで日本軍に大打撃を与えてます。
路上で待ち伏せし、日本の95式軽戦車を撃破したのもオーストラリア人部隊。第一次世界大戦でのガリポリの戦いでもオスマン・トルコ相手に奮戦している。
@@七誌権兵衛-p3f 豪州軍にはベネット少将というトンデモ人物が居た。パーシヴァル中将の部下としてシンガポールのカニング要塞(Fort Canning)の地下に在った作戦基地(現在のThe Battle Box)内で、上司パーシヴァルに対して「もう降伏しかない」と執拗に降伏を迫った。そして日本軍入城前にちゃっかりとジャンク船で敵前逃亡・脱出して豪州に生還した。しかしなぜか故国では非公式ながら英雄のような扱いを受け、中将に昇進し、豪州西部の防衛を任された。戦後には風向きが変わり、かつての上司パーシヴァルが公然とベネットを批判した。そしてベネットに対する国家単位の調査が入ったが、結局なぜか軍法会議にかけられることはなく沙汰止みとなった。そういう意味では強運の持ち主だった。1957年にはシンガポールに出来た慰霊碑の除幕式に参加し、1960年に訪日してかつての敵司令官たちと会見した。
いわゆる「偽撃転殺(ぎげき てんさつ)の計」がこんなところで実行されていたなんて!
攻勢時と同時に行われる制圧射撃により、防御側の通信網が遮断される事態は第一次世界大戦でもあったことですね。88,000発の砲弾が一晩の内に消費されたとなると、そら補給も苦労するだろうと思いますが、その後の日本側に攻撃力が欠いていたのは火力軽視というよりも砲弾の備蓄量の問題なのでしょうかね。WWIの西部戦線は地続きで鉄道を利用できましたが、こっちは海を超えてさらに前線までマレーの輸送路を通ってくる必要がありますから。
現代も備蓄が足りていない模様
@@come5502 そう、砲弾薬はおそらく1会戦分程度、燃料備蓄は現在通常で200日分だから戦時ではおそらく1ヶ月ちょっとしかないだろう(当然日本の脆弱な備蓄基地も破壊されるから)。今尖閣諸島防衛で話題が上がるけど、攻撃第一派は完全に防げても第二波ではイージス艦は既にただの鉄の箱と化して浮かぶ棺桶となる。防空用兵器も今時ダミーを混ぜるのは常識で、そのダミー含めた第一次攻撃の撃破で防空ミサイルもほとんど使用するから第二次攻撃は逃げるしか手立てがないのが日本の実情。一部の局地戦で終わるなら何とかなるかも知れないけどね。
弾薬は不足していなかったよ。不足するのは備蓄ではなく輸送力。基本的に当時のアジアは今以上にインフラが劣悪で船、鉄道以外の輸送は不可能。トラックどころか悪路走破性に優れる戦車でも通行が難しい悪路ばかり。また橋も多く、コレが落ちていると人力輸送となる。湾口施設もシンガポール以外は貧弱で基本船側のクレーンで陸揚げする必要がある上に、侵攻側の日本軍は良港を持ち得ない。物があっても届かなければ戦えない。
随所に指揮官の采配で戦況が大きく変化するのがわかりますね最後も英軍が降伏せず反撃に転じていれば第25軍敗北の可能性が高かったというのも、戦史IFあるあるですね。乃木を恐れたクロパトキンよろしく、パーシバルの心理はどのようになっていたのか興味深いです。
但し、あくまで戦後の銃火に晒されず、現実を見ていないない将官による無責任な判断という事を忘れてはいけないよ。シンガポールの英軍には有効な対戦車火器はなく、日本の戦車を撃破するには爆薬を担いで肉薄攻撃する必要がある。弾薬不足とはいえ、使う機会の少ない機銃弾は腐る程余って居た日本の機甲部隊を突破できるとは思えないな。そして時間をかければ掛けるほど水を立たれ、制海制空権をとうの昔に喪失した英軍には元から補給がなく不利になる。シンガポールに立てこもった時点で補給線を絶たれている英軍の敗北は確定。やるならもっと前に反攻すべきだし、制海権、制空権の喪失は少なくともパーシバルの責任じゃない。戦争のタラレバは末期の日本軍にも言える事。結局現実は仕事と同じで結果が全て。
動画の終了間際のバックの戦闘機の機種や性能を知りたい。
ガルパンの島田流ってここから取られてるのかな?追記 うさぎちゃんの泣きぼくろかわいい
11:20あたり。戦力移動の偽装の話。
こういうのを待ってました。
連合国のそういうエピソードは沢山あるのに、枢軸国のはあんまり聞かないので、貴重な情報が聞けて良かったです。
当時イギリスに亡命していたフランスのドゴール将軍が、「シンガポールの陥落により欧州によるアジア支配は終わった。」と言ってました。実際シンガポールだけでなく、インド、ミャンマー、マレーシアなどが第二次大戦後に、イギリスから独立し、大英帝国は崩壊しています。
実はヒトラーも寂しそうにそう言ったとされている。
後に経済学でフィリップス曲線を生み出したフィリップス氏がここで捕虜となっている。
山下中将の一幕に誤りがあります
山下中将はイエスかノーかという言葉自体は発したもののそれは辿々しい通訳に対するもので、実際に山下中将はその事への取材に対して敗軍の将を恫喝するようなことができるかと言っています。
日本軍が火力や機械化を軽視していたと言うのは 誤解だとよく分かる戦いですね、工業力に限界があったけど…
英国の植民地兵には勇敢に闘わない連中も結構いますが、ネパールのグルカ族出身の者は 全体的に気合いが入っていて、他の植民地兵から「死を恐れないヤツは クレイジーかグルカだ」と言われた程です。このマレー作戦でもやはり死傷率が高く、あるグルカ兵(O-neg Nakum Decorum)は 投降せずに1949年に発見されるまでマレーのジャングルに潜んでいたそうです。
京都出身の部隊がグルカ兵の猛攻に尻尾を撒いて逃げた話がイギリスで拡散され、「あの屈強な日本軍が怖がるグルカ兵すげぇー!」というグルカ伝説が生まれた。
アニメンタリー決断で戦車で夜襲!?がありましたね
マレー作戦の解説動画はあまり無いので助かります
すげー手が込んでる
登録しました!細かい地図解説に映像による演出でものすごくわかりやすいです!
マレー戦線のオーストラリア軍の戦いは際立ってますよね。ムアルの戦いでもグマスで日本軍に大打撃を与えてます。
路上で待ち伏せし、日本の95式軽戦車を撃破したのもオーストラリア人部隊。第一次世界大戦でのガリポリの戦いでもオスマン・トルコ相手に奮戦している。
@@七誌権兵衛-p3f
豪州軍にはベネット少将というトンデモ人物が居た。パーシヴァル中将の部下としてシンガポールのカニング要塞(Fort Canning)の地下に在った作戦基地(現在のThe Battle Box)内で、上司パーシヴァルに対して「もう降伏しかない」と執拗に降伏を迫った。そして日本軍入城前にちゃっかりとジャンク船で敵前逃亡・脱出して豪州に生還した。しかしなぜか故国では非公式ながら英雄のような扱いを受け、中将に昇進し、豪州西部の防衛を任された。戦後には風向きが変わり、かつての上司パーシヴァルが公然とベネットを批判した。そしてベネットに対する国家単位の調査が入ったが、結局なぜか軍法会議にかけられることはなく沙汰止みとなった。そういう意味では強運の持ち主だった。1957年にはシンガポールに出来た慰霊碑の除幕式に参加し、1960年に訪日してかつての敵司令官たちと会見した。
いわゆる「偽撃転殺(ぎげき てんさつ)の計」がこんなところで実行されていたなんて!
攻勢時と同時に行われる制圧射撃により、防御側の通信網が遮断される事態は第一次世界大戦でもあったことですね。
88,000発の砲弾が一晩の内に消費されたとなると、そら補給も苦労するだろうと思いますが、その後の日本側に攻撃力が欠いていたのは火力軽視というよりも砲弾の備蓄量の問題なのでしょうかね。WWIの西部戦線は地続きで鉄道を利用できましたが、こっちは海を超えてさらに前線までマレーの輸送路を通ってくる必要がありますから。
現代も備蓄が足りていない模様
@@come5502 そう、砲弾薬はおそらく1会戦分程度、燃料備蓄は現在通常で200日分だから戦時ではおそらく1ヶ月ちょっとしかないだろう(当然日本の脆弱な備蓄基地も破壊されるから)。今尖閣諸島防衛で話題が上がるけど、攻撃第一派は完全に防げても第二波ではイージス艦は既にただの鉄の箱と化して浮かぶ棺桶となる。防空用兵器も今時ダミーを混ぜるのは常識で、そのダミー含めた第一次攻撃の撃破で防空ミサイルもほとんど使用するから第二次攻撃は逃げるしか手立てがないのが日本の実情。一部の局地戦で終わるなら何とかなるかも知れないけどね。
弾薬は不足していなかったよ。不足するのは備蓄ではなく輸送力。基本的に当時のアジアは今以上にインフラが劣悪で船、鉄道以外の輸送は不可能。トラックどころか悪路走破性に優れる戦車でも通行が難しい悪路ばかり。また橋も多く、コレが落ちていると人力輸送となる。湾口施設もシンガポール以外は貧弱で基本船側のクレーンで陸揚げする必要がある上に、侵攻側の日本軍は良港を持ち得ない。物があっても届かなければ戦えない。
随所に指揮官の采配で戦況が大きく変化するのがわかりますね
最後も英軍が降伏せず反撃に転じていれば第25軍敗北の可能性が高かったというのも、戦史IFあるあるですね。
乃木を恐れたクロパトキンよろしく、パーシバルの心理はどのようになっていたのか興味深いです。
但し、あくまで戦後の銃火に晒されず、現実を見ていないない将官による無責任な判断という事を忘れてはいけないよ。シンガポールの英軍には有効な対戦車火器はなく、日本の戦車を撃破するには爆薬を担いで肉薄攻撃する必要がある。弾薬不足とはいえ、使う機会の少ない機銃弾は腐る程余って居た日本の機甲部隊を突破できるとは思えないな。そして時間をかければ掛けるほど水を立たれ、制海制空権をとうの昔に喪失した英軍には元から補給がなく不利になる。シンガポールに立てこもった時点で補給線を絶たれている英軍の敗北は確定。やるならもっと前に反攻すべきだし、制海権、制空権の喪失は少なくともパーシバルの責任じゃない。戦争のタラレバは末期の日本軍にも言える事。結局現実は仕事と同じで結果が全て。
動画の終了間際のバックの戦闘機の機種や性能を知りたい。
ガルパンの島田流ってここから取られてるのかな?
追記 うさぎちゃんの泣きぼくろかわいい