満月

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  • เผยแพร่เมื่อ 21 มิ.ย. 2024
  • 【映像作家の日記】*動画とは無関係です
    「大和大雲海」
    若草山三重目(山頂)に立って見下ろせば、京都からつながる大和盆地のすべてが雲海に覆われる、そんな特別な風景を大和大雲海と私が勝手に呼んでいる。
    高校を卒業して撮影助手の世界に入り、大和路の紀行番組で仕事を覚えた。先輩カメラマンが大和盆地に出現する雲海の素晴らしさを熱く語っていたのをよく覚えている。滅多にお目にかかれない奇跡の瞬間。
    簡単にその雲海を撮影することは出来ない。
    私は思う、雲海とは完璧でなければならない。
    雨後の山霧や朝靄ではない。雲が低く垂れ込み、空との境目は波のようになり、快晴の空には雲ひとつなく、見渡す限りの青い空。
    真っ白な雲は、まさに海の如く、完璧でなければならない。
    先輩は言った。「この大和盆地に完璧な雲海が現れるのは10年に一度、いやそれ以上かもしれない。その瞬間にカメラを持ってそこに立っているのは奇跡に近い」と。
    私はいつの日にか助手からカメラマンになってその完璧な雲海を撮影したいと思った。
    20歳の時、東大寺お水取りの全行程を撮影する番組についた。
    深夜の二月堂で大和盆地を見下ろせば、夜明けが近づくにつれて夜霧が広がり雲海となった。
    奈良市内の街の灯りがすべて雲に隠れ、まさに奈良時代の人たちが見たであろう風景が目の前に広がった。
    でも、その雲海は完璧なものではなく、盆地すべてを覆い尽くすまでには成長しなかった。
    その時に私は思った。一生をかけて撮影という仕事を極めよう。そして、いつの日にか大和盆地に広がる完璧な雲海を撮影しよう。私の中に大きな目標が出来た。
    それから20年以上の時が過ぎ、私が目標としていた番組「THE世界遺産」で東大寺お水取りを撮影した。
    数ヶ月かけた撮影の中で二月堂から見た雲海を狙ったが、撮影には至らなかった。主題であるお水取りの撮影は納得出来る内容となったが、それだけが心残りだった。
    その後は日本を離れ、海外を中心に撮影することが多くなる。
    そして、カメラマンとして最も充実していた時に直腸癌で余命宣告を受け、撮影現場から離れることになった。
    高校を卒業してからこの日まで、私は私のすべてを仕事にかけて生きて来た。仕事しかない人生だった。
    手術の後遺症から職場復帰を諦めた時、私は生きる気力が完全になくなり、自殺しようと死場所を探していた。
    その時の心境はよく覚えている。これだけ仕事をやり切り、結果を残した。自分が目指していた所よりも遥かに上へ行くことが出来た。ここで自分の人生を終わらせても後悔など全くない。
    私の人生は素晴らしい。カメラマンを続けられないなら自分の意思で人生を終わらせよう。撮影しか出来ない私がこの病気の体で、これから先も生きて行くことは出来ないのだから。
    死ぬと決めたが、不思議と清々しい気持ちで満たされていた。
    そんな私の前に現れたのが、先輩の語っていた大和盆地に広がる雲海。
    完璧な雲海が現れたのだ。
    その時、私はふと思った。故郷であるこの大和には、私がまだ見たことのない自然の表情があるのではないか。この雲海のように。
    そう想像すると、まだ生きていたいと、そのまだ見ぬ風景を撮影するまで生きる意味はあるのではないかと、雲海を撮影しながらそう思った。カメラマンとしての好奇心と興味がこれから生きる理由となった。
    そして、私はテレビカメラマンとして職場に復帰出来ないことを受け入れ、それでも大和を仕事を離れて撮り続けることにした。
    テレビ局の後ろ盾を失って撮り続けることは簡単ではない。もはやテレビカメラマンとしての面影も消えていただろう、ただのアマチュアカメラマンとして大和を撮り続けた。
    撮り続ける中でいろんなことが予期せず変化していく。
    幸運にもNHK番組を撮影する仕事に恵まれ、意外な形でテレビカメラマンとして復帰することになった。
    縁を切るように、すべて諦めて何もかも失った時、求めていたものが向こうからやって来た。
    計算はしていなかったが、私はテレビカメラマンという自分の居場所にやっと戻ることが出来た。35年以上も自分がすべてを捧げて来たテレビカメラマンという仕事に戻れた喜びは言葉では表現できない。
    しかし、良いことは長くは続かない。
    癌の再発や手術の後遺症からの排便障害が私を苦しめる。
    次第に体が病気に負けて弱っていく感覚がある。そんな状況でも私は撮影することをやめなかった。
    撮影だけが、私が私でいられる時、この為だけに生きて来たのだから。そして、病気の苦しみを忘れられるのは撮影している時だけだった。それ以外のすべての時間は病気の苦しみや痛み、不安から逃げることが出来ない。撮影することだけが生きることだった。
    生きる理由であったNHKの仕事は打ち切りとなり、私はライフラインとなる仕事を失った。そして、この体で仕事を見つけることは出来なかった。私は世間から見ればただの失業者でしかない。
    病気とお金、ふたつの苦しみが次第に大きくなる。どちらも自分の力ではどうしようもない。追い詰められ、八方塞がりとなり、気が付けば撮影を続けることが自分自身を経済的に追い詰めることになっていた。自分で自分の首を絞めている。
    私は自分をごまかしている。
    撮影していると仕事をしているような気になっていた。
    自身の作品上映会を企画して、そのために撮影をし、台本を書き、準備をする。一見すると仕事のように見えるが、仕事ではない。
    作品上映会は常に赤字開催。収入にはつながらない。やればやるほど自分のお金を切り崩しているだけなのだ。
    でも、上映会を続けていると、まるで自分が仕事をしているように錯覚することが出来る。
    やればやるほど苦しくなるのを分かっていながら、いつかは夢が叶うだろうと、まやかしの言い訳でごまかしている。
    今の私は、仕事のふりをしているに過ぎない。
    当然、そんなことは長くは続かない。
    もうすでに破綻している、そして、もうごまかしは限界。
    私の体は悲鳴をあげて、排便障害で外出することすら難しい日が続く。もう限界だと認めなくてはならない。
    私が関わっているすべてのことをしっかりと終えてから、誰にも迷惑をかけずに、すべてを終わらせる時だと悟った。それしか残された道はなかった。体が動く間に、後始末とお礼を終わらせなくてはならない。
    お世話になっているたくさんの方々にしっかりとお礼とお別れをしなくてはならない。そのために出来ることはすべてやろう。
    そんな決心をした夜だった。
    ふと窓の外を見ると雲海のサイン。
    外に出て、空気を感じ風を感じ、空を見て、確信した。
    これは大和盆地に雲海が現れると。
    無我夢中となり気がつくと夜明け前の若草山に立っていた。
    でも、雲海に育つような雲はない。
    確かに雲海の条件は揃ってはいるが、今は梅雨入り前。
    雲海の季節は秋と春なので、私の予想が外れたと思った。
    そのまま何も撮らずに帰ろうとも思ったが、今日を最後に撮影はやめようと、最後に御蓋山を撮って終わろうと思った。
    深夜の若草山三重目には誰もいない。私は大和に感謝の気持ちを伝えるように御蓋山を撮り続けた。
    癌で倒れてから、自分で言うのも何だが本当に頑張った。
    苦しくて辛いことがほとんどだったが、たくさんの人に出会って助けられここまで生きて来た。幸せを感じた時もあった。喜びもあった。
    恩人と呼べる方々のおかげで今の自分がある。
    そして、そんな私が誰もいない若草山で御蓋山を撮影している。何とも幸せな人生だと、感謝の気持ちでいっぱいになった。
    でも、ここまで頑張ったのだから、皆さんは私を許してくれるだろう。ここで力尽きることを。
    ホトトギスの鳴き声が春日山に響いていた。
    いろんなことを思い出した。
    すると、それまでは無風だったのに御蓋山から風が吹き抜けた。
    とても冷たい風がカメラを揺らした。
    そこから、早回しのように景色が変わっていった。あっという間に雲が湧き立ち、東の空が染まり、太陽が昇る。
    朝の陽射しと共にたくさんの命が目覚め始めた。
    私は夢中になってその景色を撮り続けた。
    煌めく無数の命の真ん中に私がいる。
    興福寺の鐘が聞こえる頃には奈良公園にも雲が垂れ込み始め、気がつけば完璧な大和大雲海が出現した。
    私の経験から想像も出来ない目まぐるしい景色の変化。
    何よりも奇跡的なのは、はっきりと奇跡と呼ばせていただくが、若草山三重目でこの景色を撮影していたのは私ひとりだった。
    私と鹿だけがそこにいたのだ。
    10年に一度と先輩が教えてくれた大和大雲海。その風景を実際に見たのは私ひとりだけ。これを奇跡と言わずに何という。
    季節外れの梅雨入りに前に誰もが想像すらしなかった絶景が私だけのために神様が見せてくださったと、私は受けためた。
    それ以外には考えられない。
    この絶景は春日の神様からのメッセージなのだ。
    その意味を私は受け止めなくてはならない。
    そう思わずにはいられない。
    この大和大雲海とこれまでの経緯、これこそが神様の気配を映像にするというひとつの答えだと確信した。
    その映像は7月の上映会でご覧いただきます。
  • ภาพยนตร์และแอนิเมชัน

ความคิดเห็น • 11

  • @pirohata8453
    @pirohata8453 หลายเดือนก่อน +12

    大和大雲海…あなた様が引き寄せたのですね、あなた様と鹿さんだけに観せてくれたのですね…ワクワクしました、映像作家の日記を読んで。ご縁があれば、奈良まで行けるはず。どうか、生きたいと言ってる魂の声に耳を傾けてあげて下さい。ご自愛下さい。ご自分の身体を労って言葉をかけて下さい、魂の相棒ですから…本日も、素敵な映像詩に感謝致します。なぜだか、月夜が好きです。

  • @user-ht1iw2jz1j
    @user-ht1iw2jz1j หลายเดือนก่อน +13

    たたなづく青垣 山籠もれる大和
    紺藍色の空 同じ色の雲が流れ 天空に満月
    いにしえから続いてきた奈良の街は 今静寂の中
    保山さん
    御蓋山の神さまが、ずっと見守ってくださいます。

  • @60housnka94
    @60housnka94 หลายเดือนก่อน +2

    大和大雲海は神様が見せてくださった光景なのですね。神様はどんなときも保山さんのそばにいらっしゃるのですね。
    その大和大雲海を上映会で見られる方たちはとても幸せですね。
    まだまだ保山さんが撮るべき奇跡が奈良にあると思いました。

  • @user-xe1go4jj4k
    @user-xe1go4jj4k หลายเดือนก่อน +2

    とても綺麗で美しい満月ですね
    また……音楽とのコラボレーションも合っていて、とても素敵です
    この曲は……今は亡き母が……よく口ずさんで居た曲で……涙が溢れてきました
    ありがとうございました

  • @user-dv1ib3pq6f
    @user-dv1ib3pq6f หลายเดือนก่อน +4

    あいにく熊本は曇りで満月が見られませんでした。皆が同じ月を見て思いを馳せる。そうやって祈りは届くのでしょう。

  • @user-ev9mo1wu5f
    @user-ev9mo1wu5f หลายเดือนก่อน +6

    奈良ではピンクフルムーン会えたのですね😊
    撮影ありがとうございます💐

  • @user-xi5yw1qt8b
    @user-xi5yw1qt8b หลายเดือนก่อน +3

    私もかなり辛いときに、平城京跡にて
    雲の奇跡が起きた時があります🌟
    それはまるで神様の姿のような雲でした、
    それから
    自分自身の意志をハッキリともち
    奇跡はあるんだと
    私は、みまもられているんだと
    感じるようになりました🙆🌟

  • @bluecafe8
    @bluecafe8 หลายเดือนก่อน +2

    奈良、若草山はわたしにとってもふるさとの大切な場所です。保山さんが古都奈良の穏やかで温かいエネルギーに包まれますように。

  • @tantan-sg8cr
    @tantan-sg8cr หลายเดือนก่อน +4

    夏至のお月さまは素晴らしく黄色いお月さまでした

  • @user-kazenodrone23
    @user-kazenodrone23 หลายเดือนก่อน +3

    良いですね☆
    こちら城陽では曇って見えなかったです。

  • @user-cv9ug3oc9x
    @user-cv9ug3oc9x หลายเดือนก่อน +3

    今日はピンクムーンだった😊