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子供ながらに「逃避行」大好きでした。しかし、前年のアグネス以上に峰子姐さんは悔しかったと思われます。咲子ちゃんも入ってないし…
伊藤咲子さんは、デビュー曲、2ndシングルとも外国曲だったためやむをえませんでした。田原俊彦さんのように、2ndシングルは日本人作家の曲にすればよかったですね。なお、私も「逃避行」大好きでした。当時中学生で、レコードも買いました。
仁支川峰子が怒ってるのがよくわかる。麻生よう子が最優秀なのは!
いや、私は麻生よう子さんが最優新人賞で良かったと思っています。仁支川峰子さん(当時は西川峰子さん)は、大賞を受賞した森進一さんとレコード会社が同じビクターだったのがマイナスになったと思われます。それに、72年の麻丘めぐみさん、73年の桜田淳子さんと、ビクター勢が2年連続で最優秀新人賞を受賞したのも、さすがに3年連続はまずいという意図もあったのでしょう。翌75年も、最有力だった岩崎宏美さんが、最優秀新人賞争いで細川たかしさんに負けました。以後、ビクター専属歌手の最優秀新人賞受賞は、何と2008年の「海雪」のジェロさんまでいませんでした。
当時新人賞は「実績よりも将来性重視」としていました。両方兼ね備え、誰かどう見ても小柳ルミ子だった1971年を除くと、レコード売上が上だったソルティーシュガーや野村真樹よりにしきのあきら青い三角定規より麻丘めぐみ浅田美代子やアグネス・チャンより桜田淳子というように。結果的に翌年、にしきのあきらは「空に太陽がある限り」、麻丘めぐみは「私の彼は左きき」、桜田淳子は「はじめての出来事」と大ヒットを飛ばし、審査員の「先見の明」は評価された形となっています。この年、既に売れていた西川峰子ではなく麻生よう子だったのは今年も「俺たちの審美眼を見せてやる」というアピールがあったように思います。
当時3歳、私は親が共稼ぎで既に(1歳にならないうちから)保育園児でした。初めて聴く曲もけっこうありますね。陽水さんの「夕立」めっちゃかっこいいですね。浅野ゆう子さん昔から大人っぽかったんですよね。ちなみにテレサ・テンさんの「空港」は私の実母の十八番です。城みちるさんは…「風雲たけし城」のイメージが強いw
天地真理が一曲も入ってない?
本当にですよね!74年は恋人たちの港、恋と海とティシャツと、想い出セレナーデ、ヒットいっぱいあるのに!やっぱり頂点を極めると少し売り上げが落ちただけで売れてないイメージをつけられてしまいますね。
この頃のテレビレコード大賞番組の審査委員たちおかしいと思うまだ天地真理,知名度高いけど,俺個人的には72年の天地真理より絶対74年の天地真理の歌がいいと思う,どっちもいいけど,それぐらい74年の天地真理の歌面白いけど73年74年の歌謡曲1番面白いし感動的凄すぎる頃です
1974年のレコ大新人賞は、波乱づくめでした。まず、レコ大以外の新人賞での有力候補だった中条きよしさんが、改名後の再デビューと言う理由で、また伊藤咲子さんがデビュー曲が外国曲だったと言う理由で、審査対象外になりました。 そのため、他の新人賞の多くで落選した、浅野ゆう子さん、荒川務さん、城みちるさん、故・テレサ・テンさんなどが受賞し、滅多に受賞枠を広げることの無かったレコ大新人賞で、従来の5人から、この年に限り6人に広げられました。 その12年後、1986年では、オリコン1位の大ヒットとなった石井明美さんの「CHA-CHA-CHA」も外国曲で、本来なら審査対象外になるところでしたが、これは自局のドラマ主題歌と言う事でどうしても外せなかったのか、わざわざ「外国曲賞」なる部門賞を新設しました。 なぜ伊藤咲子さんの時に、この賞を新設しなかったのかと、疑問に思いました。
浅野ゆう子って歌はそんなに売れなかったんですね。結構いい曲あると思うんですけどね。
逃避行とあなたにあげる🎵作詞は千家先生❗️〃なのに⁉️全然違うわね😃笑い、荒川努?あいざき進也の方が人気レコード売り上げもあるのに⁉️同じ渡辺プロダから⁉️大人の事情ね⁉️笑い、井上陽水アンドレカンドレよ今の人は知らないわね😃テレサはデビュー曲は筒美京平先生だったのに🎵ヒットシナカッタのよ‼️笑い
子供ながらに「逃避行」大好きでした。しかし、前年のアグネス以上に峰子姐さんは悔しかったと思われます。咲子ちゃんも入ってないし…
伊藤咲子さんは、デビュー曲、2ndシングルとも外国曲だったためやむをえませんでした。
田原俊彦さんのように、2ndシングルは日本人作家の曲にすればよかったですね。
なお、私も「逃避行」大好きでした。
当時中学生で、レコードも買いました。
仁支川峰子が怒ってるのがよくわかる。麻生よう子が最優秀なのは!
いや、私は麻生よう子さんが最優新人賞で良かったと思っています。
仁支川峰子さん(当時は西川峰子さん)は、大賞を受賞した森進一さんとレコード会社が同じビクターだったのがマイナスになったと思われます。
それに、72年の麻丘めぐみさん、73年の桜田淳子さんと、ビクター勢が2年連続で最優秀新人賞を受賞したのも、さすがに3年連続はまずいという意図もあったのでしょう。
翌75年も、最有力だった岩崎宏美さんが、最優秀新人賞争いで細川たかしさんに負けました。
以後、ビクター専属歌手の最優秀新人賞受賞は、何と2008年の「海雪」のジェロさんまでいませんでした。
当時新人賞は「実績よりも将来性重視」としていました。
両方兼ね備え、誰かどう見ても小柳ルミ子だった1971年を除くと、
レコード売上が上だったソルティーシュガーや野村真樹よりにしきのあきら
青い三角定規より麻丘めぐみ
浅田美代子やアグネス・チャンより桜田淳子というように。
結果的に翌年、にしきのあきらは「空に太陽がある限り」、麻丘めぐみは「私の彼は左きき」、桜田淳子は「はじめての出来事」と大ヒットを飛ばし、審査員の「先見の明」は評価された形となっています。
この年、既に売れていた西川峰子ではなく麻生よう子だったのは今年も「俺たちの審美眼を見せてやる」というアピールがあったように思います。
当時3歳、私は親が共稼ぎで既に(1歳にならないうちから)保育園児でした。初めて聴く曲もけっこうありますね。陽水さんの「夕立」めっちゃかっこいいですね。浅野ゆう子さん昔から大人っぽかったんですよね。ちなみにテレサ・テンさんの「空港」は私の実母の十八番です。城みちるさんは…「風雲たけし城」のイメージが強いw
天地真理が一曲も入ってない?
本当にですよね!74年は恋人たちの港、恋と海とティシャツと、想い出セレナーデ、ヒットいっぱいあるのに!やっぱり頂点を極めると少し売り上げが落ちただけで売れてないイメージをつけられてしまいますね。
この頃のテレビレコード大賞番組の審査委員たちおかしいと思うまだ天地真理,知名度高いけど,俺個人的には72年の天地真理より絶対74年の天地真理の歌がいいと思う,どっちもいいけど,それぐらい74年の天地真理の歌面白いけど73年74年の歌謡曲1番面白いし感動的凄すぎる頃です
1974年のレコ大新人賞は、波乱づくめでした。
まず、レコ大以外の新人賞での有力候補だった中条きよしさんが、改名後の再デビューと言う理由で、また伊藤咲子さんがデビュー曲が外国曲だったと言う理由で、審査対象外になりました。
そのため、他の新人賞の多くで落選した、浅野ゆう子さん、荒川務さん、城みちるさん、故・テレサ・テンさんなどが受賞し、滅多に受賞枠を広げることの無かったレコ大新人賞で、
従来の5人から、この年に限り6人に広げられました。
その12年後、1986年では、オリコン1位の大ヒットとなった石井明美さんの「CHA-CHA-CHA」も外国曲で、本来なら審査対象外になるところでしたが、これは自局のドラマ主題歌と言う事でどうしても外せなかったのか、わざわざ「外国曲賞」なる部門賞を新設しました。
なぜ伊藤咲子さんの時に、この賞を新設しなかったのかと、疑問に思いました。
浅野ゆう子って歌はそんなに売れなかったんですね。結構いい曲あると思うんですけどね。
逃避行とあなたにあげる🎵作詞は千家先生❗️〃なのに⁉️全然違うわね😃笑い、荒川努?あいざき進也の方が人気レコード売り上げもあるのに⁉️同じ渡辺プロダから⁉️大人の事情ね⁉️笑い、井上陽水アンドレカンドレよ今の人は知らないわね😃テレサはデビュー曲は筒美京平先生だったのに🎵ヒットシナカッタのよ‼️笑い