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ありがとうございます☀
ありがとうございます。何回聴いても胸が熱くなり、感謝。感謝。です。
大らかないい時代
生長の家の教えは素晴らしい
30年前くらい、宇治で2度、榎本先生のお話を拝聴しました。その頃は、真理を頭で知っているだけでしたが、「こらえたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ」これは、神様が私たちに対する無条件の愛て祝福し、私たちを神の子として観て下さっている、というくだりを聴いて、やっと腑に落ちました。ありがとうございます。
徳久克己先生の 話
悲しきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつ卜占祭祀つとめす。親鸞聖人の歎異抄の和讃です。
生長の家の教えの完成形が「五井昌久」という白光真宏会の開祖です。生長の家の初代教祖の谷口雅春は本人が神と一つに成れていないけど、この五井氏は霊的修行を経て神と一つになった方です。元は生長の家の講師でしたが、その教えの矛盾に気づいて自らが神に生命を捧げる決意をしたことで神の方から霊的な過酷な修行をやらされて解脱を達成して神人となられました。そのことは合気道の植芝開祖も証明しています。谷口氏の教えは「人間は神の子であって完全円満」という教えです。そして、神の子は完全であるから、病気はない、肉体はない、敵はない、と言うのです。しかし、現実には病気もあるし、肉体もある、敵もいる。実際に谷口教祖は敵を認めた極右的発言をしている。口だけでそうしたことを言っているに過ぎない。「三界は唯心の所現」というのも確かにその通りだが、その法則を使って信者を責め立てる口実に使っている。「お前が病気なのは、お前の心に病気になりたい心があるからだ」とか言って、病気はないのだからすぐに寝床から起きて働けと言う。病人は苦しくてたまらないのにそうして責め立てる。「唯心の所現」という心の法則を相手を責める道具に使っている。確かに神仏の世界には病気はない。それは谷口教祖も言うように神仏は完全円満だからだ。しかし、この世で肉体を持って生まれた人間は完全ではない。本体の世界では完全なのだが、肉体をまとってこの世に生まれたらそうはいかないのである。肉体をまとってこの世に生まれたということは、この世において過去世からの業因縁を消すために生まれたのである。そうすることで過去世の業という借金を返すのである。それを出来るだけ軽く済ませたいために信仰があるのである。だから、信仰をしているからといって病気にならないとか貧乏にならないということもないのである。その人が現在病気で苦しんでいるのは何も現在の心が悪いから病気になったとは限らない。過去世の業因縁の結果の場合も多いのである。それは現在の自分にはわからない。自分が病気をしたことがないからと言って、生長の家の信者が病気にならないという保証はない。だから、現在のその人のせいにしても仕方がない。また、敵がないというのも、合気道の植芝先生のように神と一つになって絶対に無敗の場合にはそうしたことが言えるけど、そうなっていない人には言えない。現に谷口教祖は敵を認めているのである。植芝先生は自分には敵はない。宇宙とひとつになった自分には敵はいない。自分を倒そうと思ったらそれだけで既に負けている」と言われた。まさに敵はないということを身をもって体現しているのである。やはり口だけで立派なことを言ってもそれが行動として現れていなければダメである。宗教家は自分の人格力で相手を感化させる力量がなければ本物とは言えない。これはいくら霊能力があってもダメで、霊能力=霊性ではない。つまり、霊格の高さではない。霊能力と霊性の高さは別物である。霊性の高さは人格の高さであり、それだけ神仏に近いのである。。霊性の高さが基本にあって、それに霊能力がプラスされて初めて完全なる神の代理人として働けるのである。
おなじ人間なのに神様扱い。詐欺にあわないように注意したいものです。新興宗教というものは、結局最後はお金集め。騙されないように。いいように洗脳されないように。神の子なんてありえません。悲しきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつ卜占祭祀つとめす。人の弱みににつけ込み金をだまし取る人がいますので注意!善果善果、悪因悪果、自因自果、すべて因果の道理。南無阿弥陀仏。人間は、神の子ではありません。仏の子です。
???
ありがとうございます☀
ありがとうございます。
何回聴いても胸が熱くなり、感謝。感謝。です。
大らかないい時代
生長の家の教えは素晴らしい
30年前くらい、宇治で2度、榎本先生のお話を拝聴しました。
その頃は、真理を頭で知っているだけでしたが、
「こらえたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ」これは、神様が私たちに対する無条件の愛て祝福し、私たちを神の子として観て下さっている、というくだりを聴いて、やっと腑に落ちました。ありがとうございます。
徳久克己先生の
話
悲しきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつ卜占祭祀つとめす。
親鸞聖人の歎異抄の和讃です。
生長の家の教えの完成形が「五井昌久」という白光真宏会の開祖です。生長の家の初代教祖の谷口雅春は本人が神と一つに成れていないけど、この五井氏は霊的修行を経て神と一つになった方です。元は生長の家の講師でしたが、その教えの矛盾に気づいて自らが神に生命を捧げる決意をしたことで神の方から霊的な過酷な修行をやらされて解脱を達成して神人となられました。そのことは合気道の植芝開祖も証明しています。谷口氏の教えは「人間は神の子であって完全円満」という教えです。そして、神の子は完全であるから、病気はない、肉体はない、敵はない、と言うのです。しかし、現実には病気もあるし、肉体もある、敵もいる。実際に谷口教祖は敵を認めた極右的発言をしている。口だけでそうしたことを言っているに過ぎない。「三界は唯心の所現」というのも確かにその通りだが、その法則を使って信者を責め立てる口実に使っている。
「お前が病気なのは、お前の心に病気になりたい心があるからだ」とか言って、病気はないのだからすぐに寝床から起きて働けと言う。病人は苦しくてたまらないのにそうして責め立てる。「唯心の所現」という心の法則を相手を責める道具に使っている。確かに神仏の世界には病気はない。それは谷口教祖も言うように神仏は完全円満だからだ。しかし、この世で肉体を持って生まれた人間は完全ではない。本体の世界では完全なのだが、肉体をまとってこの世に生まれたらそうはいかないのである。肉体をまとってこの世に生まれたということは、この世において過去世からの業因縁を消すために生まれたのである。そうすることで過去世の業という借金を返すのである。それを出来るだけ軽く済ませたいために信仰があるのである。だから、信仰をしているからといって病気にならないとか貧乏にならないということもないのである。
その人が現在病気で苦しんでいるのは何も現在の心が悪いから病気になったとは限らない。過去世の業因縁の結果の場合も多いのである。それは現在の自分にはわからない。自分が病気をしたことがないからと言って、生長の家の信者が病気にならないという保証はない。だから、現在のその人のせいにしても仕方がない。
また、敵がないというのも、合気道の植芝先生のように神と一つになって絶対に無敗の場合にはそうしたことが言えるけど、そうなっていない人には言えない。現に谷口教祖は敵を認めているのである。植芝先生は自分には敵はない。宇宙とひとつになった自分には敵はいない。自分を倒そうと思ったらそれだけで既に負けている」と言われた。まさに敵はないということを身をもって体現しているのである。やはり口だけで立派なことを言ってもそれが行動として現れていなければダメである。宗教家は自分の人格力で相手を感化させる力量がなければ本物とは言えない。これはいくら霊能力があってもダメで、霊能力=霊性ではない。つまり、霊格の高さではない。霊能力と霊性の高さは別物である。霊性の高さは人格の高さであり、それだけ神仏に近いのである。。霊性の高さが基本にあって、それに霊能力がプラスされて初めて完全なる神の代理人として働けるのである。
おなじ人間なのに神様扱い。
詐欺にあわないように注意したいものです。
新興宗教というものは、結局
最後はお金集め。
騙されないように。
いいように洗脳されないように。神の子なんてありえません。
悲しきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつ卜占祭祀つとめす。
人の弱みににつけ込み金をだまし取る人がいますので注意!
善果善果、悪因悪果、自因自果、すべて因果の道理。
南無阿弥陀仏。
人間は、神の子ではありません。
仏の子です。
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