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カタカナはカタカムナから出来たという説があります。百済人の藤原氏が神代文字を葬ったとか。カタカナは漢字の送りがなに使って日本の文字を引き継いできたが、戦後GHQによってやめさせたとか。カタカナは漢字の一部ではないのでは?
この頃の日本はまだ色んな種族が入り混じった時代だと考えられますのでいくつかの文字と言語を使っていてもおかしくは無いと感じますよね。日本全国統一文字で無ければ認められない様な感じがしてなりませんよね。
「文字」はその進化の過程や工夫を想像することも、人類の叡智を考察するようで大変魅力的だと思う。どのような必要性からスタートし、どんな工夫を重ねコミュニケーションのツールにまで進化したのかなど。「言語」は口と耳があれば使うことがきでるが、「文字」は何かに記録しないと始まらないのが大きな違いの一つと思う。そして文字を試行錯誤で考案するにも、形を何かに残し、その意味を第三者に伝えないと文字として機能しない。楔方文字なら粘土板、漢字なら甲骨や木簡など、文字を記載する素材、筆や墨などの記録する道具が必要である。石碑は進化の順番でいくと、かなり後の方だと思う。刻む道具の進化も必要だが、そもそも刻んだ人は何を見てその文字を刻んだのか。素材としても、もち運びできないので、石碑の役割は現代の石碑と変わらないと思う。神代文字は、独自の起源がありそうに見えるので、その初期の痕跡が発見されることに期待したい。日本なら粘土板からスタートして土器に記載されていたたら面白そうに思う。
黄河文明の文字として知られている甲骨文字だけど、黄河文明の版図の全てで発見されるわけではなく殷の都では幾らでも発見されるけど、それ以外の地域ではほとんど発見されないこうした古代では文字は、黄河文明のみならず。シュメール文明やナイル文明もそうだが支配階級が独占したものであり、一般には普及してなかったようだ。もし古代日本に独自の文字が存在したとしたら、同じように限られた範囲でしか用いられていなかったのではないかと思えるが
まだインフラ整備もままならなかった時代、周りとの交流も少ない時代に仲間内で文化の継承のために各々のコミュニティでいくつも文字が発明されてたのかもしれないですね
色々な事情で、この国の古代文字が無かった事にされたり研究も進まないのが残念です💦
だって歴史的に正しいと立証されてないもん
いや、実際に古代に文字が存在した痕跡が発見されない以上は仕方がないだろう。魏志倭人伝には倭人は文字をもってなかったとはっきり記述されているしな弥生式土器に文字が刻まれているのが発見されたとかそんな大発見があれば神代文字の存在が決定的になるのだが残念ながらそんな発見は聞いたこともないしな。私も古代に文字が存在した可能性は全くないわけではないとは思う。日本に稲作を伝えたのは大陸の長江流域の人達だと考えられている。そして長江流域には独自の文字が存在したこともわかっているからなしかしそれが発見されない以上、学術的な根拠はなりえない
古史古伝/偽書や神代文字は近世神話や近世文化としてなら研究されてるよ。古事記も日本書紀もその内容がどこまで史実かは極めて怪しくても、作られた時代はわかっている。一方で古史古伝はなぜ偽書とされるかと言えば有史以前とか伝説の天皇の時代とか兎に角その古さを強調するがどれも近世以降の創作。
ん・・・・神代文字の可能性は鎌倉時代から論じられてた。確か、歴史学会では神代文字は江戸時代につくられたものだから、古史古伝は偽書であるとの見解ですよね。鎌倉時代から神代文字の可能性を論じられてたなら、神代文字は鎌倉時代以前から、あったという事になりませんかね。
とても興味深い話でした。神代文字はいろいろ種類があって、海外のいろんな古代遺跡でもヒエログリフやペトログラフとして見つかっているのが興味深いですね。(神代文字を使って日本語で読み解ける説など)Dの意志(yap遺伝子D系統)とかポーネグリフ(神代文字)にあてはまってアニメのONE PIECEみたいで驚きですね。
日本に古代文字があったか?は別にして、神代文字の主張基になっている多くの古史古伝は(こちらのチャンネルの以前の動画内でも「にわかには信じ難い」と言われていたように)あからさまに怪しい部分がありまくりですからねえ…
上代日本語には母音が8個(以上)有り、すべてきっちりと別の文字を使い書き分けられている。(例 ;万葉集 ) また母音調和 (前舌母音•後舌母音が混じらないこと)が有ったことも証明されています。しかし「神代文字」では全部 現代と同じく 母音が5個しか使用されていない。母音調和も消えている。それで近代後世のモノ、偽書と確定。
神代文字、気になっていたので、取り上げてくださり、楽しめました。なぜ、ヒエログリフや楔形文字を研究するのに、神代文字には真剣に取り組まないのでしょう。創作って片付ける前に現代の科学的、学術的研究の結果を示してほしいです。日本の古史は、軽んじられているようで悲しく思いました。
ヒエログリフや楔形文字と違って神代文字は江戸期以降の創作物だから
神代文字って日本各地の岩や壁のようなものに残っているのになかなか認められないのは何故なんでしょうね。さらに文字の種類も豊国文字、ホツマツタヱ、出雲文字、物部文字なんて認められない文字が豊富、何かを隠すためにわざと認めないのかな❓
コメントありがとうございます!何かを隠している可能性も考えられますよね。。
@@hatena_discovery さんへ神武天皇から天皇家が始まることを正史と考えるために日本書紀や古事記だけを認め、それ以前の書物を古史古伝、偽書扱いし、元になる文献が燃やされたりしたとされていることから、何か触れてはいけないものを隠蔽する行為がありましたね。文字もそれらに使われていますから認めないと私は推測しています。
単純に信憑性が低いから、だと思う偽書と同じで後世になってから捏造されたものが多すぎてマトモに論ずるに値しない
岩や壁に掘られたのが江戸時代以降だからだよ^^
古墳に石版が発見されてそこに神代文字が刻まれていたとか弥生土器に神代文字が刻まれていたとか、そういう根拠があれば学者たちも神代文字が本物だと認めるよ残念ながら、それはいまだに発見されていないのだから仕方がないわ
4:25の文字…もしかしておでん文字?まさかねぇ…(笑)
神代文字の論争は色々ありますね。一説として試聴させていただきました。神代文字と呼ばれてるものは、全部が現代語に翻訳できているのでしょうか?曲がりくねった文字が多いように思えるので体系化した人?人達?は、既に認識されている文字から流用していたと考えられなくもないです汗w有名な死海文書ですら、記載されていたヘブライ語・アラム語・ギリシア語・ナバテア語など使用された年代に差異があるのです。
徐福がBC200年頃日本に到達したなら、当然その当時から漢字も伝来しただろうし以降一部の間で使用されたでしょう。ユダヤ人の何度にも渡る渡来の時にも何かしらの文字は伝来したでしょう。 殷と日本との関わりについては、漢字の泰斗で文化勲章受賞の白川静博士が著書の中で、殷が沖縄に通貨の為に貝を取りにきた、倭人の文化と同じものがあったと言及しています
「漢字」有りきの話だよね、「漢字」以前には文字はどうだったのかな?「神代文字」のどれかが、今使っている「漢字」の読みに近かったのでは?「漢字」を使い、他国に対しても読めるようにして「正当な歴史」として伝える事に用いたのが「漢字」だったのか、そもそもが「漢字」と読むモノが、「神字」として広めてみたが「漢字」になったと推察してもいます。
遥か昔学校で国語で習いましたが、詳しく知る人は少ないでしょうね❤
追加しておきますと、神武天皇以前つまり古事記以前の文字は大きく三段階に分かれています。最古の三種類が神代文字で起源は八意思兼神(おもいかねのかみ)の口の開きからアオウエイの母音が生まれたと言います。此れが神代文字の象形文字に当たります。カタカナは鵜葦草葦不合命の第三世の時代に積羽兄太命と積羽弟太命により今のカタカナに凡そ似たカタカナを作り上げました。カタカナとは形神名(かたちかむな)が訛ったものです。神代から鵜葦草葦不合の王朝以前迄の文字を太古文字と言って鵜葦草葦不合命七十三代の間に生まれた文字を古代文字と呼びます。つまり神代文字~太古文字~古代文字と段階を経ているのが日本の文字の歴史です。
ぶっちゃけ、神代文字は後代の創作だと思っているが。もともと古代には日本には母音が八つ存在したが、神代文字は現在と同じく五つしか母音が存在しないからなしかし神代に文字が存在した可能性はゼロではないとは思っている。古代の長江流域には巴蜀文字と呼ばれる古い文字が存在した。この古代長江文明の人達が内部の争乱や黄河文明の侵略によって海を渡り逃走してきた人達が、稲作を伝えた弥生人の先祖である可能性が高い古代長江文明の人達の中に知識階級の人が存在し、巴蜀文字のような長江文明の文字を伝えた可能性はあるだろうな。まあ、現物となる文字が発見されていない以上は、あくまで可能性の問題で述べるしかないが
昔の言葉はもう専門家にしか解けないですね。旧字の漢字は戦争で負けて今の文字に変えられたから戦前の文字はどれも読めなくなったって話もあるし、真実を知りたい。
地方により文字が違うのは、文字を必要とする神に仕えし人物が、御呪いや祝詞を唱える時に記し読むのに文字が必要だったのかもしれないな!😂
神代文字を否定する決定的な論拠、として見つけた説を一つ。~文字は音を表すものである。奈良時代以前の古代日本においてはイロハ47音に加えて最低でも20の音節が区別されていた。(濁音を含めると88音節とも)にもかかわらず全ての神代文字はイロハ47文字ないし50音を書き分ける域を出ていない。つまり、神代文字は奈良時代以前の言語的特徴を全く示していない。このことからも神代文字が後世の創作であることは明らかである~・・・というものだけど、どう思いますかね?
いろは47音しか無いのであればやはり後世の創作ですね?
正解じゃん
本来日本最古の神代文字と言うのは厳密には三種類だけです。カタカナの原型と成った象形文字と天霊流文字と天霊流クサホ文字の三種です。天霊流(あひる)と言うのは朝昼夜を示すアヒルです。
ボクはウヨではないけど古事記を読むし伊勢神宮に残ってるのは興味深いチャン登します(W •̀ ✓•́)
ネトウヨとか左巻き用語使ってるだけで🤭知的レベル自ら晒してることになるぞ🤣
コメント、チャンネル登録ありがとうございます!
歴史学って権威と呼ばれる教授の主張に反する新たな学説は認められないって悪習は今も続いてるのかね?純粋な探究心ではなく権威に排除されない為の研究じゃ意味が無い。
権威ある教授に逆らっちゃいけないなんて悪習は全くないんだけど何言ってんだマジでw神代文字は正しくないから認められてないだけだわww「悪習」の例があるなら具体的な名前出してみろよ
孟子や孔子の時代は紀元前。中国大陸に近い日本に文字がなかったとは考えられませんね。縄文人は戦わない民。戦う民がやってきて、国譲りをした時、文字も戦う民のものを使うように変えたのでしょう。でも、あちこちに残していた。ペトログラフや長の家に。
Thanks!
Thank you,too.
最古は龍体文字です。
出雲文字のことが語れていない‼️
徳島にも出雲大社あるんだよね。不思議
漢字が苦手なので、神代文字は良いかも知れない
カタカナは、ひらがなより先に、できています。男文字です。ひらがなは、女文字です。あひる文字は、縄文人文字ではないでしょうかね〜 サンカは、縄文人の末裔ですからね
阿比留文字は朝鮮ハングルの原型と思いますが言及されませんでしたね、残念です。
カタカナはカタカムナから出来たという説があります。百済人の藤原氏が神代文字を葬ったとか。カタカナは漢字の送りがなに使って日本の文字を引き継いできたが、戦後GHQによってやめさせたとか。カタカナは漢字の一部ではないのでは?
この頃の日本はまだ色んな種族が入り混じった時代だと考えられますのでいくつかの文字と言語を使っていてもおかしくは無いと感じますよね。
日本全国統一文字で無ければ認められない様な感じがしてなりませんよね。
「文字」はその進化の過程や工夫を想像することも、人類の叡智を考察するようで大変魅力的だと思う。
どのような必要性からスタートし、どんな工夫を重ねコミュニケーションのツールにまで進化したのかなど。
「言語」は口と耳があれば使うことがきでるが、「文字」は何かに記録しないと始まらないのが大きな違いの一つと思う。
そして文字を試行錯誤で考案するにも、形を何かに残し、その意味を第三者に伝えないと文字として機能しない。
楔方文字なら粘土板、漢字なら甲骨や木簡など、文字を記載する素材、筆や墨などの記録する道具が必要である。
石碑は進化の順番でいくと、かなり後の方だと思う。刻む道具の進化も必要だが、そもそも刻んだ人は何を見てその文字を刻んだのか。素材としても、もち運びできないので、石碑の役割は現代の石碑と変わらないと思う。
神代文字は、独自の起源がありそうに見えるので、その初期の痕跡が発見されることに期待したい。
日本なら粘土板からスタートして土器に記載されていたたら面白そうに思う。
黄河文明の文字として知られている甲骨文字だけど、黄河文明の版図の全てで発見されるわけではなく
殷の都では幾らでも発見されるけど、それ以外の地域ではほとんど発見されない
こうした古代では文字は、黄河文明のみならず。シュメール文明やナイル文明もそうだが
支配階級が独占したものであり、一般には普及してなかったようだ。
もし古代日本に独自の文字が存在したとしたら、同じように限られた範囲でしか用いられていなかったのではないかと思えるが
まだインフラ整備もままならなかった時代、周りとの交流も少ない時代に仲間内で文化の継承のために各々のコミュニティでいくつも文字が発明されてたのかもしれないですね
色々な事情で、この国の古代文字が無かった事にされたり研究も進まないのが残念です💦
だって歴史的に正しいと立証されてないもん
いや、実際に古代に文字が存在した痕跡が発見されない以上は仕方がないだろう。
魏志倭人伝には倭人は文字をもってなかったとはっきり記述されているしな
弥生式土器に文字が刻まれているのが発見されたとか
そんな大発見があれば神代文字の存在が決定的になるのだが
残念ながらそんな発見は聞いたこともないしな。
私も古代に文字が存在した可能性は全くないわけではないとは思う。
日本に稲作を伝えたのは大陸の長江流域の人達だと考えられている。
そして長江流域には独自の文字が存在したこともわかっているからな
しかしそれが発見されない以上、学術的な根拠はなりえない
古史古伝/偽書や神代文字は近世神話や近世文化としてなら研究されてるよ。
古事記も日本書紀もその内容がどこまで史実かは極めて怪しくても、作られた時代はわかっている。
一方で古史古伝はなぜ偽書とされるかと言えば有史以前とか伝説の天皇の時代とか兎に角その古さを強調するがどれも近世以降の創作。
ん・・・・神代文字の可能性は鎌倉時代から論じられてた。
確か、歴史学会では神代文字は江戸時代につくられたものだから、古史古伝は偽書であるとの見解ですよね。
鎌倉時代から神代文字の可能性を論じられてたなら、神代文字は鎌倉時代以前から、あったという事になりませんかね。
とても興味深い話でした。
神代文字はいろいろ種類があって、海外のいろんな古代遺跡でもヒエログリフやペトログラフとして見つかっているのが興味深いですね。(神代文字を使って日本語で読み解ける説など)
Dの意志(yap遺伝子D系統)とかポーネグリフ(神代文字)にあてはまってアニメのONE PIECEみたいで驚きですね。
日本に古代文字があったか?は別にして、神代文字の主張基になっている多くの古史古伝は(こちらのチャンネルの以前の動画内でも「にわかには信じ難い」と言われていたように)あからさまに怪しい部分がありまくりですからねえ…
上代日本語には母音が8個(以上)有り、すべてきっちりと別の文字を使い書き分けられている。(例 ;万葉集 ) また母音調和 (前舌母音•後舌母音が混じらないこと)が有ったことも証明されています。しかし「神代文字」では全部 現代と同じく 母音が5個しか使用されていない。母音調和も消えている。それで近代後世のモノ、偽書と確定。
神代文字、気になっていたので、取り上げてくださり、楽しめました。
なぜ、ヒエログリフや楔形文字を研究するのに、神代文字には真剣に取り組まないのでしょう。
創作って片付ける前に現代の科学的、学術的研究の結果を示してほしいです。
日本の古史は、軽んじられているようで悲しく思いました。
ヒエログリフや楔形文字と違って神代文字は江戸期以降の創作物だから
神代文字って日本各地の岩や壁のようなものに残っているのになかなか認められないのは何故なんでしょうね。さらに文字の種類も豊国文字、ホツマツタヱ、出雲文字、物部文字なんて認められない文字が豊富、何かを隠すためにわざと認めないのかな❓
コメントありがとうございます!
何かを隠している可能性も考えられますよね。。
@@hatena_discovery さんへ
神武天皇から天皇家が始まることを正史と考えるために日本書紀や古事記だけを認め、それ以前の書物を古史古伝、偽書扱いし、元になる文献が燃やされたりしたとされていることから、何か触れてはいけないものを隠蔽する行為がありましたね。文字もそれらに使われていますから認めないと私は推測しています。
単純に信憑性が低いから、だと思う
偽書と同じで後世になってから捏造されたものが多すぎてマトモに論ずるに値しない
岩や壁に掘られたのが江戸時代以降だからだよ^^
古墳に石版が発見されてそこに神代文字が刻まれていたとか
弥生土器に神代文字が刻まれていたとか、そういう根拠があれば学者たちも神代文字が本物だと認めるよ
残念ながら、それはいまだに発見されていないのだから仕方がないわ
4:25の文字…
もしかしておでん文字?
まさかねぇ…(笑)
神代文字の論争は色々ありますね。一説として試聴させていただきました。
神代文字と呼ばれてるものは、全部が現代語に翻訳できているのでしょうか?曲がりくねった文字が多いように思えるので体系化した人?人達?は、既に認識されている文字から流用していたと考えられなくもないです汗w
有名な死海文書ですら、記載されていたヘブライ語・アラム語・ギリシア語・ナバテア語など使用された年代に差異があるのです。
徐福がBC200年頃日本に到達したなら、当然その当時から漢字も伝来しただろうし以降一部の間で使用されたでしょう。ユダヤ人の何度にも渡る渡来の時にも何かしらの文字は伝来したでしょう。 殷と日本との関わりについては、漢字の泰斗で文化勲章受賞の白川静博士が著書の中で、殷が沖縄に通貨の為に貝を取りにきた、倭人の文化と同じものがあったと言及しています
「漢字」有りきの話だよね、「漢字」以前には文字はどうだったのかな?
「神代文字」のどれかが、今使っている「漢字」の読みに近かったのでは?
「漢字」を使い、他国に対しても読めるようにして「正当な歴史」として伝える事に用いたのが
「漢字」だったのか、そもそもが「漢字」と読むモノが、「神字」として広めてみたが
「漢字」になったと推察してもいます。
遥か昔学校で国語で習いましたが、詳しく知る人は少ないでしょうね❤
追加しておきますと、神武天皇以前つまり古事記以前の文字は大きく三段階に分かれています。最古の三種類が神代文字で起源は八意思兼神(おもいかねのかみ)の口の開きからアオウエイの母音が生まれたと言います。此れが神代文字の象形文字に当たります。カタカナは鵜葦草葦不合命の第三世の時代に積羽兄太命と積羽弟太命により今のカタカナに凡そ似たカタカナを作り上げました。カタカナとは形神名(かたちかむな)が訛ったものです。
神代から鵜葦草葦不合の王朝以前迄の文字を太古文字と言って鵜葦草葦不合命七十三代の間に生まれた文字を古代文字と呼びます。つまり神代文字~太古文字~古代文字と段階を経ているのが日本の文字の歴史です。
ぶっちゃけ、神代文字は後代の創作だと思っているが。
もともと古代には日本には母音が八つ存在したが、神代文字は現在と同じく五つしか母音が存在しないからな
しかし神代に文字が存在した可能性はゼロではないとは思っている。
古代の長江流域には巴蜀文字と呼ばれる古い文字が存在した。
この古代長江文明の人達が内部の争乱や黄河文明の侵略によって海を渡り逃走してきた人達が、稲作を伝えた弥生人の先祖である可能性が高い
古代長江文明の人達の中に知識階級の人が存在し、巴蜀文字のような長江文明の文字を伝えた可能性はあるだろうな。
まあ、現物となる文字が発見されていない以上は、あくまで可能性の問題で述べるしかないが
昔の言葉はもう専門家にしか解けないですね。旧字の漢字は戦争で負けて今の文字に変えられたから戦前の文字はどれも読めなくなったって話もあるし、真実を知りたい。
地方により文字が違うのは、文字を必要とする神に仕えし人物が、御呪いや祝詞を唱える時に記し読むのに文字が必要だったのかもしれないな!😂
神代文字を否定する決定的な論拠、として見つけた説を一つ。
~文字は音を表すものである。奈良時代以前の古代日本においてはイロハ47音に加えて最低でも20の音節が区別されていた。(濁音を含めると88音節とも)
にもかかわらず全ての神代文字はイロハ47文字ないし50音を書き分ける域を出ていない。
つまり、神代文字は奈良時代以前の言語的特徴を全く示していない。
このことからも神代文字が後世の創作であることは明らかである~
・・・というものだけど、どう思いますかね?
いろは47音しか無いのであればやはり後世の創作ですね?
正解じゃん
本来日本最古の神代文字と言うのは厳密には三種類だけです。カタカナの原型と成った象形文字と天霊流文字と天霊流クサホ文字の三種です。天霊流(あひる)と言うのは朝昼夜を示すアヒルです。
ボクはウヨではないけど
古事記を読むし伊勢神宮
に残ってるのは興味深い
チャン登します(W •̀ ✓•́)
ネトウヨとか左巻き用語使ってるだけで🤭知的レベル自ら晒してることになるぞ🤣
コメント、チャンネル登録ありがとうございます!
歴史学って権威と呼ばれる教授の主張に反する新たな学説は認められないって悪習は今も続いてるのかね?純粋な探究心ではなく権威に排除されない為の研究じゃ意味が無い。
権威ある教授に逆らっちゃいけないなんて悪習は全くないんだけど何言ってんだマジでw
神代文字は正しくないから認められてないだけだわww
「悪習」の例があるなら具体的な名前出してみろよ
孟子や孔子の時代は紀元前。中国大陸に近い日本に文字がなかったとは考えられませんね。縄文人は戦わない民。戦う民がやってきて、国譲りをした時、文字も戦う民のものを使うように変えたのでしょう。でも、あちこちに残していた。ペトログラフや長の家に。
Thanks!
Thank you,too.
最古は龍体文字です。
出雲文字のことが語れていない‼️
徳島にも出雲大社あるんだよね。不思議
漢字が苦手なので、神代文字は良いかも知れない
カタカナは、ひらがなより先に、できています。男文字です。
ひらがなは、女文字です。
あひる文字は、縄文人文字ではないでしょうかね〜 サンカは、縄文人の末裔ですからね
阿比留文字は朝鮮ハングルの原型と思いますが言及されませんでしたね、残念です。