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配信ありがとうございます🙇🎶「別涙」わかれは本当に色々ありますね🎶私には元気であった幼少期の時の別れがあり同時に難病を発症した為にそれまでの記憶との別れもあり母親と二人で暮らし3年前に私の人生共に過ごしてきた母との別れがありこれからも病と生涯悲しいかな別れられないですが林部さんと歌を通しての出会いだけはずっと聴かせて頂きたいと思っています🎶💞林部さんがこの先もずっと歌い継ぎ続けて頂ける迄別れはないと思っています🎶
林部智史さんとは、別れはありませんよ(^.^)
「因幡晃さん」の楽曲は数多く聴いたことはありませんでしたが、毎日聴いていると、物凄く「やさしい声」「感情の入れ方」の最高な方だということがわかってきました。この曲に関して言えば、「林部智史さん」よりも「やさしく細めの声」の持ち主なのかもしれませんね。「泣いてもついていけるものならば、ついていきたいけれど・・・」、夫が亡くなったときは、泣くことさえ忘れていました。今思えば、泣き崩れている暇なんてなかったのですね。訃報を聞きつけた来客者が多すぎて。この曲を紹介してもらってから、いつもその当時のことを思い出し、今更ながらに涙している私がいました。「わかっていただけますでしょうか。」
よ~く分かります(^.^)
「別涙」を紹介していただいてから、毎日聴いています。「因幡晃さん」の歌唱にも心迫る思いをかんじながら。「泣いてついていきたいけれど・・・」、今はまだ泣いてもどうしても亡き夫に、ついていくことはできません。まだまだ、私の心を歌ってくれる楽曲をたくさん聴いてからでないと。心残りの無いように配信してくださる楽曲をたくさん聴いて楽しんでからにしたいものです。命あるうちに自分の人生を楽しまなくちゃ。ねえ、夫さん。
泣いてついて行きたいけれど、、、なんか、身につまされます(^.^)
札幌の大通り公園、懐かしいですね。少しは涼しいかなと思い、家族量で行ったときに限ってとても暑い日に当たってしまいました。タワーの中が一番暑かったです。今はまた様相が変わっていることでしょうね。
大通り公園 いいよね(^.^)
医者に命の期限を告げられてから2週間後に亡くなった夫。この曲の歌詞と同じでした。夫には教えませんでした。というよりは、入院中病院に行くたびに笑顔で向かい合ってくれる人には絶対に言うまいと決めていたから。「別涙という日がくること」を知っていた私も笑いを絶やすことなく3時間位、他愛もないことを話して帰ることが精一杯でした。夫に悟られることなく。「泣いてついていきたいけれど・・・」の気持ちそのままでした。「別涙」、辛い曲ですよね。でも、毎日聴いています。
私の 別涙(わかれ) は、私は、初恋の女性に対する想いの歌でした。死ぬ前に、やっぱり逢おうと思ったのに、、、二度と逢わないつもりでしたが、、、、勇気を出して、今 幸せでしょうかと、訪ねて行ったら、、、今日が、死んで5日目でした。と、言われました(@_@;) 辛かったですね~彼女の家族が、、、虫の知らせって、あるんですねって、、、50年ぶりだったのに、、、
@@REVIVAL-f7t さま命あっての「別涙」と死に別れとは、その重さや『想いの度合い」が全く違いますね。夫のほかにも、中学校で一緒だった人と年賀のやり取りをしていましたが、その年に年賀が来ませんでした。仙台に住んでいた人だったので、電話をしてみたら、ご主人が出られて、「買い物中に倒れてそのまま亡くなりました」とのこと。そのことを聞いた後、どんなことを話したのか記憶にありません。「そのうちに何処かで会おうね」と約束していた人の「死」もつらかったです。1年しかいなかった中学校でたった一人の友達だったから・・・。
人には、100も200も、、、いや 数えきれないドラマがあるのかもしれませんね。ありがとうございました。
@@REVIVAL-f7t私も死ぬ前に会っておきたい人が居ます😂
「別涙」、この字で「わかれ」とタイトルを付けたのは、「因幡晃さん」でしょうか。「わかれ」にもいろいろな「わかれ」があります。大学を卒業したのち、教職の仕事に就くことがきまり、それまで事あるごとに一緒に行動していた人の元を離れることになりました。転校転校で過ごしてきた私にとっては、一番長く過ごしてきた人との「わかれ」。自分の人生を生きていくためには必要なことと思い直して、長く過ごした地を離れ勤め先へ赴任したことを思い出しています。でも、その赴任先で「運命の人」との出会いがあり、40数年暮らしてきましたが、その先に待っていたのは「運命の人」との永遠の「わかれ」だったとさ。私の人生もあちこちの街で暮らしてきた「忙しい人生」でしたよ。今は「林部智史さん」の歌を聴きながら、一人で楽しんでいます。「こんな生活をしてきた私の心をわかってください」。
いつもありがとうございます。とても嬉しいです(^.^) わかれとつけたのは、因幡さんでしょう ご本人の作詞、作曲ですから。私も、仕事の仲間、先輩、後輩と沢山わかれを経験しました。でも、懐かしく振り返ることもあり、若かりし頃の、楽しい想い出となっているようです。小学校の6年生から、私は人気者でしたが、、、先生からは、リーダーシップがあるからだと、クラス委員となり 中学校でも、野球部の監督していた先生がクラス担任でもありまして、ミスターまとめ屋などと言われて、3年間クラス委員で、クラスをまとめて校内の球技大会など、いつも優勝してきたような気がしています。そんな私だった事を、わかってください(笑)
@@REVIVAL-f7t さま皆さんそれぞれに、たくさんの思い出を持ちながら、今を生きていらっしゃるのですね。私は全く知らない地で過ごすことは自然に「当たり前」のこととなってきました。友達も誰もいない地で生活できていることが不思議なくらいです。クラスのまとめ役的存在として過ごされてきたあなたが羨ましい気もします。が、それぞれの人の『人生に歴史あり」ですね。内容は違えど、過ごしてみれば楽しかったこともたくさんありました。今度はどんな曲を聴かせてくださるのでしょうか。楽しみにしています。
ご丁寧に、ありがとうございました。
配信有難う有難う御座います因幡 さんの曲好き好きでシーディーを持ってます🎉いつか?林部さんにも歌ってもらいたいです😂
そうだよね。合いそうですよね、、、林部君にも(^.^)
配信ありがとうございます🙇🎶「別涙」わかれは本当に色々ありますね🎶私には元気であった幼少期の時の別れがあり同時に難病を発症した為にそれまでの記憶との別れもあり母親と二人で暮らし3年前に私の人生共に過ごしてきた母との別れがありこれからも病と生涯悲しいかな別れられないですが林部さんと歌を通しての出会いだけはずっと聴かせて頂きたいと思っています🎶💞林部さんがこの先もずっと歌い継ぎ続けて頂ける迄別れはないと思っています🎶
林部智史さんとは、別れはありませんよ(^.^)
「因幡晃さん」の楽曲は数多く聴いたことはありませんでしたが、毎日聴いていると、物凄く「やさしい声」「感情の入れ方」の
最高な方だということがわかってきました。この曲に関して言えば、「林部智史さん」よりも「やさしく細めの声」の持ち主なのかもしれませんね。
「泣いてもついていけるものならば、ついていきたいけれど・・・」、夫が亡くなったときは、泣くことさえ忘れていました。今思えば、
泣き崩れている暇なんてなかったのですね。訃報を聞きつけた来客者が多すぎて。
この曲を紹介してもらってから、いつもその当時のことを思い出し、今更ながらに涙している私がいました。
「わかっていただけますでしょうか。」
よ~く分かります(^.^)
「別涙」を紹介していただいてから、毎日聴いています。「因幡晃さん」の歌唱にも心迫る思いをかんじながら。
「泣いてついていきたいけれど・・・」、今はまだ泣いてもどうしても亡き夫に、ついていくことはできません。
まだまだ、私の心を歌ってくれる楽曲をたくさん聴いてからでないと。心残りの無いように配信してくださる楽曲をたくさん聴いて楽しんでからに
したいものです。命あるうちに自分の人生を楽しまなくちゃ。ねえ、夫さん。
泣いてついて行きたいけれど、、、なんか、身につまされます(^.^)
札幌の大通り公園、懐かしいですね。少しは涼しいかなと思い、家族量で行ったときに限ってとても暑い日に当たってしまいました。
タワーの中が一番暑かったです。今はまた様相が変わっていることでしょうね。
大通り公園 いいよね(^.^)
医者に命の期限を告げられてから2週間後に亡くなった夫。この曲の歌詞と同じでした。夫には教えませんでした。
というよりは、入院中病院に行くたびに笑顔で向かい合ってくれる人には絶対に言うまいと決めていたから。
「別涙という日がくること」を知っていた私も笑いを絶やすことなく3時間位、他愛もないことを話して帰ることが精一杯でした。
夫に悟られることなく。「泣いてついていきたいけれど・・・」の気持ちそのままでした。
「別涙」、辛い曲ですよね。でも、毎日聴いています。
私の 別涙(わかれ) は、
私は、初恋の女性に対する想いの歌でした。死ぬ前に、やっぱり逢おうと思ったのに、、、
二度と逢わないつもりでしたが、、、、勇気を出して、今 幸せでしょうかと、訪ねて行ったら、、、
今日が、死んで5日目でした。と、言われました(@_@;) 辛かったですね~
彼女の家族が、、、虫の知らせって、あるんですねって、、、50年ぶりだったのに、、、
@@REVIVAL-f7t さま
命あっての「別涙」と死に別れとは、その重さや『想いの度合い」が全く違いますね。
夫のほかにも、中学校で一緒だった人と年賀のやり取りをしていましたが、その年に年賀が来ませんでした。
仙台に住んでいた人だったので、電話をしてみたら、ご主人が出られて、「買い物中に倒れてそのまま亡くなりました」とのこと。
そのことを聞いた後、どんなことを話したのか記憶にありません。「そのうちに何処かで会おうね」と約束していた人の
「死」もつらかったです。1年しかいなかった中学校でたった一人の友達だったから・・・。
人には、100も200も、、、いや 数えきれないドラマがあるのかもしれませんね。
ありがとうございました。
@@REVIVAL-f7t私も死ぬ前に会っておきたい人が居ます😂
「別涙」、この字で「わかれ」とタイトルを付けたのは、「因幡晃さん」でしょうか。
「わかれ」にもいろいろな「わかれ」があります。大学を卒業したのち、教職の仕事に就くことがきまり、
それまで事あるごとに一緒に行動していた人の元を離れることになりました。転校転校で過ごしてきた私にとっては、一番長く過ごしてきた人との
「わかれ」。自分の人生を生きていくためには必要なことと思い直して、長く過ごした地を離れ勤め先へ赴任したことを思い出しています。
でも、その赴任先で「運命の人」との出会いがあり、40数年暮らしてきましたが、その先に待っていたのは
「運命の人」との永遠の「わかれ」だったとさ。私の人生もあちこちの街で暮らしてきた「忙しい人生」でしたよ。
今は「林部智史さん」の歌を聴きながら、一人で楽しんでいます。「こんな生活をしてきた私の心をわかってください」。
いつもありがとうございます。とても嬉しいです(^.^) わかれとつけたのは、因幡さんでしょう ご本人の作詞、作曲ですから。私も、仕事の仲間、先輩、後輩と沢山わかれを経験しました。でも、懐かしく振り返ることもあり、若かりし頃の、楽しい想い出となっているようです。小学校の6年生から、私は人気者でしたが、、、先生からは、リーダーシップがあるからだと、クラス委員となり 中学校でも、野球部の監督していた先生がクラス担任でもありまして、ミスターまとめ屋などと言われて、3年間クラス委員で、クラスをまとめて校内の球技大会など、いつも優勝してきたような気がしています。そんな私だった事を、わかってください(笑)
@@REVIVAL-f7t さま
皆さんそれぞれに、たくさんの思い出を持ちながら、今を生きていらっしゃるのですね。
私は全く知らない地で過ごすことは自然に「当たり前」のこととなってきました。友達も誰もいない地で生活できていることが
不思議なくらいです。
クラスのまとめ役的存在として過ごされてきたあなたが羨ましい気もします。が、それぞれの人の
『人生に歴史あり」ですね。
内容は違えど、過ごしてみれば楽しかったこともたくさんありました。今度はどんな曲を聴かせてくださるのでしょうか。
楽しみにしています。
ご丁寧に、ありがとうございました。
配信有難う有難う御座います因幡 さんの曲好き好きでシーディーを持ってます🎉いつか?林部さんにも歌ってもらいたいです😂
そうだよね。合いそうですよね、、、林部君にも(^.^)