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今はユウチューブでも、こういった、昭和の時代の、古き良き演歌を、聴くことができるのですね。良い時代になりました。私の時代は、もっぱら、レコード。CDが出たと思ったら、そのシーデーも、最近は、少なくなっているようですね。田所の歌は、大和魂だ。学友と、田所のような、良い男になることを、憧れとしていた。彼には、日本の芸能界を、支えて頂きたかった。田所は、男色家という話があり、それを苦に失踪したと、言われていたが、恐らく、女性がいただろう。到底、男色家とは、思い難い。それが、普通ですから。昭和は。田所の歌は、是非、今のKポップや、アニメの歌ばかりを聴いている若者にも、聴いて貰いたいものです。令和の世、だからこそ、昔の素晴らしい日本の歌を、若い人達も、大切にするべきです。
ジジィ文法を完璧にマスターしてて草
@@car-daisuki-man こんな。爺の感想を、気に入ってくださり、有難うございます。古い想い出話等、恥ずかしい限りですが。一人でも多く、田所を知っている方が増えて、爺は迚も嬉しいです。
@@user-ux8cj6fs8n 句読点の付け方が実に本物っぽい
コメ主はネタだけど、なんで年配の人の文章ってやたら句点が多いんだろう?気になって調べたことあるけど、納得できる答えがなかった。
@@car-daisuki-man yahooニュースのコメ欄にいっぱいいるよな
集団就職で汽車に乗って釧路を離れ、60年が経ちます。見ず知らずの東京の地でこの歌を聴き、釧路の美しい海原と大地の情景が浮かび、故郷に帰りたいとよく泣いたものです。先日久しぶりに釧路に帰省をしましたが、もう変わってしまいましたね。賑わいに溢れた商店街は寂れ炭鉱は閉山して主産業が消え見るも無惨な姿になってしまいました。あの頃の釧路が恋しいですね。
人生で初めてちゃんと聞いた演歌がこれだなんて屈辱的すぎる
2番目がこれ(1番目が津軽海峡冬景色)
普通に良い曲だよ。近所の爺さんに聞かせてみなよ。
演歌はいいゾ^~。もっと聞け^~。おすすめは、北島三郎、氷川きよしとか色々^~。俺が小学生の時はよく聞いてたゾ^~。(20代です)
これって勲章ですよ
耐えて
釧路の特徴をきちんと掴んでるの道民からしてポイント高い。普段海を見ない民からして、釧路の特別感と去り際のなんとも言えない感情が思い起こされた。この歌に感化された方のお越しをお待ちしている…
ちゃんと霧出るとこ原作再現で感動した(道民並感)
安易に湿原を出していない所が良き良き
@@7747-s5g確かに釧路といえば霧深き漁港と製紙の街ですから、釧路湿原は安易ですね。個人的に花咲線の車窓から見える別寒辺牛湿原を私は推したいですね。
釧路ガチ勢を唸らせる歌詞力の高さは草。
私、今年釧路に旅行に行きました。素敵な場所ですよ!幣舞橋、湿原、勝手丼、スパカツなど現地の楽しみを堪能しました。
「切なくしろよ」は「刹那、釧路よ 」とかかってるんだよね…
歌詞のセンスがセクシー...エロいっ!
「愛しくしろよ」は「愛し、釧路よ」とかかってて気持ちいい
北海道最大の風評被害
@@user-puriparamiro-so3zx3xs1q 北の大地のように雄大な心でおなしゃす
言葉尻にかけて、言葉尻に
釧路で生まれ育ち、昨日93歳の誕生日を迎えました。昔は活気のあった釧路も、時代の波には逆らえず今は廃れています。この素晴らしい音楽がきっかけとなり、活気の戻った釧路を一目見てから逝きたいものです。
931
93.1歳おめでとうございます
淫夢厨は長生きだってはっきりわかんだね
@@osaruno_george 例の92歳のじいちゃん誕生日で草
現釧路市民ですが、釧路といえばの幣前橋の袂にこの曲が流れる石版が設置されてますよね。毎朝と夕方17:00にはこの曲が時報として流れてますね。快便に良いです。
私の父は、炭鉱労働者でした。高度成長期の釧路は、漁業でも日本屈指で、金回りの良い街でした。おかげで私は、東京の大学に通わせてもらえました。フォークなんかやって、学生運動にも参加して、同年代より恵まれていました。それでも、故郷が恋しくなる時がありました。そんな時、一人涙を流しながら唄ったのが、この曲です。最近の釧路は、炭鉱も漁業も落ち目で、寂れてしまいました。今では、昔の釧路を想いながら、唄っています。
このコメ個人的にかなりクオリティ高いと思う笑
なんやこの刺さりまくるコメ...。
苦労話はさむ100点
存在しない記憶
はぇ〜っと読んでいたが、間違いなく嘘が紛れ込んでて草
田所さんは非常に人柄の良い人で好きでしたね。とある番組で暑くてフラフラしていた音響の男性の方にアイスティーを持って行って楽屋で休ませてあげたエピソードはとても胸が温まりました。
本当に暑さのせいだったんですかねぇ🤔
君のような勘のいい淫夢厨には''ご褒美''だよ
今年で60になるおじいちゃんです。娘にススメられ、TH-camを入れてみましたが、これはたまげた。見覚えがある名前があると思えば、田所浩二❗️懐かしいですねぇ。本人曰く「王道を征く」演歌だそうですが(75年の下北沢文化センターで、仰っていた記憶があります。)、この漂う哀愁は、唯一無二のものと感じます。本当に、いい時代になりましたね。
おじいちゃんが淫夢厨とか(人生)辞めたくなりますよ〜
今時の60代は完全ロック世代で演歌を聴くのなどほぼ皆無15点
許し亭ゆるして!
歌詞に不自然な点がなさすぎて普通にヒットしそう釧路で流したらマジで売れる
演歌としての完成度高すぎて普通に聞ける
この曲が有名だったので田所浩二さんは釧路出身だとずっと思っていたんですけど違ったんですよね😂彼の恩師である、今は亡き病床に伏せていた頃の谷岡さんが亡くなる少し前に「あぁ釧路よ…」と郷愁を感じて発した一言からこの曲が生まれたみたいなんです。実際は東京の下北沢出身で、熊本出身の石川さゆりさんが津軽海峡冬景色歌う感じですね。
「じゃけん夜イキましょうね」とか言ってる時点で(北)広島出身とか
@@Gooogle-user 親が広島の人の可能性が微レ存ですねぇ!
石川さゆりは撮り鉄でよく北海道へ遠征していたらしいから、田所浩二も撮り鉄だった可能性が微レ存…⁇
@@浩二田所-k2k 田所浩二はお前じゃい!
@@浩二田所-k2k掘りケツでしょ
この曲が出た頃の釧路はいい街だった。炭鉱や水産業、22万人もの人口で名実ともに北海道東部の主要都市として栄えていた。しかしそれは今は昔の話。商店街は廃れ、鉱山は閉山し、水産業も衰退して、帯広にトップの座を取られてしまった。あの頃の活気のある釧路がもう一度見たいものだ。
立地的には不便かもしれないけど、夏の避暑地としては良いと思う
語録を最後まで見つけられなかった
これ、はまじ(実話)
泉屋があるから…
@@菅波大輔 スパカツ美味しいですよねwまた食べたいなぁ。
「愛おし釧路よ」ここに郷土愛が詰まってる田所浩二の中でも特に好きな曲
地元にこのような名曲がある事にたまげました
今までで1番完成度が高い。普通の演歌としても紅白出場が狙える傑作だと思う。歌も上手い。
でもこれAIだゾ…。
@@ルシウス-c3l今の段階では全部AIにぶちぱ出来るわけではなく、音域や歌詞は手動で調整する必要があるそうなのでAIだけの力ではないかと
紅白で聞きたい曲No1
普通にいい曲すぎて毎日聴いちゃうヤバイヤバイ
これほんと好きTH-cam musicに保存して通学時に聴いてる
釧路が漁師町として栄えていた頃は、ラーメン屋の屋台が活気づいていました。この曲を聴くと、そんなかつての情景が思い起こされます。長年住んでいますが、今の釧路はどこか肝心なところを洗い忘れている気がしてなりません。
ココアライオンをゆるキャラとして採用しよう(提案)
洗い忘れ、笑かすなw
青春18きっぷで釧路に行きましたが、駅のホームの発車メロディーでこの曲が流れれて懐かしすぎて涙がでてきました。
JR北海道「えっ何それは…」駅利用者「たまげたなぁ。」
幻聴兄貴泣かないで
JR北海道こわれる
JR「なんか犯されてるよぉ!」
特急「汚汚空(おおぞら)」
この中にガチで思い出書き込んでる人が居るかもしれないと思うと落涙を禁じ得ない
ほんと悔しいけどいい歌過ぎて聞き入ってました
@dokata_toshizou北海道の道東であえる奴なら最高や。
幻でも幸せだったならそれでもいいんじゃないかな(適当)
@@TheTetsuyatogi 別に釧路じゃなくても下北沢でもその幻に会えるしな
ガチの思い出話してる人って…そんな奴居る訳ないだろ!いい加減にしろ!(糞怒)
当時聞いていた60代です。釧路で出会った亡き妻との思い出が溢れ出て泣きました。歳を取ると涙もろいものですね。ロマンチストに行こうと港の夜空を見に行った時に、ちょうど曇ってて月が見れず妻が「見られないですかね…?」と切ない言葉を残したのは苦い記憶です。まさか令和の世にこの曲が聴けるとは…今日の日に死んでもかまわない。
これガチなんだけどこの曲がきっかけで最近演歌かなり聞いてる。昔から車乗ってる時父親が演歌流してたから親しみを感じるっていうのもあるかもしれないけど。
若い層に演歌を浸透させるために発掘作業に日々邁進する投稿主様のひたむきな努力に涙がで、出ますよ。
若い頃に妻と当時5歳の娘を連れて釧路に行った時のことを思い出します。当時は庶民が飛行機で旅行するのは一般的ではなく、また自動車も普及していなかったため、上野から寝台特急はつてんに乗って青森まで行った所で青函連絡船に乗り換え、函館からはまた汽車で札幌を経由して釧路という長旅でした。今ではANALが羽田空港から釧路空港までの直行便を出しており、日帰り行けるのは時代が変わったなと感じます。
ガチの爺様コメかと思ったらANALであっ(察し)
なぜか直行便が(ちょっこうべん)と読んでしまったANALの枕詞みたい
ハッテンで草
寝台特急、密室、一夜。何も起きないはずがなく...
ANALの直腸便?(難聴)
ほんとこの曲思い出があるもう二度と見つからないと思ってたすごく嬉しいき
最後諦めるな
失礼致します、今年で齢80の者です。この曲は亡くなった妻が好きだった曲でして、カラオケ行くと良く私にリクエストしてくれて歌うと大変喜んでおりました。妻自身も普段この曲を良く口ずさんでおりました。ある意味この曲が私達夫妻の絆を深めていたのだと今となって実感しており、涙無しでは語れぬ思い出の曲なのです。この曲を聴くとあの妻と過ごした当時の情景が鮮明に蘇ります。あぁ、あの頃に戻りたい、妻に逢いたい。涙が止まりません。
涙(白
往時は人口114万514人を誇った故郷の釧路、今ではもはや見る影もありません。この歌を心の支えに街の再興を目指して頑張りたいと思います。釧路良いよ来いよ
@@takananoonaka 実際は23万人から超えたことはないゾ
2050年には11万4514人になりそうと予想もされていて悲しいなあ
人口が114万514人なんて旭川を抜いて釧路が北海道第二の都市になる
そんないたらJR北海道は苦労してないゾ…今頃根室本線や釧網本線、花咲線ですら電化してるゾ…
@@ODIN_RAYFORCE それどころか新幹線が開通していたかもしれん。
ほぼ地元ですが、感動しました。CD買います。演歌で一番好きかもしれない。
当時はこの曲に感化されてわざわざ釧路まで行ってアイスティーを飲む若者が多かったですね……観光街の至る所に田所さんのポスターや看板があった釧路の全盛期に、もう一度だけで良いから戻りたいものです……
駅のベルリキか幣舞の手前のリリーで飲むのが人気でしたね
サーッ
あの頃の釧路が懐かしい。御歳81歳の老人ですが、まだ自分が子供の頃は、港にも、アーケードにも人で溢れかえっていましたよ。中学を卒業した時に、こんな田舎臭い街を抜け出して東京に行ったけど、やっぱりあの北海道の小さな港町が、1番落ち着くんです。釧路にも、良い世、来いよ…
さては根室民だなオメー。釧路人は自分のことを田舎民なんて言わないはず。(偏見)
新橋大通みたいなアイコンだな……
自分の歳をいう時は齢(よわい)か馬齢(ばれい)を使うといいですよ御歳は目上の人に対する尊敬の念を込めて使う言葉です(マジレス)
このチャンネルのせいで演歌にハマってしまった20代男性です
20代?もう働いてるの?
@@magurokudasai学生です
学生?あっ
ふーん(察し)
演歌にはまったキャプテンファルコンの時点でもう面白い
その辺の人気曲よりコメントの質が高いという皮肉
2024年も あゝ…釧路よ 聞いてる人ー‼️✋
@@Ringo_juice14質の低いコメントの解像度高い
@@Ringo_juice14 早速質を下げに来てて草生える
謎の博識兄貴たちが湧くのほんと草
@@Ringo_juice14 そんなこと言わずともあゝ…釧路よは不滅なんだよなぁ
津軽海峡冬景色と交互に聴くと北海道を旅してる気分になれて良いですよ
下北(沢)半島夏景色も歌わせてほしいですね
正直シリーズで一番カッコよくて好き。汚い要素が隠れてて普通に良い曲
富士そばで流れてても違和感ない
この間初めて渡道して綺麗な景色に感動してたら、ふとこの曲が頭をよぎったせいで頭の中が汚いもので満たされて頭にきますよ!(憤怒)
二重アゴになってるの、貫禄と哀愁あって好き
田所浩二は色褪せない。あの真夏の日の出来事を風化させず、次世代に語り継いでいく。自らもその一翼を担っていきたい。それこそが我が国、日本の更なるハッテンに繋がっていくと信じて。
発展、ハッテン、810のトリプルミーニング
釧路の情景が思い浮かんでは消えていく
語録に絡めた題名をつけるのがうますぎる
釧路で生まれた田所さんは、幼い頃にお父様を炭鉱の事故で、女手一つで育ててくれたお母様も早くに亡くされて、子供の頃はかなり苦労されていたみたいですね。中学を出て上京してからも、お金を稼ぐ為に色んな仕事をして、時には如何わしい事で身銭を貯めて、24歳で音楽学校に入って演歌の道に進み、やっと苦労が報われたそうで。この歌は、そんな幼少期の苦労の思い出と、有名になり金も稼いだ自分を温かく迎えてくれる人が、故郷に居ない寂しさを謳ったんだとか。
釧路住みだからちょっと嬉しい、、、
それでいいのか釧路民…
キレろよ
わかりみが深い(浦見住み)
嬉しいか、?
地元釧路だけど今までに感じたことのない憤りを感じたり感じなかったりしてる
何回も聴いてるんだけど曲としてリズムに違和感なく凄く良い出来だと思う
メロディも歌詞も本当に良いですね東北や北海道への郷愁を唄う演歌は多いのでその点も抑えられてて、70年代の演歌、歌謡の雰囲気がちゃんとあるのがすごい
森進一さんに歌ってもらいたい。
「帰りたくて、帰れない。」(街に出てきた今でもふと昔の思い出の釧路に帰りたくなるけど、あの頃の釧路はもう失くなっていて帰れない。)
ニコニコが復活してもTH-camの方に先に上げてくれる姿勢すき
こういう姿勢って人として大事なことだよね!
かつての栄華も今は昔、釧路のようだ
帰りたくて帰れないのとこなんかすこ
普通に良い曲…
北海道の開拓史を辿ると、寒さと重労働の苦しい環境を耐え抜いた男達の姿があります。近所の爺さん(91)が北海道出身で「俺も親父も掘るしかできない不器用な男だったから。」と語ってくれました。「あくしろよ!」と現場監督が怒鳴る殴るが日常茶飯事で大変だったそうです。
掘るしか出来ない(意味深)
悔しながら名曲でくやしい😢
昔死んだ爺さんが持ってたLDってこれだったのかね。あの当時爺さんNHKみてスカイランド行って第2埠頭で釣りにパチンコ、日曜は競馬。当時の釧路は活気があったけどサティ出来る頃には炭鉱も掘らなくなって、人も減って、駅地下も無くなって、婆さん無くなってからすぐボケて亡くなって、、、今の静かな米町公園にピッタリな曲ですね。
釧路とは縁もゆかりもありませんが…情景が浮かぶと言いますか懐かしい気持ちになりますねぇ
普通に演歌としていい歌で草サビのところマジで好き
演歌にハマった(ガチ)
普通に良い曲なのやめてwww 町内会のお祭りとかでこっそり流してもバレなさそう
切なくて涙が…出、出ますよ…
ナッミッダ!
祖父が存命だった頃、車に乗せて貰ってあちこち行きましたが、この曲が良く流れてましたね。久々に聴いて懐かしい気分になりました。
昭和45年頃だったでしょうか。おそらく私が集団就職で釧路から東京に行く頃に流行っていた記憶があります。数年前、定年退職のお祝いでカラオケに行った際、私の後輩の粋な計らいかこの曲を歌ってくれました。それを聴いて、汽車を乗り継ぎ独り身で上京したあの頃の記憶が昨日のように呼び覚まされ、良い歳こいたジジイが人目かまわず号泣してしまいました。
存在しない記憶で草
普通に良い曲なんだよなあ…
TNOKのアクしろよ!が元ネタと知ってから腹筋が割れた
私は釧路に行った事がありませんが、どこか懐かしい雰囲気のこの曲を聴くと遠い、遠い、今は亡き古き良き時代の釧路に思いを馳せます。私は思うのです、「もっと早く生まれたかった」と。美しくも儚い、遠い、遠い、嗚呼、釧路よ...
「刹那釧路よ」もそうだけど「愛おし釧路よ」も好き
昨年訪れた釧路の古びた炉端焼き屋でこの曲が流れてました隣がブッチッパうるさいのでチラチラ見てるとなんと田所さんお連れの川合俊一さんが店員に「早くしろよ」と何度も催促していたのが残念でした
それ漏らしてるだろ。汚え。
@@ri3761 「あっ、そうだ、おいお前、俺がブッチッパしてる時チラチラ見てたよな!?」「見たけりゃ見せてやるよ」
大御所の歌手はどっしりと構えて丁寧なのに、マネージャーとかが残念というのはあるあるですな。
「早くしろよ」って言ってたんですか。「あくしろよ」だと思ってました。
すっげえ気温上がってる、、釧路も夏は暑いってはっきりわかんだね
コメントしマス😅はじめまして失礼🙇♂️1945年産まれました 😂 爺ジです。学生運動が流行ったてた頃流行ってた歌に似てますね🐕浜田マリさんや石原裕次郎は青春の思い出です長文失礼しました🙇♂️
釧路生まれにはとても響きます。演歌ばっかり聞いてきましたが、田所さんと言う方をはじめてしりました。今後のご活躍に期待しております
田所さんの歌には感銘を受けるんですよね
釧路だと8月10日でもかなり涼しくて過ごしやすいので、アイスティーが冷たすぎるかもしれませんね。また「日本のロンドン」と呼ばれるくらいに霧も多いので、屋上で後輩と裸になって日焼けするのも厳しいと思います(笑)。
これおばあちゃんに聞かせたら「聞いたことある」「いい歌」「昔好きだった」って言われたんですがええんか?
世に出回ってないだけで田所浩二さんが密かに歌ってたのを聴いたんだろうな
この歌を作詞した谷岡俊一氏は戦後の混乱期、南方戦線からの復員後に焼け野原となった日本に絶望し下北沢界隈で暴力団の構成員として活動するなど波乱万丈の人生を送られていますね。「あゝ釧路よ」は暴力団同士の抗争で臀部に銃弾を受け生死の境を彷徨った際、故郷の釧路の景色が脳裏に蘇りその想いを詠ったものといいます。生還後、暴力団から足を洗い奥多摩の軍畑鉱山で働きつつラジオ番組に投稿した趣味の詩がプロデューサーの目に留まり放送作家デビュー。その後に時の大物歌手、田所浩二氏が歌う「あゝ釧路よ」が第810回紅白歌合戦のトリを飾るに至り一躍時の人となりました。谷岡俊一氏は2001年に過去に受けた臀部の銃創が元で亡くなりましたが、「あゝ釧路よ」は氏の故郷である釧路駅と氏に縁ある下北沢駅の発車メロディーに採用され聞くことができますね。
黒塗りの高級車に乗ってそう
@@Gooogle-user 谷岡氏は元々親分だった人の運転手を務めていたそうで、渡世当時の写真で黒いセダン車を洗車している物が一枚残っていたはずです氏が銃撃を受けたのも元々は親分を狙ったもので、学生に扮装した対立団体の組員により起こされた交通事故のトラブル処理時に撃たれたそうです氏は「向こう傷なら兎も角、尻を撃たれたんじゃもう渡世は出来ぬ」と引退し、軍畑鉱山の口入れ人として働いていた中で放送作家として才を見出されたとか出身地であった釧路には「墨まで入れたこの身体を親に見せる訳にはいかぬ」と終生帰らず、氏の遺言により遺骨は釧路の海に散骨されたと記憶しています
第810回は草
紅白810年も続いてて草
小学生です。ウチのお父さんが良く車で流していたせいか、田所さんの大ファンです!こんなにカッコいいのに周りには知ってる友達誰もいなくて寂しいです。もっともっと田所さんを知ってもらいたいので、友達にも教えてあげようと思います!!
韻の踏み方が完璧で悔しい
なんだこのクオリティは…たまげたなぁ
演歌など聴いたことはほぼ無く興味もなかったですがこの曲を聴いて考えが変わってしまいました。力強い歌い方、歌詞に込められた思い、歌い手の渋さ、その他諸々心打たれるものがありました。これを機に演歌を聴いてみようかなと思える一曲でした。「田所浩二」という名前は今後忘れることはないでしょう。
沁みるなぁ、、、、
普通に良い歌なんだよな
釧路のテーマソングですね!釧路に似合いすぎている!
中国では「野獣先輩」の愛称で国民の10%が知っているという田所浩二が歌に歌った釧路は聖地として今中国人観光客によるインバウンド需要で急速な経済発展を遂げている。まさに「炭鉱から観光へ」のシフトチェンジを成功させたモデルケースとして経済産業省も注目しているという。
世界平和の架け橋となった男
たった1割かよ
@@user-tixjnjz337jdn1.2億人定期
@@user-tixjnjz337jdn中国の人口の10%は日本の人口ぐらいいるんですがそれは
現代文で見た事ある
子供の頃にテレビの歌番組でこの曲が流れているのを聞き、幼心に釧路に憧れを持ちました。大学生になってもまだ憧れが残っており、思い切って東京から出ていたフェリーに乗り釧路へ向かいました。フェリーの二等の雑魚寝で、ノースフェイスのリュックをでっかい枕にしながら釧路まですごしました。海鳴り響くとはこのことかと思うほど船は揺れ、トイレのお世話になりながら胃酸で胸が痛くなり、釧路へ早く着けとあくしろよと心の中で思い、ああこれが田所さんの歌っていたことかと思ったものです。霧が深いため船は汽笛を鳴らしながら進み、淫夢を見るほど深くは眠れませんでした。霧の中から釧路の陸地が見えたときは、あゝ釧路よと思ったものです。帰りのフェリーは欠航となってしまい、帰りたくても帰れなくなってしまった時は大変でした。もう淫夢にみたような遠い記憶になっていまいました。
@@user-coco_tatara 今や苫小牧まで行かないとフェリーが無いので道東と本州の行き来は飛行機じゃないと、かなり不便
釧路航路、懐かしい大洗発でいいので復活してくれないかなあ苫小牧だと道東に行くのが地味に大変
当時付き合っていたあの人は今、元気ですか?下北沢にドライブしに行った時この曲を何度も何度も聴きましたね。田所ブームが来た際にこの曲に文字った『あくしろよ』が流行しました。今はタヒ語になりつつありますが失われてはいけない(使命感)と思い、私は今日も『あくしろよ』と呟き、この曲を聴いて1日頑張ろうと思います。
茶沢通り以外道クッソ狭い下北にドライブしたのか(困惑)
俺のカラオケの十八番です。上司には、「聞いたことないけど良い唄だねぇ」とお褒めいただきました。
当時は中学卒業生の集団就職の慣習がまだ残っていて、上京したての頃に集団就職の仲間内で流行っていたのが田所でした。もう50年も前になります。今の若い子に当時大好きだった曲をまたこんな形で聞いてもらえて嬉しいです😊
伊予、来いよも期待
瀬戸の花嫁+嫁に来ないか
淫夢臭さがあまり感じられない最初普通に聞いちゃってすげぇ感心しちゃった
地元の名曲が流行ってて涙がで、でますよ
釧路市民として誇らしいです
それでいいのか釧路市民
迫真の演技力と迫真の歌唱力
無駄にいい曲だから、何回も聴いちゃって悔しい、悔しくない?
もしかしたらガチの感想があるかもしれないと思うとコメント読むのに妙な緊張感があるわ
演歌の良さが認知されて、うれしい…うれしい…
田所さんはほんとにマルチな才能持ってるね
お昼の日本◯化センターのCMを観て、これの曲を含めたシーデー10枚セットを購入しました。初回特典でデーブイデー(意味深)も付いてきました🤩今では老人会のアイスティーパーティーで良く流しています。意外と好評ですよ😁
年配構文ちゃんと読むと語録にまみれてて後からダメージ受ける
釧路民ワイ、カラオケに出してほしいぐらい感動した
ちなみに釧路には「くしろよろしく」という回文が公式で存在する
よろしくあくしろよ
※国際交流センターにあった「くしろよろしく」の張り紙は去年撤去されました。
@@りり-e1h7n ウッソだろお前!えホント?(´;ω;`)
集團就職の際に叔父が歌つてくれた歌。もう二度と、釧路に歸ることはあるまい。胸中は穩やかではなかつた。あの日列車の中で流した淚ほど、熱いものはなかつた。思へば辛いことばかりだつたけれど、いつだつて一生懸命になれたのはきつと幸せだつたのだと思ふ。一人故鄕を捨てて幸せを追つて、半端者になつた男の末路。許せ、おふくろ。
3世代に取り残されてるあなたが!?
おっと月曜日よりの使者発見伝
「釧路よ」「切なくしろよ」の押韻がFoo↑気持ちいぃ~
タイトルの付け方が秀逸
今はユウチューブでも、こういった、昭和の時代の、古き良き演歌を、聴くことができるのですね。良い時代になりました。私の時代は、もっぱら、レコード。CDが出たと思ったら、そのシーデーも、最近は、少なくなっているようですね。
田所の歌は、大和魂だ。学友と、田所のような、良い男になることを、憧れとしていた。彼には、日本の芸能界を、支えて頂きたかった。
田所は、男色家という話があり、それを苦に失踪したと、言われていたが、恐らく、女性がいただろう。到底、男色家とは、思い難い。それが、普通ですから。昭和は。
田所の歌は、是非、今のKポップや、アニメの歌ばかりを聴いている若者にも、聴いて貰いたいものです。令和の世、だからこそ、昔の素晴らしい日本の歌を、若い人達も、大切にするべきです。
ジジィ文法を完璧にマスターしてて草
@@car-daisuki-man こんな。爺の感想を、気に入ってくださり、有難うございます。古い想い出話等、恥ずかしい限りですが。一人でも多く、田所を知っている方が増えて、爺は迚も嬉しいです。
@@user-ux8cj6fs8n 句読点の付け方が実に本物っぽい
コメ主はネタだけど、なんで年配の人の文章ってやたら句点が多いんだろう?気になって調べたことあるけど、納得できる答えがなかった。
@@car-daisuki-man yahooニュースのコメ欄にいっぱいいるよな
集団就職で汽車に乗って釧路を離れ、60年が経ちます。見ず知らずの東京の地でこの歌を聴き、釧路の美しい海原と大地の情景が浮かび、故郷に帰りたいとよく泣いたものです。
先日久しぶりに釧路に帰省をしましたが、もう変わってしまいましたね。賑わいに溢れた商店街は寂れ炭鉱は閉山して主産業が消え見るも無惨な姿になってしまいました。あの頃の釧路が恋しいですね。
人生で初めてちゃんと聞いた演歌がこれだなんて屈辱的すぎる
2番目がこれ(1番目が津軽海峡冬景色)
普通に良い曲だよ。近所の爺さんに聞かせてみなよ。
演歌はいいゾ^~。もっと聞け^~。
おすすめは、北島三郎、氷川きよしとか色々^~。
俺が小学生の時はよく聞いてたゾ^~。(20代です)
これって勲章ですよ
耐えて
釧路の特徴をきちんと掴んでるの道民からしてポイント高い。
普段海を見ない民からして、釧路の特別感と去り際のなんとも言えない感情が思い起こされた。
この歌に感化された方のお越しをお待ちしている…
ちゃんと霧出るとこ原作再現で感動した(道民並感)
安易に湿原を出していない所が良き良き
@@7747-s5g
確かに釧路といえば霧深き漁港と製紙の街ですから、釧路湿原は安易ですね。個人的に花咲線の車窓から見える別寒辺牛湿原を私は推したいですね。
釧路ガチ勢を唸らせる歌詞力の高さは草。
私、今年釧路に旅行に行きました。素敵な場所ですよ!幣舞橋、湿原、勝手丼、スパカツなど現地の楽しみを堪能しました。
「切なくしろよ」は「刹那、釧路よ 」とかかってるんだよね…
歌詞のセンスがセクシー...エロいっ!
「愛しくしろよ」は「愛し、釧路よ」とかかってて気持ちいい
北海道最大の風評被害
@@user-puriparamiro-so3zx3xs1q 北の大地のように雄大な心でおなしゃす
言葉尻にかけて、言葉尻に
釧路で生まれ育ち、昨日93歳の誕生日を迎えました。昔は活気のあった釧路も、時代の波には逆らえず今は廃れています。
この素晴らしい音楽がきっかけとなり、活気の戻った釧路を一目見てから逝きたいものです。
931
93.1歳おめでとうございます
淫夢厨は長生きだってはっきりわかんだね
@@osaruno_george 例の92歳のじいちゃん誕生日で草
現釧路市民ですが、釧路といえばの幣前橋の袂にこの曲が流れる石版が設置されてますよね。
毎朝と夕方17:00にはこの曲が時報として流れてますね。
快便に良いです。
私の父は、炭鉱労働者でした。高度成長期の釧路は、漁業でも日本屈指で、金回りの良い街でした。おかげで私は、東京の大学に通わせてもらえました。フォークなんかやって、学生運動にも参加して、同年代より恵まれていました。それでも、故郷が恋しくなる時がありました。そんな時、一人涙を流しながら唄ったのが、この曲です。最近の釧路は、炭鉱も漁業も落ち目で、寂れてしまいました。今では、昔の釧路を想いながら、唄っています。
このコメ個人的にかなりクオリティ高いと思う笑
なんやこの刺さりまくるコメ...。
苦労話はさむ100点
存在しない記憶
はぇ〜っと読んでいたが、間違いなく嘘が紛れ込んでて草
田所さんは非常に人柄の良い人で好きでしたね。
とある番組で暑くてフラフラしていた音響の男性の方にアイスティーを持って行って楽屋で休ませてあげたエピソードはとても胸が温まりました。
本当に暑さのせいだったんですかねぇ🤔
君のような勘のいい淫夢厨には''ご褒美''だよ
今年で60になるおじいちゃんです。娘にススメられ、TH-camを入れてみましたが、これはたまげた。見覚えがある名前があると思えば、田所浩二❗️懐かしいですねぇ。本人曰く「王道を征く」演歌だそうですが(75年の下北沢文化センターで、仰っていた記憶があります。)、この漂う哀愁は、唯一無二のものと感じます。本当に、いい時代になりましたね。
おじいちゃんが淫夢厨とか(人生)辞めたくなりますよ〜
今時の60代は完全ロック世代で演歌を聴くのなどほぼ皆無
15点
許し亭ゆるして!
歌詞に不自然な点がなさすぎて普通にヒットしそう
釧路で流したらマジで売れる
演歌としての完成度高すぎて普通に聞ける
この曲が有名だったので田所浩二さんは釧路出身だとずっと思っていたんですけど違ったんですよね😂
彼の恩師である、今は亡き病床に伏せていた頃の谷岡さんが亡くなる少し前に「あぁ釧路よ…」と郷愁を感じて発した一言からこの曲が生まれたみたいなんです。
実際は東京の下北沢出身で、熊本出身の石川さゆりさんが津軽海峡冬景色歌う感じですね。
「じゃけん夜イキましょうね」とか言ってる時点で(北)広島出身とか
@@Gooogle-user
親が広島の人の可能性が微レ存ですねぇ!
石川さゆりは撮り鉄でよく北海道へ遠征していたらしいから、田所浩二も撮り鉄だった可能性が微レ存…⁇
@@浩二田所-k2k 田所浩二はお前じゃい!
@@浩二田所-k2k
掘りケツでしょ
この曲が出た頃の釧路はいい街だった。炭鉱や水産業、22万人もの人口で名実ともに北海道東部の主要都市として栄えていた。しかしそれは今は昔の話。商店街は廃れ、鉱山は閉山し、水産業も衰退して、帯広にトップの座を取られてしまった。あの頃の活気のある釧路がもう一度見たいものだ。
立地的には不便かもしれないけど、夏の避暑地としては良いと思う
語録を最後まで見つけられなかった
これ、はまじ(実話)
泉屋があるから…
@@菅波大輔 スパカツ美味しいですよねwまた食べたいなぁ。
「愛おし釧路よ」ここに郷土愛が詰まってる田所浩二の中でも特に好きな曲
地元にこのような名曲がある事にたまげました
今までで1番完成度が高い。普通の演歌としても紅白出場が狙える傑作だと思う。歌も上手い。
でもこれAIだゾ…。
@@ルシウス-c3l今の段階では全部AIにぶちぱ出来るわけではなく、音域や歌詞は手動で調整する必要があるそうなのでAIだけの力ではないかと
紅白で聞きたい曲No1
普通にいい曲すぎて毎日聴いちゃうヤバイヤバイ
これほんと好き
TH-cam musicに保存して通学時に聴いてる
釧路が漁師町として栄えていた頃は、ラーメン屋の屋台が活気づいていました。この曲を聴くと、そんなかつての情景が思い起こされます。長年住んでいますが、今の釧路はどこか肝心なところを洗い忘れている気がしてなりません。
ココアライオンをゆるキャラとして採用しよう(提案)
洗い忘れ、笑かすなw
青春18きっぷで釧路に行きましたが、駅のホームの発車メロディーでこの曲が流れれて懐かしすぎて涙がでてきました。
JR北海道「えっ何それは…」
駅利用者「たまげたなぁ。」
幻聴兄貴泣かないで
JR北海道こわれる
JR「なんか犯されてるよぉ!」
特急「汚汚空(おおぞら)」
この中にガチで思い出書き込んでる人が居るかもしれないと思うと落涙を禁じ得ない
ほんと悔しいけどいい歌過ぎて聞き入ってました
@dokata_toshizou北海道の道東であえる奴なら最高や。
幻でも幸せだったならそれでもいいんじゃないかな(適当)
@@TheTetsuyatogi 別に釧路じゃなくても下北沢でもその幻に会えるしな
ガチの思い出話してる人って…
そんな奴居る訳ないだろ!いい加減にしろ!(糞怒)
当時聞いていた60代です。釧路で出会った亡き妻との思い出が溢れ出て泣きました。歳を取ると涙もろいものですね。ロマンチストに行こうと港の夜空を見に行った時に、ちょうど曇ってて月が見れず妻が「見られないですかね…?」と切ない言葉を残したのは苦い記憶です。まさか令和の世にこの曲が聴けるとは…今日の日に死んでもかまわない。
これガチなんだけどこの曲がきっかけで最近演歌かなり聞いてる。昔から車乗ってる時父親が演歌流してたから親しみを感じるっていうのもあるかもしれないけど。
若い層に演歌を浸透させるために発掘作業に日々邁進する投稿主様のひたむきな努力に涙がで、出ますよ。
若い頃に妻と当時5歳の娘を連れて釧路に行った時のことを思い出します。
当時は庶民が飛行機で旅行するのは一般的ではなく、また自動車も普及していなかったため、上野から寝台特急はつてんに乗って青森まで行った所で青函連絡船に乗り換え、函館からはまた汽車で札幌を経由して釧路という長旅でした。
今ではANALが羽田空港から釧路空港までの直行便を出しており、日帰り行けるのは時代が変わったなと感じます。
ガチの爺様コメかと思ったらANALであっ(察し)
なぜか直行便が(ちょっこうべん)と読んでしまった
ANALの枕詞みたい
ハッテンで草
寝台特急、密室、一夜。何も起きないはずがなく...
ANALの直腸便?(難聴)
ほんとこの曲思い出がある
もう二度と見つからないと思ってた
すごく嬉しい
き
最後諦めるな
失礼致します、今年で齢80の者です。
この曲は亡くなった妻が好きだった曲でして、カラオケ行くと良く私にリクエストしてくれて歌うと大変喜んでおりました。
妻自身も普段この曲を良く口ずさんでおりました。
ある意味この曲が私達夫妻の絆を深めていたのだと今となって実感しており、
涙無しでは語れぬ思い出の曲なのです。
この曲を聴くとあの妻と過ごした当時の情景が鮮明に蘇ります。
あぁ、あの頃に戻りたい、妻に逢いたい。涙が止まりません。
涙(白
往時は人口114万514人を誇った故郷の釧路、今ではもはや見る影もありません。この歌を心の支えに街の再興を目指して頑張りたいと思います。釧路良いよ来いよ
@@takananoonaka 実際は23万人から超えたことはないゾ
2050年には11万4514人になりそうと予想もされていて悲しいなあ
人口が114万514人なんて旭川を抜いて釧路が北海道第二の都市になる
そんないたらJR北海道は苦労してないゾ…
今頃根室本線や釧網本線、花咲線ですら電化してるゾ…
@@ODIN_RAYFORCE それどころか新幹線が開通していたかもしれん。
ほぼ地元ですが、感動しました。CD買います。演歌で一番好きかもしれない。
当時はこの曲に感化されてわざわざ釧路まで行ってアイスティーを飲む若者が多かったですね……
観光街の至る所に田所さんのポスターや看板があった釧路の全盛期に、もう一度だけで良いから戻りたいものです……
駅のベルリキか幣舞の手前のリリーで飲むのが人気でしたね
サーッ
あの頃の釧路が懐かしい。御歳81歳の老人ですが、まだ自分が子供の頃は、港にも、アーケードにも人で溢れかえっていましたよ。中学を卒業した時に、こんな田舎臭い街を抜け出して東京に行ったけど、やっぱりあの北海道の小さな港町が、1番落ち着くんです。釧路にも、良い世、来いよ…
さては根室民だなオメー。釧路人は自分のことを田舎民なんて言わないはず。(偏見)
新橋大通みたいなアイコンだな……
自分の歳をいう時は齢(よわい)か馬齢(ばれい)を使うといいですよ
御歳は目上の人に対する尊敬の念を込めて使う言葉です(マジレス)
このチャンネルのせいで演歌にハマってしまった20代男性です
20代?もう働いてるの?
@@magurokudasai学生です
学生?あっ
ふーん(察し)
演歌にはまったキャプテンファルコンの時点でもう面白い
その辺の人気曲よりコメントの質が高いという皮肉
2024年も あゝ…釧路よ 聞いてる人ー‼️✋
@@Ringo_juice14質の低いコメントの解像度高い
@@Ringo_juice14 早速質を下げに来てて草生える
謎の博識兄貴たちが湧くのほんと草
@@Ringo_juice14 そんなこと言わずともあゝ…釧路よは不滅なんだよなぁ
津軽海峡冬景色と交互に聴くと北海道を旅してる気分になれて良いですよ
下北(沢)半島夏景色も歌わせてほしいですね
正直シリーズで一番カッコよくて好き。汚い要素が隠れてて普通に良い曲
富士そばで流れてても違和感ない
この間初めて渡道して綺麗な景色に感動してたら、ふとこの曲が頭をよぎったせいで頭の中が汚いもので満たされて頭にきますよ!(憤怒)
二重アゴになってるの、貫禄と哀愁あって好き
田所浩二は色褪せない。
あの真夏の日の出来事を風化させず、次世代に語り継いでいく。自らもその一翼を担っていきたい。それこそが我が国、日本の更なるハッテンに繋がっていくと信じて。
発展、ハッテン、810のトリプルミーニング
釧路の情景が思い浮かんでは消えていく
語録に絡めた題名をつけるのがうますぎる
釧路で生まれた田所さんは、幼い頃にお父様を炭鉱の事故で、女手一つで育ててくれたお母様も早くに亡くされて、子供の頃はかなり苦労されていたみたいですね。
中学を出て上京してからも、お金を稼ぐ為に色んな仕事をして、時には如何わしい事で身銭を貯めて、24歳で音楽学校に入って演歌の道に進み、やっと苦労が報われたそうで。この歌は、そんな幼少期の苦労の思い出と、有名になり金も稼いだ自分を温かく迎えてくれる人が、故郷に居ない寂しさを謳ったんだとか。
釧路住みだからちょっと嬉しい、、、
それでいいのか釧路民…
キレろよ
わかりみが深い(浦見住み)
嬉しいか、?
地元釧路だけど今までに感じたことのない憤りを感じたり感じなかったりしてる
何回も聴いてるんだけど
曲としてリズムに違和感なく
凄く良い出来だと思う
メロディも歌詞も本当に良いですね
東北や北海道への郷愁を唄う演歌は多いのでその点も抑えられてて、70年代の演歌、歌謡の雰囲気がちゃんとあるのがすごい
森進一さんに歌ってもらいたい。
「帰りたくて、帰れない。」
(街に出てきた今でもふと昔の思い出の釧路に帰りたくなるけど、あの頃の釧路はもう失くなっていて帰れない。)
ニコニコが復活してもTH-camの方に先に上げてくれる姿勢すき
こういう姿勢って人として大事なことだよね!
かつての栄華も今は昔、釧路のようだ
帰りたくて帰れないのとこなんかすこ
普通に良い曲…
北海道の開拓史を辿ると、寒さと重労働の苦しい環境を耐え抜いた男達の姿があります。近所の爺さん(91)が北海道出身で「俺も親父も掘るしかできない不器用な男だったから。」と語ってくれました。「あくしろよ!」と現場監督が怒鳴る殴るが日常茶飯事で大変だったそうです。
掘るしか出来ない(意味深)
悔しながら名曲でくやしい😢
昔死んだ爺さんが持ってたLDってこれだったのかね。
あの当時爺さんNHKみてスカイランド行って第2埠頭で釣りにパチンコ、日曜は競馬。
当時の釧路は活気があったけどサティ出来る頃には炭鉱も掘らなくなって、人も減って、駅地下も無くなって、婆さん無くなってからすぐボケて亡くなって、、、
今の静かな米町公園にピッタリな曲ですね。
釧路とは縁もゆかりもありませんが…
情景が浮かぶと言いますか懐かしい気持ちになりますねぇ
普通に演歌としていい歌で草
サビのところマジで好き
演歌にハマった(ガチ)
普通に良い曲なのやめてwww 町内会のお祭りとかでこっそり流してもバレなさそう
切なくて涙が…
出、出ますよ…
ナッミッダ!
祖父が存命だった頃、車に乗せて貰ってあちこち行きましたが、この曲が良く流れてましたね。
久々に聴いて懐かしい気分になりました。
昭和45年頃だったでしょうか。おそらく私が集団就職で釧路から東京に行く頃に流行っていた記憶があります。
数年前、定年退職のお祝いでカラオケに行った際、私の後輩の粋な計らいかこの曲を歌ってくれました。それを聴いて、汽車を乗り継ぎ独り身で上京したあの頃の記憶が昨日のように呼び覚まされ、良い歳こいたジジイが人目かまわず号泣してしまいました。
存在しない記憶で草
普通に良い曲なんだよなあ…
TNOKのアクしろよ!が元ネタと知ってから腹筋が割れた
私は釧路に行った事がありませんが、どこか懐かしい雰囲気のこの曲を聴くと
遠い、遠い、今は亡き古き良き時代の釧路に思いを馳せます。
私は思うのです、「もっと早く生まれたかった」と。
美しくも儚い、遠い、遠い、嗚呼、釧路よ...
「刹那釧路よ」もそうだけど
「愛おし釧路よ」も好き
昨年訪れた釧路の古びた炉端焼き屋でこの曲が流れてました
隣がブッチッパうるさいのでチラチラ見てるとなんと田所さん
お連れの川合俊一さんが店員に「早くしろよ」と何度も催促していたのが残念でした
それ漏らしてるだろ。汚え。
@@ri3761 「あっ、そうだ、おいお前、俺がブッチッパしてる時チラチラ見てたよな!?」
「見たけりゃ見せてやるよ」
大御所の歌手はどっしりと構えて丁寧なのに、マネージャーとかが残念というのはあるあるですな。
「早くしろよ」って言ってたんですか。「あくしろよ」だと思ってました。
すっげえ気温上がってる、、
釧路も夏は暑いってはっきりわかんだね
コメントしマス😅
はじめまして失礼🙇♂️
1945年産まれました 😂 爺ジです。
学生運動が流行ったてた頃
流行ってた歌に似てますね🐕
浜田マリさんや石原裕次郎は青春の思い出です
長文失礼しました🙇♂️
釧路生まれにはとても響きます。演歌ばっかり聞いてきましたが、田所さんと言う方をはじめてしりました。今後のご活躍に期待しております
田所さんの歌には感銘を受けるんですよね
釧路だと8月10日でもかなり涼しくて過ごしやすいので、アイスティーが冷たすぎるかもしれませんね。
また「日本のロンドン」と呼ばれるくらいに霧も多いので、屋上で後輩と裸になって日焼けするのも厳しいと思います(笑)。
これおばあちゃんに聞かせたら「聞いたことある」「いい歌」「昔好きだった」って言われたんですがええんか?
世に出回ってないだけで田所浩二さんが密かに歌ってたのを聴いたんだろうな
この歌を作詞した谷岡俊一氏は戦後の混乱期、南方戦線からの復員後に焼け野原となった日本に絶望し下北沢界隈で暴力団の構成員として活動するなど波乱万丈の人生を送られていますね。
「あゝ釧路よ」は暴力団同士の抗争で臀部に銃弾を受け生死の境を彷徨った際、故郷の釧路の景色が脳裏に蘇りその想いを詠ったものといいます。
生還後、暴力団から足を洗い奥多摩の軍畑鉱山で働きつつラジオ番組に投稿した趣味の詩がプロデューサーの目に留まり放送作家デビュー。
その後に時の大物歌手、田所浩二氏が歌う「あゝ釧路よ」が第810回紅白歌合戦のトリを飾るに至り一躍時の人となりました。
谷岡俊一氏は2001年に過去に受けた臀部の銃創が元で亡くなりましたが、「あゝ釧路よ」は氏の故郷である釧路駅と氏に縁ある下北沢駅の発車メロディーに採用され聞くことができますね。
黒塗りの高級車に乗ってそう
@@Gooogle-user 谷岡氏は元々親分だった人の運転手を務めていたそうで、渡世当時の写真で黒いセダン車を洗車している物が一枚残っていたはずです
氏が銃撃を受けたのも元々は親分を狙ったもので、学生に扮装した対立団体の組員により起こされた交通事故のトラブル処理時に撃たれたそうです
氏は「向こう傷なら兎も角、尻を撃たれたんじゃもう渡世は出来ぬ」と引退し、軍畑鉱山の口入れ人として働いていた中で放送作家として才を見出されたとか
出身地であった釧路には「墨まで入れたこの身体を親に見せる訳にはいかぬ」と終生帰らず、氏の遺言により遺骨は釧路の海に散骨されたと記憶しています
第810回は草
紅白810年も続いてて草
小学生です。ウチのお父さんが良く車で流していたせいか、田所さんの大ファンです!
こんなにカッコいいのに周りには知ってる友達誰もいなくて寂しいです。
もっともっと田所さんを知ってもらいたいので、友達にも教えてあげようと思います!!
韻の踏み方が完璧で悔しい
なんだこのクオリティは…たまげたなぁ
演歌など聴いたことはほぼ無く興味もなかったですがこの曲を聴いて考えが変わってしまいました。
力強い歌い方、歌詞に込められた思い、歌い手の渋さ、その他諸々心打たれるものがありました。
これを機に演歌を聴いてみようかなと思える一曲でした。
「田所浩二」という名前は今後忘れることはないでしょう。
沁みるなぁ、、、、
普通に良い歌なんだよな
釧路のテーマソングですね!
釧路に似合いすぎている!
中国では「野獣先輩」の愛称で国民の10%が知っているという田所浩二が歌に歌った釧路は聖地として今中国人観光客によるインバウンド需要で急速な経済発展を遂げている。
まさに「炭鉱から観光へ」のシフトチェンジを成功させたモデルケースとして経済産業省も注目しているという。
世界平和の架け橋となった男
たった1割かよ
@@user-tixjnjz337jdn1.2億人定期
@@user-tixjnjz337jdn中国の人口の10%は日本の人口ぐらいいるんですがそれは
現代文で見た事ある
子供の頃にテレビの歌番組でこの曲が流れているのを聞き、幼心に釧路に憧れを持ちました。
大学生になってもまだ憧れが残っており、思い切って東京から出ていたフェリーに乗り釧路へ向かいました。
フェリーの二等の雑魚寝で、ノースフェイスのリュックをでっかい枕にしながら釧路まですごしました。
海鳴り響くとはこのことかと思うほど船は揺れ、トイレのお世話になりながら胃酸で胸が痛くなり、釧路へ早く着けとあくしろよと心の中で思い、ああこれが田所さんの歌っていたことかと思ったものです。
霧が深いため船は汽笛を鳴らしながら進み、淫夢を見るほど深くは眠れませんでした。
霧の中から釧路の陸地が見えたときは、あゝ釧路よと思ったものです。
帰りのフェリーは欠航となってしまい、帰りたくても帰れなくなってしまった時は大変でした。
もう淫夢にみたような遠い記憶になっていまいました。
@@user-coco_tatara 今や苫小牧まで行かないとフェリーが無いので道東と本州の行き来は飛行機じゃないと、かなり不便
釧路航路、懐かしい
大洗発でいいので復活してくれないかなあ
苫小牧だと道東に行くのが地味に大変
当時付き合っていたあの人は今、元気ですか?
下北沢にドライブしに行った時この曲を何度も何度も聴きましたね。
田所ブームが来た際にこの曲に文字った『あくしろよ』が流行しました。
今はタヒ語になりつつありますが失われてはいけない(使命感)と思い、私は今日も『あくしろよ』と呟き、この曲を聴いて1日頑張ろうと思います。
茶沢通り以外道クッソ狭い下北にドライブしたのか(困惑)
俺のカラオケの十八番です。上司には、「聞いたことないけど良い唄だねぇ」とお褒めいただきました。
当時は中学卒業生の集団就職の慣習がまだ残っていて、上京したての頃に集団就職の仲間内で流行っていたのが田所でした。もう50年も前になります。
今の若い子に当時大好きだった曲をまたこんな形で聞いてもらえて嬉しいです😊
伊予、来いよ
も期待
瀬戸の花嫁+嫁に来ないか
淫夢臭さがあまり感じられない
最初普通に聞いちゃってすげぇ感心しちゃった
地元の名曲が流行ってて涙がで、でますよ
釧路市民として誇らしいです
それでいいのか釧路市民
迫真の演技力と迫真の歌唱力
無駄にいい曲だから、何回も聴いちゃって悔しい、悔しくない?
もしかしたらガチの感想があるかもしれないと思うとコメント読むのに妙な緊張感があるわ
演歌の良さが認知されて、うれしい…うれしい…
田所さんはほんとにマルチな才能持ってるね
お昼の日本◯化センターのCMを観て、これの曲を含めたシーデー10枚セットを購入しました。
初回特典でデーブイデー(意味深)も付いてきました🤩
今では老人会のアイスティーパーティーで良く流しています。
意外と好評ですよ😁
年配構文ちゃんと読むと語録にまみれてて後からダメージ受ける
釧路民ワイ、カラオケに出してほしいぐらい感動した
ちなみに釧路には「くしろよろしく」という回文が公式で存在する
よろしくあくしろよ
※国際交流センターにあった「くしろよろしく」の張り紙は去年撤去されました。
@@りり-e1h7n ウッソだろお前!えホント?(´;ω;`)
集團就職の際に叔父が歌つてくれた歌。
もう二度と、釧路に歸ることはあるまい。胸中は穩やかではなかつた。
あの日列車の中で流した淚ほど、熱いものはなかつた。
思へば辛いことばかりだつたけれど、いつだつて一生懸命になれたのはきつと幸せだつたのだと思ふ。
一人故鄕を捨てて幸せを追つて、半端者になつた男の末路。許せ、おふくろ。
3世代に取り残されてるあなたが!?
おっと月曜日よりの使者発見伝
「釧路よ」「切なくしろよ」の押韻がFoo↑気持ちいぃ~
タイトルの付け方が秀逸