ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
某旧帝大に勤めていた時,科□費で新書を買おうとしたら事務の人に「これ新書ですよね?科研費では買えません」と言われて支出できなかった思い出…基本的に書籍なら(分野が直接関係なくても)何でも買えたのに,新書は研究に必要な支出だと認識されていないことに驚きました。
水野さんならではというか、このチャンネルのゲスト回とも違ったタイプの話題で、それについて先生お2人が話してるのが新鮮で面白いです。言語学者ではなく出版社に務めるかたわらTH-camで発信してきた人の視点というか
世界史の授業を受けながら、戦いの場所や人物の移動経路などを地図にマッピングしながら覚えていました。今思えば自分は記憶と空間認知が結びつきやすいタイプだったのかなと思います。
今井先生、共同研究した学者が誘いにくくてムムムとなってるのに、ユーチューバーがメル友なの訳わからんくて面白い。
失語症の症状は、いわゆる"読む"機能については音読と読解を分けて考えます。 また、ひらがなと漢字での違いもあり、漢字よりひらがなの方が難しい、と失語症界隈では言われています。(もちろん個人差はありますが。)日本語における文字(ビジュアル)の重要性を感じますね。
だいぶ前に読んだ、Howard Gardner のMultiple Intelligencesを思い出しました。日本語の漢字仮名交じりの書字体系は、dyslexiaが顕在化しにくいようだということも聞いたことがあります。言語と人と脳と文化は、深いです。
テレビがまだ我が家になかった幼稚園以前の頃(1960年ごろ)は、ラジオで朗読を聴いていた記憶があります。
テンプル・グランディンが一般に役立つ本を書いたと知って感無量です。息子がASDと診断された20年以上前に読んだ本に、成功例の女性学者として出ていました。その後心理学の本で向社会性(サクセスフル)サイコパスとしても載っていました。彼女の今の本を読んでみたいです。この息子には写真記憶や高い空間認識力があります。また、この息子の父親には相貌失認があり絵も超下手ですが、ふたりとも音楽や言葉に関する関心はベルカーブ端っこの高レベルです。脳にも個性や傾向があるのですね。日本語の表記についてうろ覚えの記憶から、エピソードを一つ。蓮實重彦先生の奥様はフランス語が母語の方なのですが、蓮見先生の原稿/出版物を一瞥なさって「これはあなたが、書いたものでしょ、ページに現れた様子(見た目だけ)で分かるわ」とおっしゃったとか。漢字の使い方なのか、句読点や段落分けの癖なのか。兎に角ヴィジュアルでわかったそうで、先生ご自身も「へえー、そうなの」的な気付きがあったと書いてらっしゃいました。興味深いです。
識字率が低かったり、書物が高価だった時代は、口伝で知識を伝えていたわけで、audibileのような音で伝えるメディアは原点回帰に思う。
確かに日本語のテレビや動画は画面によく文字が出てますが、英語や他だと字幕は少な目な印象がありますね。
25:05 アバターのスタッフロール、多少言語的な事情もあるかもしれませんが、史上最高クラスの興収が期待されるようなウルトラ超大作なので、単にスタッフが多いだけな気もしますw日本語の映像作品のスタッフロールでも、映画のテレビ放送とか、衛星放送やBlu-ray販売のみだったアニメ作品が地上波用に再編集されたりすると、コマ送りしないと読めないレベルの高速スタッフロールになる事があります。
捕虜が牢屋のなかで、渡された新聞の内容を共有する時に、ドイツ兵はだれかが読み上げるのをみんなで聞き、日本兵はその新聞紙を順番に回して読んだ、というエピソードがあります。わたし自身も、ローマ字であってもそれを表記した図像で記憶する傾向が強いなあと思います。ドイツ語は文字→音の例外がほぼないので、英語より楽…
日本の読書は漢字のビジュアルに支えられている部分が大きい、と言う事ですね?だからでしょうか?視覚障がいの人の為の文学作品の点字翻訳を、外国で拒む作家は居ないのに、日本では頑として認めない作家さんが居るそうです。もっとも、二十年前の情報なので今はわかりませんが σ(^_^;)?
おもしろい視点のご指摘、ありがとうございます。 点字は西洋発祥で、アルファベットと同様に表音ベースですので、アルファベット文化圏との相性がよいのは、システム的にはその通りだと思います。相対的に漢字文化圏とは相性はよくないというのは、作家さん個人の問題云々よりもシステム上の問題のように思います。テレビ型言語である日本語の点字化は、大きな課題かもしれませんね。非常におもしろいテーマです、多謝!
ご返信有り難うございます。この事は、以前点字翻訳のボランティアをしていた友人から聞いたもので、「笑う」と「嗤う」のように、漢字でないとニュアンスが伝わらない事がある。点字翻訳では、単語を一つづつ分けるため文章のリズムが損なわれる。と言う説明だったと思います何しろ20年前のことなので曖昧です (._.)オユルシヲなお、改めてググってみましたが、著作権法的には著者の承諾無しに点字翻訳する事は問題ないようです。
新書云々の話は、個人がどんな情報源で育ったかに大きく依存しそう本で育った人は「本の中では新書がお手軽」だけど、漫画や雑誌、動画で育った人は新書だろうがハードカバーだろうが「そもそも文字*しか*ない時点で不完全な情報源」なんじゃないですかねぇだったら権威性の高そうなほうを選ぶのもわかる最近は「漫画すら難しくてわからない若者がいる」という話も聞きますが、逆に文字でしか育ってない人々にも難しくてわからない単に慣れの問題か、思考の発達段階における入力リソースと脳の発達の問題か…とかつらつら
私視覚イメージ・絵派で、今日面白いなって思った随筆を図書館で借りて30ページくらいまで読んでたんです。ふと、この前みたツイートがあるブログについて、「古代ギリシャ人の読書法だ」って書いてあって、気になって読んでみたことを思い出して、そのブログの通り、声に出して読んでみたら、めちゃくちゃイメージが浮かんで理解が捗ったので最初から読もう!ってなったんですけど、もう読んでる時の認知負荷の軽いこと軽いこと!私は、絵のイメージ>音声>文字の順番で理解しやすいみたいですね
同音異語が多いから単なる朗読だと、どっちの意味??となる。ラジオとかだとこの字の方とか説明があったりするけど。
英語圏の人ってどれくらい単語の構造を意識しているんだろうか。英語もいくつかの部分の組み合わせで一単語になっていることが多いのだから未知語も読めずともなんとなく意味がわかるってなりそうな気もするけど実際どうなんだろう。
ギリシャ語とかラテン語を知ってる人なら専門用語も意味が推測できるでしょうね
某旧帝大に勤めていた時,科□費で新書を買おうとしたら事務の人に「これ新書ですよね?科研費では買えません」と言われて支出できなかった思い出…基本的に書籍なら(分野が直接関係なくても)何でも買えたのに,新書は研究に必要な支出だと認識されていないことに驚きました。
水野さんならではというか、このチャンネルのゲスト回とも違ったタイプの話題で、それについて先生お2人が話してるのが新鮮で面白いです。言語学者ではなく出版社に務めるかたわらTH-camで発信してきた人の視点というか
世界史の授業を受けながら、戦いの場所や人物の移動経路などを地図にマッピングしながら覚えていました。今思えば自分は記憶と空間認知が結びつきやすいタイプだったのかなと思います。
今井先生、共同研究した学者が誘いにくくてムムムとなってるのに、ユーチューバーがメル友なの訳わからんくて面白い。
失語症の症状は、いわゆる"読む"機能については音読と読解を分けて考えます。
また、ひらがなと漢字での違いもあり、漢字よりひらがなの方が難しい、と失語症界隈では言われています。(もちろん個人差はありますが。)
日本語における文字(ビジュアル)の重要性を感じますね。
だいぶ前に読んだ、Howard Gardner のMultiple Intelligencesを思い出しました。日本語の漢字仮名交じりの書字体系は、dyslexiaが顕在化しにくいようだということも聞いたことがあります。言語と人と脳と文化は、深いです。
テレビがまだ我が家になかった幼稚園以前の頃(1960年ごろ)は、ラジオで朗読を聴いていた記憶があります。
テンプル・グランディンが一般に役立つ本を書いたと知って感無量です。息子がASDと診断された20年以上前に読んだ本に、成功例の女性学者として出ていました。その後心理学の本で向社会性(サクセスフル)サイコパスとしても載っていました。彼女の今の本を読んでみたいです。
この息子には写真記憶や高い空間認識力があります。また、この息子の父親には相貌失認があり絵も超下手ですが、ふたりとも音楽や言葉に関する関心はベルカーブ端っこの高レベルです。脳にも個性や傾向があるのですね。
日本語の表記についてうろ覚えの記憶から、エピソードを一つ。蓮實重彦先生の奥様はフランス語が母語の方なのですが、蓮見先生の原稿/出版物を一瞥なさって「これはあなたが、書いたものでしょ、ページに現れた様子(見た目だけ)で分かるわ」とおっしゃったとか。漢字の使い方なのか、句読点や段落分けの癖なのか。兎に角ヴィジュアルでわかったそうで、先生ご自身も「へえー、そうなの」的な気付きがあったと書いてらっしゃいました。興味深いです。
識字率が低かったり、書物が高価だった時代は、口伝で知識を伝えていたわけで、
audibileのような音で伝えるメディアは原点回帰に思う。
確かに日本語のテレビや動画は画面によく文字が出てますが、英語や他だと字幕は少な目な印象がありますね。
25:05 アバターのスタッフロール、多少言語的な事情もあるかもしれませんが、史上最高クラスの興収が期待されるようなウルトラ超大作なので、単にスタッフが多いだけな気もしますw
日本語の映像作品のスタッフロールでも、映画のテレビ放送とか、衛星放送やBlu-ray販売のみだったアニメ作品が地上波用に再編集されたりすると、コマ送りしないと読めないレベルの高速スタッフロールになる事があります。
捕虜が牢屋のなかで、渡された新聞の内容を共有する時に、ドイツ兵はだれかが読み上げるのをみんなで聞き、日本兵はその新聞紙を順番に回して読んだ、というエピソードがあります。
わたし自身も、ローマ字であってもそれを表記した図像で記憶する傾向が強いなあと思います。ドイツ語は文字→音の例外がほぼないので、英語より楽…
日本の読書は漢字のビジュアルに支えられている部分が大きい、と言う事ですね?
だからでしょうか?
視覚障がいの人の為の文学作品の点字翻訳を、外国で拒む作家は居ないのに、日本では頑として認めない作家さんが居るそうです。
もっとも、二十年前の情報なので今はわかりませんが
σ(^_^;)?
おもしろい視点のご指摘、ありがとうございます。
点字は西洋発祥で、アルファベットと同様に表音ベースですので、アルファベット文化圏との相性がよいのは、システム的にはその通りだと思います。相対的に漢字文化圏とは相性はよくないというのは、作家さん個人の問題云々よりもシステム上の問題のように思います。テレビ型言語である日本語の点字化は、大きな課題かもしれませんね。非常におもしろいテーマです、多謝!
ご返信有り難うございます。
この事は、以前点字翻訳のボランティアをしていた友人から聞いたもので、
「笑う」と「嗤う」のように、漢字でないとニュアンスが伝わらない事がある。
点字翻訳では、単語を一つづつ分けるため文章のリズムが損なわれる。
と言う説明だったと思います
何しろ20年前のことなので曖昧です (._.)オユルシヲ
なお、改めてググってみましたが、著作権法的には著者の承諾無しに点字翻訳する事は問題ないようです。
新書云々の話は、個人がどんな情報源で育ったかに大きく依存しそう
本で育った人は「本の中では新書がお手軽」だけど、漫画や雑誌、動画で育った人は新書だろうがハードカバーだろうが「そもそも文字*しか*ない時点で不完全な情報源」なんじゃないですかねぇ
だったら権威性の高そうなほうを選ぶのもわかる
最近は「漫画すら難しくてわからない若者がいる」という話も聞きますが、逆に文字でしか育ってない人々にも難しくてわからない
単に慣れの問題か、思考の発達段階における入力リソースと脳の発達の問題か…
とかつらつら
私視覚イメージ・絵派で、今日面白いなって思った随筆を図書館で借りて30ページくらいまで読んでたんです。ふと、この前みたツイートがあるブログについて、「古代ギリシャ人の読書法だ」って書いてあって、気になって読んでみたことを思い出して、そのブログの通り、声に出して読んでみたら、めちゃくちゃイメージが浮かんで理解が捗ったので最初から読もう!ってなったんですけど、もう読んでる時の認知負荷の軽いこと軽いこと!
私は、絵のイメージ>音声>文字の順番で理解しやすいみたいですね
同音異語が多いから単なる朗読だと、どっちの意味??となる。ラジオとかだとこの字の方とか説明があったりするけど。
英語圏の人ってどれくらい単語の構造を意識しているんだろうか。英語もいくつかの部分の組み合わせで一単語になっていることが多いのだから未知語も読めずともなんとなく意味がわかるってなりそうな気もするけど実際どうなんだろう。
ギリシャ語とかラテン語を知ってる人なら専門用語も意味が推測できるでしょうね