【水上運動会】「さながらSASUKEのようですね」今は見られない 舳倉島“水上運動会”で「海の民」が一つになる昭和の夏

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  • เผยแพร่เมื่อ 8 ก.ย. 2024
  •  島民あげて年に一度の大きなイベント。夏の「水上運動会」。1981年(昭和56年)MROに残るの貴重な映像をひもといてみました。 石川県能登半島・輪島港から北へ約50kmの沖合に浮かぶ舳倉島(へぐらじま)。周囲7キロの孤島です。舳倉島では7月から9月の夏の漁では島民や輪島から渡ってくる海女さんが素潜りでサザエ・アワビ漁を行います。MROに残る1960年(昭和35年)の貴重な漁の映像です。当時ウェットスーツはなく、下半身の下帯(したおび)だけ。漁は夫婦や家族でチームを組んで行います。小舟には夫や親が残り、命綱でつながれた海女さんが深さ十数mのアワビやサザエを素潜りで捕ります。息が続くギリギリのところを見極めて小舟に残った夫が海女さんの腰につけた命綱を引っ張ることで合図をだし、舟へ引き揚げます。命がけの素潜り漁は夫婦のあうんの呼吸が欠かせません。 そんな漁師の島、舳倉島で7月のある1日だけは漁が禁止になります。それは島の小中学生や島民が参加する「水上運動会」の日。1981年(昭和56年)7月21日。報道陣も含め輪島と舳倉島を結ぶ連絡船は運動会の参加者や見学者で満員です。
    島の人たちが運んできたのは木製の大きな「たらい」。「たらい漕ぎ競争」の始まりです。小中学生は港につくられた特設プールを舞台にたらいに乗り込み「たらい漕ぎ競争」がスタート。この日は39人の子どもたちだけでなく、大人もたらいに乗り込んで一生懸命手こぎで速さを競っていました。 次の種目は「浮きわたり競争」。港に発泡スチロールを浮かべて並べ、その上を落ちないように渡りきれるかを競います。まるで現代のSASUKEのようです。選手は3コースに分かれ同時にスタート。水泳のリレーのように、どのチームが落ちずに速くゴールするかを競います。ちなみに港の水深は約3m。その深さに物怖じせず次々飛び込む子どもや大人たち。さすが「海の民」です。1960年(昭和35年)の「水上運動会」の映像には「素潜り競争」の様子も残されていました。こうして海女さんの技術が子どもたちにも受け継がれていきました。 実は明治末期から始まったとされる舳倉島の「水上運動会」ですが、こどもの減少で島の小中学校も休校になり、2008年を最後に開かれなくなってしまいました。
     「輪島の海女による伝統的素潜り漁技術」は石川県の無形民俗文化財にも指定されていて、今も続く自然と共生する漁は世界的にも注目されています。
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