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ここまで日本軍とアメリカ軍との戦術に差が出てしまったのは、なぜだと思いますか?
戦線拡大しすぎで兵站軽視の戦術が原因だと思います😥
兵站の軽視と敵兵は脆弱であるという教育、第1段計画に快勝した後のプランが杜撰であった事。悪い所を上げればキリがない。兵站が伸びきれば補給路を殲滅してしまえば一方的な虐殺になってしまう、素人目でも解るのに戦略家が集まった大本営が慢心した事が一番の原因。あとは陸軍、海軍の連携がほぼ無く連携され取れれば勝てた戦いも沢山ある。無能な上官の為に有能な下士官が犠牲になっていく。これは今の日本も変わらない悪習。これはいずれ是正しなければならない。
最初から決まってましたよ
兵站と全力の分散が敗因かと…
頭脳の差だと思います。すなわち、客観的に事実を認識し検討できるか否か。
パプアニューギニア本島を旅したときに、ジャングルの奥地でまだ発見されていない旧日本軍の戦闘機を発見しました。感慨深いです
ええすげえパプア行ってみたい
亡くなった祖父がニューギニアに出征していました。彼は戦争時代のことはほとんど話さないまま亡くなったのですが、この動画で当時の様子が分かり、落涙してしまいました。ありがとうございました。心から応援しています。
僕の曽祖父がニューギニアの戦いの生存者でした。ひいおじいちゃんの戦争での足跡を知れて良かったです。詳しい解説ありがとうございました🙇♂️
こちらこそご視聴ありがとうございました
私の曽祖父もニューギニアの戦いに参加してたそうです!曽祖父は戦死しましたが、もしかするとどこかでお顔を合わせていたのかもしれませんね
僕の曽祖父もニューギニアの戦いで戦死されましたが、どこかで顔を合わせてたかもしれないですね。
いつもわかりやすい解説ありがとうございます今後とも応援してます頑張ってください
声が聞き取りやすいし、解説もわかりやすい!いつも応援してますよ!
ありがとうございます!
荒井先生の解説で戦争の状況がとてもよく分かりました。
よかったです!」
素晴らしい動画でした。これからもこの様な質の高い動画の配信を続けてほしい。応援しています。
わかりやすく解説下さりありがとうございます。「死んでも帰れぬニューギニア」の言葉通り、曾祖母の兄は帰って来ませんでした。悲惨な最期を遂げたのかと思うと心が痛みます。生前の曾祖母から兄がいたなんて言葉すら私は聞いたことがなく、人づてに兄がいたことやとても素晴らしい人だったと聞いたので、曾祖母も悲しさから言いたがらなかったのかな と思います。戦争は絶対いけませんね。
ご冥福をお祈りしますまさしく、戦争が起こらないように何ができるかを考えたいです
Ohayo gozaimasu from San Diego, Mr. Arai!!! Thank you for your episode!!!! What a great day to start my day!! (Ugh!!.. I have to go work) your great video made my day !! Please take it easy and many thank youuuuu!!
いつも分かり易い解説ありがとうございます。 今回も勉強になりました。
よかったです!
曾祖父がニューギニア戦線で戦病死しました。未だに遺骨は帰ってきてません。密林の中、栄養失調やマラリアに苦しみ亡くなっていったと思うと、涙が止まりません。
お話いただきありがとうございます。2度と戦争をしてはいけないと強く思います
リクエストで、石原莞爾をやって欲しいです!
やりたいですね
ガ島が飢餓は知っていたが、ニューギニアがこんなに悲惨とは!Rabaulのイメージが強いせいか?先生の解説わかりやすい。
私の父はシベリアに抑留されていました。伯父は東部ニューギニアで戦死しています。私も高齢者になり、自分の近親者の戦争体験を知りたくなり、軍歴証明書というものがあるということを知り県福祉課に問い合わせて送っていただきました。少ない情報ではありましたが父と伯父の軍歴知ることができました。私が生まれる以前に伯父は戦死しています。母から「兄さんは、餓死したのだろう。白木の箱には石が入っていた」と話してくれたことがあります。伯父は独身で23歳で戦死しています。両親はもちろん兄弟姉妹もすでに亡くなっていますので、甥である私が伯父の存在をそして若い命を国に捧げたことを覚えておきたいと思います。父が極寒のシベリアで生き抜いてきたこそ今の自分がいることに感謝したい。
差がついてしまったのは兵站軽視が最大の理由だと思うけど、やっぱり基礎工業力と研究予算が違い過ぎたのも大きいよね。日本は最後まで損害をリカバリーできずにいたのに対して、アメリカは修理&大量生産、さらに新型機を次々に開発して量産する余裕もあった。質でも量でも劣ってしまったらもう残されるのは精神論だけになっちゃうよね。
仕方がない感じもしますよね
戦線を広げ過ぎれば物資も尽きる。足りなかったのは物資よりも大本営の頭の中身。
ニューギニアまで戦線を広げるなんて国力のことを一切考慮していなかったのは明らかですよね。とはいえ石油が取れるインドネシアがすぐ隣にあり、放置した場合石油の輸送船が沈められるのも時間の問題だったので、純粋に軍事的な観点からすればそれほど間違いとも言えないのが頭の抱えどころなんですよね。
@@NikochinJunkie ニューギニアを超えてソロモンまで行ってる。それが上手く行きゃフィジーからさらにサモアまで行く予定だった。日本の国力からして参謀の頭に脳みそが入ってないと言わざるを得ない。
@@かぶとむし-n5z たしかにwAを守るためにはその先のBを取っておかないといけない。→Bを守るためにはその先のC取っておかないといけない…この繰り返しですからねー。理屈は分かるんですが実施可能かどうか、国力と照らし合わせて戦略を練るのが大本営のお仕事なので、片手落ちとしか言いようがありません。
作り込んでますね~👍️さすがです
でしょー!
私の祖父はニューギニア島の生還者です。この動画は非常に参考になりました!
ラバウルの周り船で囲うの頭いいな
ね
昨年亡くなった祖父が残した過去帳に書いてあった「ニューギニア島サルミにて戦死」の文字。それは祖父の兄のことでした。でもそれしか情報がなく、18歳の男の子が国のために生きた証も遺骨も何もないことが本当に悲しくて切なくていてもたってもいられず調べることを決めました。いつか曾祖父母と同じお墓に入れてあげるのを目標にできることをやろうと思います。
アメリカ軍の考える計画は恐ろしいで…
この辺からも、きちんと解説されていて、偉いと思います。私は負け戦さは飛ばします。
負け戦こそ学ぶことが多いと思います
@@donttellmearai まさにそう、負けないためには何をする、しない、が重要となります。結局、アメリカに宣戦しないが正解です。
いつも丁寧な解説ありがとうございます。日本軍とは違い連合軍は自軍兵士の命を大切にしたというのはよく聞きますよね。戦闘機搭乗員はクスリを打たれて長距離進撃を行っていたとか、捕虜になることを許されなかっただとか、そもそも国力の違う相手に消耗戦を仕掛けては勝ち目はないですよね。
真面目で暗記能力だけが秀でた東條英機陸軍大臣が昭和15年に制定した軍人勅語ですね😢 条文の作成者は島崎藤村で御座いますね😭 文学的な文飾なされておりますが、主旨は生きて虜囚の恥ずかしめをうけるな、ですね😢 昭和の気違い皇軍をつくりましたね😭 明治の陸軍海軍と比較して昭和の皇軍は狂っておりますね😢 中将になると男爵の爵位を賜り子子孫孫までの莫大な財が保証されておりますね😃 その為に戦争を続けておりますね😢 植民解放等はとんでもありませんね。赦しがいたい昭和の皇軍で御座いますね🙏
マリアナ沖海戦やって欲しいです!
やります!お楽しみに
メキシコの麻薬カルテルについてお願いします
なんか本を読んだ気がします
ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア
シンガポールの戦いもお願いします。大叔父が戦死したので興味があります。
調べてみますね
ジャワの天国、ビルマの地獄、生きて帰れぬニューギニア。
そうだったんですね
死んでも帰れぬニューギニア だった気が・・・・ ニューギニアは放棄された唯一の戦線。マッカーサーは言いました、後はジャングルが解決してくれる、と・・・
死んでもが正解です😀
死んでも遺体すら帰れない地獄
戦後現地の捕虜収容所で、加東大介の「ああ、南の島に雪が降る」の芝居を行った部隊に隊長でした、顧客さんでした。その他の話は余り聞かない様しました。
そうだったんですね教えてくださってありがとうございます
日本軍とアメリカ軍との戦術に差が出てしまった理由の一つは、航空隊(や空母)を指揮していたのが飛行機乗りではなかったというのを聞いたことがあります。飛行機乗りでないと、長距離飛行の負担が理解されにくいですから
それと加えてアホみたいな楽観視もあったんじゃないですかね
軍歌にも、ラバウル海軍航空隊がありますね。
そうなんですね
ラバウル海軍航空隊軍歌好きです。
あの水木しげるさんが負傷した熾烈な闘いですね、満足な支給もなく飢えに苦しみました、戦う前に疲弊しますよね。でも、山本の戦略も無謀で結局は物量の多いアメリカには及びません、悲しいけど結果は変わらんのです❗️
悲しいですね
死んでも帰れぬニューギニア
嫌ですね
曽祖父がニューギニアへ行っていたそうで今は亡くなりましたが終戦一年後くらいに帰ってきたそうです。死んでも帰れぬと言われたところから本当によく帰ってきたんだなと思いました。
ほんとです
ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニアと言われていたそうです。
@@オオタマスオ ジャワ島が極楽と言われたのは心優しき名将・今村均のおかげですね。陸軍も彼のような人物がもっと大勢上層部にいたら、あんな惨めな敗戦は無かったでしょう。
包囲して補給を断たせるという戦術は圧倒的な物量を誇るアメリカだからこそできる戦術
そうなんですよね、結局資源の差
ニューギニアのは 初めてでした ありがとうございました叔父が 東チモールから 生きて帰ってました 父親は 台湾から ラバウルまで 行って帰ってきました 79才で死んで 叙位叙勲を してもらってもらいましたが 父親の年に 近づいて来た身には 戦争ではなく 別の方法も あったのではないかと 思ってます
最近、オープニングの荒井さんが菩薩のように見えます。
自分の曾祖母の兄は、いわゆるダンピールの悲劇で亡くなった1人です。彼も乗っていた補給船を沈められて死にました。もちろん骨すら帰ってきてきません。😢
ここにきて出せる駒が無くなり戦力の差が出てきたみたいですね
まさしくです
本気であったかどうか要するに手を抜いて余裕ぶっこいでたんですよ東京裁判の動画ってありますか?
今後絶対作ります!待っててくださいね
@@donttellmearai わかりました!
海軍陸軍のそれぞれのトップがそれぞれの軸になっていて助け合わず、全体的な視点が欠けてしまった。明治の富国強兵でもともと海軍はイギリスから全てを学び装備もイギリスのもの。陸軍はフランスから学び全てがフランスの形式。敵国同士の道具に汎用性もないし、、日本は敗戦の経験が無く、色んな点で甘い楽観論の上層部。日本政府の内側がアメリカのスパイたちに操られていたから。そうでなければ真珠湾攻撃などしてわざわざアメリカを参戦させたりする必要がない〜限られていた燃料、既に底をついた〜しかも補給路無くして、飢餓や病で次々と兵士は命を落としていて戦うどころではなかった〜
第二次世界大戦後の貨幣制度についての動画を作って欲しいです!ニクソンショックやプラザ合意など分かりやすい解説お願いします🤲
経済的な感じですね
大戦略として考えた場合、北はアッツ、東はハワイ、西はインパール、南はニューギニアと戦線を拡張すれば、最強の軍隊をもってしても勝てません。
たしかに
これ見ると岩本さんがいなかったらラバウルもすぐ連合国側に落ちて終戦も早まっただろうな。あんな遠い地でラバウルがあそこまで持ったのは正に「ラバウルは岩本で持っている」って事だなぁ。
うちのじいちゃんはニューギニア戦線の生き残り。ダンピール海峡からの空襲の話、そこから泳いでブナに行きそこから山越え色々話聞きました。歴史では教えてくれない生の話を聞きました。もっと真面目に聞いとけばよかったと悔やんでいます。じいちゃん無事に帰ってきてくれてありがとう。
感謝です本当に
やはりお島がいっぱいだなあ
ですです
分かり易い解説、ご苦労様です。太平洋戦争戦史については、詳しくないので、参考のため色々見ているのですが、解説者の日本軍への過度な思入れのためか、客観的な評価がサッパリ判らないケースも多く、助かります。私としては、満州事変の後処理辺りで道を間違えたのではないかと考えており、一度満州事変の評価を聞きたいところです。よろしくお願いします。
満州事変の動画も上がってますよ!!
日本軍は航空機と戦闘艦との共同作戦が無かった、ハワイもミッドウェイも航空機だけ、戦闘艦を航空機で護って侵攻し艦砲射撃で殲滅の作戦はできなかったのはなぜ?
なんでなんですかね
陸上砲台と戦艦では、陸上砲台が圧倒的に有利なので、航空攻撃のみでした。(近づくとオアフ島のトーチカにやられる)ハワイはおまけに、艦隊の燃料もギリギリだったので、あれ以上は居られなかった。
艦砲射撃するには敵の3倍から5倍の戦力が必要、+補給、燃料などが必要これが日本になかったから無理。
そもそも陸軍と海軍で戦争してて、アメリカとはその片手間に戦ってたと揶揄されてしまうくらいに陸海軍が不仲で全然国のために戦うという感じではないのが…さらに各々の組織は縦割りのメンツメンツの世界。
父のお兄さん、つまり私の叔父さんですが、顔も知りません、そして独身で戦争に赴きました。遺骨も返って来ませんでした。父は二人兄弟でした。
面白かった。聖戦としての大東亜戦争は、などと書き散らしてる戦闘しょうかいさいとがおおいなかで、しっかりぶんせきができているね。
すみません誤操作で、送信してしまいました。日本軍の主な間違いは2つで、兵站理論の軽視と、異常なほどの個別戦闘重視主義ですね。それに、満州事変以来の下克上容認体質がくわわり、個別戦闘の結果に対する過剰なこだわりが、玉砕美化になって、行き着くところまで行ってしまったのでしょうか。今後とも、頑張って紹介おねがいします。
ありがとうございます。頑張ります
反跳爆撃、知りませんでした
当時の主戦場は ヨーロッパであり東南アジア諸国の連合軍は軍備も手薄で戦意も低かった。そんな軍隊に 勝った 勝ったと勘違いしてしまった。今にして思えば 山本五十六の戦略は間違いだと思う。無駄に戦線が国力以上に伸びきってしまい 補給や維持するのも困難になってしまった。
その辺はインパール作戦の動画で詳しく解説してます!
オーエンスタンレー山脈ですね。
戦術の差は、兵站の重要性を無視して、前線を伸ばしすぎたということに尽きるのかも。
ですかね
そのような作戦を立てた理由だよ。問題の本質は。敵を侮り、過大な自己評価。人として劣っていたと言わざるを得ない。
ふむふむ スタンレーの魔女ってヤツだな。
スタンレーの魔女ってなんですか?
松本零士の漫画ですね。ポートモレスビー爆撃後、敵機に追われつつスタンレー山脈を越えて帰還を目指す爆撃隊の話です。泣けます。
戦時中、僕の叔父が、この地域で空港建設の作業に従事していたそうです。
大和魂万能論
終わりがけの「メンバーになる」ってセリフ聞くまで関西人ってわからんかった😳
いやそれww
日本側が連合軍について研究を特にせずに戦いに挑んだ結果だと思います。連合軍側は日本の持つ戦闘機、艦船そして、戦術を徹底的に研究していたから、より日本軍に特化した良い作戦を組んで行けたのでしょう。
アメリカは戦争するにあたり日本語を喋れる兵士も養成した捕虜から情報を得るため日本軍は敵国英米の文化言語は禁止戦争に対する戦略思想が根本的に違う。
@@杉山正規-d3m ちなみに日本語を解する兵士を1万人育てようとしていたという恐ろしさ。まあそこまでは無理だったかもだが、記録映像のなかのあちらの日本語は漢字も使っていてかなりレベル高かった…。数千人規模で日本語話者はいたのではなかろうか
軍服姿の写真でしか知らない大叔父(ニューギニアで戦死)の兵籍簿を昨年取り寄せました戦闘地名、出港場所、日付、負傷内容とかなり詳細に書き残されてることに驚きましたただし、ここの戦線に関しては「ニューブリテン島『ラバウル』二上陸」で記録が途絶えていますあとで「独立工兵30連隊19.3.12.ニューギニア島ウエワクに於て戦死」と近年に書き足されていました(旧漢字使用もなく今風の手書き文字)ただし死没者原簿は旧漢字工兵第四聯隊第一中隊から独立工兵第三十聯隊第二中隊戦死により軍曹から曹長終戦記念日に大叔父の本籍地の護国神社に参拝し、聯隊地跡の石碑に花を添えてきました
ご冥福をお祈りいたします
僕の叔父もウエワクにて敵爆撃機に体当り散華3月13日その日はウエワク大空襲だそうです
間違い3月12日
@@ならたつよし さまご冥福をお祈りいたします忘れないことが一番ですね大叔父の場合、独身で戦死したため裔の者もおらず誰がお祀りしてるのかも不明です母が他界する前の思い出語り、古い写真で存在を知りました
作戦てのは資料の不明な所はフェルミ推定で立てたりするのだが、その推定値を甘めに都合良くしたためだろう。確かに完ぺきな作戦っすね、全部思惑通り都合よく進めばさ…
確かにね。。。
なんせ図上演習で撃沈食らった赤城を沈まなかったことにする!!やからなぁお砂糖のように甘い思考だ。少なくとも戦闘国家ではなかった…
地味で日本人的には嫌いなことなんですが、そこを一生懸命に取り組むこと、アメリカの兵士と日本の兵士の精神的な違いとは、日本人は敵を殺す事ばっかりに時間を使って、戦争という行為の真の目的は敵国の兵力を無力化することです。敵の兵器庫や兵站業務は戦争の準備段階。これが空っぽになってしまえば戦争継続は無理になる事、これを完璧にやったのがアメリカ軍で最初から日本は海に囲まれた島国で資源に恵まれない国家であるから、これを叩くには船を叩けば良い。潜水艦や戦略空軍が現在でも世界一の軍力を備えている事はこれを強く意識のしたものと思われます。
私の、父もニューギニアの生存者でした🙏🏼
大陸で中国軍と戦ってる分には日本軍の戦い方はまあ有効と思われたが、当時の日本軍の装備、戦術思想からしてシャープな合理主義と3D戦略のアメリカ軍と戦うのは30年(もっとかも)早すぎたのかもしれない。日露戦争の歩兵の突撃思想から一歩も外へ踏み出さなかったわけだ。伝統を守るのも善し悪し。ノモンハンで苦戦して分かってたはずなのに、ドイツ軍顧問団を招聘してでも米ソと近代戦を戦うための兵装や戦術思想の一大改革をすべきだった。ただ基礎工業、科学力、合理主義思想、どれをとってもアメリカに絶望的に劣ってたわけだから当時国を挙げてジタバタしてもどう仕様も無かったのかもしれないけどね。
そうかもしれないですね
パプアニューギニアの「パプア」って縮毛っていう意味らしいです。知ってました?
なんか、ニューギニアって名前が可愛いですよね。「パプア」って笑なんか「パパ」って呼びたかった赤ちゃんが言い間違えたみたい。
日本には戦術はあっても、戦略が無いに等しい…今でも、それは変わってない。戦略が、無いのが日本の文化か?
일본어를 잊어버리지 않기 위해서 이렇게 가끔 일본어로 듣는 연습을 한다. (일본어 공부하기도 좋네!)
暗号解読されてたって事がすべてではないだろうか?? それに気づいて居れば、珊瑚海海戦もミッドウェー海戦も勝利できただろう。。どちらも待ち伏せされた。 零戦が完全鹵獲されたのも、ミッドウェー海戦の敗北によるところが大きい訳だし、暗号解読されていて、勝てるわけがない。
その通りだと思います
亡き叔父は、ニューギニア戦線で[病死]したと聞いて居ました。しかし、この戦いで亡くなった方々が、皆んな[病死]の通知。何故、戦死ではなくて[病死]なのか?当然、戦死扱いと違い、2階級特進なども無く、恩給にも関わって来たと聞きます。父は、陸軍大尉で、チモールに従軍していた事も有ります。しかし、ニューギニア戦線の真実はわからないと言っていた。
真実はわからんですね
栄養失調、食い物が無いと抵抗力が減って簡単に病気になります。広義の餓死です。
五十六のうろたえようが、手に取るように分かりますね。愚蒋は間違いないです。もうこの時期でゼロ戦も、役にたたなくなっていたこと。それならそうで、それなりの使い方があると思うのですが、ベテランの搭乗員を無駄に死なしてしまうやり方は間違い。やはり西方に十分移動して、出直すというのができない山本の石頭が致命傷です。ミッドウェー作戦など要らない作戦。兵糧がなくても戦争できると思っていたのか。腹立たしくさえなる。
戦術家の問題だったのですかね
「日本軍とアメリカ軍との戦術の差」と言えば、陸海軍の連携不足、日本軍伝統の兵站軽視、序列は能力より年齢が先、辻のようなアホ参謀の台頭・・・よく言われていることですが、言えばキリがないですね。私の祖父母の兄弟(大正生まれの男子)は、ニューギニア、ガダルカナルで陸軍兵士として10人以上死にました。ちなみに、海軍兵士としては、菊水作戦で大和の乗組員として死んだ義叔父が1人(戦後になって4/7戦死と生き残った人の話から判明)、他の艦船配属と聞かされていて戦死した人も大勢いますが、「9/?、ソロモン方面ニテ戦死」と書いてあるだけで乗ってた船の名前も分からず事実上の行方不明です。兵役を免れた祖父母とその兄弟も、軍需工場での奉仕時の艦砲射撃、東京大空襲、他の都市の空襲、原爆、終戦間際の満州での出来事、戦後の飢餓による衰弱死・・によって、さらに10人~20人(もっとかも?)死にました。(ちなみに我が家は自分も配偶者も血筋は純日本人です)。仮に立派な戦略や戦術があっても、その陰で悲しむ一般人がいることを考えれば、一般人を巻き込む戦争は今後は絶対にしてはダメです。
情報の収集や数値管理によってなされる化学的な判断に差があると思います。日本軍は大体こんなぐらいからな見積もりげです。
そんなことないです。状況ではベストの選択結構してると思います。ただ状況が悪すぎた
ガダルカナル戦と同じぐらいから戦闘が始まって行軍、戦闘、敗走を繰り返しながら終戦に至った地域。またオーストリア軍一戦級部隊と対峙した珍しい戦域。他の地域と違い語られることが少ないのは生きて帰った人が少ないので日本側視点からよくわかって無いことが多いらしい。
そうなんですね、教えてくださってありがとうございます!
家のじいちゃんがニューギニアに派遣されて捕虜になって戦後帰ってきました。
お話聞きました?
@@donttellmearai さん返信ありがとうございます。捕虜になって戻ってきたじいちゃんは某会社の重役までになったのですが父が18歳の時に池袋駅前でタクシーにはなられて亡くなっているので私は見た事がないです。話しは父から最近になって聞きました。その時一枚だけ戦友との写真も見せてもらいました。昭和17年に学徒徴収にあい幹部候補生となり少尉任官後ニューギニアに送られて捕虜となったそうです。その際軍曹にランクを下げるかどうかやり合ったそうです。ニューギニアで戦ったどうかは不明だが病気と飢えに苦しまさせられたという事でした。
飛龍万歳
主要都市の風上で山火事を起こせばよかった。
そんなうまくいくかね
終戦間際、千葉から飛ばした風船爆弾がジェット気流に乗ってアメリカで山火事を起こした記録がある。
中島知久平の富嶽計画が実践されていたら可能であった。試作機は完成していた。小泉工場で大量生産の準備はできていた。東条首相が中止させた。実行されていれば、講和が成立した可能性があった。
荒井さんの動画はオチがあって面白いですね!いつも素敵な動画ありガトーごさいますw本当か嘘か賛否あると思いますが、日本軍兵士はニューギニア現地人の肉を食べてしまったほど酷い餓島になったみたいですね😭戦争は嫌だ
恐ろしいです。僕も戦争嫌です
この戦いを中央の指示も改竄してまで強行した辻正信参謀がなぜ作戦の神様などの虚名を持つに至ったのか十分の検討の余地がある。彼の立てた作戦は全て惨憺たる敗北と莫大な戦死者をもたらしたのに。
日本が太平洋戦争で失ったものが多過ぎる(>o
例えば…?
@@donttellmearai 5大国としての地位、満州、朝鮮、台湾、北方領土、国民の命と財産等々。
太平洋戦争❌→大東亜戦争⭕️
太平洋戦争でいいと思います
あと数ヶ月グズグズしていたら実行されていたダウンフォール作戦を語ってほしいですね、小手先の作戦をどう弄り回そうと悲劇的で愚かな最悪の結末しか待っていなかった事がわかりますから。
ゆきゆきて神軍みました
なんですかそれ
@@donttellmearai ニューギニアに戦争に言った方のその後のドキュメンタリーですが、戦争経験のない、私には非常に考えらされる映画でした。戦争は本当にひさんですね
勝てる用意をしてから戦争することができた。この辺からあとは、🤣
後の動画も見てみてほしいです
2ゲット
日本史選択でない為、詳細な年号が頭に入ってないです。“この頃には〜”と言われて具体的にいつ起こったことなのかがわかりません。これからの動画には、“XX年に”など入れて頂けませんか?分かりやすく理解が深まると思います。ご検討下さい(_ _*)
喋るのゆっくり単調でよく眠れます
良かったです!
ニューギニアまで、戦端を広げるべき必要はないでしょう。航空基地の集中設置で十分です。限りある戦力を広く薄く敷いてなんになるのかアホとしか言いようがない。しかも航空兵力、また空母の使用について、先駆者としてのアドバンテージをまったく生かせていないし、情報戦略もほぼ皆無。日露戦争で寒さ対策不十分だったのが、まったく顧みられていずに熱帯での戦いもまったく準備ナシ。「とりあえずやっちゃえ戦争」で勝てるわけないでしょ。爆撃戦術・戦略についても、初の都市爆撃をしたのに、以後の運用・戦略の研究意識皆無。ヒトラーがMe262を「戦闘爆撃機」にせよ、と言ったのを笑えない(ヒトラーの発想はアホとも言い切れないけど。しかし、ドイツもスツーカ運用のアドバンテージから進歩できなかった)。アメリカの戦略爆撃思想は、飛びぬけてますね。
やっちゃえ日産といっしょですね
ミッドウェーで無能だった南雲に代わって立つのは山本しかいなかっただろーしな発言力が強くなるのもわかる
山本五十六の動画も見てみてくださいね
天皇陛下バンザイじゃ勝てへんwwww
現実ですよね
緒戦の勝利ってやつか
その通りです
南じゃなくロシア側に矛先を向けていればなあ。どう考えてもアメリカとオーストラリアを敵に回すのは無理ですよ
ジャワの極楽。ビルマの地獄。死んでも帰れぬニューウギニア!と言われていた。人減らしのために作戦行動を強いたと言われている極悪作戦!←責任者を極刑にに処すべきでしょう。
恐ろしいですね
アメリカは南方に向かう兵士には予防接種をして向かわせていたようですね。日本は根性論だったのでしょうか?
喋るの遅いから倍速で見ると楽
たらたらしゃべってんじゃねぇよって感じしますよね
@@donttellmearai めっちゃ面白いんですけど関西人なので やっぱテンポが気になりました( つω;`)けどオモロいです
昔の日本人がこれほどの死闘を繰り広げてたのに、今の隣国の行動は笑わせる
どう言う意味ですか?
お前は隣国に触れなければ日本自慢出来ないのか?
是非、満州事変 張作霖爆殺 盧溝橋 上海事変、通州事件、西安事件 についても頼みます
満州事変はもうやってるよ!!
日本人なら大東亜戦争と言ってくれ
大東亜戦争と言うやつは歴史修正主義者
太平洋戦争が一般的
ニューギニアから生還した方を畑泥棒呼ばわりするのは本当に許せないです。
そんなヤツいるんですか??
戦略がある米國。何だそれ ?が日本
ここまで日本軍とアメリカ軍との戦術に差が出てしまったのは、なぜだと思いますか?
戦線拡大しすぎで兵站軽視の戦術が原因だと思います😥
兵站の軽視と敵兵は脆弱であるという教育、第1段計画に快勝した後のプランが杜撰であった事。悪い所を上げればキリがない。
兵站が伸びきれば補給路を殲滅してしまえば一方的な虐殺になってしまう、素人目でも解るのに戦略家が集まった大本営が慢心した事が一番の原因。
あとは陸軍、海軍の連携がほぼ無く連携され取れれば勝てた戦いも沢山ある。
無能な上官の為に有能な下士官が犠牲になっていく。
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これはいずれ是正しなければならない。
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兵站と全力の分散が敗因かと…
頭脳の差だと思います。
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パプアニューギニア本島を旅したときに、ジャングルの奥地でまだ発見されていない旧日本軍の戦闘機を発見しました。感慨深いです
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亡くなった祖父がニューギニアに出征していました。彼は戦争時代のことはほとんど話さないまま亡くなったのですが、この動画で当時の様子が分かり、落涙してしまいました。ありがとうございました。心から応援しています。
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ひいおじいちゃんの戦争での足跡を知れて良かったです。
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いつもわかりやすい解説ありがとうございます
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いつも応援してますよ!
ありがとうございます!
荒井先生の解説で戦争の状況がとてもよく分かりました。
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素晴らしい動画でした。これからもこの様な質の高い動画の配信を続けてほしい。応援しています。
わかりやすく解説下さりありがとうございます。「死んでも帰れぬニューギニア」の言葉通り、曾祖母の兄は帰って来ませんでした。悲惨な最期を遂げたのかと思うと心が痛みます。生前の曾祖母から兄がいたなんて言葉すら私は聞いたことがなく、人づてに兄がいたことやとても素晴らしい人だったと聞いたので、曾祖母も悲しさから言いたがらなかったのかな と思います。戦争は絶対いけませんね。
ご冥福をお祈りします
まさしく、戦争が起こらないように何ができるかを考えたいです
Ohayo gozaimasu from San Diego, Mr. Arai!!! Thank you for your episode!!!! What a great day to start my day!! (Ugh!!.. I have to go work) your great video made my day !! Please take it easy and many thank youuuuu!!
いつも分かり易い解説ありがとうございます。 今回も勉強になりました。
よかったです
!
曾祖父がニューギニア戦線で戦病死しました。未だに遺骨は帰ってきてません。密林の中、栄養失調やマラリアに苦しみ亡くなっていったと思うと、涙が止まりません。
お話いただきありがとうございます。2度と戦争をしてはいけないと強く思います
リクエストで、石原莞爾をやって欲しいです!
やりたいですね
ガ島が飢餓は知っていたが、ニューギニアがこんなに悲惨とは!Rabaulのイメージが強いせいか?先生の解説わかりやすい。
よかったです!
私の父はシベリアに抑留されていました。伯父は東部ニューギニアで戦死しています。私も高齢者になり、自分の近親者の戦争体験を知りたくなり、軍歴証明書というものがあるということを知り県福祉課に問い合わせて送っていただきました。少ない情報ではありましたが父と伯父の軍歴知ることができました。私が生まれる以前に伯父は戦死しています。母から「兄さんは、餓死したのだろう。白木の箱には石が入っていた」と話してくれたことがあります。伯父は独身で23歳で戦死しています。両親はもちろん兄弟姉妹もすでに亡くなっていますので、甥である私が伯父の存在をそして若い命を国に捧げたことを覚えておきたいと思います。父が極寒のシベリアで生き抜いてきたこそ今の自分がいることに感謝したい。
差がついてしまったのは兵站軽視が最大の理由だと思うけど、やっぱり基礎工業力と研究予算が違い過ぎたのも大きいよね。
日本は最後まで損害をリカバリーできずにいたのに対して、アメリカは修理&大量生産、さらに新型機を次々に開発して量産する余裕もあった。
質でも量でも劣ってしまったらもう残されるのは精神論だけになっちゃうよね。
仕方がない感じもしますよね
戦線を広げ過ぎれば物資も尽きる。足りなかったのは物資よりも大本営の頭の中身。
ニューギニアまで戦線を広げるなんて国力のことを一切考慮していなかったのは明らかですよね。
とはいえ石油が取れるインドネシアがすぐ隣にあり、放置した場合石油の輸送船が沈められるのも時間の問題だったので、純粋に軍事的な観点からすればそれほど間違いとも言えないのが頭の抱えどころなんですよね。
@@NikochinJunkie ニューギニアを超えてソロモンまで行ってる。それが上手く行きゃフィジーからさらにサモアまで行く予定だった。日本の国力からして参謀の頭に脳みそが入ってないと言わざるを得ない。
@@かぶとむし-n5z たしかにw
Aを守るためにはその先のBを取っておかないといけない。→Bを守るためにはその先のC取っておかないといけない…この繰り返しですからねー。
理屈は分かるんですが実施可能かどうか、国力と照らし合わせて戦略を練るのが大本営のお仕事なので、片手落ちとしか言いようがありません。
作り込んでますね~👍️
さすがです
でしょー!
私の祖父はニューギニア島の生還者です。この動画は非常に参考になりました!
ラバウルの周り船で囲うの頭いいな
ね
昨年亡くなった祖父が残した過去帳に書いてあった「ニューギニア島サルミにて戦死」の文字。それは祖父の兄のことでした。
でもそれしか情報がなく、18歳の男の子が国のために生きた証も遺骨も何もないことが本当に悲しくて切なくていてもたってもいられず調べることを決めました。
いつか曾祖父母と同じお墓に入れてあげるのを目標にできることをやろうと思います。
アメリカ軍の考える計画は恐ろしいで…
この辺からも、きちんと解説されていて、偉いと思います。私は負け戦さは飛ばします。
負け戦こそ学ぶことが多いと思います
@@donttellmearai まさにそう、負けないためには何をする、しない、が重要となります。結局、アメリカに宣戦しないが正解です。
いつも丁寧な解説ありがとうございます。日本軍とは違い連合軍は自軍兵士の命を大切にしたというのはよく聞きますよね。
戦闘機搭乗員はクスリを打たれて長距離進撃を行っていたとか、捕虜になることを許されなかっただとか、そもそも国力の違う相手に消耗戦を仕掛けては勝ち目はないですよね。
真面目で暗記能力だけが秀でた東條英機陸軍大臣が昭和15年に制定した軍人勅語ですね😢 条文の作成者は島崎藤村で御座いますね😭 文学的な文飾なされておりますが、主旨は生きて虜囚の恥ずかしめをうけるな、ですね😢 昭和の気違い皇軍をつくりましたね😭 明治の陸軍海軍と比較して昭和の皇軍は狂っておりますね😢 中将になると男爵の爵位を賜り子子孫孫までの莫大な財が保証されておりますね😃 その為に戦争を続けておりますね😢 植民解放等はとんでもありませんね。赦しがいたい昭和の皇軍で御座いますね🙏
マリアナ沖海戦やって欲しいです!
やります!お楽しみに
メキシコの麻薬カルテルについてお願いします
なんか本を読んだ気がします
ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア
シンガポールの戦いもお願いします。大叔父が戦死したので興味があります。
調べてみますね
ジャワの天国、ビルマの地獄、生きて帰れぬニューギニア。
そうだったんですね
死んでも帰れぬニューギニア だった気が・・・・ ニューギニアは放棄された唯一の戦線。マッカーサーは言いました、後はジャングルが解決してくれる、と・・・
死んでもが正解です😀
死んでも遺体すら帰れない地獄
戦後現地の捕虜収容所で、加東大介の「ああ、南の島に雪が降る」の芝居を行った部隊に隊長でした、顧客さんでした。その他の話は余り聞かない様しました。
そうだったんですね
教えてくださってありがとうございます
日本軍とアメリカ軍との戦術に差が出てしまった理由の一つは、航空隊(や空母)を指揮していたのが飛行機乗りではなかったというのを聞いたことがあります。
飛行機乗りでないと、長距離飛行の負担が理解されにくいですから
それと加えてアホみたいな楽観視もあったんじゃないですかね
軍歌にも、ラバウル海軍航空隊がありますね。
そうなんですね
ラバウル海軍航空隊軍歌好きです。
あの水木しげるさんが負傷した熾烈な闘いですね、満足な支給もなく飢えに苦しみました、戦う前に疲弊しますよね。でも、山本の戦略も無謀で結局は物量の多いアメリカには及びません、悲しいけど結果は変わらんのです❗️
悲しいですね
死んでも帰れぬニューギニア
嫌ですね
曽祖父がニューギニアへ行っていたそうで今は亡くなりましたが終戦一年後くらいに帰ってきたそうです。死んでも帰れぬと言われたところから本当によく帰ってきたんだなと思いました。
ほんとです
ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニアと言われていたそうです。
@@オオタマスオ
ジャワ島が極楽と言われたのは心優しき名将・今村均のおかげですね。
陸軍も彼のような人物がもっと大勢上層部にいたら、あんな惨めな敗戦は無かったでしょう。
包囲して補給を断たせるという戦術は圧倒的な物量を誇るアメリカだからこそできる戦術
そうなんですよね、結局資源の差
ニューギニアのは 初めてでした ありがとうございました
叔父が 東チモールから 生きて帰ってました 父親は 台湾から ラバウルまで 行って帰ってきました 79才で死んで 叙位叙勲を してもらってもらいましたが 父親の年に 近づいて来た身には 戦争ではなく 別の方法も あったのではないかと 思ってます
最近、オープニングの荒井さんが菩薩のように見えます。
自分の曾祖母の兄は、いわゆるダンピールの悲劇で亡くなった1人です。彼も乗っていた補給船を沈められて死にました。もちろん骨すら帰ってきてきません。😢
ここにきて出せる駒が無くなり戦力の差が出てきたみたいですね
まさしくです
本気であったかどうか
要するに手を抜いて余裕ぶっこいでたんですよ
東京裁判の動画ってありますか?
今後絶対作ります!待っててくださいね
@@donttellmearai わかりました!
海軍陸軍のそれぞれのトップがそれぞれの軸になっていて助け合わず、全体的な視点が欠けてしまった。
明治の富国強兵でもともと海軍はイギリスから全てを学び装備もイギリスのもの。
陸軍はフランスから学び全てがフランスの形式。
敵国同士の道具に汎用性もないし、、
日本は敗戦の経験が無く、色んな点で甘い楽観論の上層部。
日本政府の内側がアメリカのスパイたちに操られていたから。そうでなければ真珠湾攻撃などしてわざわざアメリカを参戦させたりする必要がない〜
限られていた燃料、既に底をついた〜
しかも補給路無くして、飢餓や病で次々と兵士は命を落としていて戦うどころではなかった〜
第二次世界大戦後の貨幣制度についての動画を作って欲しいです!
ニクソンショックやプラザ合意など分かりやすい解説お願いします🤲
経済的な感じですね
大戦略として考えた場合、北はアッツ、東はハワイ、西はインパール、南はニューギニアと戦線を拡張すれば、最強の軍隊をもってしても勝てません。
たしかに
これ見ると岩本さんがいなかったらラバウルもすぐ連合国側に落ちて終戦も早まっただろうな。
あんな遠い地でラバウルがあそこまで持ったのは正に「ラバウルは岩本で持っている」って事だなぁ。
うちのじいちゃんはニューギニア戦線の生き残り。ダンピール海峡からの空襲の話、そこから泳いでブナに行きそこから山越え色々話聞きました。歴史では教えてくれない生の話を聞きました。もっと真面目に聞いとけばよかったと悔やんでいます。
じいちゃん無事に帰ってきてくれてありがとう。
感謝です本当に
やはりお島がいっぱいだなあ
ですです
分かり易い解説、ご苦労様です。太平洋戦争戦史については、詳しくないので、参考のため色々見ているのですが、解説者の日本軍への過度な思入れのためか、客観的な評価がサッパリ判らないケースも多く、助かります。
私としては、満州事変の後処理辺りで道を間違えたのではないかと考えており、一度満州事変の評価を聞きたいところです。よろしくお願いします。
満州事変の動画も上がってますよ!!
日本軍は航空機と戦闘艦との共同作戦が無かった、ハワイもミッドウェイも航空機だけ、戦闘艦を航空機で護って侵攻し艦砲射撃で殲滅の作戦はできなかったのはなぜ?
なんでなんですかね
陸上砲台と戦艦では、陸上砲台が圧倒的に有利なので、航空攻撃のみでした。(近づくとオアフ島のトーチカにやられる)
ハワイはおまけに、艦隊の燃料もギリギリだったので、あれ以上は居られなかった。
艦砲射撃するには敵の3倍から5倍の戦力が必要、+補給、燃料などが必要これが日本になかったから無理。
そもそも陸軍と海軍で戦争してて、アメリカとはその片手間に戦ってたと揶揄されてしまうくらいに陸海軍が不仲で全然国のために戦うという感じではないのが…
さらに各々の組織は縦割りのメンツメンツの世界。
父のお兄さん、つまり私の叔父さんですが、顔も知りません、そして独身で戦争に赴きました。遺骨も返って来ませんでした。父は二人兄弟でした。
面白かった。聖戦としての大東亜戦争は、などと書き散らしてる戦闘しょうかいさいとがおおいなかで、しっかりぶんせきができているね。
すみません誤操作で、送信してしまいました。日本軍の主な間違いは2つで、兵站理論の軽視と、異常なほどの個別戦闘重視主義ですね。それに、満州事変以来の下克上容認体質がくわわり、個別戦闘の結果に対する過剰なこだわりが、玉砕美化になって、行き着くところまで行ってしまったのでしょうか。
今後とも、頑張って紹介おねがいします。
ありがとうございます。頑張ります
反跳爆撃、知りませんでした
当時の主戦場は ヨーロッパであり
東南アジア諸国の連合軍は軍備も手薄で戦意も低かった。
そんな軍隊に 勝った 勝ったと勘違いしてしまった。
今にして思えば 山本五十六の戦略は間違いだと思う。
無駄に戦線が国力以上に伸びきってしまい 補給や維持するのも困難になってしまった。
その辺はインパール作戦の動画で詳しく解説してます!
オーエンスタンレー山脈ですね。
戦術の差は、兵站の重要性を無視して、前線を伸ばしすぎたということに尽きるのかも。
ですかね
そのような作戦を立てた理由だよ。問題の本質は。敵を侮り、過大な自己評価。人として劣っていたと言わざるを得ない。
ふむふむ スタンレーの魔女ってヤツだな。
スタンレーの魔女ってなんですか?
松本零士の漫画ですね。
ポートモレスビー爆撃後、敵機に追われつつスタンレー山脈を越えて帰還を目指す爆撃隊の話です。
泣けます。
戦時中、僕の叔父が、この地域で空港建設の作業に従事していたそうです。
大和魂万能論
終わりがけの「メンバーになる」ってセリフ聞くまで関西人ってわからんかった😳
いやそれww
日本側が連合軍について研究を特にせずに戦いに挑んだ結果だと思います。連合軍側は日本の持つ戦闘機、艦船そして、戦術を徹底的に研究していたから、より日本軍に特化した良い作戦を組んで行けたのでしょう。
アメリカは戦争するにあたり日本語を喋れる兵士も養成した捕虜から情報を得るため日本軍は敵国英米の文化言語は禁止戦争に対する戦略思想が根本的に違う。
@@杉山正規-d3m ちなみに日本語を解する兵士を1万人育てようとしていたという恐ろしさ。
まあそこまでは無理だったかもだが、記録映像のなかのあちらの日本語は漢字も使っていてかなりレベル高かった…。
数千人規模で日本語話者はいたのではなかろうか
軍服姿の写真でしか知らない大叔父(ニューギニアで戦死)の兵籍簿を昨年取り寄せました
戦闘地名、出港場所、日付、負傷内容とかなり詳細に書き残されてることに驚きました
ただし、ここの戦線に関しては「ニューブリテン島『ラバウル』二上陸」で記録が途絶えています
あとで「独立工兵30連隊19.3.12.ニューギニア島ウエワクに於て戦死」と近年に書き足されていました(旧漢字使用もなく今風の手書き文字)
ただし死没者原簿は旧漢字
工兵第四聯隊第一中隊から独立工兵第三十聯隊第二中隊
戦死により軍曹から曹長
終戦記念日に大叔父の本籍地の護国神社に参拝し、聯隊地跡の石碑に花を添えてきました
ご冥福をお祈りいたします
僕の叔父もウエワクにて敵爆撃機に体当り散華3月13日
その日はウエワク大空襲だそうです
間違い3月12日
@@ならたつよし さま
ご冥福をお祈りいたします
忘れないことが一番ですね
大叔父の場合、独身で戦死したため裔の者もおらず誰がお祀りしてるのかも不明です
母が他界する前の思い出語り、古い写真で存在を知りました
作戦てのは資料の不明な所はフェルミ推定で立てたりするのだが、その推定値を甘めに都合良くしたためだろう。確かに完ぺきな作戦っすね、全部思惑通り都合よく進めばさ…
確かにね。。。
なんせ図上演習で撃沈食らった赤城を沈まなかったことにする!!やからなぁ
お砂糖のように甘い思考だ。少なくとも戦闘国家ではなかった…
地味で日本人的には嫌いなことなんですが、そこを一生懸命に取り組むこと、アメリカの兵士と日本の兵士の精神的な違いとは、日本人は敵を殺す事ばっかりに時間を使って、戦争という行為の真の目的は敵国の兵力を無力化することです。敵の兵器庫や兵站業務は戦争の準備段階。これが空っぽになってしまえば戦争継続は無理になる事、これを完璧にやったのがアメリカ軍で最初から日本は海に囲まれた島国で資源に恵まれない国家であるから、これを叩くには船を叩けば良い。潜水艦や戦略空軍が現在でも世界一の軍力を備えている事はこれを強く意識のしたものと思われます。
そうなんですね
私の、父もニューギニアの生存者でした🙏🏼
大陸で中国軍と戦ってる分には日本軍の戦い方はまあ有効と思われたが、当時の日本軍の装備、戦術思想からして
シャープな合理主義と3D戦略のアメリカ軍と戦うのは30年(もっとかも)早すぎたのかもしれない。
日露戦争の歩兵の突撃思想から一歩も外へ踏み出さなかったわけだ。伝統を守るのも善し悪し。
ノモンハンで苦戦して分かってたはずなのに、ドイツ軍顧問団を招聘してでも米ソと近代戦を戦うための兵装や戦術思想の一大改革をすべきだった。ただ基礎工業、科学力、合理主義思想、どれをとってもアメリカに絶望的に劣ってたわけだから当時国を挙げてジタバタしてもどう仕様も無かったのかもしれないけどね。
そうかもしれないですね
パプアニューギニアの「パプア」って
縮毛っていう意味らしいです。
知ってました?
なんか、ニューギニアって
名前が可愛いですよね。
「パプア」って笑
なんか「パパ」って呼びたかった
赤ちゃんが言い間違えたみたい。
日本には戦術はあっても、戦略が無いに等しい…
今でも、それは変わってない。
戦略が、無いのが日本の文化か?
일본어를 잊어버리지 않기 위해서 이렇게 가끔 일본어로 듣는 연습을 한다. (일본어 공부하기도 좋네!)
暗号解読されてたって事がすべてではないだろうか?? それに気づいて居れば、珊瑚海海戦もミッドウェー海戦も勝利できただろう。。どちらも待ち伏せされた。 零戦が完全鹵獲されたのも、ミッドウェー海戦の敗北によるところが大きい訳だし、暗号解読されていて、勝てるわけがない。
その通りだと思います
亡き叔父は、ニューギニア戦線で[病死]したと聞いて居ました。しかし、この戦いで亡くなった方々が、皆んな[病死]の通知。
何故、戦死ではなくて[病死]なのか?当然、戦死扱いと違い、2階級特進なども無く、恩給にも関わって来たと聞きます。
父は、陸軍大尉で、チモールに従軍していた事も有ります。しかし、ニューギニア戦線の真実はわからないと言っていた。
真実はわからんですね
栄養失調、食い物が無いと抵抗力が減って簡単に病気になります。広義の餓死です。
五十六のうろたえようが、手に取るように分かりますね。愚蒋は間違いないです。
もうこの時期でゼロ戦も、役にたたなくなっていたこと。それならそうで、それなりの使い方があると思うのですが、ベテランの搭乗員を無駄に死なしてしまうやり方は間違い。やはり西方に十分移動して、出直すというのができない山本の石頭が致命傷です。ミッドウェー作戦など要らない作戦。兵糧がなくても戦争できると思っていたのか。腹立たしくさえなる。
戦術家の問題だったのですかね
「日本軍とアメリカ軍との戦術の差」と言えば、陸海軍の連携不足、日本軍伝統の兵站軽視、序列は能力より年齢が先、辻のようなアホ参謀の台頭・・・よく言われていることですが、言えばキリがないですね。
私の祖父母の兄弟(大正生まれの男子)は、ニューギニア、ガダルカナルで陸軍兵士として10人以上死にました。ちなみに、海軍兵士としては、菊水作戦で大和の乗組員として死んだ義叔父が1人(戦後になって4/7戦死と生き残った人の話から判明)、他の艦船配属と聞かされていて戦死した人も大勢いますが、「9/?、ソロモン方面ニテ戦死」と書いてあるだけで乗ってた船の名前も分からず事実上の行方不明です。兵役を免れた祖父母とその兄弟も、軍需工場での奉仕時の艦砲射撃、東京大空襲、他の都市の空襲、原爆、終戦間際の満州での出来事、戦後の飢餓による衰弱死・・によって、さらに10人~20人(もっとかも?)死にました。(ちなみに我が家は自分も配偶者も血筋は純日本人です)。
仮に立派な戦略や戦術があっても、その陰で悲しむ一般人がいることを考えれば、一般人を巻き込む戦争は今後は絶対にしてはダメです。
情報の収集や数値管理によってなされる化学的な判断に差があると思います。日本軍は大体こんなぐらいからな見積もりげです。
そんなことないです。状況ではベストの選択結構してると思います。ただ状況が悪すぎた
ガダルカナル戦と同じぐらいから戦闘が始まって行軍、
戦闘、敗走を繰り返しながら終戦に至った地域。
またオーストリア軍一戦級部隊と対峙した珍しい戦域。
他の地域と違い語られることが少ないのは生きて帰った人が少ないので日本側視点からよくわかって無いことが多いらしい。
そうなんですね、教えてくださってありがとうございます!
家のじいちゃんがニューギニアに派遣されて捕虜になって戦後帰ってきました。
お話聞きました?
@@donttellmearai さん
返信ありがとうございます。捕虜になって戻ってきたじいちゃんは某会社の重役までになったのですが父が18歳の時に池袋駅前でタクシーにはなられて亡くなっているので私は見た事がないです。話しは父から最近になって聞きました。その時一枚だけ戦友との写真も見せてもらいました。
昭和17年に学徒徴収にあい幹部候補生となり少尉任官後ニューギニアに送られて捕虜となったそうです。その際軍曹にランクを下げるかどうかやり合ったそうです。ニューギニアで戦ったどうかは不明だが病気と飢えに苦しまさせられたという事でした。
飛龍万歳
主要都市の風上で山火事を起こせばよかった。
そんなうまくいくかね
終戦間際、千葉から飛ばした風船爆弾がジェット気流に乗ってアメリカで山火事を起こした記録がある。
中島知久平の富嶽計画が実践されていたら可能であった。試作機は完成していた。小泉工場で大量生産の準備はできていた。東条首相が中止させた。実行されていれば、講和が成立した可能性があった。
荒井さんの動画はオチがあって面白いですね!
いつも素敵な動画ありガトーごさいますw
本当か嘘か賛否あると思いますが、日本軍兵士はニューギニア現地人の肉を食べてしまったほど酷い餓島になったみたいですね😭
戦争は嫌だ
恐ろしいです。僕も戦争嫌です
この戦いを中央の指示も改竄してまで強行した辻正信参謀がなぜ作戦の神様などの虚名を持つに至ったのか十分の検討の余地がある。彼の立てた作戦は全て惨憺たる敗北と莫大な戦死者をもたらしたのに。
日本が太平洋戦争で失ったものが多過ぎる(>o
例えば…?
@@donttellmearai 5大国としての地位、満州、朝鮮、台湾、北方領土、国民の命と財産等々。
太平洋戦争❌→大東亜戦争⭕️
太平洋戦争でいいと思います
あと数ヶ月グズグズしていたら実行されていたダウンフォール作戦を語ってほしいですね、
小手先の作戦をどう弄り回そうと悲劇的で愚かな最悪の結末しか待っていなかった事がわかりますから。
やります!お楽しみに
ゆきゆきて神軍みました
なんですかそれ
@@donttellmearai ニューギニアに戦争に言った方のその後のドキュメンタリーですが、戦争経験のない、私には非常に考えらされる映画でした。戦争は本当にひさんですね
勝てる用意をしてから戦争することができた。この辺からあとは、🤣
後の動画も見てみてほしいです
2ゲット
日本史選択でない為、詳細な年号が頭に入ってないです。“この頃には〜”と言われて具体的にいつ起こったことなのかがわかりません。これからの動画には、“XX年に”など入れて頂けませんか?分かりやすく理解が深まると思います。ご検討下さい(_ _*)
喋るのゆっくり単調でよく眠れます
良かったです!
ニューギニアまで、戦端を広げるべき必要はないでしょう。航空基地の集中設置で十分です。限りある戦力を広く薄く敷いてなんになるのかアホとしか言いようがない。しかも航空兵力、また空母の使用について、先駆者としてのアドバンテージをまったく生かせていないし、情報戦略もほぼ皆無。日露戦争で寒さ対策不十分だったのが、まったく顧みられていずに熱帯での戦いもまったく準備ナシ。「とりあえずやっちゃえ戦争」で勝てるわけないでしょ。爆撃戦術・戦略についても、初の都市爆撃をしたのに、以後の運用・戦略の研究意識皆無。ヒトラーがMe262を「戦闘爆撃機」にせよ、と言ったのを笑えない(ヒトラーの発想はアホとも言い切れないけど。しかし、ドイツもスツーカ運用のアドバンテージから進歩できなかった)。アメリカの戦略爆撃思想は、飛びぬけてますね。
やっちゃえ日産といっしょですね
ミッドウェーで無能だった南雲に代わって立つのは山本しかいなかっただろーしな
発言力が強くなるのもわかる
山本五十六の動画も見てみてくださいね
天皇陛下バンザイじゃ勝てへんwwww
現実ですよね
緒戦の勝利ってやつか
その通りです
南じゃなくロシア側に矛先を向けていればなあ。どう考えてもアメリカとオーストラリアを敵に回すのは無理ですよ
ジャワの極楽。ビルマの地獄。死んでも帰れぬニューウギニア!と言われていた。人減らしのために作戦行動を強いたと言われている極悪作戦!←責任者を極刑にに処すべきでしょう。
恐ろしいですね
アメリカは南方に向かう兵士には予防接種をして向かわせていたようですね。
日本は根性論だったのでしょうか?
喋るの遅いから倍速で見ると楽
たらたらしゃべってんじゃねぇよって感じしますよね
@@donttellmearai めっちゃ面白いんですけど関西人なので やっぱテンポが
気になりました( つω;`)けどオモロいです
昔の日本人がこれほどの死闘を繰り広げてたのに、今の隣国の行動は笑わせる
どう言う意味ですか?
お前は隣国に触れなければ日本自慢出来ないのか?
是非、満州事変 張作霖爆殺 盧溝橋 上海事変、通州事件、西安事件 についても頼みます
満州事変はもうやってるよ!!
日本人なら大東亜戦争と言ってくれ
大東亜戦争と言うやつは歴史修正主義者
太平洋戦争が一般的
ニューギニアから生還した方を畑泥棒呼ばわりするのは本当に許せないです。
そんなヤツいるんですか??
戦略がある米國。何だそれ ?が日本