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以前、某一期生の卒業&アーカイブ非公開について我が子と話した際に「自分達は物心ついた時からデジタル機器が当たり前に存在してて、思い出が形に残るのが割と普通なんだよ。例えば友達とのくだらない話も遊びに行った場所も、ラインの履歴や写真なんかにいっぱい残ってて、それが普通だと思ってる。だからたぶん『楽しかった思い出が形に残らなくて物理的に振り返れないこと』に折り合いを付けるのが、親世代やジジババ世代より下手っぴなんだと思う」と言われて色々と考えさせられた
個人的にVTuberは、双方向のコミュニケーションができるものだから、友人(実際そうではなくても)と応援してる人を同時に失った感覚があるのが辛いの原因だと思った
瞬間瞬間の快楽でいいんじゃない?という最後のお話、納得するのと同時に、でも、人間(主語デカ)って「記憶なくしてまた見たい(もっかい感動したい)」って執着があって、同じ絵でももう1回見返したら新たな感動があるかもしれないし、似たような感動をもう1回得るだけかもしれないんだけど、「いつでも見返せる」ことの安心感が失われるのは寂しいよなぁ、とは思う
綺麗なところで終えたいから最終回、ってしっくりくる
リスナーにとって配信は「居場所」でもあるから、それがなくなってしまう喪失感もある気がする
よく卒業理由にあげられる「企業側との方向性の違い」って、まさにこのことなのかなと自分の表現したいことができないままなのはつらいですよね
芸能人なら引退から数年後に「あの人は今!」みたいな番組とかで目にする機会も無い訳じゃないけど特に企業Vなんかは卒業したらマジで存在の消滅に繋がるので、ファン目線で卒業ってほんとに怖い。Vtuber目線の卒業についてフミ様なりの考え教えてくれたのは、少し違う捉え方ができて気持ち的に助かるね。
跡形も無くなってしまったとしても、その時落ち込こんだり、涙が出たり、ふと思い出すこと全てに好きだった全てが込められてる気がする。その悲しみ、涙こそ、推しから貰った宝物の証だと思ってる。
死を二度と目覚めない眠りだとすれば、二度と現れることが無くなるVの引退は、実質死ってことなのではないかと。漫画の連載の喩えもありましたが、「面白いからずっと続いてほしいコンテンツ」というより「好きだからずっと生きていてほしい人」なんじゃないかなと。そう考えると、「綺麗な思い出のまま死なせてくれ」って言われたら止めたくもなるし、グッズや思い出が残ると言われても、本人が居なくなったら悲しいに決まっているので。フミ様自身も、アーカイブを何度も見返すよりは生配信を見た時の〜と話していたように、Vって生でリアルタイムなコンテンツだから、一部アーカイブが残ったとしても、連載が終了しても読み返すことで普通に楽しめる漫画とは違うと思うんですよね。なお、ここで書いたことはあくまで「VリスナーはなぜVの引退をそれほど恐れるのか」に対する自分なりの想定であって、全リスナーがそうだとは言わないし、「だからVは絶対辞めるな!」ということでもないです。それこそ、大切な人に無理し続けてほしいわけではないので。
ネット配信者やVtuberの卒業・引退する場合ってアーカイブや動画非公開で振り返ることもできなくてきつい漫画やアニメなんかのこれまでのキャラクターなら媒体として残ったりするけどVtuberなんかはパッと消える報告だったりっで一ヶ月くらいを目安に卒業しますと発表されて日にちが来たら終わり漫画や小説みたいにきれいなEDを迎えるわけじゃない楽しみにしてどんな展開か気になって読んでた本が急にそこで終わってる元からなにもなかったかのように消えるのに記憶の中に残っててネット上でちょっとだけ残ってて今でも面白いと思って楽しく見てるけどVtuberの引退にはどう折り合いを付ければいいのかわからない
「すべて無くなる」=「チャンネルなくなる」=「最終回ではなく打ち切り」に感じるんだろな最終回なら「読み返せる」から。打ち切りなら「読み返したくても版元が回収して絶版」で「読み返せない」から。にじじゃない方で例えて申し訳ないが桐生ココ・湊あくあ、は「卒業」後もチャンネルもアーカイブも残るから、「ずっと見てられる」夜空メル・潤羽るしあは「契約解除」でチャンネルごと抹消で「見返すことも出来ない」この違いも大きいかと。にじさんじは一律にチャンネルごと抹消だから、余計にこういう心境になるのではないか、と。
綺麗な終わり方を本人がしたのなら素晴らしいんだけど転生したり、中の人で活動してる人達を見ると卒業=転生するってイメージが付きまとってきますね
やらかした場合は「引退」もしくは「解雇」って表現にして円満で辞めるなら「卒業」「旅立ち」って表現にして欲しい転生したのは被る皮変えただけでやること変わらんから、すぐバレるしな
いい映画があって、見て面白かったーってなるじゃん?そこからしばらくして、あれ面白かったからまた見たいなってなって、それが二度と見れないものになってたとしたら。それは寂しいし悲しいんよ……。
Vtuberの引退が芸能人の物と違う要因の一つが芸能人の場合引退してもその後の人生がありますし、もしかしたら復活なんて事もままありますそれこそ漫画やアニメでも連載終了しても復活リメイク、続編なんてそこそこある話しかしVtuberの場合完全に死にますもちろん、メタ的な言い方になりますが「中の人」にはそれからの人生がありますその「中の人」の転生先のVtuberを変わらず応援し続ける人もいますしかしVtuber○○としての一つの人格は完全に消え去りますVtuberの引退は言葉では卒業にはなりますが、ファンからすれば死別と同義なのですそれを振り返るとき、例えば連載終了した漫画を面白かったなぁと振り返ると言うよりは故人を懐かしむ寂しい気持ちになるのが、大きな違いと思います
個人的に拠り所にするには危険な趣味だと思ってるので、ある程度距離はとらざる負えない趣味だとは思ってる受動的な趣味はそれに影響されてつらい思いをすることがあるのでまぁ対処療法として例えばだけど、そういったものに触発されて能動的何か作り上げたりすることをするといいかも
たとえ引退しようが卒業しようが推しが元気に生きてくれるならそれで良いんです。寂しいけどね…
Vは芸能人と比べ、リスナーたちの生活にもっと近いだと思う生活の中で当たり前の存在になってるから卒業はほぼ生活の一部がいきなりいなくなるみたいその穴がいつか埋めるまで、ずっと喪失感に苦しめると思いますでも人生そもそもそういう経験は何度も巡りわせるから、穴が埋める日いつか来る、と思いたい
アニメとか漫画の最終回と違って2次元とリアルの生きたコミュニケーションを享受しているからやっぱり卒業はほぼ死でお葬式みたいになる。ブツが残っても位牌やお仏壇の気持ちだよなぁ。まゆゆのアーカイブ全部3週くらいしてるけどもう思い出ビデオみたいになってここから先新しいコミュニケーションは生まれないのが寂しいし悲しい。日々の中で配信を見て一緒の時間経過を共有して湧き上がり続けて一緒に死にたいのよ、無理だけど。刹那的すぎてもう誰が卒業しても苦しい。しかもにじさんじという巨大で魅力的すぎる箱!私みんなのこと大好きなの😢やりたいこと応援したい気持ちと心の穴がぽっかり空く辛さはまた別物として大切に持っておきたい。
卒業なら良いよ‥契約解除追放存在抹消処分のVTuberもいるんだからにじさんじもホロライブも‥他にもいるだろう
それだけ心酔出来るのは幸福だと思いますけどね
わいの推しはCDやライブをやってくれるから比較的ダメージが少ないよ。
まだ卒業ってはっきりさせてるだけましだと思うよ。芸能人なんてよっぽど有名な人でもない限りひっそり消えて行くなんて普通だし。例えば堀北真希のいた事務所とかもいつのまにか事務所のプロフィールから消えて知らん間におらんようになったとか、結構あったし。どうしてもモヤるよな。だから卒業配信までやるのは相当親切よ。
芸能人のシレッと消えるのは、神隠しに遭った感じで「うわぁ」って声が出る
やはり多数推しが便利だな。Vを推すことに依存の分散は必須テクニックになってきてるな
分散はあるのだけども、この子が卒業してもこっちの子がいる、、、とはならんよな😢数が増える分身を引きちぎられるような思いをする確率もあがるよ。
@@m_yuyu728 この子がいるから大丈夫、というより多数推しにして一人の子に依存、のめり込みすぎないように感情をセーブしてきちんと1人の完結を見守れるように感情の量を整えるというのが自分的な解釈かな多数推ししても難しいなら、そもそもコンテンツへの距離が今の心身の状態にあってないと解釈してコンテンツごと見ない時間をとって心を休める方がいいと思う(経験談)この行動をしなきゃって思ってもいやだね!推しをみてたい!って気持ちになるなら、それこそ依存状態、自分を制御できない黄色信号だと思って推し活はおやすみする推しは卒業するのは必然だからそれを前向きにポジティブに受け入れるメンタルに鍛えるか、距離感をはかるこれしかないと思う
@@m_yuyu728多数推しのメリットはこの子が卒業してもこの子がいるから大丈夫、というより1人の推しにのめり込みすぎないようセーブして、卒業を前向きに見守れるよう感情を整えると解釈してるかなもし多数推ししても苦痛なら、そもそもコンテンツとの距離感が今の心身の状態にあってないかもしれないと思ってしばらくコンテンツごと見るのをお休みする期間を作る方がいいかも(経験談)ガチで依存状態だと自分を制御できないのでこの行動を実行できない、どうしても見たくなるからアプリをデリートする、Vをフォローしてないおすすめにもでない別垢を育てるなど環境からシャットアウトしてお休みするかなVと卒業はきってもきれないことだからポジティブに見守れるようにメンタルを整える工夫をしないと楽しいものが苦痛なものになってしまうから
@@m_yuyu728多数推しのメリットはこの子が卒業してもこの子がいるから大丈夫。というより多数推しして一人の子にのめり込みすぎないようにセーブして、卒業をポジティブに見送れるよう感情をととのえるというふうに解釈してるかな多数推ししても卒業がきついくらいのダメージになるなら、そもそも今の心身ではうけとれる状態じゃないと判断してコンテンツごと距離をとってお休みするといいよ(経験談)まじでのめり込み、依存状態になるとコンテンツから距離をとるのも難しく、苦しい辛いと感じてるとわかってるのに見続けるからアプリを消す、ログアウトして別垢を作るなどして見れない環境を作るのがよかったよそのままだと、楽しかったことが、辛い事になっちゃうからね
@m_yuyu728 多数推しのメリットはこの子が卒業してもこの子がいるから大丈夫。というより多数推しして一人の子にのめり込みすぎないようにセーブして、卒業をポジティブに見送れるよう感情をととのえるというふうに解釈してるかな多数推ししても卒業がきついくらいのダメージになるなら、そもそも今の心身ではうけとれる状態じゃないと判断してコンテンツごと距離をとってお休みするといいよ(経験談)まじでのめり込み、依存状態になるとコンテンツから距離をとるのも難しく、苦しい辛いと感じてるとわかってるのに見続けるからアプリを消す、ログアウトして別垢を作るなどして見れない環境を作るのがよかったよそのままだと、楽しかったことが、辛い事になっちゃうからね
漫画は最終回でも作品が残るじゃんかアイドルだって曲が残るじゃんかVでチャンネル消されると一番大事で好きだったものが残らないから辛いんだよグッズで辿れないものが好きだから辛いんだよ
案の定、思い出やグッズがあるじゃん!っていう結論だった。それがあるから辛いんじゃねぇの?だから、時が忘れさせてくれるまで待つしかないのかもな
依存先が多い人は心が健康なまま生きていけることが多いとは言うから、推しをたくさん作っておくのもいいかもね。ショックを受けることはあっても、他の推しに支えられて立ち直るのも早いだろうし。その為には視野を広く持ち、色んなことに興味を持ち続けるのが大事。俳優でも漫画でも絵画でもいいから、推しを作ろう
漫画とかは最終回迎えて終わったかと思われても、ある程度以上の人気があればその後にアニメ化したり、何年か十何年後とかにグッズや続編が出るなんてこともあり得るからvtuverの卒業とはまた違う気がする連載や放送が終了した人気作の10周年アニバーサリー企画とかもよくあるけど、活動終了したvtuverでそういうのは無い…よね?最近Vにハマったから自分が知らないだけだったら申し訳ない活動(展開)終了後に公式側からの新たな展開の可能性の差が、喪失感の違う原因の一つになってるんじゃないかなと
こう言っては何だけど、突然の契約解除で突然いなくなるパターンと卒業発表で間があってから卒業のパターンだと後者の方が悲しい気分になる自分がいる。その後転生しようがどうしようが契約解除は卒業発表経ての卒業より割り切りやすいというか、後者だと卒業までの配信・コラボを楽しんで見れないから余計に悲しい気分の時間が長引くというか。
週刊誌の連載とか読んでるとたまに思うこっちはずっと見てたいと思ってても発信者は伝えたいもの見せたいものがあって発信をしてる訳で。それが完結したときに「求められてるから」「食い扶持だから」で続けられるかと言ったらNOなのだろうなと思う出し切った!満足!で辞めるのか一旦溜めてくるで休止に入るかとか道はあれど、発信者であり続けられるのはひとつの才能だよな
vtuberとしての卒業はある意味での死だからそう簡単に踏ん切りはつかないのかなあって思う。下に長文書いとく追記:個人的には学校卒業後連絡先わからなくなった友達位に思ってる。たま~に思い出すたびにあいつ元気かなあって思いをはせてる。
二次元という意味ではvtuberも漫画やアニメは同じかもしれないけど直接コミュニケーションとれたり生きているってことを実感させてくれるvtuberという存在は卒業、消えたときの脳への負担は大きいはず。正味動画が多かった時代のvtuberはまだどこかで何かしてるだろうなあ~って想像することが出来きてたけど、配信がメインになった今はさっきまで話してたのに突然反応しなくなった骸って感じがあって少し心に痛みを伴う感覚になるのはわかる形に残るものはあっても新しいものは生まれない、生きてないって思ったときに心に来る。最近は慣れとかもあるかもだけど卒業は新たな門出って言うムードが出来つつあるのは精神面的にいい傾向だなって思ってる。
脳にダメージいくほどだと、タバコや酒よかヤバいものに思えてくる推し活ではなく、ただの依存症を誤魔化し表現してるだけじゃね?って思うわ援交をパパ活って表現してるのと大して変わらん
引退しないでくださいって、もし複数人から言われてたら鬱陶しいよなぁ言ってる側は自分の思いを言ってるだけなんだろうけど、受け取る側は多方面から言われてる感覚になるし
vtuberが世に出た当初は、中身に可変性がある事でコンテンツの長期運用が見込める筈だったのに、ゲーム部事件でそれが潰えた事で推す対象としてのコスパは引退後もほぼ同じ姿を同じ中身のまま追える点でリアルの人より悪くなっちゃったのがこの界隈(演者側もファン側も含め)の最大の損失。残された道は、今の演者が活動をなるべく長期でやってもらえるように、ファンや運営が思いっきり甘やかしていい気分にさせてあげるしか無くなった。だからファン側はコンコルド効果で演者を甘やかしがちになる。全肯定ファンが生まれたきっかけもおそらくこれ。質問者もこの点で無意識にリスクヘッジしてただけだと思う。
結局、ライバーという本人じゃなくて、ライバーが活動のために用意したキャラクターが好きなんね。だから死んだって言うんだ。卒業しても本人は生き続けているし、別の形で出会うことになってもその人の別のやりたかったことを応援できるんだから悪いことじゃないだろうって思うよ。
デビューしたての新人を推そう。1年は大丈夫です。😊😊僕はほとんど新人さんの配信しか見ないです。😊😊
以前、某一期生の卒業&アーカイブ非公開について我が子と話した際に
「自分達は物心ついた時からデジタル機器が当たり前に存在してて、思い出が形に残るのが割と普通なんだよ。例えば友達とのくだらない話も遊びに行った場所も、ラインの履歴や写真なんかにいっぱい残ってて、それが普通だと思ってる。だからたぶん『楽しかった思い出が形に残らなくて物理的に振り返れないこと』に折り合いを付けるのが、親世代やジジババ世代より下手っぴなんだと思う」
と言われて色々と考えさせられた
個人的にVTuberは、双方向のコミュニケーションができるものだから、友人(実際そうではなくても)と応援してる人を同時に失った感覚があるのが辛いの原因だと思った
瞬間瞬間の快楽でいいんじゃない?という最後のお話、納得するのと同時に、
でも、人間(主語デカ)って
「記憶なくしてまた見たい(もっかい感動したい)」って執着があって、
同じ絵でももう1回見返したら新たな感動があるかもしれないし、似たような感動をもう1回得るだけかもしれないんだけど、
「いつでも見返せる」ことの安心感が失われるのは寂しいよなぁ、とは思う
綺麗なところで終えたいから最終回、ってしっくりくる
リスナーにとって配信は「居場所」でもあるから、それがなくなってしまう喪失感もある気がする
よく卒業理由にあげられる「企業側との方向性の違い」って、まさにこのことなのかなと
自分の表現したいことができないままなのはつらいですよね
芸能人なら引退から数年後に「あの人は今!」みたいな番組とかで目にする機会も無い訳じゃないけど
特に企業Vなんかは卒業したらマジで存在の消滅に繋がるので、ファン目線で卒業ってほんとに怖い。
Vtuber目線の卒業についてフミ様なりの考え教えてくれたのは、少し違う捉え方ができて気持ち的に助かるね。
跡形も無くなってしまったとしても、その時落ち込こんだり、涙が出たり、ふと思い出すこと全てに好きだった全てが込められてる気がする。
その悲しみ、涙こそ、推しから貰った宝物の証だと思ってる。
死を二度と目覚めない眠りだとすれば、二度と現れることが無くなるVの引退は、実質死ってことなのではないかと。漫画の連載の喩えもありましたが、「面白いからずっと続いてほしいコンテンツ」というより「好きだからずっと生きていてほしい人」なんじゃないかなと。
そう考えると、「綺麗な思い出のまま死なせてくれ」って言われたら止めたくもなるし、グッズや思い出が残ると言われても、本人が居なくなったら悲しいに決まっているので。
フミ様自身も、アーカイブを何度も見返すよりは生配信を見た時の〜と話していたように、Vって生でリアルタイムなコンテンツだから、一部アーカイブが残ったとしても、連載が終了しても読み返すことで普通に楽しめる漫画とは違うと思うんですよね。
なお、ここで書いたことはあくまで「VリスナーはなぜVの引退をそれほど恐れるのか」に対する自分なりの想定であって、全リスナーがそうだとは言わないし、「だからVは絶対辞めるな!」ということでもないです。
それこそ、大切な人に無理し続けてほしいわけではないので。
ネット配信者やVtuberの卒業・引退する場合ってアーカイブや動画非公開で振り返ることもできなくてきつい
漫画やアニメなんかのこれまでのキャラクターなら媒体として残ったりするけどVtuberなんかはパッと消える
報告だったりっで一ヶ月くらいを目安に卒業しますと発表されて日にちが来たら終わり
漫画や小説みたいにきれいなEDを迎えるわけじゃない楽しみにしてどんな展開か気になって読んでた本が急にそこで終わってる
元からなにもなかったかのように消えるのに記憶の中に残っててネット上でちょっとだけ残ってて
今でも面白いと思って楽しく見てるけどVtuberの引退にはどう折り合いを付ければいいのかわからない
「すべて無くなる」=「チャンネルなくなる」=「最終回ではなく打ち切り」に感じるんだろな
最終回なら「読み返せる」から。
打ち切りなら「読み返したくても版元が回収して絶版」で「読み返せない」から。
にじじゃない方で例えて申し訳ないが
桐生ココ・湊あくあ、は「卒業」後もチャンネルもアーカイブも残るから、「ずっと見てられる」
夜空メル・潤羽るしあは「契約解除」でチャンネルごと抹消で「見返すことも出来ない」
この違いも大きいかと。
にじさんじは一律にチャンネルごと抹消だから、余計にこういう心境になるのではないか、と。
綺麗な終わり方を本人がしたのなら素晴らしいんだけど
転生したり、中の人で活動してる人達を見ると
卒業=転生するってイメージが付きまとってきますね
やらかした場合は「引退」もしくは「解雇」って表現にして
円満で辞めるなら「卒業」「旅立ち」って表現にして欲しい
転生したのは被る皮変えただけでやること変わらんから、すぐバレるしな
いい映画があって、見て面白かったーってなるじゃん?
そこからしばらくして、あれ面白かったからまた見たいなってなって、それが二度と見れないものになってたとしたら。
それは寂しいし悲しいんよ……。
Vtuberの引退が芸能人の物と違う要因の一つが
芸能人の場合引退してもその後の人生がありますし、もしかしたら復活なんて事もままあります
それこそ漫画やアニメでも連載終了しても復活リメイク、続編なんてそこそこある話
しかしVtuberの場合完全に死にます
もちろん、メタ的な言い方になりますが「中の人」にはそれからの人生があります
その「中の人」の転生先のVtuberを変わらず応援し続ける人もいます
しかしVtuber○○としての一つの人格は完全に消え去ります
Vtuberの引退は言葉では卒業にはなりますが、ファンからすれば死別と同義なのです
それを振り返るとき、例えば連載終了した漫画を面白かったなぁと振り返ると言うよりは
故人を懐かしむ寂しい気持ちになるのが、大きな違いと思います
個人的に拠り所にするには危険な趣味だと思ってるので、ある程度距離はとらざる負えない趣味だとは思ってる
受動的な趣味はそれに影響されてつらい思いをすることがあるので
まぁ対処療法として例えばだけど、そういったものに触発されて能動的何か作り上げたりすることをするといいかも
たとえ引退しようが卒業しようが推しが元気に生きてくれるならそれで良いんです。寂しいけどね…
Vは芸能人と比べ、リスナーたちの生活にもっと近いだと思う
生活の中で当たり前の存在になってるから
卒業はほぼ生活の一部がいきなりいなくなるみたい
その穴がいつか埋めるまで、ずっと喪失感に苦しめると思います
でも人生そもそもそういう経験は何度も巡りわせるから、穴が埋める日いつか来る、と思いたい
アニメとか漫画の最終回と違って
2次元とリアルの生きたコミュニケーションを享受しているから
やっぱり卒業はほぼ死でお葬式みたいになる。
ブツが残っても位牌やお仏壇の気持ちだよなぁ。
まゆゆのアーカイブ全部3週くらいしてるけどもう思い出ビデオみたいになってここから先新しいコミュニケーションは生まれないのが寂しいし悲しい。
日々の中で配信を見て一緒の時間経過を共有して湧き上がり続けて一緒に死にたいのよ、無理だけど。
刹那的すぎてもう誰が卒業しても苦しい。
しかもにじさんじという巨大で魅力的すぎる箱!私みんなのこと大好きなの😢
やりたいこと応援したい気持ちと心の穴がぽっかり空く辛さはまた別物として大切に持っておきたい。
卒業なら良いよ‥契約解除追放存在抹消処分のVTuberもいるんだからにじさんじもホロライブも‥他にもいるだろう
それだけ心酔出来るのは幸福だと思いますけどね
わいの推しはCDやライブをやってくれるから比較的ダメージが少ないよ。
まだ卒業ってはっきりさせてるだけましだと思うよ。芸能人なんてよっぽど有名な人でもない限りひっそり消えて行くなんて普通だし。
例えば堀北真希のいた事務所とかもいつのまにか事務所のプロフィールから消えて知らん間におらんようになったとか、結構あったし。どうしてもモヤるよな。だから卒業配信までやるのは相当親切よ。
芸能人のシレッと消えるのは、神隠しに遭った感じで「うわぁ」って声が出る
やはり多数推しが便利だな。
Vを推すことに依存の分散は必須テクニックになってきてるな
分散はあるのだけども、この子が卒業してもこっちの子がいる、、、とはならんよな😢
数が増える分身を引きちぎられるような思いをする確率もあがるよ。
@@m_yuyu728 この子がいるから大丈夫、というより
多数推しにして一人の子に依存、のめり込みすぎないように感情をセーブして
きちんと1人の完結を見守れるように感情の量を整えるというのが自分的な解釈かな
多数推ししても難しいなら、そもそもコンテンツへの距離が今の心身の状態にあってないと解釈して
コンテンツごと見ない時間をとって心を休める方がいいと思う(経験談)
この行動をしなきゃって思ってもいやだね!推しをみてたい!って気持ちになるなら、それこそ依存状態、自分を制御できない黄色信号だと思って推し活はおやすみする
推しは卒業するのは必然だからそれを前向きにポジティブに受け入れるメンタルに鍛えるか、距離感をはかる
これしかないと思う
@@m_yuyu728多数推しのメリットはこの子が卒業してもこの子がいるから大丈夫、というより
1人の推しにのめり込みすぎないようセーブして、卒業を前向きに見守れるよう感情を整えると解釈してるかな
もし多数推ししても苦痛なら、そもそもコンテンツとの距離感が今の心身の状態にあってないかもしれないと思って
しばらくコンテンツごと見るのをお休みする期間を作る方がいいかも(経験談)
ガチで依存状態だと自分を制御できないので
この行動を実行できない、どうしても見たくなるから
アプリをデリートする、Vをフォローしてないおすすめにもでない別垢を育てるなど環境からシャットアウトして
お休みするかな
Vと卒業はきってもきれないことだからポジティブに見守れるようにメンタルを整える工夫をしないと
楽しいものが苦痛なものになってしまうから
@@m_yuyu728多数推しのメリットはこの子が卒業してもこの子がいるから大丈夫。というより
多数推しして一人の子にのめり込みすぎないようにセーブして、卒業をポジティブに見送れるよう感情をととのえるというふうに解釈してるかな
多数推ししても卒業がきついくらいのダメージになるなら、そもそも今の心身ではうけとれる状態じゃないと判断して
コンテンツごと距離をとってお休みするといいよ(経験談)
まじでのめり込み、依存状態になるとコンテンツから距離をとるのも難しく、苦しい辛いと感じてるとわかってるのに見続けるから
アプリを消す、ログアウトして別垢を作るなどして見れない環境を作るのがよかったよ
そのままだと、楽しかったことが、辛い事になっちゃうからね
@m_yuyu728 多数推しのメリットはこの子が卒業してもこの子がいるから大丈夫。というより
多数推しして一人の子にのめり込みすぎないようにセーブして、卒業をポジティブに見送れるよう感情をととのえるというふうに解釈してるかな
多数推ししても卒業がきついくらいのダメージになるなら、そもそも今の心身ではうけとれる状態じゃないと判断して
コンテンツごと距離をとってお休みするといいよ(経験談)
まじでのめり込み、依存状態になるとコンテンツから距離をとるのも難しく、苦しい辛いと感じてるとわかってるのに見続けるから
アプリを消す、ログアウトして別垢を作るなどして見れない環境を作るのがよかったよ
そのままだと、楽しかったことが、辛い事になっちゃうからね
漫画は最終回でも作品が残るじゃんか
アイドルだって曲が残るじゃんか
Vでチャンネル消されると一番大事で好きだったものが残らないから辛いんだよ
グッズで辿れないものが好きだから辛いんだよ
案の定、思い出やグッズがあるじゃん!っていう結論だった。
それがあるから辛いんじゃねぇの?
だから、時が忘れさせてくれるまで待つしかないのかもな
依存先が多い人は心が健康なまま生きていけることが多いとは言うから、推しをたくさん作っておくのもいいかもね。ショックを受けることはあっても、他の推しに支えられて立ち直るのも早いだろうし。その為には視野を広く持ち、色んなことに興味を持ち続けるのが大事。俳優でも漫画でも絵画でもいいから、推しを作ろう
漫画とかは最終回迎えて終わったかと思われても、
ある程度以上の人気があればその後にアニメ化したり、何年か十何年後とかにグッズや続編が出るなんてこともあり得るからvtuverの卒業とはまた違う気がする
連載や放送が終了した人気作の10周年アニバーサリー企画とかもよくあるけど、活動終了したvtuverでそういうのは無い…よね?最近Vにハマったから
自分が知らないだけだったら申し訳ない
活動(展開)終了後に公式側からの新たな展開の可能性の差が、喪失感の違う原因の一つになってるんじゃないかなと
こう言っては何だけど、突然の契約解除で突然いなくなるパターンと卒業発表で間があってから卒業のパターンだと後者の方が悲しい気分になる自分がいる。
その後転生しようがどうしようが契約解除は卒業発表経ての卒業より割り切りやすいというか、後者だと卒業までの配信・コラボを楽しんで見れないから余計に悲しい気分の時間が長引くというか。
週刊誌の連載とか読んでるとたまに思う
こっちはずっと見てたいと思ってても発信者は伝えたいもの見せたいものがあって発信をしてる訳で。
それが完結したときに「求められてるから」「食い扶持だから」で続けられるかと言ったらNOなのだろうなと思う
出し切った!満足!で辞めるのか一旦溜めてくるで休止に入るかとか道はあれど、発信者であり続けられるのはひとつの才能だよな
vtuberとしての卒業はある意味での死だからそう簡単に踏ん切りはつかないのかなあって思う。
下に長文書いとく
追記:個人的には学校卒業後連絡先わからなくなった友達位に思ってる。たま~に思い出すたびにあいつ元気かなあって思いをはせてる。
二次元という意味ではvtuberも漫画やアニメは同じかもしれないけど直接コミュニケーションとれたり生きているってことを実感させてくれるvtuberという存在は卒業、消えたときの脳への負担は大きいはず。
正味動画が多かった時代のvtuberはまだどこかで何かしてるだろうなあ~って想像することが出来きてたけど、配信がメインになった今はさっきまで話してたのに突然反応しなくなった骸って感じがあって少し心に痛みを伴う感覚になるのはわかる
形に残るものはあっても新しいものは生まれない、生きてないって思ったときに心に来る。
最近は慣れとかもあるかもだけど卒業は新たな門出って言うムードが出来つつあるのは精神面的にいい傾向だなって思ってる。
脳にダメージいくほどだと、タバコや酒よかヤバいものに思えてくる
推し活ではなく、ただの依存症を誤魔化し表現してるだけじゃね?って思うわ
援交をパパ活って表現してるのと大して変わらん
引退しないでくださいって、もし複数人から言われてたら鬱陶しいよなぁ
言ってる側は自分の思いを言ってるだけなんだろうけど、受け取る側は多方面から言われてる感覚になるし
vtuberが世に出た当初は、中身に可変性がある事でコンテンツの長期運用が見込める筈だったのに、ゲーム部事件でそれが潰えた事で推す対象としてのコスパは引退後もほぼ同じ姿を同じ中身のまま追える点でリアルの人より悪くなっちゃったのがこの界隈(演者側もファン側も含め)の最大の損失。
残された道は、今の演者が活動をなるべく長期でやってもらえるように、ファンや運営が思いっきり甘やかしていい気分にさせてあげるしか無くなった。だからファン側はコンコルド効果で演者を甘やかしがちになる。全肯定ファンが生まれたきっかけもおそらくこれ。
質問者もこの点で無意識にリスクヘッジしてただけだと思う。
結局、ライバーという本人じゃなくて、ライバーが活動のために用意したキャラクターが好きなんね。だから死んだって言うんだ。卒業しても本人は生き続けているし、別の形で出会うことになってもその人の別のやりたかったことを応援できるんだから悪いことじゃないだろうって思うよ。
デビューしたての新人を推そう。1年は大丈夫です。😊😊僕はほとんど新人さんの配信しか見ないです。😊😊